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1999年12月 テフェ



マナウスからさらにソリモンエス川を遡ったところにある小さな町、テフェ。アマゾンの普通の生活をかいま見ることができました。

12月15日 水曜日

たった一晩のマナウス滞在でさっそくテフェに出発。この日泊まっていたホテルはセントロのど真ん中にあり、安宿にもかかわらず部屋のバルコニーからはセントロが見下ろせます。朝シャワーを浴び、パンツ一丁の姿ですがすがしいマナウスの町並みを眺めるというすばらしい特典からスタートです。

昨日来たばかりの空港からさっそく旅立ちます。待合室で待っていると、窓の外にはなにやら不思議な鳥が飛んでいます。飛び方や見た目はツバメにそっくりなんですが、ツバメの尻尾の二つに分かれている先っぽが20cmぐらいあり、まるで凧の足みたいです。なんか飛ぶためにはまるで役に立ってなさそうな尻尾はサーベルタイガーの長い前歯のようで、時代錯誤的な非合理性を感じます。

ついでに待合室にいる客層はサン・パウロとは違い、モレーノ、モレーナが多くアマゾンの風を感じます。モレーノ、モレーナは白人と黒人とインジオが長い世代にわたって混血を重ねた結果の人種で、褐色の肌を持ち、美男美女が多いように思います。

さて、飛行機です。アマゾンの小都市に行くんだからきっとセスナに毛が生えた程度のプロペラ機で行くんだろうと思っていたらやって来たのは普通のジェット機。さすがに機体は小さめですが今からいく町にはこんなジェット機が着陸できるような空港があるのかと思うとちょっと興ざめです。幸い窓際だったのでアマゾンの景色が楽しめる!と思っていたらそこにはおばちゃんが座っていて「そこ僕の席なんですけど」というと「私は景色が見たいからここに座ってるの!だからあんたは他の席に座りなさい」とわけの分からないことをいって全然動きません。昔なら泣き寝入りしたところですが、さっそくパーサーを呼んで説得させ無事に自分の席を確保。おばちゃんは子供のおもちゃを取り上げたときのように怖い目でこっちを見てましたが、さすがにそれぐらいは気にならなくなった僕は念願のアマゾンの写真を撮ったのでした。

機内の様子もスッチー達の様子もブラジル国内の他の飛行機と全然変わりません。ただ、日系のスッチーが乗っていたのがアマゾン線にしては目を引きましたがアマゾンらしさがなくちょっと残念です。昔バンコクからカルカッタまでインド航空に乗ったときに日本人のスッチーがいましたが、やはりそういったところに日本人がいるとちょっと驚きますね。離陸の後はもちろん救命器具の説明があるんですが、これはアマゾンらしさを感じました。というのも救命胴衣の説明がなかったからです。やはり陸地の中を飛ぶこの飛行機が水上に緊急着水することはないので説明も不要なんでしょうか。それとも単に忘れただけ?

ちょうど飛行機はマナウスからテフェとアマゾン川の上を飛んでいくので眼下には幅広い帯のようなアマゾン川が横たわっています。アマゾンの茶色と密林の濃緑色世界ですが、時折キラリと光るのは人家の屋根のようです。その人家からは上流に行っても下流に行っても近くに町はなさそうですがどうやって暮らしているんでしょうね。また時折見えるのが黄緑色の帯。川のふちに見えるそれは浮草の群生か何かでしょうか。単調な景色を彩ってくれる貴重な潤いに見えます。

そんなことを考えているとテフェに到着。案の定田舎の駅のプラットフォームみたいなのが一軒あるだけの小さい空港です。待合室に入ってみるとこれまた田舎の駅と同じで出迎え客も到着客も空港の職員もみんな知り合いです。とくにこの時期はクリスマスを前にマナウスやもっと遠くから帰ってくる人たちが多いみたいで、あちこちで抱き合って再会を喜んでいます。そんななか、ただの旅人である僕はなんか浮いた感じがします。まあ旅人なんてもともと生活者たちからすれば浮いた存在ですが、今までいたマナウスやリオの町は大きかったのでそれを感じなかっただけでしょう。

なんか空港にいるのが息苦しくなってきたので荷物が出てくるとさっさとタクシーを拾って町に出ますがなんとこんな田舎町なのにタクシーは冷房車。ガタガタ道を町まで行きますが、あっという間にセントロに到着。運ちゃんのおすすめの Hotel Anilce が今回の宿。ホテルの店員のスタイルも短パンにTシャツに草履といかにもアマゾンのホテルという感じです。

今回のテフェの旅はこれといって目的もなく来たんですが、近くに国立公園があるのでもし行けたらと思って聞いてみると、公園までのツアーが出ているみたいです。たまたまそのときホテルのロビーにいた人がツアーにいったそうで、なかなかよかったとのこと。なお、この人は外国人らしく、英語はできたけどポルトガル語がぜんぜん話せないみたい。ツアー会社の人は英語を話せたのでなんとかなったそうですが、こんな田舎町で言葉ができないと不便だろうなぁなどと思いながら連絡先だけ教えてもらいます。

教えてもらった旅行社に連絡してみると、近くのマミラウア国立公園までのツアーが出ている模様。ここの国立公園は珍しい蝶がいることで有名らしく、世界中の蝶の収集家が訪れていて、ツアーもそういったマニア向けのものらしいです。さてその値段のほうですが、一人で参加した場合一日100US$とのことで明らかに予算オーバー。そういったマニアックなツアーなら行ってみたかったんですが、今回は見送りです。今回は、といっても次回があるとはあんまり思えません。昔はたった一度のチャンスを逃すぐらいなら借金してでも・・・と思ってましたが、どうも最近ブラジル生活になれたせいかそういったあくせくした旅は面倒くさくなって来てます。

結局そのツアーをあきらめちゃったので、僕のテフェでの予定はすべて終わってしまいました。この他にはこれといって観光地もないし、特別なものも何もありません。ま、小さい町で何をするでもなく過ごすということです。

早速これからお世話になる町を探検すべくホテルを出てみます。なんといっても最初の目的地はアマゾン川。ここに行かないことには話しになりません。きっと地元の人たちの生活も川が中心だろうから町の中心にあるホテルから川べりまで立派な道でもあるんだろうと思ったらそんなものはありません。ちょっと入り組んだところにあるメルカードを通りすぎていった先にありました。

アマゾンの港といってもマナウスみたいに大きな浮桟橋があるわけでもありません。ちょうど乾季の終わりで一番水量が少なくなっていて川沿いは干上がってプライア(浜)が出現しています。そのプライアのあたりにゴロゴロと船がころがっているといった具合です。ここもマナウスで見たのと同じくプライアに座礁したかのようにならでいるだけでした。

船は死体のように打ち上げられていますが、人々は元気です。テフェはジェット機がやって来るぐらいの大きな町(注:アマゾン比)なので、近隣からいろいろなっものを売りに来たり、買いに来たりする人達でにぎわってます。そんな人達がうごめくプライアで、目についたのが魚屋さん達。どこからともなく魚を満載した船でやって来て、川っぺりでさばいています。子供の頃から台所で素材が食べ物に変わっていく瞬間を見るのが好きだった僕は、その光景を飽きることなく見ていました。魚のさばき方なんかは日本と同じなんでどうでもいいんですが、アマゾンらしいと思ったことがいくつかありました。まずは体の横に入れる切れ込み。一通りさばいた後、体の側面に上下に刃を入れていきます。しかも数mm間隔で何十本も入れていきます。初めは「焼くときの火の通りを良くするためにいれるのかな?」と思いましたが、後で知ったところによると「アマゾンの川魚が小骨が多いので、こうやって刃を入れることによりそれを切るんだ」とのことでした。

もうひとつこれも日本とちがうな、と感じたのがゴミ処理。見ていると取り除いたワタなんかは川の中に捨てています。そうするとあっという間に肉食の小さい魚が集まってきて食い尽くしていくという寸法です。もちろん10cmぐらいの小さい魚なんでたいして危なくありませんが、水面に落ちた肉片のまわりが泡立ち、魚たちが猛烈につついて川底に引きずり込む光景は、まるで日本のテレビ映像で見た「牛を襲うピラニア」の縮小版のようでした。

そんな光景を見ながらプライアをブラブラし、する事もないので今後の船旅に備えてヘッジ(ハンモック)でも買ったら一日が終わりました。

晩飯時になり、「折角だからアマゾンの川魚でも楽しもう」ということで魚を求めて歩き回りました。ペイシャリア(魚料理レストラン)みたいな小ぎれいなところじゃ面白くないのでもっと泥臭いところがないかな?と思ったらありましたありました。焼き魚の屋台です。町のある一角にそういった屋台が軒を連ねているところがあり、その日に仕入れた新鮮な焼き魚を食べさせてくれます。客は仕事帰りの港湾労働者やモトタクシーの運ちゃんで、まったく庶民の店です。

ただ、焼き魚といっても日本のそれとはちょっとちがい、オレンジ色の香辛料を含んだタレをぶっかけてから焼くので、どの魚もオレンジ色です。値段はバカみたいに安く、日本の鯛に大きさも形もよく似たタンバキという魚が丸ごと一匹で1.50R$(日本円で75円ぐらい)とバカ安です。それにつけ合わせはご飯とマメを一緒に炊き込んだようなやつと、ファリーニャです。ただ、ファリーニャと言ってもサン・パウロで見かけるような粉になったサラサラのやつではなく、3mm〜5mmぐらいのかたまりになってごろごろ入っています。食べてみるとこれがまた石のようにかたくてやってられません。こっちの人達はそれをご飯代わりにバリバリ食べていたんですが、こればっかりはなじめませんでした。

もうひとつ変わっていたのがガラナ。サン・パウロのガラナは缶に入っているかビンに入っているんですが、こっちで「ガラナひとつ」といって出てきたのはビール瓶。「あれっ、ちゃうよ」と思ったら、中にはちゃんとガラナが入ってました。でもラベルも何にも付いていない小汚いビンに入っているガラナは「お前そのビンを何回も使い回ししているだろう!」というアヤシサ満点でアマゾン旅情をくすぐってくれました。

12月16日 木曜日

さすがアマゾンのホテル、室内にヘッジ(ハンモック)を吊るためのフックがあります。さっそく買ってみたヘッジを室内に吊って寝てみましたが、弓状になって足と頭が高くなっちゃってあんまり寝心地が良くなく、結局ベッドで寝てしまいました。

翌朝はわりと早く起きて、窓の外に広がるセントロの光景をまずは眺めました。アマゾンではまだ涼しい午前中と日もだいぶ落ちてきた夕方が主な活動時間なので、目の前には活気のある町の姿がありました。するとそのうち大勢のかけ声が聞こえてきて「何事?」と思ったら近くの軍の基地から軍人さん達が隊伍を組んで走っていました。良く映画でアメリカ兵がみんなで走るとき、隊長の唱える歌というか文句を隊員が復唱しながら走っていますがまったくそれと同じでした。さすが欧米だなぁと思ったりしたものです。

しかしよく考えてみると、こんなアマゾンの奥の方に侵攻してくる敵なんているんでしょうか。昔はアメリカがアマゾン獲得に燃えていたみたいですが、今では軍事侵攻なんて古くさい手を使わず、経済力で押さえてしまうというスマートな手があるのでそれもないし。でもリオ・デ・ジャネイロで見かけた海岸を向いている砲台のように、所詮世の中の軍隊の砲口の大半は自国民に向いているということを考えれば少数民族も多く、ともすれば中央の力から離れていってしまう僻地のアマゾンにこそ強力な軍隊が必要なのかもしれません。

さて、本日のテーマは釣りです。わざわざサン・パウロから釣り道具持ってきたので使わない手はありません。本来なら大物を狙って・・・と行きたいところですが、そういったところに行くにはボートをチャーターしないと行けないのであきらめて、昨日魚がたくさん泳いでいた桟橋付近で釣ることにしました。

適当に場所を探しながらとある桟橋で糸を垂れていると案の定まわりのブラジル人達が集まってきました。「おっ、ジャポネースがなんかやってるぞ、あっ、釣りじゃん。しかしへたくそだな、いっちょアマゾンの釣りってもんを教えてやるか。」てな感じでそれぞれがいろいろと釣りの奥義を教えてくれます。そうするとブラジル人の間で「いや、ちがう!」という論争が始まり、面白かったりします。まあこっちもそれほど気合いを入れて釣っているわけではないのでまわりの言われるままに釣っていましたが、いつしかみんなも飽きたのか一人っきりで糸を垂れることになりました。

さすがに岸に近いのであんまり大きい魚はあてにしていませんでしたが、実際そんな魚は釣れませんでした。桟橋の下の柱周辺を狙ってみたら、そこにはナマズ系の魚がたくさんいるようで、面白いようにかかります。ちっちゃい魚は捨てて、大きい魚を狙いましたがなんとか25cmぐらいのヤツは捕まえられました。

そのうち、蒸し暑かった空気が吹き飛ばされ、涼しい風が吹いてきました。なんとなくべっとりと肌にからみつくにわか雨の直前のような風です。これを山をあるているときに受けると「やべえな。こりゃ雨だ。あ〜あ、着たくない雨具を着なきゃいけねぇ〜な。」となりますが、今度は「さて、こっちのにわか雨はどんなもんだ?」と興味津々です。

やがて「にわか風」はどんどん強くなり、風上が薄暗くなってきます。そして真っ白のが近づいてきたら雨の襲来です。いわゆるスコールってヤツです。ザーっとたたきつけるような横殴りの雨が吹いてきます。このときばかりはみんな屋根の下に避難です。僕も釣り竿を持って屋根の下にいましたが、耳に入ってくるのはザーっという轟音、屋根の外側は雨で何にも見えません。そしてふけ抜ける風。多分30分ぐらいのスコールだったと思いますが、その屋根の下では時間が止まったかのような感じでした。

雨もやんだので、ちょっくら散歩でもということで釣りはやめて、近くをうろつきます。雨上がりの町では巣穴からアリが出てくるように人々がどこからともなくやって来て、再び活気を取り戻しています。まあほとんどの人が近くの村から来た買い物客のようで、荷物を持った人達が川沿いの渡し船やボートタクシーの間を行き来するだけで、とてものどかな昼下がりの情景を演出しています。

川沿いの涼しい風が通り抜けるキオスクでのんびりとココナッツでも飲んでいると、目の前のマンゴの木の下に子供達が群がってきています。みんなお昼のおやつを求めてこの木に集まってきたみたいです。棒を投げたり、履いている草履を投げたりと思い思いの方法でたくさんぶら下がっているマンゴの実を狙います。そのうちにかならず木に登り出すのがいるのは日本と同じで、そういった子供達が枝に乗って、揺するとたくさんのマンゴが落ちてきます。すると子供達はワーっと先を争って走ります。昔子供の頃、僕の住んでいた地方では新築の家の棟上式の時に屋根の上から餅をまく習慣があり、餅まきの情報を聞きつけてはそこに集まったものです。マンゴの下の子供達を見ているとその時の自分の姿を見るかのようでした。

のんびりとした時間を過ごすうちに早くも夕方です。ホテルの横の食堂に昼間釣り上げたナマズを持っていって「晩飯時に来るから料理しといて。」と頼んでいたのでさっそく行ってみます。レストランの奥から漂ってくるいい匂いをたどっていくと、中からおばちゃんが「もうできたよ。座ってな」と威勢のいい声をかけてくれます。で、出てきたのが魚のスープ。スープと言っても大きな魚のぶつ切りや野菜のかたまりがどーんどーんと入っているのでボリューム満点です。やはりスープはいいですね。サン・パウロの生活で一番飢えているもののひとつです。毎日のおいしい食事と快適なお通じが幸せの基本と考えている僕はそれだけで幸せになってしまい、あとはたらふくビールを飲んで眠るのでした。

12月17日 金曜日

今日もすることがないので、起きたら川辺をブラブラしてます。昨日とほとんど同じ光景でしたが昨日はいなかった大きめの船がありました。近くに行ってみたら、何でも今日マナウスから着いた船だそうで、まわりに人がたくさんいます。この町では生活物資の多くをマナウスから送ってもらっているので、この船はその生命線と言うことになります。

することのない僕はその光景を見ていましたが、まずアマゾン船はほとんど貨客船みたいです。上の方はヘッジが連れるようなデッキがあり、一番下の甲板とその下の地下室みたいなところに荷物が満載のようです。何がマナウスから送られてくるんだろうと見ていると、やはり都会からの荷物だけあって加工食品や洋服や機械の部品みたいな物が船からたくさん出てきます。それをいかにも港の男って感じの人達が頭の上に抱えて町まで運んでいるようです。

そうそう、忘れてならない積み荷がありました。それはセルベージャ。この灼熱のアマゾンでは生活の基本はビールです。ビールがなくなったら人は生きていけないということがここに来てはっきり分かりましたが、とにかく大事な生命線です。そのビールが船の腹の中から延々と出てきます。なんか船の腹から出てきて、僕の腹の脂肪の中に収まるというのはちょっとしゃくですが、確かに僕一人でも一日二瓶は飲むのでそれぐらいないといけませんね。ちなみに銘柄は全部アンタルチカでした。

で、船員と話していたら、この船は明日の夕方マナウスにむけて出発すると言うことなので、急遽明日マナウスに帰ることにしました。ここでこの船に出会ったのも何かのご縁でしょう。何もないテフェの町に飽きたというのも理由のひとつかもしれません。

そのうち船にも飽きたので、昨日も時間をつぶした川べりのキオスクで一休みです。まだ午前中の涼しいうちなのにビールを飲んでまったりしている人がいます。さっきの船のまわりでは、道路に落ちたパンに群がるアリのようにたくさんの人が集まって働いているのに、なんにもせずのんびりしている人もいます。今までいくつかの国に行きましたが、たしかにそういった国もありましたね。中国なんか昼間っからブラブラしている若者がたくさんいたし。ただ、少なくともサン・パウロではそういった人は少ないです。

午後からは再び釣りにチャレンジですが、今日は日が悪いのか全然釣れません。一人っきりの釣れない釣りほど退屈なものはありません。早々にあきらめて退散し、テフェ土産でもないものかと探しに行くことにしました。でもこんな町にあるわけないですよね。だいたい観光産業なんてものがないんだからお土産もあるわけなし・・・どうも写真と思い出以外に「この町に来た!」という証拠は残せそうもありません。でもよく考えるとサン・パウロの自分の町で何がお土産なんだろうと思うとやはり何もありませんね。日本に帰るときにはどうするんでしょう。

とにかく何もしなかった一日ですが、最後の夜ということで夜の町を歩いてみることにしました。田舎の町なのでもうすぐに寝ちゃうのかと思ったら、バールあたりではまだまだ人がいて、騒いでいます。なんかバールという雰囲気でもないので、夜のメルカードでもいってみることにしました。当たり前ですがどの店も閉まっていて閑散とした雰囲気です。野良犬が地面に落ちた野菜屑を探して歩いているところがいかにも寂しげです。子供の頃、家の近く青果市場があり、そこに夜忍び込んで遊んだりしたんですがそれと似たような感じです。

でもちょっと奥まで行くと灯りがついて人がいる一角がありました。「なんだなんだ」といってみると、そこは小さい雑貨屋で、店のテレビがついています。忘れていたけど今日はサッカーのコパ・メルコスールの決勝第一戦のフラメンゴ×パウメイラスの試合の日でした。店の前では一目でフラメンギスタと分かる赤と黒の服を着た人達が、サッカー観戦にしてはめずらしく静かに試合を見ています。そういえば、アマゾン流域ではリオのチームのファンが多いですね。あちこちにフラメンギスタやバスカイーノが棲息しています。サンタ・カタリーナに行ったときもそうだったけど、地元に有力チームがないときはみんな自然とリオのチームのファンになってしまうんでしょうか。だとしたら日本の巨人みたいなもんですね。ということを考えていたアンチ巨人の僕はフラメンゴがちょっと嫌いになってしまいました。

さて、そんなフラメンギスタ達と一緒に僕も見たんですが、じろじろ見られるわけでもなく、自然のその中にとけ込んでしまいました。そのうち巡回中の警官もやって来て、みんなで試合をのんびりと見ています。すぐ後ろに流れるアマゾン川をバックに夜のメルカードでサッカーの試合をみるなんて不思議なことです。


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