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04/2/22 (日)

前回の記録から2年の月日が経ちました。
私が帰国してからも2年が経ったことになります。
Patrotsはスーパーボールでまた優勝し、前回「once in a lifetime」とアナウンサーが言っていたパレードが、また行われた事でしょう。
この冬、雪が多かったボストンは、春の兆しはまだまだ先でしょうか。

全く放置していたこのHPですが、このページを含め、いくつかのページを置いていたフリーのサーバーが1月から有料となり、知らない間にページが消えてしまっていました。
これを機会に、HPを閉じてしまうべきかとも考えました。
でも、9.11以前の自由の女神像の王冠から眺めたワールドトレードセンターの写真や、
9.11の日の自分の記録、その他諸々の数年間に渡る記録を消すのは忍びなかったのです。
ボストンの今の情報を知りたくてこのHPに行き当たった方には、情報の古さをお詫びしなければなりません。
今でも変わらずある行事、ボストンの季節の移り変わりといったことを知るのに、このHPが少しはお役に立てることを願っています。

02/2/5 (水) Patriots' Victory Parade

オフィシャルなチャンピョンシップのキャップとTシャツを身に付け、2月4日のBoston Globeの一面を読むMintCongratulations!
New England Patriots

Super Bowl XXXVI

Champions!


先週の日曜日、New England Patriots は、ニューオリンズで行われた Super Bowl で
St. Louis Ramsを20対17で下し、NFLの覇者となった。
5年振り3度目の挑戦にして、初めての優勝である。
前回同じくニューオリンズでSuper Bowl を戦った時は、黄色と緑のユニフォームのGreen Bay Packersが相手で、
その時もTVにかじりついて応援したものだが、応援の甲斐虚しく負けてしまった。
あの時は、相手が強かった。それから5年。
今回も、事前の下馬評(なんと、オッズが1対90)が圧倒的Patriotsが不利であったにもかかわらず、
蓋を開けてみたらセカンド・クォーターから終始Patriotsがリード。
同点に追いつかれて両チームの応援が最高潮に達した最終クォーターで、
Patriotsの攻撃、4thダウン、試合残り時間7秒、ゴール手前48ヤードからフィールドゴールを狙い、
ボールがゴールポストの中央を綺麗に抜けて落ちる間に試合時間終了となる、感動的な幕切れの勝利だった。
アメリカ中のSuper Bowl の視聴率が40%を越えていたそうだが、地元のここでの視聴率は相当なものだったに違いない。
今日は凱旋して来たチームのVictory Paradeがあったのだが、外の気温は昼間でも零下の寒さであったにもかかわらず、
スタート地点のCopley Squareから終点でセレモニーのあったCity Hall Centerまで、沿道は声援を送る人で埋めつくされ、その数およそ125万人!
平日の昼間であるのにこの人出は、大人も子供も仕事や学校を休んで、あるいは昼の休憩を延長して残業して、
この一生に一度あるかないかのイベント(中継のアナウンサーがそう表現していた)であるこのVictory Paradeを見にやってきたのだ。
私もボストンで暮らして7年。5年前PatriotsがSuper Bowlで惜しくも破れた時からいつかまたPatriotsがSuper Bowlで戦う日を心待ちにしていた。
今シーズンは、早々にQBのブレッドソーが故障で休んでしまったため、全く期待していなかったのに、
気が付いたらPatriotsはSuper Bowlに出ることになっていて、とうとうChampionになってしまって、
もうこれは、Paradeを見に行くしかないではないか。<理屈抜き
というわけで、沿道で見てきました。
Paradeだからオープンカーなのかと思ったら、選手達が乗っていたのは、ボストン名物
「ダック・ツアー」の水陸両用車の最後尾のオープンスペース!
もう、この感覚、最高です。
後ほど、写真と記事を「ボストン体験記」に載せようと思います。

左の写真でMintが身につけているのは、NFL公認のPatriots優勝を記念した帽子とTシャツです。
この帽子は試合後のインタビューで選手も被っていたので、そういう商品戦略にまんまとひっかるミーハーな私は、
昨日から予約してなんとか今日手に入れたのです。嬉しい(^-^)


▼パレードの記事
http://www.boston.com/sports/patriots/superbowl/news/0205_parade.htm
▼勝利翌日のBoston Globeの一面記事の画像
http://www.boston.com/sports/patriots/superbowl/globe_pages/020402_page1.jpg
▼勝利翌日のBoston Globeのスポーツ欄トップの画像
http://www.boston.com/sports/patriots/superbowl/globe_pages/020402_sports.jpg
▼Super BowlのPATSのPCの背景用写真をダウンロードできるところ
http://www.boston.com/sports/patriots/superbowl/wallpaper.htm
▼Super Bowl公式HP
http://www.superbowl.com/
▼NFL公式HP
http://www.nfl.com/
▼Patriots公式HP
http://www.patriots.com/

02/1/29 (火)  童話は心の故郷

リンドグレーンが亡くなった。
>アストリッド・リンドグレンさん94歳(スウェーデンの女性児童文学者)28日、ストックホルムで死去。

私はリンドグレーンの書いた本が大好きだった。
子供の頃に読んだきり、未だに読み返す機会は無いけれど、
私は今でも小学校の頃のリンドグレーンの本が大好きだった自分を思い出すことができる。
やかまし村シリーズも、名探偵カッレくんのシリーズも、ながくつしたのピッピのシリーズも、大のお気に入りだった。
ロッタちゃん、エーミール、ラスムス、その他にも沢山あった。
多分、私が著者で本を選ぶようになったのは、リンドグレーンが一番最初だと思う。
好きな作家等という表現はあの頃は知らなかったけれど、小学校低学年の頃にそう聞かれたら、
きっと私は海外はリンドグレーンで国内は佐藤さとると答えたことだろう。
もう○十年も前に読んだきりなのだけれど、表紙や挿し絵の感じは今でも覚えている。
そういえばやかまし村の本で、イースターという行事を初めて知った。
あの頃はどんな行事なのか皆目見当がつかなかったけれど、アメリカにきてエッグハントをしたものなぁ。
名探偵カッレくんを読んだせいで、私はしばらく探偵に憧れていた。
カッレくんが、「探偵業第1課」とよく言うので、私も真似をして言っていたなぁ。
スパイ手帳(歳がばれる)を後生大事に持っていたのもこの頃だった。
カッレくんは架空の聴衆に向かって自分の推理を披露するのだけれど、
この「架空」という私にとって初めて見る言葉が、意味を聞いてもどうもしっくりこなくていつまでも違和感があったっけ。
リンドグレーンや佐藤さとるの本は、小学校の図書室の、あの暖かい明るい部屋の記憶と結びついて今も私の心の片隅に存続している。

受験生の頃、ふと気まぐれで小学生の頃愛読していた「赤毛のアン」を読み返してみた。
そうしたら、今までどこで眠っていたの?と思うぐらい、あっという間に私の大好きだったアンが心の中に蘇ってきて、
まるで何十年か振りで故郷を訪れたかのような懐かしさと嬉しさが心に満ち溢れたものだ。
アンだけではなく、ジルシャー・アボットや、カッレくんや、ジョーや
その頃私が何度も繰り返して読んだ大好きだった主人公や本のことが次々と思い出されてきて、
今まで思い出すこともなかったけれど、私の心の中で彼等はずっと生きていたんだなぁと、胸が熱くなった。
そして 童話は心の故郷なんだと、その時悟った。
私は東京生まれの東京育ちで、故郷と呼べる場所は無いけれど、
私の心の中に故郷があったんだなぁと、とてもうれしかった。
いつか大人になって、自分の子供がこれらの本を読む時に、一緒にもう一度読み返そうと思ったものだった。
そして、もう間もなくそういう時期がくるだろう。
私は今からとても楽しみだ。
Mintと私は、心の中に同じ故郷を持つことができるかもしれないね。

本の楽しさを私に教えてくれたリンドグレーン。どうもありがとう。
これからも世界中の子供達があなたの本を読み継いでいくことでしょう。
私も、娘と一緒に、またあなたの本を読んで行くつもりです。
どうぞ安らかに眠って下さい。

02/1/1 (火)

明けましておめでとうございます!

ここ数日、零下の気温が続いているボストン。
お天気はいいのですが、寒くてどこにも遊びに行く気が湧きません。
一昨年は、大晦日に、極寒の中、新世紀幕開けのカウントダウンだからと出かけ、
穴場狙いのはずが大失敗だった苦い経験があるので、
2002年は家でTVを見ながらカウントダウンをすることにしました。
しかし午後11時半を過ぎても、我が家で見られる唯一のチャンネルは
西海岸のトーク・ショウをやっています。
西海岸は新年までまだ数時間あるし、これってカウントダウン見られないの?とアセっていたら、
あと数分で新年という時に、トークショウの中のTV画面に、NYのタイムズ・スクエアが映し出されました。
上空から見ると、タイムズスクエアへの道が人で埋まっているよう。
画面全部がNYからの中継に切り替わり、トークショウの中でも、NYの時間に合わせてカウントダウンが行われました。
トークをしているあごの長いおじさん(ジェイ・レノ)は、カウントダウンが終るとシャンペングラスを二つ持って客席へ行き、
そこにいる彼の奥さんにグラスを一つ渡すと、二人で乾杯&キスをしていました。
日本じゃこういうのって考えられないですよねぇ。
彼の他にも、家族を家に残してその番組で働いている人達は沢山いるわけですが、
こういうのっていいなぁ。

さて、NY時間で早々にカウントダウンをしてしまったそのチャンネル。
このあとどうなるのかなぁと思ったら、その後1時間毎に、その時間に新年を迎える主要都市のカウントダウンに合わせて、カウントダウンを繰り返してました。
いやぁ、アメリカって広いです。

元旦の今日は、清々しい青空でした。

皆様、どうぞ本年も「Basil Flavored Boston」をよろしくお願い申し上げます。

01/12/10(月) Bright Night & 「クリスマス・イルミネーションの法則」 by Basil

12月としては記録的な暖かさという日が何度もあったボストンですが、
今年もついに土曜日に雪が降って積もりました。
久しぶりの雪景色。
さっそくソリを引っ張り出してきて、Mintは初滑りをしました。
学校の後だったので、30分ぐらいしかできませんでしたが、やっと冬が来たぁという気分になれました。

HPの方も、(アメリカの)クリスマスらしく、ピッカピカに模様替えしました。
日本でも最近すごい凝った電飾をする家があるそうですが、こっちは本当にすごいです。
2年前にここに書いたBasilの経験に基づく「クリスマス・イルミネーションの法則」(改訂版)を御紹介しましょう。




クリスマス・イルミネーションの法則
1)電飾は伝播する。
    >凝った電飾の家の近くには、やはり凝った電飾の家がある。
2)昼間は見ない。
    >夜、電飾で美しい家は、昼間見るとコードと電球だらけ。
3)電飾に凝り出すと、屋根に登らずにはいられない(らしい)。
    >凝った家は屋根もすごいです。
4)クリスマス・ツリーは、外からも見える窓際に飾るのが原則。
     ▼絵にしてみましたが、きっとズレてます。すみません。
     家の中___       __
           \  木  /  
     家の外   窓\___/窓
              窓
5)せっかく飾り付けたイルミネーションは、1月中も外さない。
以下、今年も観察中。


クリスマス・イルミネーションといえば、先日、ポッキーさんに教わって、
一緒にSpringfieldのForest Park でやっている、「Bright Night」を見て来ました。
(今、HPの表紙のタイトルに使っている画像は、その時に撮影したものです。)
50万個の電球を使った全長は2.5マイル(約4km)のイルミネーションの道があるのです。
「ボストン体験記」の11月のところに写真を沢山載せましたので、是非御覧下さい。
尚、「Bright Night」は1月初めまでやっていますよ!


遅れ馳せながら、皇太子様御夫妻に赤ちゃんが御誕生されまして、本当におめでとうございます。

01/11/30 (金)  イワシとお米

今日、Bread & Circus で、イワシが売られていました。
めったに無いことなので(年に1〜2度、売っている時にあたるぐらい)、さっそく購入。
前にイワシを手開きにした時に、取った骨で遊んだことを憶えているMintは、
また遊べると喜んでいます。
いい機会なので、Mintにお手伝いをさせることにしました。
まずは、お米を研ぐところから。
たまたまビデオに録画されていたNHKの子供番組「ひとりでできるもん」がお米の研ぎ方を教えていたので、
Mintはやり方だけは3年ぐらい前から熟知しています。
しかし、本当に研ぐのは今日が初めて。
研いだお水を流す時の手の指の隙間の開け方も、試行錯誤です。
それから、イワシにとりかかりました。
水の中でイワシのうろこを指で擦って落すのを、Mintにも手伝ってもらいました。
たまたま一昨日、Mintに龍の「逆鱗」を説明したのですが、そもそも鱗に向きがあることを知らないので、
今一つわからなかったのが、今日のイワシで実感できたようです。
捌いたイワシは、Mintがすりおろしてくれた生姜を入れたお醤油とお酒に漬け、片栗粉をはたいてムニエルにしました。

夕食後、Mintはこのことを宿題の日記(一週間に1度でいい)に書きました。
初めてお米を研いだことを書くのに、「お米」を漢字で書いていいものかと、
一年生で習う漢字を見てみたら、「米」という字は含まれていませんでした。
どうやら2年生で習うようです。
1年生には、「米」って難しい漢字なのかなぁ。
「米」は(一応)日本人の主食なんだから、1年生で教えてもいいような気がするのになぁ。
「八」も「十」も1年生で習うんだから、八十八と書いてお米と読むのって教えてあげられるのに。
(お米を作るのには八十八の手間がかかるのよ。だから八十八と書いてお米と読むのって。)
今まで、1年生で漢字をいくつ習うのか等といったことには全く無知だった私ですが、
これをきっかけにインターネットで調べてみました。
そして、1年生で80の漢字を習うこと、それは40年前の2倍の量であることを知りました。
考えてみたら、半年前に平仮名約50字を習い、ついこの間片仮名を習ったばかりで、
さらに80も漢字を覚えなければいけないのは、かなり大変なことですよね。
アメリカの1年生が、アルファベット26文字、小文字を別として数えても52文字しか習わないのの、
実に3倍以上、しかも、もっと複雑な形の字なんですから。
大人からみたら簡単に思える漢字でも、やっと文字で書かれた世界に足を踏み入れた1年生にとってみたら、
漢字一文字一文字が、とてつもなく難しく見えることでしょう。
「米」という字が後回しになっても、しょうがないのかもなぁと、ちょっと無理矢理に納得してみました。
(でも、「お米」って書かせましたけど。八十八の手間って教えながら。)

しかし、イワシから、1年生の教育要綱に話しが展開するとは、思ってもみなかったなぁ。

01/11/28 (水)

いよいよ日本でも封切りが近付いて来ましたね>ハリー・ポッター
私が"Hurry Potter"を見てから10日も経ってしまいましたが、ちょこっと感想などを。

全体として、ほんとに良くできていました。
本を読んだ事が無い人でも問題無く楽しめると思うし、本を読んで自分なりのイメージを作り上げていた人でも、
原作との違いにがっかりする心配はないです。もう、殆ど最初から物語に忠実です。
セリフも、特に短いセリフでは、原作と全く同じセリフが、気が付いただけでも随分ありました。

ホグワーツは、自分の想像の及ばなかったところまでイメージにぴったりで、感動しました。
夜の闇に浮かびあがるお城のようなホグワーツの建物。
ハリー達1年生が最初にthe Great Hallに入るシーンでは、目の前にぱぁ〜っと広がる巨大な空間、
宙に浮かぶ無数のキャンドル、ハウスごとに真っ直ぐ伸びた長い机と、正装して席についた上級生達、
そして一番奥で扉へ向くように座っているダンブルドア、マクゴナガル両先生。
映画の中のハリー達と一緒に、思わずわぁ、と嘆息してしまいました。
映画の最後の方にも、この部屋がまた出てきますが、そのシーンもまたいいですよ〜。

それから、クィディッチ。
いざ出陣(ハリーの初陣)というシーンは、見てるこっちも本当に緊張します。
また、このクィディッチのユニフォーム(ローブ)がかっこいいんだよなぁ。
この緊張感をキャプテンのウッズがちょっと笑わせてくれます(ハリーは笑えないけど)。
これは原作にはなかった部分。
彼等が箒にまたがって飛び始めると、もう鳥肌がたっちゃうぐらいぞくぞくしてきます。
そのスピードが想像していたよりずっと速いのでびっくり。
ちょっとアメフト的?だったり、原作に無いことも出てきますが、
ここら辺は作る方も楽しんで作ったんだろうなぁと思います。
手に汗を握って見ているので、本当にゲームを観戦しているような気持ちになって、
ゲームの展開で映画の観客席からも自然に歓声が上がるのです。
決して私だけじゃないです。(<はい、声上げてました。)
このわかりにくい魔法使いのゲームを、私も映画を見る前に、それなりに想像していたのですが、
映画をみたら、きっとこうだったんだと納得してしまいました。
J・K・ローリングは、クィディッチがどういう風に撮られるのかを楽しみにしていたそうですが、
彼女もきっと大満足だったことでしょう。

まだまだ書きたいシーンがあるのですが、キリがないのでこの辺でやめるとして。
いやぁ、この映画が始まって30分ぐらい経った時、まだまだ物語りの序の口だったので、
いったいこれは2時間半の間で終るのだろうかと本気で心配しましたが、
うまく割愛する部分は割愛して、ちゃんと矛盾も飛躍もなく最後まで一気でした。
(例えば、クィディッチの試合は一試合しか出てきません。
ハグリッドとドラゴンのエピソードも、8割方削られています。
授業のシーンもかなり割愛されています。)

次に、映画のキャストについて。(これは既に写真で御覧になっている方も多いですよね。)
一番最初に登場する銀髪の長い髭と髪のダンブルドア。
鼻も長いはずなのになぁなんて細かいことは、ハグリッドが登場して吹っ飛びました。
もうハグリッド、はまり役!ほんとに人(子供だけど)の2倍ぐらいの背丈があるんです。
あれってシークレットブーツはいてるのかしら。
外見は凄いけれど、気持ちが優しくて、ちょっと抜けてる愛すべきハグリッド。
大好きなキャラクターなので、こんなぴったりのイメージの人がやってくれて本当に嬉しいなぁ。

それから、ハリー。
彼はあの目で、もうこの役を獲得したようなものだなぁと思います。
原作のハリーの目の色は緑、彼はブルーですが、瞠目する表情のフォトジェニックなことといったらありません。
ハリーの役に「シックスセンス」の子が立候補していたそうですが、Dan Radcliffeを見たら彼の方が適役だと私にも思えました。
しかし、額の傷。あれ、私はおでこの真中にあるイメージだったんだけれどなぁ。
「愛と誠」の誠みたいに。<古すぎ
アメリカの本の表紙のハリーもおでこの真中だし。
どうしてちょっと脇にずれてるんでしょうかね。髪の毛の分け目の関係かなぁ。

ロンも、私にとっては友情に厚い正義の男(しかも背が高い)のイメージで大好きなキャラなのですが、
赤毛にハンサムはいないと良く言われるようにちょっと・・・。
しかし、ロンの分を補ってあまりあるのがハーマイオニー。彼女、適役!
鼻をつんと上に向けている表情なんて、もちろん原作を読んで研究して役作りをしているからでしょうけれど、
本当に物語りの中からハーマイオニーが出てきたような気がしました。

それから、敵(かたき)役のスネイプ先生。
私は、Snape>Snakeの連想で、なんとなく爬虫類的な、毛の少ないヒヤリとした感触の人をイメージしていたのですが、
映画のスネイプは、毛、多かったです。喋り方は原作で説明されている通りの感じでしたが。
スネイプを見て、これは日本人の誰かに似てる誰かに似てると、ず〜っと考えて、思い出したのが
作家の大沢在昌。大沢在昌と、悪役商会の青汁のおじさんを足して2で割った感じ。どうでしょう?

私は原作を1年前に日本語で読んだのですが、もうすっかり忘れていたし、本は日本に置いてきたので、
映画を見る前にストーリーをおさらいしたくて、オーディオ・ブック(CD7枚組)を買いました。
これなら、本だと難しくて読めないMint(7歳)も一緒に聞けるから一石二鳥。
CDを聞き始めた最初は、くせのある喋りに先行き不安になりましたが、
耳が慣れてくると、この朗読している人の声音の使い分けがとっても上手で
(ハグリッドの声音なんて、ほんとにハグリッドが喋っているのを聞いている気持ちになります)、楽しく聞くことができました。
CDだと聞きたいところから聞けるし、他のことをしながら聞けるし、ちょっと高いけれど買ってよかったなと思いました。

子供にとって2時間半の上映時間は長いかなぁと心配だったのですが、
CDによる予習の成果もあってか、Mintは最後まで夢中で見ていました。
私の見ていた範囲で、途中でお手洗いに席を立った家族は1組だけでした。
お子さんを連れて行かれる方は、映画の直前にお手洗いに行っておくことを強くお勧めします。

こんなことを書いていたら、また見たくなっちゃったなぁ、「ハリー・ポッター」。

01/11/18 (日)

今や全世界でトータル約1億2500万冊も売れ、出版史上第三位(一位はダントツで聖書)の売上げとなった
J・K・ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズ。
私がその名を知ったのは、2年前のハロウィンのことでした。
Mintと一緒に"Trick or Treat"をして歩いたお友達のお姉さんが、見慣れない扮装をしていたのです。
縞のラグビーシャツにズボン。赤いマント。フェイクの眼鏡をかけ、額には紅い稲妻のマーク。
何の扮装をしてるの?と聞いた答えが、「ハリー・ポッター」でした。
(この扮装の写真が「ボストン体験記」の10月の「Trick or Treat」に掲載されています。
アメリカで出版された「ハリー・ポッター」の表紙のハリーは、そういう恰好なのです。)
当時何も知らなかったので、それは何?と尋ねると、その子の両親が、ハリー・ポッターとは本の主人公で、
その本は子供だけじゃなくて大人も楽しめるすごくいい本なのよ、などと説明してくれました。
その時はふぅんと思っただけでしたが、その後「ハリー・ポッター」の第1巻のペーパーバックが、
クラフトショップに山積みにされているのを見て、これはもう別格のベストセラーなのだということがわかりました。
クラフトショップで本が売られるのは、売れ残った本の投げ売り以外では見たことがないからです。

ここに、当時(1999年11月)出たParents' Paper があります。
表紙全体が「ハリー・ポッター」の第1巻の表紙絵の拡大したものになっていて、
J. K. Rowling のインタビュー記事が掲載されています。
この年の10月に、J. K. Rowling はBostonを訪れ、本にサインをし、いくつかのメディアのインタビューに答えたのだそうです。
既に日本でも、「ハリーポッター裏話」としてJ. K. Rowling のインタビューが本になっているので、
重複は避けますが、このインタビューの中に、
「2001年(この時点では2年先)にハリーポッターの映画が予定されていますが、この計画をあなたはどうお考えになりますか?」
という質問がありました。それに対して、彼女はこう答えています。
「ええ、私はその計画が気に入っています。そうでなければ映画化権を彼等に売ることはなかったでしょう。
もし彼等の言う通りのやり方で映画化されるのだったら、それはとてもいいものになると思います。
映画はライブアクション映画で、アニメーションではありません。
私は映画はライブアクションでやってほしかったのです。
私はこの計画にとても興奮しています。
映画になって一番見たいのは、クィディッチです!」

私が「ハリー・ポッター」を読んだのは、日本語訳が出た去年のことですが、どの巻も面白くて一気に読んでしまいました。
この本について、批判があることも十分承知ですが、そういう面を割り引いても文句無く面白い。
というわけで、「ハリー・ポッター」の映画をとても楽しみにしていたのです。
アメリカに住んでいるメリットを普段あまり感じないので、この映画がイギリスとアメリカで世界に先駆けて封切られるというのを知り、
そのアドバンテージを取らない手は無いと封切り日の前売り券を買うことにしました。

(つづく)<前振りが長いなぁ

01/11/16 (金)

今日封切りの映画、「Harry Potter」を観て来ました!!!
もう、最高。すごい!!!
原作を読んでいると、映画にがっかりすることが多いのに、
「Harry Potter」は原作に9割方忠実だったし、
変えられている部分も、なるほどと思う変え方になっていました。
まだ興奮が残っています。
今日は時間がないので、明日ゆっくりこの話を書くことにします。

01/11/14 (水)

ふぅ。たった今、妖精になってきました。
といっても、季節はずれのハロウィンというわけではありません。
今日、Mintの歯が抜けたのです。
Mintの最初の歯が抜けたのは、1年ほど前のこと。その時は日本に一時帰国していました。
下の歯だったので、一軒家に住んでいたら上の良く伸びるように屋根に放り投げるところですが
(上の歯は下に良く伸びるように庭に埋めるらしい)、大切にフィルムケースに入れておき、
後にその歯はMintがどこかへやってしまいました。(^-^;)
それからしばらく間があって、二本目の歯が抜けた時、翌朝起きてきたMintが、とても悲しそうに言いました。

「お母さん、tooth fairy来なかったよ。」

しまったぁ!
そうだった。アメリカにはそんなモノがあったのだった。
tooth fairyとは、歯が抜けた時、その歯を枕の下に入れておくと、
眠っている間にtooth fairyが来てその歯を持って行き、かわりにコインを置いていくというもの(らしい)。
いや〜〜〜〜〜、失敗したぁ〜〜〜〜〜。
知識として頭の中にはあったけれど、実際には経験したことのない習慣なもので、自分の任務に全く気が付いていませんでした。
「お母さん忘れちゃった。ごめんね」と謝るわけにもいかず、思いがけない失敗にあせりながら、
「きっとtooth fairyは気が付かなかったんだよ」などと、慰めにもならない(余計ガッカリさせたかも)ことを言って、
その場をやり過ごすしかなかったのです。
この次は絶対に失敗は許されない。<大げさ?
心の中でMintに謝りながら、次はちゃんとやるからねと心に決めていました。
そして、今日。Mintの3本目の歯が抜けました。
さっき、こっそり眠っているMintの枕の下を探ったら、ちゃんとキッチンペーパーに包まれた歯が置いてありました。
それを貰って、コインを置いて、そぉ〜っとドアを閉めて・・・。
任務完了。
今度はちゃんとできて良かった。
明日の朝、Mintがみつけて、どんな顔をしてみせてくれるかな。

01/11/3 (土)

10月31日はtrick or treatをするハロウィン本番の日。
Mintはtrick or treatの前に、お友達の家で開かれたハロウィン・パーティーに招待されていました。
その家には、以前にsleep over(お泊まり)でおよばれして連れて行ったことがあり、豪邸なのは知っていましたが、
行ってみて、パーティーのあまりの豪華さにびっくり〜。
考えてみたら、今まであまりお金持ちのアメリカ人の生活を垣間見る機会がなかったのですが、
こういう生活をしている人も沢山いるんだよなぁ。
同じく招待された子のお母さんが「こんなに沢山の飾り付け、ハロウィンの時以外はどこに仕舞っておくの?」と聞いていたので、
(「別に家があってそこにおいておくのよ」「やっぱりねぇ」)
驚いていたのは私だけじゃなかったと思います。
「ボストン体験記」にも書きましたが、昨年のアメリカ人のハロウィンでの出費は一家庭につき平均84ドルだったそうです。
あのパーティーだけで、この平均の10倍は優に超えてただろうなぁ。


パーティーの後、Mintは招待されていた別のお友達とその兄弟とTrick or Treatをして歩きました。
Trick or Treatのことを「ボストン体験記」の10月のところにアップしましたので、是非御覧下さい。
また、Mintの今年のコスチュームは「Handmade by Basil」に載せましたので、合わせて御覧下さいね〜。

01/10/29 (月)

マジパンで作った魔女、ゴースト、パンプキンもうすぐハロウィン(10/31)。でも10月ともなると、家やお店やオフィスにハロウィンの飾り付けがなされ、週末にはハロウィンのイベントがあちこちで開かれます。
ハロウィン当日夜の"Trick or Treat"以前に、イベントの9割方が終わっているといっても過言ではありません。
Mintの学校でも、昨日は Halloween Fair がありました。
ちょうどいい機会だったので、その後お友達にコスチュームのまま家に来てもらって、Mintのバースデー・パーティーをしました。
プレスクールの頃は、女の子のコスチュームというと黒以外の色でプリンセス・フェアリー系のものが多かった気がするのですが、来てくれた一年生の女の子5人、みのりを入れて6人のうち5人までが黒いコスチューム。
ウィッチ(魔女)、スパイダー・ウーマン、バンパイアといった感じです。
みのりは、2年前に作ったコスチュームをリフォームしてスパイダー・ウーマンにしました。
表紙の写真はハロウィンらしくなった家のテーブルです。
テーブルクロスは5年ぐらい前に買った生地がついに日の目を見たもの。
右側のトレイには、ハロウィンにつきもののお菓子"candy cane"(牙の形をした薄荷菓子で先端から白・黄・オレンジの三色になっている)と、オレンジと黒のM & M's チョコレート(「"m & m's" チョコレートで見るイベントの色考」参照)が入っています。
お菓子でよく見えませんが、真中のトレイはJack-O'-Lantanの形をしています。
花瓶の手前に、左の写真のパンプキンとウィッチを置いたのですが、見えるかな?
これは、マジパンというよくケーキの上の載せるデコレーションを作る材料を使って、Mintと二人で製作しました。
Food Colorを使って着色しているので、食べられるんですよ。
(魔女の箒の柄だけは楊枝なので食べらません。)
バースデー・ケーキに載せるように作ったのですが、あんまり美味しいものではないので(とても甘い)、殆どの子が残していました。
日本と違うなぁと思うのは、殆どの子が食べない時・残す時にちゃんと理由を言いに来るのです。
今回に限らず、「私には甘すぎるから」「too cheeseyだから」「もともとケーキは食べないから」などなど、日本の子なら黙って残しそうなものなんだけれど、これって何がそういう違いを生むのでしょうかねぇ。
最後に、全く季節感のない花瓶のお花はカーネーションです。
理由は、カーネーションがいつも一番安いから。トホホ・・・

01/10/20 (土)

Charles Regatta
今日はチャールズ・レガッタを見に行って来ました。
この大会は、今年で37回目なのだそうです。
毎年気になっていましたが、秋はイベントがあちこちで開かれているので、私はボストン生活7年目にして初めて見ました〜。
今日のボストンは長袖では汗ばむほど暖かかったので、チャールズ・リバーの両岸や橋の上で見物している人の中には、タンクトップの人が沢山いました。
チャールズ・レガッタ、今日は午後だけで、明日は朝からあります。
今日みたいに暑いぐらいの陽気だと、ピクニック気分で見物できてとてもいいかも。
詳しくは、公式サイトを御覧下さい。
http://www.hocr.org/index2.html

この週末はマサチューセッツ州の紅葉もピークだし、イベントはあちこちで開かれてるし、どこへ行こうかほんと迷っちゃいますよね〜。

******* 更新情報 *******
表紙のタイトルバナー(というか、写真)を、一時的に変えてみました。
夏の間は毎日車で走っていた道の脇の教会。
気に留めたことなんてなかったのに、先日通ったら、壁を覆う蔦の見事な紅葉が、目に飛び込んできました。
少しペンキの剥げた青い扉とのコントラストが、一層紅葉の美しさを際立たせています。
この写真では、対照がないので大きさがわかりにくいのですが、
この扉、日本でいったら2階の屋根ぐらいまである大きい扉なんですよ。
この道(Beacon Street)はわりとよく走るのに、この教会の蔦がこんなにきれいに紅葉することを、
今年初めて知りました。
ボストン生活も7年目になりますが、毎年・毎季節に新しい発見があり、本当に興味の尽きない街です。

01/10/14 (日)

思いっきりローカルかつ趣味に走ったことなのですが・・・
本屋さんでCountry Marketplaceの増刊号が出ていたので見たら、
その巻頭インタビューが、Susan Branchだったんです。
といっても、普通知らないですよね。
自筆イラストのレシピの本を出している人です。水彩のイラストで、文字も全て手書き。
奥付(アメリカのは最初にありますが)にいたるまで、一文字も活字は使われていない徹底ぶり。
私は、nonnoの料理本の水彩のイラストが大好きなので、ついこの人の本が目に付いて一冊買って持っていました。
絵自体はそんなに大好きでもないのですが、色使いとコンセプトが気に入って。
それで、インタービューを読んだら、彼女はMartha's Vineyardに住んでいると書いてあったんです。
Martha's VineyardはCape Codのちょっと沖にある島で、
クリントン前大統領一家が夏休みを過ごすことでより有名になった島です。
わ〜、御近所(<広いアメリカで言えば)なんだぁ、となんだか嬉しくなる私。
おまけに、彼女の現在の御主人は、あのBlack Dog Tavernのオーナーなんですって。
(紅い首輪をしたブラック・ラブラドールのロゴで有名なMartha's Vineyardのお店。)
今まで別々に知っていた二つのもの(人)に、こんな風な繋がりがあったなんて、ちょっと感動。
でも、あまりにマイナーすぎて、誰とも分かち合えないのが悲しいのです。
誰か、この話が通じる人、いないかなぁ。

******** おまけ ********
こっそり置いてあるProfile。ちょっとだけ更新しました。

01/10/13 (土)

NHで雪に降られたホリデーウィークエンドが明けてから、
ボストンは毎日快晴。おまけにここ数日はまた半袖でもいられるぐらい暖かかったのです。
なんだかうらめし〜い。
空の高いところも風がないのか、飛行機雲がとても真っ直ぐくっきりと残るような青空でした。
そして、また週末の今日はどよ〜んとくらぁい霧・・・。
まだ先週の方がよかったのかなぁと思いながら、紅葉紀行をアップしました。
NHでのことなので、「ボストン体験記」に入れたものか迷いましたが、
実はすでにセーラム@NHの記事も「体験記」にあったので、
「ボストン体験記」「旅の記録」の両方に同じものをアップすることにしました。
文章はともかく、写真は是非みてくださいね〜。

01/10/9 (火)

日曜日から1泊でNH州へ紅葉を見に出かけました。
今年は昨年、一昨年と比べて、紅葉の色がとても綺麗。
ただ、お天気が今一つで、雲行きが怪しいなぁと思っていたら、案の定Kankamagus Highwayに入ったところで、雨が降り始めました。
しかし、この雨、しばらく待っていると雨雲が去って、青空が見えるのです。
日が射してくると、紅葉で錦に彩られた山々が幾重にも連なっているのがよく見えます。
この日はずっとこんな調子で、雨が降ったり青空が見えたり。
おまけに寒い!土曜日までは暑いぐらいの日が続いていたのに、オーバーが必要なぐらいの寒さ。
寒い寒いと思っていたら、なんと雪まで降りました!
紅葉を見に行って雪景色を見てしまうとは・・・。
(因みに表紙の写真は、青空が見えた時に撮ったものです。)
というわけで、日曜日の夜も翌朝も(一夜明けたら、屋根には雪が積もっていました)、私の最大の関心事は「お天気」。
TVはWeather channelしか見ませんでした。
今や日々の生活に欠かせないインターネットも、旅行中はしませんでした。
ラジオは受信状況が悪いので、ドライブ中は、ずっとカセットテープを聞いていました。
月曜日、紅葉を満喫してのんびりとした気持ちで帰って来てびっくり。
といとう始まってしまっていたとは・・・。
独特のオレンジがかった紅葉の木を見つけては「きれ〜い!」、
燃え立つような紅い木を見つけては「きれ〜い!」と暢気にやっていたのが恥ずかしいようです。
何も知らずに、今年は多分私にとって最後のニューイングランドの紅葉だと思いながら、沢山写真も撮りました。
戦争が始まったというのに、お気楽な「紅葉観光」等を書くのはどうかとも思いましたが、それすら知らずに過ごした恥ずかしついでに、後で「ボストン体験記」に記事+写真を載せようと思います。

久々の更新情報。
Basil's Bookmarksに、以前MintがNursery Schoolで御一緒したお嬢さんのお母様、「ありす」さんのHP「SOAP BOTANICA」が加わりました!

01/9/27 (木)

今日は、Mintの学校が休校でした。
昨日に引き続きよいお天気だったので、久しぶりにArnold Arboretumへ。
ここら辺は、紅葉のピークはまだ先のことなので、園内の緑には変化が殆どみられません。
でも、夏とはちょっと違うのは、いろいろな実がなっていること。
芝生の上に敷布(<適当な言葉が思いつかない)をひいて、転がって本を読んでいる間に、
Mintがせっせせっせといろんな実を集めてきました。
トップページに飾った写真は、Mintの今日の収穫です。
食べてみる勇気はなかったけれど、これって殆ど梨ですよねぇ。
左下に写っている薄赤紫の実は、初めて見ました。
ひょうたんのような形をしていて、半透明なので中の種が透けて見えるのです。
何の実なんだろうなぁ。

春に咲いた花が、今こうして実になっているんだなぁと、なんだかしみじみとしてしまったのでした。

01/9/26 (水)

今日のボストンは快晴。
気の早い木が、ちらほらと紅葉している。
昨日から汗ばむほどの陽気が続いているが、明日からはぐっと冷え込むそうだ。

青空には翳がない。
建物の輪郭も、天を指す木々の枝葉も、青空にくっきりと映えている。
去年までは、秋のこんな空を見ただけで、何だかわくわくして嬉しかった。
 「秋の空が青く美しいという
  ただそれだけで
  何かしらいいことがありそうな気のする
  そんなときはないか」
そんな私の気持ちを、ぴたりと言い当ててくれたようなこのフレーズを、
大好きな黒田三郎の詩(「ある日ある時」)にみつけた時は感動したものだ。
でも今は、チューリップの「ブルースカイ」の方が、気持ちにぴったり来るかな。

01/9/24 (月)

ブッシュ大統領の支持率が90%に達したそうだ。
大統領選挙の時のゴア前副大統領とのゴタゴタなど、消し飛んでしまった感がある。
もちろん、この驚異的な支持率の背景は、2週間前の未曾有のテロ事件だ。
このテロに対して"We are at war."と宣言し、軍事的報復を行うことを決めたブッシュ大統領を、アメリカの世論の90%が支持していると言い換えてもいいだろう。
テロに屈しない・許さないという人々の気持ちが、様々な立場の違いを乗り越えて、ひとつになっている。テロ以来よく見かける、"United  We Stand"だ。人々のブッシュ大統領への期待は大きい。
ブッシュ大統領が最も甚大な被害を被ったNYの現場に訪れたのは、テロから数日たった14日であるが、そのことは何らマイナスにはならなかったようだ。(大統領自身がテロの対象になっているという情報により、所在を明かさずにあちこちに移動していたためであるとニュースでは説明されていた。)
うがった見方が許されるなら、この高支持率は外に敵がいるからこそのものだと言えるだろう。

一方、NYのジュリアーニ市長は、テロ以来休む間なく被災地を飛び回って、被害者や救助活動をしている人たちを慰め、激励し続けており、その様子が"Guliani, everywhere."とニュースで紹介されていた。
ジュリアーニ市長といえば、それまではスキャンダルまみれで、公私ともに「瀕死」のイメージであったのに、事件発生以来の献身的かつ超人的な執務により、人々の評判はうなぎのぼりだ。支持率という形では知らないが、調査をすれば、おそらくは100%に近い数字が出ると思われる。
年内で任期が終了するのだが、街頭インタビューに答えるNYの人々は、口々にジュリアーニ市長の残留・任期延長を求めていた。

もちろん、大統領と市長では、その仕事のスケールも内容も違うのだから、並べて書いてしまっては語弊があるが、指導力を発揮するということは、どういうことなのかと考えてしまう。
深い悲しみが理不尽な暴力への怒りへと変化する中、アグレッシブな方向へ人々を先導(煽動)するのは容易だし、それこそ軍隊を指揮することは、1番分り易い「指導力を発揮」する形である。
しかし、暴走しそうな人々の怒りを静め、諌めるのもまた指導力だと思うのだ。

さて、日本の「指導者」はどうか。
先ほどインターネットで日本の新聞を見て、初めて今日小泉首相がアメリカに来た事を知った。
慌ててTVをつけて、午後9時から12時までABCと他1局のニュースを見たが、小泉首相の訪米の話題は全く出てこず、愕然とした。
日本の首相の被災地慰問や会談は、ニュースバリューがないということか?
(ブッシュ大統領との会談は明日だが。)
テロの当日にニュースに登場した英国首相とはえらい落差だ。
日本の記事によると、小泉首相の訪米のニュースがCNNでは報じられ、同時中継もされたようだけれど、CNNといえば24時間ニュースだけを流している局である。
少なくとも、夜にその日の出来事をABCニュースで見る米国人は、今日本の首相がアメリカに来ていることなんて知らないのだ。
その同じ新聞の記事の中に、日本が報復作戦に向かうアメリカの空母を、イージス艦を含む4・5隻の「支援艦隊」で「護衛」しながら、おそらくはインド洋方面まで向かうだろうことが書かれていた。
もちろん、小泉首相がアメリカに来ていることすらニュースにならないのだから、大方のアメリカ人はそんなこと知っちゃいない。

今回のテロ関連のニュースで、日本に関する話題を私が聞いたのは、「パール・ハーバー」が引き合いに出される時だけだ。
先週の金曜日のはひどかった。
その晩は、米5大ネットワークが共同で放映した番組、「AMERICA: A TRIBUTE TO HEROES」があった。
アメリカを代表する人気俳優・歌手が、テロ被害への募金を呼びかけるためにボランティアで集まったもので、その視聴率は相当なものだったはずだ。
私も御多分に漏れず、TVをつけたくちである。
しかし、番組が始まる30分前にTV(ABC)をつけた私の目に飛び込んできたのは、空爆をしている日本の零戦の白黒写真だった。
仰天した。
途中から聞いたので、話の脈絡や、どれくらいの時間に渡って話されていたのかはわからないが、私が見ていた5分ほどの間、話題は「パール・ハーバー」であり、第二次世界大戦に関する本を著している著者が、突然の爆撃により2000名の死者を出した(それが軍人であったことには触れなかった)パール・ハーバーと今回のテロをなぞらえ、我々は今回も立ち上がるべきだとしめくくっていた。
いったいどれだけのアメリカ人がこれを見たのか想像もつかないが、特別番組を後に控えて、いつもより多くの人がABCをつけていたのは間違いない。子供も見ていたことだろう。

前回も書いたが、過去に例のない大規模な無差別テロと、過去の大戦で日本が軍港を「奇襲」したことが同列の扱いをされていることに、私は日本人として本当に不快と不安を感じる。
それが開戦止むなしという結論に導く手段であったとしてもだ。

「パール・ハーバー」が頻回に報道に登場する一方で、日本の首相の訪米はニュースにもならない。
日本政府は、こんな一般市民のレベルのアメリカの現状を知っているのだろうか?

01/9/16(日)

想像を絶する同時多発テロ発生から6日。
連日関連ニュースばかりを流していたTVにもCMや他の番組が戻り、
昨日からボストンのローガン空港も正常とは程遠いながらも飛行機の発着が始まった。
街には星条旗が溢れている。半旗にできるものは半旗で。
今まで星条旗などがなかった所にも星条旗が飾られていて、星条旗を目にする頻度は独立記念日以上かもしれない。

ここを更新しようとして、久しぶりにページを開いて気が付いた。
前回、NY行きを報告したこの下の写真。
自由の女神の王冠の窓から見えているのは、まさしくあのワールド・トレード・センターだ。
この2本並んだ超高層ビルディングは、今やもう無いのだ。
あまりに規模が大きく悲惨で理不尽過ぎる事件だった。
いや、まだ過去形では語れない。
亡くなった5千人を超える方々の御冥福を心から祈りながら、以下の文章をここに記すことをお許し頂きたい。

2001年9月11日。
その日、私は娘を学校に送りがてら朝の8時前に家を出た。
電車で小一時間ほどのところで1件用事を済ませ、10時前に職場に着いて、初めてテロがあったことを知った。
ハイジャックされてワールドトレードセンターに激突した旅客機が、
ボストンのローガン空港を飛び立った飛行機だというのを聞き、戦慄した。他人事ではない。
私達もつい数日前と三週間前、一時帰国のためアメリカン・エアでローガン空港を利用したばかりだ。
ラボの同僚から聞くまで、そんなこと全く知らずにいたぐらい、
テロ発生当初は、私のいた辺りは何事もなかったようだった。
ボストンのダウンタウンは高層ビルの展望台が閉鎖になったり、いろいろとあったようだが、
中心街から車で5分ぐらいのとこにある私の職場では、その日も1日、通常通りのスケジュールがこなされていた。
職場にはTVがないから、1日ラジオでニュースを聞いていたが、
想像を絶する事態に、家に帰って映像を見るまでは自分の聞いた事が信じられなかった。
とはいっても、どうやら日本のTVの方が悲惨なシーンを沢山放映しているようだ。
こちらでは子供が見る事も配慮してか、悲惨なシーン(崩壊前のビルの窓からあふれそうになっている人達や、
墜落する人等を映したもの)は、夜中に放映されたのを見たきり、後は放映されなくなった。

アメリカ人の過半数は、これを「戦争」だと認識しているようだし、
ブッシュ自らが演説でそう発言しており、8割方の人がアメリカの武力による報復措置を支持している。
TVのインタビューに答えた人は、revengeではなくjusticeを求めてるんだと言っていた。
この悲惨な事件、理不尽に失われた5千余人の命に、人々の悲しみが怒りへと向かうのは自然の流れであることは理解できる。
もし自分がその家族の立場だったらと考えると、どうしたって、このようなことを許しておけるわけがない。
しかし、今や群集心理のようにして、血を血で贖うことを求める方向にアメリカの世論が動いていくのが恐ろしい。
テロはテロであって、その首謀者及びグループに処罰が向けられるべきではないだろうか?
テロの犯人グループがモスリムらしいということで、モスリム憎悪による事件も起きている。
空港やホテルでの勇み足的な誤認逮捕もあった。
しかし、今回の犠牲者の中には、同朋である20数名の日本人をはじめ、イギリスを筆頭とするヨーロッパ諸国等、
さまざま国の人が含まれていることをアメリカ人は忘れないで欲しい。
その中には、当然モスリムもいたはずだ。彼等もまた被害者なのだ。
アメリカは、テロに対して、「戦争」を起こすのだろうか。
テロに犯罪であり、犯罪には復讐ではなく、裁きと罰を与えるのが法治国家ではないのか?
アメリカは、自国の「威信」に拘っているところはないか?
国家的な非常事態であることを言うために「戦争」という言葉を使っているのだとしたら、それは間違いだ。
「これは新しい戦争の形だ」という考え方は、私には同意できない。

日本政府もアメリカに追随するばかりでなく、しっかり意見表明をして欲しいと思う。

========*=========
以下、蛇足。
今回のテロの被害者及びその関係の方々を冒涜するつもりではないことを予めお断りしておきます。
テロのニュース報道の中で、「パール・ハーバー」という言葉を何回聞いただろう。
アナウンサーが「パール・ハーバー」と言う度に、何とも言えない嫌な気持ちになる。
アメリカは独立して以来、戦争でも本土攻撃がされたことがない稀有な国だから、
唯一の経験であるパール・ハーバーが出てくるのは仕方ないのかもしれないけれど、
今回のテロとパール・ハーバーを結びつけるような報道の仕方は止めて欲しい。
ミリタリーへの奇襲と、一般市民への無差別テロを混同するのは誤りだ。
それを言うなら、原爆はどうなんだ?と言いたくなる。
それこそ今回の犠牲者の40倍の一般市民の命を一瞬(2回落したけれど)にして奪い、
助かった人のみならず、救助にあたった人にまで放射能による後遺症を与えたではないか。
戦争だったなら、それも許されるというのだろうか。

歴史をまだ習っていない子供達が、今回の非道なテロと、かつて日本がパール・ハーバーを攻撃したことを
同一レベルのものとして頭に刷り込みされるだろうと思うと、空恐ろしい。
どうにかできないものだろうか。それとも、私の考え過ぎだろうか。

01/4/23 (月)

自由の女神の冠から臨む摩天楼
春が駆け足でやってきました!
もう、あちこちで木蓮やレンギョウが満開です。
先週は暖かい日が結構あったのに、水曜日には雪が降ったりしました。
そして、日曜日は気温が25℃を越え、Blue Hillsでは88Fと
この時期の歴代最高タイを記録したそうです。
今日は涼しくなると言っていたのに、今日も暑かった。
そして7時半を過ぎてもまだ日があるので、日が暮れてからが早いのです。

先日からHPの手直しをしているのですが、
一番大きな変更は、HPのタイトルを改名したことです。
新しいタイトルは、「Basil Flavored Boston」。
Basil(私)風に料理された「ボストン生活」がメインのページです。
もし、私のページをリンクして下さっている方がいらっしゃいましたら、
お手数ですが、HPの名前を「Basil Flavored Boston」に直しておいて下さい。
(URLは変わっていません。)
HPの手直し作業でフロリダの旅行記が遅々として進まない中、
先に先週の学校の休みに出かけたNYの旅行記をアップしました。
念願の「自由の女神」の天辺へ登り、METではフェルメールを見てきました。
「自由の女神」の冠の中から臨んだ貴重な風景写真を載せましたので、どうぞ御覧になって下さいね!

01/4/11(水)

ここ数日、ぼちぼちとHPの手直しをしています。
まず、「ボストンたま日記」を月割りで編集し直して、名称を「ボストン体験記」としました。
毎年、イベントや行く場所は季節=月で同じなので、記事を時系列で並べるより見やすいかなぁと思います。
そして、長らく写真だけしか載せていなかった、イースター・エッグハントやボストン・マラソン等の記事を
ついに書いて載せましたので、「ボストン体験記」をどうぞ御覧下さい。

01/4/9 (月)

今日は、とっても暖かい日でした。
車に乗っていると、陽射しで汗ばむほど。
半袖で歩いている人も沢山みかけました。
ついに、春ですねぇ。
クロッカス、水仙、すみれがあちこちで咲いています。
Magnoliaも、そろそろ固いけむくじゃらの殻を脱いで、蕾を見せ始めました。

01/3/3 (土)

千代紙で折ったお雛様
今日はひな祭り。
Mintのお雛様は日本に置いてきてしまったので、二人で千代紙でお雛様を折ってみました。
渡米することになった時についつい用意しがちな千代紙と折り紙の本。
結局使わなかったからと、前にこちらにいたお友達が
帰国の際に沢山置いて行ってくれたのです。
(うちにもあったけれど、しっかりいただきましたぁ。)
色と柄の雰囲気の合った千代紙を組み合わせて男雛と女雛を折り、
無地のカードに貼りつけて、3組のお雛様のでき上がり。
(右の写真は、3枚のカードを重ねて縦に並べています。-->)
ちらし寿司を作って、お正月とちらし寿司を作った時ぐらいしか出番の無い重箱に入れ、
数年前から見かけて知っていたけれど買ったことが無かった「AMAZAKE」も、
まずいだろうなぁと思いつつ(<オイオイ)、話の種にと用意しました。
実は、ひな祭りの今日はボストンの超詳しいHPをやっている
ポッキーさん
のおうちへ遊びに行くのです。
他にもう一品おつまみを作って、日本酒とワインも用意して。
わぁ、遅くなっちゃった〜っと慌てて出かけたら、
この折り紙のお雛様と「AMAZAKE」を家に忘れてきてしまいました。
う〜ん、これじゃ「ひな祭り」とはただの口実って、ばればれですねぇ。

01/3/2 (金)

今日、日中にうっすらと積もった雪は、なんだか輝いていた。
雪が積もることは珍しくないけれど、日が暮れる中、ライトを点けて車を走らせていると、
地面がきらきら、きらきらするのだ。
今日の雪は、どうしてこんなにきらきらするのかなぁ。
雪みたいに見えるけれど、細かい霙なのかなぁ。
街灯に照らし出された道もきらきらしてる。
Mintをピックアップして車に戻る途中、
どうしても知りたくて、しゃがんで地面に顔を近づけて、きらきらの正体を確かめてみた。
雪の結晶!
小さな雪の結晶が、その繊細な美しい形を保ったまま、
まるでスパンコールを撒き散らしたように、ぱらぱらと積もっていたのだ。
そして、中でも灯りに向いている結晶が、その細部までくっきりと光を反射して輝いていた。
零下だから、雪の結晶が溶けたり崩れたりまとまったりしないのかな?
でも、零下でもぼたん雪は降るし。
完璧な結晶のまま降り積もって輝く雪は、私には奇跡のように思えた。
ああ、きれいだなぁ。
とっても寒いけれど、こんなきらきらの道があるけて嬉しいなぁ。
雪ってほんとに色々だ。
また心に残る雪景色が一つ増えた日だった。

==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X==X

また2月が飛んでしまいましたが、実はその間にちょっと更新しています。
(誰も気付いてないだろうなぁ…。)
2月のMintの学校の休みを利用して、フロリダへ行ってきました。
初めての母娘二人旅、しかもBasilがインターネットで自力で作った旅行。
今、少しづつ書いて、順次更新しています。
表紙のセブンマイルブリッジの写真の下に入り口がありますので、行ってみてね。

2001/1/1 (月)

明けましておめでとうございます!
大変長らく御無沙汰致しました。
それとも、初めましての方ばかりになってしまったでしょうか?
時々更新がピタっと止まることのあるHPですが、どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。

今日から新しい世紀が始まりましたね。
自分が●歳の時に世紀の変わり目が来ると、小学生の頃たまに考えたことがありましたが、
当時は、それはあまりに先のことで全く実感が湧かなかったものです。
その遠い未来を、今越えてしまったと思うと、驚きとも感動とも畏れともつかない、
何とも言い様の無い気持ちが致します。
世紀が変わったからといって、昨日までの自分と変化があるわけではないけれど、
なんとなく、これが人生の節目になるような漠然とした予感がしてしまう、単純な私です。
皆様は新世紀を迎えて、どんなことを思われましたでしょうか?


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