第五章 摂理的総決算と氏族的メシヤ
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第一節 摂理的総決算 神は人類に対して今日までに三人のアダムを送られた。全ての人類はこの三人のアダムから出発した子孫であり、三人のアダムはそれぞれが先祖でもある。したがって、この世界の問題を解決するためにはどうしても三人のアダムに帰っていかなければならない。 第一アダムの子孫は非宗教家として展開している。一つには良心家と呼ばれる人たちであり、もう一つは悪人である。第一アダムを蕩減するためにはこのような人々を救えばいいのである。 第二アダムの子孫はイエスの子孫としてのキリスト教圏にあたる。もう少し広くとればキリスト教圏を中心として神を信じる人たち、つまり宗教圏全般が第二アダムの子孫に相当する。 非宗教圏と宗教圏、そして統一圏とこれ以外に人類が属するところはない。地上の人たちも霊界の人たちも皆三人のアダムの子孫である。従って第三アダムは六千年前または二千年前の過去に実体的に帰らなくても、現在の時点に横的に展開しているこれらの子孫を蕩減復帰すれば、過去の全ての失敗を蕩減したことになる。そうして六千年の罪悪歴史を横的に蕩減することができる。 再臨主として文鮮明師はそのようなやり方で過去四十年間に全てを蕩減された。これが1945年から85年(あるいは52年から92年)までの期間である。 全てを勝利された文師はアダムの失敗とイエスの未完遂の使命を蕩減した立場であり、さらに1945年当時の摂理がなし遂げられなかったことも蕩減した立場にある。現在の文師の中には六千年前の第一アダムも二千年前の第二アダムも、四十年前の第三アダムも、全て勝利した立場において一緒に住んでいるのである。 文師が三人の先祖が皆罪を犯さず失敗せずして勝利したという立場に立たれたので、全人類がその勝利圏を相続することができるようになった。三人の先祖の勝利圏の相続を通じて真の父母の勝利圏は全人類に及ぶのである。 ところで全人類に勝利圏を相続させるためにはそのためのパイプが必要である。このパイプが氏族的メシヤである。真の父母は御自分の第三アダムとしての勝利圏を第二アダム、第一アダムに与える。そして三人の先祖はそれぞれの子孫にその勝利圏を相続させることができる。その結果全人類は罪を犯さずして完成した立場、勝利した立場に立つことができ、罪から解放される道が開かれるのである。全人類が六千年の罪悪歴史を一挙に清算し、罪なき神の国を出発する摂理のことを摂理的総決算というのである。 摂理的総決算は祝福を通して進められる。原罪は性の関係から入ったから、原罪を清算するのも性の関係を通じなければならない。全ての人類が祝福を受けて原罪を清算し、罪なき人類としてもう一度重生していくことになる。 そのための出発の摂理が1992年の三万双の祝福であった。従って三万双の祝福は摂理的総決算の摂理によって全人類が祝福を受けていくための出発点としての意義を持っていたのである。 全人類の罪を清算して、罪なき世界、つまり原罪のある人間は一人も住んでいない世界を21世紀から出発させたいというのが文師の願いである。そう考えるとそのパイプとなる氏族的メシヤがどれほど重大な使命を担っているか分かる。 第二節 氏族的メシヤ 1、真の父母の勝利圏 もともとアダムは天宙の長子として生まれ、全ての者は長子に従ってくるようになっていた。ところがその立場をサタンがとって、サタンが長子となったので、全ての人類はサタンに従うようになってしまった。これが今日までのサタン世界である。それ故サタンを感動させ屈服させて、全人類がサタンではなく再臨主の示す道を歩むようにならなければならない。これを勝利されたのが天宙的長子権復帰である。 次にアダムとエバは人類の父母となって、全人類は神を中心としてアダムとエバの子孫となるべきであった。ところがそれをサタンがとって、堕落したアダムがサタンの実体となって、堕落したエバがサタンの妻となって、全人類はサタンの子孫となった。それ故真の父母が立って、真の父母を通して全人類が生まれ変わって、真の父母の子女とならなければならない。こうして父母権復帰が成就するのである。 サタンは人間だけでなく万物圏まで奪っていった。それを真の父母が全部取り返して、全ての人類と全ての万物世界が真の父母に従ってくるようになる。これが王権復帰である。 サタンは天宙的な三権復帰を成し遂げられた真の父母の前から姿を消し、善の天使長に戻って真の父母に仕える僕となった。これが真の父母の勝利圏である。 2、氏族的メシヤ摂理の成立 祝福を受けなければ天国に行けないけれども、祝福を受けただけで天国に行けるのではない。私たちが真の父母と同じところに行きたいならば、真の父母が行かれた道を行かなければならない。それが原理原則である。しかし私たちには到底それだけのことをなす力はない。そこで文師は神に一つの提案をなされた。それは「個人、家庭、氏族の最初の三段階を成し遂げたら、残りの民族からサタン屈服に至る全ての部分の勝利圏を相続させる。」というものであった。その提案は神と再臨主とサタンの三者会談によって決まり、私たちが直接主管圏に入って行ける道が開かれたのである。 相続は親子関係を通してなされる。それ故氏族的メシヤの摂理は真の父母の子女となった祝福家庭を中心として展開されなければならない。 3、氏族的メシヤ勝利の結果 私たちの祝福は完成したから祝福を受けたのではなく、あくまでも重生のための祝福なのである。その中心テーマは血統転換であり、原罪の解決である。私たちの結婚は間接主管圏内における未完成の結婚である。原罪は解決したとしても、サタンのざん訴条件が残っているので、いつでも失敗する可能性をもっている。祝福家庭に問題がたくさんあるのはそういう理由からである。私たちはサタンがざん訴することのできない直接主管圏でもう一度祝福を受けなければならないのである。 私たちは神の国の名前において祝福を受ける必要がある。そうなれば、祝福家庭はもはやサタンとは何の関係もなくなり、真の父母が愛し合っているのと同じように自由に愛し合うことのできる立場に立つ。そして最後に世界が救われたときにもう一度世界が認める祝福があり、それで最終的に完成するのである。 本来宗教の目的は罪を清算して罪なき世界をつくり、創造理想を復帰完成することにある。宗教の目的は宗教の要らない世界をつくることである。それ故に氏族的メシヤを通して宗教の目的が達成されれば、もはや宗教は存在する必要がないのである。この目的の成就された暁にはそこに住む人々は真の自由を享受することができる。その世界においては悪というものが存在しないので、思うことは全て善であり、なそうとする願いは全て善である。だから心の思うとおりになしたとしてももはや罪とは何の関係もないのである。そして各人が個性真理体として素晴らしい本性を花開かせるのである。本性の開花において最も素晴らしいのが愛の本性の開花である。真の愛の世界の出発である。その出発点は神の愛と人間の愛が出会う初愛の一点である。人類の今日までの悲劇は地上生活においてその一点を決定できなかったことから来ているのである。 4、入籍 具体的にこの地上で天国の国籍を得て、その国の国民となって真の愛の生活をすることが天国に入るということである。神の国という具体的な国家ができたらそこに国籍を移して入籍する。それが神の国への正式な入籍である。入籍に際していちばん必要で絶対不可欠な条件は氏族的メシヤをなしたかどうかということである。 入籍は一家庭ずつであって、全部一列に並び、その差が世代の差となっていくのである。そしてそれが天国での序列となっていくのである。 永遠の神の国に入るための唯一の道が氏族的メシヤの道である。それ故に氏族的メシヤの道は宿命の道である。運命は変えることができても、宿命は変えることはできない。氏族的メシヤを勝利できずに死んでしまえば子供たちがしなければならなくなるのである。その場合には子供に手を引かれて天国に行くことになるのである。 5、イエスの代身としての氏族メシヤ 再臨主である文師初めから祝福家庭を氏族的メシヤと決定して送るので、氏族的メシヤは最初から第三アダムの勝利圏を持っている。だからこそ氏族メシヤなのである。その氏族的メシヤは自ら相対する氏族レベルの第二アダムを立て、第一アダムを立てて勝利しなければならない。ところが第二アダムは自分自身がその立場に立つのである。イエスの代身として自分自身を送り出すのである。イエスは結婚できずに十字架で亡くなったが、祝福を受けた家庭はそれを乗り越えて結婚した立場に立つ。そしてイエスが果たし得なかった氏族復帰の使命を果たしイエスを解放するのである。第一アダムの立場には両親を勝利させて立たせる。自分は既に祝福を受け、両親も祝福を受ければ、結局第一アダム、第二アダム、第三アダムが堕落しないで祝福を受け、結婚したという立場に立って、勝利者の立場に立てる。その勝利圏があれば、子孫の位置にある自分の家族、親戚、友人、知人にその勝利圏を全部相続させることができる。そうして氏族的メシヤを通して家族、親戚、友人、知人も全部祝福を受けることができる。そして氏族的メシヤが入籍するときには皆一緒に入籍するのである。 6、氏族的メシヤの三大目的 第一の目的は先祖の解放または復帰である。両親を復帰して祝福まで導いてあげれば、氏族レベルでアダム・エバを祝福したのと同じことになる。それによって一番最初の先祖が解放され、同時に祝福家庭が自分の第二の先祖の立場に立ち、さらには第三の先祖の立場にも立つのである。これにより三人の先祖は氏族レベルで解放されたことになる。 第二の目的は故郷の解放または復帰である。氏族レベルの先祖を解放することができれば、自分の故郷にいる人たちは親戚も友人もいずれも三人のアダムの子孫の立場になって解放される。家族、親戚、友人、知人全てが祝福を受け、自分の生まれ故郷にもはや罪人は一人もいないということになるであろう。かつてイスラエルがカナンに帰った目的はそのカナンの地にメシヤを迎えて神の国をつくることであった。祝福家庭が還故郷する目的は故郷の地にメシヤを迎え、その地を天国化することである。ここで故郷にメシヤを迎えるというときのメシヤとは他ならない自分たちのことである。 第三の目的は神の解放である。文師の表現では神と同居するということである。神が人と共に住む世界の創造である。氏族的メシヤを完成すれば、四大心情を完成することになるので、神が下りて来て住むようになる。夫婦が愛し合う中心点に神が来て住む。そうすれば家庭に神が住み、自分たちの村や町に神が住むことになる。神と人間が同居するようになり、そこに天国ができるわけである。 7、具体的方針 1、会員数の獲得 会員になるということはその人にとって霊的な意味で非常に大きな恵みとなる。それと共に社会、国家、世界に対する影響圏は数的基盤に比例するので必要である。 2、真の父母の写真を家に置いてもらうこと 霊界の敬礼式は三時だと言われるが、先祖がその時間にお写真の前にきて敬礼式をして、その家の家族を守ってくれるようになる。 3、統一旗を出すこと 統一旗は善霊人たちの止まり木のようなものである。地上人の基準が下がると普通は善霊人たちは霊界に帰っていくのであるが、統一旗があるとそこにとどまって地上人を守り、そこに侵入するサタンや悪霊を追い出してくれる。また統一旗がなびく音ほどサタンにとって恐ろしい音はないという。 4、氏族的メシヤのメシヤ宣言 百六十軒の人々を集めて、その前で正式にメシヤ宣言し、集まった人たちが敬礼するようにしなければならない。 氏族的メシヤについて文師が一番心配しておられる問題はイスラエルの失敗を繰り返してはならないということである。イスラエルの失敗とは故郷のカナンの地に帰って、そこにメシヤを迎えて神の国をつくるのが目的であったのに、その目的観を失って、生活の中に埋もれてしまったことである。目の前のカナン人たちの豊かな生活に心を揺さぶられてしまったのである。還故郷する祝福家庭は生まれ故郷を天国にする目的観を失うことなく絶対信仰と絶対愛で真の父母の行かれたあとを慕って勝利することを願われている。 |