12月18日 土曜日
今日は旅立ちの日です。まずは午前中に船までいって、ヘッジをはって場所を確保しておきましょう。
昨日の船に行ってみると、まだ積み荷を降ろしている最中でした。そうとういろいろなものがありますね。さて船の中に入りますが、今回の船は三層構造になってました。
まずは一番下のデッキ。ここには主に荷物が積み込まれます。エンジンに近く、騒音も激しいのであまりヘッジには向きません。その分上でヘッジをはるよりも安くすみます。また、このデッキの下に船倉があります。
次に二階デッキ。ここは半分に分かれています。前半分はカマロッチといわれる船室です。個室から4人部屋までありますが、ちゃんとしたベッドで寝ることができます。もちろん値段はヘッジよりもだいぶん高いです。先頭の一番端には操舵室があります。そして後ろ半分がヘッジのスペース。といっても何もありません。上の方にヘッジを引っかけるフックがあるだけで、あとは柱があるだけの吹きっさらしの場所です。天気がいい日には吹き抜ける風が気持ちよさそうです。
最後が三階デッキ。ここも半分に分かれています。前半分は二階と同じくカマロッチですが、こっちの方が高そうです。後ろ半分はバール。ビールからジュースから軽食まで準備してあり、音楽がガンガンかかっています。しかしブラジルはどこでも音楽がガンガンかかって嫌になっちゃいます。なんか彼らには酒を酌み交わしながらじっくりと友と語るという習慣がないのかもしれません。みんな大音量のなか大声で話していて、なんか違うよな。
その中で二階デッキにヘッジをはることにしました。まだ朝も早いせいかヘッジの数も少なく、気の早い客は早くもヘッジの中でのんびりしていていい感じです。僕も自分のヘッジの中でうとうとしているうちにいつの間にか昼になっています。外を見てみると、さすがに荷物の搬出も終わったようで、今度はたくさんの荷物が桟橋に並べられ、積み込みを待っています。田舎町からマナウスに送る荷物のほとんどが野菜や果物などの生鮮食料品です。バナナやらマンゴやらたくさんの食料が運び込まれています。そして忘れてならないのがビール瓶。昨日大量にビールが降ろされたということは、それと同じ数だけの空瓶がマナウスに送り返されるわけです。空瓶だけあって重量も軽いようで、昨日は苦しそうな顔をしてビールケースを運んでいたお兄ちゃん達も今日は楽しげに見えます。
今日はもう釣りをするつもりはなかったんですが、船から下りてきたら桟橋にいる人達に「今日は釣らないのか?」などと聞かれます。まだここに来て四日目なのにもうこんなことを言ってくれます。ちょっと知り合っただけですぐに友達として扱ってくれるブラジル人っていいですね。
その後は定番のキオスク。今日は昼間からサッカーの試合をやってます。今度の試合はリベルタドーレスの出場権をかけた敗者復活戦の決勝戦です。とにかくこの時期にはいろいろなサッカーのトーナメントの決勝戦が目白押しで、ブラジルサッカー界が一番盛り上がるときのようです。この試合はクルゼイロとアトレチコ・パラナエンセでしたが、二戦とも勢いに乗ったアトレチコが勝利し、来年のコパ・リベルタドーレスへのブラジル出場枠最後のチームとなりました。ちなみに出場チームは
パウメイラス(サン・パウロ) 前回優勝チーム
ジュベントゥージ(カシアス・ド・スウ) コパ・ド・ブラジル優勝
コリンチャンス(サン・パウロ) ブラジル選手権決勝進出
アトレチコ・ミネイロ(ベロ・オリゾンチ) ブラジル選手権決勝進出
アトレチコ・パラナエンセ(クリチーバ) ブラジル選手権敗者復活戦優勝
とわりとあちこちのチームが出場することになりました。ただ、リオのチームがひとつも残っていないのは意外でしたね。ついでにジュベントゥージはブラジル選手権で低迷し、二部リーグに落ちちゃったんですが、そんなチームが(と言っては失礼ですが)リベルタドーレスに出場するのも面白いですね。
試合が終わる頃には船の出発時間が近づいてきました。ホテルに戻って荷物をまとめると急いで船に戻りましたが、自分のヘッジのところに行ってみると、すごい数のヘッジがぶら下がっています。もちろん人も荷物も。「こりゃいかん、このままでは他の人に場所をとられてしまう。」ということで、さっそくヘッジに潜り込み、既得権を主張すべく寝てました。
だいたい船の出発時間なんてあてにならないもので予定時間の5時に近づいてもいっこうに出発する気配は見えません。まだまだ荷物を積み込んでいます。野菜は積み終わったのか、今度は魚です。どこからやって来るのかボートがやって来てはたくさんの魚を船に降ろしていきます。見てみるとたくさんのアロワナが積み込まれています。それと同時にたくさんの人も乗ってきて、ただでさえ混んでいるのに大変な状態です。もちろんヘッジを吊るためのフックはすべてふさがっています。となるとこんどは二段ベッド式に二段ヘッジにしています。同じフックに二つのヘッジをかけ、片方はヘッジをぴーんと張り、もう片方は緩く張ることで二段にしています。ちょうど僕のヘッジの真下には荷物があって二段ヘッジにしなくてもいいのが救いです。とにかくこの状態を見ていると、早めに張っただけではなく、そこに寝て場所を主張しておかないと寝る場所さえなくなるかもしれません。気分的には終戦後の「買い出し列車」。とにかく詰め込めるだけの人を詰め込んでます。それに荷物も多種多彩で鶏やネコまで乗っていて、「おいおい鶏は着くまでに食べられちゃうんじゃないの?」って気分です。
着くまでに食べると言うことで思い出したんですが、日本からブラジルに行くとき、気の利いたヤツが一升瓶を機内に持ち込んでました。別にブラジルの受入先へのお土産というわけではなく、24時間の長旅用ということでサン・パウロに着くまでに無事に蒸発し、ゴミとなりました。しかしサン・パウロ空港で飛行機の清掃をする人達も飲み終えた一升瓶を機内に発見したときは「なんやこれ!?」と驚いたことでしょう。
やがて人も荷物も積み終わったようで、みんなあわただしく舷側に集まります。そろそろ出発です。蛍の光こそ流れませんが、船出の時の気分は同じですね。船にも桟橋にもたくさんの人が集まって別れを惜しんでいます。たった数日の人もいれば、何年もの別れになる人もいるんでしょう。みんな思い思いに声をかけ合っています。やはり船の別れは絵になりますね。今でも船しか交通手段がない日本の離島ではこういったことが繰り返されているんでしょう。聞いた話では鹿児島の甑島(こしきじま)もそういったところで、3月の卒業式シーズンに旅した友人によると、離島赴任が終わった若い先生が帰るらしく埠頭では生徒達が「あおげば尊し」を合唱し、船が出ると埠頭の先端まで生徒達が走り、船が見えなくなるまで手を振っていたという話です。僕は日本を出るときに空港で家族と別れたんですが、どうも空港での別れはムードが盛り上がりません。でも逆に空港での再会は感動的ですね。到着ゲートのところで今か今かと待ちかまえ、やっと出てきた友人と再会を祝うのはとってもいいものです。ちなみに僕が帰国するときはバスターミナルからバスに乗って帰る予定ですがこれは空港以上に盛り上がりませんね。
そしてとうとう船は動き出しました。それとともに僕のテフェでの短い滞在が終わりました。と、その時強く感じたんですが、「そして時は動き始める。(C)ザ・ワールド」という気持ちが心のそこから湧いてきました。テフェにいるときは昨日も今日も明日も同じような日々で、時計もカレンダーもいらない生活でしたが、これからの船上の生活は時刻表によって動いて行くし、マナウスやその先のリオでも時計とともに生活をします。毎日時間に縛られて生活していると「時間のない生活がしたい!」と思いますが、やはりすぐにはそういった生活には慣れ親しめないものなのかも知れません。時が動き出したときにホッとした自分がいたことを考えると、やはり僕が住むのはこちら側の世界なのかも知れません。パパラギさん、すみません。
アマゾンに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな
さあ、ついにあこがれのアマゾンの船旅が始まりました。アマゾンを知った子供の頃から一度はやってみたいと思ったアマゾン川下り。世界にはアマゾン以外にもナイル川や黄河などたくさんの大河がありますが、やはり一番下ってみたかったはアマゾンです。あのエキセントリックな仮面ライダーアマゾン以来、アマゾンという言葉には人智を越えた自然に対する畏怖みたいなものを感じさせてくれたからでしょうか。なにはともあれ船旅は始まったんです。
これがアマゾン船だ!
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これから下る川は正確にはソリモンエス川。マナウスから下流はアマゾン川と言われるこの川もマナウスよりも上流ではいくつかの支流に別れ、それぞれ名前も違います。アマゾン川本流と言われているのがマナウスからほぼ真西にさかのぼるソリモンエス川。ずっとさかのぼるとペルー・コロンビア・ブラジルの三国国境までたどり着き、さらにペルーまで続きます。次に北西方向に向かうのがネグロ川。南西に向かうのがマデイラ川で、ずっとさかのぼるとホンドニア州の州都ポルト・ベーリョからさらにボリビアの方まで続きます。
よく、「アマゾン川は巨大すぎて対岸が見えない」などと言われますが、ソリモンエス川もこのあたりまで来るとさすがにそこまではなく、「大きな川」といった感じです。とはいえここのだいぶん上流まで外洋航海船が入れるということなのでかなりでかいです。ただ、こんなところまで入ってくる大型船なんてあまりなさそうですが。
そのコーヒー牛乳のように濁った水と沿岸の緑色を見ているうちにあっという間に夕暮れです。すると船内の食堂で夕食が出されます。今回はマカロニのようなものを煮込んだスープ。お世辞にもうまいとは言えない食べ物ですが、食料なんか買い込んでいない僕には唯一の栄養源です。とにかくおなかに詰め込みました。
始めてのヘッジでの夜。寝られないかと思いましたが思ったよりも快適に寝られました。寝付いた頃は通り過ぎる風が心地よかったんですが、太陽が沈んだ川の上の風はあっという間に冷たくなっていきます。そうすると船の両側がビニールシートで覆われていき、冷たい風も入らなくなり、また外を見ることもできなくなり、お休みの時間です。
12月19日 日曜日
「寒い!」という感覚とともに、朝がやって来ました。ブラジルに来るときに頂いてきたヴァリギ毛布をここでも活用したんですが、アマゾンの明け方はかなり冷え込みます。
今日は一日船の上の生活です。生活と言っても寝る以外にすることがないので、ヘッジに横になり、うつらうつらしては三階デッキのバールでセルベージャを飲んだりしています。そのうちある子供がつつつっっと近づいてきて、「あなた日本人?」って聞くので「うん、そうだ」と答えると「ねえ、日本語教えてよ。」という具合で話していたら、すぐに子供達がたくさん集まってきて即席日本語教室が誕生しました。子供達がとくに喜んだのは「漢字」。漢字の複雑な形がアルファベットしか知らない子供達にはとっても新鮮だったみたいです。
子供達のほとんどがテフェの在住で、クリスマスをマナウスで過ごすために船に乗っているそうです。テフェにくらべると物も豊富で物価も高いマナウスでクリスマスを過ごすという彼らは普通の人よりも豊かなのかも知れません。そのせいか、町で見かけた子供達よりも小ぎれいです。初めは漢字を教えていた日本語学校も、そのうち授業が変わって子供達の名前をカタカナで書いてあげることにしました。子供達は大喜びで、みんな紙切れをもって手を伸ばしてきます。まるでサインを求められるスポーツ選手のような感じでした。名前を書いてあげると、みんなそれを大事そうにたたんでポケットにしまっています。その紙はいつかなくなるかもしれないけど、こうやって船の上で思わぬ異邦人と会ったという記憶ぐらいは残っていくのかもしれません。
途中途中の町によっていく船旅ですが、朝一番にコアリに立ち寄ります。コアリはこの周辺では大きい町でテフェと同じぐらいの大きさです。でもここで一番記憶に残ったのがピンク・イルカ。アマゾン川に住む淡水棲のイルカで普通のイルカと違ってピンク色の体が特徴です。コアリの港に停泊しているとそのすぐとなりでそのピンクイルカが遊んでいます。ギャラリーを楽しませるかのようにぐるぐる回ってみたり、飛び上がって水面から出てみたり、愛嬌があります。きっとイルカも誰もいないアマゾン川のど真ん中では真面目なおとなしい生活を送っているんでしょうが、こうやって人の前になると「いっちょやってやるか!」という気分で頑張るのかもしれません。そう思うとなにか人間っぽくて可愛いです。でも見た目は確かにピンクなのですが、ややもすると肌色に見え、なまめかしい人間の肌みたいでちょっと気持ちが悪いですね。
やがて日も高くなっていくと、暑くなってきます。そうするとみんなシャワータイム。シャワー併設のトイレの中に入っていきます。とはいえトイレの水もシャワーの水もアマゾン川から汲み上げた水。そして流した後の排水もアマゾン川に流れていきます。日本人的には汚いんですが、そういったものはもう気にならなくなっているのでありがたく利用させてもらいます。何と言ってもインドのヴァラナシで見た圧倒的に清濁混沌としたガンジス川の光景を目にしてしまった者にはそんな細かいことは気になりません。
そのうち昼も遅くなると、今度は大人達がそわそわしてきました。というのも今日はサッカーのブラジル選手権大会決勝第二戦なのです。試合はコリンチャンス×アトレチコミネイロ。第一戦では試合開始15秒のゴールを含むアトレチコ・ギリェルメのハットトリックで3×2でアトレチコが辛勝。第二戦で再び勝てば、アトレチコの優勝です。僕もこの試合は見たかったのでボートで移動するのは躊躇しましたが、実際乗ってみたら、さすがブラジルの船、三階のバールには大きなパラボラ付きのテレビまで完備されていました。船が方向を変えるたびに売店のお兄ちゃんがパラボラの向きを手動で変えてくれます。その下で、船客達が一喜一憂していてこれもアマゾン船のいい思い出になりました。ちなみに試合はルイゾォンの二得点でコリンチャンスが2×0で勝利、有利な条件で第三戦に望むことになりました。
もう一つ船の上で忘れられない思い出。それは雨。アマゾン船が走るアマゾン川は遠い岸辺にジャングルが見えるものの、高い山もなくビルもなく、360度見て下さい!と言わんばかりの視界良好な世界です。ちょうど今は雨期なのであちらこちらに雲が漂っています。よく見てみると雲によっては地面まで届く白いスカートをはいているところもあり、そこはスコールの真っ最中です。スカートのある雲や、ない雲があちこちに見え、「あ〜、あそこは雨が降っているけどその隣は猛烈に晴れているな〜」などと遠くを見ながら想像がつきます。ブラジルに来るまでは10年ほどの東京生活で失われいてた「雨を見る」という当たり前のことを体験することができ、いい記念になりました。