11月 4日(火)

November 4th (Fri), タンペレ通信に戻る( Back to Index)

(サッカーシーズン終了)

 先週の月曜日、イルヴェス傘下の全少年少女サッカークラブが集まる集会がピューニッキ体育館で行われ、同日フィンランド語教室のある家内を除く三人で出かけた。この集会には、子供達が憧れるイルヴェスのスタープレイヤーも参加、シーズン中のベストプレイヤー(各年齢毎に男女各三名)、優秀チーム6チーム(チームも年齢別に編成されているので、各年齢別ということになる)の表彰に花を添えた。集まった子供達ざっと500名以上、同伴の家族も含めて軽く1000人は越える人々が詰めかけ、若いサッカー小僧(娘)達に拍手を送るのである。関客席は、子供達(プレイヤー達)と家族に分けられ、ともに立ち見席のできるにぎわいで、しばし、フィンランドの人口密度が低いことを忘れさせるほどだった。驚いたことに、智が所属するヘルバンタのチームも(5番目かな)優秀チームに名を連ね、智もチームメートと一緒に表彰されたのである。シーズン終盤9月の追い込み(私の知る限り三連勝)が効いたようである。
 この集会で私が驚いたのは、観客(大人達が大部分だが、チームメートの兄弟達も含まれる)の雰囲気だった。表彰される側の若きプレイヤー達は(興奮からか)ざわめくことが多かったが、観客席では私語がほとんどない。完全な静粛ではなく、席を譲り合う、知り合いと挨拶を交すといた、短いやりとりはあるのだが、ペチャクチャが全くない。観客の一員として着席した当初は、気付かないほど自然な静けさである。体育館中央で展開される数々の表彰は、決して興味あるものではない。大部分の表彰は、どの観客にも関係のない、よその子のものである。日本で似たような催しがあったとしたら、どのようになるであろう。小学校の体育館で行われる学芸会の(特にだしものの間の時間の)観客席の様子を思い出していただければ比較ができよう。
 帰宅後、何度かこの現象の説明を試みたが、今のところ下記2種類の説明しか思い浮かばない。
  1. このパーティ(表彰式)が、(私の認識とは異なり)観客にとって極めて価値の高い(したがって、自然に私語のなくなる)催しであった。
  2. フィンランド人は、(我々日本人と異なり)このような場における振る舞いをわきまえている。
 何かにつけ、フィンランド人と日本人を比較したくなるのは、母国を離れて半年になる人間の特徴かもしれないが、「もしかして、我々日本人は、大人も子供も、秩序を保つ外部の権威に頼りすぎ、自発的に秩序を保つ術を、未だ身に付けずに来てしまったのではないか。現在の日本人集団には、権威等による上からの秩序か、烏合の衆の二態しかなく、両者の間には紙一枚の距離。しかも、それ以外の状態は、想像することもできない。」などという妄想が浮かんでくるのは、アルコールがまわりすぎたせいだろうか。

(電飾)

 冬になるとタンペレ中心の目抜き通りハメーン通りが電飾で飾られることは以前書いたように思うが、10月下旬からいよいよこの飾りが点灯し始めた(マラさんの話しでは10月17日が点灯開始だったという)。私が、初めてこの電飾りを見たのが21日(火)フィンランド語教室の帰りである(この日はカメラを忘れ、実際に撮影したのは1週間後の28日である)。28日は冬時間に切り換わった後で夕日の沈むのが一気に1時間早くなった関係もあり、すでに教室に向かう往路で点灯した電飾を見ることができた。特にケスクストリ(中央広場)のバスターミナルは、四方を電飾りで囲まれ、真昼のようとは言わないが、かなり明るい雰囲気になる。この電飾今年で32年目というから、市民にも完全に定着している。綺麗である。
  
(タンペレ劇場)     (電飾の始まったハメーン通り)    (タマー運河)

(子供フェスティバル)

 土曜日の午後、智のスケート教室(最終回)終了後、以前 HITEC 97 の行われたピルッカラハッリに出かけた。本来、この日は、智のホッケー用プロテクタを購入するため、サモン通りのスポーツ店を訪れる予定だったのだが、この日、11月1日は祝日で、店が閉まっているため(キリスト教の聖人の日らしいが、周りの人々に聞いても、どのような日なのか、はっきりしたことは分からなかった。とにかく、普段は土曜日も開いている店が、閉まっていることだけは確かである。実際に店まで出向き、閉店を確認したのだから)、子供向けの催しがあると、素子の保育園でも紹介されたピルッカハッリにやってきた。
 週末の気温は高目で湖の氷も融け始めているが、空は暗く小雨が混じり、屋外で楽しむのは難しい気候にて、巨大な屋内施設は、小さな子供を連れた家族で賑わっていた。我々が期待していた催しとは異なり(子供向けの劇やショーが多く催されているのかと思っていた)、子供フェスティバルは子供向け商品の見本市だった。 HITEC 97 と同様に優待券があれば別だが、この日の入場料100マルッカは自前にて、割高に感じた。しかし、子供達は遊びが本職である。すぐに素子は、遊具メーカーの展示場のトランポリンや滑り台で、また智も、スポーツメーカーのソフトテニス(日本のソフトテニスとは違うスポンジボールを使ったもの)で遊び始めた。家内はいそいそと展示場を回り始め、一人残された父ちゃんは、子供達の近くでボーとしていた。
 あまりボーとしているのも芸がないと、智を撮影しようとしていると、テレビ局(タンペレテレビというローカル局)の取材を受けた。やはり、タンペレでは日本人は珍しいのか、二週続けてマスコミの取材を受けたことになる(このインタヴューは同日の夕方に放送されたようだ。月曜日に、秘書のリーッタさんが、「ひとし、テレビ見たわよ」と教えてくれた)。フィンランド語は話せないと答えると、取材者が私の言葉をフィンランド語に通訳して録画した。タンペレ滞在日程と仕事の内容、フィンランドの子供達がタフで驚いたことなどを話したが、「サンタクロースの国フィンランドでどのようなクリスマスを迎えるつもりか」なる質問には困った。今までサンタクロースやクリスマスについて特別なことは考えてもいなかっただけに、「考えはない」と正直に答えざるを得なかった。バレンタインデーと同様、(日本においては)商業主義が勝手に作り出した行事と、クリスマスに対しては、あまり積極的な考えをもっていなかった。せいぜい、自分自身が子供としてクリスマスから受けた恩恵を、子供達に返そうという程度である。
 それほど信仰心が厚いようには思っていなかったフィンランド人から聞かれるとは、思ってもいなかった。こんな質問を異教徒にするとは、マスコミの一員としてクリスマスを盛り上げる必要を暗に感じてのことだろうか、それとも、異教徒の国(?)でクリスマスが盛大に祝われているという不可解な日本の状況を聞きたかったのだろうか。日照時間の短い北国で、この時期、人々がどのようにして暮らしているか、特に暗くなりがちな気分をどのようにして明るく保とうとしているか、には興味がある。
  
(消防車も出動)         (ソフトテニス)


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