8月27日(水)
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Uno のパンクが直った。振り返ってみるとタイヤ交換を邪魔していたのは、イタリア車に対する偏見と私の腕力の無さだった。タイヤのナットにサイズはノギスで計ってみると19.0mm、十字形の工具は19.5mm であるから、遊びが大きいとは言えない。すっこ抜けてしまったのはプラスティックのホイールカバーをはずさずに、ボルト(ナットではなくボルトだった)を緩めようとしたため、工具が頭の部分にしか、かからなかったせいである。情けない話しである。
「イタリア車だからインチ規格かなにかの変なネジを使っているのだろう」などと思っていたのが、そもそも苦難の始まりであったが、これは私の完全な偏見だった。フィアット社には、このページを通しておわびしたい(見てないと思うけど)。また、ホイールカバーをはずしても、標準装備の十字形工具ではボルトを緩めることができなかったのは、私の非力のせいである。この工具、日本で使っていた L 形の工具より柄が短く、より強い力をかけないとボルトが緩まない。不安定なため、足の力を使えないのがつらい。柄の長い工具をタンペレの町で買ってきて、ようやくボルトを緩めることに成功した。結局、右後輪のホイールカバーは、始めの試みで一部が欠け、最終的には粉々になってごみ箱行きになってしまった。
日曜日に、トウルク(ロシアによってヘルシンキに移転させられるまで、フィンランドの首都だった南西部の古都である。日本で言うと京都大阪に当たるだろうか、そうするとタンペレは名古屋豊田くらいになるか?)近郊のナーンタリにあるムーミンワールドに行ってきた。さすがに「地球の歩き方」の威力(タンペレ全体が3ページに対し、ムーミンワールドを中心にナーンタリの紹介に1ページが割かれて紹介されている)か、日本人が多かった、数えてみたら、一日(実際には、午後2時から5時までの3時間のみであるが)で14人の日本人(と確認できた)に会った。5月に日本を離れてから最も多くの日本人に会ったことになる。ロバニエミの一週間の学会で出会った日本人が延べ10人だったから最高新記録である。すごい。ラウマの近郊から来たという家族3人を除けば全て日本からの旅行者だろう。
ムーミンの熱狂的なファンなら別だが、ムーミンがカバだと思っていた(私も含めた)一般人には、正直言って、遠い日本から訪ねるほどの施設ではないと思う。まあ、フィンランドには、日本で言うところの観光地は無いから(ゆったりとすごす避暑地としては最適と思うが)、ガイドブックとしても取り上げざるを得ないのだろう。しかし、「日本からわざわざ訪ねるほどでないとすると、フィンランドに居るうちに訪ねなければならない」というへ理屈もあるわけだ。ムーミンワールドは8月で閉鎖(冬眠)だし、フィンランドの夏休み明け(8月12日)以降は、週末のみの営業である。3月に帰国する我々には、思い立った土曜日の時点で、機会はわずか3日(24、30、31日)しかなかった。Uno がパンクしていたので、列車に乗り2時間かけてトウルクへ更に(乗り換えを含めて)1時間かけてムーミンワールドにやってきたというわけである。
せっかく行くのだからフルに楽しまなくっちゃと思い、朝7時前に起床、7時20分のバスで駅に向かった。ところが、トウルク行きの次の列車は、なんと9時58分発、2時間も待たなくてはならない。何のために早起きしたのか(6時の始発バスに乗れば、6時48分発の始発電車に乗れたことが後から分かった。)と、普通ならめげてしまうところだが、これくらいのことは西澤家では決っしてめずらしいことではない。2時間遅く出るなら、2時間遅く帰るまでである。タマー運河近くの公園で、朝食のサンドイッチを食べながら発車時刻を待った。
トウルクには正午に着いた。早速バスターミナルに向かう。「地球の歩き方」によると1番のバスがナーンタリに向かうという。しかし、行ってみると1番は高速バスの表示があり、ヘルシンキ行きである。家内は、「ヘルシンキ行きのバスが途中でナーンタリに寄って行くのじゃない?」なんて言っているが、今までの経験からすると、こういう安易(家内の名誉のために言っておくが、今まで安易な判断で家族を失敗に導いた回数では、圧倒的に私の方が多い)な判断が間違いのもとである。分からないときは、正しい情報を持っている人(ここでも苦い経験がある。人は、間違った情報に基づいても親切に教えてくれることが多いので)に聞くに限る。乗務員にナーンタリ行きのバス乗り場を聞くと、フィンランド語で詳しく教えてくれるのだが、一言も聞き取れない。「分からない」とジェスチャーと英語で迫ると、乗務員さんは諦め、親切にも11番の乗り場まで我々を連れて行ってくれた(ここが、フィンランド人の、さらに言うと、太っちょのおじさんの、良いところである)。
バスの終点はナーンタリとなってないので、停留所毎に乗りすごしではないかと、ハラハラしながら乗っていたが、30分後にバスが止まったところがナーンタリのバスターミナル(と言ってもトウルクからのバス停があるだけだが)、終着であった。
長さ200mくらいの浮き桟橋を渡ってカイロ島に上陸するとムーミンワールドである。巨大化したムーミンファミリ(ムーミンは妖精で背丈は数センチしかないとは、当日、家内から聞いた)がマジックショーをしたり、園内を歩き回ったりして楽しませてくれる。ムーミンハウスも5階建ての巨大な家である。少し太めのスナフキンやかわいいミーの他に、迷路(智は、この迷路が気に入って何回も挑戦していた)の出口には魔女がいて、屋根の上から毒づいたり部屋の中で蛇を食べていたりする(彼女は、いやにリアルだった。もしかして、本物の魔女の家系かもしれない)。はじめはこわがっていた素子も、ついに、ムーミンと握手ができた。途中、スティンキーが牢屋を破って園内を歩き回っていたが、捕まえることになっているはずの二人の警察官は、ポップコーン売り場でくつろいでいた。そろそろ、店じまいの雰囲気だろうか?そう言えば、4時ごろにはムーミンもポップコーンを買いに来てムーミンハウス近くの(係員以外立ち入り禁止の)小屋に消えた。ご苦労さまである。
フィンランドの商業資本ソコスが出資して始めた観光事業であるが、ディズニーランドみたいに徹底したところがなく、アマチュアの文化祭の雰囲気を残しているところは好感を持てる。帰りの列車の中で素子に感想を聞くと、「まあまあね。普通」とのことであった。私は結構楽しめた。
後日、聞いてみると、「もっちゃんねー、ムーミンと一回だけ握手したよ」と言っていた。もしかして、とても勇気の必要な大事件だったのかもしれない。
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