長々と滞在したサンタレン( Santarem )も、今日でお別れ。これからさらにボートで下って次の目的地、モンテ・アレグレ( Monte Alegre )という町まで行きます。
のんびりと遅くまで寝た後、サンタレン最後の朝ということで、あるお店に連れて行かれます。その店はセントロのど真ん中にある食堂で、食事時なのか客が大勢集まっています。店をのぞいてみるとせっせと働く店員の後ろのほうでいすにのんびり腰掛けたおばあちゃんがいました。どうも日本人のようです。友人に紹介されたその人は戦後移住の一世の女性でした。旦那をなくした後、一人でこの店を切り盛りしているとか。年の割に元気なおばあちゃんです。
「最近もうかってるから隣の店も買い取って大きくしたのよ」
と威勢良く話すおばあちゃんはあまりアマゾンの苦労を見せませんが、話を聞くとここにたどり着くまでに大変なことがたくさんあったとか。リンスの町では一世が少なくて移民初期の話を聞くこともあまりありませんが、日本からやってきた一世は現地生まれの二世とはちがった苦労があるようです。このあたりに入植した人達は「天然の楽園」という言葉に踊らされて、不毛地帯に送り込まれ、胸まで水につかりながらジュートを栽培したり、胡椒を栽培していたと聞きます。そして自然の猛威や胡椒相場の上下で一喜一憂を繰り返しながらここまで来ましたが、実際にはアマゾンでの生活をあきらめて帰る人や、もっとよい環境をもとめて南に再移住する人なども多かったそうです。
おばちゃんが作ってくれたムルシージュースの不思議な味とともに忘れられないアマゾンの思い出のひとつとなりました。
昼も過ぎると出発の時間が迫ってきました。河原の船着場までぶらぶらと町を歩きながら最後のお別れです。今日も真夏の太陽に照りつけられるサンタレンですが、よーく見ると路上に大きな落書きがあります。黄色と緑の極彩色で描かれているそれは98年のワールドカップ応援の落書きです。フランス大会のマスコットだったFOOTIXが描かれていますが、いつ見てもチョコボールのキョロちゃんみたいな顔をしていますね。
98年の大会でブラジルは決勝まで勝ち進みながらも、決勝戦ではそれまでがうそのような無様な試合をしてしまい、フランスに3×0で負けてしまいました。いまだに八百長説がうわさされる試合ですが、サンタレンの人々もみんなテレビの前に集まり、悲しみにくれたんでしょうか。派手に描かれた落書きを見ていると、アマゾンの奥にまで浸透しているブラジルのサッカー熱に驚いてしまいます。
もうひとつサンタレンでよく目にしたのが自転車。町のあちこちを涼しげに自転車が走り抜けています。ブラジルといえば広大な平原を想像する人も多いと思いますが、実際サン・パウロ州は丘また丘で、自転車で街中を走るとかなり辛い目にあってしまいます。そのため、街中で自転車を見かけることも少なく、見かけたとしても「ワタシじてんしゃガンバッテマス!」と言わんばかりのお兄ちゃんばかり。しかし平らなサンタレンの町では自転車が庶民の足です。アジアでよく見かけるような荷台の大きい作業用自転車もありますが、思いのほか新しいマウンテンバイクも走っています。なかにはサスペンション入りの恰好いいマウンテンバイクも走ってたりして、ここでも僕のアマゾンのイメージを覆してくれました。
自転車の群れを見ていて思ったんですが、乗っている人の大半は男性です。女性で自転車に乗っている人をあまり見かけません。これはサンタレンに限ったことではなくサン・パウロ州でもそうですね。日本でも「二十四の瞳」のころは女の先生が自転車で通勤すると「あの先生は男まさりだ」と噂されたようですが、ここでも女性が自転車に乗ることははしたない事だと思われているんでしょうか。重そうな買い物袋をぶら下げて歩いている女性を見るとママチャリを紹介してあげたくなっちゃいますが、ブラジルにはママチャリがありません。自転車は作業用かマウンテンばかり。ママチャリがあったら女性の労力がだいぶん減ると思うんですがね。ママチャリは日本以外には存在しないんでしょうか?
やがて出発の時間になり船着場に急ぎます。今から乗るのはモンテ・アレグレ行きの高速船。普通の船だったら6時間かかるところを3時間ほどで走り抜ける船です。見てみるとミズスマシのように平らな船に大きなエンジン室がついていていかにも速そう。でもその前に「この船は平べったいから横波に弱く、よく沈没するんだよねぇ」と脅されていただけにちょっと心配。旅行前にもアマゾンで船が沈没して二十人ぐらい亡くなったというニュースをみましたが、大アマゾンを船で旅してみるとそれもわかります。向こう岸も見えないような川で沈没してしまったら命はないです。ピラーニャもいるし。
サンタレンの友人と別れると僕を乗せた船は荒波を立てて進んでいきます。今まで乗ったアマゾン船は背が高く、デッキの上から川を見下ろしていましたが、今日の船は背が低いぶん視点が水面に近く、余計にスピード感があります。アマゾン川はよく海にたとえられますが、こうやって見るとやはり違いますね。目の前に広がるのは茶色い水の塊。水溜りの水を巨大にしたような色で、水面には細かい波がたくさんひしめいています。アマゾンは海ではなく川なので大きなうねりのような波はなく、風で打ち寄せられる小さな波しぶきがあるだけなのです。それでも水の流れと風に翻弄されて、船は右に左に大きく揺れ、きしむ船体からは悲鳴があがり、強暴なアマゾンの流れを肌で感じることができます。薄い鉄板一枚を隔てたこの水面の下には2mを超える大ナマズや世界最大の淡水魚ピラルクー、人さえも飲み込むといわれる大蛇、殺人魚としてピラーニャよりも恐れられるカンジルーがうようよしているのは確かですが、日本人の僕にとってはあまりに現実離れしていて、まるで遠いかなたの未開の惑星に迷い込んだかのようです。
か弱いながらも僕をアマゾンから守ってくれる(と期待してます)高速船は大きな波しぶきをたてながら驀進しますが、窓を開けていると水がもろに飛び込んできます。しょうがないので暑苦しい中窓を閉めますが、どこからか入ってくる風が心地よく吹き抜けていき、いつのまにか寝ていました。
まわりが騒がしくなって、気がついてみると両側に陸地が見えます。どうも本流からはずれ、モンテの港に続く支流に入り込んだようです。モンテ・アレグレ(楽しい山)というだけあって、川岸は小高い丘になっていて、緑の森林がびっしりと隙間なく続いています。緑の地獄とはよく言ったもので、「風の谷のナウシカ」の腐海もかくやと思うほどの迫力です。そんな森の間にポツポツと家が見えてきたらモンテも間近です。
モンテ・アレグレ
アマゾン中流にある小さな町。880の町を網羅しているブラジル版地球の歩き方「Guia Brasil」にも載っていないという稀少価値の高い町。公称人口は7万人とのことですが、見たところその半分はアマゾン川のピラーニャでしょう。主な産業は農業と漁業だと思います。最近世界でも最大クラスの巨大なウラン鉱床が発見され、日本を含めた各国から注目されています。町の奥地に住む一部の住人達はそのことを知らず、ウラン鉱石のたくさん詰まっている石で家を建てたりするため、放射能で汚染されているという話です。 |
モンテに上陸しますが大きさ的にはテフェの町と互角といったところでしょうか。それほどアマゾンを知っているわけではありませんが、典型的なアマゾンの町のようです。
重い荷物を持ってタラップをあがっていると人ごみの中から僕の名前を呼ぶ声がするので、そちらを見るといかにも力強そうな日本人が待っていました。今回モンテでお世話になる高谷和夫さんです。モンテには日本から一緒に来た友人がいて、その人が一番お世話になっているのが高谷さん。友人は用事で日本に帰ってますが、友人不在の間に僕もちゃっかりお世話になると言うわけです。
挨拶もそこそこに大きなピックアップに乗せてもらい、町をひと案内。最初に連れていってもらったのが港の近くで店を開いている和夫さんの弟の東夫(はるお)さん。獣医と飼料販売店をかねているおじさんで、市議会議員もやっているモンテ日系社会の有力者です。店は埠頭の近くにありますが、お店に入ってみたら驚き!ここにもパソコンがありました。いまどきどこにでもコンピューターはありますが、アマゾンのモンテにまで。しかもインターネットにも接続しているそうで、「アマゾン=秘境」というイメージはますます崩れていきました。
結局この日はそのまま和夫さんのお宅にお邪魔して、夜までお話三昧。町の観光などは後回しになりました。モンテにはしばらく滞在する予定なので、急ぐことはありません。
2月2日 水曜日
今日は東夫さんと一緒に郊外のコロニアに行く予定でしたが、仕事の都合でキャンセル。よって午前中はモンテの町の散策です。
モンテ・アレグレとは「楽しい山」という意味。その名の通りアマゾン川沿いの高台にある町で、上の町( Cidade Alta )と下の町(Cidade Baixa)に分かれています。お世話になっている和夫さんが住む上の町はどっちかというと上流階級が住むところ。しかし見たところそれほどはっきりした区別はないようです。
上の町は高台にあるせいかいつも風が通りぬけ、アマゾンに涼しさをもたらしてくれます。別名「風の町」と言われるゆえんでもあります。「風の町」という響き、いいですね。すがすがしさとともに一抹の寂しさを感じさせてくれるような、ちょっとたそがれた響きを感じるのは僕だけでしょうか。以前パキスタンカラコルムの山々をトレッキングしていた時に「風の谷」というところを訪れましたが、そこは荒涼とした谷間で四六時中風が吹きぬけ、おりしも谷一面に咲き乱れていた名も知らぬ花の香りが谷中に充満していてこの世とは思えぬ不思議なところだったことを思いました。
上の町から下の町までは長い坂道がありますが、坂道の一番上にある広場はこの町で一番景色のいいところ。眼下にはなだらかな坂が下の町まで続き、その先にはうねうねと蛇行するアマゾンの支流が遥か彼方、かすみの中に消えています。この景色だけでもモンテに来たかいがあるというもんです。広場にはおあつらえ向きのバールもありました。今は閉まっていますが夕方ここにきて暮れゆくアマゾンを見ながらビールを一杯いっかければ、それだけで幸せになれるような気がします。
ひとまわりして帰ると和夫さんから「壁画を見に行きませんか?」と声をかけられます。壁画というのはモンテの唯一の観光名所、町から少し離れた山の中腹にあり、今から5000年ほど前にインジオによって描かれたそうです。描かれた年代については異説もありますが、過去を伝える貴重な遺物として内外の研究者も訪れているモンテのなかでは有名なところです。
壁画には僕と和夫さんの他に、和夫さんの二人の娘、いずみちゃんとめぐみちゃんも一緒に行くことになりました。二人は今は長〜い夏休みの真っ最中。あまり刺激のない町なので恰好の暇つぶしです。車は昨日のピックアップで前には二人しか座れないので二人を荷台に乗せて出発することになりました。さっそく二人は荷台に乗りこんではしゃいでいますが、荷台に仁王立ちして風を受けている二人の横顔には普通の日本の女の子とは違う力強さがあって、アマゾンの風を感じてしまいました。
車は町を抜けるとダートロードを突き進みます。空にはどんよりとした雲が垂れ下がっていて、一雨降りそうな様子。両側にはジャングルらしきものはなく背の低い再生林ばかり。アマゾンを走っているというよりもアメリカかどこかの荒野を走っているかのようです。
やがて遠くにテーブルマウンテン状の山々が見えてきたら壁画ももうすぐです。最後のアプローチをガタガタと進み、山の真下で停止。見たところ標高70mぐらいの小さい山です。山腹にも背の低い茨のような木々が生えているだけで、その間に踏み跡が一筋山に向かって続いています。そこを30mほど登ったところに壁画がありました。
壁画は中腹の白い剥き出しの岩の上に赤く描かれていて、数千年前のインジオが描いたものらしく、素朴な絵柄です。人間のほかに水牛らしき絵もあって、当時からこのあたりには水牛がいたことをあらわしています。まわりを見まわしてみると小高い山に囲まれた平野がどこまでも広がっており、そのころのインジオはここで水牛を追う生活を生活をしていたんでしょうか。それともこのあたりは踏みこむことさえ出来ないジャングルだったんでしょうか。
このまま帰ろうかとも思ったんですが、目の前に山があって頂上に立たないんではプチ・山男を自称する僕の名折れです。道なき道をたどって上に上にと登っていきます。登山道はないんですが、人が通ったよかすかな跡をたどり、踏み跡もないところは登りやすそうなところを探して登っていきます。山は岩が多く、場所によっては両手両足を使って登らないといけません。見えない頂上を見据え、ルートを選びながら登っているうちにブラジルに来てからしばらく使っていなかった山の感覚を懐かしく思い出していました。
テーブルマウンテンなので、斜面を登ってしまうとそこからは平坦な頂上が続きます。こういうところが一番迷いやすいので振り返って帰りの道のりを確認しながらゆっくりと歩いて行かないといけません。まわりを見ると、背の低いブッシュや低木がまばらに生えているだけで、ところどころ木が生えていない広場があります。そこには焚き火の跡があったり、ごみが落ちていたりするので他にもここを訪れた人がいるようです。こんなところでかがり火を焚きながらビールでも飲んだら楽しいでしょうね。もちろん肴は満点の星空。天上の楽園とはまさにこのことです。
やがて最高点につきました。一息ついて周りを見まわしてみると思わず息を呑む光景。この山は孤独峰で、まわりには緑の衣をまとった平原がどこまでもどこまでも広がっています。ところどころに湖があるのがアクセントです。そしてアマゾンの方に目を向けると蛇行する茶色の流れがうねうねと横たわっており、遥か彼方でどんよりと曇った空にとけ込んでいきます。一筋の道路の他には人工物が一切見えない景色は雄大で、ブラジル版「母なる大地」を僕に教えてくれました。
山を下りると和夫さん達が待ちかねていました。体の隅々にまで染みわたるような冷たい水を飲んだら帰りましょう。空を見上げると今にも泣き出しそう。ガタガタ道を走っているうちにポツポツ、と思ったらあっという間に激しい雨になりました。荷台の二人は!と思って後ろを見たら、二人でビニールシートをかぶって小さくなってます。しかし窓越しにこっちに向けた顔は楽しそうな笑顔。二人にとってはこの雨も楽しみのひとつなのかもしれません。
このまま帰るのかな?と思っていたら「ちょっとこっちにも行ってみましょう」と寄り道することになりました。たどり着いたのはスポーツクラブのようなところ。雑草が生えた敷地の中に小さ目のプールがあります。
「はい、ここが温泉です。」
なんと、ここがアマゾン温泉でしたか!しかしお世辞にもきれいとは言えませんね。雑草が生えていてあまり手入れをされていないようです。横には更衣室のような建物があり、案内されてみると中には小さい温泉がありました。日本で言うと内湯ということになるんでしょうが、どうみてもトイレといった感じで、あまり入りたいとは思いません。あまりに貧弱な温泉ですが、もともとブラジル人はシャワーが一般的でお風呂に入る習慣がないし、このクソ暑いアマゾンでは日本人の僕でさえ暖かい湯に入ろうという気にならないのでしょうがないのかもしれません。
「嗚呼、哀れなアマゾン温泉よ。おまえも日本で生まれていたらもうちょっと日の当たる人生をおくれたのに…」
雨が再び降り始めたので帰ろうと思って個室から出てみると、外のシーソーではいずみちゃんとめぐみちゃんが楽しげに遊んでます。どこでも遊べる二人を見ていると、自分にもあんな時代があったんだろうか、と考えてしまいます。あったということにしておきましょう。
2月3日 木曜日
朝寝坊して起きてみると、和夫さんが台所で働いています。なにごと?と行ってみると「アカリを作ってんだ」。昼ご飯はアカリのようです。
アカリとはモンテ名物の魚。サン・パウロではカスクードと呼ばれている魚で、日本ではヨロイナマズと言われています。その名の通り全身をヨロイのような硬い殻で覆われたナマズで、殻の硬いこと硬いこと、カニの甲羅よりもはるかに硬いヨロイです。
これを刺身にしたり焼いたり煮たりして食べます。特殊な魚だけあって、和夫さんに見せてもらったさばき方も独特。怪我をしないために軍手をしているところからして変わってます。まずとげとげのひれを取り除いたあと、背中から縦に切れ目を入れ、そこから横に開いていました。いったん殻を開くと今度は殻から肉をはがして一丁あがり。刺身用に三十匹ぐらい開いたでしょうか。開いた魚の頭は別に集めて味噌汁のダシに使います。焼き魚のほうはひれを切り落としてそのまま炭火焼きするだけです。
出来あがると刺身に焼き魚に味噌汁と豪華フルコース。久しぶりの刺身に喜んで飛びつきますが、アカリの刺身はクセがなく淡白な味です。地元で釣れるトゥクナレやピラーニャの刺身と似たような味です。いつもサン・パウロで食べているように、たまねぎのスライスと一緒に食べると食欲増進でなおさらおいしいですね。一方、焼きアカリのほうは食べるのに少し練習が必要でした。殻が硬くて箸ではどうにもならなず、わりと柔らかい腹の殻をスプーンでバリバリとはがして中に詰まっている身をつつくのがモンテ流。こちらもさっぱりとしたうす味でこれまたいけます。そして味噌汁ですが、魚の頭をダシにした味噌汁でおいしくない味噌汁なんてありません。
ただ、この日の昼食で唯一出なかったアカリ料理があります。それは「アカリの塩辛」。これはアカリの卵を集めて塩とはらわたでつける料理で、しばらく時間がかかるのでこの日は出ませんでしたが、これがビールとベストマッチなんだそうです。楽しみですね。
アカリ料理をおなかいっぱいに詰め込んでまったりしていると、今度は大ちゃん(大幸(ひろゆき)くん)から「釣りに行きませんか?」と誘われます。釣り!と聞いて我慢が出来ない僕は喜んでついていくことになりました。
川までいくとそこには心細げなボートがひとつあるだけ。大ちゃんが「ちょっと待ってて」というので待っていると、大ちゃんの友人達が数人集まってきました。今日の釣り仲間のようです。さて、人数がそろったので行動開始。小さいボートで対岸にある小屋に移動しますが木製のおんぼろボート、全員が乗ると半分沈みかけてます。船べりの数cm下までアマゾンの水が迫っており、その下には強暴なカンジルーや黒ピラーニャがいるかと思うと… 川を渡る楽しさもアマゾンサイズ、でっかいです。
対岸には小屋があり、大ちゃんの友人一家が住んでいるみたい。そこは中州になっていて牛を放牧しているそうです。周りには人家も見当たらず、自然度・孤立度ともに百点満点のところ。そこで釣りの準備をすませるとボートで出発です。
二台のボートは中州の中の狭い水路に入りますが、途中で分かれてそれぞれのボートがポイントを探して移動しますが、このクソ暑いアマゾン版太陽の下では魚が釣れるポイントよりも涼しいポイントの方がありがたいです。幸い僕の乗っているボートは軟弱者が多かったらしく大きな木の下で釣ることになりました。どう見ても小魚しか釣れなさそうなところですが、風に吹かれてのんびりすることにこそ意義があります。どうせピラーニャぐらいしか釣れないんだろうから針に肉さえつけておけば大丈夫。仕掛けなんて考える必要もありません。糸をたらしてみると、早速ピラーニャらしきガツガツした引きがあります。しかしよっぽど小さいピラーニャらしく肉に食いつくだけで、針ごと飲み込む気配がなくなかなか釣り上げられません。針を小さいのに代えて釣り上げてみると案の定小さめの赤ピラーニャでした。これはマナウスのボートツアーでも釣り上げたやつで、小さいながらも噛む力は強い人食いピラーニャのひとつです。ちょうどそのあたりはブッシュの中だったので手近な葉っぱを切りとって口にあてがってみると、釣り上げられた腹いせのようにバクッと食いつき切り裂いてしまいました。
結局この後もピラーニャぐらいしか釣れません。もうひとつのボートも同じみたいで、いったん小屋に戻ります。小屋の家族に食事をご馳走になっている間に日も暮れてきました。アマゾンで一番魚が釣れる時間です。今度は大物を狙って本流を目指すことになりました。数人を乗せたボートは懐中電灯の明かりだけを頼りに支流を下って本流に近づいていきます。真っ暗で何も見えませんが、波がだんだん高くなってきたのは本流に近づいた証拠でしょうか。それから先は右に左に大きく揺れますが、懐中電灯のあかりだけで進むので、心細いこと心細いこと。かろうじて岸は見えますが、ここで転覆したら一巻の終わりだろうなと感じるには十分です。強がりの僕としては「引き返そう」と言えませんが、もしかしたらみんな思っていたのかもしれません。ボート全体になんとなく「本流は危ないから引き返そう」という雰囲気が広がり、ありがたいことに支流の入り口まで戻ることになりました。
そこで上陸し、岸辺から狙うことにします。新月で真っ暗な空の下で糸を垂れる僕達ですが、誰も釣れる気配がありません。ダメだな、とおもっていると僕の竿にアタリが来ました。よっしゃ!と返してみると、引っかかった気配があります。あまり大きな引きではありませんが、昼間のピラーニャよりもましです。ぐるぐるとリールを巻いていきますが、この瞬間こそ釣り人の至福のひとときですね。何が出てくるのかな?と楽しみな瞬間ですが、なんかヘン。やたら派手に動いています。動きの激しさの割には引く力が弱いです。と思ったら大ちゃんが叫びました。
「コウモリだ!」
そ〜なんです。コウモリを釣っちゃったんです。厳密には岸からたらしていた糸に引っかかって、その瞬間僕が引っ張ったもんだから絡まっちゃったみたいです。
「でもこのコウモリは噛むから注意して!」
慎重に引き寄せてみるとジタバタしたせいか、コウモリの体には釣り糸がぐるぐる巻きに絡まっています。噛まれるのが怖いのでうかつに手を出せないし、どうしたもんかなと思っていると、
「貸してごらん」
と取り上げられ、目の前でコウモリの体をナイフで切り刻んでくれました。
やっぱりこういった時には日本育ちの僕はダメですね。一瞬驚いちゃうんだから。動物がかわいそうという思想はこちらにはあまりないです。たとえば日本で稚魚を釣り上げたときは、たいがいそのまま返します。でもこっちでは「小さいほうがフライにしたときおいしいんだよ!」と持って帰ってしまいます。環境保護とか持続的開発とかいった先進国的発想は無意味なんですよねぇ。
その後もあまり釣れません。そのうちつり竿を岸辺に固定してのんびりモードに入りますが、遠くで雷が落ちているらしく、時折遠くの雲が青白く光ります。音はまったく聞こえません。あっちでピカリ、こっちでピカリと光るたびに異なる雲の断片が浮かび上がります。何も音がしない分、かえって自然の奥行きの広さ、アマゾンの大きさを感じさせてくれる光景でした。
全く人工の灯りがない岸辺ですが、遠くから近づいてくる明かりがあります。川の上をゆっくりゆっくりこちらにやって来るのは船に違いありません。ジリジリとした動きですが、少しずつこちらに近づいてきて、やがて船内の灯りが見えるぐらいになりました。それは背の高いアマゾン標準型の船ですが、僕が今まで乗った船よりも一回り大きいです。きっとマナウス( Manaus )=ベレーン( Belem )を往復する大型船でしょう。アマゾン船には探照灯があり、普段は前方の障害物を照らしていますが、どうも岸辺で釣りをしている僕達が気に入ったようで、ず〜っとこちらを照らしています。こちらからはまぶしくて船内の様子はわかりませんが、きっと船の人々は興味深げにこちらを見ているんでしょう。なにか見世物になったような気分です。
そのうち釣り人をからかうのにも飽きたのか、アマゾン船は何もない真っ暗闇の中、満艦飾のようにきらびやかに通りすぎていきましたが、それは月の砂漠の上でラクダの隊商とすれ違ったような、銀河鉄道に乗って光の洪水のような惑星を通り過ぎたような、不思議な光景でした。
釣りを終えた僕と大ちゃんは友人達に別れを告げ、バイクで家まで帰ります。バイクで帰る道も真っ暗闇。ヘッドライトだけが頼りです。まるでこの世に二人だけしかいないかのような夜道ですが、ときおりヘッドライトに照らされる人々がいます。彼らは家路を急ぐかのように歩いていたり、立ち話をしたりしていますが、バイクが通りすぎると再び真っ暗闇。暗闇の中にたたずむ彼らが恐ろしくもあり、うらやましくも思えてしまう夜でした。