12月13日 月曜日
まずはサン・パウロへ到着。今日は一日切符の手配などで歩き回る予定。まずはペンソン荒木に向かいます。言われた番地まで行ってみると、小さい看板があり、鉄格子の細い入口があります。声をかけてみると日本語の返事がして、おばちゃんがぬっと出てきます。このおばちゃんが僕が子供の頃近所の駄菓子屋に見かけたような一癖ありそうなあやしげなおばちゃんで、一瞬サン・パウロにいることを忘れて、日本の裏町にいるかのような気持ちになります。とはいえ話してみると別に悪い人じゃないので、カフェでもいただきながら少し話し込み、部屋に案内してもらいます。
案内してもらった部屋は別館です。別館と言ってもそんなに素晴らしい建物ではなくウナギの寝床のような細長い建物で、あてがわれた部屋もよく言えば風格がある、悪く言えばボロっちい部屋です。ベッドが傾いていたりするのもご愛敬です。ちょっと一休みして・・・といきたいところですが、ここでサン・パウロまでのバスの中に荷物を忘れてきたことが発覚。急遽バス会社におもむきます。
サン・パウロ州やパラナ州内陸部の中小都市からサン・パウロ市に向かうバスの多くはバーハ・フンダというバスターミナルに到着します。これは市内に何カ所かある長距離バスターミナルのうち一番西にあるやつです。僕が荷物を忘れたバス会社もこの近くにあり、住所をたよりに歩いていくと、バス会社の近くに「Playcenter」を発見。ここはブラジルにある数少ない遊園地で、日本にあるようなジェットコースター系の乗り物があります。ブラジル人はどんな感じでこういった絶叫系の乗り物を楽しむんですかね。とっても興味があります。まあ場所は確認したのでそのうち偵察に来ましょう。
無事に荷物も手に入れ、その後は旅行会社や両替所や銀行などをまわり、旅の準備を整えていきました。
12月14日 火曜日
今日はマナウスまで飛行機で移動。まずはグァルーリョス空港をめざします。空港行きのリムジンバスはサン・パウロ最大のバスターミナルのチエテから出ていますが、これは高いのでもうひとつのバスターミナルのブレセールから乗り合いバスに乗ってみることにしました。ブレセールのバスターミナルは駅の隣にあり、バスの到着を待っていると目の前を通勤電車らしきものが駆け抜けていきます。でも日本とは様子が少し違います。超満員なのは日本と同じですが、あふれんばかりの客がドアの外にしがみついているというかドアを開けて、そこにぶらさがっています。そしてバスターミナルでバス待ちしている客に向かって何事か罵声を浴びせています。よくわけの分からない通勤電車です。
さすがに普通の旅行者があんまり乗らないバスだけに、観光客はあまり多くありません。ほとんどが空港で働く職員のようです。そんな職員でごった返すバスはやがて空港に着きます。ただ、途中「アイルトン・セナ街道」を通ったときだけちょっと興奮しましたが。
グァルーリョス空港ではもちろん国内線のゲートに入ります。チェックインして中に入ってみると、ガラスの壁で仕切られた向こう側が国際線の待合室になってました。なかにはこれから日本に帰るのであろうサラリーマン風の人もいて、結構感慨深いものがありました。僕があそこに座って日本に旅立つのを待つのはまだだいぶん先ですから。ただ、ガラスのこちら側の国内線待合室にも日本のサラリーマン風の人が何人かいました。さすがにフリーポート・マナウス、日本の大企業がたくさん進出しているだけあります。
機内でもそういった人達の日本語を懐かしく聞きながら、寝ているあいだにマナウスに到着しちゃいました。
マナウス
1800年代後半に入り、ゴムの需要が増えると欧米のすさまじい需要を満たすための産地としてマナウスは大きく発展しました。セリンゲリスタ(ゴム農園主)とセリンゲイロ(農奴)との封建的な関係のなかセリンゲリスタは富を蓄えていきました。それに反抗したセリンゲイロに対してはセリンゲリスタに雇われたピストレイロ達が過酷な弾圧を加えていきます。そういったセリンゲイロの苦しみの上にセリンゲリスタは巨万の富を蓄え、かの有名なアマゾナス劇場を建てたりしました。その当時のセリンゲイロ紳士達はシャツをわざわざロンドンに送って洗濯させたとまで言われています。 その後ヘンリー・ウィックマンがゴム栽培技術を東南アジアにもたらして以来、マナウスはその独占的な地位を失い、1920年代以降衰退の道をたどります。第二次大戦中、東南アジアのゴム産地が日本に占領された間、一時的に好景気がもたらされましたが、それも戦後になると終わってしまい、人口も減少の一途をたどります。 ブラジル政府にとってはこれは面白くないことでした。マナウスにはゴム産業の基地としての役割の他に、ブラジルによるアマゾン地域の支配拠点という役割もあったからです。外国勢力のアマゾン流域侵入を阻むためためブラジル政府は膨大な金を投じてマナウスまでの道路を造ったりしましたが、それほど効果はありませんでした。これを一挙に改善したのが1967年に設立された自由貿易区です。これ以降多国籍企業がマナウスに集中し活況を呈することになりました。当時ブラジルは輸入に対する高い障壁を設けていたので、マナウスを拠点としてそれを逃れようとする多国籍企業が多かったからです。 それ以来、アマゾンの奥地に世界の先端企業があつまり、不思議な町を作ることになったのです。 |
さて、そんなマナウスの空港に降り立った感想はやはり「暑い!!」。サン・パウロでは断続的に雨が降っていたので夏とはいえ30度以下の涼しい気候でしたが、さすがにマナウスは熱帯の太陽が照りつけ、どうみても30度以上はあります。ガイドブックの情報通り、空港を出たらドッとツアーの客引きに囲まれ・・・と思っていましたが、ゲートを出ても誰もいません。あれっ、と思ったら空港職員がパンフレットをくれました。そこには「空港内の客引きにご注意下さい。マナウス観光局はこれらのツアーに対してなんの責任も負いません。安全なツアーをお探しの方は空港内の観光案内所までお越し下さい。」と書いてあり、館内放送でもそう言っています。そういえば、最近ブラジルも外貨獲得のために観光事業に力を入れているらしいので、その一環でしょう。
確かにガイドブックでも、「マナウスのツアーには要注意。よく選ばないとひどい目にあいますよ。」と警鐘が鳴らされていたのでこれには納得です。とはいえ途上国にありがちな客引きとの駆け引きも楽しんでみたいという気持ちはきっと僕のわがままでしょう。
ついでに空港出口にはいかにもアマゾンに来たツーリストから金をふんだくってやろうという熱気がプンプンと漂う典型的お土産屋がありました。インジオ、豹、ピンクイルカ、アナコンダ、ジャングルとアマゾン五点セットをきっちり取り入れた入口の装飾は気持ちのいいぐらいの割り切り方です。がんばれブラジル人!
今回のマナウスのツアーは知り合いのガイドに頼んであるので、まずは彼に落ち合うためセントロに向かいます。バスの車窓から眺める景色は植物をのぞいてサン・パウロの町並みと変わりません。100万人以上の人が住む大都市なので当たり前と言えば当たり前ですがちょっとはアマゾン=インジオみたいな風景を期待していただけにちょっとがっかりです。
さてセントロのバスターミナルで降りてみると、やっとサン・パウロとはちがった光景が見られました。それは屋台。あちらこちらにいろいろな物を売る屋台が建ち並んでいます。日本だと夏祭りの時なんかにたくさん立ち並ぶような店です。それら屋台がセントロ中の通りという通りにびっしりならんでいます。その間をこれまたたくさんの人がぎっしりと歩いているのがまた驚きです。なんか熱帯の太陽と人々の熱気ですごいことになってます。南から来た僕には強烈な洗礼です。
驚くべき迫力の前にしばらく呆然としていると、誰かこっちに走ってきます。しかも僕の名前を呼びながら。「??」と見てみると、マナウス在住の友人(日本人)です。今回のマナウス滞在は短いのでその友人には連絡をしていなかったんですが、たまたま同じ場所に同じ時間に居合わせたというわけです。お互いにびっくりしながら話をしたんですが、そういえば、こんな感じの偶然の出会いには縁がありますね。ベトナムを歩いていたら、昔チベットで一緒に旅行していた人に会ったり、シルクロードで一緒に酒を飲んだ人と銀座で会ったり、この他にもいろんなところでいろんな人と「ばったり」会います。これだけは自分でも不思議なんですが「多分僕の持って生まれた才能なんだろう」とひとり納得しています。
この先ガイドの人と会う予定だったので、友人とは夜再会することを約束して待ち合わせ場所に行きます。そこはセントロにドーンと立つ教会の前です。行ってみてもまだ彼は来ておらず、ボーッとまちます。その教会の前では新しい青い十字架を建てていたんですが、あんまり暇だったので十字架を建てているおっちゃんとお話でもしてみます。おっちゃんは十字架も無事に立て終わり、あとは銘板を二枚打ち付けるだけで、そのうち一枚を正面に打ち付けました。でもそこで考えあぐねています。で「どうしたんだい?」とたずねると「う〜ん、二枚の銘板を打ち付けないといけないんだけど、二枚目はどこにしよう。一枚目は正面でいいんだけど。」と悩んでいます。十字架は建物に密接して建てられていたので裏側には打ち付けられません。右か左しかないんですが、それで悩んでいるそうです。そこで僕が「じゃあ教会の入口がある左側にしたら?」と言ったら「うん、分かった、そうしよう」といって打ち付けはじめました。初めから「二枚の銘板をこちらとこちらに打ち付けるように」と指示しない教会も教会ですが、通りすがりの人に相談するおっちゃんもおっちゃんです。まあとにかくマナウスのセントロの教会前に燦然とそびえる十字架の銘板の場所は僕が決めたと言うことでマナウスに今後来る人は注目するように。
ガイドに会った後、いろいろと相談した上、まずはテフェという町に飛ぶことに決定。航空券を買った後、少しだけ町を散策。例のアメ横ストリートを歩きますが、歳末ということもあって人の量がハンパじゃないです。きっとアマゾン中の村々から「年末じゃあけん、マナウスでも行って餅でも買うてこにゃおえんて。」などというじっちゃん、ばっちゃんたちが集まっているにちがいありません。と考えていたら、なぜか「笠地蔵」を思い出しました。たしかあの話しでも年越しの食べ物をどっさりかついで地蔵さんたちがお礼参りに来たと記憶してます。で、そんなにたくさんのじっちゃん、ばっちゃんが集まっている上、頭の上から赤道型太陽が容赦なく照りつけているので汗・汗・汗の世界です。それでみんながぶがぶとジュースやビールを飲むもんだから町中の壁近辺は小便臭い。僕のマナウスの一番の記憶は汗と小便の匂いになってしまいました。
さて、なにはともあれこういった町で一番最初に行きたいところは市場(メルカード)です。きっとお魚でいっぱいにちがいありません。広場からメルカードに行く道沿いに最初に立ちはだかるは巨大なコンテナ群。世界のフリーポートらしくドカドカと大きなコンテナが積み上げられ、その間をこれまたマナウススペシャルともいうべき巨大なフォークリフトが高々と腕をかかげながら走っています。コンテナの中には九州の田舎町でもよく走っている「GENSTAR」のようなコンテナもあり、ちょっとだけ郷愁にひたったりするのもいいもんです。
ズンズンとメルカードに近づくと入口前の最後の敵キャラが安食堂。これは日本の市場と同じですね。ちょっと汚さそうだけど、きっと市場からおろし立てのすんごいネタを食べさせてくれるにちがいありませんが、この暑さで食欲も吹っ飛んでいる僕は戦闘を回避してメルカードに突入です。
しかしそのメルカードは雰囲気ぶちこわしのヨーロッパ風です。地球の歩き方によるとパリのマーケットを模したようだけどダメです。やはりやるならステレオタイプ・インジオ風ヤシの葉葺きの情緒ある建物にするべきだと強く思いながらも店内へ。でも中に入って安心。やっぱ普通の元気な市場でした。川魚とは思えない大きな魚がドドドーンと並べられています。サン・パウロでもおなじみのドラードやツクナレもありましたが、ほとんどが知らない魚ばかり。それでもひとつだけ想像がついたのがピラルクー。さすがにそのままで売っている店はありませんでしたが、マグロの切り身と見まごうばかりのその巨大な肉塊はピラルクー以外のなにものでもありません。「だいたいピラルクーとか獲っていいんかいな?」「それにもうそろそろこのあたりは禁漁期なんやないの?」とか思いながらも店内を見回っているとまたもや気分はアジアの魚市場を放浪しているかのような気分になります。「いい加減にアジアを思い出すのはやめんかい!ブラジルに失礼やろが!」と僕の心の中の天使君が声をかけてくれますが分かっちゃいるけどやめられないんです。
メルカードの外は船着き場。岸壁の堤防のした5mぐらいのところから砂浜が始まり、その先のところに打ち上げられた哀れないるかのように雁首を並べて各種船がならんでいます。ガイドブックを読むと、ちゃんとした浮き桟橋の船着き場は別のところにあるので、これは白タクならぬもぐりの白船なのかもしれません。なお、最も水位が高いときはこの堤防のすぐ側まで水が上がってくるそうでアマゾン川(正確にはネグロ川)もやるときはやるって感じです。
まだまだマナウスを歩く時間はあるので、せっかく会った友人の職場にでも行ってみます。職場は日系人会ですが、驚いたことに日系人がたくさんいます。サン・パウロ州で町を歩けばどんなに少なくても100人に1人ぐらいはアジア人に出会いますが、ここでは会いません。それでも行くところに行けばいるんだという感じでした。そういえば、マナウスはサン・パウロ州の地方都市とはちがって駐在日本人が多く、「日本人社会」みたいなものまでできているそうで、そういった日本人社会と日系人社会との関わりなんかは僕のまわりでは絶対に起こり得ないことだけに興味深かったです。
その後はさらにもう一人のマナウス在住の人と一緒にアマゾン名物の魚料理店に行きました。なお、この人はエフィジェニオ・サーレス農業協同組合ホームページの管理人で、連れていってもらったのがそのホームページの中のレストランランキングで見事三位に輝いた PEIXARIA BOM GOSTO です。良くこんな店を見つけたなというほどの店で、住宅地の中にあります。やる気のなさそうな店員とは裏腹に魚の方は美味でした。ただ、唐辛子が当たってしまい、涙を流しながら食べてました。ブラジルの唐辛子って全然辛くないのでなめてかかった僕が悪かったみたいです。