一日林間学校で、ここから南東に120kmほどいったところにあるバウルーという町にいきました。一日林間学校というのは普段あまり交流がない離れた町の学校同士で一緒に一日を過ごし、友達を増やしてもらおうという行事です。
まず会場に集まると、班分けの発表です。我が校からも数人の班長と副班長候補をあらかじめバウルーの運営側に連絡していて、その子供達はちゃんと班長などになってました。今回は普段班長などをお願いしている年長の面倒見の良い生徒達が町の青年会の会議で軒並み欠席しているので選出に苦労しました。そんなわけでいつも「私班長なんか絶対やりたくない!」とか言っている生徒達を指名せざるを得ませんでした。事前にそれを言うと「私行かない!」って言われそうなので、もちろん内緒です。案の定会場で名簿を見ると「先生〜〜!これ何!!」と怒られます。「まあまあまあ」となだめすかして始まりました。
さて、林間学校が始まると最初は役員の挨拶ですが、これがすべて日本語。特に今回は低学年の子供を対象にした日本語学校なので生徒のほとんどは「???」って顔です。全く分からない生徒も長いお話の間、じっと座って我慢しているのをみると、頭が下がります。何を言っているのか分からないもんだから隣とお話を始める生徒もいて、立場上注意をしないといけませんが、ちょっと複雑な気持ちでした。役員達の「日本語学校の行事で日本語を使わなくてどうする!」という主張もよく分かるだけに難しい問題です。
昨年の林間学校では開催地の市長さんの1時間にわたるお話がありましたが、その時はポルトガル語で話したので生徒も話している内容がよく分かってました。しかも内容が、ブラジル人の目から見た日系人のすばらしさについての話で、全く日系人とは関係のない人から「あなた達の祖先はこの国のために一生懸命頑張って働きました。お陰で今では『日本人=誠実で信用できる』と言われるようになりました。その血を引くあなた達も日本人の心を忘れずに頑張って下さい」と言われ、生徒達も感銘を受けていたようです。頑固爺ちゃんに「日本人なんだから日本語勉強せい!」と言われるよりもよく効くみたいです。
ただ、こういった話ももうそろそろやめにしないといけないのかもしれません。というのもうちの生徒を含めて、最近は非日系人の生徒が増えているからです。「日系人のすばらしさ」とか「日本人の心」とかを言われたとき、非日系人はどう思うんでしょう。ただ、救われるのは、日本でそういった話を切り出すと、少数民族の人達から轟々たる非難があがりそうですが、人種差別が名実ともにほとんど存在しないブラジルではそういった「民族の主張」を暖かく受け入れてくれるということです。
このまま進んでいけば、学習者の中の日系人は確実に低下していき、いつかはブラジル人を対象に日本語を教えることになるんでしょう。そうすると世界各地の日本語学校みたいに「たんなる技術としての日本語」を教えるだけの日本語教育になるのかもしれません。しかし今のところは「日系ブラジル人子弟の親睦の場」という機能も大きく、そういったコミュニティー作りのための教室活動などをしていると、日本で単純に日本語を教えていたとき以上の充実感があります。ある意味で日本語学校よりも日本の小学校に近いものがあり、これがだんだんと失われていくのは歴史の必然かもしれませんが、なにか残念な気がします。かつて、ハワイ移民やアメリカ移民の世界で行われたのと同じことがブラジルでも起こるんでしょうか。
さて、こうやって式次第は進んでいくんですが、その間生徒から目を離すとすぐに勝手なことをして困ります。ただ、それを注意するときもちょっとした難しさを感じます。たとえば、日本の小学校ではピアスは禁止されていると思いますが、こちらでは女の子は産まれたときからピアスをしています。ピアスをしていない女の子は逆にみんなから「あなたは女の子じゃない!」という風に見られるぐらいでとても大事なものです。もちろん日本語学校も女の子のピアスには細かいことを言わないんですが、未だに男の子のピアスについては意見が分かれています。二世・三世の先生はわりと寛容なんですが、一世の先生などは強硬に反対します。で、今のところ原則はずしてもらう方向で指導しているんですが「どうして?ブラジル学校ではみんなしているよ?」とか「女の子だけ良くて、どうして男の子は悪いの?」とか言われるとちょっと困ります。日本の学校のようにある程度学校内の規則といったものに対する社会的コンセンサスがあると便利だなぁと思ったりします。
このほかにもブラジルでは全然問題ないけど、日本語学校ではやってはいけないことというのがいくつかあります。たとえば「机の上にすわる」「授業中にアメやガムを食べる」「学校にバイクで来る」とか。これらはすべてブラジル学校では当たり前のことになってます。こういったことを一つ一つ注意していくのも「良き日系人を育てる」という日本語学校の役割のひとつなんだと思いますが、毎回考えさせられます。
そして林間学校の始まりです。最初に自己紹介を兼ねたビンゴゲーム。3×3の升目の中に班員の名前を書いておきます。前の方では先生が全員の生徒の名前が書いてあるカードの入った袋から一枚ずつカードを取り出して名前を呼んでいきます。それで一番最初に全員呼ばれた班が1位となりちょっとしたお菓子をもらいます。ただ、この時は生徒に日本語で自己紹介をさせようとしたんですが誰もできませんでした。そうですよね、日本の小学生に英語で自己紹介しろっていうようなもんですから。
それから会場を移してちょっとしたゲームをやり、その後昼食。昼食後は近くの動物園でオリエンテーリング風のゲームをします。
ゲームの内容は「ライオンは○○からきました。ライオンは○○年生きます」などと書かれた紙を各藩に配り、各班は動物のオリの前にある解説板を見て、その穴埋めをしていくという方式です。で、これは班別に行動します。こっちのいろいろな行事の時も日本と同じく班別行動が基本ですが、みんなそれに慣れているので班長・副班長が班員の面倒をよく見て、順調に進んでいきます。とにかくこっちの子供は面倒見がいいですね。小さいころから日系人会の中で活動してるからか長幼の序というものがよく分かっていて、小さい子供は大きい子供の言うことをよく聞くし、大きい子供はちゃんと小さい子供の面倒を見ます。一緒についていっている僕が口出しする必要はほとんどありません。
とはいえ、この時も「???」と思うことがいくつかありました。それも親に対して。今回の林間学校には生徒の親も来ていて、そういった親たちも動物園内を歩いています。で、僕の班の生徒の親と途中でばったりで会いました。その生徒はすこし小さい子供(といっても10歳ぐらい)だったので、親に「のどが渇いた〜〜」とか言ってまとわりついています。僕の考えだったら「まだ我慢しなさい。他の友達も頑張っているんだから、ほら、早くみんなのところに行きなさい。」と言いそうなところを子供にお金を渡して「あっちの売店で買ってきなさい」と言ってます。注意しようかと思ったけど、まわりの子供達も親たちも別段不思議がっている様子もないので「これもブラジル式なのかな?」と躊躇してしまいました。そのうち、その子供は自分のジュースだけ買って、自分だけそれを飲みながら他の子供達と歩いていました。しばらく一緒に歩いていた親も悪びれる様子もなく、「他の子供にもあげなさい!」と言うでもなく歩いていて、それを見ていた僕は「やっぱこれがブラジル個人主義なんかなぁ」とちょっと残念な気がしました。
確かにこの国では「みんな横並び」なんて意識はなくて、人をだましてでもいいから自分だけ得をするのが正解ですからね。それを改めて実感したのはもちろんですが、それを目の前にみて、何もできなかった非力な自分も再認識しました。
こうして長い一日は終わりました。こちらでは何か学校行事があるたびに毎回毎回日本語教育について考えさせられますが、日本の先生達も悩みは違えど、日々思い悩んでいるんでしょうね。