今日から本格的に始まる「リオ・デ・ジャネイロ カウントダウン」ですが、まずはゆっくりお休み。僕もすでに20日ほど歩きっぱなしだし、日本から来た人達はまだ時差ボケが残っています。結局昼近くに起きて、やっと行動開始です。
昼食に行ったのはカテチの近くのシュハスカリア。ガイドブックでおすすめになっていたので行ってみました。見た目にはちょっと高級そうなところでしたが、お昼ということでポルキロサービスをしています。といっても1kg17R$とブラジルの普通のポルキロにくらべると倍ぐらいの値段。もちろんシュハスカリアなので、シュハスコもあります。
さて、食べてみますが他の料理はさておき肉の味はイマイチです。肉の味が抜け落ちている出し殻のような味です。「こんなレベルでこの料金とはリオのレストランもまだまだ甘いな」という気がします。あ〜、もうこの一年間美味しい肉を食べ続けた僕は完全に舌が肥えてしまいました。僕のまわりには美味しい肉を毎日食べているブラジルの人達がたくさんいるんですが、彼らが異口同音に「日本の肉は食べられたもんじゃないね」と言っているのを聞くと今から心配になります。日本にも誇るべき「和牛」がありますが、今となっては和牛というのは人工的に作られた肉の最高傑作というイメージです。「天然肉」のおいしさを知ってしまった僕はリンゴを食べたアダムとイブみたいなものかもしれません。
ちょっと複雑な気持ちになった後、今日は植物園に行くことにしましょう。しかし今日も暑いです。暑い暑いと思ったら、案の定太陽が頭の真上にありました。本当に真上です。すべてのものの影が真下に見えます。リオの街は南回帰線から1度ほど北にあり、夏至から10日ほどすぎた今、まさに太陽はリオの街の真上にあるわけです。あんまり真上にあるもんだから垂直に立っている物には影がなかったりして新鮮な驚きを感じます。今まで熱帯地方に行ったことは何度かありますが、頭上に太陽があることを実感したのは今日が初めてかもしれません。
そんな強烈な太陽で押しつぶされそうなところで植物園に到着。植物園はリオの街の一角にあるんですが、町の中にあるとは思えないほど巨大な植物園でひそかな観光名所になっています。もちろん植物園観光も目的の一つではありますが、もう一つの大きな目的は水鉄砲。アメリカから密輸した各種水鉄砲を思う存分楽しむ予定。
植物園入口には噴水みたいなものがあって、水がちょろちょろ流れ出ていたので、さっそく水の補給。満タンにしてから出発です。水鉄砲といっても普通のやつだけではなくて、ライフル式の大きな物まで持ってきています。それを構えながら歩くんですが、手に手に水鉄砲を持った日本人観光客が園内を歩き回っている姿は異様です。さすがに他の観光客がいるところでは撃ち合いを止めますが、誰もいなくなるとさっそく開始!油断しているとどこかからねらい打ちに合います。しかしみんなが手に手に水鉄砲を持っているので安心できません。いつなんどき撃たれるか分からないという緊張感の中で園内を歩いているので観光どころではありません。すごい緊張感です。水鉄砲レベルでもこれぐらい緊張するんだから、ホンモノの銃だったらもっともっとすごいんでしょうね。それを思うと誰も銃を持たない日本社会がなんていいところなんだろうと思います。肉は美味しくありませんが。
そうそう、水鉄砲で遊んでばかりですが植物園も少しは堪能しました。でもはっきり言って植物園というよりも大きな公園といった雰囲気です。たくさんの植物が整然と並べられていますが、どれもこれもブラジルで普通に見かける植物ばっかりで、植物園ならではのものがあまりありません。途中一カ所だけ小さな温室があり、熱帯植物がありましたがそれ以外はただの公園です。もちろん亜熱帯に位置するリオなので、日本とは全く違った植物があってそれなりに楽しめるんですが、我が町に生えている木々とあまりかわりませんね。ただ、公園の作りは欧米風で日本とはかなり違います。直線で構成されたキチッとした公園で、写真で見たヴェルサイユ宮殿の庭のような感じです。日本のように自然の姿を模したり、わざと道を曲げてみたりといった工夫はありません。このあたりに「直球ど真ん中」といったブラジルの美意識を感じました。
あらかたブラジルの美意識は分かったので帰ろうとすると、見なれた光景があります。日本庭園です。ブラジルの大きな町の公園にはけっこう日本庭園がありますね。日系社会の大きさの現れでしょうか。その空間だけはクネクネと曲がった道や池が配置されていますが、ブラジル人はこれを見てどう感じるんでしょう。きっと異国文化を感じる場所なんでしょうね。そうそう、一角には天皇皇后がリオを訪問したときの記念碑もありました。
植物園を楽しんだ後はついにプライアです。日本では真冬の12月にイパネマで海水浴。いい響きですね。真夏の太陽に焼かれながらのプライア。まずは居場所となるキオスクの確保です。コパカバーナほどは混んでいなくて、割とすんなりと見つかりました。で、腰を落ち着けてしまうと動かないのが僕たちです。次々とアグア・ジ・コッコ(椰子の実)を消費しながらくだらない話をしています。やはり南洋の海と椰子の実は永遠のお友達ですね。椰子の実の飲み過ぎでのどがしびれるような感じがまたたまりません。ホント僕たちはリオのプライアで遊んでいるんですね。
予想通り、そのまま夜までそこにいちゃいました。いつまでもここにいるわけには行かないので出ることにします。で、出てみたら目の前にかの有名な「ガロッタ・ジ・イパネマ(イパネマの娘)」がありました。イパネマの娘のモデルになったお店です。もちろん店内には作曲者のアントニオ・カルロス・ジョービンの直筆楽譜とかの記念品が展示してあります。そこはレストランになっているんですが、観光シーズンということもあって席は満席。そとから眺めるだけにして、ピザ屋で夕食をとり、帰りました。
ところで、今泊まっている学校は門限というのがあって、夜の11時までには帰らないといけません。その時間が過ぎると門は閉ざされ、性格の荒い犬が中に放たれてしまいます。でも学校に到着したのは夜の11時過ぎ。門は閉ざされていました。門を開ける方法は教えてもらったんですが、何と扉にあるのぞき窓から手を突っ込んで中の鍵を開けるという「あんたそれ泥棒と同じやん!」と言いたくなるような原始的な方法です。でもそれしかないので手の細い女の子に頼みます。僕の手では入らないんです。で、扉を開けようとすると、遠くの方から例の犬らしい足音がします。「真っ暗闇からケモノがこちらに走ってくる音を聞くのは相当心臓に悪い」と言うことを初めて知った夜でした。
12月31日 金曜日
とうとうやってきました。1999年12月31日。新しい千年紀の始まりまで後一日です。2000年の意味が分かるようになった子供のころから「僕は2000年にどこで何をしているんだろう?」と想像していましたが、リオのコパカバーナでその時を迎えることになるとは想像もつかなかったでしょうね。
でも今日のメインは夜です。ということで昼間は何もせずにのんびりと待つことにします。たまりにたまった洗濯物を片づける間、日本組のみなさんにはすぐ近くにあるコルコバードのキリスト像まで行ってもらい、その間は久しぶりに一人になってのんびりします。ここ、リオの日本語学校にはたくさんの日本語の本があるんですが、その中に僕が好きな吉村昭の本がありました。日露戦争後のポーツマス条約を題材にしたノンフィクション小説です。彼の作品は細かい取材に裏打ちされた丁寧な作品が多く、読んでいて飽きません。洗濯中の待ち時間を使ってずっと読みふけりました。
真上から照りつける太陽の下で本を読んでいるんですが、そんな自分を見ると、昔新潮文庫が毎年夏休みシーズンにやっていた「新潮文庫夏の100冊」キャンペーンを思い出します。そのキャンペーンポスターがいかにも「日本の夏」って感じの写真で、とっても好きでした。それとともに真夏の暑い一日に小説を読みまくる快楽というのも知ってしまいましたが、ここリオでもう一度それを体験することができ、なんだか素敵な時間でした。
洗濯も終わるころになると、時計は朝の10時近くになってました。ちょうど日本では深夜11時前。紅白が佳境にさしかかるあたりです。やはり日本人の血が流れる僕には「大晦日=紅白」という方程式がDNAに深く刻み込まれています。幸いリオの日本語学校では日本のNHKを見ることができるので、さっそくテレビの前に移動です。するとおなじみの画面がありました。もう一足早く日本では1999年が終わろうとしているんですね。ただ、残念なことに日本の紅白を見ても、全然ピンときません。もう心もブラジル化してしまったのでしょうか、地球の裏側の遠い国の出来事のように感じます。そのうち紅白も終わり、おなじみの「ゆく年くる年」が始まります。で、これまた例のごとく東北かどこかの雪深いお寺から除夜の鐘の中継も流れます。灼熱の太陽の下で汗とサンバとセルベージャのカウントダウンを迎えようとしているリオとは正反対の年越しですね。
さらに日本とブラジルの国民性の違いを感じさせたのがその後の番組。「ゆく年くる年」で静かな2000年の到来を味わう暇もなく、ニュースが始まってしまいます。もちろんお題は「2000年問題」です。「わ〜〜い、2000年だ〜〜〜!!」と素直に喜ぶブラジルですが、やはり日本では「あ〜〜2000年が来てしまったぁ」と頭を抱えているんでしょうか。2000年到来を喜ぶブラジルと悲しむ日本というところがこれまた地球の裏側らしいです。そんな脳天気なブラジルなので2000年問題なんて聞いたことがありません。新聞の片隅に載ることがありますが、ほとんどのブラジル人はそんなことを知ることもなく2000年を迎えるようです。まあこの国の人々の場合、コンピューターがダウンしても、音楽とセルベージャとサッカーがあれば生きていけるのでそれでいいんでしょう。
その後のプログラムも笑えました。「安藤忠雄 中坊公平 瀬戸内寂聴 2000年を語る」とか言う番組でした。2000年早々、素晴らしい顔ぶれです。たぶん番組を作った人達は「もう夜も遅いので寝なさい」というメッセージを込めてこの番組を送り出したんだと思います。こちらリオはまだ寝るわけにはいかないので、とりあえずテレビを見るのを止めておきました。これでいいんだよね、NHK。
そのうちコルコバード組も帰ってきたのでみんなでトランプでも楽しみながら時間をつぶし、5時をめどにスタート準備を始めます。日本からゆかたを持ってきた友人の着付けなんかを手伝って、5時に出発。人も多いし、治安も悪そうなので今回は泣く泣くデジカメを持っていくのをあきらめ、友人に頼んでいた「写るんです」に期待することにします。
もちろんコパカバーナまでバスで移動ですが、まだ5時と早い時間なので道路もすいています。チラホラと白い服を着た人を見かけるだけです。ヘベイロンではみんな上から下まで真っ白の服を着るのが習慣です。もちろん僕たちも全員白服。ゆかたはもちろん白だし、僕も白のハッピ、もう一人のアメリカから来た友人は日本のホテルに備え付けのゆかたを着ています。しかもそのホテルはその友人達と行ったスキーツアーで泊まったホテルでした。もうかれこれ6年ほど前のツアーですが、よく今まで持っていたものです。ついでにそのゆかたをアメリカにまで持って行っていたというのが馬鹿らしさを増長します。
順調に進んでいたバスですが、ヒオ・スールそばのコパカバーナへ抜けるトンネルの前あたりから渋滞が始まります。この日は夕方以降コパカバーナ・イパネマ方面へは一般車の進入は禁止。タクシーとバスだけなんですが、それでも大量のバスとタクシーで身動きがとれません。なんとかトンネル内にはいるんですが、片側4車線ぐらいある大きなトンネルの中で渋滞するのは地獄ですね。排ガス規制のなさそうなブラジルですから、ナマの排気ガスがもうもうと立ちこめていて、燻製状態になりながら堪え忍びます。
やっとのことでトンネルを通り抜けると、そこはコパカバーナです。バスはプライアまでは行かないので、途中で降ります。さすがにコパカバーナの近くには白い服を着た人達がたくさんいます。もうこのころには6時をすぎていたので夕食でも…と探してみますが、レストランは見事なまでに閉まっています。たまに開いているレストランも「全席予約済み」。あちこち歩きますがすべて追い出されます。しょうがないので飢餓難民と化した僕たちはアラビア風ファーストフードを買い、コンビニでお菓子などを調達して間に合わせることにします。そう、ブラジルには結構アラビア風ファーストフードが多いです。挽肉を紡錘形に固めて油で揚げたキビや三角形のパンのようなエスフィーファといった軽食はブラジル中で売られています。とくにランショネッチなどで気軽なおやつとして食べられているようです。
食料を買い揃えたら場所取りです。今日は4kmにわたるコパカバーナ海岸から一斉に花火があがります。一つ一つの花火の間隔は500mぐらいでしょうか。とにかくたくさんの花火が並んでいるわけですから場所取りも重要です。プライアの真ん中付近に陣取って両側から上がる花火を見るのもいいんですが、欲張りな僕たちは全部の花火をいっぺんに見たいということでプライアの一番端っこに陣取ることにしました。目的地はコパカバーナの東端にあたるレメです。せっかくなのでレメまでプライアを歩きながら行くことにします。するとさっそく花火の発射基地を発見。30m四方の正方形にたくさんの花火がならべられています。花火のまわり、10mぐらい離れたところに立入禁止のロープが張られていますが、本番でもこんなに近くまで来れるんでしょうか?日本だと間近で花火を見ようにも近づけないんですが、さすがブラジル、自己責任で近づいて下さいということでしょう。
レメの近くのプライアでさっそくお弁当です。大西洋の波を見ながらの食事ですが、今日は波が高いですね。普通だったらこんな日にはたくさんのサーファーが出没するんですが、今日はいません。そのかわり、沖合には豪華客船らしい大きな舟影や、これまたお金持ちのクルーザーらしき姿も見受けられます。たぶんキャビンでは美味しい食事が振る舞われ、シャンパンなんかも出ているんでしょう。そしてプライアを指さしながら「ほら、見てご覧。あっちはもう人で一杯だよ」などと優越感にひたっているのかもしれません。うらやましい限りですが、きっとこの波ではどの船も揺れに揺れてみんな船酔いになっているに違いない!と意地悪な想像をして自分をなぐさめます。そんな船に乗れない僕たちが1900年代最後を飾るにふさわしい慎ましやかな食事をしているうちにしずしずと夜は更けていきました。
夜になると、プライアのあちこちにチロチロと明かりが見えます。イエマンジャーの神に捧げる火です。イエマンジャーとはブラジルのカンドンブレーと言われる信仰における海の神です。カンドンブレーとはアフリカから連れてこられた奴隷達が創始した、アフリカ宗教とカトリックを融合したような信仰で、主にノルデスチ方面が中心地です。プライアに小さい穴を掘り、そこに何本ものろうそくを立てます。そのまわりに輪になるように白い細長い花をさしていきます。それはとってもロマンチックな光景なのかもしれません。でもロマンチシズムのかけらもない僕には、そのろうそくの光がたき火に見え、そのまわりの白い花が串に刺したお魚に見えます。だいたいたき火のまわりに円形に棒をさしたらそれは無条件に焼き魚というのが日本人の鉄則ですよね。とくに今晩は貧弱な晩御飯でおなかがすいているだけに「あ〜、日本の焼き魚が食べてぇ〜よぉ」って気分がつのります。しかしいつまでたっても豊かな食生活にはほど遠い自分の姿を見ると笑えちゃえますね。せめて次のミレニアムではちゃんとご飯を食べたいです。
いつまでもプライアにすわっているわけにはいかないのでちゃんと椅子を探さないといけません。さっそくコパカバーナ観光班と座席探索班に分かれて行動開始です。もちろん僕は探索班。コパカバーナの海岸を東に東に移動しながら開いている席を探します。その間、時折強く湿った風が吹き抜けていきいや〜な感じがします。空もどんよりと曇っており、このままでは雨が降りそうな天気です。でもなんとか場所を確保することができました。ちょうど開店準備を始めたキオスクがあり、出したばっかりのテーブルと椅子を確保したのです。ただ、値段に驚きました。テーブル一つで30R$! 場所代だけでこんなにとられることは初めてです。今回は10人ほどいるのでテーブルも二つじゃないとダメ、と言われ、結局場所代のためだけに60R$もとられることになりました。場所と時間を考えるとこれはいたしかたないでしょう。
で、場所も確保した探索班は観光班が帰ってくるまでのんびりとビールでの飲むことにします。ちなみに探索班には僕と、例のホテルのゆかたを着ている友人がいたんですが、そのハッピ&ゆかたがまわりのブラジル人に大人気。「写真撮らせて下さ〜い」攻撃にあいます。とくに若いブラジル女性に「私にも着させて下さい!」と頼まれたときにはもう二人とも鼻の下を伸ばしながらわざとらしく着付けてあげて、一緒に写真を撮ってあげます。こうなることを予想してハッピを着てきたという下心はばっちり的中です。
と、浮かれ騒いでいるうちに、まさしく風雲急を告げるという感じで、一陣の風とともに雨が降り出してきました。もう時刻は夜の10時過ぎ、僕たちの2000年は呪われているんでしょうか。場所取りしているところは屋根がないのでまずはテントの下に緊急避難です。そのうち雨足が強くなってきてまだ帰ってこない観光班が心配です。とくにゆかたの友人なんか大丈夫なんでしょうか、心配はつのります。しばらく雨宿りしているうちに雨に濡れた観光班も帰ってきましたが、それほど濡れていなくてまあ一安心といったところです。
とはいえこのまま雨がやまないと一安心どころではありません。遠い日本からわざわざ来てくれたのにこれでは申し訳が立ちません。一昔前なら腹を切って・・・とまではいきませんが、やっぱりこのままではあんまりです。この気持ちは僕たちだけじゃなくてまわりのブラジル人達も一緒です。この日のためにみんな遠いところから集まってきたんです。その時コパカバーナに来ていた300万人の人達はみんな「お願いだから雨、止んで!」と思っていたでしょう。ポルトガル語で祈る人もいれば、日本語や英語で祈る人もいます。でも心は一緒です。そんな場所にいると300万人の無言の叫びが本当に聞こえた気がします。こんなにたくさんの人達が思いを一つにすると、それはみんなに伝わるんですね。
と、その時、本当に雨が止んでくれました。みんな「ヤッタ〜〜!!」って顔をしながらテントから飛び出します。まるで安っぽい映画のような筋書きですが、危機一髪のところから大逆転といったところです。この時、時計は11時40分。今、神はコパカバーナの上にいるようです。
僕たちもみんな喜び勇んでテーブルに戻ります。まわりの人達もいったんがっかりさせられただけに喜び倍増といった感じ。みんなの心が一つになった気がします。そのうち喜びにあふれた子供達が僕たちのテーブルに遊びに来ていろいろとおしゃべりします。「どこから来たの?」「ブラジルは好き?」「日本はどんなとこ?」とか無邪気な質問をたくさん投げかけてきます。それに僕たちが答えるたびにみんな幸せになっていきます。そのうち「ブラジルの踊りを踊ってよ」とたのんだら例のエ・オ・チャンの「アリガト〜サヨナラ〜」を踊ってくれて、日本のみんなも大喜び。やっぱブラジルはいいところですねぇ。
やがて午前0時前になると、浜辺のホテルに宿泊していた人達も続々とプライアに出てきて、すごい人出になってきました。もうプライアはぎっしりといった感じです。「あ〜〜もうすぐ2000年だ〜〜」と興奮はいやが上にも高まります。カウントダウンももうすぐです。この時のために、日本からの友人に「日本の104(時報)でちゃんと秒まで合わせといてね」と頼んでいたので、その友人のカウントダウンが始まります。
40秒
もう1900年もあと1分を切っちゃったんですね。戦争とか経済復興とかたくさんあったけど、それは全部おいといて、2000年が始まるんですね。
30秒
なんか1000年紀が終わっちゃうというのはちょっと寂しいですね。でもついに未来世紀に入るんですね。しかもまさにブラジルで。
20秒
なんかみんな踊ってるよ〜〜
10秒
みんなシャンパンを空にかざしているし
5秒
あ〜あ〜もうみんなシャンパン開けちゃったよ。あっちこっちでシャンパンファイトが始まっちゃったよ。
0秒
ドドドドドド〜〜〜ンと猛烈な音と光。ホンの目の前から数百発の花火が空にむけて放たれます。いつもは時間にルーズなブラジルも2000年のこの時だけは一秒も遅れませんでした。その瞬間300万人のすべての思考は止まりました。喜びも悲しみも愛も憎しみもぜ〜んぶ一旦停止。頭の中には光と音しかありません。
あ〜、生きててよかった。ここに来てよかった。ノストラダムスなんかくそ食らえ!ブラジルは一番だね。
みんなの思いは一つになってるみたいです。そして我に返った人達は2000年の到来を祝してお互いに祝福しあいますそこにはブラジル人も外国人も関係ありません。みんなで抱き合って、キスをして地球に生まれたことをお祝いします。
しかしこの花火はすごいです。目の前から打ち上げられて、頭の上で炸裂します。プライア沿いにある建物のガラスというガラスは花火の光を反射してキラキラと輝き、花火の量が二倍に見えます。ブラジル人は人の心を揺さぶる方法をよく心得ているようです。時間の経過も分からないまま、ただひたすら口をあんぐり開けて光と音の交響曲を楽しむだけでした。
そして猛烈な花火が終わり、みんなが虚脱状態になっていると空からポツポツと雨が降ってきました。神様は2000年の瞬間をコパカバーナのみんなとお祝いした後、次の場所に行ったみたいですね。
その後しばらくうだうだと時間をつぶしていたところは1900年代と全く同じ光景でした。きっと今までと何にも変わらない時間を過ごすんでしょうね。でも雨が止む気配がないので、楽しみにしていたコンサートをあきらめてトボトボと帰ることにしますが、みんな同じことを考えているようで、タクシーなんか全然捕まりません。どこかタクシーを拾える場所は無いものかと延々と歩いているうちにいつしかボタフォゴまで来ていました。さすがにこれ以上歩くのは疲れるので屋根の下で雨宿りしながらタクシーを待ちますが、たまにやってくるタクシーも「60R$」とか法外な値段をふっかけてきますし、どのバスもどのバスも殺人的に混んでいます。みんなを連れてきている手前「これはやばいっすねぇ」と思っていると、奇跡的に宿泊している学校行きのガラガラのバスが目の前にやってきました。びっくりして乗り込みましたが、まだ神様は僕たちの上にいてくれたようです。