11月12日 金曜日
リオ・デ・ジャネイロ行きの夜行バスは夕方6時の発車。5時前まで授業をして飛び乗るようにして間に合いました。しかし急いで乗り込んだバスですが、ここから1時間の隣町までたどり着かないうちにエンストしてしまい。万事休す。降りしきる雨の中一所懸命エンジンをいじる運転手には悪いけど、車はウンともスンともいいません。結局代替バスに乗り換えることになりました。でもまだ田舎の道でエンストしてくれたのでよかったです。サン・パウロ州の犯罪の中心地と言われているカンピーナスあたりで止まったりしたら目も当てられません。さて、バスの方は1時間以上ロスをしたので、それを取り戻すべくすごい勢いで飛ばします。普通は7時過ぎにはドライブインによって食事タイムになるんですが、それもなしにぶっ飛ばします。さすがに夜中の11時頃になり「腹が減った!」と客が文句を言って止まってくれました。今回の旅はバス運に恵まれなかったけど、これがケチのつき初めでした。
11月13日 土曜日
前夜飛ばした甲斐があってか、ほぼ予定通りの7時過ぎにリオに到着。次の目的地ヴィトリア行きのバスは10時40分に出るので少しばかり時間があります。しかしリオは臭いですね。この前サン・パウロに行ったときも思いましたが、リオの臭さはさらにすごい。どぶの匂いと潮風の匂いを足したようななんとも言えない臭気がホドビアリア周辺に漂っています。うへ〜と思いながらも町に繰り出します。後で聞いた話ですが、雨の日が近づくと町中に異臭が漂うんだそうです。
で今日はあんまり時間がないので適当にタクシーに乗りシネランディアまで行ってみます。まあリオの中心地なんでなにかあるでしょう。シネランディアについてブラブラしてみると、市民劇場のなかなか格好いい建物がデーンと正面に建ってます。そのまわりには年代物らしい建物が何軒か建っていて、そのまわりを現代高層建築が取り巻いています。「う〜ん、何かやっと外国に来た感じがする。」とか思いながらパシャパシャと写真撮ってました。
ひとしきり写真を撮った後、後ろを見ていると友人が、旅行者の一団と話しています。話を聞いてみると、真っ先に「あんたこんなところで写真撮ったら危ないやんか!」との教育的指導。確かにここは犯罪の巣窟リオ・デ・ジャネイロのど真ん中、いつひったくりにあってもおかしくないところです。とはいえ朝早いこの時間には人影もまばらで、開店準備をするカフェのオヤジがいるだけです。さて、その人達はシネランディアから出ている市電(ボンジーニョ)にこれから乗るそうで、ご一緒することにしました。
ボンジーニョというのはシネランディアから山の上にあるサンタ・テレーザまでの生活の足として作られました。サンタ・テレーザはリオがまだ小さかった頃はお金持ちの住宅地だったそうで、リオが大きくなるにしたがいそういったお金持ちはさらに郊外に移転し、一昔前まではブラジルを含め、世界中のヒッピーが好んで住んでいたところだそうです。だた、今では昔の住宅街のすぐ真下までファベーラが迫っているそうです。そこまで行くボンジーニョですが、シネランディアを出てすぐのところでラパ(日本名「カリオカ水道橋」)を渡ります。ここは各種ガイドブックで「超危険地帯!」と書かれているところです。また「電車はファベーラの中を通り、ひったくり少年が頻繁に飛び乗っては荷物をかっぱらっていくので貴重品は持っていかないこと!」とも書かれています。「なんか怖そう、でもちょっとワクワク」とか思いながら駅まで行きましたが、きっとこういうスキだらけの人があちこちで泥棒にあったりするのでしょう。
ボンジーニョの駅ですが、高層ビルに囲まれたわかりにくいところにあります。途中ビルに囲まれた細い路地を通ったんですが、そこには小さな店がならんでいて香港島のセントラル付近の細い路地を思い出させてくれました。そういえば、香港には二週間ほどいたんですが、町の雰囲気が不思議とリオにそっくりです。スターフェリーに乗って行ったり来たりしたあのころをちょっと思い出したりしながらの道のりです。駅に着いてみると客は誰もいません。駅員室で何人かの駅員がまったりしているだけで日曜午後の昼下がりのような感じです。
のんびり待つうちにボンジーニョが到着。遊園地を走っているようなおもちゃのようなチンチン電車でした。両側には何もなく、だたイスがならんでいるだけで、なるほどこれならひったくりも簡単に飛び乗ってくることができます。見ているだけでほのぼのとしてくる電車ですが、発車前にやって来た運転手もこの電車にぴったりのいい感じのおじさんでした。真っ白なシャツをピシっと決めているところがオンボロの電車と好対照でいいです。またそのオヤジがなんとなくイタリア系の顔をしていて、そう思うとまるでこれからシチリア島がどこかのイタリアの市電に乗るかのような感じです。
期待でワクワクの僕を乗せたボンジーニョは駅を出てすぐに悪名高いカリオカ水道橋に近づきます。肩に力を入れて待っていた僕の前に現れたのはなんでもない普通の安全そうな橋でした。ただ、高いところを走る水道橋に欄干などはなく、電車も壁無しの電車なので、ちょっと乗り出せば真下が遙かに見渡せます。そういった意味での怖さはちょっとありましたが、それ以外には何事もなく通り過ぎていきました。
水道橋をすぎると町の中に入っていくんですが、もうこれは素晴らしいの一言でした。一昔、いや二昔まえぐらいのイタリアの建物(もう僕の頭の中は完全にイタリアだったっす)に囲まれる細い路地をガタゴトとボンジーニョは進みます。この道の上を40年以上走っていたジョゼーにとってこの道は自分の庭。すみからすみまで知っています。角のたばこ屋のマリーゼが生まれたときも、彼女がボンジーニョにのって嫁いでいったときも彼は黙々と運転していました。あたりのストーリーがあるのはもう確実です。だって通りの清掃人のおっちゃんやアパートの門番や小さな店の店員がみんな運ちゃんに手を振っているんだから。いい世界ですね。道沿いに停まっていたイタリア車がランボルギーニ・ミウラだった(これは本当)ってのもイカします。やっぱしカウンタックじゃ嘘臭いです。ミウラってとこが渋いです。シチリアの味です。ボンジーニョにはもう一人車掌の兄ちゃんも乗っていたんですが、運ちゃんと車掌の関係もいいっす。運ちゃんが「おい、見てみろ」と指をさした先には、建物に囲まれた狭い土の斜面に黄色いタンポポみたいな花がたくさん咲いていました(これも事実)。車掌も「あ〜もうそんな頃になったんだ。そういえばマリーゼが嫁いでいった日もタンポポがきれいに咲いていたっけ。」と話していました(もー絶対)。
一人乙女チックな世界に入っている僕の目の前には高度が上がるに従い、リオの景色が広がっていきます。ポコッ、ポコッとあり塚のようにそそり立つ丘には頂上まではいつくばるようにレンガ作りのファベーラが広がっています。日本の段々畑なんか目じゃないぐらいの急斜面に広がっているファベーラは人が生きるための執念を感じさせてくれます。でも一番上までは行くのも大変だし、水道(多くは正式なやつではなく、どこかの水道管から引いてきた海賊版)も丘の頂上までは届いていないのでなかなか厳しい生活なんだろうなぁと思います。
なかなか思い出深いボンジーニョでしたがもうすぐヴィトリア行きのバスの時間なので帰らないといけなくなっちゃいました。
ヴィトリア行きのバスは10時40分に出るという昼行バス。もっぱら移動には夜行バスを利用しているため、久しぶりに昼行バスです。どうしても「時間がもったいないから」という理由で夜行バスになっちゃうんですが、車窓から眺めるブラジルの景色も結構楽しいもんですね。普段は町の観光が多いんですが、そういった観光では見ることができないブラジルの普通の生活の一端をかいま見るような気がします。
リオ・デ・ジャネイロもヴィトリアも大西洋岸にある町です。その両者を結ぶバスの旅は大西洋に見守られながらの南国風の旅になるかと思いきや、山の中の九十九折りの道を進んでいきます。ブラジルというと真っ平らで何もないように思うかも知れませんが、大西洋岸には海岸山脈がそびえ、結構アップダウンがはげしい道のりです。そのため道も一車線で遅いトラックが前を走っているとなかなか先に進めません。気分的にはイライラするんですが、この日はこのところの雨のせいか気温も低く、窓から涼しい風が流れ込んでくるので助かります。車窓からの景色もどことなくアジア的でほのぼのさせてくれます。山並みが近くまでせまり、目の前には麦らしき畑が広がっています。そして水気たっぷりの風が吹き込んできて東南アジアかどこかをバスで飛ばしているみたいです。また、道ばたの町並みもサン・パウロのような近代的な無味乾燥な建物ではなく、これまた発展途上国風のゴチャゴチャした感じで、個人的には好きです。今までブラジルで景色を見てもなかなか僕の旅心は刺激されず、全然海外にいる気持ちがしなかったんですが、やっとそんな感じがしてきました。
とはいうものの前夜の夜行バスの疲れでほとんど寝ながらの移動です。途中大規模な道路工事があり、片側通行になっているところでえらく長いこと停まってましたが、窓の外には「コーラ、コーラ!」とか「水、水!」とか言っている売り子達が大勢歩いていましたね。さすがに停車しているとジリジリと照りつけられて暑いので結構儲かってるみたい。そう、冬休みにパンタナルに言ったときにブラジリアからクイアバまでバスに乗ったんですが、このときもホドビアリアに着くと物売りが群がってきてびっくりしました。もちろんアジアでは当たり前の光景ですが、サン・パウロ州やその付近は日本と同じでそういったことが全くありません。僕がそう言うとアマゾンから来た友人は「えっ、普通こうなんじゃないの?」と驚いていました。やはり南と北ではだいぶん違うみたいです。このあたりがその境界なのでしょうね。
そんなこんなで予定よりだいぶん遅れて夜の7時過ぎにヴィトリアに到着。バスから見た印象では深く入り込んだ入り江の近くまで山々がせまり、どことなく瀬戸内のどこかの町といった雰囲気です。今回の目的は今夜行われる「ヴィタウ99」というフェスタですが、もうあんまり時間がありません。さっそく友人宅までバスで急ぎ、支度をします。
荷物を置いたらすぐに出発です。ヴィタウ99はヴィトリア北西部のカンブリ海岸で行われるフェスタで、海岸沿いを走る大通りを閉鎖して、道の両側にカーニバルの観覧席のような席を作り、その中をバンドやカーニバルのエスコーラが通ったりするものです。さっそく出かけますが、あいにくどんよりとした空模様。それでもビーチに出ると開放感があって気持ちいいです。今のところブラジルのビーチと言えば、イパネマとコパカバーナしか知らないんですが、ここも同じような感じで海岸沿いに生えるヤシの木の下にランショネッチやおみやげ物屋が点々とならんでいてとってもいい感じです。友人の家からここまで歩いて五分ぐらいですが、なんていいところに住んでいるんだろう、とか思いながら歩いてました。
昼から何も食べていないので猛烈におなかがすいてきた僕たちはランショネッチに入ったんですが、とたんに大粒の雨が降ってきました。まあ幸いというか先が思いやられます。のんびりとご飯を食べていたんですが、隣のテーブルの客が面白かったです。男ばっかの三人連れで、女の子ばっかのグループが通ると声をかけて抱きつこうとします。それをボーッと眺めっているとこっちにやってきて「お前達もいっぱいやれよ!」といった具合であやしげな飲み物を持ってきます。見た目はどうみても赤絵の具や黄色絵の具を水に溶かしただけのような毒々しい色合いの飲み物で、勇気を奮ってちょっと飲んでみましたが、猛烈に甘くどろっとした液体にアルコールが入っているといった感じで、体にとても悪そうです。そのうち、三人組の連れらしい女の子が戻ってくるととたんに兄ちゃん達はつっけんどんになり、女の子と喧嘩を始めたりしています。見ていると、家の外では愛想がいいけど、家に帰るとブスッとしてしまうどこかのオヤジを思い出させてくれて面白いです。
おなかも一杯になり、ヴィタウの会場に近づきます。会場からはおなかにズンズンくるような重低音が響いてきます。みんな陽気に騒いでいますが、ここはブラジル、会場入口の検問で男はボディーチェックを受けます。毎年調子にのってぶっ放す人がいるからだそうです。歩いた末にたどり着いた席は端っこの方のアルキバンカーダという席ですが、席と言っても誰も座る人はいなくてみんな総立ちで浮かれ騒いでいます。そのうちまた雨が降ってきてみんなびしょぬれになりますが、そういったことには気にしないのがブラジル流みたいです。
さて、ヴィタウの方ですが、大きなトレーラーの荷台を改造してその上にバンドが陣取りガンガンと演奏しています。そのトレーラーが細長い会場をゆっくりと進んでいくとその両側の観客が大騒ぎするという仕組みです。最初目の前にいたバンドはこっちの普通のディスコでかかっているような曲を弾いているだけで、カーニバルらしさがあんまりありませんでした。しかもトレーラー一台だけで寂しく進んでして「おいおいそれだけ?」って感じです。でも次にやって来た車は良かったです。そろいのシャツを着た町の大勢の町の人達に囲まれたその車は、踊り狂う人達と相まって、カーニバル未体験の僕には「ああ、こんな感じでみんなが踊るのがカーニバルなのかな?」と思ったりします。目の前に人がたくさん踊っていると言うだけで、会場の人達もさらにヒートアップしています。そういえば、昔群衆心理を勉強したときに見たナチスのニュールンベルク大会の記録映画もこんな感じだったなぁと不意に思ってしまいました。やはり音楽と踊りは人をトランス状態に近づけるんでしょうか。真っ白な顔になって踊っている人達を見ていると急速に自分が冷めていくのが分かり、ちょっと残念でした。サッカーの観戦の時はまわりと一体になったような気がしたけど、今日は寝不足で体調が悪かったせいでしょうか。まあサッカーとカーニバルでは熱の入れようが違いますけど。
11月14日 日曜日
今日はヴィトリア日系協会の会長さんの案内でヴィトリアを観光です。会長さんとは日系協会の掲示板でお世話になっています。夜中まで騒いでいたわりにはわりとすっきりと目覚めたあと、さっそく出発です。
まずはヴィトリアと細い入り江をはさんで反対側のヴィラ・ベーリャに行きます。ここはヴィトリアの町と大きな橋でつながって以来ベッドタウンとして発展しているところです。ベッドタウンだけあってこれといった観光名所はありませんが大西洋に面した砂浜が自慢です。そんなヴィラ・ベーリャ市内の唯一の見所がモレノの丘の上にある修道院。ここからはヴィラ・ベーリャはもとより、ヴィトリアまで一望の下に見渡せます。さっそく車で行ってみますが、さすがにヴィタウが開催されている時期だけあって観光客が多いのか入口の所は渋滞です。山頂までの往復タクシーに乗り換え頂上に立ちます。
頂上には駐車場があり、その先にちょっとした展望台がありました。やはりというか案の定そこは観光客の記念撮影スポットになっていて、たくさんの観光客がならんで写真を撮っています。さらにその横では、子供が爆竹をパンパンならしているんですが、親は全く注意しません。それどころか親の方が子供にいちいち爆竹の火をつけてあげています。さすが過保護大国ブラジル。そこのけそこのけ我が子が通るです。
さて、修道院はここからちょっと上がったところにあります。入場無料の入口をくぐり、階段を上っていくとめざす修道院に着きます。といっても別に敬虔なカトリック信者じゃないので、単にそこからの景色を楽しむだけです。そういえば、映画の「アヴァロンの要塞」かなにかでこういった丘の上の修道院が出てきましたし、他にもイタリアあたりにはこういった修道院があるみたいで、やはり高いところの方が御利益があるんでしょうか。まあ日本でも奥深い山の中で修験道の寺があったりするのでそれと同じかも知れませんね。
頂上からの眺めは素晴らしいものでした。入り組んだ入り江とそれを取り囲む山々が織りなす景色がリオ・デ・ジャネイロを思い出させます。というかやっぱり瀬戸内ですね。ヴィトリアもリオも海と山が織りなす景色が絶景とよばれているし、ヴェトナムでもハロン湾あたりがそうよばれているし、日本でも松島あたりはそういわれているし、海岸近くまで迫る山々というのは万国共通の絶景スポットなんでしょうか。まだ行ったことはありませんが、ブラジル東北部のペルナンブッコの州都ヘシーフェから少し行ったところにあるオリンダもそんな感じらしいので行かねばなりません。
修道院を歩いた後は、ヴィトリアの南にあるグァラパリのビーチがいいらしいので行ってみることにしました。ヴィトリアから50kmちょっとの町です。しかし南に進んでいくうちにさっきまでは燦々とふりそそいでいた太陽がかげりだし、にわかにかき曇ってきました。そしてグァラパリの町に入る頃には猛烈な雨。このところ旅に出ると雨ばっかりですが今回も降ってきました。しょうがないのでビーチ観光は後回しにしてまずはレストラン。ブラジルの海岸都市の名物、ムケッカに挑戦です。といっても挑戦と言うほどのアヤシイ料理ではなく、魚介類をココナッツミルクや各種香辛料で煮込んだとってもおいしい料理です。サン・パウロの内陸で生活し、海の魚介類に飢えていた僕にはこの上ない美味です。久しぶりの海の魚を囲んで、日系協会の会長さんの楽しい話を聞かせてもらいました。お互いに九州の出身と言うことでいろいろと共通する話題もあり、なかなか話が尽きません。そのうち、ヴィトリアとミナス・ジェライスの州境にあるバンデイラ山に登ろうということになり、さっそく来年の7月ということで話がまとまりましたが、最近はこういった人との出会いが一番の楽しみになってきました。
食後にプライア(海岸)に行ってみましたが、どんよりと曇った空の下、兄ちゃん達がビーチ・サッカーをやっている以外、静かなものでした。しかしこんな普通のプライアもひとつだけ名物があります。それは「砂」。普通プライアにある砂は白っぽいんですが、ここにある砂の一部は真っ黒です。実際その砂を取ってみるとずっしりと重く、なにか金属の粉末を持っているみたいです。さらにこの砂は健康にいいそうで、わざわざ持ち帰って枕に入れたりする人があるそうです。この砂を調べた結果、普通の砂よりもかなり高い放射線が含まれているそうで、それが体にいいんだそうです。日本で言うところのラジウム温泉みたいなところでしょうか。
結局天気が良くなる気配がないので一握りの砂とともにヴィトリアに戻ります。天気がいいと本当にきれいなプライアだそうで、ブラジルの大西洋岸にはこういったきれいなプライアがたくさんあるとのこと。まだまだ行かなければならないところがありますね。
その後はエアロ・クルビ(飛行クラブ?)にいってスカイダイビングを見たり、しながらヴィトリアに戻ります。その後は何カ所か連れていってもらいましたが、一番印象に残ったのがフラジ島です。ここは島と言っても橋でヴィトリアの町とつながっているんですが、お金持ち達がたくさん住んでいるところでこんもりとした島の各所に気持ちよさそうな家が建ち並んでいます。その島の端っこ、大西洋に面したところがちょっとした岩場になっていて、そこから遠く大西洋が見渡せます。会長の話によると、以前日本から来ていた青年が辛いことがあるとここに来て海を眺めていたそうで、確かに海を見ているとこの向こうに日本があるような気がします(本当はないけど)。とにかく海を見ていると思考が遠くまで飛びますね。
この日の観光の最後は定番のヴィトリア日本語学校。住宅街の真ん中にある新しい建物です。ヴィトリア日本語学校の名物と言えば、太鼓。むかし来ていた日本の先生が始めたそうで、今ではヴィトリア名物となり、各地のイベントによばれているそうです。そういえば、アリアンサの弓場農場も弓場バレーで有名だし、そういったやり方でブラジル社会にアピールするってのものあるんですね。
この後短かったけど、充実した観光を楽しんだヴィトリアの町を後にし、夜行バスで再びリオに戻りました。
11月15日 月曜日
夜行バスは途中何かにぶつかったようで、サイドミラーと運転席横のガラスがなくなってました。その修理などのために時間をとられ、やっぱり定刻よりもかなり遅れてリオに到着。
まずはおとつい乗ったばかりのボンジーニョに乗ることにしました。なんでもボンジーニョの終点からバスに乗り換えればコルコバード行きの電車が出ているコズメ・ベーリョの駅まで行けるそうなので、行ってみることにしました。駅に着いてみると終点行きのボンジーニョは30分後に出るそうで、目の前にある電車は違うところに行くとの話でした。でもある目的があった僕はその電車に乗り、再びガタゴトと揺られて行きます。やはりイタリアチックな感じは変わりませんね。気持ちのいい電車の旅を途中下車したのはラルゴ・ド・ギマランエスの駅。ここで降りたのには理由がありますが、まずはここからの景色を楽しむために、見晴らしのいい方に歩いていきます。看板には「行き止まり」と書いてありましたが、レールがあるので歩いていくとそこはボンジーニョの車庫でした。崖っぷちのちょっと広くなったところに可愛いボンジーニョ達がならんでいる光景を見て、またまた思い出してしまいました。今度は「天空の城ラピュタ」です。最初崖っぷちの鉱山都市で海賊達の乗る機関車とカーチェイスをしますが、その機関車の車庫があったらこんな感じでしょう。狭い車庫から下をのぞくと、足元にリオの街が広がっていきます。すごく絵になる景色です。また、側には申し訳程度のかわいいボンジーニョ資料館があり、昔の車両の模型やボンジーニョの歴史を書いたパネルなどがあるんですが、やはりブラジル、日本の用に客をかき集めようという気概が感じられません。だって駅からここまで来る道のりには「行き止まり」という看板はあったけど「ボンジーニョ資料館」なんて看板は一枚もないんですから。
あんまり時間がないので駅まで戻ると、僕が一番見たかったものにむかってあるきます。ともったいぶるほどもないんですが、それは「落書き」。おととい山の上から町の駅まで戻る途中に素敵な落書きを見つけたんです。それはボンジーニョにのったセレソンの落書き。セレソンとは「ナショナルチーム」のことですが、普通はサッカーのそれを言います。「98年、フランス」と行き先が書かれたボンジーニョにホナウジーニョやドゥンガなど日本でもおなじみの選手達が乗っている絵です。ただそれだけでは面白くないんですが、その絵のタッチがいいんです。人物画がピカソばりにデフォルメされているんですが、それでいて各選手の特徴をとらえていて思わず見とれてしまいました。
そうこうするうちに30分後の終点ドイス・イルマンス行きの電車が到着したので終点まで行きます。ここで乗り換えですが、ちょっと時間があったので駅(といってもほとんどバス停と同じですが)の裏の小高いところに登ってリオの景色を眺めます。登ってみると、そこからはなおいっそうくっきりとリオの街が見えます。とくに間近にせまるファベーラが段々畑のようですごい迫力です。
結局バスはなかなか来なかったのでコロンビアーノとブラジレイラのカップルと一緒に白タクでコズメ・ベーリョまで行くことになりました。コズメ・ヴェーリョに着いてみると、さすがにリオの観光の中心地だけあってたくさんの観光客がいます。駅はレトロチックで、電車の真っ赤でおもちゃの電車のようです。手に手にカメラを持って乗客達は乗っていきます。お客を乗せた電車は力強いモーター音とともに登っていきますが、今日はあいにくの天気。上に行くにしたがいガスが濃くなってきます。まわりの客達はがっかりした様子ですが、僕はガスが出ている山がもともと好きなので気になりません。立ちこめるガスと南国風の植物との組み合わせが屋久島の景色を思い出させてくれます。
頂上駅に着いたときは完全にガスの中。キリスト像に登るときも360度ガスばっかです。そのおかげで704mしかない標高にも関わらず、なにか3000mのアルプスの中にいるかのような気分になります。と一人だけ喜びながら登っていきますが、僕の場合また何度もここに来ることが分かっているので「こんな天気のコルコバードも面白い」と思いますが、今日しかチャンスがないとしたらやっぱり天気がいい方がいいに決まってます。上の方はますますガスが濃いようで、足元から見上げてみると、キリストさんの顔どころかあの有名な左右に広げた手でさえ見えません。これは相当なガスですね。足元でご開帳を待つ人達もたくさんいて、少しガスが晴れるたびに「晴れたぞ!」とばかりに写真を撮りまくります。キリストの顔も見えないぐらいだから下を見ても何も見えるわけがなく、手すりによりかかってのんびりしていたら、一瞬だけガスが晴れてきました。その瞬間リオの街が見えたんですが、なかなかいいですね。着いたときはたった700mと思いましたが、よく考えればリオの街は標高0mなので700mの標高差ということになり、これはかなりのもんですからね。この次は晴れたときに見たいですね。
その後も結局ガスは晴れないのであきらめてイパネマあたりに飯でも食いに行こうとバスに乗ると、雨足が強くなってきます。まあこのところ雨続きなのでもうどうでもいいんですが。ところでリオの市内バスというと「すごく飛ばす」とか「アイルトン・セナの国に来たことを感じる」とかその荒っぽい運転で評判みたいですが、今日乗ったバスはそれほどのこともなく、普通にスピードを出しているだけで、荒っぽさは感じませんでしたね。
さて、イパネマに着き、海岸沿いの気持ちの良いレストランでご飯を食べているとさらに雨足が強くなります。もちろん燦々と太陽が降り注ぐイパネマビーチもいいんでしょうが、雨が降りしきる熱帯の海というのもそれなりに風情があります。スコールの向こう側の輝くが見えてくるようで、雨もキラキラと光って見えます。でも負け惜しみも入っているかもしれません。
雨が降ったりやんだりするビーチをコパカバーナに向かって歩いていると、この前気が付かなかったものが見えてきました。それはポスト。といっても郵便を出すやつじゃなくてポリスステーションと海岸監視所とトイレと更衣室が一体になったものです。ビーチはポスト1とかポスト2のようにポスト番号によって区切られていて、その中ほどにポストがあるんですが、必ず警官がいて心強いです。最近「リオ=犯罪都市」というイメージが定着してしまったためかビーチで見かける警官の数も多いですね。ただ、このポストは柵で囲まれていて入るときにはお金を払わないといけません。
ところで今日は雨模様でややそれほど暖かくないので泳いでいる人はあんまり見かけませんが、イパネマの端っこのほう、アルポアドール海岸では全身をウェットスーツに身を包んだサーファー達がたくさんいました。日本のサーファー業界のことは全く知らないんですが、こっちでは結構年輩のサーファーがいますね。白髪混じりの精悍なおじさんが板を抱えて歩いている姿はサーフィンが町に根付いているようでなかなかかっこいいですね。アルポアドール海岸の先っぽの岩場まで歩いてみると、イパネマビーチやアルポアドール要塞の姿がよく見えます。やはり何度見ても、イパネマ海岸は熱海にそっくりですね。そういえば熱海では釣り船などがたくさんあって、沖で釣りを楽しんだりしてますが、あんまりこっちでは見かけませんね。リンスで見ていると釣り師密度は日本と同じか日本以上に高そうなのに不思議です。ついでに目の前のアルポアドール要塞にある前世紀的な大砲も興味深かったです。海岸を守る要塞なら砲身は外洋を向いているような気がしますが、旅順要塞にあるような巨大な大砲はどれもコパカバーナの方を向いていました。泥棒対策なのかもしれません。(本当か?)
ぼちぼちと歩いてるとやがて雲の切れ間から青空も見えるてくるようになったので、これは!とポン・ジ・アスーカルに行ってみました。以前来たときは夜景を楽しんだんですが、今回は昼間のポン・ジ・アスーカルです。さっそくロープウェイに乗り込み、進んでいきますがやはり昼もいいですね。目の前にそびえる奇岩と近づいてくるゴンドラが「いかにも観光地」的な雰囲気です。ついでにジェームズ・ボンドでも出てきそうです。そして頂上からの眺めは絶景かな絶景かな!その頃には雨雲も流れ去り、頂上からはコルコバードからボタフォゴ湾からフラメンゴの海岸まできれいに見渡せます。真っ正面にはリオの双璧、コルコバードの丘が雲の中にかすれながら見えています。流れ去る雲に隠れたキリストは一瞬ちらりと影を見せただけで、終始雲の中でしたがそう簡単に姿を見せないところがまたいかにもキリスト像らしくていいです。コルコバードから続く峰々の上の方まで住宅は広がり、その合間にいかなる生き物も寄せつけない岩山がそそり立ちます。そしてそんな厳しい自然を母なる海が暖かく取り囲むという素晴らしい景色です。それを見ていると、やはり前と同じ感想で香港島ヴィクトリア・ピークに似ていますね。ヴィトリアもそうですが、山と海と入り江が織りなす景色ってどうしてこんなにきれいなんでしょうね。
この後、バスの発車の時間が来るまで夕暮れが近づくリオの景色を心ゆくまで楽しみました。まだまだここには何度も来ることになりそうですが、いいところです。