8月26日 木曜日
前夜発の夜行バスでサン・パウロ市内に到着。第一印象=臭い。サン・パウロに近づいたところでエアコンから変なにおいがしてきます。なんかむかし学校に通っていた久留米のゴム工場のにおいに似ています。勉強していたところがゴム工場のすぐそばだったので強烈に憶えていますね。で、そこにはカップ式のジュースの販売機があって、いつもメロンソーダを飲んでいたので、ゴムのにおいを嗅ぐとメロンソーダの絵が浮かぶという奇妙な関係が僕の頭のなかにできてしまいました。それはさておき、早朝4時過ぎにサン・パウロはバーハ・フンダのホドビアリアに到着。サン・パウロにはいくつかのホドビアリアがあるんですが、すべて地下鉄駅に直結していて便利です。それに地下鉄も犯罪都市サン・パウロとは対照的に比較的安全なんで市内の移動はかなり楽ですね。
とはいえ地下鉄の始発は朝の5時。それまではすでに開いている軽食屋で時間をつぶします。こっちの人も日本人と同じようによく働きますね。朝の5時前から食堂の店員達は掃除をしたり、客の応対をしたり忙しそうです。実はこの軽食屋に来たのはある店員に会うため。この前サン・パウロに来たときも同じバスを使ったので同じように朝早くバーハ・フンダに到着し、ここで時間をつぶしたんですが、4時45分ぐらいから出勤してくる店員がナインティナインの岡村にそっくりなんです。顔かたちもそっくりだけど、ブラジル人なのに背が低いってところもそっくり。今日もいるかな〜〜っと見てみると、いましたいました。この前と同じようにコマネズミのように一生懸命働いています。「南米人は働かない」っていう事前の話とはうらはらに、あちこちで働くブラジル人をよくみかけます。とくにサン・パウロは。
そのうち始発時間になり、地下鉄に乗ります。始めに地下鉄は安全と書きましたが、それは警官の巡回数が多いってところが原因でしょうか。乗った地下鉄が始発電車だったので他の駅に行く警官も含めて6人ぐらい乗っていました。昼頃の地下鉄駅をみると、必ずホームの上に2,3人の警察官が立ってます。彼らが立っていてもスリにはやられるんでしょうが、心の安心感が違います。その地下鉄に乗り、友人がやって来る国際空港行きのバスが出ているチエテのホドビアリアに行くんですが、ひとつ気づいたことがあります。「まわりがあんまり僕のことを見なくなったみたい。」ということです。これまで地下鉄に乗っていると、みんなが僕のことを見ているような気がしましたが、きっとガチガチに緊張した僕の姿が人目を引いたんでしょう。それがブラジル生活にも少し慣れ、肩の力が抜けてきた今では地下鉄の一乗客として車内にとけ込んでいるらしくあんまりじろじろ見られません。本当は両方ともそう感じているだけなのかもしれませんが、不必要な緊張感がなくなったことは事実です。「なんかブラジルともうまくやっていけそうだな。」と感じ、朝から小さな幸せを味わいながら地下鉄に乗っていました。
チエテで空港行きのバスに乗り換えて一路ガルーリョス空港へ。この道も以前通ったことがあるけど、好きな道です。空港までの道は半分高架みたいになって町を見下ろしながら走って行くっていうのもひとつの理由ですが、大きな理由は道沿いの看板です。道沿いにはブラジルの国内線を飛ばしている「TAM」って会社の看板があるんですがこれが旅心をそそります。書いてあることは至ってシンプル。「TAM」の名前の下にブラジルの有名な観光地の名前が書いてあり、その横にはその地の名物なんかが描かれています。魚の絵と「BELEM」、フェイジョアーダの絵と「SALVADOR」、牛の絵と「GOIANIA」、ミルクのツボの絵と「PORTO ALEGRE」・・・一枚一枚見て「きっといつかここにも行くんだろうなぁ」と想像していくとホントに旅心が刺激されます。
バスは朝もまだ明けきらない6時前に空港に到着。この前ここに着いたとき、期待と緊張感でいっぱいになりながら歩いた道を今また歩くんですが、踏みしめる一歩一歩にこれまですごしてきた時間がにじみ出ているかのような感慨がありました。そして到着ロビー。そうそうこのゲートをくぐったとき「ついに来た。いや来てしまったのか?」と後には引けない思いでした。でもホントいまはそのころとはだいぶん違いますね。あれがまだ四ヶ月前だとは思えないぐらいです。
のんびりと待つうちに友人と再会です。とはいっても日本を出る前に会っていたのでそれほど感慨がないのがちょっと残念。でも今ふたりはサン・パウロにいるんだよな、地球の裏側で会ってるんだよなと思うと足元に踏みしめた地球の小ささを感じさせてくれます。とりあえず、再会を祝った後はまずリベルダージへ。こんばんはサン・パウロ在住の友人の所にご厄介になる予定ですが、まずは彼の職場に行って旅の荷物を預けて身軽になってから出発です。
行きと同じくチエテまでバスで行くんですが、バスの外側に流れる景色をみて友人はどんなことを思ってるんだろうと考えながら座ってました。日本でも遠方の友人を迎えるときには同じ感じがしますが僕がいる町に対する温度の違いとでもいうのか、同じ景色を見ても見え方がきっと違うんだろうなあっていう思いが楽しいです。
荷物を置かせてもらいに友人の職場に行ってみます。ここははじめて訪れるところ。友人も日系人の団体のところに働いているので職場の人はみんな日本人、言葉も日本語が飛び交っています。もうこうなってくると完全に日本ですね。我が町ではさすがに会議の時や日常会話のはポルトガル語なので日本語で仕事をするということは驚きなんですが、こうしてみると日本のどこかの会社を訪れたみたいでたいした感動もなく終わってしまいました。ただ、ひとつ驚いたのが僕が到着する前日に起こった事件。なんでも警察に追われた武装グループの車がマシンガンを乱射しながらリベルダージの東洋人街を駆け抜けたそうで、流れ弾にあたりけが人が出たみたいです。
せっかくだからと言うことでリベルダージを通って駅に向かいます。二ヶ月ぶりのリベルダージ。町には日本語の看板があふれ、店内には日本の商品がならんでいます。ここに来るとなにかまわりじゅう日本趣味ばかりですが、日本とは遠いブラジルにある日系人街ということで逆に日本との距離を感じてしまいます。自分の街では、いつも見なれた日系人のおじさん、おばさん達に囲まれていて、夜パソコンに向かえば日本からのメールがたくさん入っていて、よっぽどそっちの方が日本に近いように思います。こういったヴァーチャルな日本が広がっていくと、ある意味リアリティーを追求したリベルダージのような街はどう変わっていくんでしょうね。
昨日乱射事件があったということで、ちょっと緊張して歩いたんですが。町を見回してみてもみんないつもと変わらない顔をしています。ただ、所々で割れたガラスを修理しているのが唯一の傷跡というところです。このあたりに犯罪に対する慣れというか日本人との感覚の違いを感じました。
さて、サン・パウロ観光の最初の目的地はブタンタンの蛇博物館。なんでも毒蛇を中心としたたくさんの蛇を飼っているそうです。目黒の寄生虫博物館のような珍しい博物館には興味があるので楽しみです。ブタンタン行きのバスは町の中心地のヘプーブリカ広場から出るので「どうせすぐ近くだろう」と思っていましたが、どうしてどうしてすごく遠いです。バスは市内を延々と走ります。それもそのはず後で分かったことですが、ブタンタンはサン・パウロの中心からはだいぶん離れたところにあるのです。途中「今日はこのバスはここで止まるから、これから先は前のバスに乗ってくれ」とか「ここでおりてくれ」などのトラブルもあったけど、なんとかブタンタンの近くのUSP(ウスピ サン・パウロ大学、ブラジルの最高学府)までたどりつきました。ここからブタンタンへ行こうと思い、いろんな人に尋ねるんですが、答える人答える人みんな違う方向を指さします。いや、彼らは悪くないんです。彼らとしては困っている外国人に対して「知らない」と答えるのが気の毒なので自分で考えて精一杯の答えを出してくれているんです。でもそれに迷わされてグルグルとまわる僕たち。最後はバス停でバス待ちしていた数人の人達が協議の上「あっち」ということになり、「どうせすぐにはバスが来ないから」と親切にもその近くまで連れていってくれました。
そう、これがブラジルのもう一つの顔なんです。ブラジルで何か困っていても必ず誰かが助けてくれます。とくに外国人の場合道に迷うことが多いんですが、「う〜んどうしたらいいんだろう?」って顔をしていると「おい、あんた何か困っているのかい?」とすぐに助けてくれます。金持ち風の人から街頭の物売りまでみんな親切です。
たくさんの人に助けてもらってブタンタンに到着。やっと蛇とご対面です。やっぱブラジルの蛇は大きいです。日本の動物園にも一匹ぐらいは「ニシキヘビ」などの大きい蛇が客寄せのためにいますが、こっちはそんなのばっか。「青年をのみこんだスクリー」ということで興味津々でスクリーを見ましたが、それほど大きくなくて(それでも長さは2メートル以上はありそうでした)ちょっと迫力不足でした。でも思いますが蛇はダメですね。昼間は。みんなとぐろを巻いて寝ているだけですから。どこか日本の動物園で夜行性の動物を展示するために建物内の明かりを人工的に調節して昼夜を逆転させ、入場者は薄暗い館内で夜行性の動物の活動的な姿を見るという仕掛けがありましたが、もしここでそういったことができたら楽しめるでしょうね。ただ、当たり前のことですが、蛇も呼吸するんですね。とぐろを巻いている蛇の一部分が呼吸をするたびに規則正しく上下するのを見て「あっ、ここが蛇のおなかなんだ」とは思いました。
それから蛇の骨格展示があったんですが蛇が大きな動物を飲み込める仕組みが少し分かりました。まず、顎の上下の可動範囲がとっても広いですね。それにこれがポイントかなと思ったんですが、下顎の骨なんですが左右に分かれていてくっついていません。もちろん人間の下顎はくっついていてひとつなんですが、蛇のやつをみると、右の骨と左の骨に分かれていて左右に広がるのかなと思いました。もしそうだとすると自分の体よりも太い動物を飲み込むことも可能でしょう。
蛇の観察を終えると、またいろんな人に助けられながら町の中心に戻ります。次なる目的地はプラサ・ヘプーブリカちかくのテハッソ・イタリアです。ここはサン・パウロで一番高いビルの最上階にあるレストランでお値段もそれなりにするみたい。日頃は乏しい予算の節約のため、友人宅に泊まり、まわりのブラジル人たちと同じレストランで食事をしている僕ですが、友人も来ていることだし是非、と思ってやってきました。それよりもなによりも「世界の車窓から」のためにも最上階からの写真を撮らねばならないんです。とはいえ、その時の格好は旅行のしやすい格好で、どうみてもイタリア料理店に入る格好じゃありません。でもここでひるんだらいけない!と心に決めて入っていきました。ギャルソンに案内されるとやはり店内は今まで町中では見かけたことのない洒落た格好をした人達もいて、ちょっとプレッシャーを感じてしまいます。でもよく見てみると、いかにも観光客風のTシャツ・ジーパン姿の若者もいて、ちょっとホッとしました。
料理の方はランチの食べ放題バイキングでした。イタ飯といえば、パスタですがこっちのパスタの多くは何時間も前にゆでたものを保温しているやつでおいしくないのでちょっと心配です。友人にも「あんまりパスタはとりすぎない方がいいよ。」とアドバイスしますが、パスタを食べた友人は「えっ、おいしいよ!」とのことで、さすが高級イタリア料理店だと思いましたね。その他の料理もとってもおいしくて、久しぶりに満足しました。こんなにおいしいイタリア料理店はクリチーバのサンタ・フェリシダージ以来ですね。あそこも有名なイタリア料理街ですし。最後に食べたデザートも普段ブラジルでお目にかかる超甘めのやつではなくてこれまた満足いたしました。なんか僕たちとけ込んでるんじゃない?とか思ったりしてみましたが、小切手で会計をすまそうとして身分証明書を要求され、不渡りの確認作業のためしばらく待たされたときは「やっぱ僕たちは場違いと思われてるのね。」と思ってしまう小心者の僕でした。
さて食事も終わると、レストランを囲むようにして広がるテラスに出ます。もちろんテラスも最上階なのでサン・パウロの林立するビルがよく見えます。このところ雨が降っていないのかそれともスモッグなのか遠くの方は霞んでよく見えませんが、南米最大の都市を実感させてくれる迫力のある景色でした。もうひとつ南米だなぁと感じたのは、少なくとも地上から100m以上はあるテラスなのにオープンエアということです。テラスのふちは高さ1mぐらいの幅広の柵で囲われてますが、乗り出せば遙か下が見渡せます。飛び込もうと思えば自由に飛び込めるというところがおどろきです。日本だったらガラス張りになるか、金網で覆われているでしょう。でもブラジリアのテレビ塔の展望台も全面が金網で覆われていましたね。
けっこうゆっくりとした時間を過ごした後、今度はサンパウロ美術館(MASP=マスピ)に地下鉄で移動。あんなイタ飯屋からでて地下鉄で移動するせこい人達も僕たちぐらいでしょう。さてMASPについては少し解説がいるでしょう。ブラジルは当たり前だけど歴史が短いので、西洋近代絵画や建築などでそれほど目を見張るものがありません。そのためサン・パウロ市内にある美術館も西洋近代絵画にかんしてはほとんど見所がありません。もちろんインジオ文化などブラジルにねざしたものだったらたくさんいいものがあります。そんなサン・パウロでもMASPは別格。第二次大戦後お金に困った欧米諸国の美術館から大量にはき出された名画の数々を時のマスコミ王シャトーブリアンが買い集めたもので世界での有数の西洋美術のコレクションを誇ります。ただ、所蔵作品のほとんどは公開されておらず、様々な企画展の際に少しずつ公開されているようで、その点も特徴的です。というウンチクはどこか本に書いてあったことで、実際に僕が行った日にはドガを中心としてロートレック、モネあたりの作品が展示してありましたが、昔興味を持っていたロートレック以外は作者名を知っているだけといったお粗末な僕でした。でも彫刻群はすごく動きのある彫刻で、芸術的な美しさは感じませんでしたがその腕の良さは感じられました。
このあたりで今日のサン・パウロ観光は終わり。地下鉄で友人の職場に戻ります。MASP前のその名もトリアノン・MASP駅から地下鉄に乗りますが、翌日同じ場所で逃げてくる泥棒を止めようとした通行人が射殺されるという事件が起きました。前日のリベルダージの機関銃乱射事件も含めてやっぱりサン・パウロは危ないのかなぁと少しだけ認識を改めました。
その後は友人と合流し、友人宅で日本のこと、日系人のこと、ブラジルのことなど夜遅くまで語り合いました。たしかに日系人のことについては興味が尽きません。まだたった四ヶ月ほどですが、この間に見たことを話すには一晩では短すぎるようでした。