子どもは5,6人もつのはブラジル人家庭なら当たり前、日系人も
然りです。たくさん産んでも、まだ小さいうちに病気で亡くす例もあります。
ブラジルでは日本ほど教育費はかからないし、食べていけたら子どもは多いほう
がいいかもしれません。
けれど、子どもは生まれたものの、やっぱり育てられないから養子に出す、ということも
たくさんあります。そして、それをさっさと引き取って
育て上げてしまうブラジル人たちの懐の深さは尊いものだと思います。
子どもにとっても、充分にごはんが食べられ、学校にもいかせてもらえるなら
ある意味では幸せかもしれません。
でも、「Tudo bem(すべてよし)」とは思えないのです。
そんなことを考えるきっかけになったのは、ごく身近にいるある子どもの様子を
見てからです。生まれてすぐに引き取られてきてもう12歳になりますが、
どこか落ち着きのないところがあるんです。いつも大人たちの会話を
耳をそばだてて聞いているような、いつもまわりの様子をうかがっているような
感じです。もちろん、自分が実子でないことは知っています。
(隠すということは一般にあまりないようです。)
楽観的でわがままな普通のこどもらしさが、ないように見えます。
親のほうにもどこか遠慮するところがあるのか、(自分の子どもだからこそ
できる)本気で叱ったり甘えさせたり、ということができなかったようです。
こどもにとって、親に叱られない、というのはもしかしたらものすごく不安なこと
なのかもしれない、と思いました。
日系人のデカセギで問題になっていることのひとつは、やはり子どものことです。
小さい子どもを残して父親が遠くに離れてしまい、ものごごろついたころに
帰ってきても怖がって母親のうしろに隠れていたとか、ずっと「おじちゃん」
と呼んでいたとかきいたことがあります。子どもにとって一番大切な時期に
親がそばにいなかったために「何かが狂ってしまった」という話はここで
たくさん聞きました。
子どもの学芸会をみてやれなかった、魚釣りを教えてやれなかった、でも
もうあの小さい頃の子どもは帰って来ない、と。
日本で、親のデカセギに連れてこられて日本の学校に通う子ども達と話したことが
あります。子どもは、順応が早いものです。不自由もあるけれど、すぐに他の子ども
と仲良くなって遊びます。
私は、彼らを不憫だとは思いませんでした。異文化に触れられるいい経験
とさえ思います。環境の変化によるストレスは、親がいないことによるストレスに
比べたら他愛のないものだと、こちらにきてから思うようになりました。
あるブラジル人がこんなことを言っていました。
(さっとアマゾン河の水をすくってみせて)こんなふうにいつでもつかめる。
でも、流れ去ってしまった水はどうにもならないんだ。