昨晩はアマゾンらしいのんびりとした夜を過ごしましたが、友人宅に帰ってからそれとは全く正反対のパソコン修理が待っていました。宿泊代の代りに友人のパソコンのOSを全部入れ替えてあげたんですが、いったんパソコンに熱中しちゃうとそこがアマゾンであろうと日本であろうと一緒ですね。じりじりと蒸し暑いなか、扇風機とビールを片手にパチパチと機械をいじっているとここがどこだか分からなくなってしまいそうです。この原稿ももちろんブラジルで書いているんですが、パソコンに向かっていると日本からは日本語のメールが届き、ホームページでは日本のニュースをリアルタイムで読むことができます。こんな環境で半日も過ごした後で町に出ると、急に外国に着たような気分になってしまうんです。これがインターネット社会なんでしょうか。
結局午前中はパソコン修理で終了。午後から行動開始ですが、今日は裸足です。
昨日の山を無謀にもサンダルで登ったんですが、案の定下り坂で崩壊。もちろん普通の運動靴も持っているんですが、こんなクソ暑いサンタレン( Santarem )では靴をはこうという気にもなりません。それにここはアマゾン、靴をはいていない人も結構いるんでそれほど目立たないだろうと思って裸足で出動です。ひんやりとした階段を下って通りに出てみると、あれっ?みんな靴はいてるやんか!
そうでした、ここは曲がりなりにもサンタレンのセントロでした。革靴はさすがにいませんが、スニーカーや草履をはいた人ばっかりで裸足の人はいません。自分が浮浪者になった気分で、「早く靴屋を見つけんといかん!」とばかりに足早に靴屋を探しますが、どうも落ち着きませんね。裸足で靴屋を探し回るってのはパンツをはいていなくて、パンツを求めてうろうろするようなもんです。普通の人がやることではありません。
やっとたどり着いた靴屋ですが、ありがたいことに草履がたくさんあります。ホントに安っぽいやつから、バンドで何箇所かとめられるようになっていて歩きやすいものまで盛りだくさんです。昨日壊れた草履はサン・パウロ( Sao Paulo )で買ったんですが、サン・パウロのお店よりも圧倒的な品揃え。さすがにアマゾンらしさを感じます。お気に入りの一足を見つけて喜び勇んで帰り、友人にこのことを報告すると、「そうなんよ。アマゾンって物はないけど、草履だけはたくさんあるんよね。だから日本の家族や友達にもアマゾン土産のかわりにたくさん送ったよ」と教えてくれました。
足回りも揃えたことなので、早速出発することにしましょう。今日の目的地はベルテーハ( Belterra )。サンタレンから南に一時間ほどのところにある入植地ですが、他の入植地と違ってフォードが戦時中のゴム不足に対応するために開拓したところなので町の雰囲気もアメリカ風らしく、なんとも旅心を刺激しますね。
ベルテーハ行きのバスは昨日のバスとは一転してかなり昔に新車だったであろうバスです。薄汚れていて、シートも一部破れていたりするんですが、そんなバスのほうがアマゾンに似合っているように思えます。やってきたモトリスタ(運転手)もアマゾン風。サン・パウロ付近のバスはどれもこぎれいで、運転手も白シャツにネクタイと日本並みにキッチリした格好をしていますが、モトリスタ・アマゾネンシはまるで客の一人みたいな格好で、茶色く汚れたジーンズにシャツ一枚です。始めはシートに座っていて、乗りこんでくる客たちとお話なんかしているので客かと思いましたが、おもむろに運転席に乗りこむとバスは出発。
昨日のバスは観光地のアウテール・ド・ション( Alter do Chao )行きということで観光客風の人達もみかけましたが、今回は完全な生活バス。乗りこんでくる人達も近所のおっちゃんやおばちゃんばかり。野菜を山のように抱えて乗りこんでくるおばさん、鶏を抱えているおじさん、と盛りだくさん。みんな思い思いのところから乗ってきて、思い思いのところで下りて行きます。たくさんの子供たちを連れたまだ若そうなお母さんが「ここで下ろして!」と言ったところは人家も何もないところ。ジャングルに囲まれた何もないところで降りて、この家族はいったいどこへ行くんでしょうか。でも不思議とそれが当たり前のことに思えてくるのがアマゾンなのかもしれません。
人々を乗せたバスがひた走る道は気持ちいいぐらいまっすぐな一本道。道路から30mぐらい離れた両側には昔のジャングルの面影を残す密林が迫っていて、「人間 vs 自然」という戦いをひしひしと感じることができます。この道はサンタレンからブラジル中部のクイアバ( Cuiaba )まで密林を切り開いて作ったサンタレン=クイアバ街道の北の端。ここから何千キロも先のクイアバまで緑の脅威をはねのけながら続いているんだぁと思うとブラジルの底力というか自然に対する人間の努力を感じてしまいます。
やがてバスはアスファルト舗道からはなれ、赤っぽい土がむき出しの細い道に入ります。所々に開拓者風のバナナの葉葺きの小屋が見えますが、その多くは人が住んでいないらしく荒れ果てていて、家の周りは背の高い草に覆われています。先ほどまでは「人間の力」を感じさせる道でしたが、次々に密林に埋もれていく家々を見ていると「緑の脅威」を感じます。やはりアマゾンの力には誰も逆らえないのかもしれません。
バスは進んでいきますが、進むにつれて、だんだんと家は少なくなり、緑はいっそう濃くなっていき「こんな先に町があるんかいなぁ?」と思うと心細くなります。しかし草の茂る角を曲がったとたん、目の前にはまさに「アメリカ!」といった感じの大きな道路がドーンと広がっていて、両脇には緑の庭に彩られたこざっぱりとしたアメリカンハウスが立ち並ぶ町が出現。道は舗装もなく、決して現代風とは言えませんが、30年代アメリカを思わせるコロニアルタウンが飛び出してきました。ベルテーハです。
サンタレンの友人から「ベルテーハに泊まるならここ」と教えてもらったホテルを運転手に言うと、「ああ、ジャポネースのポウザーダなら町の反対側だよ」とのこと。そのホテルはサンタレンの日系人会前会長がやっているポウザーダです。その人は岡田さんという人で、サンタレンに日本食レストラン「るみ」を開いていたんですが、それを娘夫婦にゆずってベルテーハに越してきたそうです。
広々としたベルテーハの町を通りぬけて、再び密林に入りこもうかというあたりに岡田さんのポウザーダ「セリンゲイラ( Seringueira )」があります。セリンゲイラとはゴムの木のことで、このあたりにはフォードが植えたたくさんのゴムの木が今も残っているそうです。ポウザーダに入ると、日本の女優のポスターが出迎えてくれちょっとびっくり。このあたりにも日本人の宿らしさがにじみ出ています。ちょっといい気分になって「すみませ〜ん」と日本語で話し掛けてみると、奥のほうから小柄な岡田さんが出てきました。アマゾン入植者ということで、すごい人を想像したんですが、一見したところ普通のおじさんでした。
そしてもう一人、日本人青年も出てきました。この人は松田さんと言う人で、以前モンテ・アレグレ( Monte Alegre )の町にJICAから派遣されていて、いったん日本に帰ったあと稼いだお金をたずさえてファゼンダ経営のためにやって来たばかりです。まだ、お金が日本から届かないので、届くまでここに住んでいるそうで、今は農場を探す毎日とか。僕みたいに安穏と暮らして旅行にうつつを抜かす青年もいる反面、松田さんのようにアマゾン開拓に夢をかけてやってくる青年もいるんだなぁと思うとちょっと恥ずかしくなってしまいした。挨拶もそこそこに二人といろいろと話し込みますが、二人ともアマゾンで夢を追う人だけあって、話を聞くだけでアマゾンにかける情熱が伝わってきます。
岡田さんとベルテーハ
岡田さんは戦後移住した人で、農業移民から始まりいろいろな仕事をした後、レストランを開いてかなり成功しました。その当時に知り合ったのが現在のベルテーハ郡長で、まだ貧しかった彼のためにいろいろと世話をしてあげたそうです。その後、彼は出世してベルテーハの郡長になりましたが、その彼がやったのがベルテーハの観光地化。当時からベルテーハはブラジルには珍しいアメリカ開拓村ということでしたが、これをなんとか観光資源として活用できないかと考え、岡田さんをサンタレンの町から呼びました。郡長はそれまで使われていなかった昔のポウザーダを岡田さんに無料で提供し、岡田さんがそれをリフォームしてポウザーダ「セリンゲイラ」がオープンすることになったんだそうです。 そんなベルテーハの歴史ですが、日本と思わぬところで深くかかわっています。もともとアマゾン一帯はゴムの世界的産地として未曾有の景気に沸いていましたが、イギリスのヘンリー・ウィックマンがゴムの種子を運び出して東南アジアにゴム園を開いて以来、ゴム景気は去り、アマゾンのゴム農園は斜陽化の一途をたどっていました。しかし、その後日本と欧米各国の関係が悪化し、東南アジアのゴム園が日本軍に占領される危険性が高まると、再びアマゾンのゴム園が注目されるようになり、1930年代にアマゾン中流のベルテーハにフォードのゴム園が開かれることになりました。 面白いことにそのゴム園の労働者として戦後よびよせられたのが日本移民。結局ベルテーハと隣のフォードランジア( Fordlandia )には計三回の日本移民団が入植することになりました。しかし戦争も終わり、アマゾンでのゴム生産の必要もなくなったので、第三回移民の到着直後にフォードは農園を売却。職を失った移民たちはあちこちの町に散り散りになってしまいました。その多くがモンテ・アレグレに移住していったという話です。 日本にいると「秘境」と言われるアマゾンですが、日本人とは昔から縁があるんですね。そう思うと今の日本人よりもその頃の日本人のほうがよほど海外での行動力があったのかもしれません。 |
岡田さんや松田さんの現代移民の話を聞いていると時間がたっていくのも忘れてしまいます。松田さんの話によると、いまどきサン・パウロなどの南のほうは大規模農場が支配していて個人のファゼンダではとうてい太刀打ちできません。その点、アマゾンは奥地のためか、大資本がまだ入ってきてなくて、個人の才覚でいろいろと事業ができるそうです。さらにアマゾンの人々は日本人に較べるとのんびりしていて商才もあまりないので、日本人がちょっと知恵をしぼって頑張れがなんとかなるみたい。
農業移民の人達はみんな同じような思いで海を渡って来たんでしょうから、少し話を割り引いたとしても、やはり夢のある話です。成功するかどうかはともかくとして、そうやって夢を追って生活できる松田さんがうらやましい。
晩御飯で出された焼き飯とお味噌汁とともに忘れられないアマゾンの記憶の1ページとなりました。
1月30日 日曜日
おいしい日本食を食べてぐっすり寝ていたんですが、夜中に猛烈な雨と雷でたたき起こされます。その後も寝たり起きたりしているうちに、いつのまにかポウザーダの灯りや窓の外の街灯が消えて真っ暗になっています。どうも停電のようです。そのままほっといて寝ましたが、朝起きてもまだ電気が来ていません。テレビも見れないので、ぶらりと外に出てみると疑問氷解。町からポウザーダへ続くたった一本の電線のすぐそばに生えていた大木がものの見事に倒されていて、電線を切断しています。これじゃあ停電するわけです。
もうその頃には雨もだいぶん上がっていたので近くをブラブラと歩いてみます。行きがけのバスの中で目に付いた、町の真ん中にある公園に行ってみることにします。雨上がりのきれいな空のもと、幅広い道路が公園まで続いています。道路の両側にはこじんまりとした木造の家が立ち並び、家と道路の間にはよく手入れをされた庭が広がっていて、住人達が昨日の大雨で撒き散らされた木の葉を掃き集めています。
町の真ん中にある公園はかなり広く、芝生の運動場のなかにサッカー場やバレーコートがあるうえに、ブラジルの公園ではあまり見かけないブランコやシーソーなどの遊具もあり、子供たちがキャッキャと遊んでいます。やはり公園の雰囲気もどことなくブラジル離れしていて、アメリカチックです。また、それはどこか日本の公園の姿にも似ていて、ベンチに座って空を見上げたりバレーボールを見たりしていると、東京にいたころの日曜日の午後を思い出します。
公園を後にして再び町を歩いてみると、アメリカ風の町の外には鬱蒼としたジャングルが広がっています。アメリカ風の町並みとジャングルのギャップが激しく、それがかえって僕の興味をかきたてます。森の中には何があるのか確かめてみたくなった僕はさっそくポウザーダで自転車を借りて森の中に入り込むことにしました。
町を外れると今までのアメリカ文化はあっという間になくなり、まわりの木々がここはアマゾンなんだということを強烈に主張しています。道は密林を強引に切り開いたようで、道路の横には切り倒されたばかりの木が倒れていて、アマゾン開拓最前線といった雰囲気。田舎の道で通りすぎる車も少ないんですが、なぜか道幅は広く、遠くの青空に向かって一直線の道です。
そこに突如出現したのがIBAMA(国立天然再生資源院)の実験林。植林されたとおぼしききれいな森が広がっていてまわりの無秩序な森林とは一線を画しています。緑色の木漏れ日あふれる森は日本の森を思い出させます。何を実験しているのかは知りませんが、こういった気持ちの良い森が広がるといいなぁと思うのは身勝手でしょうか。
のんきにあちこちと自転車でさまよっていくうちにいつのまにか広場に出ていました。かなり広い範囲の森が拓かれていて、雲にぽっかりとあいた穴のようです。しかしそんなのんきな気持ちを吹き飛ばしてくれたのが広場中に広がる十字架の群。そうです、ここは墓地でした。今まで地元のリンス( Lins )の墓地やサン・パウロ( Sao Paulo )の墓地に行ったことがあるんですが、ここは全然違います。あちらは石造りの墓石がほとんどですが、こちらは木製ばかり。決して豪華とは言えない手作りの白木の十字架で、その前には土饅頭しかありません。何の飾りもない素朴な墓を見ていると、これを作った人々の貧しさとやさしさと悲しさがこちらまで伝わってきて胸が一杯になります。
そして何よりもサン・パウロと違うのが十字架でした。十字架には生年と没年が書かれていて、下に眠っている人の寿命が分かるようになっているんですが、短いんです。サン・パウロよりも圧倒的に短い寿命です。40歳台や50歳台が多く、70年以上生きた人はあまりいません。逆に10歳にもなることができずに死んでいった子供達の小ぶりな十字架の方が目についてしまいます。これまでアマゾンで出会った人達は陽気で親しみやすい人ばかりで、のんびりした生活を送っているのをうらやましく思っていましたが、現実は厳しいんだということを目の前に突き付けられた気がします。
ともすると旅人の僕はアマゾンやアジアの田舎のような町に行くと「いいなぁ〜」と思っていましたが、そういった見えない現実に気づかなかっただけだったのかもしれません。今まで忘れていた事実に呆然としてしまい、そこから動くことができませんでした。
しびれたような頭のままで町へ戻ります。行きがけの道よりも古い道で、両側にポツポツと家が並んでいますが、ベルテーハの街中のアメリカ風の建物とは全く違うアマゾン開拓者住宅です。家々の間には粗末ながらも商店がならんでいて、街中のたそがれてしまった店よりもかえって活気を感じます。おりしも夕方の帰宅時で、自転車に乗ったおとうちゃんおかあちゃんが一仕事終えた涼しげな顔で通りすぎ、こちらはまだまだ元気いっぱいの子供たちが走り抜けていきます。昔、アジアの農村を歩いた時に感じたふつふつと湧き上がるエネルギーみたいなものでしょうか。そのような力をアマゾンの中で見つけました。
アマゾンの幸せな夕方を見ながら走っているうちに、いつのまにか細い路地に入りこんでいました。道は粗末な板塀の間を通りぬけ、そのうち家もなくなってしまいました。両側をジャングルに囲まれた、人がやっと一人通れるぐらいの細い道です。ジャングルといっても原始林ではなく、再生林ですが、アマゾンの自然に囲まれているという感慨がわいてきます。でもその景色はどこか日本の山奥に似ていて、懐かしささえ感じさせてくれました。
ひとしきり走り回った後は、ポウザーダで再び岡田さん達とのんびりしたひとときを過ごします。今晩の肴はサッカー。オリンピック予選のブラジル×コロンビア戦です。これは予選リーグの最終戦で、ブラジルはすでに決勝リーグ進出を決めていたので消化試合。コロンビアも6点差以上つけられて負けない限り予選通過が確定するのでお互いのんびりムードの試合かと思っていました。
しかしふたを空けてみれば、のんびりしていてたがが緩んでいたのはコロンビア代表。ブラジル代表は肩の力が抜けてのびのびと試合をしているようで、軽快な動きでコロンビアを攻め立てます。コロンビアは防戦一方で緩みきった気持ちを戻すことができす9×0で歴史的な大敗。なんとチリが予選通過することになってしまいました。以前、ワールドカップで敗戦の決め手となるオウンゴールやってしまったコロンビア選手が国に帰って射殺されたというニュースを聞いたことがあるだけに、これから思い足取りで帰るであろうコロンビア選手団に思わず同情。 ちなみにチリチームは予選敗退を予想して
1月31日 月曜日
今日はベルテーハ最後の日です。
朝早く起きて、ポウザーダのまわりの自然観察です。ポウザーダの名前は「セリンゲイラ(ゴムの木)」ですが、その名の通り周囲をゴム林に囲まれています。岡田さんの話だと現在はゴムの採取はやってなくて、開拓当時のゴム林が残っているだけだそうですが、林に入ってみるとゴムを取るための斜めの切れこみが残っている木も多く、細々としたゴム採取は続いているようです。
そのゴムの木をよく見てみると、表面に不自然な土がついています。それは腕に浮き出る血管のように、地面から枝に向かって広がっていて、どうやら蟻の通路のようです。確かめるために一部壊してみると土のトンネルの下は首都高速も真っ青なぐらいのたくさんの蟻達が上に下にと猛烈に移動していました。トンネルを壊してしばらくは右往左往しながらうろたえていますが、やがてそれまでのように流れていきます。また、壊れたトンネルのふちには工事担当者がやって来て、あっというまにトンネルを修復していきます。働く蟻には申し訳ないけど、修復するたびに別のところを壊して、蟻の作業を観察していましたが、やがていつものいたずら心が出てきてしまいました。早速行動開始。
まずは別々の木の蟻トンネルを壊して、様子を見ますが、どちらも同じ種類の蟻のようです。それではということで片方のトンネルから蟻を一匹だけ木の枝でつまみ出し、もうひとつの蟻トンネルにそっとおいてみました。新しい集団の中に移された蟻は、あきらかに戸惑っています。他の蟻達は壊れたトンネルを修理したり、食べ物を運んだりとせわしなく働いていますが、その蟻だけは集団に溶け込まず、やがて木をたどってどこかに行ってしまいました。人間から見ると同じように見える蟻ですが、やはり集団を識別する何かを持っているようです。
暑いアマゾンの森でひとときの自由研究を楽しんだ後、青年開拓者の松田さんに案内されてプライアに連れていってもらいます。今は雨季で水もにごっており、プライアまでも道も良くないので客は少ないそうですが、もともとベルテーハは、プライアの町として知られていて、週末にはサンタレンあたりから観光客が訪れているそうです。
プライアへの道すがら松田さんからアマゾンの農業の話を聞かせてもらいます。
彼はJICAから農業指導という肩書きでモンテ・アレグレにやって来ましたが、現地ではそんな若者の場所などあるはずもなく、仕事もないまま放っておかれます。その松田さんが三年間一人でいろいろとやってみて、これならいけると思ったのが放牧。いろいろと試した結果、一歳ぐらいの牛を一年間育てると一番儲かるということを経験からはじき出し、夢をかけて今年再びアマゾンにやってきました。まだアマゾンの牧畜はのんびりしていて、日本人がちょっと頭を働かせると上手に儲けることができるのも魅力とか。たとえば牛を売る時。売る直前に塩と水を大量に飲ませると、あっという間に40kgぐらい太るそうです。経験のある人の目にかかれば、そんな牛はすぐに見分けがつくんですが、そうじゃない人も多く、この手で結構儲かるらしいです。
松田さんに言わせると農業は「うまみがうすい」。このあたりで農業といえば野菜ですが、野菜ははずれが少ないぶん、大もうけも少なく魅力に欠ける上に、アマゾンの土は数年たつと痩せてしまい、野菜があまり育たなくなるそうです。それを防ぐためにはジャングルを新たに切り開き、痩せた土地をしばらく放置するのが一番なんだそうですが、最近はブラジルの環境庁の監視が厳しく、ジャングルの開発が難しいため、ますます魅力がないそうです。
「日本にいて一生人に使われるよりも、こっちで使用人を使って農業をするほうがよっぽど楽しい。他にもJICAの同期がパラグアイやパタゴニアで農業移住をしているので、お互いに情報交換しながら頑張ってる。それになんといってものん気なところがいいよ」
松田さんみたいな技術も勇気もない僕ですが、なんともうらやましい限りです。
話をしているうちにプライアに到着しました。水を見ると、ネグロ川のようなコカコーラ色で、お世辞にもきれいなビーチとは言えません。乾季になると真っ青な川が広がるそうで、今は一年で一番客が少ない時期とか。言われてみると、プライアには海の家らしきものもいくつかありますが、すべて閉まっていて、観光客もいません。静かな静かなプライアです。こんなプライアに海の家を一軒建てるのにかかる値段は1500R$(90000円)ほど。地価の高い日本と同じ地球の上にあるとは思えない値段です。もちろん物価の安いブラジルでは大金ですが、それでも一年分の給料で建てられる計算になります。一生働いて家が一軒建てられるかどうかの日本を思うと「アマゾンが正しいのかもしれない…」と思ってしまいました。
ポウザーダに戻ると、帰りのバスまで岡田さんとお話。岡田さんはここからちょっと離れたところに農場を持っています。そこはサンタレンから100kmほど離れたサンタレン=クイアバ街道のそばで、本当の原始林を見ることができるそうです。本当の原始林に入ると密集した木々のおかげで昼でも薄暗く、ひんやりしています。それぐらい日射量が少ないので、下のほうはあんまり木や下草が生えておらず、見通しはよく、足元には分厚い落ち葉の堆積物がふかふかのクッションになっているそうです。木々の高さは数十m。背が高く、薄暗い空間に鳥やホエザルの叫び声が響き渡るのが本当のアマゾンだとか。それを聞いてゲームのトゥーム・レイダースを思い出しましたが、そんなとこなら行ってみたい…
そろそろベルテーハも引き上げの時間となりました。ベルテーハの収穫はなんといってもアマゾンで生活する日本の人達の話を聞くことができたこと。このところ旅をしていて思うんですが、ガイドブックに載っている名所を確認する作業も楽しんですが、それよりも地元の人や旅人達とお話するほうがもっと面白いですね。アジアを旅する時にはドミトリーなどで大勢の旅人と話をしていましたが、ブラジルにはドミトリーがなく、その点ちょっと残念ですが。
この二日間で見たことや考えたことを反芻しながらサンタレンに戻ると再び文明生活。サンタレンの友人の友人のパソコンの調子が悪いというで早速出かけて見ると、そこはまだ若い一世のお宅で、子供も日本語を上手に話しています。日ごろ日本語を話す子供なんで見たことがないので思わず驚いてしまいますね。パソコンのほうは設定を少し直して上げたら元に戻ったみたいなのでそうそうに任務を終了し、そのご家族に案内されてシュハスカリーアに行くことになりました。
だいたいアマゾンまで来てシュハスコを食べるというのもナンですが、シュハスカリーアがあるんだからしょうがありません。行かなきゃそんそんです。連れいていってもらったシュハスカリーアは大きなガレージみたいなところでサン・パウロのそれのような派手さはありません。見たところ客もおらず、お肉の焼ける香ばしい匂いも漂ってこないのでちょっと心配になりましたが、営業はしているみたいです。
いざ、食事が始まってみるとサン・パウロのシュハスコとほとんど変わりません。「な〜んだアマゾンでもおいしいやんか」と思っていましたが、そうはいきません。ひとつだけ大きな違いがありました。
それはコラソン、コラソンとは心臓のことで、サン・パウロのシュハスカリーアでコラソンというと鳥の心臓のことで、小指の半分ぐらいの大きさの心臓がずらずら〜っと串刺しになってます。「このコラソンの一つ一つが命なんだよな…」と思ってしまうと食が進みませんが、ブラジル人に人気の高い肉です。ただ、悪性コレステロールが高いことでも有名でちょっとおなかが気になる方々の中には自粛していらっしゃる方もちらほら。
そのコラソンをたのむと出てきたのが他の肉と同じようなデ〜ンとした塊。明らかにサン・パウロとは違います。いや〜な予感がしながらも「これって何のコラソン?」って聞いたら「ボイ(牛)」と一言。確かに味は鳥のコラソンに似ているんですが、あんな巨大な塊はイヤだよ〜〜
これまでのところ魚とはほとんど縁のないアマゾン旅行です。