1996年10月

10月4日にロサンゼルスに着き,結局実際に実験を始めたのは10/20だった.研究室には日本人は私1人で,スペイン人が2人,中国人が3人,ドイツ人が3人,エチオピア人が1人,教授はフランス人である.面白いことにアメリカ人は誰もいない.はじめは,あるペプタイドを末梢に投与して胃排泄に及ぼす作用をみるというものだった.研究室のどこに何があるかも全くわからず,悪戦苦闘の毎日. 動物,試薬の注文の仕方,動物飼育施設の使い方など,事務的なことを知るだけでも大変だった.またこちらは,動物の取り扱いに対して厳しい取り決めがあり,これに反すると動物が使えなくなってしまう.たとえば,麻酔はエーテルは使用せず,吸入麻酔にはエンフルレンを使う.また動物を殺すときには,頸椎の脱臼などというような手技は使用できず,麻酔薬の過量投与か二酸化炭素の吸入により行う.日本にいたときとやり方が全く異なるため,とまどうことが多かった .言葉の壁は予想以上に厚く,簡単なことを理解するにも異様に時間を要した.また英語と言っても,スペイン人やフランス人の話す英語はお世辞にもうまいとは言えず,それを理解するのも大変だった.こんな風に10月はほとんど実験ができず準備だけで終わってしまった.こんなことでいいのだろうか?


11月

家族が着いたので,その世話で前半は時間を費やした.子供がこちらの気候になれないのか,毎週のように悪性の風邪をひいて,病院に連れていかなければな らなかった.家族の生活が落ち着かなければ仕事はなかなか始まらない.それでも11月中に何とか,動物の手術手技に慣れてきて,実験結果に大きな偏りがなくなって来たのが成果と言えば成果か.


12月

ようやく生活が落ち着き,本格的に実験に取り組む.クリスマスの期間はほとんどの人が休むが,遅れを取り戻すために仕事をした.他のfellowに「おまえはクリスマスに働くのか」と聞かれたので,「私は無宗教なので関係ない」と答えたら笑われた.


1月,2月

妹が前半遊びに来たので,1週間休みを取った.やっと今シリーズの実験が終わり論文を書き始めたのは2月の中旬だった.


3月

論文を書きつつ,新しい実験の準備に入った.こんどはあるペプタイドを中枢(intraciseternally)に投与して,胃内圧を測定するという物.この仕事はUCLAの他の研究室に行かなければできないので,3月下旬から仕事の場所がUCLAに移った.私のoffice,研究室はUCLAのキャンパスから1マイル程離れたUCLA附属施設にあるので,朝自分の研究室に行き,動物を自分の車でUCLAの研究室まで運んでから実験を始めるという生活になった.移動は大変だったが,実験の空き時間には,UCLAのキャンパスを歩き回ったり,芝生で寝ころんだりして楽しかった.


4月

新しい仕事の元々の計画は,結局ネガティブな結果しかあがらなかったが,同じ系を利用して新たなペプタイドを投与すると,この結果が予想に反して興味深い結果を生み,以降この反応について仕事を進めることになった.4月もUCLAで実験.


5月

両親が来て1週間仕事を休んだ.中旬までで一応UCLAでの仕事を終え,自分の研究室に帰った.このペプタイドの胃排出に対する作用をみる実験を下旬に行った.面白い結果が得られた.


6月

教授が新しい研究室をもらい受けることになり,私と他にもう1人のfellowでその研究室を管理するように言われた.前任者からの引継をする事になる.ここは消化管運動を評価するための研究室で,コンピューターが5台あり,実験結果を解析できる.3月から4月の初めに行った,ネガティブな結果に終わった仕事を論文にするため,新しく実験を追加して一緒にまとめることにした.今度は定位脳手術の手技を使って,脳幹のある神経核にペプタイドを投与して,胃内圧を測定するというものである.なかなかこの手技は難しく,前任者からマンツーマンで指導を受けた.また私が給料をもらえるように,教授が手続きを始めてくれることになった.これまでの仕事が認められたと考えていいものだろうか?それともお情けか?


7月

4日:ペプタイドの胃酸分泌をみる実験を始めた.この実験が終わったら,UCLAで行った実験と一緒に論文をまとめる予定.

10日:新しい自分の研究室で仕事をしているが,もうすぐここを離れる研究者が,自分のやった仕事を私に話してくれ,内容が非常に興味深かった.彼女は精神科の医師で,神経性食欲不振症についての基礎的な研究をやってきたとのこ.たまたまこの仕事の内容が,私が大学院時代にしていた仕事と関係があったのでそのことを話してみると,是非引き続き仕事を引き継いでやってくれないかとのofferを得た.今も2つ程projectを抱えていて忙しいが,面白そうなので引き受けた.仕事はUCLAの精神行動学の教授と共同で行うことになり,その引継もUCLAで受けることになった.またUCLAでの仕事が始まりそうである.

25日:最近疲労が激しい.仕事が忙しいこともあるが,7月から新しいアパートに引っ越し,毎日往復10マイルの距離を自転車通勤しているからだろう.毎日6時過ぎに起きて,ここ10年来の日課であるジョギングを18Km(約90分)をして家に帰り,シャワーを浴びてから自転車に乗って通勤する.考えてみれば疲れるのは当たり前か?でもランニングは私にとってとても重要なことなので,やめるわけにはいかない.

8月

1日:こちらに来てはじめに行った仕事のことだが,実験で使用した新しいpeptideのdoseがその後の研究で,十分な量でないことがわかり,追加実験をして,よりimpact factorの高い雑誌へ投稿するよう教授から言われた.続行中のプロジェクトが今3つあるのできわめて忙しくなった.

2日:今,データ解析に苦労している.解析はチャートに書かれたグラフから行うのだが,area under curveを計算しなくてはならない.結局スキャナーでデータを取り込み,photoshopでareaを塗りつぶしてからNIH imageで読み込んで,pixelをカウントする事にした.これでも結構面倒くさい.degitizerも研究室にあるが,これでやるとなると気が遠くなる気がする.LabではMacを使っているが,NIH imageはPICT fileしか読んでくれない.自宅ではPCを使っている.最近NIH imageのPC版を見つけて使用しているが,こちらはTIF fileしか読んでくれない.自宅にデータを持ち帰ってカウントするときはfileをコンバートしなければならない.この解析にも結構時間がかかるので,実験の空き時間を使ってやるのは難しい.来週は日本から家族も来るので,接待に時間をとられ,動物を使う実験があまりできないので,データ整理の週にしようと思う.

11日:研究室でいつも一緒にいるエチオピア人のfellowと話をした.エチオピアでは民族的な対立から,現在国情が非常に不安定な時期であり,帰国しても仕事はほとんどできないとのこと.なんでも50以上の様々な民族がいて,互いに中傷しあって,しばしば殺し合いにまで発展するとのこと.同じ黒人なのに,相手が違う民族とどうしてわかるのか聞いてみると,外見的には似通っていても,名前,言葉などですぐにわかるという.彼は奥さんが自分と違う民族に属しているため,帰国するとより複雑な立場に置かれるらしい.それでも必ず将来帰国して,自分の国のために働くという希望は捨てないと話していた.私も様々な事情があり,帰国しても働く場所が未だ見つかっていないが,彼と同じ希望を持っている.すなわち彼のように自分の祖国のために働くなどと言う大それたことは言えないが,北海道の医療,医学のために,少しでも力を発揮できればよいと思っている.私の研究室は,研究だけでなく,各々の国のこと,文化のことなどについて議論ができるところである.

22日:9月1日からUCLAからfinancial supportを得ることができるようになった.額は多くはないが,家賃と子供のpreschoolの料金は十分まかなえる.教授は他のgrantからもお金を出せるよう交渉してくれると言っていた.何のコネもなく大学のつながりもなかった私にお金を出してくれたことに対して,非常に光栄に思っている.

9月

2日:追加実験がそろそろ終わりデータをきちんとまとめなければいけないところだが,教授から新しいプロジェクトに加わるよう言われた.それは過敏性腸症候群(IBS)に関する基礎的な研究で,臨床に直結するとても興味深い物だった.今度は同じラボのエチオピア人のフェローと共同で行う物で,とにかく急いでデータを挙げるようにとのこと.この仕事はある大手の製薬会社がお金を出しており,良い結果を提示すれば巨額な研究費を引き出せるとのこと.うまく行けば私にもお金が当たるとのこと.この製薬会社はカナダ,フランスなどの研究所にも私たちと同じような仕事をやらせて,競争させるつもりらしい.頑張らなければ.

22日:今週は日本から大学の恩師が遊びにやってくるので仕事は休み.彼とは年齢が20も離れているが,今は陸上競技を通じて友人関係が続いている.昨年病気で奥さんを亡くし,口には出さないが精神的にかなり疲れているらしい.こちらに来て私と一緒にjoggingすることが一番の目的で,これがきっかけで元気を取り戻してくれればと思っている.サンタモニカビーチなどjoggingのメッカで走る予定.

10月

4日:本日でアメリカ生活2年目に突入.こちらで初めて給料を貰った.思えば一年前こちらに来たときは,仕事の面でも生活の面でも全てうまく行かず,呆然とした時期もあった.しかし日本に帰っても仕事をする場所がないというぎりぎりの状況だったので,何とかこちらで生活するしか私には選択枝がなかった.仕事はこれまでの一年間で満足はしていないがまずまずできている.今だから言えるが,留学して良かったと思っている.今やっている内蔵知覚に関する仕事(過敏性腸症候群に関連)もやっときれいなデータがでてきて,目鼻が付いてきた.後一年でこのあといくつ仕事がまとめられるかわからないが,日本に帰ればこれ程productiveに仕事ができないので,こちらでの貴重な時間を無駄にしないようにやっていきたい.

12日:先週は自宅のPCのHDDがcrushして2.5GBのデータその他が飛んでしまった。実は前兆が4-5日前からあった。HDDのアロケーションエラーがでたり,起動状態が不安定だったりしていた。その日は、突然HDDが変な音を発したかと思うと,次には全く動かなくなってしまった。幸い実験データは研究室のMacにつながっているMOにほとんどセーブされていたので事なきを得たが,その他のもの(このホームページやe-mailなど)は,全く復旧不可能になった。そのため,夜はこのPCの復旧に費やした。幸い,古い1.2GBのHDDが手元にあったのでこれにつなげ変え,Win95を再インストールして,インターネットに接続する環境を整え,次にIMEを入れて,アプリケーションをインストールして....たっぷり4日かかってしまった。おかげで寝不足が続いた。これに懲りて,昨日,ついにデータバックアップ用にZip driveを購入した。たまたま近くの電気屋で129ドルという値段で売られていたので,すかさずgetした。(たいていの相場は安売りでも149ドル)。Macでも使えるようにSCSI用を買った。SCSIボードはどうせ買うなら最低でもPCIのSCSI2と思っていたが,かなり高い。すると売り場の隅に無印の怪しいISA用のSCSIカードが39ドルで投げ売りされていた。どうせZipにだけ使うなら,ISAでも転送能力に不足はないし,将来他のSCSI機器ををつなげるなら,日本で別のボードを買ってもよいと思ってこれを購入した。ボードは初期設定のIRQが私の環境でバッティングしたため,はじめは認識してくれなかったが,それを変更すると,今度はPCが自動で認識してくれ,Zipが難なく使えるようになった。これでデータのback up環境は整った。しかし,システム全体のバックアップはメディアが2GBくらいで,書き込みが早くないとやる気にならない。Jazの2GBがでるそうなので,将来的には手に入れたい。ところでこの古いHDDは丸2年が経過しているので,いつ故障するとも限らない。なんとか帰国するまでは持ちこたえてほしいと祈るのみである。実験はこんな事件があったがきちんと続けられ,ようやくデータがまとまりつつある。すでに終わった仕事,3つの論文を書きながらの実験は忙しい。論文を書くならしばらくそれに集中したいのだが,日本に帰れば今の実験ができなくなるので,とにかくなるべく多くの実験を続けてやっていきたい。

25日:今週は内蔵知覚の実験と,ラットの脳の組織標本づくり,論文書きと盛りだくさんの仕事内容だった.脳の組織標本は,6-9月にやった脳の神経核にpeptideを投与した実験で,きちんと望み通りの所に投与されたかどうか確認するためのものである.ここの研究室には神経組織学の専門家もいるので,いろいろな手技を教えてもらえるのが良いところである.最近のロスはめっきりと寒くなり,朝は20度を下回ることが多くなってきた.本日で夏期時間も終わって,時間が一時間繰り下げられる.

11月

3日:冬時間になり,帰宅する頃には真っ暗になってしまった.しかし最近なぜか暑く,連日35度程にまで気温が上がっている.Halloweenも先週終了し,Thanks givingとクリスマスが近づいてきた.ところが例年この時期はとても忙しい.というのも来年5月に行われるAGA(アメリカ消化器病学会)の抄録の締め切りが12月上旬に迫っているからである.先週は自分のアイデアで教授にも内緒で実験を組んでやったのだが,見事にもくろみが当たって,良い結果がでた.教授に報告すると,さらにこの方面にも仕事を進めるよう言われた.何とかこの仕事もAGAに間に合わせたいが,こればかりは無理だろう.まとめなければならない仕事がその前に4つもある.ところで昨日,車で買い物に行こうとして信号待ちしていたら,後ろから追突された.後ろのバンパーが少しへこんでいたので,修理することにした.(ふつうのアメリカ人なら直さないと思うが,ぶつけられて何の保証も得られないのはしゃくだから,直すことにした)おそらく100%相手側に過失があるので向こう持ちで直せると思うが,現在交渉中である.どんなに気を付けて運転していても,事故は起こってしまうものである.とりあえず体は無事で良かった.

8日:今週は車の事故の後処理で苦労した.結局,相手側が責任のすべてを認めたため,相手側の保険を使って私の車を修理することになった.ここまで来るのに,相手側と何度か交渉し,さらに保険会社とも交渉する必要があった.ただしまだすべてが解決したわけではなく,車を修理する期間のレンタカーの代金は保険会社からは一日20ドルまでしかcoverされないとのことなので,差額を相手の運転手に払わせるよう交渉中である.なんだかこの1週間で英語が急に上達したような気がする.仕事は,AGAのabstractの締め切りに向けての追い込みで,極めて忙しい.新しいcompoundが手に入ったので,これを使って実験をし,こちらに来て最初にやった仕事に加えて論文をまとめることになった.もちろんこれはAGAにも発表しなければいけないので,素早く完了させなければいけない.エチオピア人のfellowが,自分がsubmitできるAGAのabstractの数が少ないので,私と共同で一つ発表しようと言うことになり,もうdeadlineが近いのに新たな仕事も共同でやることにした.本当に間に合うのだろうか?

15日:車の事故処理は結局私が477ドル受け取ることで決着した.(詳細はこちら)AGAの締め切りが迫っているので,連日夜8時近くまで実験.今日も土曜日だが出勤した.こんなことを書くと仕事ばかりと思われてしまうが,この前の日曜日は10Kmのロードレースに参加して,100人中12位と健闘した(タイムは良くなかった.スタートの時に転倒してしまった).レースの本命はは3月のロサンゼルスマラソン(フル)である.これに向けて今年はきちんと体を仕上げていきたい

23日:今週もAGAの締め切りに向けて追い込みが続いている.何で締め切りの前になってこんなに忙しくなったかというと,それは決して今まで怠けていたわけではない.あたらしいcompoundが手に入って,これに関する仕事を,AGAの抄録締め切り前までに終わらせるよう教授に言われているからである.これがなければ,今こんなに詰めて実験をしていなかったろう.しかしこのcompoundに関する仕事のpriorityを取るためには,学会で一刻も早く発表しなければならない.新年に入ってから1週ほど休暇を取る予定にしているのでそれまでの辛抱.昨日も土曜だが仕事をしていた.fellowが私の顔を見て顔色が悪いから早く帰った方がいいと忠告してくれた.確かに疲労がたまっている.私の場合,実験の他にトレーニングという重要なもう一つの"仕事"があるので,疲労が倍加するのであろう.そういえば,毎朝のランニングの時の体の調子が最近悪い.それでもランニングは頭をすっきりとrefleshしてくれ,実験のアイデアのひらめきを与えてくれるので,精神衛生上非常によろしい.

12月

7日:AGAの最終締め切りは12/8.昨日まで実験を追加して,結局抄録は最低5つ,最高7つは書けることになった.と言うことはまだ書いていないと言うことだが.明日の午後4時までに提出しないといけない.それにしてもこの一月は極めて忙しかった.当初は実験計画が無謀でとても期日までに終わるとは思わなかったが何とかまとまりそうである.これが終わったら少し休息して....と思っているが,教授から今度は違う仕事をすぐにやるように言われている.クリスマスはこのままのテンションで仕事をしてから,年明けに休みを取る予定.

13日:結局AGAは抄録が6つになった.私はこれまで学会の発表についてはあまり積極的ではなかった.というのは論文を書かなければ単に発表してもあまり意味をなさないからだ.今回も基本的には同じ考えだったが,仕事の内容が他の研究グループと競争する状態になっており,この学会で発表してこの仕事のpriorityを取っておかないと,その後の仕事がうまく進まないと言う事情があったため,抄録作成に躍起になったのである.締め切りが終わって,研究室は閑散としている.でも私の仕事のペースは締め切り前と変わっていない.こちらでの滞在期間が残り少なくなってきたので少し焦りが出てきた.

21日:仕事のペースは変わらず忙しい.ただし土日は休むようにしている.しかしクリスマス,大晦日,元旦は仕事の予定が入っている.1/3から10日程休暇をとってrefleshしようと思っている.さすがに最近LAは寒くなってきて朝は10度を切ることが多くなってきた.それにエルニーニョの影響か雨が昨年に比べて多い.自転車通勤も雨だと辛い.

27日:クリスマス休暇も何事もなく仕事を続けた.研究室は12/23から誰もいなくなった.静かな研究室で一人で仕事をするのも気楽で良いものである.実験するためにratに複雑な手術をしてしまったので,休みでも様子を見に行かなくてはならず,結局土日も一度は研究室に顔を出している.手術済みのratを無駄にしないように,1/3までにはこれらのratを使った実験を完了しなければ行けない(1/3から休暇を取る予定).結局大晦日,元旦も返上して仕事をすることになってしまった.

1月

3日:年末年始には新しい仕事を自分のアイデアで始めたのだが,一つは当たり,一つははずれといったところ.まあ全てがあたるわけがないので50%の確率でも良しとするか.でも休日返上でやった仕事だけに少し寂しい.やっと今日からholiday.それでも性格上完全に休むと言うことは無理で,頭の中には仕事のことが常に引っかかっている.それから遅れましたが,今年もよろしくお願いいたします,皆さん.

17日:1/5-1/12の期間休暇を取った.途中3日4日でメキシコ(カンクン)に行ってきた(近いうちに旅行の記録で報告します).帰ってきてみると,ラボミーティングの発表が自分にあたっていて15日までに仕事をまとめなければならなくなっており,仕事開始早々忙しくなった.発表は無事終わり,またいつも通りの実験の毎日になっている.仕事をしていると逆に気持ちが落ち着くのは気持ちが病んでいる証拠?

24日:19日はMartin Luther King Jr.の誕生日でholiday.火曜日にLabに行ってみると教授に捕まり,木曜日に研究会の出席のためにLAを発つので,それまでに私がやった仕事の一部についてグラフを作るように言われた.まる一日かかって9つのグラフを作った.こういうことを言うのはいつもぎりぎりになってから.もう少し早く言ってもらいたいものですね-実験計画が崩れてしまうので.今週はなぜか疲労感が強く,仕事を続けるのが辛かった.休み疲れか?AGAに提出した抄録のうち一つの仕事に関して,その後の追試により実験の系に若干問題があったため,再実験を組むことになった.一歩後退といった気持ちが強く残るが,焦らずじっくり進めていこう.

31日:今週は一つ論文を完成させて教授に提出した.この論文はここに来て2つ目の仕事だ.もう一つすぐにまとめなければいけない論文がある.こちらに来て最初の仕事はほとんどまとまっているのだが,使用するpeptideのdoseの問題で最後の詰めがまだ完了していない.最近の実験は教授がやれと言ったものではなく,ほとんど自分のアイデアで仕事を進めているが,今週も非常におもしろい結果がえられた.もともとちょとしたひらめきから組んだ実験だったが,予想とは全く別のクリアな実験結果が得られ,結果を疑い5例ほど動物を追加して同じことをしてみたが,やはり同じ結果.確かにとてもおもしろいのだが,結果の解釈が難しい.週末はこのことで頭がいっぱいだった.うちの教授は教室員に対して仕事を強制する事がなく,自分のアイデアで自由に仕事を進められるので,その点が非常によい.

2月

15日:先週は風邪をひいて苦しかった.何とか仕事は続けたが,ランニングを3日中止した.3/29のロサンゼルスマラソンを前にして,またもやいやな予感.実は去年もこのマラソンにエントリーしていたが,直前に風邪をひいて出場を断念したのである.今年は同じことを繰り返さないようがんばりたい.先週から引き続いてやっている仕事は一応の結論が出て,さらなる発展のために追加実験をすることにした.最近は自分のアイデアで仕事を始め,うまく行けば教授に報告して,今度は教授がその仕事を発展させるためにアイデアを出すという,良い流れができている.

3月

7日:仕事を進めるうちに最近はいろいろなアイデアが浮かんでくる.幸いにも自分のアイデアで仕事を進めることが自由にできるので,同時に3つほどのprojectを今行っている.3/13はUCLAキャンパスで学会があるため,その資料作りで忙しい.LAマラソンも3/29で迫ってきた.しかしまた今風邪をひいている.いやな予感.

14日:昨日学会も無事終わり少し楽になった.やりかけのprojectがたくさんあってどれを優先的に手を付けたらよいか解らなくなってきた.滞米期間も残り少なくなってきたので,しっかりとまとめなければと思っているのだが,ついつい素朴な疑問が頭に沸いて,そこから新しい実験を組んでしまってのめり込んでいくというパターンにはまっている.それがうまくあたってくれば良いが,空振りに終わることの方が多い.デスクワークだけで一日を費やすと言うのがどうも私の性に合わないのだが,少し軌道修正した方が良い?ところで私は日本に帰ってからは,しばらくは実験ができそうにないので,今のうちにできる限りの仕事をしてしまいたいと思っている.仕事のまとめは極端な話,日本に帰ってからでも可能である.

22日:先週はこのホームページを通じて知り合いになった先生がこちらに住むことになり,その生活のset upに協力させていただいた.今年の8/19-23にPhiladelphiaで行われる,アメリカ消化器運動学会の抄録締め切りが3/31だったことが昨日判明して,現在その作成に忙しい.また今回も綱渡りになりそう.

4月

11日:学会の抄録書きとロサンゼルスマラソンなどが終わり一段落したと思ったら,もう一つの学会の抄録締め切りが4/15に迫っていた(7/13-7/15 Brain Gut Interaction symposium at San Diego).でもこちらは早々と書き上げてしまったのでOK.マラソンの疲れは今回はほとんどなく,翌々日からは普通どおり練習ができている.タイムが3時間18分と遅く全力を出しきっていないからだろう.そう考えるとまじめに走ったら再び3時間を切って走ることが可能であろう.35歳を間近にして自分の体力を再認識した.帰国まで数ヶ月になって,これまで私が明らかにしたことをflow chartにして書いてみた.今までやってきたことの相互のつながりが良くわかり,これからさらに何を明らかにしなければいけないかが解ってきた.少ない残りの期間を大切にして仕事を続けていきたい.最近日本のある雑誌社からこのホームページを見て,留学体験記を書いて欲しいとの依頼を受けた.これを二つ返事で引き受けてしまったので,もう一つ仕事が増えた.

25日:AGA(アメリカ消化器病学会)が間近に迫ってきてその準備に忙しい.そんな中,子供が得体の知れない虫に刺されたらしく足がひどく腫れ上がってしまった.病院につれていくと,感染があるので抗生物質の点滴をするとのこと.私自身が医師なので,病院に行ったとき,主治医の治療方針に疑問を持つことが時折あるが,こんな時も極力自分の意見は言わないことにしている.今回も抗生物質と一緒にステロイドを投与すれば著効するだろうにと思っていたのだが,たまたま外科の先生が子供の足を見てくれ,主治医の小児科の先生に助言してくれステロイドを点滴してくれた.翌日から腫れは良くなり事なきを得た.LAはエルニーニョの影響で雨が多く,蚊などの虫が大発生するおそれがあり,虫さされには気を付けなければいけない.確定申告を初めてアメリカで自分で行ったが,早くも払戻金が口座に振り込まれていた.一安心.

5月

10日:AGAの発表が近づいて,発表のチェックが行われている.ポスター,スライド作りなどで毎日忙しい.そのため動物を使った実験が少し滞っていて欲求不満気味である.5/16にLAを出発して5/21までの6日間New Orleansに滞在する予定である.こうして5月も終われば,こちらで過ごせる時間もあと実質3ヶ月しか残っていないことになる.ますます焦ってきた.

31日:New OrleansでのAGAの発表も無事に終わり,LAに帰るとすぐ家族サービスのために2泊でYosemite国立公園に車で行ってきた.往復1000Kmのドライブでなおかつ帰ってくる日は雪が10cmも道につもり,非常に危険だった.学会と運転で疲労が抜けない.LAに戻っていよいよ残り3ヶ月で論文のまとめと,今やりかけの仕事のまとめを完了させなければならない.さらに日本での就職先へ提出する書類の作成,引っ越しの準備,家具や車の売却など,やらなければいけないことが山積みである.

6月

7日:ついに実質なアメリカ滞在期間が3ヶ月になってしまった.7月,8月の学会期間仕事ができないことを考えると,よっぽど毎日をきちんとやっていかないと,予定の仕事が終わりそうにもない.この時期になると帰国してから何をやろうかとか,逆にLAから去るのがさびしいとか感傷的な気分になる事があるが,仕事以外のことには全く構っていられないというのが今の状況である.

20日:帰国の日を9/10と決めて,飛行機を予約した.いよいよ2年間の総仕上げの時期になってきた.仕事でやらなければいけないことを計算すると,順調にいったとしても滞在期間内に全てを終わらせることはできないかもしれない.そんなわけで毎日が勝負という日々なのだが,不覚にも風邪をひいてしまった.こちらは我慢して仕事を続ければ実験計画は狂わないのだが,こんな時に限ってラットが麻酔の段階で死んでしまったりする.こんな中で私は明日35歳の誕生日を迎えます.

28日:自分の仕事を完結させるだけでもどうなるかわからないのに,教授が突然新しい仕事を持ってきた.他の研究所から依頼された仕事で,新しく合成されたcompoundの効果をvivoの実験で確かめて欲しいとのこと.その研究所ではvitroではきちんとデータが上がっており,私の結果を加えてjournalに投稿したいとのこと.向こうからのFaxには私のデータが上がれば,1週以内にjournalに投稿したいと,かなり急いでいる様子である.競争相手がいるのかもしれない.とにかく最善を尽くして仕事を続けるしかない.6/25にWindows98がこちらで発売になった.別に購入するつもりはなかったのだが,仕事上PCはほとんど英語しか使わないので,英語システムに変えようと思っていたのだが,いまさらWindows95でもないので,これを機会にWindows98でシステムを組もうと決心して買ってしまった.6/25は3年前のWindows95の時とは異なり,お店はがらがら.それでも夜中の2時頃まで営業して6/25のカウントダウンとともにWindows98を発売したお店もあった.いずれにせよ盛り上がりを欠いた発売日ではあった.HDDを一台新しく購入して,system commandarを使って日本語Windows95とdual bootにしたが,Windows98上では今までよりかなり素早くソフトが動作するようになった.これはWindowsの動作速度が改善したと言うよりは,日本語の処理のためにWindows95の動作が異常に遅かったと言うことだと思う.私の機械(無印Pentium133)もまだまだ現役で使えるようだ.

7月

4日:今週は月曜日から家内が風邪をひいて発熱したため,家事,子供の世話など全て自分がやらなければいけなかった.子供をpreschoolに送って行きその合間に実験をして,また子供を迎えに行って食事を食べさせその後再び実験をする.しかし夕方は必ず5時に帰宅し,食事を作り,子供と遊び,なおかつあいた時間にランニングをするという殺人的なスケジュールだった.家内はとうとう1週間解熱せず寝込んでしまい,私自身も疲れてしまった.どうしても延期できない実験を計画していた日は,朝7時から仕事を開始して,10時に一段落したところで子供をpreschoolに連れて行った.この1週で子供は父親が実は仕事をするだけではなく,家のこともいろいろなんでもできると言うことが解ったらしく,私を見る目が若干変わっている.というわけで今週は1日仕事を休んだが,7/3日のUCLA holiday(独立記念日が今年は土曜日になったので,その前日を休みにしたのだろう)はしっかりと仕事をした.家内もやっと今日になって回復し,やれやれと言うところである.独立記念日の今日は,今,外で盛んに花火が上がっている.これが2度目の独立記念日.

11日:家事から解放されて,仕事三昧の一週間だった.明日からはSymposium of Brain and Gut Interactionsという学会で発表するためSan Diego(La Jolla)に出発する.LAから車で2時間弱のところで有名な観光地でもある.4日間ここで過ごすが,宿舎はUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)の学生用のもので,本を読む照明やTV,電話もないとのこと.缶詰状態で朝早くから夜遅くまで学会プログラムがあるようだ.

19日:学会は実は国際学会で,各国から著明な研究者が多数集まり,非常に有意義であった.もともと行く前は大した期待をしていなかったので,良い誤算だった.AM8:30からPM10:00まで連日スケジュールが組まれており内容は非常に濃かった.唯一,期間中1日だけ,午後3時間ほど自由時間があったので,研究室のみんなとLa Jollaのbeachに泳ぎに行った.UCSDのcampusは広大で,建築物はその殆どが新しくスタイルもモダンなものばかりで,UCLAとは比較にならないほど綺麗で充実している.ここで大学生活を送っている学生がうらやましかった.

25日:帰国が近くなってきて,仕事のまとめの時期になってくると,逆に様々なアイデアが沸いて来て,いろいろやってみたくなる.今は一日一日がとても重要で,滞在期間が許す限りやるべき事をやっていこうと思う.8月のPhiladelphiaの学会からLAへ帰ってくるのが8/23で,帰国が9/10.8/23以降は仕事はおそらくできないから,もう実質3週間ほどしか実験ができないことになる.帰国してからもいつ実験の再開ができるかわからないし,研究三昧の生活は今後はあり得ないので,後残された期間悔いを残さないようにやっていこうと思う.

8月

2日:ついに実質上,あと2週間ほどしかこちらで実験ができなくなってしまった.仕事はこの時期に及んで,新しい事を見つけたので,それに関する実験を毎日重ねている.予定ではなんとか終わりそうだが,今のシリーズの実験が終わったら,また次にする事が自然に生じるので,きりがないと言えばきりがない.残り時間は短いが,ここら辺で切り上げるのが良いのかもしれない.終わらない仕事は,labのfellowに残して完結してもらおうと思う.いよいよ自分のアパートにある家具などをMoving saleと称して売りに出す.これからは仕事とともに,帰国してからの仕事に関する手続き,その他帰国の準備などで時間がとられてしまう.8/19-8/23はAmerican Motility Meetingで発表するためにPhiladelphiaへ行かないといけないし,8/27-8/30は家族サービスのためアラスカへ旅行.超過密スケジュール.

9日:仕事はあと残すところ1週で終わり.やりたいことはたくさんあるが,きりがない.引っ越しに供えて家具その他を売りに出しているが,告知から3日ほどで,だいたいの物はさばけてしまった.まだ車は売却先が決まっていない.先週,少しでも車を高く売るために車体の傷をなおしたのだが,今週駐車場で後ろのバンパーを当て逃げされてしまった.また直さなければ.

23日:Philadelphiaの学会からたった今帰宅.実験は先週で全て終了の予定だったが,今週8/24-26としっかり最後の実験を組んである.そのあとAlaskaに3泊の旅行をして,9/3にはLabでLectureを行い9/10に帰国の予定.

9月

5日:ぎりぎりまで実験をして8/27-8/30までアラスカ旅行.9/3に研究所で最終講義を行って,ここでの仕事は全て完了.しかし実はまだ論文を投稿するため教授と毎日discussionをしている.一つは昨日送付したが,あと教授の手元に2つ残っているのでぎりぎりまで作業を続ける.日本に帰ってからまとめなければいけない論文も2つ程あり,共著があと2-3あるので結局7-8の論文を投稿できると思う(publishされるかどうかは別).帰国は9/10日.引っ越しの準備で忙しく感傷に浸る時間もないが,我ながらこの2年間は胸を張って全力を尽くして仕事をしたと言える.
(一応今回で留学日記は終了します.帰国後は北海道大学で勤務することになりました.その様子についても今後HPに載せていきますのでよろしくおつき合いください)


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