リオ・デ・ジャネイロでのカウントダウンから帰ってきた後の学校行事も無事に終了し、再び旅人となってサン・パウロに舞い戻ります。今度の舞台はアマゾン。先月も少しだけアマゾンに行ってみましたが、今度はマナウスからベレーンまで船下りです。途中の町々を通り過ぎるのももったいないので、あちこちでブラブラしながら20日間のアマゾンツアーです。
サン・パウロの宿はペンソン荒木、日本人宿として有名な安宿です。普段日本人には全く会うことがないので、こういったところで最近の日本の話をするのが楽しみですね。今日泊ることになったのは本館。長期滞在者が多いところです。長期といっても旅行者のような数ヶ月滞在の人はいません。みんな何年も滞在していて、ブラジルで仕事をしたり、サッカー留学したり、大学の勉強をしたりしています。その分旅行者的な「○○のホテルは安いよ」とか「アマゾンの見所はここだよ」といった話は少なく、仕事で接するブラジル人とか最近のブラジル政界の話とか、結構興味深い話をたくさん聞かせてもらいました。
ひと段落すると旅行社へ。ここは知り合いに教えてもらった日系旅行社です。もちろんみんな日本語が話せるので、ついつい旅行談義に花が咲きます。さすがサン・パウロ。日本語OKの旅行社はここ以外にもたくさんあります。顧客は暇とお金がある日系人がほとんどのようで、旅先での記念撮影をみると、「○○ツアー タイの旅」なんて書いてある『日本語』の横断幕の後ろで日系人たちがならんでいて、まるで日本からのパックツアーの写真みたいです。
ここで、僕の担当をしてくれているおばちゃんは添乗員として世界中に行っているようでヨーロッパから東南アジアまで各地のお話を聞かせてくれます。そして4月には初めてインドに行くようです。僕も少しの間ですがインドを旅行していたのでインドの思い出話などしているうちに時間はどんどんすぎていきます。こちらの日系人のほとんどは日本以外の海外旅行なんかをしたことはなく、普段の生活で旅行の話なんかしたことがないだけに、久しぶりに旅人心がうずいてしまいました。そうですよね。僕も数年前までは旅人としてアジアをあちこち歩いていたんですから。
夜はサン・パウロの駐在員のギュウちゃん宅におじゃまします。さすがに駐在員だけあってサン・パウロの中心地、アベニーダ・パウリスタの近くのきれいなアパルタメントです。部屋の中に入ると圧倒的な日本空間が広がっていて感心することしきり。まわりの日系人の家も日本的なところがたくさんあるんですが、やはり日本人の家とは少し違いますからね。さらに違うのが食事。なんと広島風お好み焼き!!!しかも日本食材の宝庫サン・パウロで材料を集めただけあって日本と同じ味です。ほとんど一年ぶりぐらいに庶民的な日本料理を食べることができるなんて今度の旅行は幸先良いですね。
1月22日 土曜日
今日はマナウスに移動です。昼前の便なので午前中早めにグァルーリョス空港に行きますが、空港に着くとなんだか旅行気分が高まりますね。ウキウキしながら歩いていると、目の前に見覚えある顔があります。どうも派遣仲間の友人(女性)のようです。ただ、男の子と楽しそうに歩いているので声をかけていいかどうか迷います。どうしようかなぁ〜とか思いながら近づいてみると、な〜んだ男の子と思ったのも同じく派遣仲間の女性でした。僕が知っていた彼女はロングヘアーで、最近髪を切ったというのを聞いていたんですが、実際見てみると男の子みたいで間違えちゃいました。もともと彼女はスポーツ系の体型なのでなおさら男の子っぽいんです。って、このことをその子に言ったら「ひっど〜い、やっぱりショートヘアーは似合わないって言うんでしょ!!」と思いっきり悪人扱いされちゃいました。
しかし広いブラジルでバッタリ会うってのも珍しいですね。その友人達はチリのサンチャゴに行き、サンチャゴからは南に下り、パタゴニアから南米最南端のウシュアイアあたりまで出かけるそうで、さすがにパタゴニアあたりまで行けば、夏でも涼しいので防寒着も持っているみたい。寒いパタゴニアに行く彼女たちと赤道直下のマナウスに行く僕が会ったんです。そうなると格好も全然違いますね。向こうは薄手の長袖を着ているんですが、こちらはTシャツに短パンという南国リゾート、じゃありませんでした、南半球なんで北国リゾートの格好です。
全くもって奇遇なことなんで一緒に食事をしますが、これから数時間後にはお互い何千キロも離れ離れなんだなぁと思うと、なかなか感慨深い。食事の後は、こちらは国内線のゲート、向こうは国際線のゲートと別々です。でも国内線と国際線はガラスを隔てて隣り合わせなので、写真を撮ったりと最後のお別れをしてマナウス行きのゲートに行きます。再び一人になり、もらい物の日本の雑誌を読みますが、これが命取りになりました。久しぶりの日本の活字に夢中になっている間に、出発時間が来ました。早く乗っちゃうと長い時間機内で待たされます。飛行機の閉鎖的な空間が好きではないので、ぎりぎりまで粘って最後に乗りこみます。機内を見ると、さすがに日本企業が集まるフリーポートマナウス。日本企業の駐在員らしい人も見かけます。今日はオフなのかスーツは着ていませんが、なぜかみんなゴルフウェアで高らかに「私は日本人駐在員です!」と主張しています。
乗り物に乗っちゃうとなぜか寝てしまうというありがたい体質なので、その後はあっという間に寝てしまい、離陸したのにも気づきませんでした。サン・パウロからマナウスまでは4時間半の長旅ですが、よく考えてみると搭乗時間4時間半の国内線なんてなかなか体験できないことですよね。そんな長旅の間でたま〜に目がさめて窓の外を見てみると、いつも眼下には緑の牧場や茶色の畑が延々と続きます。この広大な国土のすみずみまで人の手が入っているのを見ると、人間の偉大さというか、その開拓力に驚きますね。
アマゾンに近づくにしたがって、さすがに牧場や畑は姿を消し、原生林と茶色の川がおりなすアマゾンらしい景色が広がっていきます。そしてマナウスの近くに来ると、ヒオ・ネグロの黒い水とヒオ・ソリモンエスの茶色の水が交わるソリモンエスの奇観が目の前に広がります。絶好のシャッターチャンス!さっそくザックの中を探しますが…ないっす、命より大事なデジカメがないっす!!何度探してみますが、ありません。もうあせりまくりです。きっと隣の人も「こいつ何か大事なものを忘れて来たな」と哀れんでくれているんでしょうが、これじゃ写真も撮れないし、写真がないとホームページも書けません。何のためにアマゾンに来たんだ!!
思い出してみると、登場ゲートでチリ組の写真を撮って、そのまま待合室の椅子に座ったんですが、その時に隣のテーブルの上にカメラを置いたのを思い出しました。そしてそのまま雑誌に夢中になり、「もうすぐ出発します!」のアナウンスで飛び乗ったんです。カメラをテーブルの上に置いたままで…
傷心のままマナウス空港に到着。もちろん空港の係官に事情を話し、サン・パウロの空港に問い合わせてもらように頼みますが、「この紙にその時のことを詳しく書きなさい」と言われるだけ。「今すぐに聞いてもらえますか?」と言っても「後で連絡するから待ちなさい」の一点張り。真夏のマナウスで他の客は汗をびっしょりかいているみたいですが、僕一人冷や汗をかくことになりました。
もう放心状態のままマナウス市内に移動。デジカメには48MBのRAMもつけていて、七万円ほど金をかけていますが、金以上に問題なのはブラジルではなかなかデジカメを入手できないと言うこと。それにこれから三週間のアマゾン旅行が待っています。どうしよう、どうしようと頭がグルグル回りますが、そうなるとなぜか心の中に冷静なもう一人の自分が出てきて「ま、海外の企業がたくさん来ているマナウスだからなんとかなるんじゃない?これがノルデスチの奥地だったら大変だよ!」とか「普通のカメラを買って、後でスキャナーで取り込めばいいやんか!」とか言ってくれるので少しは気分が楽になってきます。
でもデジカメをなくして元気が無くなったので観光はやめにして、とっととマナウスの友人の家に上がり込み、メールを書いたりします。その合間には空港に電話しますが「まだサン・パウロから連絡が来ないので後にしてれ」の一点張りで、ちゃんと手続きをしてくれているのか心配になります。
さて、連絡がないものは仕方がないので美味しいご飯でも食べることにしましょう。前回マナウスに来たときはエフィジェニオ・サーレス農業協同組合の中のレストランランキング第三位の店に行きましたが、今日は第二位のお店に行くことになりました。本当はタンバキーの刺身を食わせてくれるところに行きたかったんですが、そこは要予約と言うことで今回はあきらめることにしました。レストランまでは友人宅からバスですが、僕達が乗ったバスは一路郊外をめざします。前回行った、ボイ・ブンバショーのお店もセントロから遠かったんですが、今回も遠くにあります。その間延々と走りますが、切れ目なく続く建物の群に新興経済都市マナウスの底力を見る気がしました。
バスから下りると、大通りをしばらく歩き、ちょっと寂しそうな住宅街に入ったところにそのお店があります。前回のお店といい今回のお店といい普通の人では分からないようなところにあって、案内人の情報収集能力に感服するばかり。
お店は見晴らしのいい高台にあり、目の前には家々の明かりが点々と灯っていて、いかにも「東京ウォーカー」で「夜景のきれいな穴場レストラン」と紹介されそうないいカンジの店です。ただ、ブラジルの夜景のからくりを知ってしまった僕の「でも昼間、ここから眺めたら目の前には広大なファベーラが広がっているんじゃないの?」という疑惑は図星で、ここの景色は夜眺めてこそ美しいんだそうです。ファベーラはそれまで人が住んでいなかった山がちなところなどにできることが多く、それが夜になるとクリスマスツリーみたいに見えるんです。
その後、他のマナウス在住者もやって来て、一緒に美味しい魚料理を楽しみますが、これを食べると「アマゾンに来たな〜〜」という感慨がひとしお。デジカメをなくしたことを忘れさせてくれます。って何度も思い出すと言うことはやはり相当ショックだったんでしょう。
そして一日の締めくくりは新装開店のバール「トカンチンス」です。他のマナウス人達も初めてだったので楽しみにして行くんですが、行ってみると満員御礼で座る場所もありません。新しもの好きの若者達が大勢たむろっています。しかしこういったお店情報を彼らはどうやって集めるんでしょうね。日本の雑誌だったら「この夏、おすすめの店」とか「マナウスいい店やれる店」とかに紹介されるんでしょうが、そんな雑誌見たことないし。
1月23日 日曜日
暑いし、デジカメないし、あんまり外に出る気がしないので、居心地のいい友人宅でゴロゴロしてしまいました。それに昼過ぎにはサッカーのオリンピック予選もあるのでなおさらです。そのオリンピック予選ですが、第一試合はチリ×ベネズエラ戦。南米といえばどこもサッカーが国技ですが、どうもベネズエラは違うみたいです。なぜならベネズエラでは昔から石油が採れたのでアメリカ資本が入り込み、それとともにアメリカ文化が入ってきたためで、今でもサッカーよりもバスケットボールの方が人気があるそうです。だからサッカーの方はイマイチ。南米サッカー界の中では「醜いアヒルの子」と言われています。しかしふたを開けてみると強豪チリ相手に善戦。見たところ動き自体は荒削りながらも選手個人の身体能力が高いようす。
お次はブラジル×エクアドル戦。エクアドルはブラジルから見ると格下なだけに大量得点が期待されます。確かに試合は開始直後からブラジル・セレソンがエクアドルを圧倒しますが、最後のところで決まりません。結局前半1×0。後半になっても同じような試合展開で見ているこっちにもフラストレーションがたまります。会場で見ていたらなおさらフラストレーションが溜まるようで、ブラウン管を通して「ヘボチーム!!」という大合唱が聞こえてくるぐらいです。このまま試合は2×0で終わっちゃいましたが、これから大変ですね。
試合が終わる頃にはもうだいぶん遅くなってきましたが、新デジカメを探しにショッピンまで行ってみます。やはり日曜日ということもあって店内は家族連れで混雑しています。普通のブラジルのお店は日曜日は閉まるんですが、ショッピン内のお店はどこも開いていて、にぎやかな店内をモレーナ達がたくさん歩いています。日本でもそうかもしれませんがブラジルではショッピンに行ってブラブラするというのがひとつのレジャーとなっていて、家族連れやカップルがあちこちにいるですが、人種がサン・パウロのショッピンとは全然違いますね。マナウスの強烈な日差しのせいか、みんな真っ黒に焼けていて、そういった人達がたくさん歩いているショッピンはどこか南国気分、じゃない北国気分満点です。
ゾーナ・フランカ(自由貿易地帯)で、外国企業がたくさん集まっているマナウスなので、品揃えもかなりよさそう。とくに電化製品ではSONYやPanasonicといった日本でもおなじみの製品がたくさんならんでいて値段もサン・パウロよりも安いです。「これなら!」と思って探してみますが、なかなかデジカメはありません。やっと一軒だけデジカメをおいている店を発見しましたが、がっくり。二年前ぐらいの旧式モデルが、1300R$(8万円弱)という破格の値段で売られていました。しかも付属のメモリーが2MBしかなくて、これでは全く役に立ちません。
パソコンショップとかに行ってみると、日本と同じような製品が売っているのになぜデジカメだけがないんでしょう?と思って思い出したのが「yahoo! Brasil」です。できたばかりというのもありますが、日本の「yahoo! Japan」にくらべると圧倒的にホームページの数が少ないです。ホームページの普及度を見てみると、日本の4年前ぐらいの状況と同じですね。日本でもデジカメが普及したのはホームページ文化が普及してからだったので、ブラジルではまだあと数年は待たないといけないのかもしれません。結局マナウスでデジカメを調達できる可能性はほぼなくなったので、普通のカメラを買わなければなりませんね。
夜はカルナバルの練習見学。マナウスというとボイ・ブンバばかりが強調されていて、カルナバルなんてやっていないのかと思ったら、ちゃんとやっているんですね。でもやはりマナウスはボイ。それほどカルナバルは重要視されていないそうです。
夜道を会場に向かって近づいていくと、両側に出店がポツポツと出てきて、たくさんの車が停まっています。熱を秘めた真夏の夜空のもと、ギラギラと輝く白熱灯の下で汗をかきながらホットドッグを焼いているおばちゃんを見ていると日本の夏祭りを思い出します。今はちょうど休憩時間なのか練習会場の方は静かで、観客達もビールを飲みながら一休みしているようです。
やがて演奏が開始されると夏祭りから一転してブラジルのカルナバルです。単調だけど脳髄まで揺さぶるような打楽器のリズムを聴いていると頭がボーッとしてきます。何回か聞いたら憶えられるような簡単なリズムですが、バテリア達は汗びっしょりになりながら休むことなく延々と演奏を続けます。その無尽蔵の体力には驚かされますが、見てみるとバテリアには女性はいません。女子禁制なんでしょうか。そしてバテリアの響きが最高潮に達してくると我慢できないのがアマゾネンシ。まわりの人達、とくに女性をみるとみんなお尻がムズムズと動いています。バテリア周辺は観客でごった返していて、踊るスペースもないんですが、隙あらば踊っちゃおうという彼女たちの熱意はバテリアよりもすごいものがありました。
ちょっと疲れたのでその場を離れてみると、隣の体育館ではダンサリーナ(踊り子)達がバテリアのリズムに合わせて踊っています。こちらの方がバテリアよりも難しいのか団長から厳しい指導を受けています。バテリア達が長時間演奏している間、踊り子達も踊り続けているので、こちらもみんな汗だくです。日本のテレビで見たカルナバルはきらびやかで颯爽としていましたが、この裏ではこういった日々の努力があるんですね。
一段落ついた時に、友人が「いや〜マナウスのカルナバルなんてちっちゃいんでリオやサン・パウロにくらべたらつまらないんじゃないですか?でもボイの方がもっとすごいですからね、期待して下さい。」と言ってましたが、始めて間近に見たカルナバルは実際カルチャーショック級の迫力がありました。これよりすごいんだったらリオのカルナバルやボイはどんなにすごいんでしょうね。
1月24日 月曜日
朝起きると最後の望みをかけて、空港に電話。すると驚いたことに「あったよ!」の連絡!犯罪大国ブラジルでも一番危ないと言われるサン・パウロでなくしたデジカメが出てきたなんて奇跡です。しかも「もうサン・パウロからマナウスに送られてきているから取りに来なさい」となんともありがたいお知らせ。頭の上に重くのしかかっていた重荷がフッと取り除かれた気分。はじめてマナウスの空が輝いて見えました。
その前にまずは引っ越し。今日までお世話になっていた友人が用事で家を空けるため、こちらもホテルに移動。前回マナウスに滞在したときと同じホテル・ヒオ・ブランコ(Hotel Rio Blanco)。セントロ近くの安宿地帯、ジョアキン・ナブコ通り(Rua Joaquim Nabuco)の近くにあります。この界隈は一昔前の中心地といったところ。今ではくたびれた建物が多く、シミで汚れた建物が一昔前のマナウスの反映を語りかけてくれます。途中、一カ所だけ路面電車のレールの残骸もありました。
ホテルもそんなたそがれた雰囲気にぴったりマッチしていて、やや古くさい建物です。最上階の洗濯場にからあたりを見回すと、一瞬廃墟かと思わせるようなゴチャゴチャした屋根がまわりを取り囲み、その向こうには人間の浅はかな欲望をあざ笑うかのように蕩々とアマゾンが流れていきます。屋上で洗濯物を干している人達には南国の太陽が降り注ぎ、数m下の地上とは全く違った時間が流れていて、あたかも雲の上にいるかのようです。
「ここで一日のんびりするのも面白いな…」
と、思ってしまいますが、デジカメ回収デジカメ回収。
空港にいって、担当のカミラおばさんを探しますが、今は不在でちょっと待って下さい。とのこと。仕方がないのでレストランで時間をつぶしますが、心はクリスマスプレゼントを待ちわびる子供のようにブルブル震えています。二時間ほどたってやっとカミラおばさんがつかまりました。喜び勇んで事務所のカミラおばさんの前に。背がちっちゃくて太めのカミラおばちゃんですが、こっちをみてニコっと笑った顔には「ほら、私に任せとけば大丈夫でしょう」と書いてあって、この時ばかりは頼もしく見えます。そして待望のデジカメちゃんとのご対面。無事に戻ってきてよかったよかった。
でもブラジルで物を忘れて帰ってくることもあるんですね。驚くと言うと失礼ですが、ちょっと見直しました。
意気揚々と町に引き上げますが気分爽快。昨日まで「う〜んデジカメかカメラを買わないといかんなぁ。いくらぐらいかな〜」とか計算していたんですが、デジカメが戻ってきたことで買う必要もなくなり、お金が儲かったような気になってます。なので今日は買い物の日。実際にはなにも儲かってないんですが、いいんです。買うんです。
そして今、一番買いたいのがブラジル・セレソンのレプリカ・ユニフォーム。ブラジルセレソンといえば黄色と緑の上着に青い短パンという定番カラーが有名ですが、買ったのはサブ・ユニフォームである青い上着。これで80R$なり。日本円にすると5000円弱ですが、ブラジルの相場からくらべるととっても高い!でもいいんです。買うんです。
お次に買いたいのがボイ・ブンバのCD。99年や98年の分はもう買ってしまったので中古屋で探し回って95年の分までさかのぼって買うことができました。でもこれから旅行するのに大量のCDはとってもかさばります。でもいいんです。買うんです。
もう一つ忘れてはならないのが船の切符。次の目的地はサンタレン。切符は浮き埠頭の近くのチケットブース。この前テフェから船に乗ったときはチケットブースなんてなくて、乗りたい船に勝手に乗り込んでその場で船長に払っていましたが、あっちこっちの船が集うマナウス、さすがに大きなチケットブースがありました。天井には大きな看板がぶら下げられ、これから先一週間の船便が書いてあります。サンタレン、ベレーンは言わずもがな、ヒオ・マデイラをさかのぼったポルト・ベーリョ、ヒオ・ネグロをさかのぼったサン・ガブリエラ・ダ・カショエイラ、はてはコロンビアとの国境のタバチンガ行きの船などもあり、頭の中では空想旅行。結局明日の夕方発の船にしました。所要36時間のサンタレン行きです。
ところでこの日の埠頭にはいつもと違うものがありました。それは大型客船。お金持ちがのんびりと世界周遊を楽しむような真っ白な大型客船が埠頭に停泊しています。掃き溜めに鶴と書くとマナウスに失礼ですが、茶色い川にちょっと汚れた木造船がたくさんならんでいる中に、ひときわ高くそびえ立つ客船は一種異様な雰囲気を漂わせています。ジャングルの寒村に大型観光バスで乗り付けるような、インドの雑踏をビシッとスーツを着て歩くような、なんか違和感の塊です。よくアマゾン川の大きさを形容するときに「河口から2000km以上奥まで外洋航海船が遡航できる」と言われますが、こうやって目の前にその証拠を突きつけられると今さらながらにアマゾンの大きさを思い知らされます。
そんな船がやってくると町も変わり、いかにも「客船から来ました」というオーラを全身から漂わせた老年客があっちこっちにいます。話を聞いてみると、船はフィンランドだかスウェーデンだか知りませんが北欧から来た船で、なるほどお客さんも白い肌に金色の髪の毛の人ばかり。生まれ落ちた肌の色が何色であれ大人になったらみんな褐色になってしまうアマゾンの人々の中で異彩を放っています。
珍しい旅人を見て目を丸くする僕がさっそく聞いてみると、彼らはマナウスに四日ほど滞在するようで、これからアマゾンを下ってカリブ海のほうに旅を続けて行くみたい。旅行のスタイルは違いますが、同じ旅人ということで話も合います。
「ここに来る前はどこから来たんですか?」
「ブラジルの南の方をゆっくりクルージングしていたよ。」
「へ〜、じゃあもしかして年末年始はリオにいませんでした?」
「ああ、あのときはリオにいたよ。コパカバーナの花火を見たんだ。すごかったよ。」
「えっ、やっぱり。僕もあのときコパカバーナにいたんですよ。沖の方に船が見えたけど、あの中にいたんですね。」
「そうだね。」
「じゃあ夜中の12時の直前に雨が降ったのを憶えてます?」
「ああ、そうだったね。」
「その後、雨がやんだときには『神様、ありがとう』って思ったんですよ。」
「そうかい、お互いいい新年を迎えることができたんだね。」
のんびりとマナウスの町を楽しむ彼らを見ていると「いいよね。老後をのんびりたのしく。うらやましいです。」の気分。とくに引退した老夫婦がお互いに支え合って歩いている姿を見たときは「人生お疲れさま。」と言わずにはいられません。別に欧米人でも日本人でもブラジル人でも構わないんですが、老人の「一仕事終えた」顔って見ていて暖かい気持ちになりますよね。
ひとしきり船を眺めた後は再び雑踏の中に戻ります。今度はマナウス第一の見所アマゾナス劇場の方に行きますが、のどが渇いたので入った店が「グァラナ屋さん」。他の町で見たことがないのでアマゾン特有のお店だと思いますが、グァラナ飲料を専門にしているお店です。グァラナはブラジルの国民的飲料のひとつですが、南の方ではグァラナを炭酸で割ったジュースしか売っていません。でもこちらでは「グァラナ+マンゴ」とか「グァラナ+アボガド」とかありとあらゆるフルーツとのミックスが売られていました。
デジカメを回収し、買い物をして、アマゾナス劇場にたどり着いたときはもう夕方。入館時間はもう終わっていました。外から眺めるアマゾナス劇場はとても大きくどっしりとしています。この程度の建物だったら、リオやサン・パウロの旧市街に行けばいくらでもあるんですが、そんな建物を当時はそれこそ密林の奥地だったと思われるマナウスに建てたというのがすごい。今だったらどうなるんでしょう。南極に南極ドームをたてて野球の試合をするようなもんでしょうか。
そうするうちに日も暮れてきて、一日は終わり。来る前から「アマゾンでは一日が短いよ〜」と言われていましたが、なるほど確かに一日にできることが少ないですね。何と言っても猛烈な湿気と暑さが体にまとわりつくのでてきぱきと行動しようなんて気が湧きません。ちょっと動いた後には木陰の気持ちのいいランショネッチでセルベージャなんてことを繰り返したくなります。それにアマゾン人はのんびりしているので買い物一つとっても日本のように手早く済ますことができず、「今日もなにもできなかったぁ」と思ううちに一日が終わっちゃうんですね。また、アマゾン人の話では、毎日同じような気候で同じような気温なので、「はたして今日なのか、明日なのか、それともまだ昨日なのか」全く分からないそうです。今まで、世界中どこに行っても時計は同じだと思っていましたが、ここでは時計の針でさえもアマゾンの流れに飲み込まれてしまうようです。