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1999年5月 ゴイアニア旅行



地区の日本語教師の研修で、ゴイアス州( Goias )のゴイアニア( Goiania )、ピレノポリス( Pirenopolis )に行きました。 観光とゴイアス日本語モデル校の見学です。

5月20日 木曜日

夜10時にアラサツーバ( Aracatuba )出発でしたが、アラサツーバの学校は教材が豊富なので早めに行って教材のコピーに専念。 さて、出発。暗闇に包まれた町を出発するとあっという間に睡魔がおそってきます。ほとんど何も覚えていません。ただ、アラサツーバからゴイアス州に行くには途中ミナス・ジェライス州( Minas Gerais )を通らなければいけないんですが、ミナスは寒かった。念のため寝袋を持っていったのでそれに首まで入ってなんとか眠れましたが、それでも足先はかなり冷え込んでしまいました。この時期の内陸部は寒暖の差がはげしいようで南のパラナ州( Parana )からは「明日の朝の予想最低気温はマイナス4度らしい」という日本で僕が持っていたブラジルのイメージをぶちこわすような情報も届いています。

5月21日 金曜日

翌朝ゴイアス州の州都ゴイアニアに到着。みんな寒さで眠れなかったようです。今回の目的はゴイアニアにある日本語モデル校の見学。モデル校で朝食をとり簡単な挨拶をした後さっそく観光に出発。研修という名のもとに観光するのはどこかの国の先生達と同じだけど、まあ税金は使っていないし食費は自腹なんでいいでしょう。こちらの日本語学校の多くが日系人協会の敷地内にあり調理場や食堂があり、こういった時には婦人会の人たちががんばって僕たちの食事を作ってくれます。

観光の目的地はピレノポリスです。ここはゴイアニアから160kmほど離れた小さな町です。 その昔このあたりでゴールドラッシュがあったときにできた町で、当時のたたずまいが残されているところです。町の中心には Nossa Senhora do Rosario Matriz 教会。この町のほとんどすべての教会がノッサセニョーラ(聖母)です。教会は白塗りの壁に茶色の柱がとても映えていて、抜けるような青空をバックにすると眩しいほどです。そんな旅行気分もつかの間「食事をしま〜す」のかけ声で近くのポルキロに。ポルキロとはその名の通り重さで料金を決める食堂です。バイキング形式にたくさんの食べ物がならんでいて食べたい物を食べたいだけとって計量台のところに持っていきます。すると店の人が重さを量ってくれて、その重さによって値段が決まります。日本のバイキングと回転寿司を足して二で割ったようなもので、このところこういった形式のお店が増えているそうです。

そのほかにも昔風の町並みがあちこちに残っていてもうちょっと見て回りたかったんですが、食事の後は近くにある滝めぐり。大型観光バスで細い道を行くもんだから苦労は絶えません。みんなで下りてタイヤの下に石を置いたりしながらなんとかたどり着きました。滝そのものはきれいでしたが日本人にはちょっと見慣れている感じがします。平坦で滝なんかめったになさそうなブラジル人にとって滝を大いなる自然の力と感じるんでしょうか。ただ、途中で見たハキリアリは初めてでした。葉っぱを切って巣に集めてキノコを栽培して食べるって聞きましたがどうでしょう。

ガイドブックを見ると、今度の日曜日から Divino Espirito Santo なるお祭りが開かれるそうで、その時期は町のみんながヨーロッパ中世風に着飾り、騎士達のトーナメントや貴婦人のダンスなど町が中世一色になるそうです。これは見ものでしたが僕たちに残された日程では見ることのかなわぬお祭りです。毎年イースターの45日後あたりにあるそうです。

5月22日 土曜日

この日は本来の目的である日本語モデル校で日本語教育についての討論と授業見学。

その後昼過ぎになって再び市内見学。今回は中心部にあるセーハ・ドウラードスタジアムと市場です。スタジアムはあの前園が所属するゴイアス・エスポルチ・クルービの本拠地。その日は改修中で試合はありませんでしたがブラジルのスタジアムの中を隅々まで見せていただき、その大きさに驚きました。なによりも一番驚いたのが芝です。本当に絨毯のように分厚くふかふかでここにシーツをしいて寝たらさぞ気持ちがいいことでしょう。

その後の市場(フェイラ)に移動。フェイラとは日曜の朝や昼間に小さな店がたくさん集まってきていろんな物を売る市場で、雰囲気的には日本フリーマーケットに近いものがあります。値段も普通の店で買うよりも安く、たくさんの人でにぎわっています。今回のフェイラは町の中心の公園で開かれており、そのほとんどが洋服を売っていました。売っているもののほとんどが女性物で結局僕は何も買わなかったんですが、こっちの下着には矯正用のワイヤーが入っていないやつが多いということだけは学びました。ついでに布地の面積もこころなしか小さめだったように思います。

ついでにこちらの交通。もちろん住民の足は車でバスもたくさん走ってますが、とくに交通量の多い大通りでは真ん中の車線がバス専用になっていて、柵で囲ってあり一般車が入れないようになっています。周りの渋滞をよそにバスがすいすい走るところは日本の電車のようです。バス停もバスの入り口に合わせて一段高いところにあり、これも日本の駅を思い起こさせます。

夜は日系人協会で歓迎の宴。学校関係者が中心にゴイアニアの日系人が集まってくれ、その中でリンス出身という梅田さんという人を紹介していただきました。僕が「お〜リンスですか。今お世話になっています。とってもいい町ですね。」などと普通の話をしていたところ、一緒にいた友人が「おまえ梅田さんっていったら前園の通訳やんか、前園を紹介してもらえ」というありがたいささやき。もちろん梅田さんの答えはOK。当初は土曜日の夜には夜行のバスで帰る予定でしたが、僕を含めてサッカーが好きな日本人数名がゴイアスに残って日曜日の試合を観戦することになりました。

5月23日 日曜日

今日は夕方からあるゴイアニアの試合を見るだけなのでそれまではのんびりとくつろいで過ごしました。ここ、ゴイアス日系人協会(正式には日伯文化協会)の敷地内にはふかふかの芝生のあるサッカーコートが3面にテニスコート、バレーボールコート、ゲートボール場、それにプールや食堂まであるすごい建物で昼間はブラジル人達がサッカーを楽しんでいます。みてみるとちょうど日本の草野球のような感じで、ちょっとおなかが気になるおじさん達が楽しそうにサッカーをしていて、キーパーと1対1になってシュートをはずすと順番待ちのチームのおじさん達から「おいおいおまえどこ見て蹴ってるんだよ!!(予想)」などのヤジが盛んに飛んできます。そして試合が終わり、食堂でプハーっとビールを空けながら「今日の試合はよかったな、それはさておきうちの息子が学校でさあ・・・(予想)」などとたわいもない話をしているところなんかどこの国でも同じでしょう。

ぶらぶら試合を眺めたり、昼寝をしたりしているあいだに4時になりスタジアムに出発。途中梅田さんの弟さんが急死し、梅田さんは葬儀のために昨日の夜のうちにリンスに帰ったので前園には会えないかもしれないとの話。まあ今回は試合に集中しよう。今日はセーハ・ドウラードスタジアムは改修中なので市内中心部にあるゴイアスのクラブハウス隣接の練習場らしきところで試合です。練習場だけあってそれほど大きくはないんですが、観客席は満席でとっても楽しそうです。僕たちが到着したときは試合前の前座のユースチームの試合でした。試合が終わりに近づくにしたがって観客のたくさん入ってきます。日本人の僕たちの姿を見ると「オ〜マエゾノ!」って言うところ見ると、前園はこっちでも有名なようです(当たり前か)そのたびに「アリガト〜」とか言っておおげさに手を振ると観客は大喜び。調子に乗ってフェンスに登り「マエゾノ〜」とか叫ぶと観客はみんな立ち上がって拍手喝采です。おかげでゴイアスサポーター達といっぺんで仲良くなり、ゴイアスのバンダナをいただきました。

試合はホームのゴイアスが優勢。シュートがバーに当たったりすると「ノッサ!」とか「アベ・マリ〜ア!」などといって悔しがる人たち。味方が倒されたのにファールをとらないと「審判なに見てるんだよ〜(予想)」のヤジの嵐。ついでに紙コップなどが空を舞います。とくにおもしろかったのが敵方の選手が倒れ、担架でピッチの外に運ばれるとき。まず倒れたときに「おまえ怪我したふりするんじゃねーよ(予想)」の罵声が飛び、ピッチのそばに運ばれても「俺はだまされないからな!どうせ仮病だろ!(予想)」の声とともにジュースやビールが引っかけられます。これにはたまらず敵方の選手もすぐに立ち上がって帰っていきます。なぜサポーターが怒るかと言えば、前半味方が点を入れた直後に立て続けに2点入れられて逆転されたからです。もちろんはじめに味方が点を入れたときには大騒ぎ、またまたそれに乗じて「マエゾノ出せ〜」といったらサポーターも大喜び。とにかく楽しい試合でした。試合には負けたし、前園はベンチにも入っていなかったけど、こんなに楽しく盛り上がれるってブラジルのサッカーはおもしろいですね。また行きたいです。

さて、前園には会えなかったかというと、試合のハーフタイムにある日本人から声をかけられました。「みなさん日本人ですか。私は前園の友人で彼に頼まれて雑誌とか持ってきたんですが一緒に会いませんか。」とのこと。試合前から僕らが大騒ぎしていたのでとなりの客から「あそこに日本人がいるぞ」と教えてもらったらしい。もちろんこちらはOK。試合後に彼の案内で前園の泊まっているホテルに行きました。彼が電話で呼び出すとあっさりと前園が登場。見てみると体も小柄でそんな筋肉もりもりでもなく、どこにでもいるような若者でした。こっちの日系人協会の人たちが僕たちを紹介すると「どうも、前園です。よろしく」と気さくに握手してくれ、一緒に写真を撮ってもらいました。日本にいたときのイメージで「もともと気むずかしそうだし、ベンチにも入っていなかったんで愛想悪いんじゃないかな」と思ってたけど、そんなこともありませんでした。その後ちょっとだけ話をして帰ったんですが、そのときにゴイアスサポーターからもらったバンダナにしてくれた前園のサインは大事なおみやげです。


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