■塙 ちと 著 『書斎の極上品』 小学館文庫 小学館文庫今月の新刊『書斎の極上品』(塙 ちと)への辛口批評。
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読んでみて、文章が下手で、困っちゃった。
しかも、僕の書くような文体に近いものだったから、余計、困っちゃった。
やっぱり、いい文を書くのっていうのは難しいことなのだなあと、あらためて思っちゃった。
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◆例示。
◇『というのも、その展示会で、私は「水目桜」との決定的な出会いをしてしまったのだ。いわゆる一目惚れである。どんな形容詞を使っても、あのとき本能的に「!」と感激した気持ちはいいあらわせない。』
…のっけからナンですが、「いいあらわせない」人は文章を書いちゃいけないんですよね。また、「出会い」というのも、そう簡単に使ってはいけない言葉です。小林秀雄が大阪の道頓堀で「そのときである。私の脳裏に、モオツァルトの何々が鳴り響いたのだ。」と書いたことを、高橋悠治は徹底的に攻撃した。「出会いは、相互のものでなければならない。」
◇(眼鏡フレームづくりに関連して)
『つまり、設計図という「平面体」から、すぐれた想像力を働かせて「立方体」に形づくるわけだ。』
…サイコロを作ってどうする。「平面体」という造語はまだ良しとしても、「立方体」という一般名称を特殊に使うのはいけない。この著者は「方」という字が四角を意味することを知っているのだろうかと訝しく思ってしまう。
◇『ノーテンキに窓外の自然を眺めてのんびりしていた気持ちが引き締まり、「紀州松煙」と大書された工房について、ようやく仕事モードに入った。』
…およそ本に収められるべき文だとは思えませんね。さらに、「ついて」という言葉が漢字でないために、意味が正確に伝わっていない。良く読むと「仕事モード」とは、取材をしている彼女自身の「仕事」を指しているらしい。手前の仕事なんてこっちは興味ないよという感じだね。
◇『ましてや硯は、固く凝縮している墨を、のびやかに蘇生させる道具なのである。明日への力を奮いたたせるには、絶好の道具。とは、少しこじつけにすぎるかもしれないが。』
…こじつけ以前です。
◆文章の構成。
文章の構成がワンパターンで、さらに全編がありきたりな職人礼賛のクリシェに始終している。
「○○という道具がある」。「良い○○は普通とこんなにちがう」。「○○の歴史を調べてみた」。「××さんの職人技による○○はすばらしい」。一丁上がり。「○○の歴史」も、彼女自身の内から出てくれば説得力があるが、「今回これにあたり調べてみました」というのが見え見えで、全体のレベルの統一がなく、魅力がない。
◇『造る筆に合わせて、瞬時に指先の手触りで質と長さを選んでいく。文字通り経験と勘とを最大限に発揮する行程である。』
…何を受けて「文字通り」と言っているのか。単に「経験と勘」というクリシェをここに持ちこむためのプレテクストに過ぎない。
◇『見えない部分に、こんな知られざる工夫がされていた。言葉で語れば、「竹を編み、紙を張り、カシューを塗る」だけのことだが、古来の工夫が盛り込まれていたのである。』
…知らなかったのは著者だけである。古来の智恵はスゴイ、万歳、匠の技はスゴイ、万歳、である。
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いい文章を書く人というのは、文章を書く以外のときにも、ノーテンキにのんびりしていそうにないですものね。
やはりその人の人となりが直接に現れるものなのでせう。
■読みかけの本。99.05.02
近頃は「読みかけの本」が「いつのまにか」溜まる傾向にあります。
このGWも利用して消化していきたい。
タイトルをメモしてみると…
ビートたけしの『愛でもくらえ』
「いまどき真っ当な料理店」の続編『それでも真っ当な料理店』
芥川賞受賞作のチェック、『日蝕』
建築現場経験者の『イッセー尾形のナマ本(巻四)建築現場編』
「藤森本」、読みそうで読み進めていない『建築探偵 奇想天外』
「森毅本」『「頭ひとつ」でうまくいく』
『鋳物のおはなし』
『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』
『夢みる権利 ロシア・アバンギャルド再考』
分子生物学『T系ファージ』
学生時代に読んで影響を受けた本のひとつであり、当時は文学部図書館の本を借りていたのを東大出版会セールで見つけてつい手に取ってしまった坂部恵氏の『仮面の解釈学』
安藤忠雄氏の『家』
中井先生の『アリアドネからの糸』
これは別に通読する必要はないけれど『食材図鑑 魚』
カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』
ゲーテの『色彩論』
『関西ハイキングガイド』
松岡正剛+佐治晴夫の『二十世紀の忘れもの』
『復元技術と暮らしの日本史』
『植田正治写真集』
司馬遼太郎氏の街道を行くシリーズの『十津川街道』
芥川龍之介の晩年のエッセイ『侏儒の言葉・西方の人』
など。 |