第二章 堕落論補足
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第一節 堕落の内的意味 サタン中心の血統転換 本来神の妻となるべき立場にあったエバは堕落によってサタンの妻となった。サタンと一体となることによってサタンの妻となったエバが次にアダムと不倫な血縁関係を結ぶことによってアダムを堕落させた。堕落したアダムはサタンとその妻が一体となって生みだした子女の立場に立つようになった。このようにしてアダムは神の息子からサタンの息子へと転落してしまったのである。 アダムは神の戒めを破って神の前に死んだという立場に立った。それだけではなく、神の前に死んで、今度はサタンの息子として生き返ったのである。神との父子関係が切れてサタンとの父子関係ができたのである。 人間の堕落を外的にとらえれば不倫な性の関係を結んだことであるが、内的にみればサタン中心の血統転換である。反対に救いはサタンとの親子関係を切って、神との親子関係を復帰すること、神中心の血統転換である。これが祝福である。 第二節 堕落の結果 1、第一心情の喪失 子女の愛の喪失とは神との愛の断絶である。父母の愛によって子女の中に生じてくる愛が子女の愛である。従って堕落により神から来る父母の愛が断たれてしまえば、そのまま神に対する子女の愛が失われるようになる。 近、現代になって人類は理神論、神はこの世界を創造したけれどもそれ以後は関係がないという考えや、神は死んだと主張する「神の死の神学」、さらには無神論に至るまで、神を喪失した様々な考え方をもつようになった。さらに唯物論的共産主義が現れ、神なき理想を掲げて多くの人々を悲劇の淵へ引いていった。これらの思想は神を失った人間の悲惨な姿を正当化したものに過ぎない。 次に人間は神を失った結果自己を喪失してしまった。人間は神の子女である。親を失った子供は外的には同じ人間の姿をしているけれども、もはや真の意味において子供として存在することができない。それと同じように人類の共通の親としての神を失えば、人間は見かけ上人間の姿をしていても、真の意味で人間として生きることはできないのである。 人生の目的や人間の価値と尊厳性は神との関係で決定されるものである。しかし人間はその神を失うことによって、それらの全てが分からなくなってしまった。結果として人生の目的観・価値観を失い、生きる真の喜びを見いだすことができなくなって、空しさの中で多くの自殺者を出すような社会をつくってしまった。また多くの人たちが真の喜びを知らない社会にあって、偽りの喜びに浸っている。彼らは麻薬や享楽の世界にはしり、歪んだ性の快楽にふけって、ついには罪悪の中で身を滅ぼしていく。これが多くの現実の人間の姿となっている。 2、第二心情の喪失 第一心情の基盤の上に初めて第二心情が築かれるので、堕落によって第一心情を喪失した結果、それに伴って第二心情も喪失することになった。 人間が神を失った時、人類は同時に兄弟姉妹としての関係も失ったのである。そのため人間は他者の痛みや悲しみを自己の痛みや悲しみとして感ずることができなくなってしまった。人類共通の父母である神を失ったことにより、人間は兄弟姉妹をも失ったのである。 3、第三心情の喪失 夫婦の愛の本宮にサタンが侵入することによって、第三心情、夫婦の愛が失われた。最も大切な、清く尊い神の住む至聖所がサタンに犯され、サタンに主管されることによって、被原理的でサタン中心の性愛が世界を支配するようになった。 4、第四心情の喪失 神との関係が切れて、自己を失い、兄弟姉妹を失い、夫婦の愛を失い、父母の愛も失って、本来なら真の父母として子女を愛すべきでありながら、肉的には親であっても父母として責任を果たすことができない。これが堕落した人間の悲惨な実態である。 |