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1996年7月 北アルプス



我が青春の記録、第一弾。北アルプス上高地→親不知単独縦走 自分はどこまで歩けるのか、何ができるのかを知りたくて「絶対に上高地から親不知までテントと食料を担いで行くぞ!」と宣言。内心、できるのかどうか半信半疑のまま歩いた記録です。

行動日程

1日目(7月30日) 上高地〜徳沢(テント泊)
2日目(7月31日) 徳沢〜槍の肩の小屋(テント泊)
3日目(8月1日)  槍の肩の小屋〜双六岳〜三俣蓮華岳〜三俣山荘(テント泊)
4日目(8月2日)  三俣山荘〜鷲羽岳〜水晶小屋〜野口五郎岳〜三ツ岳
           〜烏帽子小屋(テント泊)
5日目(8月3日)  烏帽子小屋〜不動岳〜船窪岳〜船窪小屋(テント泊)
6日目(8月4日)  船窪小屋〜七倉岳〜蓮華岳〜針ノ木小屋(テント泊)
7日目(8月5日)  針ノ木小屋〜針ノ木岳〜スバリ岳〜鳴沢岳〜岩小屋沢岳
           〜種池山荘(テント泊)
8日目(8月6日)  種池小屋〜爺ヶ岳〜冷池〜鹿島槍〜キレット小屋(小屋泊)
9日目(8月7日)  キレット小屋〜五竜岳〜唐松山荘(テント泊)
10日目(8月8日) 唐松山荘〜不帰キレット〜鑓ヶ岳〜白馬頂上山荘(テント泊)
11日目(8月9日) 休息日
12日目(8月10日)白馬頂上山荘〜雪倉岳〜朝日小屋(テント泊)
13日目(8月11日)朝日小屋〜朝日岳〜栂海新道〜栂海小屋(テント泊)
14日目(8月12日)栂海小屋〜菊石岳〜白鳥小屋〜親不知

1日目(7月30日) 上高地〜徳沢

15日分の全食料とテントやコッヘルなどで40キロを超えるザックを背負った瞬間今までにない肩と腰への負担を感じ前途に暗雲が立ちこめる。上高地から徳沢までの平坦地の歩きでかなり疲れてしまう。テン場では周りのキャンプ客の楽しそうな空気を横目で見ながら行こうかあきらめようか悩む。計画書を配ったり、親不知まで行って見せると大見得を切った人に対する面子があるのでがんばるしかないなとあきらめて寝ることにした。

2日目(7月31日) 徳沢〜槍の肩の小屋

やはり前日の予感通り足どりは重い。槍沢の小屋までの平坦な道では何とかコースタイム通り歩けるが、槍に向けての登坂が始まるとコースタイムを大幅に上回るようになる。計画段階では1日のコースタイムを7、8時間に設定しており、それに基づいて食料も持ってきているのでどうしようかと思い悩む。大曲りを過ぎ、槍が正面に見える頃になると夕立が降り始め、悲壮感が漂い始める。こんなに登るのは初日だけだと言い聞かせて肩の小屋に着くが、この日の行動時間は11時間になってしまった。しかも雨が降り続き、今回は槍の頂上はあきらめる。

3日目(8月1日)  槍の肩の小屋〜双六岳〜三俣蓮華岳〜三俣山荘

今日は下り中心なので気分が楽。しかしトラブル発生。それまでの山行で足の両親指の爪をはがし、ちょうどはえかわって来ていたのだが、右足の爪が肉にぐいぐい食い込むようになり下りで痛み出す。靴紐をきつめにしめることでいくらか痛みは軽減するが、テン場で靴下を脱ぐと、血が出ていた。しかし体力的にはやや楽になり、もしかしたら完走できるかもという気がしはじめる。

4日目(8月2日)  三俣山荘〜鷲羽岳〜水晶小屋〜野口五郎岳〜三ツ岳〜烏帽子小屋

朝イチから鷲羽岳まで400メーターの急登で心配になるが一歩一歩踏みしめる様に登っていくと案外簡単に登れる。この調子で水晶小屋まで行き着くがそこから野口五郎までのガレ場の登下降でかなりばてる。原因はいわゆるシャリバテで、十分行動食を取っていないことからくるのは分かっているのだが、乏しい行動食を最終日まで食いつなげるために我慢する。野口五郎から烏帽子までは30分ごとにちょっと休みながらテン場まで歩く。

5日目(8月3日)  烏帽子小屋〜不動岳〜船窪岳〜船窪小屋

終わってから振り返るとこの日が一番きつかった。小屋の親父から烏帽子から船窪までは道の崩壊が激しく、水場も全くないので十分な水を持って早立ちするように言われたため、4リットルの水を持って、4時に出発する。このあたりに来るとあちこちに残った小さい雪渓とごろごろ転がる岩とで高原的な雰囲気が出てくる。色々な花が咲き乱れていたが、それらが判別できない哀れな僕にはただきれいなお花畑が広がっていたということしか記せない。この風景も不動岳までで、それから先は樹林帯の中の急な登下降が始まる。炎天下での両手両足を使っての登下降が果てしなく続き、さらに行動食の不足が追い打ちをかけて後半では気が遠くなってくる。さらに、途中には砂の崖っぷちをトラバースするところが何カ所かあり、靴のフリクションもきかず、ザイルなんかもはってないので槍穂のキレットより恐かった。結局この日は12時間かかってテン場にたどり着く。小屋泊りの装備の人でも10時間以上かかっており、やっぱりここは難所だったようだ。

6日目(8月4日)  船窪小屋〜七倉岳〜蓮華岳〜針ノ木小屋

この日はコースタイムが6時間なかったので半分お休み気分で登る。途中蓮華の大下りで500メートルの一気登りがあったが、このころまでにはそれぐらいはなんともなくなっていて比較的楽な一日だった。この日の夜、寒冷前線が上空を通過したが、針ノ木のテン場は稜線の上にあるので、風と雨が半端じゃなかった。

7日目(8月5日)  針ノ木小屋〜針ノ木岳〜スバリ岳〜鳴沢岳〜岩小屋沢岳〜種池山荘

朝、雨が小やみになった隙にテントをたたんで出発の準備を整えたが、ツーリング用のテントで来ていた人は、テントのフレームが折れ、ひどい目にあっていたようだ。天気は急速に回復にむかい、快適な山行が続けられる。このあたりがちょうど中間点で、山の頂上で来し方行く末を眺めて感慨に耽る。これ以降は槍穂方面にはずっと雲がかかり、槍を見た最後になってしまった。

8日目(8月6日)  種池小屋〜爺ヶ岳〜冷池〜鹿島槍〜キレット小屋

この日あたりになると、体の疲れや足の痛みも安定し淡々と歩いていけるようになり、この調子なら完走できるなと確信する。ただ、苦しみがない分、それだけ道中の印象が薄いものになってしまった。キレット小屋は素泊まりの人には2リットル、食事付きの人には1リットルしか水を分けてもらえないと聞いたので、冷池で4リットル満タンにして行く。布引山から鹿島槍にかけてのところにそれほど広くはないが素晴らしいお花畑があった。というのは本当に様々な種類の花が咲いていて、例のごとくどれが何の花かは分からなかったが、そこにいた登山者が「トリカブトが咲いている!」と感激していた。この日はコースの都合上小屋に泊まったが、キレット小屋は想像してた以上にきれいで驚くと同時にちょっとがっかりしてしまった。キレット小屋は場所柄から岩小屋に毛が生えたようなもんで、ランプを囲んでお話をするところだとばかり想像していた。テントで一人寝ていたときは、夕暮れになると一人CDを聞きながら(荷物が重くてもCDプレーヤーと何枚かのCDだけは持っていった。)静かに眠っていたけど、小屋泊りなので久しぶりに人と話しながら夜を過ごす。

9日目(8月7日)  キレット小屋〜五竜岳〜唐松山荘

キレット小屋の前後はもちろん岩場であり、要所要所に鎖がはってあったがそれほど恐いとは思わなかった。それよりもアップダウンの繰り返しにうんざりした。キレットの最後には五竜への急登があるのだが、例のごとくの行動食不足のからだにはこれが一番こたえた。五竜の頂上からはなんとか鹿島槍が見えたが、思ったよりも近くに見え、そんな短い距離を移動するのに時間がかかったことを考えるとキレットはやはり厳しいところなのだろう。頂上では五竜山荘のバイトの若者たちが遊びに来ていた。そこに前日五竜山荘に宿泊していたらしい登山者が来て「今日下山がちょっと遅れるかもしれないけれど延泊したいので、お願いします。」と頼むとバイトの姉ちゃんが「僕達はいまオフなのでそのようなことはできません。」と突っぱねるように答えていた。それでも登山者はめげずに「帰るのが遅くなるかも知れないが、食事なんかで迷惑をかけるかも知れないので。」と言うと、姉ちゃんは「それはあなたの都合であって、勝手にして下さい。」とのこと。ついにその登山者は退却してしまった。この一件が目の前に繰り広げられた結果、僕の五竜山荘の印象は最悪のものになってしまった。客商売ならもっと別の言い方があるだろうに。話は変わるけど、山小屋関係の悪い印象といえばやっぱり鳳凰三山の御座石温泉がナンバーワンではないだろうか。周りの山仲間もこれには同意してくれる。何て言ったって電話で料金を聞いたよりも、実際の料金が高いなんてここはインドか東南アジアかと思ってしまった。印象の悪くなった五竜山荘を早々に通過して唐松に向かう。五竜唐松間はほとんどガスの中で何も見えなかった。唐松に近づくとごつごつした岩場の登下降が続き、やがて小屋に着く。唐松のテン場には小学生のキャンプ客や高校山岳部風の若々しい人々が沢山いて、やっと白馬に近づいたなあと実感する。

10日目(8月8日) 唐松山荘〜不帰キレット〜鑓ヶ岳〜白馬頂上山荘

不帰キレットは昭文社のマップで点線のルートになっているので気を引き締めて出発する。しかしほとんどは砂礫の斜面で、所々の岩場に鎖や梯子がかけてある。やばいなと思うこともほとんどなく拍子抜けしてしまう。キレットの終点から天狗への急登が始まる頃、ラジオでは甲子園が始まる。入場行進を聞きながら、甲子園にも暑く苦しいが素晴らしい青春を送っている者たちがいることに共感する。前半の行動食切り詰めの結果、この日あたりから行動食に余裕が出始め、前よりも多めに行動食を取ることができ、天狗への急登もあっというまに通り過ぎる。やっぱり飯を食えるってことはいいことだ。天狗山荘を通り過ぎ、鑓温泉への分岐に至り、白馬に行こうかどっちに行こうか迷う。もう10日も風呂に入ってないし、漂ってくる硫黄の臭いは快適な湯を思い出させるが心を鬼にして通り過ぎる。ザクザクの斜面を上り詰め鑓ヶ岳に登る。鑓から槍が見えないかと期待するが、相変わらず南の方は雲に覆われている。そのかわり、ここではじめて白馬の姿をはっきりと目にすることが出きる。きれいな山だが、頂上直下の白馬山荘の厚顔無恥なたたずまいが痛々しい。白馬の頂上宿舎に到着。物が豊富な小屋に泊まり思わずうきうきしてしまい、チョコレートを買ってしまう。下界に電話すると、「お前はもう10日も連続して歩いてるんだから、明日は休め。」との指令がくる。自分としては行動食も足りるようになり、体力的にも順調で、休む必要はないと思うがまあ休むことにしよう。

11日目(8月9日) 休息日

することがないので白馬山荘に行ってみる。宿舎自体は頂上宿舎よりはるかに大きいが、売店の品揃えは頂上宿舎のほうがいいようだ。ただ、値段は全般的に白馬山荘のほうが安い。但しビールだけは頂上宿舎のほうが安いので、白馬山荘でつまみを買い、頂上山荘で飲んだくれる。昼過ぎになると激しい夕立が2時間ほど続く。今日は停滞日にしてよかったと思う。夕立がやみ、外に出ると烏帽子から船窪への地獄のような一日を同じ方向に歩いた早稲田の理工WVの人達も白馬に到着する。あの日の行動時間が16時間にのぼったとのこと。そこで一人脱落したので、その人を船窪から下ろし、爺から復活したということだった。この人達も上高地から親不知までいくそうだが、やはり長距離を集団で縦走するのは、足並みの乱れなどもあり大変なんだなと思う。また、早稲田では学部のWVがあるとはさすがマンモス大学だな。

12日目(8月10日)白馬頂上山荘〜雪倉岳〜朝日小屋

前日ゆっくり休養したため思わず早起きしてテントをたたむ。テントから外に出るとき星空のまぶしさに思わず目をみはってしまう。そういえば毎朝星空のもとテントをたたんでいたが、いつも薄雲がかかっており、こんなきれいな星空を見るのはこの山行では初めてだった。休養の結果、足どりは快調で、コースタイムの半分程の時間で突き進む。白馬頂上では御来光を拝みサクサク進む。周りの景色も雪渓と高山植物のコンビネーションに変化し、高原の散策を楽しむ。雪倉岳をすぎて朝日小屋へのトラバースに入ると、朝露を十分に身にまとった下草や笹薮をかき分けるようになり、全身ずぶぬれになる。どんな山でも(薮山や残雪の山でも)短パンで歩く僕の下半身は、まるで沢登りの時のようだった。高速移動のおかげで朝日小屋には11時には到着する。まだ十分行動時間はあったが、幕営し余った時間をのんびり過ごす。12日間着っぱなしだったシャツを久しぶりに洗ってあげる。雷鳥の一家もテン場に遊びに来てくれる。夕暮れとともにガスが漂い始め、周りの景色がガスの中にとけ込んでいくなかで、まるで満月のようにぼんやりしながら沈んでいく夕日を眺めて一日を終わる。

13日目(8月11日)朝日小屋〜朝日岳〜栂海新道〜栂海小屋

さあ今回の山行のメインイベント(と自分で思っている)栂海新道だ。昨日県警のレンジャーに「栂海山荘から先はまともな水場はないよ。」とおどされていたので再び気を引き締める。朝日岳から蓮華温泉への分岐を通り過ぎ、栂海新道に入ると、今回の山行で一番きれいだと感じた景色が始まった。道はなだらかな起伏を繰り返し、所々に豊富な雪渓が残っている。各所にはこんもりした林が残り、足下にはちょうど麦の青葉のような下草が生えている。道は林や雪渓や麦草もどきの間をあたかも野のあぜ道のようにぬっていく。その景色は僕が育った佐賀のいなかの野の景色にそっくりで、曲がり角の先から虫かごと捕虫網をもった子供時代の自分が飛び出してくるかのようだった。ここが1500メートルを超える高地であることが本当に信じられなかった。途中黒岩の水場に至ると現実に戻り、ポリタンに十分な水を入れる。もしかしたらこれが最後の補給になるかも知れない。中俣新道への分岐が過ぎると、道は再び山道になり、笹薮とはい松に覆われたやせた尾根の上をたどっていく。朝露と下草のため今日も下半身はずぶぬれで、上からは強烈な日差しが降り注ぐ。しかも高度が下がって来たため気温も上昇し、これが噂に聞く栂海新道の真骨頂かと感じる。小屋の手前の北又の水場はほんのチョロチョロだが水が流れていて、再び補給するが、結局これが最後の水の補給になってしまった。水場を出ると、日差しはさらに強烈になった。尾根の左側から風が吹き上がって来ており、そちら側は向こう側が見えない程のガスがわいてきているが、ガスは登山道がある尾根線のほんの数メートル手前までで切れており、登山道を含めて反対側は強烈な日差しに押しつぶされている。そのガスを恨めしそうに眺めながら、とぼとぼと小屋までたどり着く。すると山全体をガスが覆い始めた。う〜んマーフィーズロウ。

14日目(8月12日)栂海小屋〜菊石岳〜白鳥小屋〜親不知

ついに最終日。思わず手に力が入る。早く起きてしまい、3時には出発してしまう。とにかく下る下る。ますます暑くなる暑くなる。下るくせに結構登る登る。水はどんどん無くなる。今度は汗で全身びしょぬれになる。腰につけた防水のウエストポーチの中までびしょぬれになる。気分はあたかもロプ・ノールを探すスウェン・ヘディン状態。ピークで日本海でも見えれば少しは気分も高揚するんだけど、あいにく樹林帯の中で何も見えない。まあ最後ということで、十分な行動食に助けられて、昼過ぎには親不知に着く。海に入ろうという気は全く起こらなかったが、海を前にして14日分のしみじみとしたガッツポーズをとってしまう。「友よ拍手を。喜劇は終わった。」というところであろうか。

おまけ

ホテル親不知では風呂と駅までの送迎の着いたお風呂セットを1000円でやっていたが、風呂に入ろうとすると従業員に「登山者専用のお風呂はこちらにあります。」と外に案内された。見ると、運動会で使われるようなビニールテントの屋根の下にいけす(魚屋で魚が泳いでいるようなホンモノのいけす)があり、そこに水道管のようなものからお湯が流し込まれていた。まわりはよしずで囲われているだけで、ここが登山者用の風呂だという。炎天下のテントの下で、ちょうど一緒に到着した先ほどの早稲田のワンゲルの連中と一緒に入ったが、汗臭さと暑さで目が回りそうになってしまった。さすがにいけす風呂につかる度胸は無かったが、ワンゲルの女子部員は大変だったろう。若い身空でよしずばりのいけすにいれられるとは。

「友よ喜劇はまだまだ終わらない・・・」


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