6月3日 木曜日(休日)
ベロまでの直通バスがないので、近くのマリリア( Marilia )という町まで行って乗り換えです。授業の都合で夜行バスには間に合わず、早朝5時発のバスになってしまいました。13時間の長旅です。とはいえ乗ったとたんに爆睡です。こちらではバスが電車代わり、あちこちの都市にむけてバスが走っていてとても使いやすい。リンスからの最長不到距離はブラジル北部のフォルタレーザ( Fortaleza )という町で、3000km以上離れているでしょう。そんな町までバスが出ているんです。今回のベロまでは800kmほどです。
途中いろんな町に停まりながらバスは進みます。朝食時や昼食時にはドライブインに停まるところは今までいろいろな国で乗ってきた長距離バスと同じです。ただ、途中の景色はほとんど変わりません。遙か彼方まで波打ちながらつづく大地と牧草やサトウキビの畑。確かに雄大な景色ではありますが、ちょっと食傷気味です。
そうこうするうちに夕方6時前にベロに到着。「到着したら連絡するから」とバス会社も伝えてなかったのにバス・ターミナル(ポル語でホドビアリア)まで友人が迎えに来てくれました。久しぶりの再会なのでブラジル式に抱き合って喜びました。その後彼女の家に行き、シャワーなど浴びて休んだあと町にくりだします。彼女はこの五年で結婚したそうで旦那も一緒にミナス料理の店へ。
店に行く途中、高級住宅街のある高台へ。そこはベロで初めて布教活動が行われたところらしく、巨大な十字架が建っている。また、鉱物資源に恵まれたミナス州は有数の鉄鋼の生産地なので、その十字架も鉄製です。そこからは地平線まで広がるかのように宝石箱のような夜景が遠くまで広がっています。昔そこから町の景色を見て「あまりにも美しい地平線だ!」と感動したことからベロ・オリゾンチ(Belo = 美しい Horizonte = 地平線)という名前になったそうです。
さてさてミナス料理店へ。ミナス料理の特徴は「保存食」といったところでしょうか。馬で旅をするカウボーイの食べ物なのかベーコンとか豚の皮を油で揚げたやつとか保存がきくような食べ物が多かった気がします。また、つけ合わせの野菜もサンパウロのそれとは少し違っている気がしましたが、よく分かりません。どっちにしろこっちでも僕の胃袋が大活躍したことは言うまでもありません。
6月4日 金曜日
今日は友人は仕事があるので、旦那の弟と二人でベロ近郊の観光地へ。旦那も弟も日系ではない普通のブラジル人で日本語が全く分からないということで心配したが、まあそこはそれ、同じぐらいの年齢の者どうしということでそれなりに話をしながら南にあるコンゴーニャス( Congonhas )に行きました。
この町は丘に囲まれたすり鉢のようになっていて、その丘の上に教会があります。その教会に有名な「12使徒像」があります。この像はアレイジャジーニョという日本でいうと運慶と快慶を足して二で割ったような有名な彫刻家が石を彫って作ったものです。ぬけるような青空の下、教会の前庭に、12使徒の像があります。それぞれ巻物のような物をぶら下げていて、そのうち6つにはネガティブなことが、6つにはポジティブなことが書いてあると言われましたが、ポル語が未熟な僕には読めません。それでも一見の価値はあります。
丘の頂上にある教会の前庭をさらに下っていくと左右に三つずつの庵のようなものがあり、中にはキリストの生涯をモチーフにした彫刻があります。下からたどっていくとちょうどキリストの受難の歴史が分かるようになっています。
そして教会のまわりにはおきまりのおみやげ物屋。外国から来た観光客らしき人たちもいます。そういえば、外国人観光客というか外国人に久しぶりに会った気がします。
さてコンゴーニャスのあとはブラジルの京都ともいうべきいにしえの町オウロ・プレット( Ouro Preto )です。ここも深い峡谷を取り巻く山の上にできた町。その昔ゴールドラッシュのころは世界でも有数の金持ちの住む町だったとか。その栄華も長くは続かずあっという間に金はなくなり町の輝きは失われました。その華やかなりし頃の面影を今に伝えるのがこの町です。石畳の急坂の両側に肩を寄せ合うように古いヨーロッパ風の建物が並んでいます。そのほとんどは観光客向けのおみやげ物やホテルで、京都の京極、それよりも浅草の浅草寺界隈のアヤシイオリエンタル風の町並みと言ってもいいのかもしれません。もちろん僕にはすてきな建物に見えます。有名な観光地なんで日本人観光客もいないかな?と期待しましたがいませんでした。残念。
町のあちこちには教会が点在しているんですが、それはゴールドラッシュの頃に建てられたものだけあって絢爛豪華です。使った金の重さで勝負というような派手派手の教会ばかりですが、天井画や柱の彫刻はアレイジャジーニョの手になるものが多く、下品さはあまり感じられません。ただ、教会に入るときに荷物を預けないといけないので写真は撮れません。今回は友人との旅行でゆっくりまわる暇がなかったのでもう一度ゆっくり遊びに来たいですね。
その他、博物館・美術館の類も多かったんですが、中でも鉱物学博物館の各種鉱石の展示にひかれました。そういえば、むかし石を集めるのが好きだったし学校の地学の勉強も好きだったけど、自分にはそういう趣味もあったのかとあらたな発見をしました。
さて、そのまた次は近くのマリアナ( Mariana )という町に行くんですが、近くにその名も「金山」という観光地がありました。日本でも昔の金山を観光客用に改造して解放しているところがありますが、それのブラジル版です。お金を払い中に入るとトロッコのような乗り物(いすと手すりだけの乗り物でデパートの屋上にある電車の乗り物みたいなものです)に乗り地中深く下りていきます。下りていった先に昔の金鉱跡が広がりガイドに連れられて歩くのですが、全部ポルトガル語です。中も昔の金鉱跡がそのまま残っているだけで展示品など全くありません。ただ、水が湧いて地底湖になっているところがあり、そのあたりがかろうじて見所です。
そしてマリアナです。ここもオウロ・プレットと同じような歴史を持つ町ですが、町が小さい分のんびりできます。オウロ・プレットの喧噪とも無縁で、ガイドではここに宿をとってオウロ・プレットに通いなさいと書いてましたがうなづけます。時間の都合で教会をひとつ見ただけでしたがオウロ・プレットと同じように豪華でした。そして写真撮影が可能だったのがよかったっす。
6月5日 土曜日今日は土曜日で友人も休み。友人と観光です。まずはベロ周辺に点在する洞窟ツアーです。マキネの洞窟( Gruta do Maquine )と森の王の洞窟( Gruta do Rei do Mato )に行きましたが、後者のほうがはるかにおもしろかった気がします。森の王の洞窟では中に入ると垂直に階段を下りていき、一番底ではそそり立つ鍾乳石を見ることができます。まだ一般に開いたばかりなのであまり観光客はいません。観光バスも見えなかったのでまだ観光バスのコースにも入っていないのかも知れません。
その後、ベロで一番有名というミナス料理店に行く。ベロから車で30分ほどいったところにある店で、小高い丘に囲まれるように公園や池や釣り堀がありその中にレストランがあります。週末を郊外ですごすベロの市民達もたくさん釣り糸をたれています。もちろんミナス料理は絶品。ギャルソンの対応もよく、なかなか快適な店です。
今日の観光はこれで終了。午後からは友人の家族や旦那の別荘でのんびりとすごします。友人の家族はベロ近郊のベッチン( Betim )という町で農業をやっています。というか友人の父親が35年前に農業移民としてベロにやってきて子供達を育て、跡継ぎがいないと言っていたところ友人の弟が日本での生活をやめてブラジルに帰り跡を継ぎました。弟とは東京でも何度か会っていたのでぼくとしても「あの弟が農家の跡を継ぐ?」と思ったものです。久しぶりにあった弟もここ3年の農業生活でだいぶんたくましく変わっていました。
今、ブラジルでは農業の大規模化が進み、小さい農場なんかがばたばたとつぶれています。大きな箱一杯のみかんが1R$(=70円)以下で売られているような状態では小さい農家ではたちうちできません。そんな逆境の中で農業を始めるという弟に対してかなり興味がありました。ただ、その日はゆっくり話す時間がなかったのであまり聞くことができませんでしたが「少なくとも農業をやっていたら人に頭を下げる必要がない。お金をもらうために人に頭を下げるのはもうゴメンだ」という言葉が耳に残りました。語ってはくれませんが日本できっとつらい目にあったんでしょう。日本ってブラジルからの出稼ぎ移民を単なる労働力として、悪く言えば奴隷のように扱っているんでしょう。手軽につれてきていらなくなれば切り捨てて。そんな彼らの上に僕らの日本での生活が成り立っていたわけです。またベロには来るつもりなのでそのときこそゆっくりとそういったことを話してみたいです。
6月6日 日曜日
今日は再び観光から始まり、朝一番でベロ一番のフェイラ(青空市みたいなもんです)行きました。フェイラ・ヒッピというフェイラで、革製品、アクセサリー、衣料品をあつかう店が所狭しと並んでいます。ブラジルではいろんな町で日曜の朝になるとフェイラが開かれます。僕の住むリンスの町では青空市場という雰囲気で近くの農家の人たちが野菜や果物を持ち寄って売ったり、軽食を売ったりしています。さすがにベロのそれはリンスとは比べものにならないほど大きく、品物も安いです。
フェイラを楽しんだあと、とってつけたようにベロの日本語モデル校訪問。友人が日本人会の役員をしていてその会合があるのでついていきました。会合の間、僕は日本語学校を見て回ったんですが、ここは前に訪れたゴイアスの日本語学校と同じような感じで、似たような問題を抱えているようです。その点についてはそこの日本語教師といろいろと話したんですが、結構考えさせられるものがありました。
僕のように日系人が数多く住んでいるサンパウロ州( Sao Paulo )やパラナ州( Parana )では必然的に日本語教師の密度も高くなり、教師間の交流も盛んですが、ベロのようにあまり日系人がいないところだと学校もなく、その先生も他の日本語教師とほとんど交流がなく、煮詰まっているようでした。
その後はぶらぶら時間をつぶして帰ったんですが、振り返ってみると、 友人の弟との話と日本語学校の訪問が一番収穫があったように思います。そんな週末でした。