11月30日(日)
(クリスマスパーティ)
金曜日の午後、セッポさんが「ひとし、今晩、大学のクリスマスパーティがあるのは知ってるよな。」と入ってきた。たぶん、前から電子メールか掲示で(もちろん、フィンランド語で書かれた)案内はあったのだろうし、毎年のことだから、職員なら皆知っていて、案内の必要もなかったのかもしれないが、全く、知らなかった。同室のマラさんが、このような行事には、ほとんど参加しないため、昼食時の話題にもならなかったことも、一つの要因かもしれない。1ヵ月も前にクリスマスパーティというのも変な話しだ。たぶん、厳密には別の名前や由来があるのだろう。しかし、フィンランドでは、この日、11月28日(もしくは、11月最後の金曜日)は特別な日のようである。ノキアに勤める知人達も、それぞれの職場でパーティがあると聞いたし、エリッキさんに聞くと、この日、各職場でパーティを開くことが広く行われているようである。暗い11月が終わることは、私も歓迎である(どうせ、冬の間はお日さまには会えないようだ。雲がとぎれて、空が見えることはまずない。昼間の時間も短く、ブラインドを下ろした研究室ですごす勤務時間内に終わってしまう。問題は夜の明るさである。雪が積もって夜は格段に明るくなった。昼間の時間がより短い12月の方が、雪のない11月よりも明るいと感じるわけである。)
パーティは6時半に、予定より30分遅れて始まった。パーティの主催はディジタルメディア研究所、大学からよりも民間企業から多くの研究資金を集め、スポンサーから期待される研究開発のとりまとめを行う窓口機関で、実際の研究は、大学のいろいろな研究室、または、研究者が行っている。日本の大学でも、最近良く似た窓口機関を設ける試みが始まっているようだが、タンペレ工大では少し早く始まっている。
パーティは、日本の忘年会の雰囲気である。アルメニアの研究者がこっそり持ち込んだウオッカをごちそうになり(なめただけだが)、お楽しみ抽選会のくじを引く。学長のあいさつの後は、サンタクロースに扮した若い教授陣のコミカルな踊りや、若い(残念ながら全員男性)研究者のはだか踊り(といっても、水泳パンツははいています)が飛び出す。10時を過ぎると、専らダンスパーティで、同席の人々は皆、周りのテーブルの女性を踊りに誘いに居なくなってしまう。ダンスミュージックは、知っているメロディもあるが、中には日本の演歌を思わせるような曲もある。大学の食堂で行われたパーティは真夜中を過ぎても終わる気配がなく、ウオッカとブランデーで頭が痛くなってしまった私は、先に失礼させていただいた。
深夜のヘルバンタはとても静かである。先週来の雪のおかげで通りは明るく、酔っているせいか、樅の枝に積もった雪も布団のようで、スキップしたくなるような気分。町角のグリルはまだ営業しているのか、明るく2、3台の車も止っている。深夜に酔っ払いが一人ふらついていても、危険を感じることのないフィンランドの治安の良さに感謝したい。ところで、パーティは何時に終わったのだろうか。また、その後、参加者は自家用車で帰宅するのだろうか。かなりの人々は、ヘルバンタ外の住人のはず、歩いて帰るわけにもいかないだろうが。
(フィンランドの謎)
フィンランドに興味のある皆さんならご存じの本、稲垣美晴さんの「フィンランド語は猫の言葉」(以下、文庫版第1版を猫と略称)講談社を10月に読んでから(来フィン前に、フィンランド大使館発行の小冊子でタイトルを知り、読みたいと思っていたのだが、地方の書店では見かけなかった。ヘルシンキの田端さんが、帰国時に残していって下さり、ようやくこの地で読むことができた。)、我が家では、フィンランドの謎が話題になっている。下記第1、第2のなぞは、話題になってから一ヵ月が過ぎようとしているが、解ける見込みもなく迷宮入りも近い。
(謎1) フィンランドでは、百年に一度が、17年に二度あるのか?
夏休みの章(猫 p95)によると、「1980年の夏は世界的な異常気象で . . . フィンランドでは百年に一度の厚さだった。三十度以上の日が記録的に続いた。」とある。今年(1997年)の夏も暑く、二百年に一度の夏だと周囲の人々は言っていた。いったいこれはどういうことなのだろう。以下に考えられる可能性を示す
- 今年の夏は、1980年の夏より更に暑かった(1980年の暑さは100年前にもあったが、今年の暑さは、更に100年遡らないと比較すべき記録がない)。
- 1980年の夏、ヘルシンキは暑かったが、タンペレはそれほど暑くなかった(今年の夏は、タンペレでは、記録的な暑さだった)。
- メディアが、過去の記録を良く調べずに、今年の暑い夏をやや誇張して報道したのを皆が鵜呑みした。
- 今年の夏が、記録的な暑さだと思ったのは、私の周辺の人々のみだった。
- 周囲の人がそう言っているだろうと、フィンランド語の分からず英語もあやふやな私と家内が誤解した。
が、検証しようという努力はしていないので、謎は深まるばかりである。
(謎2) 東大さんと、「エクスプレス・フィンランド語」白水社(以下、エクスプレスと略称)の著者、村松一登先生(以下、村松さんと呼ばせていただきます)は、同一人物なのか?
猫の東大さん讃歌の章に登場するのM氏は、村松さんではないかという疑問は、家内が提示した謎である。彼女は以下の状況証拠をあげている。
- 稲垣さんと村松さんは同世代である(猫とエクスプレスの著者略歴による)。
- 村松さんは、1983年に東大文学部言語学科博士課程を修了されている(エクスプレスの著者略歴による)。稲垣さんのヘルシンキ滞在は1977年からで、このとき、M氏は東大言語学科博士課程在籍である(猫 p132)。
- エクスプレスの本文には、3名の女性が登場する{ 恭子(2,3,13,18章)、美晴(3,4,9,11,12,18章)、秋子(8章,春男とのペア)} 。秋子は春男とのペアで登場にて、いかにも人工的な感じだが、恭子は、エクスプレスのまえがきに登場する桑原恭子さんと同名である。最も登場回数の多い美晴にも、実在のモデルが居るのではないか。確かに、エクスプレスのテープは昨秋から聞いているが、フィンランド語は素通りでも、キョウコ、ミハルは耳に残っている。
この件も、これ以上検証しようとはしていないので、謎は深まるばかりである。
9月に始まったフィンランド語教室も12回を数え、あと1回を残すのみとなった。多彩な動詞の変化形のおかげで、フィンランド語文法に関する謎も深まるばかりである。これが、第三の謎だろうか。
(アイススケート)
(素子もスケートを始めた) (強力助っ人ケンさん) (めざせ初ゴール)
雪も定着し、気温も十分下がってきた。アパートの近くのアイスリンクは連日のにぎわいである。我々一家も、夕食後にスケートにでかけるようになった。イルヴェス傘下のホッケーチームに属する智は、もちろん、初めてスケートをする素子も、ほとんど初心者の私も、スケート靴とホッケースティックを持ってリンクに通う。何しろ、スケート場代は無料である(税金で賄われているのだろう)。午後3時半には照明が点灯、10時すぎまで照らされている。朝も7時には照明がつく。しかも、ホッケーコート内は、毎日、水まきが行われるようで、氷面の状態もベストに近い。我々が滑るコート外は凸凹も多いが、気になる程でなない。おかげで、平日は夕食時にビールを飲まなくなった。連日のデスクワークで低下した体力を取り戻すには良いかもしれない。
土曜日には、ヘルシンキの中山健一郎さんが遊びに来てくれた。早速、リンクで智のアイスホッケーの相手をしてもらう。中山さんもホッケーをするのは初めてだと言っていたが、スケートの下手な父ちゃんでは相手が出来ない実践的な練習ができた。有難い。
(氷は固くて痛い) (もうたくさん滑った)
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