その後のエヴァ日記(2)破局

(1999/02/06)


「だめなのね、もう……」

「気持ち悪い」


その最後の言葉を聞いた僕は、我ながらも勝手だと思いながらも
確実に彼女への情熱を失わせてゆく……。


7月7/20映画報告  7/26便乗エヴァ本 7/28セリフ書き起こし

8月8/3教授にばれる 8/4もののけ 8/5週刊朝日 8/7さよなら 8/8境界例 8/18二度目 8/26休載 8/28オウムと公安

9月9/26休載 9/28私立第3男子高校 9/29やをい感

10月10/1森川嘉一郎 10/3エヴァ再見 10/7父母もののける

1997年7月20日 (日)

 エヴァの映画のレポートを書いたりしていたら19日の日記を書くのをすっかり忘れてしまいました。まあ、ご愛敬ということでご勘弁ください。
 ネタバレ話は、「ガイナへの手紙」と「映画報告」にありますので、そちらの方をご覧ください。まあ、とにもかくにも祭りは終わった、と。

1997年7月26日 (土)

 今日、いつもと違う本屋に行ってみたところ、大量のエヴァ本の新刊が出ているのには驚きました。キャラ分析がどうも主のようですが、あんまりよく見てないので、詳しくは分かりません。
 もう、なんか便乗商売、って感じで買う気はしません。なんなんでしょうね。

1997年7月28日 (月)

 某所でアップしている夏映画のセリフ全書き起こしをじっくり読んでみた。
 私の書いたレビューの特に26話、順番については相当滅茶苦茶であったことがはっきりしました。
 シーンごとの内容はほぼそのままですが(それでも私の想像の部分もあるよう)、特に26話はほとんど私独自の並べ方になってしまっております。
 具体的には司令室、ゼーレ、補完計画の三つのシーンが実際にはかなり交錯的に進んでいるにもかかわらず、それを今上げた順序で、再構成して並べてしまっているのですね。
 特に補完計画の進行、つまりシンジの内面劇は相当26話冒頭から始まっており、うざったないな、と思うと現実場面がでてくるという仕組みになっております。
 結局私はそのシーンがきりかわる事に頭の中の部屋にそれぞれシーンを分割して投げ入れて理解していたようです。
 どうしようかな、とも思ったのですが、一応このままにしておきます。

1997年8月3日 (日)

 昨日は、以前少し話しましたように大学のゼミのOB会があり、そのまま後輩家で眠りこけていました。

***

 さて、不承不承出席したOB会。
 そこでは、ある後輩の小さな親切により私のページの存在は半ば「常識」と相成っておりました。
 「今日エヴァンゲリオンの映画見てきたよ。面白かったよ」
 さる先輩はにこやかな笑顔で映画のパンフレットを見せてくれた。
 「なんかホームページ作ってるんだって。そっちでは食えないの?」
 高校生の娘さんもエヴァはまっているという教授の言葉に私は言う。
 「無理です」
 人生は泣き笑いである。

***

 文句を言いながらも、会場には一番乗りしてしまい。男4人に教授だけとなったお寒いカラオケ4次会にも最後までつきあった。後輩の一人の家に新宿からタクシーで移動。朝方の9時まで爆睡していた。もちろん、とっても優しい「小さな親切家」の後輩、某O君もご一緒だ。

 一泊させていただいたその後輩(しかしなぜか私より年上)宅では母君から朝食までいただいた。おにぎり大変おいしゅうございました。

 その後、某O君と二人で新宿に戻り「もののけ姫」を鑑賞。夕方9時まで、よもやま話を語り続ける。結局男二人、12時間顔をつきあわせたことになる。ところで君と実際会ったのは昨日が初めてだったよね……。

***

 話すぎで喉がつぶれる程のハードスケジュールであったが、収穫もいくつかあった。
 まず、エヴァに対して実に寛容な心を得るにいたったこと。ある一言をきっかけに、エヴァについて新たな視点を持つことができるようになったのです。もうこれで恥ずかしい監督に対する恨み言もお終いです。サンキューO。
 もののけ姫については「ま、こんなもん」という感じで特に感想はありません。映像はさすがにすごかったです。そのレベルは世界随一と確認。ただ、ちょっと渋すぎて食い足りないのも事実であり。機会があればレビューしたいとも思っているのですが……。ま、アシタカもなかなかやりおるのう、とだけ申しておきましょう。

1997年8月4日 (月)

 「もののけ姫」の感想、まとめて見たいとも思いつつもどうにもやる気がおきない。健全すぎるのである。腕や首が飛んだりするシーンが話題になってますがほとんど雑魚キャラの侍ばかりですから。全然感情移入もできない明かな切られ役がどうなろうと、あんまりびっくりはしません。エヴァの悪影響かもしれませんが……。

 びっくりしたと言えば。
 主人公のアシタカについてちょろり書きましたが、少しネタバレしますと。
 物語の初めの方で、彼は故郷の村を去ることになります。その時、村の娘から「ペンダント」をもらうのですね。娘はアシタカに惚れているのです。アシタカもそれに答えるようなセリフを吐いて(「戻ってくる」うんぬん)去ってゆくのですが……。
 そのペンダント、なんと後に彼は「もののけ姫」にあげちゃいます。
 昔の彼女からのプレゼントを、新しい惚れた女に渡す男。
 やっぱアシタカ、あんたすげーわ。

1997年8月5日 (火)

 本屋で今週号の「週刊朝日」と「週刊読売」を読む。どちらも「もののけ姫」と「エヴァ」の記事を載せていた。
 両者の軍配は明らかに「週刊朝日」にあがる。手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明の流れを今回の夏映画対決から始め、手塚治虫が残したものをどうやって両者が受け継いだかを、宮崎・庵野の関係とオーバーラップ気味に描いており、内容が濃い。私自身は知っていることばかりであったが、上三人の特質を有名な発言を交えながら語る口調のなめらかさは、明確な理解の上で書かれたが故のたまものであろう。
 一方週刊読売はアニメに詳しそうな岡田氏や大泉氏などのコメントを並べてはみたものの統一感に乏しくやっつけ仕事的な印象がつよい。まあ、この間の「AERA」の庵野監督へのインタビューよりかはましではあるが。

***

 今日は久々に本屋をゆっくり巡回する。近場から少し離れたやや大きめな書店も探索してみる。一部で噂になっている別冊宝島の新刊アニメ本を手にとってぱらぱら見てみる。実はエヴァ以降、再び私はアニメから離れていってしまっている。
 最近では「ウテナ」とか「子供のおもちゃ」とか「ガオガイガー」など評価が高いがどれも見ていない。

1997年8月7日 (木)

 そろそろ庵野エヴァにも最終的な決着をつけようと本屋で「ターミナル・エヴァ(永瀬唯著・水声社刊・定価1200円+税)」と「エヴァンゲリオン快楽原則(五十嵐太郎編・第三書館刊・定価1400円+税)」を購入した。
 前者は主に大月隆寛の論文を読むため、後者は若手思想家群の主張を一応押さえるがために買った。異論はあるだろうが、世代的にもエヴァ世代・オウム世代の彼らの主張をとりあえず押さえた上で、私の主張を整理してしまいたいと思うのだ。
 数日前、「ある一言をきっかけにエヴァに新しい視点を得て、監督への恨み言を言う気が無くなった」と書いた。これは監督の事が急に好きになった、という意味では全然ない。
 ただ「なんだ、こういうことか」とふと、全てがふっきれ、いわばエヴァをその「言葉」に全部押し込めることにしたというだけの話だ。
 語ろうと思えばまだまだ語れるのかもしれない。しかし、とりあえずその一言で言い切り、もうこだわるのも止めようとも思う。監督を持ち上げるのも、こき下ろすのも疲れた。

 そもそも、どうしてここまでエヴァにこだわってしまうかと言えば、つたないながらも、自己満足にすぎないながらも小説のようなものを書いていた自分に対して絶望を感じたからなのだ。何を書いてもエヴァででてきたシーンやセリフが思い浮かんできて、真似をしているように感じられてしょうがなくなったのだ。意図的ならばとにかく、無意識で出てくる言葉がそっくりなんじゃ、洒落にもならない。重度の精神汚染である。その汚染状況をなんとか意識の上までひっぱりあげたいというのがその全ての動機の原点にあった。

 だがもういい。今はエヴァによる汚染は今までの私のたまっていた問題の噴出の面の方が大きく、エヴァはある種きっかけにすぎなかったのではと、疑い始めている。ただ、この際、エヴァについて語る機会が山ほどあったのには、自分でも幸運であったと思う。

 この先もエヴァについて話すことはあるだろうが、それは多分現時点で感じていることの延長線上に述べるだけで、この先当分、それは揺るがないだろうなと思う。
 最終的決着はやはりもう一度映画を見ないと駄目かもしれない、とも思っている。そこで感じたことで、私の庵野エヴァへの態度はひとまず一区切りだ。今やっている予習(復習?)が済んだら、とりあえず劇場に向かおう。吉と出るか凶とでるかは解らないが。

1997年8月8日 (金)

 昨日買った二冊のエヴァ本をまだ読んでいる途中ですが、物凄く面白いですね。特に精神科医の斉藤環の文章には考えさせられました。
 エヴァという作品は分裂症というより境界例的だ、という論旨で話が進むのですが、その中で「共感では境界例は治癒しない」という言葉にどきりとしました。

 説明しますと、分裂症とは大雑把に言うと、「精神分析では扱えない症例」のことを指します。色々説はあるようですが、主に脳の機能障害により、他人とまともにコミュニケーションをとれず、内向化している人を指すようです。 それに対して、境界例とは、コミュニケーションはとれるのですが、そのことにより相手を挑発し、結果的に自分の症状を相手におしつけ、共に治療者ともども泥沼に陥る状況を、まあ、指すようであります。
 そしてエヴァはその境界例(ボーダーライン)的な作品だというのです。

 精神分析やその他の心理療法・カウンセリングの基本は、「感情の交流」を持つことから始まります。信用される、という意味以上に、その感情交流行為そのものに治癒効果を認めるとするのが一般です。それ以上の目標に関しては学派によってさまざまですが、最低限ここだけは全てに共通しています。
 しかし、境界例の場合はそれでは駄目だというのだからこれは大変です。斉藤先生自体は、それでもやはり前提としての感情交流の重要性を信じたい、と述べておられますが、治癒した結果だけを見ると、突き放して、結果、逮捕されたり、暴れて病院に入る等、患者と離れてしまった方が症状が落ち着くようなのです。
 詳しいことは不勉強で解りませんが最近話題のストーカー気質の方もこの境界例に含まれるのかもしれません。他にも、絶対理解不可能の化け物という意味で「サイコパス」の概念を捉えている人もおりますし、従来の精神分析の枠組みで捉えられない事例が相当増えてきているようです。

 精神分析の唱えた「無意識」の概念は百年かけて一般に流布しましたが、もう既に時代は新しい概念をも必要としているのかもしれません。
 元々、精神分析は、治療者それぞれの経験的に得た法則を無理矢理理論としてまとめた仮説の集まりにすぎませんから、「精神分析の理論によればこうなる」なんて断言することは不可能ではあります。
 そもそも「治癒」という概念自体が揺らいでおります。私も「治癒」という言葉はあまり好きではありません。せいぜい「どうにかする」と言うぐらいしか言えません。
 しかし、境界例の人はその「どうにか」もできないのじゃ、お手上げです。一般の人にとってはかかわらないのが一番ということになるのでしょう。プロでも関わってどうにかなることはゼロに近いようですから。奇跡を待つしか無いと言いますか。どうにかなったのは「偶然」と言うんじゃ……。

 気力のある限りはわりと共感的にいようと思っていましたが、これもワンパターンにそうしてはいけないのかも、と考え込みます。ましてや自我の弱い自分ですから。身の程を知ってさっさと逃げ出すことも必要なのかもしれません。
 怖い。
(8/9 0:01)


1997年8月18日 (月)

 「THE END OF EVANGELION」、遂に二回目を見た。
 今回はできるだけ好意的に見ようと努めてみた所、結構前回気付かなかったカットを見つけて驚いた。特にラストあたりについては相当解釈が変わってきた。もちろん、最初に見た時の感想がやはり、トータルとして見た場合の印象ではあると思うが、監督の意図というか扱っている問題についてのあがきの姿が鮮明に見えて正直泣けた。
 もしかしたら詳しく書くかもしれない。書かないかもしれない。
 ただはっきり分かったのは監督は監督なりに本気であったなということ。
 どうしようもないし、本当にしょうがないな、とは思うが。
 これもやはり業、なのかもしれない。
 ミサトさんの言葉を借りるならば「こういう形でしか自分の気持ちを伝えられない」んだな、と。悲しくなってきた。その分私の気持ちは優しくなれたが。
 ま、監督、頑張ってください。私は力になれそうもありませんが。

1997年8月26日 (火)

 最初に述べておくと、今月は「エース読感」はありません。理由は単純にエヴァが休載しているからです。ついでに言うならば、雑誌は買ってもおりません。ただ、本屋でざっと立ち読みだけはしました。来月、エヴァが再開した時、どうするかはまだ決めておりませんが、多分書くと思います。


1997年8月28日 (木)

 QUICK JAPANの今月号に、竹熊健太郎氏、大泉泉成氏、東浩紀氏の鼎談記事が掲載されていました。三人とも夏映画を大絶賛していました。ちなみに竹熊氏は庵野萌え、大泉氏は綾波萌え、東氏はアスカ萌え、であります。
 特に東氏は「庵野さんをみくびっていました。アスカ萌えでよかったです」とのコメント。
 一応、もののけ姫との比較という話題ですが、エヴァの方が三人ともお気に入りのようです。

 もう何日か前ですが、宮台真司氏と岡田斗司夫氏の対談が毎日新聞にのっていました。両氏は映画にわりとひややかです。岡田氏は特に以前から、「庵野監督は悩んでいるふりをしているだけ」「映像のインパクトは最高だが、それをただつなげているだけ」とかなり氏に対し批判的です。ちなみに彼はもののけ姫については「最初の一時間は最高、あとは……」とも述べています。宮台真司氏は映画自体はどうでもいいと思っている様子です。それどころかエヴァと自分をだぶらせているような人が嫌い、であるとも述べています。

 週刊アスキーの今月号でも、コミケを取材し、もののけ姫とエヴァのコスプレをした人の写真などを掲載、もののけ姫ではファン活動はしずらいよう、との分析を記していました。個人的にはミサトさんのコスプレした人がいい感じに見えました。一番無難な衣装だから、ということもありますが。

 今月26日、公安調査庁がオウムについての調査報告書を公表。そこに、秋葉原でのパソコン販売の事実と共に、教団がエヴァンゲリオンの上映会を開いて勧誘していることが書かれていたため、ニュースやワイドショーで一斉に、エヴァがとりあげられました。特に一部ワイドショーではしっかり、エヴァの挿入曲も使用しておりました。スタッフも好きですね。
 それへの対応なのでしょう。ガイナックスのOFFCIAL NEWSのページでは、ガイナックスはエヴァについていかなる上映会も認めていない、との見解が掲載されました。
 綾波レイの部屋の伝言板では、オウムの信者を名乗る人の短い書き込みがありましたが、本物かどうかはわかりません。ちなみに、私のページの旧伝言板にも以前二回ほどオウムからの書き込みがあります。興味のある方はそちらをどうぞ。
 オウムのホームにあるエヴァの感想などは意外に普通でした。それと平行して、エヴァのパロディとしてオウムの強制捜査の様子なども描かれています。

1997年9月26日 (金)

 さて嫌な話があります。
 これから本屋で確かめるつもりですが、どうもまた「今月も」月刊少年エースでの貞本エヴァは休載しているようなのです。嫌な予感はしていたのですが、このまま終わってしまうのでしょうか。講談社からのアプローチもあるのではという根拠の無い噂もありますが、分かりません。もし、今月も休載でしたらまた「エース読感」はお休みしなくてはいけません。こんなんでいいのでしょうか。

***

 やっぱり、今月のエース、エヴァ休載でした。どうなるのだろう。単行本の発売が遅れるという噂もありますし。どうも貞本さん、やる気が相当無いようですし……。
(22:06)

1997年9月28日 (日)

 そうそう一部で有名な18禁ヤヲイエヴァ小説サイト「私立第3東京市男子高等学校」を読んだのでその感想をと思っていたのですが……やめときましょう。ちなみにこのページほぼ私と同時期にページできたのに既に10万ヒット越えてました。すごすぎ。中身も結構強烈だったけど。その分色々思うことも言いたいこともあるのですがまとまらないもので。でも読んで損は無かったです。よかったというのはおかしいけど……まあ読んでおいた方がよいかなと。
 ただ作者へ感想メール送りたくてもうまく書けないや。なんかねえ。
(9/29 1:51)

1997年9月29日 (月)

 上の私立第3東京市男子高等学校の続きを読む。ホームページ名と同じ名前の本物のやおい物は最後の方かなり飛ばし読みしてしまった。こちらは、えっちな描写はたしかに多いけれども、嫌な感じはさほどなく、その分どこか「普通」にさえ思えた。私の感覚がおかしいのだろうか。

1997年10月1日 (水)

 ゼミの先輩のU氏から「エヴァンゲリオン・スタイル」の森川嘉一郎って、俺の同級生だったとタレコミメールをもらった。その先輩もエヴァファンで最近はみやむー萌え萌えであるらしい。ちなみに、先輩は学年は上だが年齢は同じなので私と嘉一郎氏も同年齢ということになる。なんだかなあ。

1997年10月3日 (金)

 何ヶ月かぶりにエヴァンゲリオンの1話から4話まで見た。この頃の渋さが懐かしい。変にSF、オカルトがかった後半よりこのトーンの方がよかった。しみじみそう思う。

1997年10月7日 (火)

 先週の土曜日、母と父は連れだって「もののけ姫」を見に行った。まだ、かなり混んでいるらしい。ちなみに二人は、金を払って映画を見たのは結婚後初めてか、二回目かでもめていた。主に母が見たがっていたのだが、こんな母をも劇場に引きずり出す「もののけ」は結構すごい。エヴァなんて12、3億程度の収益に留まったそうだが、こっちは天井知らずでありますな。もう3ヶ月たつのに……。
(23:27)


「もういいの?」

「……ありがとう」

「その後のエヴァ日記(3)思い出」へつづく



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