7月3日 土曜日
前日の夜行バスでマット・グロッソ・ド・スウ( Mato Grosso do Sul )の州都カンポ・グランジ( Campo Grande )に到着。この州は平原が多く牧畜がさかんで南のヒオ・グランジ・ド・スウ( Rio Grande do Sul )と並んでガウーショ=カウボーイで有名なところです。そんなわけでマット・グロッソ・ド・スウも人間の数よりも牛の数の方が多いところで州都カンポ・グランジもその他の州都とくらべると小さいです。
まずは友人宅に行き、夜行バスの疲れをいやすためにお休み。
さて昼前になり活動開始。今日は友人の学校の冬休み前最後の授業があるので顔を出しに行きます。7月7日前の最後の授業ということで七夕の歌を歌ったり短冊に願い事を書いたりします。生徒たちの願い事を見てみると「家族が健康でありますように」からひとこと「お金持ち!」というわかりやすい人まであり、面白いです。でも子供たちは七夕のことよく分かってるのかな?その後はこの三ヶ月の間にとりまくった旅行の写真を見せたり一緒にサッカーをやったりして残りの時間を過ごします。
お次はカンポ・グランジ日本人会主催の「フェスタ・ジュニーナ」。でももう7月になっているので「フェスタ・ジュリーナ」かな?とにかくカンポ・グランジ郊外の日系クラブに急ぎます。会場はかなり大きい建物で、早くも多くの人たちが集まっています。さすがに州都だけあってかなりの数です。リンスの町では想像もできないような数の日系人が集まっているのを見て正直言って驚きました。日本にいるみたいです。
友人の学校が出店を出すらしく、まずはそれのお手伝い。とは言ってもちょうどそのときコパ・アメリカの「ブラジル×メキシコ」の試合をやっていたので男どもはみんなテレビの前にいて働きません。日本で放送されたかどうか分かりませんがブラジルが大勝した「ブラジル×ベネズエラ」戦はすごかったです。とくに後半途中出場して華麗なゴールを決めた21番の選手の人気がうなぎ登りです。ちなみに日本では「ロナウド」とヨーロッパ風に読むブラジルの有名なフォワードはこちらでは「ホナウジーニョ」と呼ばれていますが、21番の彼も名前が「ホナウジーニョ」。試合前から二人の「ホナウジーニョ」ということで有名で、どうやって呼び分けるんだろうかと新聞にも書いてありましたが、判明しました。21番の選手の名前は「ホナウジーニョ・ガウーショ」。そう、「カウボーイのホナウジーニョ」という何とも笑える名前です。というのも彼は今ガウーショで有名なヒオ・グランジ・ド・スウのチームにいるからです。
何はともあれ若干19歳でセレソン(ブラジルナショナルチームのことはこう呼びます)に選ばれ、派手なデビューを飾った彼の将来は一気に開けました。何でもあの有名なレアル・マドリッドとバルセロナが彼の獲得に動き出しているそうで、これで彼も世界の一流選手の仲間入りです。そんな意味でコパ・アメリカは南米選手の展示会にもなっているようです。
試合も終わり準備が始まるとお客もどんどんやってきます。こちらはホットドッグ売場で延々とホットドッグを作ってましたが300個ぐらいのやつが1時間ほどで売り切れてしまうほどの大盛況でした。冷静に考えると今日やってきたばかりの他の町の人がカンポ・グランジの学校の出店で働くってのもおかしいんですが、こっちではすぐアミーゴになるので問題なしのようです。それにそうする方が一番仲良くなれるような気がします。
さて、フェスタの方はステージ上で子供たちの踊りが続きます。ガウーショ風に着飾った小さな子供たちがはね回る姿はとってもかわいいです。踊りの部にはブラジル学校の生徒たちも参加していたのでいろんな子供たちがいてなおさらかわいかったです。その子供たちも自分たちのステージが終わると手に手に爆竹やかんしゃく玉をもってそこらじゅうでバンバンやってます。以前にもかきましたが、こちらの爆竹は破壊力と音が日本のそれよりも格段に大きいので、至近弾をくらうとかなりびっくりしてしまいます。
その後、友人の友人に誘われてガーシュインのコンサートに行きました。日本でいうと小劇場のようなこじんまりした作りの会場でのコンサートでした。やはりこういったコンサートに来る人たちは普段町で見かける人たちとは客層が違いますね。みんなしゃれた格好をしていて、これまたブラジルの別の一面を見た感じがします。その割には入場料が日本円で400円弱ってのがすごいです。サッカーの一番安い席と同じぐらいの値段でした。7月4日 日曜日
朝10時半のバスでパラグアイに移動。あいにくの雨模様ですがパラグアイ近くになると両側にトウモロコシ畑が地平線まで広がっていてとても雄大な光景が見られました。サンパウロやミナスは山というほどの山はありませんが、延々と丘が続いていて、遙か彼方まで見渡せるということがありません。とくにここのように360度地平線!のような景色は初めてだったのでとてもいい記念になりました。
昼の3時すぎ、コパ・アメリカのあるパラグアイの町ペドロ・ファン・カバジェロ( Pedro Juan Caballero )に到着。ペドロ・ファンと隣のブラジルにある町ポンタ・ポラン( Ponta Pora )は二国一都市で、ひとつの町になっています。真ん中にある大きな通りが国境と言うことになっていますが、両側の都市の往来は自由で国境を監視する人もいないしこれといった国境らしきものもありません。そこから先、パラグアイやブラジルの内陸に入る人たちはどこかにあるはずのイミグレーションに自ら出向いて手続きをするんですが、事実上パラグアイの首都アスンシオンやカンポ・グランジぐらいまではパスポート無しで入れるみたいです。
ありがたいことにこの町にも同期がいて、さっそく迎えてきてくれました。その家にはパラグアイ派遣の同期たちが集結していて横浜での研修以来4ヶ月ぶりの再会です。変わらない人、黒くなった人、太った人さまざまでしたがお互いなれない環境で何ヶ月か働いてきただけあって日本にいたときとは違った話をすることができました。
まずはペドロ・ファンの日系人会に挨拶に行き明日の予定など聞きに行きます。何でもプレスセンターなどに入れるIDカードを入手したようで、明日はそれを使って選手のサインを貰いに行こうという話しになってました。こちらの日本人会がバックアップしているとはいえ、簡単にIDが入手できるとこが南米っすかね。
その後市内観光。町はさすがにコパ・アメリカ一色です。通りには参加各国の国旗を売る店や、ユニフォームを売る店があり、商店には各国の国旗がはってあります。それに走っている車には赤・白・青のトリコロールのパラグアイ国旗がたなびいています。
さて、ペドロ・ファンの町そのものは、どこも歩いていけるほどの町ですが、やはり国境の町だけあって国境のにおいを感じます。まず明らかに違うのが道。ブラジル側はきれいにアスファルトで舗装されていますがパラグアイ側は石畳であちこちに赤い土が露出しています。ブラジルのパラナ州( Parana )やパラグアイは赤土で有名です。この土は栄養分が豊富で、農作物の栽培には最適なんだそうですが、普段の生活では厄介者です。この日は雨だったんですが、水がはねたりすると赤いシミができ、これが洗濯しても取れません。何度も着ているうちにだんだんと服が赤っぽくなっていきます。また晴れたら晴れたで土埃がひどく、白い洗濯物を干していると埃でこれまた赤っぽくなるそうです。パラグアイの友人によると体も赤くなるようで、綿棒なんかで耳を掃除すると先が赤くなったりするそうです。
その他国境の通りの近くも雰囲気が全然違います。ブラジル側は普通の店が普通に営業しているだけですが、パラグアイ側は堀立小屋のような小さな建物がたくさんならび、あやしげ電化製品や靴や衣料品なんかを売ってます。またスーパーなんかでも外国からの輸入品をたくさん扱っており、どうもこの町ではブラジル側の客がパラグアイ側に買い物に来るようです。これは同じような二国一都市になっているイグアス( Iguacu )の町も同じで物価の安いパラグアイに買い物に行くってのがよくあります。またブラジルの町でもバス・ターミナルの近くにはパラグアイから仕入れてきた雑貨を扱う小さな店がたくさん入った商店があったりします。
とにかくパラグアイはブラジルにくらべると経済が遅れているなということがよく分かります。道の具合、建物、走っている車など細かいところで感じます。先進国ブラジルで何を援助するんだろうと思い悩むブラジル派遣組にくらべてそんな国で働ける友人が少しうらやましく思えてきます。
夜は近くの日系人のお宅でシュハスコ。こちらではアサード=焼き肉と言うそうですが、ご主人の移民当時の苦労話とか聞かせて貰いました。全般にサンパウロ州周辺にくらべてパラグアイは移民の歴史が浅いのでいまだに1世の方々が多数健在で、子供たちも2世が多く日本語を話せる人たちが多いです。ブラジルでは日系人の子供=ブラジル人で日常会話で日本語を使っている光景を見たことがありませんが、こちらの子供たちは日常会話で日本語を使っていてとても面白い光景でした。おじさんの悩みも「子供がスペイン語をうまく話せなくてこまる」といったこっちとは正反対の悩みで、以前から話しに聞いてはいましたが、戦後移住の人たちのコロニア社会の一端をかいま見た感じがしました。
7月5日 月曜日
この日はコパ・アメリカ。朝から早起きして選手の宿泊するホテルに行ってみます。あわよくばサインでも貰おうと思っていったんですがすげなく門前払い。当初の予定では面倒を見る日系人団体との親睦会をかねてサイン会を開くとのことでしたが、なんでも監督の意向で面会謝絶になったそうです。まあ大事な試合前と言うことなのでごもっともですが、話によると対戦相手のボリビアチームは気さくに応じてくれたそうで、お国柄の違いを感じます。なんか日本チームって特攻前夜の知覧基地といって感じで悲壮感を感じさせますね。なんかサッカーを楽しもうという雰囲気がないっす。これは後で書きますが日本からきたサポーターにも同じような感じがしたので日本全体がそうなのかもしれません。それとも僕が南米生活でアミーゴ社会に染まってしまい、そういった日本の気持ちを失ってしまったのかもしれません。
しょうがないので会場探検ということで、IDカードを使ってプレスセンターに潜り込みます。さすがにここにはたくさんの日本の報道陣が来てました。こっちの習慣で思わず見知らぬ日本人に「おはようございます」とか声をかけるんですが、相手は「なんでこいつはおれにあいさつなんかするんだろう?」という怪訝そうな顔をされるだけで返事はありません。逆に日本以外のプレスに「ボン・ジーア」と挨拶をすると必ず返事が返ってきますし、一緒に写真を撮ったり話をしたりしてくれます。久しぶりに日本人に会ったんですが、違和感を感じて何となく悲しくなりました。もう僕はだいぶん日本人じゃなくなっているんですね。
気を取り直して会場を後にします。会場周辺はさすがにコパアメリカだけあって物々しい警戒です。あちこちに自動小銃を持った軍人が立っています。とはいっても中身は普通の南米のおっさんなので一緒に写真を撮ったりして遊びました。ブラジルでは自動小銃を持った軍人が立っているのを見たことがなかったので結構めずらしかったです。そういえば、会場に行く道の上に日系人会が「がんばれ日本」と書いた横断幕を吊っていたのでその意味とかも聞かれましたね。やはり日本語がめずらしいんでしょう。
町中を歩いていても「お〜日本人か!今日はがんばれよ!絶対勝つよ!」と言ってくれるパラグアイ人が多かったです。ブラジル人も気さくで明るい人たち多いんですが、パラグアイ人はそれに輪をかけて気さくですね。日本人だと見ると車の窓を開けて手を振って「日本がんばれ」と言ってくれるし、なんかいい人たちです。パラグアイ人は。
試合開始は夜の7時なので、まだ時間があります。ぶらぶらと町を散策してみました。輸入品を専門に扱う大きなスーパーでは食べ物からコンピューターまでいろんな輸入品を扱っていました。とくに56Kのカードモデムなんかきっと南米では見ることがないだろうと思っていたものまであったので驚きでした。値段も200USDとそれほど高くはなかったので予備に一枚買おうかと思いましたが今後の出費のことを考えるとためらわざるを得ない悲しい自分がいました。
また、あやしげな店の建ち並ぶ国境沿いの通りにも行ってみましたがのんびりとした雰囲気。一目見て日本人と分かる僕が通っても客引きをするでもなく、のんびりしています。このあたりのパラグアイ人らしいところです。また、ちょっと町の中心から外れたところにある商店街には日本人がたくさん店を開いているそうです。飲み物でも買おうと入ったお店で値段を聞いたところパラグアイの通貨グァラニで答えられたので「ヘアル(ブラジルの通貨)でいくら?」とポルトガル語で聞いたところ、どう見てもパラグアイ人のおっさんが店の奥にむかって「ヘアルでなんぼ?」と日本語で聞いたのにはびっくりしました。店の奥からは日本人の奥さんが出てきたので納得しましたが、これもこちらではあり得ない光景です。
そんな感じで時間は過ぎていきあっという間に試合の時間になりました。ずっと一日霧雨模様でしたが、試合時間が近くなってもやみそうもありません。気温も低く、何枚も着込んで会場に向かいます。ぬかるみの道を会場に近づくと大勢の人たちがいます。ペドロ・ファンにすむ友人は「すご〜い、あんなに人が集まっている」と興奮しています。ペドロ・ファンのような小さな町でコパ・アメリカが開かれるんだから無理もありません。だいたいスタジアムもこの大会のために急遽建てられたものでにわか作りの観が否めません。
まあ今回の大会を見ると、ブラジルを意識しているというか観客動員を意識しているなぁと思わせることがおおいです。まず会場ですが、ブラジルが入っているグループの予選はすべてイグアスの滝のそばのシウダード・デル・エステ( Ciudad del Este )で行われます。ここはブラジルからパスポート無しで行けるのでブラジルからの大勢の観戦客を見込んでいるのでしょう。ペドロ・ファンで「日本×ボリビア」が行われるのもブラジルやパラグアイに多数住んでいる日系人客目当てだろうし、アスンシオンでの「日本×パラグアイ」の試合もパラグアイの大勝利目当ての観戦客が目的なんでしょう。
まあ、そんなことはさておき、会場に近づきますがあんまり日本人の姿が見えません。ちょっと心配になります。やっとのことで日本からのサポーターらしい日本のシャツを着込み、上から下まで青色の人たちを見つけました。お〜やっぱし日本からこんなパラグアイの果てまで来たんだ〜とみんなよろこんで、「こんにちは〜日本からですか?」と声をかけましたがまたもや無視。なんで日本人って挨拶をしないんだよ!挨拶は人間の基本だよ!と思うけど報道陣と同じく「何、この人たち」という冷たい視線にあい、すごすごと引っ込んでしまいました。朝から続く日本人の冷たい態度に友人たちもがっかりして「ボリビアの人たちのほうが暖かいからボリビア応援しようか」と言う声も出たくらいです。どうして外国に出た日本人はあんなに冷たいんでしょう。逆に日系人たちはあんなに暖かいのに。まだ僕たちは一時滞在者だからいいけど、この日を待ち望んでいた、それこそ移民してからず〜っとこの日を待ちこがれていたかもしれない地元の日系人会の人たちの気持ちを思うと複雑です。実は昼には日系人会主催の昼食会に行きました。もともとは日本選手や報道陣を招いてやる予定でしたが、選手団はもちろんキャンセル、報道陣も一部が来ただけで、会場に来た報道陣も黙ってご飯を食べるだけ。これでまた「日本人は絶対に信用しない」という日系人が増えるのでしょう。
なんかあんましいい気分になれないままスタジアムに。ピッチで練習する日本選手を見ても「外国での試合は100年早いんじゃない?まずは挨拶を覚えてから出直して来な」という意地悪な心が少し出てきますが、試合時間が近づくにしたがって日系人たちが続々と詰めかけてきます。とくにここから1時間半のところにあるドウラードス( Dourados )の日系人会は「がんばれ日本!ドウラードス文化協会」の横断幕を二枚も持って登場です。ちょうど僕たちが座っていたところはそのど真ん中ですごく盛り上がっています。なぜかその中に座っていた日本からのウルトラス・ニッポンの人たちは「なんでここにいるんだろう」といった顔で、押し黙ったままでしたが、もうあきらめました。
でもこっちの人たちはパラグアイ人も含めて「ニッポン!」コールです。とくにこのあたりに座っていたパラグアイ人たちはみんな日本を応援してくれてとても力強い思いをしました。日系人会の人たちが日の丸の小旗を配り始めるとパラグアイ人たちもほしがったぐらいです。
さてさて試合開始です。 この前のリベルタドーレスの試合と違ってこちらでは座ったままです。立って応援しようとすると、うしろから「座れ〜」の声がでます。もちろんみんな座ったほうが試合は見やすいんだろうけどちょっと盛り上がんないです。実際シュートがはずれたときなんか「オ〜」と声を出すんですが、座っているとタイミングが遅れます。立っていると声が出しやすいですね。そんな盛り上がりにくいスタジアムですが、試合の方ももう少し盛り上がりにかけました。まあ詳しい解説はできませんが、ゴール前の詰めが苦手なようです。日本チームは。南米のチームはゴール前の密集地帯で細かく正確なパスを回したり、ドリブルで抜いていくのがうまいですね。また、左右に開いた攻撃からのセンタリングの精度の格段に違いますね。南米はちゃんと誰かをねらって蹴っているように見えますが、日本はただ蹴り込んでいるだけに見えます。とはいえ日本も中盤はしっかりしているので試合自体は互角に見えました。でもゴールの枠内に飛んだシュート数はボリビアの方が多かったでしょう。
そんなこんなであんまし盛り上がらないスタジアムも、前半終了間際にボリビアの選手が退場になったときは盛り上がりました。初めて観客総立ちで応援しました。退場になったプレイそのものは「あれでレッドカード?イエローで十分じゃない?」と思うようなプレイです。その他にも何となく日本に有利な判定が多く、応援の声も日本の方が多いのでホームのような試合です。
やがて前半終了。人数が一人減ったので期待が持てそうな後半です。
後半開始。 人数が多いので日本がボールを支配することが多いんですが決定的なチャンスが作れません。逆にFKからボリビアに点を入れられてしまいました。また負けるのか〜〜とやきもきさせます。ただ日本も後半になるとちゃんと組み立ててゴールを攻めるようになり、「あわや」というチャンスも出てきます。とくにスタジアムからだと全体の動きが見えるのでそういった流れはよく分かりました。そしてペナルティーエリア内で日本選手が倒されPKを獲得。このときは本当に総立ちで喜びました。そしてロペスが決めたときの喜びはリベルタドーレスの時よりも大きかったかもしれません。やっぱ日本人です。そのまま試合終了。結局引き分けに終わりました。日本は最下位に終わりましたが、みんな日本の試合を見ることができて満足そうな顔です。帰る人もいましたが日本を応援してくれたパラグアイの人たちに恩返しということで次の「パラグアイ×ペルー」戦を応援です。
第一戦が終了するとすぐに楽隊が入場。ひとしきり吹奏すると、すぐに第二戦の選手たちが入場。観客を待たせないところはありがたいです。この試合はペルーが勝つか引き分けるとペルーが一位で予選通過、パラグアイが勝てばパラグアイが一位で予選通過。本戦を楽に勝ちあがるためにも一位での通過が必要です。そういうわけで、ペルーの戦い方は明らかに引き分けねらい。ことあるごとに倒れ、時間を引き延ばしにかかるのはこの前のコロンビアの試合と同じです。観客もはげしいブーイングを送りますが、知らぬ顔です。ブーイングといえば、観客。結局地元パラグアイの試合でも満員にはならなかったスタジアムですが、観客もマナーがいいというか観戦の仕方を知らないと言うかとてもおとなしかったです。相手が攻め込んだときは普通ブーイングの嵐で、味方がゴール前に行けば大声援ってのが基本なのに静かです。決して立ちません。「あんたらそれで楽しいの?」と思いますが、これがパラグアイのやり方みたいです。ほんとおとなしくていい人たちばっかりのようです。
地元とはいえ一進一退の攻防が続くなか前半終了。そして後半開始。パラグアイは火がついたように必死に攻めます。なにせグループ二位になると優勝候補の筆頭といわれるブラジルと同じブロックに入ってしまいます。もうダメかと思った後半終了間際、パラグアイの期待の星、ロケ・サンタクルスがスルリとディフェンダーの脇をすり抜け、キーパーと1対1のチャンス。そしてキーパーもかわしてゴ〜ル。待望の先取点です。このときばかりはスタンド全体の観客が総立ち。僕たちの後ろで「座りなさい」と何度も注意してくれたパラグアイのおじさんも立ち上がって喜んでいます。そしてそのまま試合終了。パラグアイの一位通過が決まりました。
7月6日 火曜日
この日は家に帰るだけ。前の晩試合終了後も友人たちと夜遅くまで話していたため、ずーっと寝てました。ただ、カンポ・グランジでリンス行きに乗り換えるまで1時間ほどあったんですが、バス・ターミナルにある食堂など軒並み休業。まだ時間は8時前なのにおかしいな?と思っていると、館内の放送で「本日19時40分からセレソンの試合を放送します」と。そう、今日はブラジルの予選最終試合の日でした。みんな店を閉めて帰ってるんですね。その試合の真っ最中にバスに乗っていた僕は間抜けかもしれません。ただ、途中のドライブインに入ったときテレビで試合をやってましたが、後半終了間際すごく濃い霧が出ていましたね。後で知ったところによると霧で試合が中断したままそのまま終了したとか。
とにかくサッカーばっかと、ちょっと日本人不信におちいった週末でした。