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2000年12月 未来世紀?ブラジリア



12月17日 日曜日

日本語教師恒例の年末年始の大旅行。今年のテーマはノルデスチ ( Nordeste )。昨年から今年にかけて、ブラジル南部のほとんど全域とアマゾン流域を旅行してきましたが、今だノルデスチは未踏地帯。最後の夏休みのために残しておきました。これから二ヶ月をかけて、このノルデスチを歩いてきます。


ノルデスチ

ノルデスチとはブラジル北東部のことで、ポルトガル人が最初に移民してきた地方でもあり、ブラジルで一番長い歴史を誇っています。しかしアメリカと同様にブラジルの歴史も奴隷の歴史であり、ノルデスチの歴史の長さは、すなわち奴隷の血と涙の多さをあらわしています。そのため、ノルデスチには奴隷がもたらしたアフリカ文化の影響が色濃く残り、ヨーロッパ系、日系が多い南方諸州とは人種も文化も異なり、ノルデスチの中心都市サルバドール ( Salvador ) などは「黒人のローマ」とも呼ばれています。

また、ノルデスチ地方は長い歴史の中で原生林がほとんど伐採され、気候も乾燥気味です。特に内陸部では数年間に渡る干ばつで今でも死者が出ています。乾燥気候で土地が痩せているため農業も振るわず、大きな産業もないのでノルデスチの生産性は低く、ブラジルの貧困地帯とも呼ばれています。サン・パウロやリオのファベーラ(貧民街)に職を求めてやってくる人々もノルデスチ出身者が大多数を占めています。

海岸部に目を向けると、真っ青な海と真っ白な砂浜がどこまでも続いていて、ブラジル屈指のビーチリゾートとなっています。観光開発に力が注がれている近年、フォルタレーザ ( Fortaleza ) やヘシーフェ ( Recife ) 等には大きなホテルが立ち並び、国際的観光都市としても脚光をあびています。


そんな僕が最初に目指したのがバイーア州 ( Bahia ) のシャパーダ・ジアマンチーナ ( Chapada Diamantina ) というところ。サルバドールで有名なバイーア州のど真ん中にある山岳公園で、ブラジルの山岳系アウトドアファンの聖地とも言うべきところです。

しかしブラジルは広大な国。ここサン・パウロからバイーアまでの距離は約2000km。普通なら飛行機で行きたいところですが、時間に余裕があるのでブラジリア ( Brasilia ) 経由でバスに行くことにしました。なんといっても値段の安さが魅力です。

旅行前にバタバタするのはいつものことで、前日徹夜のまま夕方発のブラジリアバスに飛び乗ります。もともと乗り物に乗るとすぐに眠ってしまう体質ですが、前日徹夜の影響か、この日は眠りにつくのがさらに早く、出発して3分後にはもう寝ていたようです。なぜ分かるかと言えば、町のホドビアリアを出たバスは、しばらく市内を走り、3分ぐらいしてから高速道路に出るんですが、高速道路に入った記憶がありませんから。

しかししばらくして目がさめるとちょっとヘン。我が町からブラジリアに行くには、いったん片側二車線の高速道路を走り、その後、交差する片側一車線のブラジリア行きの道路に入らないといけません。起きたころにはだいぶたったはずなのにバスは片側二車線の道路を走っています。これはカンポ・グランジ ( Campo Grande ) に行く道路じゃないのかなぁ。納得行かないままにしばらく乗っていると、バスは止まってしまいました。目の前にはあるはずもない料金所。まさにカンポ・グランジ方向に行く高速道路にある料金所です。

信じられないことにバスが道を間違えたようです。運転手も料金所の人にブラジリアへの行き方を聞いています。こんなことだったらちゃんと起きていて教えてあげればよかったですね。と、運転手が車内にやってきて何か話しています。

「あの、すみません。道を間違えて通る予定もない料金所まで来てしまいました。会社から支給されているお金をここで払うわけにはいかないので、皆さん、協力していただけませんか?料金は14R$です。」

って、あんた自分のミスやんか!自分で払いなさい!と思いたくなりますが、これは了見の狭い日本人的思考のようで、他のお客さんたちは『困ったときはお互い様よね』って顔で払っていました。やっぱり大陸は違うなぁ。

12月18日 月曜日

早朝のブラジリアホドビアリアに到着。何もない原野を切り開いて作ったホドビアリアの背後には密林があり、空にはいかにも大陸的な雲がポツポツとうかんでいます。ブラジルと言うと大陸=360度の地平線というイメージがありますが、僕が住むサン・パウロ州はなだらかな丘が連なるところで、真っ平な平原を見かけることがありません。「大陸に来たな〜」なんて思いながら、シャパーダ・ジアマンチーナ行きの切符を買いに行くと「満席!」と言われてしまいました。ここからシャパーダ方面に行くバスは全て満席とのこと。まだクリスマス前だから大丈夫とタカをくくっていただけに、ちょっとショック。バス会社の人の話によると、シャパーダを通るバスは全てサルバドール行きで、サルバドールまで満席なんだとか。そう言われてブラジリアの歴史を思い出しました。

ご存知のようにブラジリアはジュッセリーノ・クビチェッキ大統領の鶴の一声で、何もない荒野に作られた人造都市。一説ではそのおかげで国が傾いたとまで言われていますが、膨大な費用と人員が首都建設のために費やされました。ブラジルの大規模公共事業で大量に人員が必要な時、やってくるのはほとんどの場合ノルデスチの人達。ノルデスチはブラジルで一番貧しい地方で、人々は出稼ぎ労働者として建設現場にやって来ます。首都建設も終わってしまうと、彼らの仕事もなくなりますが、もともと故郷に帰っても職のあてのない彼らは首都完成後もブラジリア周辺に残って暮らしているそうで、そういった人たちの町が衛星都市としてブラジリアのまわりにいくつかあります。整然としたブラジリアと雑然とした衛星都市が隣り合わせに存在するところにブラジルらしさがあります。そんなノルデスチの人達が大挙して里帰りをするのでバスは満席なんだそうです。結局翌日の16:30のバスにたった一席の空きがあり、なんとか明日にはブラジリアを脱出する目処がたって一安心。

出発は明日と決まったのでジタバタしてもしょうがありません。今回のブラジリア訪問では現地在住のkarumyさんと昼食を一緒にすることになっていたので、時間の変更を電話で伝え、ついでに今夜一泊の宿もお願いしてしまう厚かましい僕でしたが、karumyさんは快く了承してくれてホッと一安心。待ち合わせ場所のバスターミナルまで行きます。バスターミナルに行くと必ずあるのが新聞や雑誌を買う人でいっぱいのバンカ ( Banca 日本の駅のキオスクみたいなもの )。そして待ち合わせまで時間があるのでスポーツ新聞を買う僕。僕が愛読しているのは「Lance!」というスポーツ新聞で、これにはサン・パウロ版とリオ・デ・ジャネイロ版の2種類があります。東京のスポーツ紙が巨人中心で、関西のスポーツ新聞が阪神中心なのと同じく、サン・パウロ版とリオ版では内容が全然違います。普通の町ではどちらか一方の新聞を置いてあるんですが、さすがブラジリア、サン・パウロ版とリオ版の両方が置いてありました。地理的にも経済的にも政治的にもサン・パウロとリオの中間に位置するブラジリアならではの現象でしょうか。

やがてやって来たkarumyさんはホームページでの印象そのままのやさしそうな人です。ブラジルに来て、ホームページで知り合った人と何度か対面しましたが、初対面だけど初対面ではないという不思議な雰囲気ですね。近くのレストランで一休みしながら、karumyさんのこれまでの波瀾の人生話を聞かせてもらいます。現在は結婚されてますが、留学で最初にブラジリアに来たときは独身だったそうで、留学後のたったひとりでの職探しや移民局との戦いなど日本で暮らしていた僕には驚きの話ばかりです。やっぱり海外に出て、仕事を探していこうと言う人は一味違いますね。お上から仕事を与えられてブラジルにやって来た僕とは根性が違います。話しているととっても温和なkarumyさんですが、心の底には強い意思があるんでしょうね。

しばらく話していると、karumyさんの旦那さんがやってきました。この旦那さんがまたいい人。ブラジル人ながら日本語が上手な旦那さんですが、日本語以上に物腰とか態度が日本的で驚いてしまいます。それもそのはず旦那さんは日本に行ったことがあり、ブラジル人向けに日本紹介のホームページを書いているぐらいの日本通です。日本からやって来てブラジルで暮らす奥さんとは対照的に「日本で暮らしたい!」とぼやく旦那さんが対照的でした。

さて、旦那さんの車に乗せてもらってブラジリアの町を観光させてもらいます。前回の訪問で市内中心部の主だった観光地にはあらかた行き尽くしてしまったので、今回は車でしか行けない観光スポットに案内してもらうことになりました。最初の目的地はパラノア湖 ( Lago do Paranoa ) で、ここは何もない荒野にブラジリアが作られたときに、川を堰き止めて作られた人造湖だそうです。内陸の乾燥地帯のど真ん中にあるブラジリアは乾燥都市として有名で、湿度が10%を下回ると小学校などが自動休校になるほどだそうですが、もしこの湖がなかったらもっとひどいだろうと言われています。ブラジリア市民にとっては大事な湿度の供給源兼遊び場なのかもしれません。

確かに遊び場ということで、沖にはジェットスキーを楽しんでいる人もいて、なんとなくレジャースポットのようですが、足下にうち寄せる水をみるとアマゾン色。そう、茶色い水です。立ち寄ったところは市民海岸とでも言うんでしょうか、駐車場やシュハスコ場も整備され、湖岸には砂を入れて泳ぎやすいようにしているんですが、いかんせん真っ茶色の水。ノルデスチのようなビーチを造りたいという人間の思惑をブラジリアの大自然が頑強に拒んでいるかのようです。それを見て「ああ、ここはセラード開発の中心地だったんだよなぁ」と思い出します。人工都市ブラジリアに象徴される内陸乾燥地帯をセラードと言いますが、ここ数年、日本とブラジル政府の合弁事業でセラード開発事業が大規模に行われています。川の水を引いてきて、セラードを一大穀倉地帯にしようとする計画で、今のところ大成功のようです。

しかし最近のニュースを見ると、自然の大改造のしわ寄せが徐々に出てきているそうで、その一つが降水量の減少だと言われています。確かにここ数年は少雨傾向が続いている上、各地の灌漑で川の水が使われる結果、下流に流れる水が少なくなり、ダムの貯水量が減少し、水力発電に大部分頼っているブラジルの電気事情が急速に悪化しているとか。今年はこれが危機的な状況にまで陥り、強制的に節電が求められているそうです。

さて、ひと気のないビーチを後にして、次に向かったのがプラナルト宮 ( Palacio do Planalto ) と呼ばれる大統領官邸。きれいな芝生が広がる気持ちの良さそうな広場の向こう側に平べったい官邸が見えますが、入り口には高いフェンスがあって入ることはできません。そこには門があって衛兵が立っているんですが、この衛兵が知る人ぞ知る観光名所。80センチ四方ほどの台の上に、植民地戦争の頃を彷彿とさせる古風な軍服に身を包んで立っています。衛兵は左手にサーベルの鞘、右手に抜刀したサーベルを持ったまま直立不動の姿勢で全く動きません。普段、わりとダラダラしているお国柄なだけに、この直立不動は目を引きます。ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵もそうかもしれませんが、ここでも衛兵を取り囲んで観光客が不思議そうに眺め、子供たちは一緒に並んで記念撮影をしています。こう書くと、いかにもお堅い衛兵みたいですが、そこはブラジル、記念撮影するときは姿勢こそ崩さないものの、ニッコリとほほえんで観光客にサービス。この国にはお堅い衛兵は似合いませんから。

大統領官邸といえば、日本でいると首相官邸に相当するところ。建物の周りに番記者たちがいるのはブラジルでも同じです。今日もこれからニュースの撮影でもするのかテレビクルーとリポーターが来ています。リポーターは歩き回りながらコメントの練習をしていて、本番に向けて余念がありませんが、その格好がいかにもブラジルらしくて笑えます。堅い顔をしてコメントを読む上半身はスーツにネクタイを締めて一分の隙もなく構えていますが、下にはいているのはジーンズ。なんだか探偵物語のオープニングの松田優作を思い出させる間抜けな格好です。中継の時には上半身しか写らないからそれでもいいのかもしれませんが、その合理的というか、いい加減な割り切り方にブラジルらしさを感じてしまいます。少なくとも日本の首相官邸前のリポーターの中で、上半身スーツで下半身ジーンズなんて人は一人もいないでしょうね。

その後に訪れた三権広場では、さらなるブラジルらしさを感じることができました。三権広場とは、日本で言ったら国会議事堂前にあたるところで、国会やら裁判所やら大統領の執務室やらがあって、ブラジルの政治の中心部とも言うべきところ。その広場のど真ん中には25mプールよりもでっかい巨大な旗がはためいていて、まさに「ここがブラジルの中心地です!」と高らかに宣言しています。畏敬の念を持って旗を見上げてみると、あれっ?なんだか破れているような… 双眼鏡でよ〜く確認してみたら、確かに破れています。ポールとは反対側の端っこが破れていますが、破れ方もちょっとほころんでいるどころではなく、かなりズタズタにさけていて、ブラジルの威厳どころではありません。ここの旗は、ブラジルの各州が一枚ずつ提供していて、一ヶ月ごとに交換するそうなので、次の交換時期まではこのままにするのかもしれませんが、しかし一国の首都のしかもど真ん中にたなびく国旗がこんなにズタズタでいいもんなんでしょうか。こちらも日本では絶対に考えられないような光景です。



12月19日 火曜日

karumyさん宅で朝を迎えるとインターネット三昧。karumyさんの旦那さんはインターネット好きらしく、家まで専用線を引き、さらに独自ドメインまで取ってサーバーをたてています。日頃貧弱な回線でイライラしながらインターネットをしている僕から見ると夢の環境。今まで見たかったけど、重いので躊躇していたあのページやこのページを思う存分楽しみました。

やがて「日本から送ってきたビデオを見ようよ」ということになり、早速見たのが「さんまのからくりテレビ」。久しぶりの日本の民放です。「この番組、まだ続いているんだぁ」なんて言いながら見ていましたが、やはり一番おもしろいのが視聴者からの投稿ビデオのコーナー。いろんなビデオを紹介していますが、その中にはどう見ても外国で取ったビデオもあります。それで思い出したのが、ブラジルの日曜日の名物番組「 Dominagao do Faustao 」。この番組内にも同じようなコーナーがあって、ブラジルのみならず、世界中のおもしろビデオを放送しています。しかし日本のテレビ局もブラジルのテレビ局もどうやって海外のおもしろビデオを集めているんでしょうね。ニューヨークかどこかに「おもしろビデオアーカイブ」みたいなのがあって、世界中のテレビ局からおもしろビデオがストックされているんでしょうか?

昼を過ぎ、そろそろバスの時間が近づいてきましたが、その前にショッピングセンターによって時間をつぶすことにしました。行ったのはブラジリアの中心地にある巨大なショッピングセンター。ブラジルのショッピングセンターには必ずといっていいほど吹き抜けのロビーがど真ん中にありますが、ここもご多分に漏れず巨大吹き抜けがあり、そこにはこれまた定番のクリスマスの模型があります。これはクリスマスツリーやサンタの家などを模型にして飾っているもので、そこにはサンタクロースがいて子供達と一緒に記念撮影をしたりしています。

「お〜ここにもあるある」と思いましたが、さすが世界の大使館が集まるブラジリア。テーマは「世界のクリスマス」だそうで、なんとも国際的です。しかし、そこはブラジル、一筋縄ではいきません。確かに世界各国のクリスマスの模型があるんですが、見てみると、単に世界の民族衣装を着せた人形に無理矢理クリスマスの飾り付けをしている感じ。中には日本エリアもあったんですが、真っ赤な鳥居の下にはスターウォーズのジェダイの騎士が着ているような怪しげなローブを着た人形がいて、ご丁寧にその隣には鯉のぼりまであります。まあまだ頭にチョンマゲがないだけましですが、お隣の中国エリアには雪に埋もれた自転車があったりして笑わせてくれます。

その中で一番気になったのがインドエリアにエジプトエリア。インドエリアにはデ〜ンとタージマハルが立っていて、その前にある並木がクリスマスツリーになっています。エジプト編ではピラミッドとラクダというおきまりのツーショットの上に「導きの星 ( Estrela Guia キリストの生誕を告げるために空から降ってきたと言われる星)」が降っていますが、インドやエジプトってキリスト教国だったっけ?エジプトはキリスト教の伝説の聖地、プレスター・ジョンの国があったと言われている所なので許せるとしても、インドってキリスト教とはまったく関係ないですよね。それどころかキリスト教国のイギリスに散々な目にあわされてきた歴史があるだけにキリスト教って親の敵みたいなもんじゃないんでしょうか。きっとブラジリアにはインド大使館もあって、大使館員もこれを見ているかもしれないんですが、彼らはどう思ったんでしょうね。

くだらない感想を抱いているうちにバスの時間になり、katumyさんの旦那さんにホドビアリアまで送ってもらいます。二日間大変お世話になったkarumyさんと分かれるのは名残惜しいんですが、僕にはこれから長いノルデスチ旅行が待っています。心を鬼にして次の目的地、シャパーダ・ジアマンチーナ ( Chapada Diamantina ) 行きのバスに乗ってブラジリアを後にしました。


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