2月7日 月曜日
一人ぼっちの旅人の僕の前にあるのはいつ到着するか分からないアマゾン船を待つ人々の群れ。激しい雨を避けるようにして壁にぴったりと張りついた人々はみんな口数少なく、深夜の埠頭に重い影を落としていました。まさに津軽海峡冬景色の世界です。大声で話すのもはばかれるような気がした僕は、意味もなくガイドブックを取り出して読んでみますが、視線は無意味に文字をなぞるばかりです。
僕が待っているのは夜10時初のマカパー行きの船。マカパーはアマゾン河口にある町ですが、同じアマゾン河口の町ベレーン( Belem )の発展ぶりとは対照的な小さい町で、船を待つ客もほんの数人でした。激しい雨のせいか定時になっても船は来ません。1時間たっても船は来ませんが、そんなことで怒る客もいるはずはありません。ここはアマゾン「Se deus quiser(神の思し召しのままに)」いつとも分からない船の到着を待っています。
深夜12時をまわる頃になって、やっと遠くに船の灯りが見えてきました。きっとあれがマカパー行きの船です。雨音ですべての音がかき消された暗闇のなかに静かに入港です。しかし船に乗りこむのは数人。聞いてみると他の客はベレーン行きを待っているそうで、この後もいつ着くともしれない船を待ちつづけるんでしょうか。
いざ乗りこんで見ると船は満員。上のデッキには鈴なりにヘッジ(ハンモック)が吊ってあって、寝るための隙間もありません。下のデッキにはまだ少しだけ空きがありましたが、ちょうどそこの真下が荷物室の出入り口になっていてます。ここに吊るしかないようですが、今はモンテからの荷物を積みこんでいる真っ最中で寝ることができません。荷物室を閉めて、船が出るまで寝ることもできないというわけです。
普段ならイライラしてしまうところですが、なぜかこの日はそういったこともなく、デッキの端に腰掛けてボーッと作業を見つめています。僕の気持ちもアマゾンのようにおおらかになったのかもしれません。
岸壁には雨よけのビニールシートに覆われた大量の荷物が積んであります。これを全部積みこむんでしょうか。それにしてもすごい量です。さて、ここでアマゾン船の荷物積み込みについて詳しく説明しましょう。アマゾン船はだいたい三層になっていて、上の二層は喫水線の上にあって、主に乗客がヘッジを吊るためのところです。また、船によっては最上層のさらに上の屋上にバールがあったりします。喫水線よりも下の最下層が荷物用になっていますが、最下層デッキにはちゃんとした入り口がなく、最下層の天井=二層目の床板をガバッとはずしてそこから荷物を積みこみます。僕が船に乗ったときに空いていたスペースはまさにその床板の真上。搬入が終わって床板をはめてもらわない限り寝られないんです。
到着すると早速荷物の積みこみ。船員と港の労働者が一緒になってバケツリレー方式で最下層のデッキに荷物を流していきます。積みこまれる荷物を見ていると、ほとんどがとうもろこし、ファリーニャ(マンジョッカ芋を原料にした粉)、みかんです。やはりモンテの町は農業の町なんですね。
大量の荷物なのでなかなかはかどらず、積みこみが終了したのは深夜3時ごろ。2時間以上もかかったことになります。アマゾンの毒気と眠気と雨音の魔力に麻痺していた僕は、世界中のどこからも隔絶されたこの世の果ての景色を見ているようななんとも言えない不思議な気持ちになっていました。旅行をしているとたまにこういった気分になることがあるんですが、これを旅行の魔力とでもいんでしょうか。
2月8日 火曜日
昨日は出航と同時に泥のように眠り込んでいたようですが、一晩中ヘッジを通りぬける肌寒い風にたびたび起こされました。年中真夏のアマゾンですが、船の上だけには四季があります。船の夜は冬。薄手の毛布一枚では寒すぎてなかなか寝つけません。浅い眠りを繰り返しているうちにやっと明るくなり、本当に眠ることができました。
前夜まともに寝ることが出来なかったので、日中もほとんど寝ています。起きたのは食事のときぐらいで、その他の時間もヘッジに横になってうとうととしていました。
いつのまにか寝ていてハッと気がつくと、ちょうど昼食の時間。船の後部にある食堂に人が集まりつつあります。「遅れてはならじ!」と行ってみるとテーブルの上にはアカリの煮物。モンテで食べたあの味が忘れられずに近づいてみますが、食べているのは船員ばかり。乗客はまだ食べていません。「食べていい?」と聞くと「当たり前だよ、食べるためのアカリなんだから!」と船員達の明るい顔。
やはり日本人はお魚なんでしょうか。食べても食べても飽きません。そのうち大きな鍋一杯あったアカリもなくなってしまい、寂しそうな顔をしていると厨房のおばちゃんがもう一杯持ってきてくれました。二杯目アカリを食べていると人間、腹一杯食べられることが一番幸福なんだなぁとつくづく感じてしまいます。
食べ終わる頃には船員達もいなくなっていて自分一人だけ。まわりを見ているとこれから昼食を食べる他の船客達がこっちをジーっと見ていて、なにか申し訳ない気分になり、日本人丸出しでペコペコ頭を下げながら食堂を後にしてしまいました。
そして僕がいなくなるとともにいつものアマゾン船料理が出てきます。アマゾンとは全く縁がなさそうな肉の塊や、スパゲッティをみんなおいしそうにほおばってますが、なんでアカリを食べないんでしょう。船員以外はアカリを食べないのには何か意味があるんでしょうか。船員は客よりも上等な物を食べるから他の船客は食べちゃいけないんだとすると、アカリは上等な食べ物で、何も知らずにそれを食べてしまった僕は厚顔無恥な外国人観光客ということになります。それとも船員は客が食べないような物を食べるんでしょうか。すると僕はアカリみたいなつまらん物を食べる物好きな客ということになりますね。どっちにしろ僕はヘンなやつということみたいですが、いまだに謎を秘めたままのアカリです。
おなかも一杯になると前夜の睡眠不足からヘッジに倒れこみ、再び幸せな睡眠です。
次に目がさめてみると、まわりにだいぶん荷物が増えていました。まず山のように積まれたチーズ。それに引越しを思わせるようなタンスや机などの家財道具一式。荷物の近くにはバイクも置いてあるところを見ると本当に引越しのようです。川以外に交通手段がないアマゾンですから引越しも船なんですね。
さすがに一日中寝ていたせいか夕食後は全然眠くありません。今日の船はあのうるさいバールがないので静かなもの。エンジン音と水音だけにつつまれた「これぞ船旅」です。明日の朝にはアマゾン河口の町、マカパーに着きます。断続的ではありますが、アマゾン中流の町テフェからマナウス、サンタレン、モンテ・アレグレと下ってきたことになります。船内六泊。これが長いのか短いのか分かりませんが、アマゾンの船旅をしていると不思議と懐かしさを感じてしまうのはなぜでしょう。時間や仕事やいろいろなことに縛られずに生きていた子供時代を悠久のアマゾンに見ているんでしょうか。
そんなことを考えているうちに、船は外洋に近づいているようです。確実に波が荒くなりつつあります。やがて強い突風が吹き始めました。ものすごい音とともに、船は右に左に大きく揺れ、蚕棚のようにぶら下がっているヘッジもユラリユラリと揺れていきます。気の早い乗客達は早速救命胴衣を着ていてなんとなく船内に漂う緊迫感。こういうのを見ると怖さが助長されますね。これまた思い出話ですが、だいぶん前に中国雲南省の省都の昆明から広東省の省都の広州まで中国の国内線で飛んだときのことです。途中ず〜っと天候が悪くて、時々気流のせいかガクンと急降下したりしながら飛んでいきました。飛行機に乗りなれた人にとってはよくあることですが、さすが中国の国内線、乗りなれてない人が多くて急降下のたびに「キャ〜〜!!」とこの世の終わりかと思うような叫び声があがり、聞いているこっちのほうまでドキドキしてましたね。
日本ではどうだったか憶えていませんが、ブラジルでは雨の前によく突風が吹きます。日本の台風なみのすごい風で、人工の音をすべてかき消しながらゴウゴウと吹きつづけます。それを聞いていると、心の中から自然に対する畏怖に似た感情が湧き出してきますが、それははるか原始時代、森の中で大風に怯えていた遠い先祖の記憶なのかもしれません。