MORIVER'S SWEETEST DIARY (45)
更新日記 (45)
5月 4日(月) パーマンリンク更新/ベルセルク・ボーイフレンド
5月 5日(火) 端午にケーキ/仮病/課金/DQ/恩師/血の英雄
5月 7日(木) かゆーーい/ショートケーキでした/逃避の果て
5月 10日(日) 術後/綾波配給計画第二章/予定
5月 11日(月) 手塚治虫の「ブッダ」でわしも考えた。
5月 12日(火) 般若心経リンク/二章の感想メール/風邪/DQ再起動
5月 13日(水) タイタニック
1998年5月 13日 (水)
み・た。
見て、来ましたよ。
ついにあれを。
そう。
「タイタニック」です。
見に行くと家を出る直前、上の妹(22)が「私も見たい」というので、一
緒に行くことにする。有楽町のマリオンにある日本劇場を予定していた。する
と「銀座に行くのだから」とお化粧を始める。いらいら。仕方が無いので、洗
濯物を取り込んでみたりする。時刻は午後5時半。最終上映時間は6時20分。
やっとしたくを終えた妹をひきつれダッシュで駅へ向かう。
東銀座の駅で降りてからがまた歩く。
それでも6時15分ほどには到着。
席はまあまあの位置。真ん中より少し前の右端の方。
しかし、暗くなって予告がはじまっても場内は異常に騒がしい。日劇だから
なのか。移動したり話をしたりする人ばかりなのである。いらいらがつのる。
なにやら物を食べている人も多い。普段は意識していないが、こういう場に遭
遇するとやはり自分はこだわり持ちの映画マニアなのだと実感させられる。携
帯鳴らすな! 物は食うな! なによりしゃべるな! 前の男、頭でかいぞ!
って最後のはしょうがないにしても、やはり体の大きな人はやや深めにシー
トに沈んで欲しいと思う。混んでいるのだからしかたが無いとは思うが。
妹は全然見えないというので席を変わる。なるほど。前の男の頭の存在感は
かなりのもの。字幕が見えない。
ということで一つ後ろの列に、空席を一つ見つけたので移動。こちらは快適。
やっとおちつく。こういう時カップルなら二人離れるのをためらうところなの
かもしれないが、妹だからほっといても平気のへいざである。
さて、映画の内容であるが。
冒頭は、現代のシーンからはじまる。水中に沈むタイタニック号から潜水艇
を使って金庫を引き上げる。ここで『アビス』でも使った、ロボット探査機が
登場。とにかくキャメロン監督はデビュー作「ピラニア2 殺人魚フライング
キラー」以来水中撮影にはこだわりがある。水中を撮らせたら世界一なのであ
る。
ひきあげた金庫の中には目当ての宝石は無かった。そのかわり一枚の絵が。
ヌードの女性。その首には目当ての宝石が描かれていた。
そのテレビ報道を見た101歳のおばあちゃんは驚く。
「あれは私だわ」
サルベージスタッフに連絡がつき、タイタニックの探索船にやってくるおば
あちゃん。そして彼女はサルベージされた品々を前に思い出を語り始める。
それは、彼女にとって忘れ得ぬ恋の物語でもあった……。
***
まあ話はあんまり明かしても面白くないのでこの程度にしておきますが、と
にかく全編これ、隙の無い映像と展開。3時間15分の長さを感じさせないと
いうのは誇張では無い。
話の本筋はラブストーリーなのだが、もちろん真の主役はそのタイタニック
号自身。実物大のレプリカを作っての撮影。その上でのほとんど実写版フルC
Gアニメーション。船の全景がノーカットで何度も描かれる。それが違和感を
感じさせないのは画面の雰囲気がCGがあるところも無いところも同じトーン
に統一してあるが故。いっそディカプリオもCGにしてしまえ、といわんばか
りの徹底ぶりなのである。
タイタニックはアカデミー11部門を受賞したが、役者はノミネートすらさ
れなかった。それを不満と言う人も多いと聞くが、僕はそう思わない。
元々キャメロンの映画はアニメ的である。決して役者が下手ということは無
くむしろその反対なのだが(アビスの主役、エド・ハリスは最高だ)、あんま
りにも作品の中にきっちりはまりこみすぎてしまい、いわば作品の中に溶け込
んで「役者」という存在の印象を消してしまうのである。
キャメロンは愛の人である。常に作品のテーマに愛を込める。ターミネー
ターでは時を超えた愛を。エイリアン2では母性愛を。アビスでは夫婦愛を。
ターミネーター2では再び母性愛と自己犠牲の愛。トゥルーライズでは家族愛
を描いた。本作品ではきっちり「ロミオとジュリエット」をやってくれた。監
督も「この映画はラブストーリーである」と言う。
けれども、僕には「ラブストーリーという枠の中で描かれた『タイタニッ
ク』という巨大な船(メカ)の物語」と見える。キャメロンは、確かに人が
好きなのだろう。愛を大事に思っているのだろう。だがあえて言わせてもらえ
ばそれ以上にキャメロンは機械や水といった「物」が好きなのだと思う。
でなければあんなにも徹底したタイタニックの度迫力はボイラー室の描写や
沈没の際のディテールの深さ、しつこいまでにくりかえされる溺死に対する恐
怖が描かれるだろうか。
それにまた「痛さ」の演出がうまい。ターミネーター2で、サラ・コナーが
病院を抜け出すシーンを思い出してもらいたい。こん棒で膝を叩くシーン。そ
してなによりやってきたターミネーターが病院のスタッフの一人を壁にぶつけ
るシーン。頭が壁にごつっとあたるあの感覚が内臓がでんぐりがえるほど痛そ
うだ。後半、ターミネーターが製鉄場で頭を金属の固まりでぶつけられるとこ
ろも痛い。ちなみにこれは後に「逃亡者」でパクられていた。
そして今回でも90度になったタイタニック号の甲板で人がつぎつぎに落ち
てゆくところ。ただ落ちるのではなく、途中突き出たポールにがつんとあたっ
て角度が変わって落ちてゆくそのありさま。もううひーーって感じなのである。
愛があってどうしてそんなことができるのかと思うのが、人を機械の一種と見
ることも彼にとってはお手のものなのである。人は死により物になることを彼
はよく知っている。ただ痛みを忘れないだけなのである。
キャメロンのもう一つの明らかな特徴は「照明」である。まず暗闇描写で使
われる独特のブルーな色彩。もっともこれは、今回あまり出なかった。その代
わり過去編では全編これ白っぽいまぶしい画面になっている。そのため、背景
などがぼやけて幻想的ですらあるのだが、同時にCG的なものをはめこむのに
便利なようになっている。こうした細かい技術的気配りは抜群なのである。
***
先ほどアビスとの類似点を上げたが、他にもいろいろ共通点がある。水中で
おぼれてゆくシーンも既にあった。また水のゆらゆらした表面の描き方も一緒
だ。これは先の「照明のこだわり」とも共通している。それから金属の硬さが
水の中では強調されることは見逃せない。きん、かん、と鳴る音の響きのこだ
わりがあるのだ。ボルト一本、ワイヤー一本飛ばすシーンも、キャメロン流に
なると実にどきっとさせられる。鉄の固まりで頭をぶつけようという発想も金
属やメカに対する彼の思い入れから発しているように思える。
***
ということで、やはり主役はタイタニック号。星空の下、巨大な黒い鉄の固
まりが90度になって聳え立つシーンなど、まさに地獄絵図である。
***
地獄と言えば、沈没のシーンはかなり長い。なにしろ、実際にも浸水がはじ
まってから完全に沈むまで2時間半かかったという。その間、徐々にパニック
がひろがってゆく様は、本当に怖い。その場に自分がいたらどうするだろうと
考えてしまう。死をじわじわと待つ恐怖。「実際に遭難の現場にいるという感
じを観客に与えたい」という監督の意図は成功している。
***
それから二人のラブロマンス以外は実話だというのがやはり重い。その分、
深か読みも幾らでもできる。ちょっとしたシーンの一つ一つに実は結構な物語
があったりもするわけで。
とにかく考えればきりが無い。ベン=ハーとタイでオスカー11部門受賞は
伊達では無かった。やはり何か映画を見ようか迷っている人にはお勧めの一本
である。
***
ただ最後に一言。
「ディカプリオってそんなにいい?」
なんか口先男、のようにも見えるけど。何したって言うのさ彼が。ねえ。
反論お待ちしております(^-^;;
(5/13 4:46)
1998年5月 12日 (火)
昨日の予告通り、般若心経について書こうかと思いましたが挫折。一番の理
由は、「難しい漢字がある」ということ。今、MS−IMEが壊れていて、漢
字検索ができないのですね……。
しかたないので、関連サイトを集めてみました。
摩可般若波羅蜜多心経
本文と、解釈文があります。ただし、読み方はありません。
心経
画像で、本文と読み方が縦書きで紹介されています。解釈文つき。
僕なりに簡単に解釈すると、この世のものには全て実体はなく、ただ「存
在」しているだけであって、したがって苦痛もなければ迷いもないのが本当な
のだ、ってことらしい。とりあえずだいたいどこの宗派でも般若心経は経典と
して使っているので、いちどはきっちりとりくんではみたいのですが……。や
っぱり生きた、役立つ言葉として価値があるかどうか確認してみたい、と。
***
先日アップした「綾波配給計画」第二章にさっそく二通ほどお便りをいただ
きました。一通目には「とにかく怖くてしかたがない。次回は、もっと怖いと
いうなら読みたくない。どうなのか」というものでした。自分では、結構、読
者サービスを交えたりして書いたつもりだったので、「怖い」というのは意外
でした。もう一通は、「次回期待します」というもの。やっぱり、お話は完結
させなくちゃいけませんよね。
***
なんだか風邪気味である。今、喉が痛い。下の妹が、つい先日ひいていた。
今更ながらうつったのか。まずい。
***
ドラクエ3、少しやる。ルビスから「聖なる印」をもらう。しかし、ひさし
ぶりなんでアイテムの意味はおろか、魔法まで細かいところは忘れている。ま
あいいか。
(5/13 2:16)
1998年5月 11日 (月)
手塚治虫の「ブッダ」を読み返す。文庫版全12巻、以前古本屋でまとめて
買ったものだ。第一巻についた解説によればこの作品は足掛け12年に渡って
連載されたものであるらしい。それを数時間で読んでしまうというのだから、
まったく作者の立場というのは情けないものだ。
ブッダは、お釈迦様の伝記という形式をとっているが、実は古代インドを舞
台にした壮烈で無情な歴史スペクタル物語である。しかも、宗教的な印象に残
るシーンのほとんどが、作者の創作であるという。12巻目の最後には、手塚
治虫自身による、史実との違いについての長いコメントがあるが、そこで「創
作」としてあげたキャラクターとエピソードを抜いたら、いったい何が残るの
だろうと思わせるほどに、フィクションの固まりなのである。
大体、肝心のブッダなど文庫本の第一巻ではまだ登場すらしないのである。
スードラ(奴隷)の身分にうまれた青年が、クシャトリア(武士)の将軍に
とり入って、出世するが生き別れになった母親が現れたため正体がばれ、結局
殺されてしまうという話が、ブッダ誕生の前に延々一巻と半分費やされて描か
れる。
ちなみに、このエピソードはどこか、映画「ベン=ハー」を思い起こさせる。
「ベン=ハー」はキリストの誕生と、はりつけにより死ぬまでの話を背景に、
ユダヤ人の王子が、ローマ帝国との侵略と抵抗しながらも自らはローマの剣闘
士として出世し、今や敵となった幼なじみのローマ人の友達と対決する、とい
う物語である。
ブッダの物語は、ベン=ハーの作りと良く似ている。実際、ブッダと同じぐ
らいの分量で描かれているのは、スードラよりもさらに低い身分パリア(乞
食)出身の「タッタ」なのである。上の青年のエピソードで、少年タッタは彼
の相棒として出てくる。そして、タッタはその青年の死により、クシャトリヤ
やその上の身分でありバラモン(僧侶)を、そしてなによりその国(コーサラ
国)を生涯を通して怨むようになる。
***
ベン=ハーと言えばもうひとつ思い出すのは「アドルフに告ぐ」という手塚
の作品である。日本人とドイツ人のハーフ「アドルフ=カウフマン」そしてそ
の友人でユダヤ人の「アドルフ=カミル」が、アドルフ=ヒットラーが実はユ
ダヤ人の血をひいていたという秘密文書をめぐって対立しあうという話は、ど
こかベン=ハーと似た構造を思わせる。
なによりブッダであれば。片やキリストの物語。片やブッダの物語。意識せ
ずにはいられないであろう。
ただ、「ブッダ」の場合、キリストはいわば「味付け」に近いでしか描写さ
れないベン=ハーと違い、ブッダ自身の姿もメインとして描かれている。
コーサラ国の属国のように小さな領土のみをもつシャカ族の王。それがブッ
ダである(ちなみにベン=ハーはユダヤ人の王子であった)。ブッダは、幼い
頃から病気がちで死について思いをはせることが多かった。タッタに連れ去ら
れ外の世界を見てからは余計その傾向が強まり、後に親の命令で結婚させられ
はするが、とうとう修行のために出家(家出?)をしてしてしまう。
最初は、他の修行者と同じく苦行をするのだが、体の弱いこともあってこの
方法に疑問を持つ。また修行者も悟りを得るためというより「修行したいから
修行している」ように見えてしかたがなかった。ブッダにとっては死や病気と
いう苦しみがなぜあるのか、という問題を解く方がもっと重要であった。
そして苦行を初めて6年後スジャータという少女の命をすくった時に感じた
不思議な体験……彼女の心の中に入る……によって、生命の「つながり」につ
いて思いをはせるようになり、ある日、瞑想にふけっている時に迷い込んでき
た一人の男の悩みの相談をしている時に「悟り」を得るのである。
その悟りとはつまり「生きとし生ける者は全て苦しんでいる。しかし人間も
川も山も動物も全てものはつながりをもっており、なんらかの役割を持つもの
としてただ存在しているのだ」という内容であった。
ブッダはこの悟りを得た後、それまでのシッダルダという名を捨て、「目覚
めし者(ブッダ)」として修行と布教の旅にでる。同時のその頃、ブッダの故
郷はコーサラ国により滅ぼされていた……。
しかし、いきなりそんな教えを伝えようとしても付いてくるものがいるわけ
でもない。そこでブッダはよりそう鹿を前に説法を続ける。そんな彼の元に
アーナンダという男を救って欲しいと女が現れる。ブッダはそのためにさる火
を崇める寺に行き、そこの僧と対決する。そして僧はブッダの言葉に心を動か
され、彼の弟子になることを誓うのである。
後は、そんな調子で修行僧を中心にどんどん改宗させてゆき、コーサラ国の
隣、マガダ国の国王の庇護の元徐々に信者を増やしてゆく。しかし布教の途中
自分の故郷が侵略されシャカ族がコーサラ国のルリ王子により奴隷にされてい
ると知り、帰郷を決心する。
ルリ王子の母親はシャカ族の出身であった。しかし奴隷(スードラ)の。
コーサラの国王がシャカ族から后となるものを人質として渡せと迫った時、シ
ャカ族はあえてスードラの娘を貴族の娘と偽って渡したのであった。
後にそのことを知ったルリ王子はシャカ族への復讐を遂げた。そんな状況の
中ブッダはやってきた。
ブッダはルリ王子と対面し、王子の出生についての苦悩を知り、語り会う。
そしてルリ王子はブッダの言葉を受け入れ、身分についてこだわっていた自分
を解放し、シャカ族から撤退することを告げる。
後に王となったルリ王子の庇護の元(有名な祇園精舎という説法所も作られ
る)、布教をしていたが、一方マガダ国に残った信者ではダイバダッタという
弟子の一人により教団の乗っ取りがはじまっていた。
マガダ国に戻るブッダ。ダイバダッタはブッダを殺そうと画策するも自らの
策のうちに溺れ自滅する。ブッダはマガダ国に残った信者を連れて再び布教の
旅に出て、その途中で死ぬ。
***
以上が簡単なまとめだが「ブッダ」を読んだ方には首をかしげられる人もい
ることであろう。「こんな話だったけ?」と。
実はこれ、巻末の手塚治虫の言葉を頼りにオリジナルエピソードと思われる
部分を抜いて語ったブッダのストーリーなのである。実はブッダが面白いのは
上のエピソードには無い部分である。裏主人公、タッタの復讐劇。ブッダの初
恋に人にして後にタッタの妻になったミゲーラ。タッタのライバルとして登場
するコーサラの近衛兵、巨人のヤタラ。ブッダと共に修行の旅をする片目の
デーパ。知恵遅れながら予言能力を持ちながら自らの予言に従い腹を空かせた
狼に自らの体をささげるアッサジ。獣として言葉を忘れ4つんばいになり自然
と共に生き、ブッダに見取られて死ぬ元バラモンのナラダッタ。
みんなみんな創作だという。
だが、上の登場人物の話こそ全て決定的に重要だというのに……。
ただ、こうして話をまとめていて気づいたのだが、仏典に出てくる要素の一
部に刺激されてエピソードを創作していったという部分もあるようである。
たとえば、ルリ王子の「復讐」という要素はタッタに濃く投影されている。
そしてルリ王子の悩みである身分についての問題も、冒頭の青年のエピソード
とつながっている。自然と人間も共に生きるものとして存在において同じよう
に価値があるという考えはナラダッタというキャラで現される。そういう意味
で確かに仏教的物語ではある。ただし、それは「火の鳥」と同じく「手塚仏
教」として、であるが。
***
さてはてこの手塚仏教であることを承知の上でこのブッダという物語から読
み取れる仏教の教えとは何なのか。
僕なりに考えてみるにやはり「因果」という言葉が重要であるように思える。
後半の説法にはやたらとこの因果という語が出てくる。因果とはつまり原因と
結果にはつながりがあるという考えだが、ブッダはこの因果を知ることで苦し
みから逃れられると説く。そしてまた正しい行いをすることで、よい結果が生
じるものだとも説く。
そしてまた「全ての人には神が宿っている」とも悟る。そして人は修行によ
り聖者になるばかりではなく神にも……しかも誰でもなれるのだと言う。
これはどういうことなのか。キリストの神とどう違うのか。これだけではよ
くは分からない。そもそも仏教の教えというのは本来どういうものなのか。
***
高校の時「倫理」の授業を取っていた。その時のもらった資料集が未だ本棚
にある。たった今そこから抜き出し、仏陀の章を読んでみる。なるほど。そこ
まとめられた略歴は上にまとめた「ブッダ」のそれと一致している。それによ
れば悟ったのは35歳。40歳の頃、シャカ族は滅ぼされ、80歳に死んだと
ある。
そしてブッダの悟りの内容は「縁起」とある。「いっさいの存在はことごと
く相互依存の上に成り立つ」というものらしい。
***
実は今かなりほっとしている。
僕の感じた仏教観はそれほど的外れではないと分かったからである。
こんなところで僕自身の哲学を語ってもしょうがないのだが、実は僕も「関
係性」ってことにかなりこだわっている。もっともこの「関係性」って考えを
最初に意識したのは仏教ではなく現代思想のひとつ「構造主義」からであった。
大学一年の頃にちょっとはまって関連書籍を読んでいた時知ったのはこの構造
主義であり、それによれば「全ての存在に、絶対的存在はなく、ただ関係と関
係によって成り立つ『構造』があるにすぎない」ということらしい。
これを知った時、僕はかなりはっとして、以後自分を構造主義者だと思うよ
うになった。もっともよくよく調べてみると現代では構造主義というのは欠陥
がある考え方とされているらしい。その批判している説をひっくるめて「ポス
ト構造主義」というのだが、批判なのでとにかく構造主義にとってかわるよう
なものとまではなっていないようである。
ちなみにその批判の一番のポイントは「世の中の全てに絶対はなく、相対的
であったとしたら、その相対的だという自分のその考え自体も『絶対』とは言
えないじゃないか」というところにある。
なんだか言葉遊びのようだが、ようするに相対的という『なんでもあり』と
いう価値観を採用したとしても、そう言った時点でアンタそのものが『絶対』
になっちゃってないか、って話である。なんでもありありさ、って強がってみ
ても、自分だけはどうでもいいなんて本当に言えるのかよって、つっこまれる
と構造主義者は弱いのである。どうやったって自分という存在そのものは消せ
ないからである。消してしまったら何も言えなくなってしまう。まあ、それが
悟りなのかもしれないが、具体的にそんな悟りを得る方法は死ぬことぐらいし
か思い付かない。
まあ死ぬのはとりあえず嫌なんで結局僕も構造主義から脱却したポスト構造
主義者ということにしたのだが……なにか解決がおきているわけではない。
***
そしてこの仏教の「縁起」「因果」という考えである。非常にこの構造主義
の考えに似ている。というか、構造主義そのものが東洋の思想の影響になりた
ったとも言われているから、ある意味当たり前と言えば当たり前である。
そもそも現代思想という流れ自体、西洋的ものの考え方の歴史なわけであっ
て。ちょっと前に流行った「ソフィーの」なんとかという本だって、結局は西
洋のものの流れの考え方を古代ギリシャのソクラテスあたりから説明したもの
である。
西洋人は構造主義だなんて偉そうな名前つけているけど東洋人にとっては、
それが前提である、とも言える。その意味で仏教というものも意外に現代日本
人心の中にも入っているのかもしれない。
***
日本人にとっての仏教は、葬式仏教と言われる。葬式と墓の時にしか出番が
なく、それによって生計を成り立てているということだ。まあ、ブッダさんも
死ということが生物全てに共通のもの故に、全ての生もまた全ての生物におい
て平等だと言ったのだから葬式仏教という言葉も考えようによっては、案外仏
教の本質を示していて悪くもないかもしれない。
だが、あんまりにも仏教というものは分からなさすぎる。正体がつかめない。
だから「ブッダ」というマンガはすごいと思う。他に、ここまでブッダを描い
たものは知らないし、一応、一読者が「感覚」として言いたいことが分かって
くるのだから。
僕としては仏教を本当にやっている人がこのマンガをどう思っているのかが
知りたい。はたして、これは「仏教」なのかそれとも「手塚教」にすぎないの
か。まあなんにせよ……やっぱ手塚せんせはすごいや。深い。
***
以上、「ブッダを読んでわしも考えた」でした。
***
むむ。資料集には「般若心経」も乗っている。明日はこれについての感想で
も書いてみようかな、と。……誰も読まないって?(^-^;;
(5/12 2:26)
1998年5月 10日 (日)
麻酔の効果残る中、これを書いています。術後の森川です。
***
なぜ今ごろ? と思われるのを承知で、綾波配給計画第二章を書き上げまし
た。ほとんどプロローグのような第一章をアップしたのが昨年7月。それから、
10ヶ月も経って……馬鹿みたいな話ですが、書いてしまったのですから仕方
ありません。しかも、今回ちょっぴりR指定入ってます。
今回の第二章、形式上はエヴァンゲリオンのパロディ小説の形を取っていま
すが、本当の元ネタは藤子・F・不二雄の短編「恋人製造法」と「有名人株式
会社」の二つです。どちらもクローンの女の子がでてくるお話です。特に前者
はわりと好きで、イメージを少し拝借させていただきました。
さて、本当はもっと長い話にするつもりでしたが、もう、このままだらだら
書いていてもしょうがないと思い直し、次の第三章で完結させてしまう予定で
す。まったりとした展開でしたが次は思いっきりアクションある話にしたいと
思っております。
ってことでこんな調子で、たまっていた連載ものをちゃっちゃと片づけて行
く予定。次はDQかパーマンか……もうひとつ新企画も予定。同時進行なので
出来上がった順に公開してゆくかと。期待せずにお待ちくださいまし。
(5/11 1:22)
1998年5月 7日 (水)
かゆーーーーい。
今シーズンになってはじめて虫にくわれてしまった。短パンをはいていたた
めにもう、足には5、6個所以上も。あわてて、虫さされの薬を探し出し塗り
出す。キンチョウリキッドもセットオン。部屋が汚いからだろうかとも危惧し
てみる。とりあえず網戸のある窓は全開にし、風通しをよくする。
あったかくなったからビールがうまい、などと呑気にやっている場合ではな
い。そういえば、昨日はなんとなく二回もお風呂に入ってしまった。静香ちゃ
ん並みである。
それにしても、ゼリー状の虫さされの薬を塗ったとたん、さされた跡はもう、
膨らむ膨らむ。それは回復する兆しでもあるわけでが、実に不気味な光景でも
ある。
***
そうそう。メールで友人のパンダ(仮名)から「5日のケーキは、結局どっ
ちを食べたのだ」との質問をいただいた。ショートケーキの方です。イチゴの
甘酸っぱさにひかれました。
また、友人S(「ぎお」氏)も掲示板に書き込みをしてくれた。こんな身内
ばっかりの書き込みでよいのであろうか。まあ、目的のない掲示板だから、し
ょうがないかあ。
***
なんでかしらないが、止まっている某連載のひとつを書いていたりした。現
実逃避。でもこういう時に限ってすらすら書けたりする。馬鹿な私……。
(19:40)
1998年5月 5日 (火)
今日は子供の日、端午の節句です。
ということで母がケーキを買ってきた。なぜにケーキなのはか分からないが
とにかくお祝いごとには我が家ではケーキなのである。ショートケーキとチー
ズケーキがあって、僕がショートケーキに手を伸ばすと、上の妹が「私が今悩
んでいたのに!」と怒りの大声をあげた。勝手な話である。
***
昨日の日記で「闘病生活」と書いたら友人Sから「病気なの?」と電話が来
た。あくまで忙しい状況のたとえであったのだが。余計な心配をかけてしまっ
た。
***
とっくの昔に私が加入している「DREAM★NET」の無料サービス期間が過ぎて
いることに最近気づく。母親のカードを借りて決算しているので、すっかり忘
れていた。いったい先月など幾らぐらい課金されているのだろうか。やはり、
プロバイダーを固定制のところで落ち着かせた方がいいのだろうか。テレホー
ダイの設定も変えなくてはいけないのでタイミングが難しい。メールアドレス
はこれを見越してGeoCitiesの転送サービスを使っているから、よいのだが。
***
友人に「ドラクエ日記、書き始めたんだから最後まで書きとおせ」というよ
うなことを言われる。全ての連載ものにあてはまることだが、こういう中途半
端な態度は自覚している分、心苦しい。と言いながら行動には移さないのだか
ら僕も相当なわがままものではある。
***
試験の模擬試験を受けていたら、その試験問題のひとつが、大学の恩師の書
いた文章を元ネタにしていていることに気づく。教授にその旨をメールでつい
送ってしまう。返事はまだ無い。こういうのは著作権にあたるのであろうか。
***
ベルセルク面白い。また読み返してしまった。中世ファンタジーものは数あ
れどこれほどシビアなのは滅多にない。傭兵が出てきて、大砲が出てきて、主
人公が子供の時にペストが流行る辺りから、15世紀頃のヨーロッパの話とい
うことは分かるのだが、このあたりは詮索しても仕方ない部分かもしれない。
性と暴力について嫌というほど描かれている。
主人公は悪党すれすれなのだがやはりヒーローである。どこかブラック・ジ
ャックを連想させる。最近のマンガだと少年マガジンの「GTO」などこの系
譜だろうか。血塗られたヒーローがなぜか現代には似合う。悪を身に受けなが
らもぎりぎりのところでそれに飲み込まれずに生きる姿に共感する。声高に叫
ぶ正義の題目はもはや空々しくしか聞こえないのだから。
(23:37)
1998年5月 4日 (月)
皆さんおひさしぶりです。
最近、なんでか「パーマン・リターンズ」のページにメールをいただいてま
す。このままにしておくわけにもいかないので、リンク集だけ更新します。
HIROHIRO HOMEPAGE
藤子不二雄atRANDOM
の二つを追加します。
これからもよろしくお願いしますね。
その上、ブラジルから英語で「パーマンの画像は無いのか」というメールも
いただいたりして。どうやってこんなページみつけたのやら。大分前にはアメ
リカの方から「私の妻の名前はパーマンと言うのだが、なにかそちらのページ
と関係はあるのでしょうか」というやはり英語メールをもらったことがありま
す。返事のしようがないので、ほうったままですが・・・「関係ありません」
としか言えないですから。
***
掲示板は、友人のパンダ(仮名)にまかせっきりです。闘病生活をしている
僕のためにがんばってくれています。ありがたいことです。上野動物園からの
アクセス、大変だとは思いますが今後ともよろしく。
***
今さらながらマンガの「ベルセルク(三浦健太郎)」を読んでいます。一気
に5巻まで読む。案の定はまった。こんなの読んでる場合じゃないんだけどな
あ。
その上、妹が買ってきた「ボーイフレンド(惣領冬美 講談社)」もはまる。
少女漫画なのだが渋い。元中学バスケのエースが、一旦はあきらめたバスケを
無名の高校で再び始める……。それをとりまく主人公の男の家族(やたら兄弟
がいる)、コーチ(なにやら過去あり)、そして主人公を好きな女性達(一応
病弱なヒロインと勝ち気なライバル女性など)。
面白いのはいいけど困るなあ。読むのは自慢じゃないけど早いからたいした
時間はとらないけど、これでも「闘病生活」の身だし。くわばらくわばら。
***
そういえばいつの間にかページ開いて一周年たってる。まあ、どうでもいい
かそんなことは(^-^;;
(22:07)
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