魔法少女と戯れる日々 02-03
2000-04-05


「典子起きているか? 開けるぞ」

 妹の典子の部屋をノックしても返事がないので圭一はドアを開けた。典子はベッドの中にうずくまっていた。

「もう昼の12時だぜ…… 身体の具合が悪いというわけじゃないんだろ? もうそろそろ起きろよ」

 圭一は典子の身体を優しくゆすった。典子はかすかに首を動かして目を開けた。

「お前がそんなにふてくされるのにはそれなりの理由があるんだろう? ガキ扱いなんかしないから、今日は三人でゆっくり話し合おう。だからとにかく、顔を洗って服を着替えろよ」

 さあ典子ちゃん、お兄さんのいうことはよく聞くのよ……

 その声は遠くのほうから響き、典子はその声に素直に従った。彼女はベッドからゆっくり起きあがると、何もいうことなく、重い足取りで洗面所に向かった。彼女は何も考えることはできなかった。彼女はただ暖かで柔らかい、もやのような中を漂っていた。

「それが終わったら、さっさと服を着替えろよ。何か食べるものを用意してやる。まったく、世話がやけるぜ」

 圭一はいつものようにわざとらしく悪態をつきながらベッドの上のふとんを整えた。今は真夏なのに、マネキン人形が寝ていたかのように、典子のふとんはひんやりと乾燥していた。

 ブツブツと妹に文句をいっているが、実際のところ圭一は妹の典子のことが心配でしかたがなかった。典子が生まれてまもなく母親は病死したので、年の離れた兄である圭一は、昔から典子の母親代わりだった。彼はどんなことがあっても、たった一人の妹を自分の力で守るつもりでいた。

 土曜日の夜に典子が家を飛び出してから、典子の様子は日に日におかしくなっていった。原因は何か心因的なものに違いない。今日家族みんなでゆっくり話し合って、それでも典子が回復しないようなら、明日にでも父親は典子を病院に連れて行くことになっていた。

 典子のために、圭一が昼食の支度を始めようとすると、玄関でチャイムが鳴った。

「ただいま。典子はどうだい?」

 玄関には父親の松井秀介が心配そうな顔をして立っていた。典子のことがあるので、父親は月曜日の仕事を午前中で切り上げることにしたのだ。

「おじゃまします……」

 その後ろには圭一と同じ年頃の女性がいた。圭一はその女性を見ると荒々しい声をあげた。

「おっ、お前! 何で来たんだ! 父さん! 今日は三人でゆっくり話し合うっていってたじゃないか!」

「いやあ、でも……」

 父親は口ごもった。

「圭一くん、ごめんなさい。でも、典子ちゃんのことが心配で…… 典子ちゃんときちんと話しをしなければいけないと思って、秀介さんに無理を聞いてもらったの……」

 後ろにいた女性は、圭一の父親をかばうようにして、玄関の中に進み出た。女の名前は三塚佳代。圭一と典子の父親の再婚相手だった。

「だからといって、無理やり押しかけてくることはないだろ! 少しは典子や俺のことを考えろよ! 結局お前は自分のことしか考えていないんだ!」

 圭一は女の顔をにらみつけた。

「違うわ圭一くん。そんな、わたし……」

 圭一にとって、典子の病の原因は明白だった。土曜日の夕方に佳代が家に訪れ、父親が彼女との再婚話を始めたとたん、典子は家を飛び出した。父親と佳代の再婚に関して、典子が直接圭一に不満をもらしたことはなかったが、典子はそのことをかなり複雑に思っているに違いない、と圭一は考えていた。事実、何年も前から、典子の佳代に対する態度は、どことなくよそよそしい感じがすることがあった。

「お・と・う・さ・ん、お・か・え・り・な・さ・い。か・ず・よ・さ・ん、い・らっ・しゃ・い」

 口論している背後で典子の声が聞こえたので、圭一は驚いて後ろを振り返った。

 典子は玄関の廊下に立って、三人に向かって微笑みかけていた。

「典子ちゃん最近元気ないって聞いたから、わたしとっても心配してたのよ……」

 驚きのあまり呆然としている圭一の前を通りすぎ、佳代は典子に歩み寄った。

 典子に近づくな、と圭一は佳代の腕をつかもうとしたが、彼の父親がそれをさえぎった。

「圭一、落ちつくんだ。典子だってあんなに楽しそうじゃないか」

 廊下で佳代が典子の手をとり、典子はそれをとてもうれしそうに喜んでいた。

「典子ちゃん、もう大丈夫よね?」

「う・ん」

 さあ典子ちゃん、笑って笑って……

 典子の頭の中で響くその声は、まさしく佳代の声だった。

 四人で昼食をとりはじめると頃になると、典子の様子はいつものように元気になっていった。

「佳代さん、昨日お父さんが映画に連れて行ってくれてね……」

「あら、それはよかったじゃない……」

 食卓での典子と佳代の会話はかなりはずんでいた。圭一はそういった会話を横目で見ながら、何か心にひっかかるものを感じていた。だいたい土曜日に家を飛び出したのに、どうして典子はこんなに楽しそうに佳代としゃべることができるのだろうか。しかし、典子がこうして元気にしている以上、圭一には何もいうことがなかった。

「お兄ちゃん、これおいしいよ」

「あ、ああ……」

 典子がおかずの一つを指さしたので、圭一は無表情に口に運んだ。佳代が用意してくれた昼食は、彼の父親や彼自身が用意する料理よりも、かなりおいしいものだった。しかし、家で佳代に母親ヅラされている気がして、圭一にとってあまり気分のいいものではなかった。

「ごちそうさま」

「圭一くん、そのままにしておいていいわよ。後でわたしが片づけるから」

 そういった佳代の声を無視して、圭一は自分の食器をさっさと台所に片づけた。父親はそんな圭一の佳代に対する敵意むきだしの態度をたしなめようとはしなかった。おそらく、圭一に気を使っているのだろう。圭一にはそんな父親の気持ちが十分にわかっているつもりだった。しかし、だからといって、佳代と典子や自分のことに関して、まだ完全に納得したわけではなかった。

 食卓でこれ以上佳代と顔を合わしていたくなかったので、圭一はさっさとキッチンを出て、隣のリビングルームでパソコンを起動させた。松井家にはパソコンは一台しかなかったので、みんなで使えるように、パソコンはこのリビングルームに置かれたあった。

「何だこれ? そういえば、昨日電車の中でもらったとかいっていたな……」

 パソコンデスクの上には、魔法使いの女の子がプリントされたフロッピーディスクが置かれてあった。圭一はそれをなにげなく、フロッピーディスク・ドライブの中に指しこんで、中のファイルを実行させた。

 ファイルが実行されると、魔法使いの格好をした女の子が画面上を動き回った。

「なんだスクリーンセイバーか……」

「圭一くん、何をしているの? コーヒー入れたけど飲む?」

 その時、佳代がリビングルームを覗きこんだ。彼女は両手でお盆を持ち、その上にはコーヒーカップがあった。

「パソコンでメールをチェックしているんだ。お前に関係ないだろう。それにコーヒーはいらない」

 圭一の佳代に対する態度は相変わらず固かった。

「でも、もう持ってきちゃったわよ。キャッ! そっ、それ何なの?」

 佳代は突然大きな声をあげて部屋の中でひっくりかえった。コーヒーカップが落ちて割れる音が響き渡り、床にはコーヒーの茶色いしみが大きく広がった。

「おい、大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」

 佳代の顔は青ざめ、その体はガチガチと震えていた。

「そっ、それは……」

 佳代はパソコンの画面を指さした。

「いったいどうしたんだ? これはただのスクリーンセイバーだぞ」

 パソコンの画面の魔法少女はくるくるとステッキを回していた。少女がステッキを回すごとに、ステッキの周りからきらきらと光る星があふれ、それはまるで流星のように渦巻き状になって、画面中に広がっていった。

「すっ、吸い取られる……」

 佳代はそう一言いい残すと、全身を激しく痙攣させ始めた。

「オイ! いったい何が吸い取られるんだ? 父さん! 早く! 佳代が大変だ!」

「いったいどうしたんだ!」

 騒ぎを聞きつけた父親は急いでかけつけた。そしてその後から、のろのろと典子が部屋に入ってきた。

「キャアアアアアアア……」

 佳代の痙攣はおさまりそうになかった。激しく手足をばたつかせているので、父親は佳代を傷つけないようにしながら全身を押さえつけた。

「圭一! 早く救急車を呼ぶんだ!」

「わっ、わかった!」

 圭一は急いで電話のところまで走り、消防署に電話をかけた。

「とにかく急いで来てください! はい、突然痙攣を起こし始めて…… ええっと、住所は…… それではお願いします…… うわっ!」

 その時、三人がいるリビングルームから閃光があふれたかと思うと、家中に爆音が轟いた。その衝撃で家の中はガタガタと震え、ガラスが割れる大きな音が聞こえた。圭一はショックのために思わず受話器を落とした。 

「松井さん、今大きな音がしたようですが、どうかしましたか? 大丈夫ですか?」

「典子! 父さん!」

 圭一は落とした受話器を拾わずに急いでリビングルームに向かった。その部屋からは煙がもうもうと出ていた。

「こっ、これはいったい……」

 煙った部屋の中は、爆発のショックで散々に散らかり、すり傷だらけになった三人が、折れ重なるようにして倒れていた。どうやら部屋にあるパソコンが爆発したようだった。パソコンはもはや原型をとどめず、そこから黒々とした不気味な煙が上がっていた。

「父さん! いったい何が! いったい何があったんだ?」

「ウッ、ウグッ…… けっ、圭一…… わっ、わたしは、だっ、大丈夫だ…… そっ、それよりも、のっ、典子……」

 三人の中で父親だけが鈍いうめき声を発していた。痙攣がまだ続いているのか、佳代の身体は小刻みに震えていた。

 しかし、妹の典子の身体だけが微動だにしていなかった。

「典子! 典子! しっかりするんだ!」

 圭一は青ざめた顔で典子の身体をゆすった。しかし、典子に何の反応もなかった。 

「こっ、こんなバカなことが…… オイ、典子、なんとかいってくれよ…… 神様……」

 圭一の瞳には涙があふれ、そのひとしずくが典子の頬に落ちた。この状態は彼には絶望的に思えた。目の前が真っ暗になり、すべてが失われたかのような気がした。しかし、彼はあきらめることなく彼女の身体をゆすり続けた。

 その時、遠くのほうからサイレンの音が鳴り響いてきた。しかし、圭一の耳には何も聞こえてはいなかった。


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