行動日程(全行程テント泊)
8月18日(月) 東京〜北沢峠長衛小屋
8月19日(火) 長衛小屋〜甲斐駒ピストン〜仙丈避難小屋
8月20日(水) 仙丈避難小屋〜両俣小屋
8月21日(木) 両俣小屋〜北岳山荘
8月22日(金) 北岳山荘〜間ノ岳〜農鳥ピストン〜熊ノ平
8月23日(土) 熊ノ平〜雪投沢
8月24日(日) 雪投沢〜塩見岳〜三伏沢の小屋
8月25日(月) 三伏沢の小屋〜高山裏小屋
8月26日(火) 高山裏小屋〜荒川中岳〜悪沢ピストン〜荒川小屋
8月27日(水) 荒川小屋〜赤石岳〜百間平
8月28日(木) 百間平〜聖岳〜聖平
8月29日(金) 聖平〜光小屋
8月30日(土) 光小屋〜光岳〜東京
これから先の2週間のことを考えながら家を出る。昨年の反省から、今年は荷物の軽量化に努めたため、思ったより軽く感じる。「これは行けるぜ。」と意気揚々と出かけるが、それでも食料や何かでザック(100リットル)はパンパンに膨れている。ザックの一番上は優に2m以上の高さがあり、電車の扉をくぐるのに苦労する。
新宿高速バスターミナルから甲府行き高速バス、広河原行きバス、北沢峠行きバスと乗り継ぐが、熟睡中のため何も記憶がない。
北沢峠到着。朝方は「これは行けるぜ。」だったが、長衛小屋までの歩きではずっしりと肩に食い込む。なにはともあれ始まった訳で、あまり悩まずにぐっすり眠る。
予定では、速攻で甲斐駒に登り、時間が許せば仙丈避難小屋まで行くつもり。真っ暗なうちに出発。
仙水小屋。このころになると、空も白々と明るみ始める。小屋からも御来光目当ての登山客が出てくる。
仙水峠。日の出に間に合う。東の方は一面の雲海で、かろうじて瑞墻山のあたりがぽっこりと頭を出している。やがてそこから太陽が頭をのぞかせる。まるで今回の前途を祝福するような素晴らしい御来光だ。振り返ると満月が仙丈に沈もうとしており、「ひんがしの野にかぎろひの立つ見えて、かへり見すれば、月かたぶきぬ。」の心持ち。この詩が大好きな僕は、太陽に後押しされるように歩き始める。
駒津峰にむけての登り。急斜面だが、横から射し込む金色の太陽に照らされて、樹林帯のなかは金色に輝いている。こんな不思議な光景はそうは見られないだろう。
駒津峰。やっと稜線に出て視界が開ける。依然まわりは雲海で気持ちがいい。
甲斐駒ヶ岳。大急ぎで登ってきたため、まだあまり人はいない。空にはまだ雲は湧いておらず、360度が見渡せる。目の前には長大な腹をさらけ出した仙丈がドーンとそびえており、さらにそこから長い長い仙塩尾根が見える。その先にはさらに巨大な北岳、間ノ岳も見え、ウーンとうなってしまう。とくに両俣からの登り返しの尾根には気が遠くなりそうである。また、雲海の彼方には、八ヶ岳や中央アルプス全山、また北アルプスは槍穂まで見渡せる。ああ、一年前はあそこを歩いたんだなあ、と思う。さすがに鹿島槍は遠くかすんで見えなかったが、それだけによく歩いたなあと思い返す。さあ、今年は南だ!行くぞ!
長衛小屋。予定通り早い時間に戻ることができた。なんとか仙丈に間に合いそうである。甲斐駒までは空身であるいたが、今度はフル装備で仙丈に向けて出発。やっぱり重い・・・こんなので、登れるのだろうかという不安がドッと押し寄せる。しかも、尾根を横から突き上げる登りで、重い荷物には急登に感じられる。
大滝の頭(五合目)コースタイムで2時間のところにかなり手こずってしまった。なにはともあれ主稜線に出たので何となくホッとする。
小仙丈。このあたりに来てやっと樹林帯から脱出。通り抜ける風が心地よい。という周囲とはうらはら、足どりは遅々として進まない。30分も歩くとちょっと腰を下ろしたくなる。ちなみにまわりはガスで、全く見えない。目の前の仙丈の登りもガスの切れ間に見えかくれする程度である。やがて仙丈に近づくと、ガスが晴れだし、甲斐駒あたりは望めないものの仙丈のもう一つの登山道のある稜線が向こう側に見える。そこには何組かのグループが歩いており、向こうとこちらでヤッホーの声を掛け合う。明日は頂上でご一緒するのだろうか。
仙丈避難小屋。やっと到着。一時はどうなることかと思ったが、明るいうちに着くことが出来た。明日は下る一方なんでなんとかなるであろう。甲斐駒ピストンに仙丈と一日2000m登るのは初めてであったが、そんなことやるもんではないと感じた。小屋には中高生らしい一団が先生(らしい人)に引き連れられて来ていた。おそろいのテントがいくつも張ってあるところなんか昔の自分を見ているようでなつかしい。あのころは長者原から法華院の道のりでさえきつかった。ただ、夜はうるさいかなと思ったが、7時を過ぎる頃には静かになり安心した。小屋の水場はテントが並んでいるところからホンの5m程下の沢沿いからわき出している。一応湧き水であるが、場所が場所だけに怪しい。一応全部煮沸してから飲む。暗くなっていくなかでいそいそと飯を食い、あっと言う間に寝てしまった。
今日は翌日の北岳へ登り返すために、両俣小屋までおりる。昨日いた北沢峠が標高2000mぐらい、今いるところが3000m両俣が2000mとなり、昨日の登りはなんだったのかと思ってしまう。まあ、1000m登って1000m下るのは南の宿命、とあきらめる。
まずは仙丈頂上。それまでどこにいたんだか結構大勢の登山者がいる。強い風に綿が吹き飛ばされるように流れる雲の合間から、太陽やときには北岳が見える。流れ去る荒々しい雲をまとった山々は荘厳だ。身が引き締まる思いがする。昨日仙丈にいた中高生の集団も一様に感動している様子。口々に「きつかったけど登ってきてよかった。」「また登りたい」と言っている。僕も久住の大船山でミヤマキリシマの間を歩きながら同じ事を感じたことを思い出す。みんな本当にいいときに登ってきたなあ、とこちらまで嬉しくなる。ただ、風が強く寒いので早々に出発。人々はみな避難小屋方面に下山をしており、これから仙塩尾根にのぞむ人はごく少数、というか僕以外には2組の単独行の人がいるだけ。また、この日は逆方面からも2組の単独行の人しか会わなかった。
途中のガスの中の尾根で雷鳥親子に出会う。この雷鳥はあまり人を恐れることなく、登山道脇のハイマツ帯をチョコチョコ歩いている。その時となりにいた人によると、「北に比べると、人間を恐れないねえ。」とのこと。前回北で雷鳥に会ったのは栂海新道入り口の雪倉岳の近くだったので、ここの雷鳥同様人間を恐れなかったことを思い出す。あの時も僕をエスコートするかのように僕の数歩先を登山道にそって歩いていた。その先の小さな谷では、谷じゅうに雷鳥の鳴く「クー」という声が響いている。結構な数はいるようだが、残念ながら姿は確認できなかった。その時気づいたことだが、「クー」と鳴くのは子連れのメス鳥(と思う)で、たまに出会うオス鳥(と思う)はもっと野太い声で「グッ、グッ、グッ」と鳴くようだ。それとも場合に応じて鳴き方を変えているのだろうか。
大仙丈。この頃になるとガスも晴れて、風も弱くなり、最高の展望がひらける。見渡せば、目の前には明日登る予定の両俣から北岳への長く急な尾根がその凶悪なすがたを見せてこちらをせせら笑っている気がする。待ってろよ、北岳!
苳の平。このあたりになると樹林帯に入る。倒木がたくさんで辟易する。とくに2mザックなので、頭の上でバキバキいっているし、ちょっと太い枝に引っかかると、体が後ろに引っ張れられる。また、たまに倒木をくぐらなければならない時なんかは大変。10歩分ぐらい疲れる。四つん這いになったりもする。そんななか、苳の平あたりはちょっとした湿地帯になっていて、植生ががらっと変化する。雰囲気は三ツ峠の裏登山口の頂上付近の植生ってところだ。ちょっとしたアクセントになって気持ちよい。
高望池。こじんまりした広場になっており、一角には涸れた池がある。地形的にもまわりが土手に囲まれていて風も吹き込まないらしく、テント跡がある。さっそく水場に行ってみる。西側斜面を20mほど下りると、水がわき出している。流量は豊富と言うほどではないが、簡単に2リットルポリタンを満たすことが出来た。
独標。ちょうどここは樹林帯からぴょっこり頭を出した形になっており、周囲が見渡せる。ここから見ると、さっきまでいた仙丈がかなり高いところにみえる。なだらかな下りなんで、あんまり感じなかったが、もう500mは下っているのだ。明日の登りのことは考えないことにする。
野呂川分岐。さあ、ここまで来た。これで仙塩尾根ともいったんお別れ。次にお会いするのは熊ノ平。急斜面を300m程下って、間ノ岳から流れ落ちる、右俣川の河原に出る。上流には小屋がないので、存分に水遊びを楽しむ。このあたりまで下ると(標高2000m弱)だいぶん暖かくなるので、心地よい。
両俣小屋。ここは広河原から続く林道の終点で、ここに来るには北岳を越えてくるか、北沢峠の手前で下りて延々と林道を歩かなければいけないだけあって、さすがに人は少ない。ほとんどの人が、仙丈〜北岳を通るような縦走者ばかりで、テント場はほとんど単独行の登山者であった。また、右俣、左俣の沢をねらった釣り客も幾人か見かける。ここの管理人のおばちゃんは結構有名な「いいおばちゃん」らしく、常連客の人々もいる。そんな雰囲気なんで、こちらも気楽になる。僕と同じように南ア全山縦走を光岳から始めている人もいて、この小屋に沈没していた。その人の話によると、塩見の小屋が幕営禁止になったとのこと。うーん、当初の予定では幕営することにしていたので方針転換しなきゃいけないようだ。ただ、ここまで来てなんとか歩くことにも我慢ができるになったので、これから先も行けそうな気がしてくる。いわゆる山用のギアに入ったって感じだ。自分を元気づけながら寝た。
夜露に濡れたテントをたたむ。さあ。今日は前半最大の難所と位置づけている北岳の登りだ。まあ、北岳の反対側にある登山基地、広河原に比べれば、両俣の方が400mは高いので大丈夫だろう。出発して、沢を対岸に渡ると、河原沿いのトレイルになる。大きな石がごろごろしていて赤ペンキをたどりながらの道のり。赤ペンキは川の両側のあちこちにあるので、正しいと思う赤ペンキを選びながらの歩きになる。なんども渡渉するが、40kg以上の荷物を背負って飛び石づたいに渡っていくのはしんどい。また、本日最初の登山者らしく道沿いの下草は存分に水分を吸っていて、あっというまに膝から下は濡れてしまう。
北岳登山口。濡れながらの沢歩きもここまでで、ここからは本格的な登りが待っている。気分を引き締めがてら、左俣大滝を見に行く。たいしたことないんじゃないの?とたかをくくっていたが、どうしてどうして高さ20m以上はあるかと思われる立派な滝で、見応え十分な程の水量もある。また、反対側の沢からは水量は少ないもののこれもかなりの高さがあろう滝が流れ出している。ふたつがちょうどいいペアになって目を楽しませてくれた。清流で喉をうるおすと、さあ出発。この時には後続の単独行の若者3人も合流して4人一緒の出発となる。が、出発して20分も歩くと全員に抜かれて再び一人きりの山行になる。途中は、樹林帯のなかをひたすら黙々と歩いたことしか記憶がない。その薄ぼんやりした記憶の中で、林間の広場の光のように差し込んできたのは木々の間からドーンと姿を見せてくれた北岳〜間ノ岳の稜線だ。ちょうど目の前には本日の目的地、北岳山荘があるあたりで、肉眼でも稜線の鐘がなんとか見える。登山客も三々五々雄大な眺めを楽しんでいるようだ。もうすぐあそこに立てると考えるだけで、気分もわくわくする。
中白峰沢ノ頭。樹林帯の急登も終了し、稜線に出ると、まわりをさえぎるものなく北岳の大きな姿を拝める。景色のいいところに急に出ると、体の中から力がムクムク湧いて出てくるのを感じる。空には雲がわいているものの、目の前には甲斐駒、仙丈の雄姿がある。緑のこんもりした仙丈と、白砂で背伸びをしたかのように急峻な甲斐駒の姿が対照的だ。やがて登山道は肩の小屋からの稜線と合流。ここまで来ると急に人を見かけるようになる。眼下には肩の小屋も見え、小屋前のベンチでくつろいでいる人や、テントを張り終えて一服しているらしい人など思い思いの姿の登山者も見える。
北岳。やっと着いた。日本で二番目に高い山だ。まわりはガスだ。何も見えない。でも達成感で気持ちがいい。もう小屋まではすぐなんで、のんびりと過ごす。とは言ってもすることがないので周りの登山客達とお話を楽しもう。すると、ひとりが八本歯のコルから北岳山荘へのトラバース道のお花畑がすごいよ!と教えてくれたので山荘へはトラバース道をとることにする。
トラバース道。その話は本当だった。北岳から1000m以上下の沢に向かって広大な斜面が広がり、そこかしこに様々な色の花が咲いている。今まで見た中で最もスケールのでかいお花畑だった。もちろんもっときれいな花が咲いているところはあちこちにあるだろうが、お花畑から先、遥か先の沢までの緑と黄色のカーペットが見えるところはそうそうないだろう。一度、カラコルムのトレッキングに行ったときにも雄大なお花畑をみたが、これに勝るとも劣らないお花畑だった。
北岳山荘。そそくさとテントを張り、実家に生存報告の電話をし、のんびりする。食後、夕暮れの時間になると、稜線まで夕日を見に行く。ちょうどこの頃までには雲もとれ、北岳、間ノ岳、仙丈が見てとれる。あちこちに積乱雲のたまごのような雲が林立し、その一つ一つをくっきりと太陽が染め上げていく。ある雲は赤、ある雲は黄色、青、紫、そして群青や水色や緑色の空。360度の空に七色の光の饗宴が繰り広げられる。まさに豊旗雲と呼ぶにふさわしく、なかなか忘れられない光景になった。
前日の様子から、もしかしたら雲海が見れるんじゃないかと期待したのだが、小屋も雲海の中に入ってしまったようで周りは濃いガスと強い風が吹きすさんでいる。強風によろよろしながら、歩き出す。結構低い温度に強い風でかなり寒い。強化装甲に改造済の下半身は短パンでも寒くないが、まだ人並みの皮膚が残っている上半身はかなり寒い。雨具を出して防寒につとめる。
中白峰を通ったときはただただガスと強風だった。
間ノ岳。上に同じ。岩陰に隠れながら、行動食を詰め込む。景色もなにもなく、ただ頂上に立ったというだけであった。ここからほとんどの登山者はもと来た道を引き返して行くが、今日は熊ノ平までで時間があるので農鳥まで足を延ばすことにする。間ノ岳から道は西の三峰岳と南の農鳥に分岐するのであるが、風が西風のため農鳥行きの登山道はそれほど風が強くない。尾根はのっぺりしていてだだっ広く、赤ペンキをたどりながら歩いていく。途中熊ノ平方面へ続く、間ノ岳直下のトラバース道の分岐で荷物をデポして農鳥を目指す。僕の他にも同じ事をもくろんでいる人もいるようで他にも荷物がある。さて、久しぶりに荷物という桎梏から解放されると、鳥かごから放たれた鳥のように身軽に歩くことが出来る。これだったらコースタイムを大幅に短縮できそうだ。
農鳥小屋。依然としてガスと風で、先程の分岐にデポしていた人もこんな天気じゃ登ってもしかたがない、とあきらめて帰っていた。しかし、こちらは南の3000m峰完全制覇という大きな目標(さっき出来た)のためにはとどまることは出来ない。前進あるのみ。
西農鳥。しかしこのガスと風はいつやむんだろう?岩場の陰で30秒だけ西農鳥の頂上を楽しむ。その後、気分だけは風になったような気持ちになり、颯爽と縦走路を駆け抜けた(つもり)。道は岩っぽいところを登ったり下りたりして続いていく。
農鳥。ここだけエアポケットのように風が弱い。しかもガスも幾分薄くなり、沢の方が見渡せるようになる。太陽の光を浴びて輝いているその一角を眺めていると、なんだかホッとしてきた。しばらく待ったがガスが晴れる気配もないのであきらめて出発する。
農鳥小屋。こころなしか風が弱くなってきた。農鳥小屋は上から見るとけっこう大きそうだが、見たところ小屋の親父以外にバイトらしい人を見かけない。そのせいか寂寥感ただよう小屋に感じられる。オヤジも小屋の小さな売店に入り込んだまま間ノ岳からの道をじいっと双眼鏡で眺めており、不思議な雰囲気のする小屋であった。小屋を出るとさっそく荷物を回収し、再び出発。
大井川源流。間ノ岳の南方に広がる谷が大井川の源流らしい。ただ、ちょっと疑問に思ったのが、「ここは大井川の源流で、大事な沢なので、ここの水を使わず、隣の沢の水を使いましょう。」と書いてあったことだ。僕に言わせれば、ここの沢も、数百m先の隣の沢も大井川源流には変わりないので、どこの沢であれ注意して使えばいい。まあ、「大井川源流」という一地点として象徴的に保護しようというのであろうか。なにはともあれ隣の沢の水はおいしかった。本当に甘い味がした。舌の上で転がるような感じでまろやかな水であった。いつのまにか空は晴れわたり、青空の下でひとときの安らぎを得ることができた。
三国平。背の低い茂みの間を縦横に道が走っている広場。後ろには三峰岳が大きくそびえ、反対側には遠く塩見岳の望めるほどのいい天気。もうすぐ到着ということもあり、ここでものんびりすることにする。
熊ノ平。色々な人から推薦の言葉をもらっている小屋だけに期待も大きい。着いてみると、確かに気持ちのいい背の低い草地の間にこじんまりしたテン場が、あたかもトンネルでつながる蟻の巣のような感じで点々と散らばっている。テン場のあちらこちらでは水が湧き出しており、テン場全体に小さな流れを形作っている。テントの中にいると、風が通り過ぎるサワサワという音と、静かな小川の流れが最高のBGMを奏でてくれる。噂に違わずいいところだ。小屋に行くと、前には農鳥を正面に拝む形でテラスがあり、客がくつろいでいる。僕は小屋に行くとカップラーメンとビールを頼むことにしているので、一人小さな宴会を開く。テラスには「農鳥小屋を探せ!ここから農鳥の小屋が見えます。よく見ると避雷針が見えるはずです。」と書いてあった。確かに見てみると小屋の方向に棒のようなものが立っているが、大きさから見て大きすぎるので近くの何かなんだろう。夕暮れ時になり、ここからは夕日に染まった美しい農鳥が見えるのではないかと期待するが、再びガスがかかってきたのでそれもかなうことなく就寝する。
この日は朝から雨が降る。本降りというわけではなく、しとしと降ったりやんだりする。やむたびごとに「出ようかな」と思うが、そうするとまた降り出す。もう今日はあきらめて寝てしまおう。一眠りしたあと、8時頃になると雨もやんでくる。濡れたテントをたたんで出発。当初の予定では塩見に泊まれないので三伏峠までたどり着こうと思っていたが、あきらめて雪投沢泊りにする。
しっとりと濡れた森の中を、足を濡らしながら歩いていくと、後ろから、重々しい足音とともにボッカのおじさんが歩いて来る。こちらの荷物と同じくらい大きそうな荷物である。こちらはちょうど休憩の頃だったので、脇によけて見送る。ハッハッハッという荒い息だけを残しておじさんは去って行った。熊ノ平の辺りにはヘリポートに使えそうなところがないので、いまだにボッカなのだろうが、きっと塩見を越えて三伏に行くであろうおじさんの長い道のりを思うと、昨日のカップラーメンの分もいっそうありがたく思う。
小岩峰。仙塩尾根の樹林帯のなかからぽっかりと岩の頭を出している。ちょうど間ノ岳と塩見の中間ぐらいにあたり、両方が見渡せる。遠くには熊ノ平の赤い屋根も見える。正面には農鳥から広河内にかけての大きな稜線が広がる。間ノ岳を越えると、それまでお馴染みだった仙丈、甲斐駒鳳凰三山といった顔ぶれから変わり、農鳥、塩見、間ノ岳といった顔ぶれになった。前者が心なしかにぎやかで華やかな印象を与えるのに対して、後者の山々は寡黙で、それでいて大きな包容力を感じさせる。
小岩峰を過ぎたところの岩っぽい稜線で転んでしまい、その際向こうずねを岩角にしたたかに打ちつける。思わず激痛が走り久しぶりに全身をアドレナリンが駆けめぐるのが分かる。ジーンしびれた体で傷口を見てみると、一瞬白いものがみえてゾッとする。幸いなことにそれは骨ではなかったが、深く擦りむいたため、真皮の下の方が見えているようだった。不思議なことにここまで深く擦りむくと血は全く出ず、それほど痛くも感じない。とりあえず、消毒だけして歩き出す。
塩見に向かって歩いていると、さすがに土曜日だけあって、塩見を越えて熊ノ平にむかう登山客と何人かすれ違う。ほとんどが中高年のおばちゃん達で、彼女たちは朝方の雨も構うことなくガンガン歩いてきたようだ。その行動力というか気合いには脱帽だ。まもなく北荒川というあたりで、再び樹林帯から脱出し、大きなザレ場のへりにでる。いい天気の空から降り注ぐ太陽にジリジリ焼き焦がされながらも通り抜ける風が気持ちいい。
ザレ場から少し行ったところに北荒川小屋はあった。管理小屋は既に閉まっていたが、見たところ本当に小さな小屋なので人が泊まることは出来そうにない。テン場は熊ノ平と似たような感じで、小さな空き地が草むらのなかに点在している様子。水場でも調べようかと思ったが、面倒くさくなったため、出発することにする。
雪投沢。北荒川から塩見に向けて登り始めたあたりにテン場はあった。登山道から東にちょっと下ったところの、塩見岳の北側斜面のカールの中にある。一帯はハイマツ帯で、その間にテン場がある。あちこちにテントが張れるが、大きくわけて、ハイマツ帯と、水場近くの潅木帯の二カ所に別れている。前者は景色がよいものの、風の通り道のようだし、後者は林の中で風は弱いものの、展望は全く望めないようだ。水場は林の中をかなり下の方の谷底まで下らねばならず、結構な下りだった。今日から明日にかけては雲一つ無い好天ということで、今日は山が良く見える。塩見から延々と続くハイマツの大カールと正面に見える農鳥の大きな姿のなかでテントを張ると、本当に自然の偉大さを肌で感じることが出来る。本当に静かな時がまわりを流れていて、じっとしているとまわりと溶け込んでいく自分がわかる。今回の山行のなかでベストのテン場となった。夕暮れ時に、美しい夕日を期待して稜線に出てみたものの、雲がほとんどないことがかえって災いして単調な夕暮れとなってしまった。やはりある程度雲があった方が彩りが豊かになるようだ。
今日は三伏止まりなので、日の出のあと、ゆっくりテントを乾かしながら出発の支度をする。もう目の前は塩見だが、空は雲一つ無い絶好の天気なので大いに期待して出発する。
北俣岳。塩見から蝙蝠山に続く尾根にでる。初めて南ア南部の眺望が開ける。とはいうものの、正面の荒川三山が巨大なため、それより南の赤石、聖は見えない。これから後半戦は大きな3000m峰を三つ越えるのか。塩見に続く斜面を見上げると、こちら側に下りてくる人々が幾人も歩いている。また、蝙蝠方面にも何人か人影が見える。
塩見山頂。東峰と西峰があり、東峰の方が5m程高い。一応双耳峰と言えるのかもしれないが、両者が50m程しか離れていないので、ほとんど分からない。朝からの好天に待ちに待った山頂。期待にたがわずいい景色を見せてくれる。南の3000m峰はほとんど全て見渡すことができる。遠く甲斐駒から仙丈、北岳と自分が通ってきた道のりが手に取るように分かる。こうやってみると、それほどの距離ではないような気がする。前回の北アの時は槍から始めて6日目には針ノ木にいたことを考えると、まあ甲斐駒〜塩見も同じようなものか。塩見の頂上に来ると、南の大御所達もやっと見えるようになった。荒川の中岳の上からは、ほんのちょっとだけ赤石も顔をのぞかせているし、その右側からはまたほんのちょっとだけ聖も顔を見せている。なかなか恥ずかしがり屋な山々だ。目の前に見える荒川三山は前岳から高山裏小屋にいたる登山道にかけては結構長そうな斜面を見せていて、少しは余裕の出てきた心に登山欲を持たせてくれる。700m程の高低差だが、さすがにここまで来るとそれぐらい登るのは苦でも無くなってきた。とりあえず、これから先の道のりもやっと見えてきたことだし、心機一転といったところだ。目を東の方にやると、中央の山々がこれも結構身近に迫っている。北岳なんかから見たときは遠くにある山だな程度の感じしか持たなかったが、ここまで来ると何か南アルプスの一部に思えるほどの距離だ。その間に挟まれるように伊那の街並みが細長く南北に続いているのが分かる。多分住んでいる人にとっては伊那もそれなりに大きな町なんだろうが、上から眺めてみると、なんて小さな人間の砦なんだ、と実感してしまう。
そんなこんなで1時間以上頂上でまったりしてしまう。今日も三伏までと短い行程なんで、まあよしとしよう。塩見から塩見小屋までくだる道中、道を譲ってくれない団体さんがいたりして、チッと思うものの、それ以外は至って順調に道は進む。
塩見小屋。他の人の報告にある通り、登山道からは見つけにくい小屋だ。風力発電用の動いていない風車を目印にたどり着く。小さな小屋だ。他の登山者の動きを見ると、かなりの人がここに泊まっているようだが、そんなに収容力があるのだろうか。今年から幕営禁止になったとかで、ちょっと悪い印象を持っていたが、小屋のオヤジと話してみると、結構気さくな人だという印象を受ける。ここも近くにヘリポートなんかなさそうなんで大変なんだろう。少なくとも定番のカップラーメンはなかった。塩見から先は再び樹林帯歩きになるが、どうも樹林帯は好きになれない。歩いても歩いても景色が変わらず、全然進んでいる気がしない。しかも一服の清涼剤である展望も望めず何か気分がふさぎ込んでしまう。とにかく黙々と歩かなければならない。
本谷山。そんな樹林帯から一瞬だけ抜けられるのがここ。狭い山頂ながらも目の前に塩見の巨体が控えている。この時間になっても続々と塩見のほうに行く人がいる。なかにはちゃんと着けるかなという人もいたが、今日は天気もいいことだし大丈夫だろう。
三伏小屋。三伏は峠の所と、そこから20分ほど離れた沢のところにも小屋があるが、沢の小屋に泊まる。もう小屋は閉めているらしく、だれもいない。ただ、水はテント場の近くの沢から豊富に流れており、久しぶりにTシャツを洗い、体を拭くことができた。時間もあるのでひなたでのんびり寝転がりながらボーっとする。北の時はCDプレーヤーを持ってきたが、今回は軽量化のため持ってこなかったのを後悔する。ラジオで我慢する。小屋が閉まっているのでほとんど人がおらず、僕の他にはお父さんに連れられた子供二人というほのぼのパーティーのテントが一つあるきりだった。小腹がすいてきたので峠の小屋までいってカップラーメン!と思ったが、何も売っておらず時間の無駄遣いとなってしまう。こちらの小屋は下とは違って大盛況で小屋も人がぎっしりでテン場も幾つもテントがはってあった。でもこっちのテン場用の水場は10分ぐらい離れたところにあるので、なんでこんなところにテントを張っているんだろうと疑問に思う。その後、5時頃飯を食っていると、峠の小屋から徴税管理人がやってきてお金を徴収していく。見たところ、トイレも何も管理していなさそうだったのでお金だけ取られてちょっと、ムッとしてしまう。
今日も出発。本日は3000m峰を登る予定がないので、気分としては移動日という感じ。わりと気楽な気持ちで歩き出す。しばらく行くと、左に烏帽子、右に三伏峠の分岐があるが、そこにある道標が消されいるので「この先道が廃道になっているのかな」と思うも、歩いてみると全く問題ない。
烏帽子岳。今日も雲の少ないいい天気だ。塩見から蝙蝠にかけてがよく見渡せる。さすがに三伏から南に行くルートは人気がないらしく、あまり人影も見あたらない。山頂は細長い縦走路の上にあり、あまり広くはない。今日も風が強いのでそうそうに出発。
前小河内岳。この当たりは同じような山が続き、登っては下り、登っては下りの繰り返しで単調な感じだ。ここからの景色も烏帽子とそんなに変わらない。お花畑もなくさらに単調さが強調される。
小河内岳。ここも前の二つのピークと同じでかわりばえがしない。縦走路からちょっと外れたところに小河内避難小屋があり、見にいかなかったものの、かなり荒廃しているらしい。
大日影山。登山路は頂上を迂回して通っているんで、正確にはその近くのガレ場。ちょうどここは北東から来た道が、南東に曲がるところで、今までで一番赤石がよく見える。依然として正面には塩見蝙蝠の尾根が見え、道の先には荒川岳が大きな姿を見せている。
板屋岳。縦走路は樹林帯の中で、展望は全くない。
高山裏小屋。建て替えたばかりらしいきれいな小屋。テン場は小屋から下る縦走路に沿って、段々畑のように連なっている。ここは、場所指定制で、ちょっと下の方に指定される。そこは林の中で、風も吹かず、気持ちのいいところだ。小屋のオヤジは非常に話し好きなおじさんで、僕が足立から来たという事で、東京話なんかしてくれる。また、このオヤジさんから、小河内の避難小屋が改築されて人が入ることや、来年にはこの小屋でも飯を出そうと思っていると言われる。その途中に百間洞のボッカが寄り道して果物なんかを届けに来るとオヤジはたいそう喜んでいる。たった一人で管理しているんで、知った人に会えるというのは嬉しいんだろう。ここではカップうどんにありつける。久しぶりのジャンクフードは美味しい。小屋に着いた頃は、小屋から荒川岳の肩をいからせたような姿がよく見えたが、しだいにガスが濃くなっていき、夕方前には完全に姿を隠して終わりとなってしまう。
あまり天気は良くなく、空には厚そうな雲がかかっている。同方向の人達はみんな先に出ていってしまい、最後の出発となる。出発すると、道は急峻な斜面に水平に切り開いたトラバース道にかわり、人がすれ違うのも大変そう。まあ、こんな時間にすれ違う人もいないんだが。途中の水場の水量は少なく、チョロチョロとしか流れていないが、小屋から荒川に行くときは貴重な水場。小屋の水場がかなり離れているので、みんなここで行動用の水を補給しているようだ。そこをすぎてしばらく歩くと登り始め。今日のメイン、荒川の登りが始まる。20cm程のいしがごろごろ転がっている上を赤ペンキをたどりながら歩いていく。周りはずっと石ばっかりで、さらにガスと風が強くなっているので、すごく高いところにいる気分になる。こういう道はなんとはなしに悲壮感があって、好きである。ただ黙々と登っていると、ここがどこでいつなのかという感覚が無くなり、時が無くなった未来を一人あてどもなく歩いているような気分にさせてくれる。ただ、朝方ラジオでいっていた、「本日は中部山岳地帯でも昼前には本格的な雨になるでしょう。」という予報におびえながら少しでも早く到着すべくがんばる。
前岳と中岳のコルの分岐。やっと稜線にたどり着く。一瞬パラパラと雨が降ったもののそれもやんでしまうが、依然ガスが濃い。先行者達はここに荷物をデポして悪沢をピストンしているらしいが、もし雨が降ると困るので、念のため中岳避難小屋まで荷物を担いでそこでデポする。ここも建て替えたばかりらしく、新しげな建物だ。再び荷物から解放されたため、ダッシュで出発。これから天気も下り坂という予報のため、なおさら加速する。道はだらだらした坂道で、快適に走ることが出来る。さすがに3000mだけあって普段よりも息が切れてしまうが、思いっきり足を動かせることが快適なため、それも忘れてしまう。心なしか雲も前よりも明るくなってきている様子で、それも気持ちがいい。
悪沢岳。頂上は大きな石がごろごろしている。また、千枚からやって来る登山者もいるようで、こんな天気のわりに人が結構いる。全部で14、5人いるだろうか。高山裏のテン場で、先に出発した人たちも全員集合している。天候については結局ガスは晴れず、終始強い風が吹き付けている。ほんの一瞬でも晴れてくれればここに登ってきたみんなも報われるだろうに。特に千枚から登ってきた人なんか、ここで展望が得られないと登った甲斐がないだろう。そんなわけで、頂上に登ったというだけで出発してしまう。
中岳避難小屋。悪沢からの帰路もダッシュで帰ってきたため、小屋のオヤジに「悪沢行ってきたけどガスでだめだった。」と言っても信じてもらえない。オヤジは高山裏のオヤジと同じく話し好きのオヤジで色々な話を聞かせてくれた。その話によると、今年から人が入った赤石避難小屋ではトイレで出た汚物をヘリで下界に運んでいるらしい。そのため使用者から一律使用料をとっているとのこと。これが継続できるなら、一番自然に優しい方法だ。何でもトイレの下にはレールに乗った大きなタンクがあり、ヘリで降ろす時にはレールに乗せてトイレの下から引きずり出して運ぶらしい。ちなみにここのトイレはどうしているのかと聞くと20m位の深い穴を掘っているため、吸収される(?)のか全然溜まらないらしい。この調子だったら後20年は持ちそうだ、とのことだった。なお、ここでもカップラーメンが売っていたので早速購入。
コルの分岐から荒川小屋に下りていく。みちはザレ場でズルズルと滑るところもある。しかも急坂で、九十九折りになりながら高度を落としていく。遥か下に見える荒川小屋は結構立派な小屋で、あんなに大きな小屋は北岳以来だ。宿泊者も多いらしく、小屋から悪沢岳に登ってくる登山者も結構いる。また、この斜面には紫色の花がたくさん咲いており、足元に花を眺めながらの下りを楽しむ。
荒川小屋。上から見た通り立派な小屋である。ヘリで荷揚げしているようで、物資も豊富にある。ちなみにカップラーメン300円は今回の南アルプス最安値だ。建物も新しく、新鮮なにおいがしているし、厨房を覗いてみると、下界のペンションのようないわゆる普通のキッチン一式が揃っている。さらに驚いたことに裏にまわってみると、どうも風呂があるらしい。確認したわけではないが、ガス湯沸かし器らしい室外機も見えるし、ときおりお湯をかけるようなバシャーという音も聞こえてくる。その周りには一般家庭で使うプロパンガスのボンベも4本ほどならんでおり、風呂に違いない。多分従業員用だろうが、いつの日か宿泊者も使えるようになるのだろうか。まあ、どちらにしろ荒川小屋は南アルプス北部における北岳の小屋のように、南アルプス南部の拠点となるような大型の小屋に変身中のようだ。とはいっても東海フォレストの小屋らしく、外にあるトイレは宿泊者用と素泊まり、テント泊者用は別であり、また素泊まり用の小屋は古い荒川小屋の建物で、豆電球三つほどしか照明もないような古くさい小屋だった。テントの方がよっぽど快適なような気がする。外のベンチで例のごとくカップラーメンを食っていると、時折日が射すようになってきた。さすがに悪沢岳まで晴れて見渡せることはないものの笊ヶ岳方面の山々には日が射しているのが見える。こんなことだったら頂上でもっとゆっくりしていればよかった。せっかく日が射しているので、マットをひいてのんびりと昼寝をしたりしながら一日を終える。
今日は百間洞までと距離が短いので遅めに出発。昨日の後半は天気が持ち直してきたので期待するも、そとはガスと風。特に風は昨日よりも強く、再び黙々と歩かなければならない。道はトラバース道で歩きやすいものの、ちょうど向かい風なためあまり早く歩けない。
大聖寺平。だだっ広い石の広場で、真ん中に道標とケルンが積んである。風を避けるためにケルンの陰休息するが、埒があかないのでそそくさと出発。ここから赤石岳に向けての登りが始まる。とはいうものの、300mも登れば稜線にで出られるので気楽だ。ここも荒川岳ののぼりと同様、大きな石がごろごろしている間を登る単調な道なので、頭をほとんど空白にしながら無意識に登っていく。
赤石の稜線。とりあへず3000mのところには来たので、あと100m程登るだけで頂上である。風が強く、ときたまガスが風に吹き飛ばされて展望が得られる。少しづつ天候は好転しているようだ。大きな岩が幾つか転がっているものの、道は歩きやすく快適に歩ける。稜線に出てから凹地を歩くが、この辺りは両側の土手に防がれるかたちで風もなくちょっとしたお花畑になっている。芝のような下草も生えていてまわりの荒涼とした山稜のなかでオアシスのようなところだ。
赤石コル。赤石小屋から来て、頂上にピストンする人々のカラフルなザックが置いてありこれまたお花畑のようだ。
赤石頂上。ガスがかかっているが、風の具合によっては一瞬展望が開ける。頂上には方位板が埋め込んである2m四方のコンクリートの台があり、その上で晴れ間を待つ。頂上には他に何人かおり、その一人は花について詳しく、そこで初めてイワギキョウ、チシマギキョウ(でしたっけ)の違いを知ることが出来た。待てど暮らせどガスが晴れる気配がないので暇つぶしに例の赤石避難小屋のヘリトイレを見学に行く。確かにトイレの下からレールが延びており、タンクがそれに乗って動かせるようになっている。あんまり眺めているのでトイレ利用者と思われたのか、小屋のオヤジが出てきてこちらをじっと見ているのでそそくさと撤退する。さて、頂上に戻って待っていると、だいぶんガスが晴れてくる。荒川三山のうち、悪沢岳は帽子をかぶっているもののその他は見えてきて、また遠くには仙丈の大きく肩を張った姿も見ることが出来る。南に目を向けると聖の姿がはっきり見えるし、大無間や笊から遠く駿河湾まで展望できる。仙丈の頂上から見たときと同じで流れ渡る雲をまとっている姿は神々しいものがある。しばらくそこにいたが、さすがに2時間もいるわけにはいかないので、そろそろ下山することにする。この頃は日が射すようになっており、明るい斜面を駆け下りていく。すると、にわかに雲が晴れ渡り、全ての山々の衣がなくなってしまった。あー、もう15分頂上にいればいい景色が見られたのに・・・
百間平。本当にだだっ広い頂上というか広場というかそのようなところ。道はハイマツがおおっている頂上の北側を通っているが、鞍部を通っているので、展望は望めない。正面には雲も晴れた赤石が抜けるような青空をバックに見えるのが恨めしい・・
百間平。水量豊富な沢沿いのテント場。テント場自体は沢の上の方にあり、川下に小屋がある。沢の水は飲めないようで、飲料水は小屋から取ることになっている。ここの小屋も改築した後なのか新しげな建物で、トイレや水場も清潔だが、ビールは売り切れだった。いつものカップラーメンも売り切れ。テン場にいる人々のほとんどは三伏から一緒の人で、見知った人ばかりになった。特に百間平は聖、赤石どちらに抜けるにしても時間がかかるので人が少ないのだろう。僕のテントの正面にはツェルトの人がいたが、さすがにツェルトでは寒いように思う。ツェルトを持っていったことはあるがいまだビバーグしたことのない軟弱な僕としてはツェルト泊の人を見るとすごいなと感心してしまう。
今日はちょっと長い行程なので早めに出る。4時くらいからテントをたたんでいると、早くも学生さん達のパーティーがヘッドランプをつけて歩き出していて、その明かりが点々と斜面に光っていた。遅ればせながらそれについて行く。まず朝イチから大沢岳に向かう急斜面。ここも岩がごろごろしているところを九十九折りに登っていく。まだ斜面の途中までは太陽が射さず、ちょっと肌寒いが寝ぼけた体にはいい目覚ましになった。
大沢岳。今日は何度もアップダウンがあるが、まずひとつめのピークだ。ほんの目の前に次ぎなるピークが控えている。頂上は今のところ雲はなく、赤石や仙丈よく見える。南に目を向けると、聖から上河内、光の稜線の全貌を始めて目にすることができる。聖平からの長い斜面とダラダラした登り下りの続く稜線、もっこりとした光とイザルヶ岳がはっきり見え、光とイザルヶ岳間の鞍部には光小屋まで見える。やっと今回の山行の目的地が見えた。
中盛丸山。ピークは大沢岳と同じようなもので、ハイマツの中の狭い頂上だ。あまりお花畑らしきものも見えず、風の強いなか岩陰で行動食を食べる。展望も大沢岳と同じで、甲斐駒、仙丈、間ノ岳、そのかげからちょこっと頭を出している北岳、塩見、荒川、赤石とこれまで歩いてきた3000mの峰々が別れを惜しんでくれる。これから先は赤石の大きな姿の陰に入って、これらの峰々の展望は望めそうにないからだ。
小兎岳。頂上は二つのピークからなる双耳峰で、鞍部には「水場5分」の矢印看板とテントを張ったらしき跡が2、3残っている。百間平〜聖平間はそこそこ長く、途中水場もないのでなかなか使える水場のように思える。ただ、小兎岳頂上の看板の位置が地図上の頂上の位置と違っていた。
兎岳。聖手前の最後のピーク。さすがに聖に近いだけあって、その大きな体が目の前に広がる。これまでの南の山に比べると横に大きい印象だ。その聖に続く尾根がお腹を突き出したかのようにこちらにせまってくる。こちら側から見上げる頂上はなだらかで、なおのことその大きさが強調される。兎岳避難小屋を通過。兎岳から鞍部に向かって下っていく斜面の中腹、広くなっているところに小屋はある。下りながら上から眺めると背の低い建物が地面に這いつくばっているように見える。素通りしたため、中の様子は分からない。鞍部から聖に登り始めると、まずは樹林帯の中の急登。もうここまで来ると、木々の間からは赤石の姿しか見えない。周りの石は今までの山とは違い、赤茶けたレンガのような石がほとんどで、いくつか紫色に見える石も混じっている。赤石岳も赤っぽい石があったが、聖の方が赤石の密度が高いようだ。
聖の大崩。樹林帯から抜け出ると、南側斜面がばっさりと切れ落ちたガレ場に出る。ここからはだいぶん傾斜も緩やかになり、依然として大きな斜面の向こうに頂上らしきものが見える。足下はハイマツ帯であるが、ここもそれほど花が見あたらない。どうも南の南は花が少ないようだ。
聖岳。今回の山行最後の3000m峰。小さくガッツポーズをしてしまう。山頂は東西に細長く、西の端に聖があり、東の端に奥聖がある。神様も最後に晴天のプレゼントをくれるつもりらしく、良好な展望が得られる。ただ赤石との位置関係が悪く、これまで通ってきたほとんどの山がその陰に隠れており、仙丈は結構見えるものの、その他には塩見がほんのちょっと見えるだけである。そのかわり、西にそびえる中央アルプスはの姿は雄大であり、東には中腹まで雲に隠れた富士の頭がひときわ高く見える。山麓から見る富士も大きく見えるが、3000mの頂きからさらに見上げる富士の姿も圧倒的である。
奥聖岳。こちらからは悪沢岳の姿を見ることが出来る。荒川三山赤石と東西に幅広い稜線が屏風のようにふたつならんでいる。南の方、聖と聖平に抱えられるかのように見える沢からは、上昇気流が吹き上げているらしく、ちょうど目の上のあたりで複雑な雲が生成されている。激しい上昇気流にもてあそばれて、雲は刻々とその姿を変えていくが、その早さが早送りのビデオを見るように早い。まるでイカロスのような感じで、ここからちょっと飛べば届くかのような気分になる。そして長々といた聖を後にする。ここも荒川の下りのようなザレ場だがほとんど砂のような感じで、しかも傾斜が急なため、ヒールをきかせて雪渓を駆け下るように進む。この斜面をずり落ちながら登るのは結構大変だろう。30分ほど下ると、道はザレ場を離れ、土の良好な尾根にでる。このあたりから再び樹林帯にはいるが、ここまでくればもう少しで小屋。
聖平。小屋は営業が終わっていたため、勝手に幕を張る。旧館が解放されていて、小屋泊りの人たちはそこに泊まっているが、古いうえに薄暗く、ちょっと遠慮したくなってしまう。水場は側の沢から補給することができ、水量も豊富であるが、一応新館の40m程下流にあるため危ないかもしれない。また、このあたりに野ザルの集団がいるらしく、夜中11時頃、周りの森のあちこちからサルの叫び声が聞こえてくる。中国の蛾眉山などでは野ザルが登山客のザックをねらって襲いかかるとの話を聞いたことがあるので、ちょっと心配になる。
今日も長い行程なんで早めに出る。まだ日の出一時間ほど前で、真っ暗である。薄くガスがかかっているのか星空は見えない。野ザルがやってくるかなと思うが、今の所鳴き声もしないので大丈夫だろう。樹林帯の中の歩きで、真っ暗なため何も見えないが、迷うようなところはない。少しは展望がきくようなところでご来光を迎えるが、まだ薄いガスがかかっていて、東の空が明るくなるのだけが見える。
南岳。地図では一応南岳となっているが、実際は稜線の一部といったところで、頂上という感じはしない。すぐ目の前には上河内岳があり、高さは2800mちょっとなのだが、スッと流れるように広がる頂上からの山腹が美しく、さすがに百名山らしい。一方、その先に見える光のほうはどこが頂上か分からないほど平らな頂上で、これが同じ百名山なんだろうかと思う。
上河内分岐。上河内頂上はここから縦走路をはなれて20分ほどのピストンだが、どうも「先を急がねば」の気持ちが強く、素通りしてしまう。こういうのが後になって「登っておけば良かった」につながるのは分かっているのだが・・・まもなく「お花畑」、お花畑と地図にも書いてあり、道標にも書いてある。変な地名だ。そのありがたい名前にも関わらず、花の時期は終わったようで、花の姿は無く、草原と化していた。とはいってもその草原が、北ア栂海新道の黒岩平を思わせて、なかなかいい風景となっている。もしかすると、ほぼ終わりに近づいてきたという気分が昨年の栂海新道を思い起こさせるのかもしれない。
茶臼岳。この調子なら、早いうちに光小屋に着けそうだ。今の所他の登山者には一人も会わない。山頂は大きな石がころごろしておりなんとなく鳳凰三山を思い起こさせる。さっきまでいた上河内あたりがかなり高く見える。ここはもう2500m付近、これから先、これ以上高いところには登らないのかと考えると、何か寂しいものを感じてしまう。聖平にいる人に、「今週末で茶臼小屋は閉まるので、今小屋に行くとあまったビールがタダでもらえるよ。」との情報を頂くが、またもや素通りしてしまう。
仁田池。溜まり水のような池で、汚い。
希望峰。なかなかかっこいい名前をもらっているが、ここは仁田岳への分岐で、ピストンしているのか小さなザックがひとつ置いてある。これが今日初めての人の形跡だ。ここまですべて素通りしてきたので、ここも素通りして先を急ぐ。
易老岳。頂上といっても樹林帯の中であり、また、平らなためあまり山頂という感じはしない。ここで易老渡からやってきたおばさんと出会う。小柄なおばさんだが、光から聖に縦走するらしく、ずいぶん重そうなザックを背負っている。聞くと、「20キロぐらいだから、お兄さんのよりだいぶん軽いよ。」といわれるが体重比を考えると、僕よりもはるかに重そうだ。
三吉平。じめじめした湿地帯。以前教えてもらった水場もこのあたりらしいが、これくらい湿気があるところなら大丈夫だろう。ただ、テントを張れそうなところは見あたらないのでその点幕営には向かないかも。まあ、だいたい湿気が多いので幕営は大変だろう。ここから登りだが、光から流れ出る涸れ沢をたどっていく道で、ところどころ横の斜面に進む道がある。赤布が沢沿いに付いているので迷うことはない。これが今回最後の登りと思ってかみしめながら登る。
センジヶ原。登り切ったところは平らな原っぱで、田のあぜに生えているような下草の間を小道が続いている。これまた黒岩平を思い起こさせる。
光小屋。低木に囲まれた中にひっそりとたたずむ小さな小屋。人の良さそうなおばさんが土間に座って迎えてくれる。ちょうどこの週末で営業を終えるらしいが、茶臼とちがってビールなど望むべくもない。まあラーメンは入手できたので良しとする。テン場は光から続く広い稜線上にあり、結構風が吹いている。また、このころからガスが沸いてきたので、光は明日にして今日はここまでにする。ここのトイレは床板が左右に傾いているので、用を足すときに片足を踏ん張らねばならず、大事なところに力を入れにくい構造になっていた。
せっかく最後なので、光の頂上で御来光を見るべく出発。寸又峡への分岐の所に荷物をデポして、すがすがしい朝の空気の中を歩いていると、不意に、小学生の頃夏休みの早朝のラジオ体操に行くときの気分を思い出す。会場の神社に行くときに通り抜けた森の雰囲気と似ていた。
御来光。ここからは聖と小河内、そして遠くに仙丈が見える。朝日はそれらを横から照らしつけ、聖の大斜面も刻々と色を変えていく。本当はその移り変わりを見ていたいのだが、きょうも長丁場なので、早々に切り上げる。道を戻り、分岐をすぎて、いよいよ寸又峡への最後の道のりを歩き始めると、まっさきにハイマツ丘に着く。地図にはハイマツの南限と書いてあるが、植物学者でない僕にはそれまでのハイマツの頂上と同じにしか感じられない。
百俣沢ノ頭。ここまでの歩きでは、背の高い樹林帯の中に、ぽっかりと芝生が生えている広場があり、そこだけ明るい光が入ってきていて遠くからでも光っているのが分かる。そこには久しぶりに花が咲いており、なにかおとぎ話の中で森に迷い込んでしまったかのようだ。ここから林道までずっと下り続けるのだが、足元には杉の葉に似た落ち葉が積もっていて天然のクッションになっているため、快適に歩ける。
千本平。このあたりで高度2000m。これぐらい下ってくると、けっこう汗をかくようになる。水は豊富に持っているのだが、去年の栂海新道最後の下りで汗をかきすぎて脱水症状になった時のことをチラと思い出す。途中の林道で休んでいると、聖平で聞いたような野ザルの叫び声が近くで聞こえる。今回は2匹で喧嘩しているかのようで盛んに叫びあっている。
光岳登山口。寸又川林道に到着。とりあえず着いた!ホッとする。一声「ヤッター」と叫んでしまう自分は野ザルと変わらない。ただ、寸又峡39キロの表示にはちょっとがっかりするが、何台か車が停まっているので、きっと拾ってもらえるだろうと楽観して歩き始める。林道は寸又川のすぐ近くを進んでいて、山側からは各所に水が湧き出しており、飲み水には困らない。川から吹き上げる涼風に吹かれていると、下りで全身から吹き出ていた汗も静かに引いていった。
釜ノ島小屋。結構立派な小屋に見える。そういえば途中何台か車が入っていたが、渓流釣りなんだろうか。入口には南京錠で柵がしてあるはずなので、どうやって入ったんだろう。林道は寸又川にそって下流に続いていくので、ずっとゆるやかな下りだろうとたかをくくっていたら、小屋から一時間ほどずっと登りであった。登りといっても、登山の登りだったらスピードをゆるめて一歩一歩登っていけるが、林道のような緩やかな登りだと、けっこうスピードを出してしまうので、かえって疲れる。しかも先の方まで登りが続いているのが見えるのでつらい。
三昇の滝。確かに段々になって滝が流れ落ちているが、真下から見上げるので、三段になっているのか分からない。まだ林道を歩き始めて二時間にもならないのに、足の付け根が痛くなってくる。縦走中、一番長かった甲斐駒〜仙丈の登り道でも足は全く痛くならなかったのに、やはり林道歩きは山登りと違うようだ。
大根沢。林道は寸又川に流れ込む支流を迂回するように大きく大根沢のほうに入り込んでいる。そのどん詰まりで大根沢を渡るのだが、この大根沢が良かった。沢に架かる橋から見ると、その沢はコップの中のようにぐるりと岩に囲まれていて、橋がある方向だけコップの口が開いていてそこから沢が流れ出ている。水は橋がある方の反対側のコップの上から流れ込んでおり、コップの底が天然のプールになっている。そのプールの上に飛び散っている水煙と流れ込む滝を見ていると、なんだかターザンでも出てきそうな気配がする。
小根沢。まだこれから20キロちょっとあるので、これは寸又峡まで行けないなと悟る。ここは大根沢と違って、いわゆる普通の沢であり、橋から沢に下りて久しぶりに水を浴びる。陽射しはだんだんきつくなっており、高度も低いこともあって、久しぶりに暑いと感じてしまう。「あ〜〜もう一泊、しかもあじけのない林道の上での宿泊か。」とトボトボと歩いていると、渓流釣り帰りの車に拾ってもらう。もうあきらめかけていただけに非常にありがたい。さらにありがたいことに、車内で冷たいビールもいただく。途中、僕と同じように寸又峡にむけて歩いていた釣り客を拾う。またまた幸いなことに、この人が東京の人で、入山口に車を停めており、そのまま東京まで乗せてもらうことになった。今日は寸又峡で一泊と考えていたら、家まで帰ることができた。そういえば、拾ってくれた釣り客は、ゲートの南京錠の鍵を持っていた。それを見て東京の釣り客は「なんだ、地元の人はコネで鍵が手に入るのか。昨日ゲートから8時間もかけて歩いた僕はなんだったのだろう。」とぼやいていた。
その日のうちに家に着く。この二週間の南を思い返してみると、残念ながら北を歩いた去年ほどの感動は味わえなかったような気がする。自分なりに考えてみると、第一に去年よりも体力がついているようで、トータルで去年よりも楽だった。あまり疲れなかったため、その分感動も薄くなったのだろうか。また、第二に、上高地〜親不知のほうが甲斐駒〜光よりも距離が長く、白馬に来たときなど、遠くかすんで見えない槍の方を見て「思えば遠くへ来たもんだ〜」と思ったが、今回は最終日の光からも結構間近に仙丈が見えたので、いまいち遠くへ来た気分が出なかった。多分登った高さは南の方が多かったと思うが、「よく登ったなあ」とは思わないようだ。まあ、結局、「柳の下にドジョウは二匹はいない。」ということなんだろうか・・