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Today's Boston
and
What's New?
2000/1/2-8/16


2000/8/16 (水)

今朝は空の雨雲が厚すぎて、まるで夕方かのような暗さでした。
今年の夏は、夏らしい日が本当に少ないなぁ。

さて、久々に「Handmade by Basil」に新作を追加しました。
クロスステッチの作品です。見てね。

◆アメリカで迎える8月6日、9日、15日◆
日本の昨日(8月15日)は終戦記念日。
時差があるアメリカでは、14日がそれにあたるのだろうか。
何か記事が載るのかなとBoson Globeを14〜15日にかけて見ていたが、
第二次世界大戦に関する記事は載っていなかった。見落としてるのかなぁ。
先日8月6日も、55年前にアメリカが広島に原爆を投下した日だから、
何か記事が載るかなと思ったけれど、Boson Globeには何も出ていなかった。
日本の新聞とは役割が違うのかもしれないけれど、何となくどうしてぇ?と思ってしまう。
それとも、これが戦勝国と敗戦国の認識の違いなのだろうか。

8月6日は、かろうじてインターネットのCNNでは広島の原爆慰霊祭がトップ記事だった。
それに関する読者の投稿のページをちょっと読んでみたが、
もっと非道な事をアジアでやった日本が、原爆による悲劇だけを声高に言うのは納得できないとか、
原爆投下は戦争を早く終結させるために必要であったとかいった、お決まりの意見が載っているだけだった。
確か私がアメリカに来た年に、スミソニアン博物館でエノラ・ゲイ展が開設された。
その展示では、当初広島・長崎の原爆投下による被害の現実を見てもらうコーナーが予定されていたのだが、
悲惨すぎる内容もあってか、原爆投下を是とする在郷軍人会等の反対にあって中止となったいきさつがあった。
(その一方で、原爆のキノコ型の雲をデザインした記念切手は発売された。)
その時に、私は「原爆投下は戦争を早く終結させるために必要であった」という意見が
アメリカの主流である事を知ったのだった。

私は広島へ行ったことが無い。
原爆の被害については、本や新聞で折に触れて読むぐらいで、特に自分から求めて知ろうとしたことも無かった。
多分、これが今子育てをしている世代以降の日本人の平均的な姿だろう。
唯一の被爆国に育った「門前の小僧」的知識から、原爆は許されないものだと漠然と思っているのに、
いざアメリカ人を相手に説明しようと思ったら、正確な知識が無いことに気が付いて愕然とする。
原爆を落とされた側の国民がこの程度では、いわんや落した側の国民をやである。
自分の不勉強を恥じるべきなのかもしれないけれど、
「原爆投下は戦争を早く終結させるために必要であった」という意見に対して、
英語で、いや日本語ででも何か言えるようにする教育の機会があってもいいのではないだろうか。
原爆を経験した唯一の国の国民として、子孫に語り継ぐだけでなく、
世界にその現実を伝える義務があると思うから。

いつになくカタイことを書いてしまったが、そのきっかけは、
8月6日にこのHPの表紙に原子爆弾に反対する趣旨の「素材」(画像)を張り付けたくて
探しに探した挙句、たったの一つもみつけることができなかったことだった。

2000/8/11 (金)

7月の下旬から8月の初めにかけて、例年だったら盛夏のこの時期、今年のボストンは冷え冷えでした。
長袖を重ね着してしまうぐらい寒く、おまけに雨も多く、暗くじめじめ〜っとした梅雨のような塩梅でした。
せっかく屋外のプールがあるサマースクールに通いながら、Mintは2週間というもの、殆どプールに入れず、
毎日下の写真のようなフェイスペインティング、ボディペインティングを施して帰って来ました。
このまま秋になってしまうのかと心配になったぐらい長いこと寒かったのですが、
先週末頃からようやく暑さが戻ってきました。
暑いのはあんまり好きじゃないけれど、ただでさえ短いボストンの夏が寒くっちゃねぇ〜。
紅葉にも影響しちゃうし。

夏が戻ってよかったぁと思っていたら、昨日は蝉が鳴いているのを今年初めて聞きました。
去年は蝉の初鳴きが異常に早くて、更新歴を見てみたら7月末でした。
その割りには、秋が早く来る事もなかったなぁ。
今年はどうなのでしょうか。

2000/7/27 (木)

Mint
ギョッとしますよねぇ、この顔。
この夏、Mintはサマースクールに通っているのですが、昨日迎えに行ったらこんな顔で出てきたのです。
おでこと目の周りだけを残して全部茶色。犬のつもりらしいです。(赤い目線は違いますよぉ。)
フェイスペインティング(ほっぺに小さな絵を描く程度から、こんなに塗っちゃうものまで)は、アメリカではかなり一般的で、
バザーやフェスティバル等のイベントでは、必ずフェイスペインティングのコーナーが見られます。
子供たちは自分の好みにペイントしてもらって、とっても嬉しいみたい。
この顔のまま近所のスーパーでお買い物をしたら、顔馴染の店員さんに大ウケでした。

◆◇◆地元情報◆◇◆
この季節、ブルックラインに毎週木曜日にやってくるファーマーズ・マーケット。
米ナスじゃない、日本と同じおナスが手に入るし、オリエンタル・キューカンバーという、
ちょっと大きいけれどほぼ日本と同じきゅうりも手に入るので、毎年楽しみにしています。
今年はこれまでと場所が変わって、今までのところからですとビーコン・ストリートを挟んで反対側、
クーリッジ・コーナーのAu bon Panの裏側にある駐車場の、道を隔ててもう一つ西寄りの駐車場で開かれています。
今年はこの移動があったたせいなのか店舗数が少なく、
これまで品数も少なくて買いたいものがなかったのですが、
今日はついに日本と同じおナスが出ていました。
きゅうりは来週から出るそうです。

2000/7/12 (水)

Kaiwo Maru, Today's Front Page of the Boston Globe
昨日(7/11)から、Sail Boston 2000 が始まりました。
ミレニアムを祝って、世界中からTall Ships (大型の帆船のことのようです)が集まって航海しており、4月にSouthampton と Genoa(イタリアのジェノバ)を出発して、あちこちに寄港しながらスペインのCadizまで行くのだそうです。
独立記念日の頃にはニューヨークに停泊していました。
昨日がボストンでのオープニングのイベント Grand Parade of Sail で、新聞によると、120万人もの人が見物したのだそうです。
この写真は、今日のボストン・グローブ(新聞)の一面。
紙面の半分を使った大きな写真に写っている優美な帆船は、日本の海王丸なんです。
キャプションには、こう書かれています。
The Japanese Tall Ship Kaiwo Maru II cutting a graceful figure in Boston Harbor yesterday, as seen from the Hood Airship. Police estimated that about 1.2 million spectators watched the Parade of Sail.
TVのニュースでも(独立記念日でNYにいた時から)、海王丸はよく映像になっていたので、
その優美な姿を、いつも嬉しく誇らしく思いながら見ていました。
昨日はパレードと花火。今日から停泊している帆船に、乗船見学できるようになります。
他の帆船も見たいけれど、日本の海王丸が見たい!
ということで、初日の今日、見学に行って来ました。
詳しい事は、近日中(<危ない)に、「たま日記」(「Boston体験記」に改題)に書こうと思います。
(あ、表紙に写真を1枚載せました。あのマストは、デンマークの帆船だったかな?)
このイベントは21日まで。ボストンの次は、カナダのハリファックスへ向かうそうです。
http://www.sailboston.com/ に詳しい事が漏れなく載っています。

2000/7/11 (火)

ふと視界に入った時には、その二羽のスズメは中庭の煉瓦敷きの上で向き合っていました。
その二羽が親子なのは、少し体が大きい方が小さい方にエサをあげているらしい様子からすぐにわかりました。
子の方のスズメは、羽の模様は親と変わりませんが、全体に何となくぽやぽやしていて、尾羽が短く、
嘴(くちばし)の色も親と違って黄色いのです。
(「嘴の黄色いひよっ子」という表現は、スズメにもあてはまるのですね。)
そして何よりまだ子供だと思ったのは、その嘴をくわっと大きく開けたままでいること。
巣の中で親からもらうエサを待つ雛のするように嘴を大きく開けて、親鳥が飛び去った後も、
しばらくは、 Σ・) <=こんな風にしてうろうろしていました。
その子がどれくらい飛べるのか、気が付いた時には地面にいたのでわかりませんが、
独り残されても飛ぶ気配も無く、そのうちに植え込みの影にちょんちょんと入ると、
そのままじぃっとしているのが、枝垂れた葉の隙間から覗いていました。
きっと、親鳥がまた虫を捕まえて戻って来るのを待っているのでしょう。
まだやっと巣から少しだけ飛ぶことができるようになったところなんだろうな。
「巣立ち」までには、もう少しいろんな練習が必要なんだね。
でも、知ってるんだ。
巣立ってからもしばらくは、エサだと思うと、きっとこの嘴をくわって開けちゃう癖
(条件反射っていうべきね)が出ちゃうってこと。

日本にいた頃、職場の近くに水道局の施設があって、その箱型の建物の上が小さな公園になっていました。
水道局の公園らしく、園内の1/3は池や水路で、1/3が遊具の置かれた公園、そして残りの1/3がバラ園になっていたのです。
誰が管理をしているのか、このバラ園には十数種類ものバラがあり、
子供の顔程もある大輪の香りの良い薄紅色のバラが満開になった様はそれは見事でした。
だから5月と10月のバラの季節には、忘れずに一度は仕事の合間に抜け出して行ったものです。
ある日、息抜きにアイスチョコモナカを買って行ってそこで食べた時のこと。
モナカの皮をちょっと投げてあげたら、それを合図に、わらわらと沢山のスズメが集まってきました。
でも、そのスズメ達の半分ぐらいは、さっきの子スズメのように、嘴をくわっと開けていたのです。
大きく嘴を開いたスズメに囲まれるという初めての経験に、これはどうしたことかと思いましたが、
体の大きさも飛び方も立派でも、嘴の開いているスズメは、その色が少し黄味がかっていることに気付いて、
ああ、まだ巣立ったばかりのスズメ達なんだ、と合点がいったのでした。
そう解ると、その間の抜けた様子が何とも可愛らしくて、モナカの皮を殆ど提供しながら、
思いっ切り和んでしまいました。
そうかぁ。あれって、今頃、うううん、もう少しした頃のことだったんだね。
そんなことを思い出しながら、しばらくの間、親鳥が帰ってくるのを遠くから一緒に待っていました。

2000/7/6 (木)

今年の独立記念日の前夜の天気予報は、「午後に雷雨」だったのです。
それもTVの天気予報で天気図を示しながら説明するお天気おじさんによると、
もう絶対にピカッゴロゴロ〜ざあざあ降りのお天気になりそうでした。
雨なら我慢できるけれど、雷は怖い〜。
せっかく去年、独立記念日のために買ったビーチパラソル(去年のたま日記(「Boston体験記」に改題)参照<でも書いたのは一年後)。
こんな時でもないと使う機会がないから、今年もハッチシェルへ行こうと、
お弁当用に食料を沢山買い込んでいたのに、この予報を聞いて断念。
でも、花火大会の頃にはお天気は回復するとのことだったので、今年は花火に照準を合わせることしました。
当日は、まだ雨降らないのかなぁと、時折窓から外を眺めて思っていたのです。
そして…。ああ、毎度のことながら、ボストンの天気予報を信じたら馬鹿をみる。
とうとう、最初っから最後まで、一滴の雨も降りませんでした!
それどころか、全くの好天でした。
こんなことなら、ハッチシェルへ行っていたのにぃと思いながら、
夕方、もう殆ど満員のエスプラネードを花火見物の場所を求めて歩いていくと、
対岸(ボストン側)に、大きなTVスクリーンがあって、コンサートの様子を映し出しているではありませんか!
音声はもともと巨大なスピーカーで流しているので、これでコンサートの様子はばっちりわかります。
知らなかったぁ。これって、毎年あったのかしら?それとも今年から?
場所は殆ど花火の打ち上げポートの正面でした。
午後8時のコンサート開始から花火が始まる午後10時まで、2時間立っていることになりましたが、
巨大スクリーンでコンサートの様子が見られたので、あまり苦になりませんでした。
そして、恒例の「序曲1812年」のエンディングから始まった花火は、
打ち上げ場所の正面だったので、自分の方に向かって飛んでくるような、
天から降ってくるような迫力を堪能することができました。
もう5年も日本の花火大会を見ていないので最近の打ち上げ花火がどんなだか知りませんが、
ちょうちょ、Happy face、導火線を火花が辿るようにして火花が枝状に広がるもの等、
今年初めて見る花火がいくつかありました。
花火大会の時間は30分と短いのですが、殆ど間断無く花火が打ち上げられます。
特にフィナーレは、これでもかっというほどに一時に沢山の花火が上がるので、
まるで夜空が光で埋め尽くされ、その轟きたるや雷がいっぺんに100個ぐらい落ちたよう。
もう、殆ど閃光弾を浴びた状態です。<ほんと
「た〜まや〜、か〜ぎや〜」の情緒ある日本の花火大会とは、えらい違い。
でも、あれだけいっぺんに花火が上がったら、誰でもこれで終わりねって納得して帰るわね。

さて、今日は七夕。日本の夜空は晴れているのでしょうか。
織姫様と彦星様が会えますように。
ここには笹がないので、せめてHPの表紙を七夕で飾ってみました。
短冊に書かなくても、願い事は届くかな。

2000/7/3 (月)

気がつけば6月がすっかり飛んでしまいました。
今年は石楠花(しゃくなげ)がことの他見事に咲いた年でした。
(チューリップの花の期間が妙に長かったのと関係あるのかなぁ。)
そのことを書こうと思っているうちに石楠花の花の時期は終わり、薔薇が咲き、
オレンジ色の百合(かな?ニッコウキスゲみたいな花)の時期になっていました。
そして、明日は独立記念日。
去年は小沢征爾が「序曲1812年」を振るというので、ハッチシェルに聞きに行ったのです。
そのことを「たま日記」(「Boston体験記」に改題)載せなくちゃと思うこと一年。
ついに重い腰を上げてというか、重い筆をとって、いえいえ、重いキーボードを叩いて(<ありますかいな)、
去年の独立記念日を『ボストンたま日記』(「Boston体験記」に改題)にアップしました!
伝説の一年前の日記書き(<いつから伝説に?)、久々の登場です。
それから、5月にお馴染みポッキーさんと出かけた「Hidden Garden of Beacon Hill」もアップしましたよ〜。
ビーコンヒルの古い街並みにお庭なんて、あったっけ?と思ったあなたは、かなりのボストン通。
外からは覗けない、文字通りの Hidden Garden なんです。どうぞ、御覧下さい!

2000/5/27 (土)

huge teddy bear
今日は、ボストンから車で約1時間半西へ行った所にオープンした遊園地「SIX FLAGS」へ行ってきました。
以前からあったRIVERSIDEという遊園地が、全米にチェーン展開している「SIX FLAGS」に変わったそうで、キャラクター物は、Looney Tunes の動物達や SUPERMAN、BATMANが使われています。
1ヶ月前から週末のみの営業を始めたばかりで、このメモリアルデイ・ホリデーウィークエンドから連日営業になるようです。
詳しくは以下のURLを見てくださいね。
http://www.sixflags.com/newengland/nonflash.cfm

<<おまけ:このテディ・ベア、大きいでしょ〜!
こっちの遊園地には、ぬいぐるみを賞品にしたゲームが沢山あります。
これは、ソフトボールのボールをミルク缶に入れるゲーム($2)でBasilがゲットしたもの。
このクマ君は、ちゃんとシートベルトをして連れて帰ってきたんですよ。(バックミラーの半分がクマ君の顔になってしまって、ミラーを見るたびに可笑しかった。)

2000/5/14 (日)

Happy mother's day!
今日は母の日。「ありがとう」を言う立場から、言われる側にもなって5年目。
Mintは、2才頃から、デイケアで作った母の日用の作品を、毎年プレゼントしてくれています。今年も、ジュエリー・ボックスらしきものを作ってくれました。(写真左手前のリボンのついた箱。)
今年はそれだけでなく、他にも何やらいっぱい自分でプレゼントを作成した様子。
クリスマス用の余ったラッピング・ペーパーをあげたので、一生懸命包んでくれたプレゼントを並べたら、まるでクリスマスのような具合になりました。
この、ラッピング・ペーパーをふんだんに使ったプレゼント。(しかも、ちょうちょ結びにした赤いリボンもつけてある。)中身は、Mintの描いた絵が一枚ずつ入っているだけだったんです。
うわ〜、もったいない(ラッピング・ペーパーが)。でも、嬉しい。(^-^)
そのうち一枚の絵には、「おかあさんだいすき」と書いてありました。
(Mintが自分で考えて書いたのです。)
字が書けるようになって、そういうお手紙をよく書いてくれるMintですが、
こうして母の日に貰うと、この一年で文字で気持ちを伝えることができるように成長したんだなぁと感慨もひとしおです。
どうもありがとうね、Mint。

2000/5/9 (火)

今朝は確かに暑かったのです。
また今日も真夏並みかなぁと思って、風通しのいいブラウスにキュロット・スカート、
素足(<こっちでは、キュロットでストッキングをはいている人を殆ど見かけません)にサンダルで出かけました。
そして、一日室内にいて夕方外へ出たら、さ、寒いっ!この寒さは何!?
一気に真夏から春を飛び越えて冬の寒さに逆戻り。
さすが、ボストンだ〜〜〜。
ブルブル震えながら家に辿り着くと、そこには
"The air conditioning is on!"(御丁寧にギラギラ太陽のイラスト入り)の張り紙が…。
はぁ、遅いよ〜。
今日なんて暖房入れたいぐらいなのに、今頃になって空調が暖房から冷房に切り替わってしまったのでした。

2000/5/8 (月)

昨日に引き続き、今日も、暑かった〜〜〜。30℃は余裕で超えてました。
熱帯夜のようだった昨晩は、寝苦しくて早朝には目が覚めてしまいました。
うちは、ビルディング全体のエアコンディショニングが冷房に切りかえられるまで、冷房が使えないのです。
車で出かけても、ちょっとの間戸外に駐車しているだけで、車の中はオーブン。
ハンドルなんて、熱くて握れたもんじゃありません。
これって、夏より暑いかも…。

さて、今日は久々に更新があります。
まず、表紙に日曜日に行ったArnold Arboretum の満開のライラックの写真を飾りました。
それから、『たま日記』(「Boston体験記」に改題)に、ポッキーさんと土曜日出かけたPortsmouth を載せました。
折り悪く風邪で喉をやられていた私は、当日は森進一よりハスキーな声、というか殆ど無声音の人。
長いドライブ中、おしゃべりもままならず、申し訳なかったです。

2000/5/7 (日)

五月の晴れた日曜日は、ライラックの木陰でお昼寝♪

今、ボストンはハナミズキと八重桜とライラックが満開です。
今年は何故かチューリップの期間が長くて、チューリップとライラックが一緒に咲いているなんて、何となく変な感じ。
ライラックも早かった昨年よりさらに早く咲いた感がありますけれど。
車で走っていると、あ、あそこにライラック!あ、ここにも!と、今まで何気なく見ていた風景に
ライラックのあの薄紫色の花が浮かび上がって見えて、こんなにあちこちにあったんだと感心してしまいます。

満開のライラックの前でまったく真夏のように暑くなった今日、ライラックの木陰を求めて、いつもの Arnold Arboretum へ行きました。
私のために、本と敷物。Mintにはシャボン玉セットを持ってライラックの小道(勝手に命名)へ。

すれ違うサイクリングの白人の女の子の腕が、赤く日に焼けています。
サンブロックは塗っていても、じりじりと焦がすような強い陽射しでした。
途中にある池で、おたまじゃくしが孵っていないかチェック。
カエルの鳴き声は沢山していたけれど、おたまじゃくしは見当たらず。

正門から入って突き当たりをUターンするように右へ折れると、そこからライラックの小道が始まります。
(Arnold Arboretum には、ライラックが沢山植えられているコーナーがあるのです。
そこには、白から濃紫色まで、色々な段階の紫色のライラックが世界中から集められています。
日本からのもあるんですよ。)
ライラックは半分以上が満開で、まだこれからの木もありました。
ひとつひとつ香りをかぎながら木陰を物色。(注意:ライラックは低木なので真昼には木陰は殆どありません。)
本当にいいお天気だったので、あちこちで草の上にそのまま寝転がっている人達がいます。
小道の中ほどで、丁度いい場所を見つけて敷物を広げました。
Mintは中瓶1本を使い切るほどシャボン玉の生産に熱中。
そして、私はシャボン玉遊びを考え付いた人に感謝しながら、仰向けに寝転んで目を閉じ、
「ライラックって、何がいいのかなぁ」と途切れ途切れに考察していたのです。
…名前の響きがいいなぁ(日本語のリラも素敵)……香りがいいなぁ……色も素敵……花の形がかわいい?
……それとも5月に咲くからいいのかなぁ……
「おかあさん。」
ふと、上から声がして、何かが降ってきました。
白と薄紫のライラックの花穂ひとつずつと、ピンク色の釣鐘型のかわいいお花一枝。
あちゃ〜、摘んだらだめよって言ったのに。(だから遠慮して、一つずつだったのかも。)
もう摘んだらだめよ、とは言ったけれど、摘みたくなる気持ちもわかるなぁ。
どうせ摘むなら花穂の根元から摘んでくれたらよかったんだけれど(<オイオイ)、
Mintが持ってきてくれたのは、花穂の先端からMintの手でつまんで届く5cmぐらいの部分でした。
このまま残していくと萎れてしまうだけなので、家へ持って帰ることに…。(<良い子はマネしてはいけません。)
いつかリビア・ビーチで拾った貝殻にお水を張って浮かべたら、お花が生き生きと蘇りました。
甘い香りもそのままです。バスルームに置いておいたら、何だかいい感じ。
仕事があって、ライラック詣でへ行けなかったM氏へ、Mintの両手分だけ、ライラックのおすそ分けができました。

2000/5/1 (月)

いつものスニーカーはやめて、素足にサンダルで近所のマーケットへ出かけた。
ぽかぽかの陽気が嬉しかったから。
今日から五月。私の一番好きな月。

2000/4/30 (日)

今日は久し振りにお天気の良い週末の一日。
大分散ってしまったマグノリアやレンギョウ、白い花の木(名前がわからない)に変わって
今は白〜紅色のバラ科サクラ属の様々な木が花盛り。
まだちょっと肌寒くはあったけれど、こんな青空の日は満開の花の下でランチが食べたい!と思って近所の公園へ出かけた。
このHPにも度々登場しているWillow Park(命名by Basil)である。
何種類かあった花ざかりの木のうち、とりわけ気に入ったのが薄目の紅色の花の木。
それほど大きくはないけれど、一部の枝は地面に届かんばかりに垂れ下がり、
万年車に積んであるビーチ・チェアを持ってきて座ると、手の届く所に満開の花があって最高。
首を伸ばして花に顔を近づけると、ほんのりと甘く香る。
五弁の可憐な花は、つぼみほどその紅色が濃く、花が開くに従って紅の色が薄れていくようだった。
最初はM氏と一緒に日向でランチを食べていたが、紫外線が気になる年頃の私は、
強まった午後の日差しを避けて、垂れ下がった花の枝の内側へ椅子を移動し本を開いた。
横を見れば花のカーテン。上を見上げれば幾重にも重なる花の天蓋。
ああ、何て贅沢なんだろう。
隙間から覗く青空を、綿菓子をそっと一つまみつまんで浮かべたような雲がゆっくりと流れて行く。
目を閉じればまぶたの裏側に木漏れ日ならぬ花漏れ日が揺れているのを感じる。
遠くのあちらとこちらで、美しい鳴き声の鳥が鳴き交わしている。
時々ミツバチか何かの羽音が通りすぎる。
また目を開けて花の天蓋を飽きずに眺める。
思い出しては枝をたぐりよせて香りをかいでみる。
お腹の上に伏せられたままの本は、春の風にふわふわと飛んでいってしまいそうな私の心を
そっと押さえておくウェイトになっていた。

2000/4/28 (金)

火曜日のこと。同僚のマイケルの奥様から、電話がかかってきました。
マイケルはロシア人。もう50歳は過ぎていますが、成人したお嬢さんと高校生のお嬢さんの下に、一歳半の男の子がいます。
とても愛妻家で、日に2度は職場から奥様に電話をしているし、奥様から電話がかかってくることもよくあります。
ただ、その日は、電話のむこうで子供の大きな泣き声がしていました。
「マイケルは今いませんけれど。」
「それじゃあ、戻ったら電話するように伝えて下さい。彼は私のいる場所を知っています。
This is a kind of emargency.」
「Emergency!?」思わず聞き返すと、彼女は慌てて、
「いえ、緊急ってわけじゃないんですけれど、とにかく戻ったら伝えて下さい。」
と言って電話を切ってしまいました。
彼女の狼狽して泣いているような感じの話し方と、子供の泣き声がしたことが気になって、
私はマイケルが戻るまで待てず、彼を探しに行きました。
折り返し彼女に電話したマイケルによると、彼女と彼らの小さな男の子とが「キツネ」に噛まれたらしいというのです。
「キツネ!?」
いくら緑が多いといっても、彼女達がいた隣街のニュートンはひらけたところで、
とてもキツネが街中に出てくるようなところではありません。
マイケルも、「う〜ん、彼女はキツネと言っていたけれど、ラクーンかもしれないね。」と言いました。
いずれにしても、そういう動物に噛まれたら注射などの処置が必要なので、
マイケルは彼女達を救急外来へ連れて行くために帰って行きました。
そして、今日マイケルに会って、その後のびっくりするような話を聞いたのです。
彼女が言った通り、彼女達を噛んだのはキツネだったこと。
場所はニュートン・センターの大通り=本当に街中だったこと。
最初は彼女の話を警察も笑ってとりあってくれなかったのに、
その後さらに噛まれた人が出て(計6人)、いざそのキツネを射殺して調べたら、なんと狂犬病に罹っていたこと。
救急外来で6時間も待たされたこと。奥様は予防注射を日に6回も受け、
小さな坊やも5mlもの筋肉注射(1歳の子の小さな腕に!)をしたこと。
恐ろしい話です。狂犬病だったとは…。
最初はマイケルのかなりアクセントのある英語のせいで
「キツネを捕まえて調べたらウサギ(ラビット)だっんだよ。」
と言ったのかと思い、笑ってしまった私でしたが、
ラビットではなくて、レイビーズ(rabies=狂犬病)とわかって、最初に笑ってしまったことが申し訳なくていられませんでした。

◆---------------------
気が付けば、このHPを始めてから2年が経っていました。(1998年3月開設。)
二周年を記念してというのは大げさですが、かねてよりpendingであったProfileのページを、思いきって作ってみました。
これまでにも何度か、Profileがあった方がいいのでは?というメールを頂いていたし、
自分が人のHPを見る時には、まずプロフィールから読むくせに、
横着をして今まで自分のHPにはProfileを載せていなかったのです。
でも、やはり恥ずかしいので、Profileへのリンクは、表紙のどこかにこっそり隠してあります。
Basilってどんな奴?と興味のある方は、表紙のどこかをクリックしてみて下さい。
(リンクされているところにカーソルを当てると表示が出るのでわかります。)
二年熟成Profile、写真付きです。

2000/4/14 (金) その2


tulip
チューリップの誘惑

毎年、春の初めのある日、発作的にチューリップの花束を買ってしまいます。
チューリップの切花は、日本でもアメリカでもそれなりの御値段。
その割りには日保ちがせず、すぐに花弁(というかガクですけれど)が開いて散ってしまうので、
普段は買うことはありません。
でも、その主婦的経済観念がチューリップの誘惑に負けてしまう日が、毎年、春のとある日にやって来るのです。
今日がそんな日でした。
今年私が選んだのは、花芯が白く次第に淡い桃色がさす小ぶりのもの。
食卓に飾ったら、我が家にも春がやってきました。

2000/4/14 (金)

月曜日に日本から帰ってきました。
約2週間ぶりのボストンは、木蓮・こぶし・桜・れんぎょう等の花が咲き乱れて、すっかり春。
4月からサマータイムに切り替わったので、Mintを迎えに行く5時半頃の陽の高さが、
これまでの3時ぐらいに感じられてすごく変な感じです。
近所の横断歩道も皆、何故か白線が横線だけ黄色に塗り替えられていました。
ほんのちょっとしか留守にしていなかったはずなのに、
季節が景色が時間が日常が変わっていて、ちょっとした浦島太郎気分を味わっているところです。

一時帰国しているほんの2週間の間に、北海道では有珠山が噴火し、
現役首相の入院による政権交代(というか、継承)が起こりました。
天変地異ならぬ政変地異の最中にあって、こんな事を書くと不謹慎かもしれませんが、
個人的には、ずっと憧れていた日本の桜でお花見をし、
アメリカでは決して味わえない素材も味も満点の和食を頂き、
日本酒に凝ったお店で色々な銘柄を飲み比べをし、
目と舌と心の保養をすることができて、とても幸せでした。

2000/3/23 (木)

先週末は雪が降って少し積もりましたが、それも間もなく溶け、
今はクロッカスと水仙があちこちで咲いています。
チューリップの芽も大分背が高くなってきました。
箒になっていた木の枝に、小さな緑がちょんちょんとついているのが見えると、
思わず微笑んでしまいます。
常緑樹の枝先にも、緑の色も瑞々しい新芽が覗いています。
これを見ると、いつも真新しい制服を着た新入生(中学生)を連想してしまうのです。
身体もまだ小さくて、制服の色が上級生と並ぶと明らかに新品とわかる新入生。
でも一年経つとすっかり貫禄がついて、次の新入生が、また明らかに違って見える。
ね、そっくりだと思いませんか?

今日から2週間ほど一時帰国します。
日本の桜の花を見るのは5年ぶりになります。
御花見ができるといいなぁ。

2000/3/7 (月)

クロッカスが咲き始めました!
すみれの花も気の早いのが咲き出しました。
まだ日当たりのいい辺りが咲きだしたところですが、いよいよ春ですね〜。
今日は雲一つ無い青空が広がる、本当に気持ちのいい一日でした。

2000/3/4 (土)

日が落ちるのが本当に遅くなってきました。
早い時には4時半には真っ暗になっていたのに、今や5時半に娘をPre-school迎えにいってから日没を見ることができます。
ここ1〜2週間の陽気で、チャールズ・リバーを始めとして凍っていた川や池が皆とけだし、
久しぶりに陽光にきらめく水面を見せています。

毎年、なんとなく暖かくなってくるとウキウキ・ソワソワしてくる私。
3月のすみれから始まって6月の薔薇まで、心に記した「花暦」を抱いて、
何かが芽をだしたといっては喜び、蕾をつけたといっては幸せになり、咲けばまたうっとりしているのです。
以前からこのHPを見て下さっている方は、毎度のことなのでよく御存知ですよね。
というわけで、今年もさっそく「春」を探しにArnold Arboretumへ行ってきました。
探索の「収穫」を『たま日記』(「Boston体験記」に改題)に載せましたので、是非御覧下さいね。

さて、今日もまたいい陽気だったので、早春の浜辺を散策してきました。
ボストンに近くて、浜辺のそぞろ歩きにぴったりの海岸といえば、リビア・ビーチ!
(って、私が勝手に思っているだけなのですが。)
南北に長く弧を描くように伸びているリビア・ビーチは、端から端までゆっくり歩けば30分ぐらい。
途中で貝を拾ったり、カニのハサミや、海草を拾ったりする作業に手を染めると(<Mintです)、無限に時間がかかります。
今の時代、30分もただ真っ直ぐに歩いて行ける所なんて、海岸ぐらいしかありませんよね。
夏にはビーチ・チェアが並ぶ海岸も、この時期はそぞろ歩きやジョギングの人ばかり。
もちろん、海に入っている人などいないので、打ち寄せる波頭が見渡す限り続いて見えます。
極端に遠浅の海岸なので、そぞろ歩きをしているうちにもどんどん潮が引いていき、
新しく広がった砂浜が鏡のように青空を映し出すのです。
しばらく海を右に見て波打ち際を北へ向かって歩いてから、くるりと反対向き(海を左)に歩き出して気が付きました。
「わあ、見え方がぜんぜん違う!」
それは、冬の太陽が低い位置にあるせいかもしれません。
逆光になる南向きの方が、水に濡れた砂浜の輝き方も波頭のきらめきも、断然素敵なのです。
遥か彼方まで続くレースのような白い波頭。
打ち寄せながらだんだんと細く、輝くビーズを連ねたネックレスのようになり、
ついには糸が切れて弾け散るように消える。
その繰り返し。
嘆息。
波打ち際を歩く向きによって、こんなに景色が違って見えるとは知りませんでした。
もし、これを読んでリビア・ビーチをそぞろ歩いてみよう、と思われましたら、
是非両方向歩いてみて下さいね!
(リビア・ビーチが登場する『たま日記』(「Boston体験記」に改題)は、'98年の8月22日(謎編)と9月6日(解決編)です。)

2000/2/29 (火)

今日は、4年に一度のうるう年。
しかも「百で割り切れる年はうるう年にしない」という規則の例外で、
今年は400年に1度の特例のうるう年にあたるらしい。
先にその日を迎えた日本では、「郵貯ATM1200台が一時故障」、
「気象庁のアメダスがデータ異常」等のトラブルが発生したようだ。
この国ではどうなのかな?

取り敢えず、今日のボストンは快晴!
そして、すみれの私的定点観測地点には、気の早いヤツが顔を出して、
葉の奥の方に蕾がのぞいていた。
ちょど、去年の3月5日の『たま日記』(「Boston体験記」に改題)と同じぺースです。
去年はその直後に雪が降ったんだったっけ。
今年はどうかな?

2000/2/27 (日)

昨日から今朝にかけて霧がたちこめており、窓からの眺めはなかなか幻想的であった。
その霧もいつのまにかすっかり晴れて、午後にストロウ・ドライブを走ったら、
BU(ボストン・ユニバーシティ)の土手やエスプラネードは、日光浴を楽しむ人達で賑わっていた。
ベンチというベンチには人が座っており(交差点の中州のベンチにまで)、
芝生に転がる若い人達(年寄りくさい言い方ですね〜)の中には、気の早い半袖姿も見られる。
毎年この時期に思うことだが、ボストンの人達の「春めいた陽気」に対する敏感さと貪欲さには、
本当に感心してしまう。
それこそ、つくしかふきのとうかといった具合に、
寒さが緩んでちょっとでも日光浴ができそうな陽気になると、
皆が一斉に外に出て芝生やベンチは満員御礼になってしまうのだ。
今年は寒さが厳しかった期間は短かったが(というか、ここ数年そうだが)、
ここのところ根雪があって、芝生に転がって日光浴を楽しむことはできなかったからね。
春先、ボストニアンは木の芽・草の芽並みの敏感さで行動するのである。

さて、今回新しく、歴代表紙に登場した写真のコーナーを作った。
昨年の春から、ごくたまに表紙に季節を感じさせる写真を載せたりしていたのだが、
先日まで載せていた凍ったチャールズ・リバーの写真をはずす時に、
なんとなくこのままお蔵入りにするのが忍びなくて、
これまでの写真と合わせて飾ることを思い付いたのだ。
表紙のレイアウトの下の方にあるリンク、もしくはここから御覧下さい。

2000/2/23 (水)

今日は暖かい日でした。コートを脱いでシャツの袖をまくって歩いたぐらい。
予報では、今週中はこの暖かさが続くようです。
これで根雪もきれいに消えることでしょう。

今日お散歩をしていたら、雪解け水で水量を増した小川が、気持ち良く流れていました。
♪は〜る〜のおがわは、さらさらゆくよ〜♪って、このことなのかなぁ、
などと思いながら歩いていました。
そして、全く唐突に忘れていたある歌の歌詞を思い出したのです。
それはここ数年というもの、時々サビの部分を歌ってみるものの、
出だしの数小節がどうしても思い出せず、悶々としていた歌でした。
日本にいれば、すぐに確認できたのでしょうが、こちらではそういう訳にもいかず、
たまに日本人の友達に、この歌知らない?なんて聞いたりしていたのです。
それが、本当に何の脈絡もなく突然に頭に浮かんできて、
あれ?思い出した、と気が付いた時には、すらすらと全部思い出せていたのでした。
いや〜。いったいこの数年間、何処にしまわれていたのでしょう?
あんなに思い出そうとしても出てこなかったのに。
何だか可笑しくなって、一人で笑ってしまいました。
記憶って、そんなものなのかなぁ。
記憶喪失の人が記憶を取り戻すのも、こんな感じなのかしら。
私の頭の中も、「雪解け」したのかな?

2000/2/21 (月)

そり!
今日は Presidents' Day で3連休の最後の日。
金曜日にかなりの量の雪が降ったので、この連休は絶好の冬のレジャー日和でした。
しかし遠出をする当ての無い我が家は、連日近所でそり遊び。
先日も出かけた「Larz Anderson Park」は、やはり「そりのメッカ」のだったようで、
沢山の人達(大人だけのグループも結構いました)が滑っていました。
斜面が混雑しているので(登るのに斜面の中央を歩く無謀な子達もいるし)、
あちこちで"Watch out!!!"という叫び声(byそりで滑っている人)が
声が聞こえます。
実際に衝突することもあるので、スキーより怖いかも…。
ふと見ると、先日見つけて胆が冷えた立て看板(2月6日参照)が新しくなっており、
前の8倍ぐらいの面積に倍ぐらいのフォントで書かれて立っていました。(左写真がそれ)
写真には写っていませんが、この丘は、頂上からボストンの高層ビル(ジョン・ハンコック・タワーやプルデンシャル・タワーなど)が見えて、すごく見晴らしがいいのです。
ふもとから見上げれば、白い頂きの上に広がる真っ青な空に、飛行機雲が下の方に向かって伸びて行きます。
地球って丸いんだなァ…。

そんな絶好のそり場の「Larz Anderson Park」の難点をしいてあげるなら、駐車場が丘の上にあること。
何しろ、ほんの数十秒のスリルのために、数分かけて斜面を登るのです。
やっとこさ登ると滑り降りなきゃもったいない気がして、ついつい滑ってしまい、
なかなか駐車場へ足が向かないのでした。(^-^;)

2000/2/16 (水)

昨晩のうちに少し雪が降ったようで、朝起きてみたら窓から見える屋根や駐車している車が、
うっすらと白くなっていました。
新しく積もった雪のせいで、その下に凍った地面があっても見えず、
うっかり普通の調子で踏み込んでしまうと転びそうになるので、すごく危険です。
ここのところの暖かさで木々の芽もずいぶんと膨らんできましたが、
予報ではまた明日から最高気温が零下の日が続くとのことでした。
春はまだまだ先の、ボストンです。

◆小さな恋の物語◆
MintのクラスのZ君は、どうやらMintが好きみたい。
先週末はZ君からお誘いの電話があって、Mintは彼とプレイ・デイトをしました。
以来、MintもZ君が良くなったらしくて、二人は急接近。
今日Mintを迎えに行くと、先生がふたりのラブラブぶりを教えてくれました。
それだけでもびっくりしてしまった私ですが、帰りの車の中で、Mintに
「Z君と仲良しなんだって?」
と水を向けたら、さらに仰天発言が…。
「うん。MintとZは大きくなって大人になったら結婚するんだよ。」
「えぇ!」
「Zがね、"When we grow up, could you marry with me?"(原文のまま)って言ったの。」
「で、Mintは何て答えたの?」
「"Mmm..., sure!"って言ったの。」
おぉぉ、ついに来たか〜。
こういうのって、この年齢特有ですよね。
小さすぎては解らない。ちょっと大きくなると照れ臭い。
その中間の今だけ紡げる、「小さな恋の物語」。
今日は、まだ「プロポーズ」なんて言葉も知らないMintが、初めてプロポーズされた記念日です。(^-^)

2000/2/14 (火)

Happy Valentine!

今日は午前中激しい雨が降りましたが、午後にはあがり、比較的暖かい一日となりました。
今日で根雪も大分溶けたことでしょう。

さて、今日は Valentine's Day。
日本では、女性が本命や義理でチョコ等のプレゼントをあげますが、
アメリカでは、例えばMintの通っているPre-schoolでは、
今日はValentine Party で、クラスの全員とカードの交換をしました。
家族でプレゼントをあげたりもするので、我が家では、御覧のようになりました。
Mintの着ているパジャマはBasil作のプレゼント。
『Handmade by Basil』に、このパジャマを載せました。)
大きなハート(チョコレート入り)とテディ・ベアはM氏からのプレゼント。
偶然、M氏のプレゼントとパジャマの柄(くまがハートを抱えている)がそっくり!
今Mintは、このパジャマを着て、プレゼントのくまと眠っています。

2000/2/9 (水)

煙で霞んでいる
今日はいいお天気。
でも、お昼過ぎにふと窓から外を眺めると、太陽が照っているのに霧がかかっていたのです。
いつもなら凍った水面が見えるリザボア(貯水池)も、
ボストン・カレッジのきつねの耳のような尖塔も霞んでしまって見えません。
変なお天気。これは、写真に撮っておかなくちゃと窓を開けたら、
「け、煙い。これって、霧じゃなくて、煙?」
もし、煙だとしたら、あたりを覆いつくすほどの煙が出るのは、
大火事か山焼きぐらいしかありません。
慌ててTVをつけると、盛んに黒い煙を出して燃えているビルが映し出されました。
場所はうちから車で5分は離れているチェストナットヒル・モールの向かいでした。
(住所としては、Newton市になります。)
棟続きのビルが懸命の消火活動にもかかわらず燃え盛っています。
その時のニュースでは、ビル内の人は全員非難できたようだと言っていましたが、
後に4名の行方不明者と1名の死者がでていることがわかりました。合掌。

2000/2/6 (日)

そり遊びの楽しさに目覚めてしまった Mint。
近所の「斜面」では物足りなくなってきて、より長い斜面を求めて今日は少し遠くまで行ってきました。
行く先は、『たま日記』(「Boston体験記」に改題)にも何度か登場している、Brooklineにある「Larz Anderson Park」。
敷地自体が小高い丘になっている「Larz Anderson Park」は、車で入ると(車道は一方通行で公園を横断している)、
登りの丘の中腹に交通博物館があり、丘の頂上に市営スケート・リンク(小さい子連れにはおススメ!)があります。
そこから丘を下って行く道の左手側が広い草原のなだらかな斜面なので、
きっとソリ遊びに向いているだろうと思ったのです。
スケート・リンクの横を通り過ぎる時に、Mintに「スケート」と「そり」とどっちがしたいか聞いてみると、
「『そり』の方がいい。だって『そり』のほうがスピードが出るから。」
確かにMintのスケートは、歩くのがやっと程度だから「そり」で滑る方が断然速い。
結構理屈の通った事を言うもんだと、笑ってしまいました。
斜面に着くと、予想通り、そりで滑っている人達が何組かいました。
しかし、その滑るスピードたるや思わず引いてしまうほど。
斜面が長い上に雪がアイスバーンになっているので、弾丸のようにすっ飛んでゆくのです。
そして、不安をあおるような警告の札が立っています。
"USE HILL AT OWN RISK"
きっと毎年そりで怪我人が出てるんだろうなぁと思わせる交通標識のような立札。
斜面の終りの中央に、邪魔な立ち木も見えるし…。
丘の上でしばらく迷っていましたが、結局滑る事にしました。
そして解ったのは、弾丸のように滑り降りる方が、技術がいるということだったのです。(^-^;)
しかし、近所の斜面とは比べ物にならないスリル満点のその斜面。
今度から、そりはここで滑ろうと決めたのでした。

2000/2/1 (火)

今日、いつも行くBread & Circusというマーケットで、すごく新鮮でかつ安い鯖を発見。
体長40cmぐらいの鯖が、1尾で$5($1=107円かな)しなかった。
安い方の切り身の魚でも$5.99/lb(ポンド=454g)するので、いくら頭に尾ひれがついているとしても$2.99/lbは安い。
しかも傷み易い鯖なのに、今にも泳ぎ出しそうな生きの良さ。
塩を擦り込んでニンニクで香りをつけて(そのニンニクは腹に)、胡椒を挽いて、タイムもまぶして、オリーブ・オイルのスプレーを一吹きして、オーブンへ。
(魚焼き網は使えないけれど、大きな魚でもオーブンで丸焼きできるのが便利。)
すごく美味しかった〜。
ボストンは、お魚(食料としての)には恵まれていると、またしみじみ思ったのでした。

2000/1/29 (土)

毎日寒い日が続いています。
この寒さで、チャールズ・リバー(ボストンの大きな川<すごいアバウトな説明だな〜)が、
久し振り(1〜2年ぶり?)に凍ってしまいました。
そこで、表紙に凍ったチャールズ・リバーの眺めを載せました!
雪の川面に足跡がついていますが、実際私が見ている間にも、凍った川を歩いて渡っている人がいました。
こっちへ来たばかりの時に、毎年これで氷が割れて川に落ちる人がいるって聞いたのですが…。

2000/1/25 (火)

今日も雪が降りました。
午前中に集中してかなり降ったため、Mintの通っているPre-schoolから、今日は早く閉めますと連絡が来ました。
普段は午後5時半のところを、午後2時に迎えに行きましたが、
その頃には雪は止んでいたので、これはチャンスと、ソリをしに出かけました。
平日の昼間だというのに、いつものソリ遊びをする場所は、子供達でいっぱい。
今日はさほど寒くなく、本当に良い雪遊び日和でした。

2000/1/20 (木)

ボストンは、この1週間ほど、最高気温が零下の日が続いています。
数日前は二夜連続でに轟々と鳴り響くような強い風が吹いて、
瞬間風速が55mph(時速100km!)にもなったそうです。
今日は、午後から雪が降り始め、あっという間に5cmぐらい積もりました。
幸い今日は風が無く、帰り道、立ち止まって天から落ちてくる雪を眺める余裕がありました。
何しろ気温は零下なので、服についた雪も溶けません。
Mintにコートに付いた雪の結晶を見せてあげると大喜び。
二人でしばらく夢中になって、壊れていない完璧な形の雪の結晶を探しました。
あんなに美しく完璧な造形が自然に作られるなんて、本当に不思議ですね。
きっと科学的に説明ができるのでしょうけれど、何となく「雪の精」という言葉が心に浮かんでくるのです。

2000/1/16 (日)

一昨日から昨日にかけて、ボストンは冷凍庫より冷えており、体感温度がマイナス30度!にもなりました。
あんまり寒くて昨日は外にでられませんでしたが、今日は少しは暖かくなったので、
さっそくソリで遊んできました。
歩道や車道など、除雪がされたところにはもう雪はありませんが、
近所のフィールドには、この寒さで木曜日の雪が殆ど溶けずに残っています。
夏にムービング・セールで手に入れたソリは二人乗りできるので、
M氏と交代でMintを前に乗せて滑りました。
ソリなんて、実は私は生まれて初めて滑った気がします。(M氏もそうらしい。)
Mintを楽しませる以上に積極的にガンガン滑ってきました。(^-^)/

2000/1/13 (木)

ついに、この冬初めて雪が降りました!
(正確には、ちらついた事はあったようですが、一瞬のことだったらしいです。)
雪の降らない期間記録を更新中だったので、本当に久し振りの雪化粧の街。
なんだか、旧友と会ったような感慨を覚えます。
雪道を運転するのも久し振りなので、恐る恐るです。
夕方には、10cm以上も積もって、やっとボストンの冬らしくなりました。

さて、細々と続けてきたこのHPも、昨日カウンタがついに10000を突破しました。
記念すべき10000人目の御客様は、カンザスのくらげさんでした。
私の拙いHPを見に来て下さったみなさん、どうもありがとう!
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2000/1/12 (水)

今日はよいお天気でした。
天気予報によると、明日は雪が予想されています。
実はMintには、冬の初めにスノー・ブーツを買ってあります。
珍しく用意のいい事をすると、こういう目にあうのか(この冬、雪はまだゼロ)と思い、
まだ履いていないから返品しようかと考え始めたところでした。
明日は、ついにこの冬初めての積雪がみられるのでしょうか?

==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==x==

いつも行く郵便局の並びに、Trader Joe's というスーパーがあります。
全米(多分)展開しているにチェーン店で、お店のブランドのカリフォルニア・ワインは安くて($3.49)美味しいし、
冷凍の餃子やシューマイも意外といけるので、重宝しています。
今日行って見たら、1月の目玉商品で SAPPORO の黒ラベルが6本(355ml/瓶)で$5.49とお買い得になっていました。

ボストンの酒屋さんでは、キリンの一番絞り、サッポロの黒ラベル、ヱビスビールが手に入ります。
(日本酒も売っていて、月桂冠、大関、松竹梅などが棚に並んでいます。)
アメリカへ来たばかりの頃は、それらのビールや、また比較的日本のビールと味が似ている
アイルランドのビール HARP を飲んでいました。
でも、間もなく地元のビール Samuel Adams がとても美味しいことを発見して、そればかり飲んでいたら、
その濃い目の味に舌が馴染んでしまって、今や他のビールでは何となく物足りなく感じるのです。

しかし、安いとなれば話は別。久し振りにSAPPORO の黒ラベル、飲んでみます。

2000/1/5 (水)

昨日、記録的な暖かさを話題にしたら、今日はなんと零下の寒い1日となりました。
さすが、ボストンですね〜。
この気温の急激な変化で、風邪ひきさんが増えることでしょう。

2000/1/4 (火)

昨日の暖かさは、歴代の最高記録を68年ぶりに更新したほどで、
なんと64F(17.8℃)もあったそうです。
これが真冬の最中のボストンだなんて、とても信じられない。
4年前の今頃はスノウストームに次ぐスノウストームで、空港は閉鎖され、
道は雪で埋まり、気温は当然零下だったというのに。

この冬は、本当にこのまま終わるのでしょうか?

2000/1/3 (月)

今日のボストンは、春になったかと思うほどの暖かさでした。
まだ雪も降らないし、95〜96年の冬と比べるとまるで気候帯が変わってしまったかのようです。
ところで、前回の更新暦に21世紀の幕開けと書きましたが、2000年を20世紀に入れるのか21世紀に入れるのかは、
400年前から西洋では争点になっている問題だそうです。
日本では、1900〜1年の時に前者の立場をとると福沢諭吉が定めたそうで、
そうすると今年は20世紀最後の年というのが正解になります。
(私は高校の世界史で後者と教わった気がするのだけれどなぁ…。)
これについては、検索したらものすごく詳しいHPがありましたので、興味のある方はどうぞ。

さて、今日は『ボストンたま日記』(「Boston体験記」に改題)『Handmade by Basil』を更新しました。
どちらも去年のクリスマスの話題ですが、サンタに会ったMintがどうしたか、ぜひ御覧下さいね!

2000/1/2 (日)

明けましておめでとうございます!
いよいよ21世紀の幕開けですね。

大晦日の日、我が家はグリニッジ世界標準時間に合わせて行われた「キッズ・カウントダウン」に出かけました。
ボストンでは、世界標準時間に合わせ、全米に先駆けてイベントを行う
と市長が宣言したのが秋のこと。
その時はボストン全体のカウントダウンが世界標準時間で行われるように言っていた気がしたのですが、
いつのまにかそれは「子供向け」のカウントダウンとなっていました。
世界標準時間の午前零時は、アメリカ東海岸の前日午後七時です。
この時間なら、子供連れでもカウントダウン+花火に参加できる、というわけで、
毎年TVでカウントダウンを見ていた我が家も出動です。
開場のザ・ボストン・コモンはすごい人の海で、公園周囲の道まで埋め尽くし、
道一本を隔てて隣接するパブリック・ガーデンまでにも及んでいました。
いつもの如く出遅れた我が家は、仕方なくパブリック・ガーデンのザ・コモンとは反対側の端で
カウント・ダウンに引き続いて打ち上げられた花火を見物しました。
花火の後は、人の波に従って、ボイルストン・ストリート(車両通行止め)を西へ進み、
トリニティー・チャーチ(アメリカ最古の教会)前の広場へ。
広場には、大きな氷の彫刻が二ヶ所に飾られていてやはりすごい人ごみ。
パブリック・ライブラリーに面した所ではチャンネル7が中継をしていました。
道行く人たちは、2000メガネ(「2000」の真中の0二つがメガネになっている)をかけたり、
色とりどりのプラスチックでできたシルクハットもどきを被ったり、
60cmぐらいはあるラッパ(ホルンのようないい音がする)を吹いたり、
フェイス・ペインティングをしていたり、皆とても盛り上がっています。
特にその長いラッパは、通りのあちこちで絶えず誰かが吹いており、
私も是非とも吹いてみたかったのですが、もうどこにも売っていませんでした。

帰宅後、午前零時の本当のカウントダウンは、テレビで見ました。
ボストンとNYのタイムズ・スクエアの同時中継が、画面に並べて写し出されていたのですが、
NYの電光掲示板の数字より、ボストンのパブリック・ライブラリーに映し出された数字の映像の方が
数秒早く2000年になってしまったのです。
NYの電光掲示板の方が信じられる気がしたので、我が家はそちらに合わせてカウントダウンをしましたが、
文字通りの「世紀の瞬間」に、ボストンとNYで時差(秒差?)があったとは…。

明けて元旦の昨日は、お雑煮や簡単なおせち料理と、
この日のために秘蔵しておいた日本酒とで新年をお祝いしました。
やはり新年は日本式の「お正月」がいいと、あらためて思う米国生活5回目の元旦でした。


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