7月18日 日曜日
学校行事の童謡の集いも無事に終了。さっさと荷物をまとめてホドビアリアに急ぎます。ブラジリア( Brasilia )行きのバスの出発時間は6時15分。コパ・アメリカ決勝戦「ブラジル×ウルグアイ戦」の開始時間は6時。バス停にある軽食堂のテレビでは試合が中継されていて、この時間に家でのんびり観戦することができない僕のようなかわいそうな人達がたくさんいました。僕としても「このままバスが来るのが遅れてくれればいいのに。」とか「きっと運転手も試合見たいからこの町で試合終了まで停車だな。」とか都合のいいことを考えていたんですが、いつもは平気で2時間ぐらい遅れてくるバスが今回ばかりはきっちりとやってきます。だいたいポルト・アレグレ( Porto Alegre )(ここから1000km以上離れた南の町)から定時でやって来るなよな、ブラジル人なら!と思うけど、そんな僕の心を乗せてバスは出発しました。
頭は試合のことで一杯のはずが、気がついたらドライブイン。ブラジルは時が進むのが早いっす。ドライブインでももちろんテレビはコパ・アメリカ。急いでテレビの前に向かうと大歓声。ブラジル優勝の瞬間でした。すわ、と思い外に出てみますが花火はなし。まあドライブインが町から離れたところにあるのでしょうがないのかな。とはいえ今回のコパ・アメリカはリベルタドーレスにパウメイラスが勝ち残った時ほど盛り上がらなかったように思います。まあパウメイラスのあるサン・パウロ州に住んでいるのでそうだったのかも知れません。どうでもいいけど、そのドライブインにはパラグアイの大会から帰ってくるテコンドーの選手一団がいました。やはり西洋人系の人達、しかも子供が空手着みたいなのを着ているとなんか「ベスト・キッド」に見えてしまいますね。
その後もバスは半月に輝くブラジルの大地を北に向けて疾走していきました。
7月19日 月曜日
朝8時定刻通りブラジリア到着。南のポルト・アレグレからブラジリアまで2000km以上を定刻通りに走るバスはやっぱり偉いような気がします。ガイドブックに「巨大なホドビアリア」と書かれていたわりには小さめのホドビアリアでそれほどたくさんの方面にバスが出ているわけではありません。今までの短い旅行歴の感想では中央部のバス・ジャンクションは間違いなくゴイアス( Goias )の首都ゴイアニア( Goiania )でしょう。
それはさておきセラード特有の乾燥した赤土と灌木に囲まれたバスターミナルを歩いているとどこからか僕の名前が呼ばれます。ここで僕の名前を呼ぶヤツはいねぇ、ポルトガル語の聞き間違えだ、と思っていると何度も呼ばれるので見てみると今日の夕方到着予定だった友人です。彼女は南のサン・パウロ州からいったんパラナ( Parana )へ下り、そこからリオ( Rio de Janeiro )、ヴィトリア( Vitoria )、サルバドール( Salvador )と海沿いに北上し、ブラジリアまで来たそうです。なんかすごいっす。
その後、次の予定地のクイアバ( Cuiaba )までのバスの便を探したんですが、17時間もかかるヤツしかありません。そんなに遠くないはずなのに時間がかかるなぁ、と思いながら予約しましたが、後で調べてみると1133km。そんなもんかもしれません。
ここでブラジリアについて解説。
ブラジル内陸部開発の目玉として時の大統領ジュッセリーノ・クビチェック(通称JK=ジョッタ・カー)がブラジリア建設を計画。都市計画家ルシオ・コスタ、建築家オスカー・ニーマイヤー、景観設計家ブルレ・マルスによってたった3年という驚くべき早さで作られ、1960年4月12日、首都がリオからブラジリアに移されました。町の形は上空から見るとちょうど飛行機の形に設計され、そのコックピットに大統領府、議会、裁判所の三権の建物があり、両翼に住宅地があり尾翼付近にホドビアリアがあるというつくりになっています。その特異な歴史から1987年にユネスコから世界遺産に指定されていますが、ガイドブックからは「車とエアコンのために作られた町」とこき下ろされ、町のまわりには金持ちの町ブラジリアで働く下級労働者達のファベイラが飛行機の排気ガスのように集まっています。
そのブラジリアには州外から来るバスが到着するホドビアリアとブラジリア内のバスのためのホドビアリアがあり、まずは後者のホドビアリアに移動です。前者のホドビアリアには鉄道駅も併設されているので、本当はホドフェホビアリアという名前です。ホドフェホを出たバスは一路機首にむけて一直線に走ります。6車線ぐらいある大きな一方通行の道を走っていると、まずはじめに右手を高く掲げた「偉大なる首領様」ジョッタカの銅像が出迎えてくれます。何もないセラードと人工的な町並みと銅像にまだ見たことのないピョンヤンを思い起こさせるすてきな町です。
さらに走るとホドビアリアに到着しますが、こちらはたしかに「巨大」の一言につきる大きさでした。たくさんのバスがあちこちに出発していく光景を見て、「銀鉄」を思い起こす僕はもうオールドタイマーなのかもしれません。ブラジリアは計画都市で、左右対称に翼が広がっています。その翼の外周を巡回する大通りがL2通りとW3通りで、それぞれ南北に分かれてL2NORTEとかL2SULとか言われています。なんか無機質な通りの名前も未来都市っすね。そのためか、始めてくる外国人にも結構分かりやすいです。さらに町中が整然とブロックに分かれていて、それぞれ101ブロックとか名前が付いていて、道路沿いにブロック名を示す看板がついているのでバスに乗っても自分の目的地に近づいたことがすぐに分かります。たぶんこのあたりも都市計画のうちに入っていたんでしょうから先見の明はあったようです。
ホドビアリアの待ち合わせ場所で待っているとブラジリア在住の友人登場。今回の目的は彼に会うことにもありました。陸の孤島ブラジリアに住む彼は初めてのまともな訪問者にちょっと興奮気味に見えます。日本を出る前から友人達からは「たぶんブラジリアには行かない。だってなにも面白くないんだもん。」と冷たい言葉を浴びていただけに気持ちも分かります。まずはその彼の案内で自宅に向かいます。自宅は南の翼の先の方にあります。バス停で降りた印象は「どこかで見たことのある町だな」というもの。背の低いアパートが整然とならび、間には気持ちの良さそうな芝が生えています。そういえば、日本の大規模な公団住宅、それもちょっと古めのやつだとこういった雰囲気だなあと気がつきました。なんでも景観上の理由から3階建て以上の建物は規制されているようこのような背の低い建物になっているそうです。友人宅につくと、アマゾン川沿いの町に住む友人もいました。彼女はアマゾンのベレーン( Belem )とマナウス( Manaus )のちょうど中間のあたりにある小さな町に住んでいて、いわば「川の孤島」。初めてのアマゾン以外の町への訪問にこちらも興奮気味でした。僕、ホドフェホで会った友人、ブラジリアの友人、アマゾンの友人の4人が今回のブラジリア探検のメンバーです。
最初に向かったのがドン・ボスコ聖堂。友人の話によると、「南緯10度から20度の間に首都を作りなさい。」というありがたい啓示を与えてくれたという山師の聖堂。壁一面に青いステンドグラスがはめ込まれていて聖堂の中は本当に海の底にいるような気がします。そのせいかもしれませんが建物の外の炎天下を感じさせない涼しさも持っています。中にはひざまづいてお祈りしている人もいて、写真をとっていいのかな、と申し訳ない気持ちにもなりましたが、彼らもお祈りが終わるとちゃっかり観光客に変身して写真を撮っているところがブラジル人って感じです。また、中央には巨大なシャンデリアが飾ってあって光がともされるととても美しいそうですが、友人はまだ光っているところを見たことがないと言っています。
聖なる空間に囲まれてきれいな心になったところで、今度は一転物欲に支配されたショッピングセンターに突入。クリチーバCuritiba編でも書きましたが、こっちのショッピングセンター(通称ショッピン)は日本と同じです。きらびやかな輸入品がならび、これでもかとばかり僕たちの欲望を刺激します。アマゾンに暮らしていてしばらく物欲に無縁な生活を送っていた友人は目をキラキラさせてウィンドーをのぞいています。「すっごい」の連発の前には「あんたこの前まで東京にいたやろ!」という言葉も出てきません。ただ、サン・パウロ( Sao Paulo )経験者の目から言わせると、やっぱサン・パウロの方が安いっす。そして最上階はお約束のレストラン街。ステーキ屋でステーキのテイクアウトをたのみましたがさすがに高い!それにブラジルにしては量が少ない!全然満腹にならなかった僕は、ブラジルで初めてマクドナルドに行ってしまいました。たのんだのはもちろんビッグマック。世界中のビッグマックの中で今一番安い値段です。2.89R$なので200円ぐらいということになります。ただ、心なしか日本のよりも小さい気がします。町はでかいが食べ物は小さい町・ブラジリアです。
おなかも一杯になり、次なる目標は三権広場。ブラジリアの機首にある各種建物群を見学です。
まずその前に通り道にあるカテドラルに。ここはかのニーマイヤー先生がお作りになったおそれ多くも偉大な建物です。よくブラジリアの建物の代表としてガイドブックに載っているやつです。ジョッタカの像のまわりといいドン・ボスコのまわりといい観光地なのに全然おみやげ物屋がありませんでしたがここにはありました。といっても屋台程度の寂しげな店が数軒建っているだけで、かえってまわりの荒涼としたセラードが強調されてます。客引きも少なく、やっとココナッツ売りが「ココナッツいらんかね。」と声をかけるぐらい。ギラギラと輝く太陽と真っ白な建物、無機質なおみやげ物やがミックスされてどことなく別世界のような感じがします。これはここに限ったことではなく、ブラジリア全体において生命感の乏しさからくるのか同じような印象を受けます。ただ、それがいやな感じを与えることなく不思議な印象のままでいてくれるところがブラジリアです。
そんなカテドラル前で写真を撮っているとブラジル人観光客から「写真を撮ってくれませんか」とたのまれます。「いいよ」と答えると何か言います。よく聞くと、僕たちと一緒に記念撮影をしたいとのこと。う〜ん、よく分かりません。日系人はあちこちにいるから珍しくないはずなのに。
さて、カテドラルの中は外見が小さかったわりに大きく感じます。天井からは天使やノッサ・セニョーラとおぼしき女神達の像がつり下げられていて、宗教施設よりも芸術作品のようなにおいがします。また観光客も多く、ここでミサとかやったりするんだろうか、と疑問に思います。この中で面白いものを発見しました。ここは直径35mぐらいの円形の建物なんですが、この壁のそばで小声で話すと遠く離れた壁のところでその声が聞こえるんです。結構有名な壁らしく観光客達もしきりに壁の近くで話して驚いています。もちろん僕たちもしかり。
カテドラルを出た後は機首に向けて歩き始めます。そうすると両側に緑の壁の7階建てぐらいのまさに公団住宅そっくりの建物が等間隔にならんでいます。何でもそのあたりは役所の建物群らしく、なるほど壁には「○○省」とか書いてあります。日本のお役所のように並外れた最新式ビルを建てるのも何ですが、ここみたいに効率化と合理性のみ追求した無味乾燥な建物も何だかなぁと思うところは僕の身勝手さでしょうか。
さらに歩いていくとはじめに目にはいるのが国会議事堂。真ん中に背の高いビルがあり、両側にお椀を伏せた形の上院、それをひっくり返した受け皿みたいな下院があります。なんでも下院は広く国民の声を聞くためという意味で受け皿になっており、上院はそれらの声をうまくおさめるという意味で伏せた形になっているそうです。たしかにデザイン上も能書きも納得します。現実のブラジル政界を無視すれば。
お次は最高裁判所。ここの名物は建物の前にある目隠しをして座った女神像。昔の不公正な裁判を戒めるためにこうしてあるとか。だいたいこういったところでは目隠しして座りたくなります。
裁判所と大統領府の前は広場になっていてそこには大きな塔があり、上の方には巨大なブラジル国旗がはためいています。旗の重さだけで80kgあり、各州が一旗ずつ奉納し毎月一回交換するそうです。
そのそばにはブラジリア建設に貢献した労働者をたたえるための「労働戦士の像」がありますが、ここでも像と同じポーズをとってしまうのは悲しい人間の性でしょう。ここブラジルでなにか大量の労働力が必要になるときまって集まるのがノルデスチ(北東部)の労働者。あのあたりは年間降雨量が極端に少なく、いまだに餓死する人もでており頻繁に救援物資が送られています。今で言うと、トランス・アマゾニア道路やアクリやホンドニアの密林開発などに徴集されています。僕のまわりの人達も「ブラジルに来たのならぜひノルデスチの内陸に行きなさい。」と言いますが、ブラジルを語る上ではずすことのできないもうひとつのブラジルの姿があるのかもしれません。
さてもうまもなく夕暮れです。やはり夕暮れに沈むブラジルの町並みを見るならテレビ塔でしょう。 というわけでテレビ塔に急ぎます。テレビ塔はホドビアリアからホドフェホのほうに向かって15分ほど歩いたところにあり、入場は無料。エレベーター前にはけっこう観光客がいます。東京タワーと同じで展望台がふたつあり、まずは一番上の展望台に。ここはまわりを柵でかこってあるだけの吹きっさらしの展望台。日中の暑さにこたえた体には心地よいです。ちょうどここから見ると夕日に照らされて両ウイングに広がる町並みがはっきりと分かります。両翼の先にはファベイラがあり、そのまた先には普通の町並みの衛星都市が見えます。ただひとつ気になったのは近くにある移動遊園地。ネオンをギラギラとつけた観覧車が回っているんですが、そのスピードが並じゃありません。すごいはやさでぐるぐる回っています。一周するのに30秒もかからないぐらいです。どうやって乗り降りするんだろうと思っているとだんだん日が暮れていきます。こんな人工的な町にも夕焼けは似合うもんだなと思いながら締めくくりました。
しかし夜はこれからです。何を隠そう今回の本当の目的は「ブラジリア鍋を食べる!」です。
ちょっと解説すると、日本の研修所生活時代僕たちは夜な夜な食堂に集まり自販機で買ったビール片手に語りあったのですが、当時「モルツ」には一缶に一枚シールがついていてそれを集めると「モルツ鍋」なるものがもれなくもらえるキャンペーンをやっていました。日々の目標もなかった僕たちは「よし、研修が終わるまでに鍋をもらうぞ!」と毎晩飲み続けたわけです。そして研修も終わりの頃になってめでたくシールを集めることができ、あこがれのモルツ鍋を手に入れることができたわけです。もうそのころは日本出発直前だったため、「ではブラジルで鍋をやろう!」ということになり、モルツ鍋獲得に一番貢献したブラジリアの友人に鍋は託されたのでした。そして今晩はモルツ鍋のブラジル初デビュー!野菜類はすでに友人が準備したので近くのメルカードで肉だけ買って出発。
友人宅では怠け者の僕をのぞいてみんなで鍋の準備です。みんなブラジルで鍋を準備するということでかなり楽しそうです。ただ、もう少し寒ければ鍋の雰囲気もでましたが、しょうがありません。ここはブラジル。ビールを飲んでいるうちにあっというまに鍋は完成。そのころにはいい加減に酔っぱらっていたのでおいしくいただきます。でも食べ始めると、ここがブラジルというありがたみもなくなり、なんか日本で食べているような感じがします。もちろん鍋はおいしかったんですが、「ブラジルで鍋食ってる〜〜」て感動がもうちょっとあればよかったな。
7月20日 火曜日
朝起きると9時。眠い目をこすって出発。まずは女性陣が泊まっているブラジリアの日本語学校に行って合流し、まずは連邦大学へ。なぜ連邦大学かというと、大学内の郵便局で記念切手を売っているから。こちらの大学も日本と同じで構内に町があり郵便局や銀行、洋服屋から理髪店まであります。生徒達も日本と同じ。明るい感じの服を身にまとい、男女が仲良く歩いているのはいつ見てもいいね。ただ、自分がその中にいないことが悲しいけど。郵便局では確かに記念切手が売ってありました。あんまり手紙を書かない僕には分かりませんが、こっちの郵便局ではあまり切手を売っていないらしく、はがきを出そうとすると、勝手に職員が普通の切手を貼るそうです。これもよく分かりませんが、やはり切手選び、はがきの絵柄選び、トータルで楽しみたい人々にとってこれはとってもつまらないことのようです。僕も昔旅行した頃ははがきを出していたけど、ブラジルでも完全にインターネットがつながり、友人のほとんどがメールアカウントを持っている現在、心の中ではがきの地位が下がっていました。でも友人の話を聞き、そういえば田舎のおばあちゃんに手紙を出してないなぁと遠く日本のことが思い出されました。
午前中はそれだけですぐに昼になってしまい、シュハスカリアで昼食。その後は仕事があるブラジリアの友人と別れ、市内観光に行きます。昨日から思っていた今日の目玉は「スターウォーズ」ブラジルでも新作は封切りされていたんですが、僕の住む町には映画館がありません。そこでブラジリアで見ようと言うことになりました。だいたいシステムが分かり、自分の足のように使えるようになったバスに乗って昨日行ったショッピンへ。このショッピンには映画館も入っています。このあたりも日本の最近のショッピングセンターと同じですね。映画館まで来ると、ありましたありましたスターウォーズ。到着したのが1時50分。ちょうど10分前に開始でした。がっくしと思っているとすぐとなりの窓口では2時10分開始。そういえば、日本でも人気のロードショーは時間をずらして同じ建物の中で同時に上映すると聞いたので、それと同じです。
さて、入ってみると僕たち以外誰もいません。日本だったら立ち見だろうなとか思いながらも正面真ん中の一番いい席に陣取ります。結局映画が始まっても20人も客がいなかったと思います。映画が始まると、おきまりのテーマが流れていつもの説明のテロップがズズズ〜っと流れるんですがポル語。「やべっ、吹き替え版か?」と思ったけど、英語音声のポルトガル語字幕でほっとしました。内容の方はつたない英語力と、これまたつたないポルトガル語字幕を両方利用したのでほとんどわかりました。細かいことは書きませんが、やっぱ映像の迫力はすごいっすね。いつ見ても。
映画も終わり、余韻にひたっていると係員が「残る?」と聞いてきます。東京なんかでは総入れ替えだけどこちらは何回見てもいいみたいです。それもいいところだ。本当はもう一回見たかったけど次の予定もあったので渋々帰ることにします。建物を出た瞬間、ブラジリアで最も感動した出来事に遭遇しました。普通日本でこういった映画をみて未来気分のまま町にでると、今までと同じ日常が続いていてがっかりしてかえって悲しくなったりするんですが、ここブラジリアは違いました。映画館の外にもスターウォーズが続いていたんです。映画館の出口が巨大なショッピンの屋上につながっていて、扉を出た瞬間目の前に遙か彼方まで広がる地平線と超近代的計画都市が広がり、どこか別の惑星にたどりついたかのような、もう一度新たな物語が始まるような戦慄を感じました。未来世紀ブラジルに感動していたところ、友人も同じような目をしています。「なんかまだ映画が続いているような気がしない?」と聞いたところ「うん。」その瞬間ブラジリアの官能的な魅力を感じてしまいました。まさに "Capital of the Third Millennium !"
この不思議な気持ちのままで次に出向いたのがJKメモリアム。あのジョッタカーの記念碑です。あの右手を挙げた姿を撮りたいばかりに行きました。もちろんその姿はこの町を象徴するもので、一見の価値はありますが、ここでももう一つの発見がありました。それはメモリアムからすこしホドフェホのほうに行ったところにある高台。ここには気持ちのいい枯れた芝が絨毯になっています。まわりには高い建物がほとんどないので本当に地平線ばっかです。時はちょうど夕暮れ時で、地平線彼方に太陽が沈んでいきます。芝生に寝転がりのんびりと見ているうちに時間は流れていきました。
今日はそれぐらいで時間切れ、もう夕食の時間、そして夜にはクイアバに向けて出発しなければなりません。ブラジリアの友人とはここでお別れになるので最後の晩餐です。涼しい風の中、中華料理で締めくくり一路ホドフェホへ。
そして闇夜に光る未来都市を後にしたのでした。