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2000年2月 最果てのマカパー



2月9日 水曜日

今朝はあまりの寒さにたたき起こされます。アマゾン船には壁がなく、24時間年中無休で吹きっさらしです。さすがに夜の間はビニールシートを張って風が入らないようにしてくれますが、隙間風が吹きこんできて、薄手の毛布一枚では寝られない寒さです。赤道直下の町で、真夏にこんな目にあうとは思いませんでした。でも眠れない頭で考えてみると、南半球では2月が夏だといってもここではそうではないんですよね。赤道の真上に太陽がやって来るのは春分と秋分の二回。今は太陽は遥か南方の南回帰線の方にいるわけなので、一年で一番遠くに太陽があるとき、つまり冬なんですね。それに今は雨季の真っ最中でさらに涼しくなるので、一年で一番寒いときにあたるのかもしれません。そう思うと頭では納得できましたが、体のほうはやっぱり寒いです。

まだ真っ暗な朝の5時前にマカパー( Macapa )の外港サンターナ( Santana )の町に到着します。真っ暗な港をいくつかのライトが照らしていますが、岸辺には荷下ろしのためか出迎えのためか大勢の人がこちらを見つめて立っています。と思うや荷物を受け取るためにドッと乗りこんで来ました。僕は荷物が置いてある下層デッキにいたんですが、これでは寝られません。昨日までは満員だった上層デッキはあらかた人が降りてしまい、スカスカだったのでこちらにヘッジを張りなおしてもうちょっと明るくなるまで休みましょう。


サンターナ

アマパー( Amapa )州の州都マカパーから10kmほど南に位置する町。マカパーと同じくアマゾン川沿いの町ですが、マカパーの正面は遠浅で大型船が着岸できないために作られた外港。


労働者達は朝早くからよく働いていて、次から次に荷物が運び出されます。アマゾン船は見た目よりもたくさん荷物が入るようで、どこにしまっていたのか分かりませんが魚や野菜が後から後からでてきます。なにか早朝の市場を見ているみたいです。

このときフッと気がつきました。そうでした。モンテとマカパーでは時間が1時間違うんでした。時計を1時間進めないといけません。進めたらもう7時。外も明るくなってきたので寝不足で眠い目をこすって出発することにしました。

積み出しの労働者でごった返す桟橋を通りぬけ、サンターナの町のほうに行きますが、目の前にはバラックが立ち並んでいて、お世辞にもきれいとは言えません。州都の外港といえば、サン・パウロ( Sao Paulo )ではサントス( Santos )、パラナ( Parana )ではパラナグア( Paranagua )にあたるような重要な港なのにこのボロさ。そう言えば、アマパー州はブラジル最北の辺境の州として知られ、住民の平均収入もブラジル全国平均の10%ほどしかありません。ブラジルでもっとも貧しい州のひとつと言われていますが、町の様子を見ているとそれも納得です。しかし町の人々には活気があり、けっして暗い雰囲気はありません。収入は少ないながら毎日を一生懸命に生きている人々の息吹が感じられる町です。

町に入ると、人々はもう動き出していました。港の近くの市場ではその日に仕入れた魚をさばく威勢の良い声が聞こえ、八百屋や肉屋でも一日の商売が始まっています。大通り沿いのバス停には通勤客が並んでいて、朝もやの中を走り抜けるたくさんの自転車がすがすがしい一日の始まりを告げています。昨夜は寒さであまり眠れなかったので、頭はまだまだ眠いんですが、元気な街の人々の姿を見ているとぼやぼやするわけにはいきません。

さて、マカパーの朝の空気を吸ったらやることをやらないといけません。

普通アマゾンを船で下る人の最終目的地はベレーン( Belem )。パラー( Para )州の州都で人口も多く、町として発展しています。事実僕の知り合いでアマゾンを下る人もほとんどの人がベレーンに下ってきており、マカパーなどに来る人は一握り。でも僕にはマカパーに行かねばならぬ理由がありました。

それは「赤道横断ジャングル列車!」

言葉の響きからしてもうメロメロになっちゃいそうなワイルドな名前のこの列車はサンターナから北に200km離れた鉱山都市セーハ・ド・ナビオ( Serra do Navio )まで走っています。


セーハ・ド・ナビオ
マンガンを産出する鉱山都市。しかし2003年にマンガンの枯渇が予想され、その後のゴーストタウン化を防ぐために、サン・パウロ大学の研究センターが開設されました。研究センターではブラジル全国平均の10%というアマパー州の経済状況を改善するため、森林資源を利用した薬の生産などを研究しています。

この列車の始発駅となるサンターナの町は赤道よりも南の南半球にありますが、終着駅のセーハ・ド・ナビオは赤道よりも北の北半球にあります。つまり途中で赤道を横断するわけです。これに乗らずして「旅する青年」とは言えません。この列車に乗るためだけにここまで来たんです。さっそく駅まで行って聞いてみると、ちょうど明日の朝7時に列車が出るそうなので、それを確認して今日は帰ることにします。

サンターナの町はこれといって何もない町なので、列車の時間が分かってしまえば長居は無用。マカパー行きのバスに飛び乗ってサンターナの町を去りました。車窓から見える風景は港の風景とあまり変わり映えがしません。あまり立派とは言えない家がたくさん並んでいて、二階建ての建物も少なく、ましてや三階建ての建物など皆無といったところ。アジアの田舎の風景に似ていなくもありません。少なくとも今までのブラジル旅行ではあまり見ることのできなかった景色です。

他の町では見られない、といったら選挙関係の看板の多さもあげられます。あちこちの家に「 CAPI 40 」などと書かれているのが目に付きますね。これは2年前の州知事戦の時のもので、CAPI というのが候補者の名前で、40が候補者の登録番号です。今まで見たブラジルの町ではこういった看板は消されていて何も残っていないのに、このあたりでは前回のヤツがたくさん残っています。これが書かれている家をよ〜く見ていると他の家よりも粗末な家が多いことに気がつきました。この看板を書く時には幾ばくかのお金が払われているんでしょうか。そのお金をもらうために看板を書いたものの、選挙後にこれを消す金は出してくれないみたいで、そうなる自分で払うのももったいないので残ったんだと思います。

この人達の中には候補者の人柄で選ぶよりも、いくらお金をくれるかで選ぶ人が多いんでしょうか。メルマガで


数年前のインフレ大王サルネイ元大統領は、もともとマラニョン( Maranhao )州選出の議員だが、大統領時代の失策に、ブラジル中枢部は言わずもがな、地元でももう無理ということを悟り、どこか私の悪名の届かない所はないかと立候補したのがアマパ州だった。

アマパの善男善女は、サルネイを再度ブラジリア( Brasilia )へ送り込んでしまった。

窓からのぞいた民家の壁にかかったサルネイ・カレンダーの、にっこり微笑んだ顔に、アマパ州の平和を見た。


という記事を見ましたが、それは本当なのかもしれません。

サンターナの町からマカパーの町まで移動したはずなんですが、気がついたらマカパーの町に入っていました。これはブラジルでは珍しいことのように思います。というのもブラジルの場合、町と町の間が離れていて、その間には広大な農場や何も無い原野が広がっているんですが、サンターナとマカパーの間にはポツポツと集落が続いていて、一続きの町になっているからです。

それはいいんですが、マカパーの町に入ってもサンターナとあんまり町並みが変わりません。サンターナと同じようなあまりパッとしない建物が続きます。これでもマカパーはアマパー州の州都。南部のような州都らしい州都をアマパーに期待するのは酷と言うものでしょうか。


マカパー

アマパー州の州都で、州の総人口29万人の3/4が住んでいます。

18世紀、ポルトガル人はアマゾンの入り口を守るために、マカパーに要塞を築きました。その後、州内で金が発見されると隣接するフランス領ギアナ( Guiana Francesa )からフランス軍が侵入してきましたが、これを撃退し、ブラジル領と宣言されました。

要塞の周りに開かれたマカパーの町は長年要塞の兵士と役人が住む町でしたが、州内で宝石類や稀少金属が発見されると鉱物目当ての新しい移住者が集まるようになり、現在では有数の人口増加率を誇っています。


マカパーの町につくと早速安宿に直行。一泊7R$(420円)という格安の部屋ですが、三畳ほどの狭い部屋にベッドがあるだけで、トイレ、シャワーは共同です。壁も床も天井もただの板張り。ブラジル各地で安宿に泊まってきましたが、これほど安く貧弱な部屋は初めて。それなのに部屋に入ると電気コードを這いまわしてモバイルマシンやデジカメ用電池の充電器などを机の上に所狭しと並べます。古さを感じさせる部屋と、現代的機器のミスマッチが「いまどき」を感じさせてくれます。

一休みの後、早速マカパーの町の観光です。マカパーの町一番の観光名所と言えば、上に書いてあるサン・ジョゼ( Sao Jose )要塞。遠浅のマカパーの海(川?)に面して作られた要塞で、外周は石造りの重々しい城壁に囲まれて中が望めません。城壁の高さは5mほどで、それほど高いものではないんですが、城壁の向こうに何も見えないのは、城壁の内側に高い建物がないからなんでしょうか。そう思うとちょっと残念な気分になります。日本のお城に行ってみたら、天守閣は残ってなくて石垣しかなかった時や、スープスパゲティーのレトルトを買ってみて、開けてみたらスープしか入ってなかった時に感じるような、なんとも言えない残念な気持ちです。

要塞に入ってみようと正門に回ってみますが、開門時間が決まっているようで今は入れません。仕方なしにグルグルと要塞のまわりを歩いていると、昔インドやパキスタンで大きな城やモスクのまわりを歩いた時の高揚感を思い出します。やはり僕は昔の建物に引かれるみたいです。「何百年前の人も、ここから城壁を仰ぎ見て、同じような景色を見たんだろうなぁ」とか「今、僕は城の中の通路を歩いているけど、昔、ここを歩いていた人たちは何を考えて、何を見ていたんだろう」といった具合にどんどん妄想が広がっていき、頭がその時代に飛んで行っちゃうような気持ちよさを感じます。

いい気分になったところで要塞を後にすると、目の前には中途半端にあたらしいマカパーの町が広がります。サン・パウロだったらフェイラ(野外の市場)としか思えないようなごちゃごちゃした店がたくさん並んでいて、日用雑貨を売っています。こぎれいなブティックなんかはなく、庶民の生活に直結した商品ばかり。このあたりはこれまで旅をしてきたアマゾン一帯で共通の特徴です。

しかしマカパーには他のアマゾン地域にはない特徴があります。それは貴金属。近くで宝石や金が取れるらしく、『金を買います』とか『宝石を買います』などと書かれた看板があって、異彩を放っています。庶民的なお店と宝石商の組み合わせはいかにもゴールドタウン的で、一発当ててやろうやないけ!的エネルギーがいっぱいです。

そして宝石商と同じくらい幅をきかせているのが輸入電化製品店。このあたりは経済振興策の一環として免税特区に指定されているため、日本製やヨーロッパ製の電化製品が安く流れ込みます。街角には輸入電化製品を商うメルカードなどがありますが、ブラジル平均の10%の低所得にあえぐ庶民が買えるとも思えません。きっとアマゾン対岸のベレーンからの買い物客をあてにしているんでしょう。

次ぎに向かったのが要塞に次ぐ観光名所と言われている「マルカ・ゼロ( Marca Zero )」。北緯(=南緯)0度、つまり赤道が通る場所です。マルカ・ゼロは町外れにあるのでバスで移動しますが、やがて雨になりました。到着する頃にはしとしとと日本の梅雨を思わせるように降っていて、気持ちのほうも空と同じようにどんよりとしてきます。さらにマルカ・ゼロは工事中で、中の観光案内所には入れないし、雨に打たれるしで、ますます重い気分になってしまいます。

マルカ・ゼロの建物の屋上に出てみると、高い塔がそびえ立ち、そこから長い線が延びています。これが赤道。生まれてはじめてみる赤道ですが、線が引いてある以外はごく普通で、「あ〜やっぱり赤道だ!」という感慨も生まれません。これで太陽がカーッと照っていれば「う〜ん、これぞ世界でもっとも強烈な太陽か!!」とか思えるんですがこの天気ではままなりません。とりあえず来たということでよしとしましょう。

何もなさそうに思えたマルカ・ゼロですが、ひとつだけ面白いというか気色悪いものがありました。それは巨大タガメ。日本のタガメは大きくても5cmほどですが、ここの巨大タガメの中には長さが10cmを超えるものもあります。ご存知のようにタガメは見た目がゴキブリに似ているので、巨大ゴキブリに見えなくもありません。しかもその巨大タガメが何十匹も群れになって死んでいるんです。水たまりに集まるようにして屍をさらずたくさんのタガメを見ているととても気味が悪い。生きているタガメが一匹も見当たらないところが一層気になります。なんでこんなに大量のタガメが発生したんでしょう。それよりもこのタガメはこんなに大きくなるまで、どこでどうやって暮らしていたんでしょう。

謎が深まるばかりの巨大タガメを後に残して町に戻ると、夕暮れ時ですがまだまだ夕食には早い中途半端な時間。そうだ、映画を見ようということで聞きまわると先日リオ・デ・ジャネイロ( Rio de Janeiro )で見た、007の最新作を上映しているみたいです。あんまりあてにならないブラジル人の道案内に頼りながらあっちこっち歩いてやっと見つけました。映画館と言っても大きめのゲームセンターにしか思えないちっちゃい建物。マカパーサイズの映画館です。中に入るとスクリーンも小さく観客席も50席ぐらいしかありません。入ってくる客も僕以外には二人だけで、足を前の座席の背もたれに乗せたりと贅沢三昧。しかしよく考えてみると今回の収益は入場料7R$×3人分で21R$。千円ちょっと。こんな低収入で海外の映画を上映できるんでしょうか?それとも著作権をモノともしないブラジルなので、映画のフィルムも海賊版だったりするんでしょうか。

さて、映画から出る頃には日も暮れて真っ暗です。映画を見てジェームズ・ボンド気分になってしまうと、この町がテロリストの暗躍する町に思えてくるから不思議。暗闇の中に人が潜んでいないかと注意深く歩きます。「俺の背後には立つな!」とばかりに後ろを歩いている人に妙に敏感になったりしますが、よく考えるとそれってジェームズ・ボンドじゃないですね。そのあたりの浅はかさは筋金入りです。

2月10日 木曜日

昨日の晩は少し傾いたベッドのせいか、どこからかやって来る蚊のためにほとんどねられませんでしたが、今日は早起きせねばなりません。「赤道横断ジャングル列車の旅」が始まるからです。となりのサンターナの町を7時に出るので、少なくともマカパーの町は5時半ごろには出ないといけません。5時には起きて準備をします。朝の準備と言えばトイレを忘れては行けません、って忘れる人はいませんが、どうもこのホテルのトイレは好きになれません。水洗トイレなんですが、入るといつも先客が残していったお宝が水の中に残っているんです。全然流さないんです。日本だとトイレを使い終わった人が流すのが当たり前ですが、こちらではトイレが終わった後はそのままにして、次ぎの人が流す習慣なんでしょうか?

実際のところは水洗便所に慣れていない客が多いだけなんでしょうが、朝から考えさせられてしまいます。

仕度をしてホテルを出てみるとまだあたりは真っ暗。どこに行ってもそうですが、海外で深夜や早朝の暗いうちに出歩くのって緊張します。どうしても「海外=犯罪」というイメージがあるので、落ち着きません。サン・パウロほど街灯が多くなく、あちこちに暗い影があって、そこに誰か潜んでいいるんじゃないか?とびくびくしながら歩きますが、バス通りに出てみたら安心。掃除のおじちゃんがいました。まだ真っ暗なんですが、掃除のおじちゃんが出てきているということは、もう朝になった証拠。朝になったら泥棒は寝るもんだと思うだけで気分が楽になります。

やがてバスがやって来ますが、まだ真っ暗な早朝にも関わらず客が乗っていて、座席はあらかた埋まっていました。客層も昼間とは全然違っていて、半分ぐらいの客が頭にヘルメットをかぶっています。きっとこれからサンターナの港まで働きに行く人たちなんでしょう。あちこち回り道をしながら進むうちにどんどん客は増えていきます。乗客達は毎日同じバスを使っている顔なじみらしく、打ち解けた会話が多く、いかにも朝の通勤バスといった雰囲気。乗客達のすがすがしい元気がこちらにまで伝わってくる気持ちのいいバスでした。

さて、駅近くのバス停に到着。ここから駅までは広い駅の跡地をぐるりとまわって10分ほどですが、駅に向かう道沿いには大きな荷物を持って歩いている人がたくさんいます。こんな辺境にある鉄道だから乗客も少ないだろうと思っていたのが大間違いでした。

昨日時間を尋ねるために一度訪れた駅ですが、今朝の風景は違っていました。まだ空には朝もやが立ちこめている早朝の駅に着くと、目の前にはヘッジ(ハンモック)がぶ〜らぶら。人々はやっと起きたばかりのようで、朝げの煙ものぼっています。駅というよりも生活の場です。こんな光景はブラジルでも初めて見ましたが、かぎりなくアジアに近い光景で、なぜかホッとさせてくれます。多分この人達は前の晩から待っていた乗客か、乗客目当ての売店の人たちなんでしょう。田舎の鉄道に乗る人なんてみんな顔見知りに違いないから駅は小さな村みたいで、互いの朝食を分け合う光景があちらこちらで見かけられ、こちらまで思わずなごんでしまいます。

小さな窓口で切符を買った後はジャングル列車に乗り込みます。ほんの一両か二両だろうと思っていましたが、目の前にあったのは五両編成の立派な車両。庶民の交通の足や鉱山からの鉱物運搬用として今も現役のところを見せてくれます。ちょっと古めの車両が中国の列車の旅を思い出させますが、さすがジャングル列車、色は黄色と赤の原色で南国ムードばっちりです。列車のまわりに乗客や物売りが群がっているのも中国と同じでしたが、ひとつだけ違いがありました。それは犬。ジャングル列車のまわりには食べ物のおこぼれにあずかろうという野犬が何匹かいましたが、犬を食べる中国では見かけられない光景です。

のんびりムードのジャングル列車ですが、座席指定がありました。書かれたとおりの車両に行ってみると、客は少なくてどこにでも座れるみたいです。気に入った席に座ってワクワクしながら出発を待ちますが、出発前の高揚感は列車の旅特有のものかもしれません。

何の前触れもなく、ガタンと汽車は動き出します。窓の外を見ると、物売り達が早くも店じまいをはじめています。この列車が帰ってくるのは今日の夜。それまでこの駅は再び眠りにつくのです。

駅を出てからしばらくはジャングルとは程遠い、サバンナが広がっています。アマゾンとはいえ真っ平ではないので低い丘が連なり、時たま地平線が見えるぐらい。人家もほとんど見えない殺伐とした景色が続きます。そんなところを小一時間ぐらい走ったでしょか。その間に赤道も越えたんだと思いますが、アナウンスもあるはずなく、なんの感動もないままに通りすぎてしまいました。「赤道横断ジャングル列車」と銘打って気合を入れて乗りこんだだけに拍子抜けです。

サバンナが終わる頃には、アマゾンらしい湿地帯がポツポツとでてきました。線路沿いに水たまりがあらわれ、水面にはハスの葉っぱが散らばっています。また、池の周りにはここまで一本も見かけなかった椰子の木が生えています。池の中からぬっと椰子の木が生えている光景は子供の頃にみた恐竜時代の再現映像のようで、叢からトリケラトプスでも出てきそうな雰囲気。映画「ジュラシックパーク」の原作となったコナン・ドイルの小説「ロスト・ワールド」の舞台、ギアナ高地もここからそれほど遠くはないんですが、もしこんな光景が広がっているんだとすると、ドイルの心を刺激したのも分かるような気がします。

湿地帯を行くうちに列車はスピードを緩めていきます。停車駅のようです。駅といっても小さな建物があるだけ。日本の無人駅みたいなものです。そんなみすぼらしい駅とは対照的に、線路沿いには乗客目当ての食べ物屋台がぎっしりとならんでいます。ちょうどお腹が減る頃らしく、車内の乗客もあらかたおりてしまい、それぞれ好きなものを買っています。この列車は週に三回走っているので、屋台のおばちゃんたちもこれだけで生計をたてることはできないとは思いますが、近所の人達にとっての貴重な現金収入なのかもしれません。

現金収入といえば、駅の屋台だけでなく車内販売もありました。車内販売といっても日本みたいに正規のものではなく、やはり近所のおばちゃんらしき人が大きなバスケット一杯に果物やパンやいろいろなものを入れて車内を往復しているんですが、その種類は日本の車内販売にも負けないぐらい多く、パンやコーヒーから、歯ブラシのようにいったい誰が買うんだろう?と思うようなものまであって、商売人のバイタリティーを感じます。僕もフルーツサラダを売っている車内販売のおばちゃんから一杯買いましたが、濃厚なヨーグルトのなかにみじん切りされた果物がたくさん入っていて、デザートというよりは立派な食べ物みたいでとてもおいしい。あんまり味に期待していなかっただけに思わずおかわりしてしまいました。こんな具合で食料については車内販売や途中の停車駅で手に入るので、何も持って来なくて正解でした。

このあたりからやっとジャングル地帯に入ります。ジャングルといっても木々の高さは15mぐらいで、再生林のようです。ベルテーハの岡田さんの話だと、本当のジャングルは50mぐらいの高さになるそうですが、背の低いジャングルの中にもときおり背の高い一帯があり、昔の威光をしのばせてくれます。昔はあれぐらい背の高い樹林がどこまでも続いていたんでしょう。

そんなジャングルの中でも所々人家を見かけます。木々を切り開いた広場に粗末な板葺きの家がポツンと立っていてて、人影は見えないものの庭に干してある洗濯物が生活の匂いを感じさせてくれます。この時間は仕事にでも出かけているんでしょうか。なかにはこの時間も人がいる家もあって、そんな家の前を通ると子供たちが家から駆け出してきて、こっちに向かって手をふってくれます。僕も調子にのって手をふってあげると向こうも喜んで腕がちぎれんばかりに思いっきりふってくれます。アマゾンの子供は素朴な感じがしていいですね。ただ、こんな奥地でどうやって暮らすんだろう?と思ってしまいますが、冷静に考えてみると鉄道が家の前を通っているこのあたりは全然奥地じゃないんでしょう。

そのためかもしれませんが、列車は何もないジャングルの真ん中でよく止まります。列車がとまると人が降りてきて、ジャングルの中に続く細い道に消えていきます。田舎のバスと同じで手を上げれば乗れるし、「ここで下ろして」と言えば下りれるような自由乗降列車のようです。こんな列車も珍しいですね。

この他にもいくつかのちゃんとした駅にも止まります。もちろん立派な駅舎なんかないんですが、駅のまわりには出迎えの車がならんでいて、たくさんの人が乗ったり下りたりしています。それを見ているとまるで列車が町の唯一の交通手段のようです。その昔、アメリカやブラジルの開拓時代は列車が唯一の交通手段だったと思いますが、列車が駅に着くたびにこういった光景が繰り返されてきたんでしょうか。このような暖かい光景を目の前で見ることができるのも列車の旅の醍醐味です。

川沿いに開かれた最後の駅を通りすぎると乗客もほとんどいなくなり、残ったのは物売りの人達ばかり。かれらは僕と同じように終点までいって、そこからサンターナまで引き返すんでしょう。

列車が奥地へ入れば入るほどジャングルはどんどんと濃くなっていきます。木々もだんだんと大きくなってきて、原始林らしい景色も見られます。ときおり通りすぎる鉄橋の下を流れる川はネグロ川と同じコカコーラ色。両側に見かける人家も少なくなり、いかにも僕がイメージしていたアマゾンらしい景色です。開きっぱなしの扉から思いっきり体を伸ばすとアマゾンの風を体いっぱいに受けてこの上もない開放感が体中をかけ抜けていきます。

木々の合間にジャングルとは不似合いなボタ山が見えてきたら終点のセーハ・ド・ナビオです。ここから産出するマンガンを港まで運ぶためにこの鉄道は作られました。この鉱山は大規模な露天掘りらしく、一見の価値はあるという話ですが、今日は一時間しか余裕がないのであきらめることにしました。もちろん一時間というのは折り返して発車するまでの時間です。

なにもすることがないので駅でボーッとしていますが、機関車のほうはせわしなく動いて客車をあっちにやったりこっちにやったりしています。よく見てみると、客車を入れ替えているみたいです。分かりやすく図示してみると、僕がサンターナから乗ってきた列車は

サンターナ 5号車=4=3=2=1=→ セーハ・ド・ナビオ

という具合でここまでやって来ましたが、これを

サンターナ ←=1号車=2=3=4=5 セーハ・ド・ナビオ

のように進行方向から一号車という風に並べ替えているようです。日本的に考えると機関車だけを入れ替えて、帰りは五号車を先頭にして行けばいいのにと思いますが、やはりブラジル人の考えることは分かりません。

その間に帰りの切符を買いますが、今度は窓の大きい車両にしてもらいます。客車の入れ替えも終わって、乗りこんでみると今度の車両は木のベンチでした。座り心地はクッションがあった行きの車両の方がいいんですが、窓が広いのがなによりもいいですね。

ほとんど客を乗せないまま列車は再びサンターナ目指して南下していきます。

ここまで6時間近くかかった道のりをもう一度引き返すのかと思うとちょっと気が重くなりますが、とにかく車窓を眺めていると時間の経過も忘れてしまう僕なので、のんびりと窓の外を見ることにしました。雨季のアマゾンでは午後になるとよく雨が降りますが、今日もご多分に漏れず途中から雨まじりの天気になってきました。

雨に打たれるジャングルもそれはそれで美しいものです。瑞々しいジャングルを通り抜け、ときおり渡る川面には雨だれが丸い輪をいくつも描いています。その景色を見ていると映画で見た「戦場に架ける橋」を思いだし、頭の中にクワイ川マーチが流れてきます。遠くを見上げると雨でかすんだジャングルがずっと続いていて、行きがけとはまた違った景色が楽しめます。

心なしか帰りの列車は乗客も少なく、駅の停まった時の喧騒も行きにくらべると少なくちょっとダレ気味。朝早く起きたので、このあたりで睡魔が襲ってくるのか道中寝てばかりで行きとは全然違った旅になりました。

ふと目がさめると目の前には背の高い針葉樹林が茂っていて、思わず目を疑います。アマゾンのように暑いところではあまり針葉樹林を見かけないんですが、目の前にはとんがった針葉樹がきれいに並んでいて、日本の植林地を見ているみたいです。灰色の空としとしとと降る雨と針葉樹林の組み合わせはまるで日本にいるかのような光景。こんなところもあるんですね。

サンターナ近くのサバンナ地帯に戻る頃には日も暮れて薄暗くなってきました。町灯りもないようなところなので真っ暗になりますが、夜ならではの景色を見ることができました。それは。サンタレンに行く船で見たのと同じように、サバンナの上を無数の蛍が流れ星のように飛び交っています。時間がたつのもわすれて光っては消え、消えてはあらわれる蛍を見ていました。これこそまさに銀河鉄道の夜でした。

2月11日 金曜日

昨日は朝早くから一日列車に乗っていたので、午前中はお休み。午後から行動開始です。まずは「世界の車窓から」に使うパノラマ写真を撮るために町の高台を探して歩き回ります。普通ブラジルの町は起伏のあるところにあって、ちょっと歩き回れば写真を撮るのにいい場所が見つかるんですが、マカパーの町はどこに行っても真っ平。いい場所が全然ありません。

歩いているうちに海岸なのか川岸なのか分かりませんが、とにかく岸辺に出ました。岸辺は護岸されていますが、その向こうには有明海みたいな遠浅の川が広がっています。この遠浅が原因でマカパーの町には船が横付けできないんです。よく見ようと岸壁の端まで行ってみると、下のほうにはいろんなゴミがたまっているところは日本と同じです。あんまり気分が良くないので岸辺からちょっと離れて川を眺めたほうがいいでしょう。

岸辺を歩いていると遠くに橋がかかっています。何だろうと思って近づいてみると、岸辺から150mほど離れた沖のほうにレストランがあり、そこから岸辺まで橋がかかっているようです。せっかくだからレストランまで行ってみようと橋のたもとまで行くと、そこにはかわいらしい電車がありました。ナントこの橋を渡るためだけの電車。線路の全長150mというと東京ディズニーランドの中の電車よりも短いかもしれません。そんな短い区間なのにちゃんと15人は乗れそうな車両が置いてあって、なにかアンバランス。多分観光開発の一環として作られたんだと思いますが、こんな田舎町になんだかヘンです。日本でも田舎に行くと政治家の肝いりで作られた無意味に巨大な温泉センターや博物館があったりしますが、それと同じようなものなのかもしれません。

でも電車は動いていないので、歩いてレストランに行ってみます。レストランは150mほど沖合いにあるんですが、遠浅のマカパーの川はこれぐらいでは深くなりません。レストランのまわりを飛び交う水鳥を見ても、ほとんど水深はありません。さらに沖を見ても、どこまでも浅そうな川が続いていて、遥かかなたにやっと小さい船が見えるぐらいです。今は干潮時なので、満潮になればもうちょっと川らしくなるんでしょうが、どうしてこんなに不便なところに町ができたんでしょうね。

再び岸に戻るとサン・ジョゼ要塞に行って見ますが、午後のコースは4時からということなので、それまで岸辺のキオスクで時間でもつぶすことにします。川岸には気持ちのよさそうなキオスクがならんでいて、暇そうなおじさんたちがビールなんか飲んでたりします。その店のひとつでビールを片手にのんびりと読書でもしますが、ここでのんびりしているとどこかの南の島にでもいるみたいな感じがします。しかしよく考えてみると、今いるところは赤道直下。南の島よりもよっぽど南なんですが、そんな華やかさを全然感じさせないのがマカパーの町の奥ゆかしいところです。

まだ時間があるのでガイドブックに書いてあったお土産ショップを探しますが、改装中。マカパーに来てからガイドブックに書いてあるインフォメーションとか他のお土産ショップに行ってみましたが、どこも改装中。おととい行ったマルカ・ゼロも改装中。どうも観光関係の建物は軒並み改装中です。つまりこれから観光に力を入れようということなんでしょうか。そうだとすると、新装開店の前に来てしまった僕は運が悪いですね。

マナウス( Manaus )からマカパーまでアマゾンを下ってきましたが、道中ずっとお土産には苦労しました。僕はどっちかというと洋服系のお土産が好きです。「マナウス!」と書かれたTシャツなんかで、世界の観光地に行ったらお土産の王道だと思うんですが、これがアマゾンにはあまりありません。空港のお土産屋でたまに見かけるぐらいで観光地のお土産屋にあるのはテロテロの安っぽいものばかり。買おうという気になりません。そのぶんアマゾンのお土産屋にたくさん並んでいるのが民芸品。いかにもインジオが作りました!って感じの素朴な木彫りの民芸品で、そのモチーフはインジオの姿や魚、鳥、船といったものばかり。アマゾンにやって来る観光客のイメージに合わせすぎなんじゃないでしょうか。

結局お土産を買うこともないままに時間になったので要塞に行ってみます。田舎の要塞のくせに自由観光ができず、ガイドについてまわらないといけません。全般にブラジルの観光地にある建物はこのタイプが多いですね。

ガイドに連れられて入ってみると、中にはきれいな芝生が敷かれ、要塞内部の建物はすべてお色直しがされていました。どの建物も真っ白の壁に朱色の屋根がまぶしく、歴史の重みまで洗い流してしまったかのようです。歴史的建造物というよりも映画のセットといったところ。しかし城壁にさえぎられて、要塞の外の景色は全く見えません。見えるのは目の前の建物と歴史を感じさせる城壁ばかり。ここにいると現代のマカパーの町を忘れて昔にタイムトリップできそうです。これを見て気づきましたが、ブラジルに欠けているのはこの感覚です。遥か昔の歴史が今も息づいているようなところがあまりありません。歴史が浅いと言ってしまえばそれまでですが、このあたりはアジアの観光地との違いでしょうか。

さて、中にある建物は兵舎に武器庫、食料庫といったどこの要塞にでもあるものでしたが、さすがキリスト教国だけあって教会もありました。中もきれいに整備されていて、パネルなどで歴史などが解説してありましたが、ポル語を読むのが苦手な僕はほとんど素通りです。その中で気になったのが要塞を作った人々。この要塞を作るためには奴隷がたくさん使われて、その多くが苛酷な環境での作業のために病死したという悲しい歴史があるんですが、総人員のところに800人とかかれていました。延べ人数なのかどうかはわかりませんが、この要塞をたった800人で作ったということはそうとう辛い労働だったに違いありません。今でも陸の孤島といったマカパーですが、当時はもっと隔離されていたはずでそんなところに連れられていった人達のことを想像すると気も重くなります。よくピラミッドや大阪城の説明で「何万人の労働者が駆り出された」なんて話しを聞きますが、その一人一人に生活があり、家族があり、人生があったんですよね。現代の僕がそれを実感するのは難しいんですが、それを単なる数字と思わないような感性をいつまでも失わないでいたいものです。

要塞の建物を見学した後は城壁を見てまわります。城壁は幅10mぐらいで、四隅には突き出した砲台があって、たくさんの大砲が並んでいます。いかにも要塞らしい光景ですが、ここでひとつの疑問がわきました。当時はこんな辺境に陸路を作るはずもないのでほとんどの敵は海からやってきたはずですが、目の前のアマゾン川は遠浅で大型船が近づくことができません。この大砲はいったい何を狙っていたんでしょうか?

城壁の上はこの町の数少ない高台で、町がよく見渡せるので「世界の車窓から」のための写真を撮っていると、ガイドから「もう帰りますよ〜」とお呼びがかかります。自分のペースでゆっくり見られないのがガイドツアーの欠点です。もう一度要塞中央の広場に戻ると、井戸がありました。今は使われてなくて上には鉄格子がはめられていたんですが、何気なく下をのぞきこんで驚愕!マルカ・ゼロのところにたくさん死んでいた巨大タガメがひしめいています。水が見えないぐらいぎっしりとうごめいていてかなり気持ち悪い光景。写真を撮ろうかとも思いましたが、それもできないぐらいの気持ち悪さでした。きっと井戸の中に産み落とされた卵からかえったんだと思いますが、あんなに大きくなるまでどうやって生きてきたんでしょう?水の中にはそんなに食料が多いんでしょうか?そしてあの巨大タガメは飛ぶことができて、ここから空に飛び立つことが出来るんでしょうか?それともこのまま日の光をほとんど浴びることなく死んでいくんでしょうか?この地球の上にはまだまだ僕が知らない世界があるようです。

要塞を後にした僕は町のセントロをあてもなく歩いていきます。あちこちに物売り屋台があるんですが、そのうちのひとつでサッカーユニフォームのコピーを売っていました。そこにはブラジルのチームのシャツ以外にもアルゼンチンのボカとかスペインのバルセロナのシャツも売っていたんですが、そのなかになぜか日本の浦和レッズのシャツが売られていました。思わず見落としそうになりましたが、なんでマカパーで浦和のシャツ?表には「MITSUBISHI URAWA」と書かれていますが、MITSUBISHI という名前に引かれてて仕入れたんでしょうか?マカパーの人なら MITSUBISHI の名前は知っています。マカパーは自由貿易地帯なので、町の規模には不釣合いなほど輸入品店がたくさんあるからです。

ぶらぶらした最後はホテルの近くのシュハスコ屋で最後の晩餐。明日は朝一番の飛行機でベレーンまで飛んで、そのままサン・パウロ経由で帰ることになります。長々と続いたアマゾン旅行も間もなく終わり、これから仕事が始まります。そう思うとちょっと憂鬱ですが、旅人なら誰しも通る道でしょう。


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