この前近くの町でお話発表会がありました。これは地区の日本語学校が集まって日頃の日本語勉強の成果を競うもので、うちの生徒も年齢制限などでの有資格者の9人のうち7人が参加しました。もちろんお話は日本語です。生徒達は上手に日本語のスピーチをしていきます。お話の内容は「夏の○○旅行」とか「私の家族」とか子供が書いた作文が主体で、すごく生活感あふれる作文が多かったように思います。
このお話発表会も昨年まではもっと厳しいものでした。地区のお話大会で優秀な生徒がサン・パウロのお話大会に出場し、さらにそれで勝ち残ると全伯大会に出場し、さらにそこでも優秀な成績を収めるとJICAが毎年おこなっている日系人の子供対象の日本研修プログラムに参加できるのです。つまり、お話大会の先には日本旅行というご褒美があったわけです。そうなると競争は激化し、「作文は暗唱しなくてはならず、つかえると減点」「お話の時間も決まっていて、足りなくてもオーバーしても減点」と事細かに採点されるようになりました。さらに学校の先生も「我が校から何人全伯大会に出した」とか「我が校の生徒が日本に行った」というようなステータスを求めて生徒達に過剰な訓練をさせるようになりました。
これが子供達の日本語教育に全く役に立っていないことは明白で、選ばれた生徒達に日本で会ったときも全く日本語が話せず、暗記だけでここまで来たらしき生徒もいました。先生の中にもそう思う人達はたくさんいましたが、日本旅行を求める親や先生達に押し切られ、言い出せずにいたみたいです。
それが今年、JICAの日本語教育専門家の鶴の一声で全伯大会がなくなり、必然的にお話大会と日本旅行のリンクもなくなりました。そして各地区で独自にお話大会をして下さい、ということになり各地区は大混乱でした。地区によっては「それならお話大会なんかやめちゃおう」という結論になり、また別の地区では「いや、やはり採点による順位付けは必要なので例年通りの基準でやろう」ということになりましたが、我が地区は「子供の発表の場だからお話大会はやろう、でも順位付けとか暗唱といったものはなくし、『参加することに意義がある』大会にしよう」ということになりました。そのため今回の基準は「お話のテーマは自由。時間についても「○○分まで」という制限だけで「○○分以上」という制限はなし。順位はつけず、全員に参加賞をあげる。」というとても楽な基準になりました。僕としては他の地区に比べてもなかなかいい判断だなと思いました。
さて、生徒のお話はいろいろあります。日本語の上手な生徒は長い文章を読み、日本語を始めたばっかりの生徒は簡単な自己紹介だけで終わります。まあここまでだといいことづくめのようですが、一日お話大会にいるといろいろと見えてきました。
まず第一に「動機がなくなった。」ということです。去年までは日本旅行という明確な目的のための予選だったので、生徒も先生にも「がんばろう」という動機があったようです。それに比べて今年は生徒から「今日のお話発表会って何?何になるの?」と聞かれ、答えに窮することもありました。まあ学習発表会のようなものだよと言っておきましたが。
また今年から「日頃の練習成果を発表する場」という意味づけに変わりましたが、そうなると新たな疑問が出てきました。それは生徒の全員が日本語ができるわけじゃないということです。もちろん日本語が上手な生徒はお話の原稿も自分で書き、自分でお話をするのでとってもいいことなんですが、日本語ができない子供の対応が難しかったです。年が大きい子なんか、頭の中ではちゃんとした作文ができるのに日本語だと簡単な自己紹介しか書けません。そこで「ポル語で書いてもいいよ」というと本当に立派な作文を書きます。それを日本語になおしてやると、やはり立派な作文なんですが、果たしてそれでいいのかと思ってしまいます。逆に自分が知っている日本語で書く、と主張しポル語の作文を嫌がる生徒もいます。そうすると、ちゃんと自分の考えもある大きな子供が「僕の名前は○○です。よろしくお願いします。」になっちゃいます。
生徒の日本語能力の範囲内で発表させるのか、それとも生徒の(ポル語を含めての)作文能力を重視するのか。これはお話発表会が「日本語能力を見せるためだけの場なのか、それとも頭の中で考える力も含めた発表の場なのか」という問題に行きつくのかな、と思いました。その場にいた先生の間でも「結局そういった基準を事細かく作ると発表会のエネルギーが薄くなっちゃうので、各生徒生徒によって臨機応変に対応する。」といういかにも煮え切らない結論に落ち着いてしまいました。ただ、それによって順位が変わり、それによって全伯大会、ひいては日本旅行が左右されるということがないのでまだ気楽ですね。