「地球の歩き方」に「船に乗るときは早めに行ってヘッジ(ハンモック)を吊っておくように」と書いてあったので、まず最初にヘッジを持って埠頭に行きます。入口では切符のチェック。切符がないと埠頭に入ることもできません。最近埠頭に山積みしてある荷物を狙った泥棒が多く、盗難対策だそうですが、埠頭に船で乗り付けちゃえば誰でも簡単に入れるのに意味があるんでしょうか?
岸壁から浮き埠頭までは可動式の橋がかかっていますが、これが埠頭とマナウスを結ぶ唯一の道ということもあって朝も早くからたくさんの人や車が行き来しています。歩く人達は熱帯の太陽の下みんなペラペラのシャツを着ていて、いかにも南国らしい埠頭です。
そして埠頭には例の大型客船が停まっています。水面に近い埠頭から見上げると目の前には真っ白な巨大なビルがそびえ立っているかのようです。巨大な壁の一角に人が通れるぐらいの通用門が小さく開き、そこから真っ白なタラップが出ていて別世界の趣を感じさせてくれます。タラップの先にはカリビアーンらしい船員がいるんですが、ちゃんとセーラー服を着て靴をはいているところですでにアマゾンとは天地の差。アマゾンの船員といえば短パン一丁で上半身裸、足も裸足か草履が基本です。船員の横には船の概要を説明した看板がありましたが、それによると
だそうです。大型客船が着岸すると、群がってくる野次馬のためにこういった看板を出すものなんですね。
豪華客船を後にして、今日の船にヘッジを吊って場所を確保したらあとはフリータイム。昨日時間切れで入れなかったアマゾナス劇場に行きましょう。
マナウスの町はアマゾン川河畔ということで平らな町を想像するかもしれませんが、これが結構坂道の多い町です。アマゾナス劇場は埠頭からダラダラと登る坂道の終点にありますが、通り沿いはマナウスの中心地。たくさんの商店やレストランがならび、路上には露店がひしめいていて活気にあふれています。雑踏にもまれながら坂道を見上げると両側に立ち並ぶ建物に切り取られた細長い空の下にアマゾナス劇場のドームが遠く見えます。このドームこそアマゾナス劇場の象徴、ブラジル国旗をあしらったモザイクで彩られていて、熱帯の空の下に神々しくそびえ立っています。
アマゾナス劇場
ドメニコ・ジ・アンジェリスによってゴム景気の最盛期の1896年に建てられたオペラハウス。建築材料はすべてヨーロッパからの取り寄せで、当時のマナウスの繁栄ぶりがうかがえます。調度品もヨーロッパからの取り寄せで、イタリアの大理石やオーストリア製の家具など一流の物が現在も残っています。逸話によると当時のマナウス紳士は着終わったワイシャツをわざわざロンドンのクリーニング店に船で送っていたそうです。 当時は有り余ったお金で相場の十倍のギャラを払い、世界の一流のオペラ歌手などを呼んでいました。ゴム景気の後退とともに、一時はその役割を終えましたが、再び自由貿易港として脚光を浴びている現在、各種コンサートやオペラなどが開催されています。 |
アマゾナス劇場は自由な観光が許されていません。ガイドが付き添って館内を案内されますが、僕と一緒になったのは例の豪華客船からきた人々。ふだん見なれない外国人観光客に囲まれて緊張気味。
まず最初に案内されたのが大ホール。外観から予想したよりもはるかにこぢんまりとしたホールで、正面には舞台があり重々しい緞帳がおりています。舞台の前には長い歴史で黒光りしているイスがならんでいまが、足元には通風口のような吹き出し口がならんでいます。ガイドの説明によると、これは冷房だそうでここから冷気を送り出しているそうです。残念ながらどうやって冷やすのかは聞き取れませんでしたが、冷房施設はブラジルで最初のものだということです。また、マナウスはブラジルでは最初、世界でも三番目に電気が通った町だそうで、ゴム景気に湧いた当時の繁栄ぶりがうかがえます。こんなアマゾンの奥地に近代化最先端の町があったんですからね。
そのホールのまわりを四層のボックス席がぐるりと取り囲んでいて、このあたりが歴史あるオペラハウスらしいですね。聞いた話だと日本の演歌歌手もここでコンサートを開いたそうですが、西洋風のオペラハウスで演歌というのもなんだかヘンですが、逆に日系人の演歌にかける意気込みが伝わってくるというものです。
ホール見学が終わるとまわりを取りまく部屋の紹介。細かく彫り込まれた柱や大理石の壁や豪華なシャンデリアがありますが、そこかしこにアマゾンらしさも感じられます。階段の手すりに彫り込まれているのがブラジルの象徴、カフェの木だったり、足元の床がソリモンエス川とネグロ川を意味する茶色と黒の二色のモザイクになっていたりと圧倒的ヨーロッパ空間の中にもわずかな主張がありました。
次に案内されたのが休憩室。幕間の休憩時間や終演後のひとときをここですごしていたそうで、また夜にはダンスパーティもここで開かれていたそうです。壁にはアマゾナス劇場で最初に上演されたオペラの絵が描かれていますが、見てみるとインジオの青年が窓から女性を連れ出している絵です。その絵の通りロミオとジュリエットを元にしたオペラだそうですが、そこはブラジル、最後がハッピーエンドになっているそうです。そんな絵に見守られながら当時の社交界の面々がここでダンスに興じていたんでしょうが、そのころも今もマナウスの暑さは同じのはず。シャツ一枚でも暑いマナウスで人々は煌びやかだけど暑そうなドレスやタキシードを着ていたんでしょうかね?それとも着替えの服を10着ぐらい持って行って着替えていたんでしょうか。休憩室を見学するとこれで終わり。建物の残り半分は見ることなく終わったんですが、そこには何があるのか気になります。
アマゾナス劇場を見終わるとなぜかもう夕方近くになってます。どうしてアマゾンでは何もしないうちに時間が過ぎ去って行くんでしょうか。ブツブツ言ってもしょうがないのでホテルから荷物を回収して船に移動します。
ホテルから埠頭のそばを通ってフェリー乗り場に移動しますが、壁を一枚へだてた向こう側にはバスよりも大きそうなコンテナが山積みになっていて巨大な壁を作っています。その間をアームの高さが10mはある巨大なフォークリフトが走り回っていて、ゾーナ・フランカ(自由貿易港)マナウスの活気を感じさせてくれます。
船に到着してヘッジに横たわると、早速読書。マナウスの友人からもらった「栄光への岸壁」という山岳小説です。山もない真っ平らなアマゾン川の上で読む山岳小説というのもいい味だしてますが、なにせ久しぶりの日本語の活字なのでむさぼるように読みふけります。同じく長期滞在している友人達に「日本で何が恋しい?」と聞くと食べ物だったり音楽だったりいろいろですが、僕は圧倒的に山ですね。山の上でのんびりするときのあの開放感をもう一度味わってみたいです。山には360度地平線に囲まれたときの開放感とも違う、独特な崇高感がありますね。
やがて出港。これから一路東のサンタレンに向けて旅立ちます。マナウスと最後のお別れをしようと最上階のデッキに出ようとすると、ここで友人と遭遇。サンタレンで落ち合うことになっていた滞在仲間の4人組です。マナウス=サンタレンという基幹航路ながら、それほど船数が多くないアマゾンではこういったこともよくあるのかもしれません。
出港後は涼しい風に吹かれてしばしデッキで友人達とお話。デッキのバールで買ったビールが心地よい。こうやってデッキでのんびりするのにも実はわけがあります。それはエンコントロ・ダス・アグアス。直訳すると「水の合流」。その名の通りコカコーラ色のネグロ川の水と、コーヒー牛乳色のソリモンエス川の水の合流点ですが、比重の関係などでお互いに混ざらず、数kmにわたって白と黒の境界線ができるんです。アマゾナス劇場の床の白と茶色のモザイクのモデルとなった現象です。
楽しみにしながら待っていましたが、実際に見てみると、きっちりと一本の線で分かれているのではなくて、黒と茶色のモザイクになりなっています。以前、上海から日本に帰る船の上で、同じような現象(上海市内を流れる黒い黄鋪江と茶色い揚子江)を見たんですが、そっちの方が境界線が直線になっていてきれいでしたね。
1月26日 水曜日
やはり夜のアマゾン船のヘッジ(ハンモック)は寒く、持ってきた毛布にくるまりながらすごしましたが、朝になってみると心地よい風が通り抜けて船旅特有の爽やかさがあたりに漂っています。と思ったら友人達が疲れ切った顔で出てきました。友人達はカマロッチ(個室)のベッドの上で寝ていたんですが、昨晩はかなり揺れたそうで、窓のないカマロッチの中でひどい目にあったそうです。窓のない空間で揺れるとてきめんに酔いますからね。
以前日本から船で中国に行った時の話ですが、窓のない船内の風呂に入っている時に突然船が揺れ始めたもんだから普段は乗り物酔いしない僕なのに、ゲロゲロに酔ったのを思い出しました。そしてかけこんだ船内のトイレには嘔吐用の便器もどきがちゃんとあったのに驚いたりしましたね。それは日本のお風呂みたいな正方形の物で、レバーを引くと水洗便所みたいに真ん中の穴に排水される仕組みで、乗船した時は何のための物なのか分かりませんでしたが、船酔いしてみて初めて分かりました。しかも各辺が1mぐらいあり、詰めれば8人の船酔い野郎がいっぺんに嘔吐できるという優れもの。幸いその時は僕一人で使えましたが、8人同時にゲロゲロするのを想像すると、かえって船酔いがひどくなりそうですね。
話がわきにそれましたが、ヘッジで寝ていた僕は船が揺れたことも気づかずにぐっすりと眠っていました。よく考えてみるとヘッジが船の激しい揺れを吸収してユラ〜リユラ〜リと揺れてくれるのがいいのかもしれません。確かに本を読む時もデッキで読むと頭がクラクラしますが、ヘッジの上で読むとそんなことがないですからね。思わぬヘッジの効能を発見してしまいました。
朝のカフェも終わってひとだんらくした後は、心地よい風に吹かれてのんびりと本を読む。ふと目を外にむけると太陽の光を燦々と浴びて光り輝くアマゾン川……といきたいところですが、うるさいんだよ!!!
船の最上階デッキにはバールがあるんですが、そこではこれでもか!というぐらいの大音量で音楽がかかっていてイヤになります。ブラジル人が集まるところ大音量の音楽ありです。昨年七月にギマランエス高原に行って、雄大な景色を眺めようと思っていたらカーステをガンガン鳴らして踊ってるやつらがいたし、週末になると家の近くのディスコが朝の5時ぐらいまで1km四方に聞こえるような大音量で音楽鳴らしてるし、昼間でも横浜大黒埠頭サービスエリアでしか見かけないようなスピーカーの塊と化した車が音楽鳴らして走ってるし、あ〜〜もう、日頃の音楽にまつわるいや〜な思い出がよみがえってきてムカムカしてきました。
それにしても今日のバールの音量は常軌を逸しています。日頃は大音量音楽に目がないブラジル人もさすがに今日の大音量はこたえるらしく、バールにはほとんど客がいません。客が来なくなるぐらいの大音量じゃあ元も子もないだろうと思うんですが、お構いなしに音楽は続きます。店員は雇われらしき若いお兄ちゃんなので、店の売り上げよりも自己満足の方が大事のようです。
話は飛びますが、ブラジルで大音量バールに出くわすたびに「よくこんなとこで話ができるな」と思っていたんですが、実際に入ってみるとブラジル人達はそれに負けないぐらいの大声で話してました。それに慣れているもんだから、日本の出稼ぎ達は大声で騒いでしまってひんしゅくをかっているみたいです。とくに団地では壁を隔ててブラジル人と日本人が生活しているで深刻みたいです。大声で騒がないと欲求不満がたまるブラジル人と、大声で騒がれると欲求不満がたまる日本人。なかなか難しいものがあります。
さて、そんなうるさい船の唯一の楽しみはお食事。前回の船では後ろの方のテーブルでしたが、今回は船縁に組立式のテーブルがあり、それを広げてみんな一列に座ります。目の前には蕩々と流れるアマゾンの雄大な景色が広がっていて、なんとも言えない開放感です。世界最大の川を目の前にして食べる食事。もしかしたら世界で一番贅沢なリバーサイドレストランかもしれません。ただ、出てきた食べ物はやっぱり肉を中心とした煮物。まわりを川に囲まれていて、魚には困らないのになんで肉なんでしょうか?
昼御飯を食べる頃には機能を停止するのがアマゾン生活。ホームページのアマゾンの風にも書かれてますが、暑い暑いアマゾンでは昼寝をして体を休めるということが怠惰ではなく、必然なのだと感じます。ということであのうるさいバールも昼休みで静かになりました。チャ〜ンス!大きな船でも小さい船でも一番気持ちがいいのはデッキの上と決まっているので、静かなうちに行きましょう。
今日のデッキのお供は笛。小学校で練習したリコーダーです。子供にリコーダーを教えている関係で、このところよく吹くようになりました。かさばらないし、簡単に吹けるので旅先には最適ですね。時間だけはたくさんあるのでブラジルで聞いたメロディーや日本の歌謡曲を練習しようと思ったんですが、新たな発見。風が強いところでは笛は吹けないんですね。強い風が吹くと音がゆれちゃって演奏になりません。バールの裏手の風の当たらないところでは問題なく吹けるんですが今度は蒸し暑くなります。これからアマゾン船に笛を持ちこむ人は要注意。
笛を吹いたり本を読んだりヘッジでウトウトしたり、アマゾン船での生活はのんびり。日本やサン・パウロとは時間の流れが違います。日本では時間というのは時計の中にあり、頭の中には明日のことしかありませんが、アマゾンの時間は違います。空気のような存在で、感じることはできませんが、身の回りに実在するものでした。いつも変わらない川の流れを通じてはるか未来や過去とつながっているのが実感できます。本の中の存在でしかなかった恐竜や1000年後の世界との確かなつながりを感じることができます。そんな大きな時の流れの中では自分なんて小さい小さいとも思いますが、逆に80年ぐらいとはいえ、この世界に存在できることに感謝したりと日本では味わえないような経験ができます。
そんな静寂を打ち破るように水平線に見えてきたのは大型客船。なんか見たことあるなぁと思っていたら、昨日までマナウスに停泊していた大型客船です。僕達がマナウスを出た時はまだマナウスにいましたが、あの後出港し、寝ている間に追い抜かれていたんでしょう。近づいみると船はすでに錨を下ろした後で、接岸用の小型船に乗客達が乗りこんでいました。大きな船には救命艇が積んでありますが、こんな使い方もあるんですね。
マナウスからサンタレンの間に大型船が立ち寄るようなところは一ヶ所しかありません。パリンチンスでしょう。パリンチンスといえばボイ・ブンバの町として有名。毎年六月末にはアマゾンのみならず世界中からこの町に集まるんだなぁと思うだけでなんかわくわくしますね。
後のニュースで知ったんですが、大型客船がパリンチンスに寄港するのはこのブラック・ウォッチが初めてのことだそうです。乗客はボイのショーをいたく気に入ったようで、これからも新しい観光資源としてボイ・ブンバが注目されるだろうということでした。
こういったこと以外になにも変わったことがないのがアマゾンの船旅、いつのまにか夜になっていました。見渡すかぎり人家もなく、明りといえば水面を照らして障害物を探す船の探照灯と満点の星空しかありません。そんな手つかずの星空を眺めていたら、たくさんの星が風に吹かれるように流れていきます。アマゾンでは星も流れるんだ、と思っていたら蛍でした。水面を蛍が飛び交っているんです。つかの間の涼しさを楽しむかのようにたくさんの蛍がアマゾン川の上を飛んでいて、船の上から見ると流れる星の海を航海しているかのようでした。
とのんびりとしていたら、深夜になってみんなざわざわと騒いでいます。外を見ているとアマゾン川には珍しく、両側を切り立った崖に囲まれて川幅が狭くなったところに建物があり、そこに横付けするようです。建物には「カンジルチェックポイント」と書いてあり、どうも連邦警察のよう。やがてガヤガヤとうるさい船内に連邦警察の検査官が乗りこんできて、懐中電灯で顔を照らしながら身分証明証を確認し不審人物が乗っていないか調べています。こんな時、本能的に逃げ腰になってしまう僕はヘッジに深く横たわり、寝たふりをしますが、船員がご丁寧にも「ここに日本人がいる」などと言いやがったので、見つかってしまいました。早速「外に下りろ!」です。
他のブラジル人は連行されませんでしたが、僕と友人の五人が船外に連行されます。船べりにはブラジル人が鈴なりになって興味深そうに見ており、なんか見世物みたいでやな感じ。別に悪いことしてないのに後ろめたささえ感じます。建物に入るとそれぞれ身分証明証を確認されますが、僕はちょっとやばい。他の人はちゃんとした外国人登録証を持っていますが、僕は期限切れの仮登録証しか持っていません。というのも僕が申請した町の連邦警察はまったくやる気がなくて、去年の五月に申請した時には「二ヶ月でできる」などと言っていましたが、いまだに出来上がってないんです。
案の定期限切れの仮登録証に難癖をつけられ、いろいろ問い詰められます。ビザのスタンプが押してあるパスポートや、そのコピーを持ってきていなかったので、さらに面倒になりそう。
僕「俺は知らん!申請はしているけど発行されていないのはあんたら連邦警察の問題だ!」
警察「なら警察で仮登録証の延長申請をしろ」
僕「サン・パウロの警察は『このままで大丈夫』と言ったんだから、そんなこと言われても困る」
警察「しかし規則は規則だ。不法滞在になる。」
僕「じゃあ日本大使館に連絡してくれ。僕は国の仕事でブラジルに来ているんだから」
などとほとんど水掛け論に等しい会話が何度か繰り返されましたが、なにぶんもう夜でどこにも電話できないことから結局ウヤムヤになり、「サンタレンについたら必ず連邦警察に出頭して確認しろ!」と言われて開放されましたが、「絶対行かんけんね!」と心に決めてふて寝することになってしまいました。