一日一善といえば、日本船舶振興会(今は日本財団)の笹川良一前会長のCMを思い出しますが、一善の基本はなんと言っても「あいさつ」ですよね。挨拶といえば、思い出すのが小学生のころさかんに言われた「オアシス運動」。その内訳は
オ おはようございます
ア ありがとうございます
シ しつれいします
ス すみません
ですが、子供心ながら「『しつれいします』なんて使ったことないなぁ」などと不届きなことを考えていました。今ではこれを憶えさせられた人達も立派な大人になっていることだと思います。
さて、ブラジルではわりと気軽に挨拶をします。この気軽さがブラジルの自慢です。こちらの人の話ですが
「ブラジルは何て言ってもノンキな国だよ。町で市長さんに会っても『オイ!元気か!最近調子はどうだい、もうかってる?』なんて話ができるんだから。日本で市長さんに会っても見向きもされないだろ!それに市長のほうも『ヤーこれはひさしぶりだ!あんたも元気かい!』なんて言ってすぐにアブラッソしてくるんだよ!」
(注:アブラッソとは日本語では「抱きつく」ということですが、日本のラブラブなイメージとは違ってこちらでは友人と会ったときにお互いに抱きついて、背中をポンポンとたたく習慣があります)
ということでみんなとってもフランクです。もちろん僕も町で知り合いに会ったら日本式に頭をペコリとさげて「こんちは!」の一言。相手が非日系人だったら頭は下げませんが、それでも「Oi! tudo bem?(やあ、元気?)」と言葉を交わします。この日本人特有の頭をペコリですが、ブラジル人には好評、「日本人同士が会うと頭を下げていて礼儀正しいよね」って言われています。
こんな素晴らしい挨拶文化ですがひとつ困ったことがあります。
我が町には400家族の日系人がいて、その多くが通称「文協」とか「カイカン」とか言われる日系人会に入っています。そして僕は文協付属の学校の先生で、文協の行事があるときには生徒を引き連れてステージの上で、歌ったり踊ったり劇をやったりしています。それ以外でも「日本から来た先生」ということであちこちの日系人フェスタに呼ばれて紹介されたりします。すると会場の人達は「あの人が学校の先生か」と憶えてくれますが、こっちはその場にいる人全員の顔を憶えるなんてこととうていできません。
すると困るのが挨拶。上に書いたように我が町には400家族の日系人がいて、町を歩いているとよく日系人に会います。僕はありがたいことに三十路をすぎても目がいいので遠くから日系人が近づいてくるのが分かります。すると真っ先に考えるのが「あ〜あの人と会ったことあったっけ?」です。もっと日系人が少なくて、「町で会う日系人=文協の会員=みんな僕を知っている」状態なら全員に挨拶すればいいんですが、中途半端に日系人が多く、文協に入っていない日系人もいるので問題は複雑になります。
かくして
「通りすがりの日系人全員に挨拶をすると、文協に入っていない人からは『あんた誰?』と思われるし、かといって挨拶をしないと文協に入っている人からは『ケッ、何様だと思ってやがんだ!』と思われてしまう。今こちらにやってくる日系人に見覚えはないが、はたして文協に入っているんだろうか、入っていないんだろうか?それが問題だ!」
という問いが一瞬のうちに頭の中に繰り広げられてしまうのです。答えのでないジレンマに悩んだあげく「そうだ、僕の方が目がいいはずなので、まだ相手はこっちに気づいていないはずだ。だから次の角で曲がってしまえばすれ違わずに済む!」とか「もうすれ違うことは避けられない、よし、足元を見ながら歩いて気づかなかったフリをしよう!」となってしまい、通り過ぎた後、強烈な自己嫌悪に陥ってしまうことになります。いっそのことダテ眼鏡でもかけて「僕、あんまり目が良くないんです」とアピールをすれば、「あっ、あの先生は目が悪いから私に気づかなかったんだ。」と暖かい目で見てくれるかもしれません。よく目が悪い人から「近づかないと相手の顔が分からないんよ。」と言われますが、この時ばかりはそれがうらやましく思えます。相手がよく見えるばかりに一日に何度もこういった葛藤を繰り返さないといけません。
よく「営業の達人」の人達って「一度会った人は忘れない」と言いますが、なぜ僕にはその才能が彼らの百分の一でもいいから備わっていないんでしょう…