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2000年9月 日系移民の第一歩・サントス



サン・パウロ ( Sao Paulo ) での会議の合間に一日のオフがあったので、サン・パウロからバスで一時間のサントス ( Santos ) に足を運ぶことにしました。サントスはサン・パウロの海の玄関として有名なだけでなく、日系移民がその第一歩を記した港でもあり、日系社会に住むものとして一度は訪れないと行けない場所です。


サントス
1535年に開かれたラテンアメリカ最大の港。コーヒー輸出港として栄え、19世紀に裕福なコーヒー長者によって立てられた美しい家々があるものの、その他の観光資源はありません。

9月28日木曜日

サン・パウロからサントス行きのバスの出発地は地下鉄南北線の終点、ジャバクアラ ( Jabaquara ) 駅に隣接するバスターミナル。ジャバクアラで乗り込んだバスは市街地を抜け、サン・パウロからサントスまで続く「移民街道 ( Rodovia Imigrante ) 」に入っていきます。当時の移動手段はもっぱら列車でしたが、サントスからサン・パウロまでの道のりは日系移民のみでなく、数多くのヨーロッパ移民も通ったところ。この場所を希望と不安でいっぱいの移民達が何千、何万と通って行ったのかと思うと、感慨深いものがあります。

移民街道を進むバスは、深い谷間を横目に見ながら急な山道をどんどんと下っていきます。標高800mあまりのサン・パウロから港町サントスまでの道のりは山を愛する人にとってはたまらない景色。ガイドブックにはクリチーバ ( Curitiba ) =パラナグア ( Paranagua ) 間の山岳鉄道がすすめられていますが、「移民街道」もそれに勝るとも劣らない絶景です。

そんな絶景の合間に見えるのがファベーラ ( 貧民街 ) 。山の斜面にへばりつくように広がっているのはリオやサン・パウロのそれを同じですが、近くに町もないようなところでどうやって生活しているんでしょうか。

高地の涼しい空気が、港町特有の湿気のあるムッとする空気に変わったらサントスに到着です。ガイドブックの情報によると、ホドビアリアの背後には眺めのいい展望台モンチ・セハート ( Monte Serrat ) があるようなので、まずは町の概観をつかむために登ってみることにしました。あちこちの人に助けられてたどり着いた駅はちょっと古ぼけた市街地のどまんなか、お土産屋もなく、普通の人が普通に働いている一角にありました。この日は平日だったので観光客は僕一人。他には地元民らしい人がいるだけです。のんびりした駅を見て思い出したのが東京奥多摩の御岳のケーブルカー。ここは御岳山頂の神社や旅館街を訪れる観光客用のケーブルカーでしたが、夕方には学校帰りの小学生や、買い物帰りの主婦が乗っていて、観光客の中で異彩を放っていました。でも「異彩と放つ」と感じるのは観光客のエゴで、向こうこそ自分の生活の中に深くかかわってくる観光客を不思議な目で見ていたのかもしれません。

頂上の展望台から見渡すサントスはまさに天然の良好。西のほうを見ると、山に囲まれるようにして複雑に入り組んだ湾が広がり、湾と外海の間にはサントス市街地が突き出して天然の防波堤になっています。湾と外海とをつなぐ唯一の水路にはたくさんの大型船が行きかい、ブラジル最大の貿易港の活気を感じさせてくれます。

町の概観をつかんだ後は、今回の目的地『日本移民上陸記念碑』のあるプライア(ビーチ)まで、1時間ほどの道のりをのんびり歩きます。古い市街地にはいつ来るともしれない客を待つ物売りや、アパートのベランダでビリンバウを弾き語る裸の青年など、バスやタクシーの旅では見落としてしまいそうな風景がたくさんありましたが、一番目についたのが選挙運動。先日訪れたリオの町も選挙一色でしたが、3日後に投票日を控えたこの日の選挙運動は一段とヒートアップしていました。大きなロータリーには各候補者の旗を振る若者がいましたが、対立候補者の旗を振るものどうしで仲良く話しているところを見ると、一日いくらで雇われた人なんでしょう。大通りの向こうから大きなクラクションが聞こえてきたら候補者の到来です。日本でも街宣車の「○○、○○をよろしくお願いします。」の連呼には泣かされますが、こちらはもっと原始的。候補者の名前をデカデカと書いた何台もの車がクラクション鳴らしっぱなしでノロノロ運転してこちらの神経を逆なでします。

古ぼけた街角からプライアに飛び出すと、そこはリゾートホテルもあるきれいなところでした。見た目はきれいでもサントスには工場も多く、大型船も数多く通るところなので海水は汚染されているんですが、プライアだけを見ていると、ちょっとしたリゾート地のようです。ビーチに寝そべるのブラジル美人の向こうに大型タンカーが見えたりするところがサントスチックではありますが。

移民記念碑はそこから1kmほど離れたところにあります。浜辺沿いの道には太陽があふれ、椰子の木陰では老人達がのんびりとお話をしています。ローラースケートやサイクリングを楽しむ人達に混じって歩いていると、まるで天国のようですが、初めてこの地に降り立った日本人達はどんな思いでこの景色を見ていたんでしょうか。

明るい日差しを浴びる一角に、その記念碑はありました。『この大地に夢を』と漢字で書かれた碑の隣には、力強く前を見つめ、右手で未来を指差す父親と、それに寄り沿うように立つ母親と子供の像。彼らを待ちうけていた過酷な日々を思うと切なくなりますが、なによりも僕の心を打ったのは、三人の服装でした。三人ともこぎれいな洋装で、どこにもみすぼらしさがありません。当時の新聞に「野蛮国と思っていた日本からの移民達は全員洗いたての洋服を来ていて、服装の乱れなどは皆無であった。到着後収容された移民収容所でも、日本人が立ち去った後にはゴミひとつ落ちておらず、ヨーロッパ移民と比べると驚くべきことである。」と書かれていましたが、彼らの間には「新しい国に来たんだから、恥をかくような真似はしてはいけない。」という強い思いがあったんだと思います。そしてこの思いこそが90年に渡る日系移民を支えてきた信念で、現在の『 Japones garantido 日本人なら信頼できる 』という代名詞の元になったものでしょう。同じ日本文化を受け継ぐものとして、これだけは忘れたくないなと肝に銘じさせてくれる記念碑でした。

日系人の歴史に思いを馳せる時、もうひとつ忘れられないのが『サントス14番埠頭』。こここそが1908年の第1回笠戸丸移民が上陸した地。90年の日系移民史の出発点となるところです。早速タクシーを拾って行くことにしましたが、ハテ?「埠頭」ってポル語では何って言うんだったっけ?地図を見ると、海岸沿いに「armazen 1」とか「armazen 10」とか並んでいて、「armazen 14」と言うのもあったので、そこに行ってもらうことにしました。

「ここだよ」と言って下ろされたのは、大きな倉庫が立ち並ぶ一角。倉庫と倉庫の間にはやたらと広い道があって、かえってさびしい雰囲気を漂わせています。「間違ったか?」と思いましたが、倉庫の片隅に埠頭への入り口らしきものがあったので言ってみることにしました。

僕:「ここ armazen 14 だよね?入ってもいい?」
守衛:「ダメダメ。関係者以外立ち入り禁止だよ。」
僕:「え〜、ダメなの? 僕はサン・パウロから来た日本語教師で、日系移民のことが知りたくてここに来たんだよ。ここは日系移民が最初に到着したところなんで是非とも入ってみたいんだ。」
守衛:「ダメなもんはダメだよ!」
僕:「写真を撮るだけだからさ!」
守衛:「ダ〜メ!」

まったく取り付くシマもありません。とっても悔しいけど帰ることにします。でも後で聞いたところによると、女性の友人が同じように交渉したところ、埠頭に入れてもらい写真撮影もできたそうで、やっぱりブラジル人のやることって…と憤ってしまいました。

と、この話を我が町に帰ってきてから生徒に話してみたところ、「先生、armazen って倉庫って意味だよ!埠頭は cais って言うの。」という痛恨の指摘。ナント始めから行く場所を間違っていたようです。う〜んこれなら「ここは日系移民発祥の地だよ。」という僕の言葉に説得力が無かったのもうなずけます。

そんなことは露知らず、追い出されてしまった僕は、せめてブラジルに到着した彼らが歩いた道のりを歩いてみようと倉庫の間を歩いてみることにしました。日本でもそうですが、港の倉庫街を歩いている人なんてほとんどいません。ガランとしたところを歩いていると、時折爆音をたてて大型トラックが通りすぎていきます。

「ただでさえ治安が悪いブラジルなのに、こんなヤバそうなところを歩いていてマジにヤバイっす!」と警戒心が高鳴っていると、忽然と目の前にお土産物屋が出現しました。ロールプレイングゲームをやっていて敵モンスターがうようよいる森の中で突然宿屋に出会ったような、「こいつ本当にお土産屋か?何かのトラップやないの?」と思いたくなるようなシチュエーションです。恐る恐る入ってみると、中はランショネッチ(軽食堂)と兼用になっていて、お土産コーナーを見ていると、サントスのみならず、ブラジル各地のお土産が並んでいます。なるほどこのあたりは港町なだけに、船乗り向けのお土産屋のようです。きっと世界中の船乗り達がここでブラジル土産を買っていくんでしょうね。船乗りにはきっと可愛い子供がいて、父親の何ヶ月ぶりの帰宅を待っているんでしょう。「お父さんはブラジルってところに行ってたんだ。ほら、これがお土産だよ。ブラジルにはね…」と子供にお土産話を聞かせるお父さんと、目をキラキラさせて聞いている子供達の姿が目に浮かび、なんとなく暖かい心になってしまいました。

ちょっといい気分になって外に出てみると、さっきまでの冷たい港町がとてもやさしいところのように感じられてしまいます。ひょっこり飛び出した広場にはコーヒー袋を担ぐ港湾労働者の巨大な彫刻があり、さっきまでの警戒心を忘れて写真撮影にふけってしまいました。すると遠くのほうからディーゼルエンジンの力強い響きが聞こえ、それと同時に大きなホーンも聞こえてきました。機関車がやって来るようです。「チャンス到来!」と踏み切りで待ちうけると、何十両も貨車を従えたディーゼルカーです。喜びのあまり何枚も写真を撮っていると、何を考えたか運転手、踏み切りの真ん中で機関車を止めてしまうではありませんか。そして「ほら、止めてやるから早いとこ写真を撮んな!」と、なんとも気風のいい一言。お言葉に甘えて何枚も写真を撮らせてもらいましたが、その間機関車は踏み切りの上に立ち往生。それでも踏み切りを待っているトラック運転手は何も文句を言わずにのんびりと待っていて「う〜ん、海の(まわりの)男は気持ちがいいネ!」と関心しきり。

写真を撮り終える頃には日も西に傾いて、そろそろサン・パウロに帰る時間になりました。今回の旅行では、日系移民の記念の地を歩いて、彼らの心にいくらか近づけたような気がします。また、サントスの気持ちのいい海の男のにも出会い、なんだか充実した一日になりました。


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