7月9日(水)

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(バーベキューパーティ)

 発表はまだ金曜日の午前中も残っていた(日本人では、最後に登場する岡山大学の香川先生の発表が残っている)のだが、木曜日夕方のバーベキューパーティは、お別れパーティの雰囲気で、大変盛り上がってた。天気もようやく持ち直し、太陽は、西の空低くの雲に覆われて見えないものの、青空が広がり、屋外で夕食をとることが心地よい。ロウソク橋隣りのレストランに集まった参加者は、開放感に浸っていた。Mathematica を使って作曲したコンピュータミュージックの他に、スウエーデンから参加の夫妻の楽器演奏があったりと、会話以外にもなかなか楽しみの多いパーティだった。

  

 パーティ会場では、会議場で話すきっかけのなかった人々とも、子供たちを通して知り合いになれた。スペイン/セビリア大学のアントニオさんは、同行された娘さんのアナマリアさんがとても愛らしく、是非にと写真を撮らしてもらった。まるで、下手なナンパであるが、写真を送るためにと父親のアントニオさんの名刺をもらった。また、ドイツの少年ハルドール君の母親エルケダグマルさんは、コンスタンツ工科大学の教授で、教育部門の第一セッションの座長を務めていた人である。ハルドール君は、会議中の観光ツアーに一人で参加するしっかりものである。家内が撮った彼の写真を送りたいと、名刺をもらった。

(英語の必要性)

 頭では、分かっていたはずだが、英語の必要性を再認識というか、肌で感じた会議であった。発表そのものは、座長の役も質疑応答も含めてなんとかこなせたが、他の人の講演ははっきり言ってどれもよく分からなかった。日本語での発表だったとしたら理解できたであろう水準には、到底達しないし、他の人の講演に対して質問をすることも、ついにできなかった。会議では、いろんな国の人々がいろんななまりの英語で自分の研究成果を発表しているし、どんなにすばらしい研究も、英語で書かれていなければ(日本語で書かれていたのでは)、日本人以外だれも読んでくれない(したがって、関心も持ってくれない)だろう。
 この事実が肌にしみたのが、会議参加の最も大きな成果だったと思う。どんなに下手くそな英語でも、(決して読めない)日本語よりはましである。日本語フォントを組み込んでいないロバニエミ工科大学のコンピュータから日本語フォントで書かれたページにアクセスしたときの失望感を思えば、いくら文法や運用の間違いがあろうとも、英語で書かれたページの価値は分かる。英語で書かれていれば、少なくとも内容を予想することができ、また、予想できなければ、制作者にコンタクトしようという気にもなるが、文字化けした日本語コードに埋もれたページは、このような努力さえ門前払いにしてしまうことになる。


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