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2000年3月 リオ・デ・ジャネイロ



ついに来た来たカルナバル。まずは前編「リオ、ニテロイ編」です。

3月2日 木曜日

いろいろとブラジルで期待していたこともありますが、もしかしたら一番期待していたかも知れないリオのカルナバルの日がやって来ました。ワクワクしながら水曜日の授業を終わると、夕方のリオ行きのバスに飛び乗るべく、ホドビアリアに急ぎます。するとホドビアリアの前には即席のサンボードロモ(サンバ会場)が出来ていて、我が町でもカルナバルの準備が着々と進んでいるようです。日本ではリオのカルナバルが有名ですが、日本の夏祭りと一緒でどんなに小さい町でも「オラが町のカルナバル」があります。地元を知るためにはそういうカルナバルを見るのもいいんですが、こちらは限られたブラジル滞在なので、やはりリオに行かねばなりません。

さっそくバスに乗ります。一時間ほど走ると次の町にとまり、たくさんの乗客が乗り込んできましたが、彼らの中にはカルナバルのエンレード(テーマ曲)を歌っている人もいます。リオのカルナバルに行く人は僕だけじゃないんですね。みんな盛り上がっているんだと思います。また、リオ行きのバスが毎回立ち寄るドライブインもあるんですが、そこはカルナバル用に飾り立てられていて一年に一度のお祭りに余念がありません。

朝一番にリオのホドビアリアに到着すると、またもや強烈な臭気の歓迎です。毎回「何とかならんもんか!」と思うんですが、半日もすると気にならなくなるところがいいです。でも田舎の空気とくらべると汚い空気を吸っていても気にならないってのはいけませんね。東京に10年ほど住んでいましたが、このリオと同じような空気の下にいたのかと思うと、なるべくなら東京に戻らずに済ませたいですね。

さて、カルナバルは5日、日曜日の夜からはじまりますが、なんで僕がこんなに早く来たかというとその前に仕事があったからです。というのもチケットの交換。例年手に入りにくいと言われていたカルナバルのチケットですが、今年から販売方法が変わり、手に入りやすくなりました。バンデランチ銀行がチケットの販売を一手に引き受けていてブラジル各地の支店で買うことが出来るようになったのです。だから普通だったらダフ屋経由でふっかけられながら買うか、かなりの手数料を払って旅行社から買っていたチケットが定価で買えるようになりとってもラッキーです。日本では300ドルなどという法外な値段で売られていますが、定価で買えば44R$、2000円ちょっとであのカルナバルが見れるのだから安いものです。ただ、そんなチケットですが、航空券と一緒で発券するときは紙切れで、カルナバルの前の週にバンデランチ銀行の指定支店でプラスチックの入場券に替えないといけません。今回は一緒に見に行く25人分のチケットを管理しているので早めに行かないといけませんでした。

まずは荷物を宿に持っていきます。この時期の宿が取りにくいというのはもう世界の常識で、どこのホテルでもパコッチといって5日間ぐらいの固定料金で普段の3倍ぐらいふんだくります。そのため今回もリオの学校に宿泊させてもらいます。ここならリオの真ん中で料金も安く貧乏な僕にとってはありがたい存在です。ホドビアリアから学校まではリオの中心街であるヒオ・ブランコ大通りを通るんですが、ここもカルナバル仕様になっていました。大通りの上にアーケードみたいなものが出来ていて、そこにカルナバル由来の絵などが書いています。なぜならここでもカルナバルが行われるからです。リオにはたくさんのカルナバルのチームがあります。こちらではそれらをエスコーラ・ジ・サンバって呼んでいますが、そのエスコーラも実力によってスペシャル・A・B・C・D・E・それら以下、に分けられていて、カルナバルの会場が決まっています。日本でもおなじみの映像はスペシャルとAのエスコーラが専用サンボードロモでやっているものです。このヒオ・ブランコ通りではその他のクラスのカルナバルが行われます。僕達が切符を買ったのは6日7日にサンボードロモで行われるエスコーラ・エスペシアウ(スペシャルチーム)のカルナバルです。

学校に荷物を置くと指定の銀行に向かいます。サンボードロモの観覧席はいくつかのセトール(英語で言うと sector)に分かれていて、セトールごとに支店が決められていてそこで入場券に交換します。その支店に行ってみると空席状況の案内があり、それによるとエスコーラ・エスペシアウが登場する日月のうち、有力エスコーラが集まっている月曜日は完売、でも日曜日はまだ席によっては空席があるようです。これも新しい販売方式にした効果かも知れません。完売した席を見てみると、一番高い席は3000R$以上するようです。これら高い席はカマロッチといってボックス席になっていてそこの中で自由に見ることができます。逆に僕たちが買ったのはアルキバンカーダという一般席。階段状になった大きなエリアで一応番号指定制になってますが事実上自由席です。

あちこちでチケットの交換をすませるともう昼過ぎになってました。これからは別に予定もなくリオの街をぶらぶらします。コルコバードやポン・ジ・アスーカルのようなメジャーどころはもう何度も行っているのでこれといって行きたいところもありません。最後に交換した支店がちょうど町の中心部にあったので、そこから海に行ってみることにしました。このあたりは古いリオの町並みが残り、重厚な雰囲気が漂います。その間に近代的なビルが建ち並び不思議な組み合わせです。行ったことはないんですが、欧米の古い都市はみんなこんな感じなんじゃないでしょうか。海に近づくと東京駅みたいな黄色い建物があります。なんからくがんみたいな感じで食べちゃいたくなりますが、近づいてみるとそこは船着き場でした。リオ近郊のパケタ島や対岸のニテロイ行きの船が出ているようです。船の方も頻繁に出ているようで朝夕のラッシュ時は12分間隔です。そのあたりが香港のカオルン半島と香港島を結んでいたスターフェリーを思い出させます。僕にとって船というと何時間も何日も旅をする乗り物なので、通勤の足としての船というとスターフェリーになっちゃうんです。さらに隣の埠頭からはニテロイ行きのジェットフォイルも出ていて、これまた香港=マカオ間のジェットフォイルみたいです。

ニテロイは行ってみたいところだったので、明日この船に乗ってみることにしてぶらぶらと歩き始めます。とにかくリオの街には高層建築が多くて近代的なんですが、なんとなく南米チックな建物もありました。というのも高い建物の上にとってつけたような階があります。下の方はちゃんとしたコンクリートと窓で出来ていますが、上の方はバラックみたいになっていてバラバラな作りです。きっとこれは元々は屋上だったところに不法移住してきた人達が勝手に増築したんじゃないでしょうか。違法建築と言えばファベーラが有名ですが、こんなところにまで作るところにブラジル人の心意気が感じられます。

その後はなんとなくプライアに行ってみたくなったのでボタフォゴやフラメンゴの海岸の方に向かいます。海岸の近くにいると背の高いヤシの木並木があり、遠くに海が見えたりしてきれいなんですが、そこの芝生に注目。よく海外のサッカーの中継なんかを見ていると、スタジアムの芝生が5m間隔ぐらいで縞々になっているのがありますよね。その公園も波のようなデザインの縞々になっています。前々から「どうしたらああいった感じになるんだろう?」と思っていましたが、今日、謎が解けました。解けてみるとなんでもないんですが、色が違うのは芝生の種類が違うからでした。色の濃い芝生と薄い芝生を交互に植えているようです。

フラメンゴ海岸に着きました。この日はかなり日差しもきつかったんですが、木陰に座っていると何とも涼しい大西洋の風が吹いてきて天然の冷房です。とにかくブラジルでは日陰で風に吹かれているといつも涼しいんですが、どうして日本ではこうは行かないんでしょうね。単純に湿度の違いだといっても、どうして同じく海に面している日本とブラジルのビーチってこんなに違うんでしょう。目の前には真っ青な海と空が広がります。近くある空港からはこの真っ青な空に向かって飛行機が飛び立って真っ白な輝きを見せ、そして海の向こうにはポン・ジ・アスーカルの大きな姿が見えるといういかにも絵はがき的な美しさです。

そこでビール飲んで一日おしまいというのにも引かれましたが、せっかくカルナバルの前にきたんだからいっちょサンボードロモの下見にでも行って来ようかということになり地下鉄へ。サンボードロモ近くのプラサ・オンゼの駅で降りるとき「下ります」と言っても誰もよけてくれず、外から人が乗ってきます。そんな人達を押しのけながらドアを出るときにちょど乗り込もうとしていたおばちゃんを押し出してしまい、外に出た瞬間ドアがしまっちゃいました。しかし車掌ももうちょっと待ってくれればいいのに。その後おばちゃんの甲高い罵声を浴びながら逃げるように外へ。許せよ、おばちゃん。

サンボードロモはサプカイ通りの両側に階段状の観覧席を並べたところで文字通りサンバを見るための会場。はば20mぐらい、長さ数百メートルの場所なのでサンバ以外に使い道がありません。しかも平日は閉鎖していて車が通るわけでもなく、まさに年に一回だけしか使われない場所です。それでいて収容人員は10万人ということで何ともすごいところです。日本だったら市民オンブズマンあたりに叩かれて市長の首が飛びそうな施設です。ブラジルに来て始めてサンボードロモを見たのはサン・パウロに到着してから市内に移動したバスの中でしたが、始めて目にするまでその存在が信じられませんでした。しかし荒野の真ん中に作った首都ブラジリアといい、ブラジル全国各地にあるサンボードロモといいブラジル人のちょっと生産的とは言えない物に対する強烈なエネルギーはすごいっすね。生産的な活動のみに集中する日本人の僕から見ると「目から鱗」というか「お前なにか違うだろう!」と言いたいところですが、それでいてその馬鹿らしさに惹かれてしまいます。

サンボードロモを訪れた日はカルナバル2日前ですが、そこはブラジルまだまだ準備の真っ最中です。一年の風雨で汚れた通りをきれいに塗り直し、カマロッチの飾り付けもまだ半分も終わってません。カルナバル期間中以外は取り外してある椅子の取り付けなんかもこれからです。作業員がたくさん働いている会場には今年のサンバのエンレードがかかっていて否が応でも盛り上がります。また、これもブラジルらしいことなんですがそのサンボードロモに入ってあっちこっち行くこともできます。日本だったら入口で警備員に止められるところです。サンボードロモに入ってみるときれいに掃除されて生き生きとしているのが感じられます。これまでにも何度か見たことはあるんですが、その時は眠っていた会場が「これから始まるバカ騒ぎのために一年ぶりに起きました!」的に元気な顔をしています。まさにこれは「こち亀」の日暮状態っすね。いつも寝ているけど起きるとすごいことをやるところも同じです。そういえば、今年はオリンピックイヤー、日暮が長い睡眠から目覚める年ですね。

その後こちらも準備中のアルキバンカーダにも行ってみました。スポンサーの看板や中の売店なんかを作っている最中でしたが、若い人達がガンガンに流れるエンレードをバックにやぐらを組んで楽しそうに仕事しているのを見ていると、高校時代の文化祭や運動会の時のやぐら作りを思い出しました。僕の学校では建設会社に頼んで工事用の足場を組み、そこに各クラスがデザインしたやぐらを組み上げたんですが、作業するうちにクラスの一体感が高まりました。きっとサンボードロモの人達も一年に一度の晴れ舞台にむけてこうやって盛り上がって行くんでしょう。

ひと通りサンボードロモの視察を終えた後、コパカバーナへ。でもコパカバーナ行きのバスが途中セントロのカリオカ水道橋の下を通ったので思わず飛び降ります。水道橋の上を通るボンジーニョは乗ったことがありますが、下から水道橋を見たことはなかったのでこれはチャンスです。しかもちょうどいい具合に橋の上をボンジーニョが通ってくれたので写真に収めることができました。また、橋のたもとには衣装屋みたいなのがあってこちらもカルナバルのために準備中でした。ゴテゴテに飾り付けた衣装がたくさんならんでいましたが、日本人が着たら単なるコスプレにしか見えないような衣装です。と、写真を撮っていると子供達に囲まれてお金をねだられそうになったので早々に退散です。

そしてコパカバーナへ。なぜ今さらコパカバーナに来たかというと、名物のお土産屋台を見に行くためです。ちょうどコパカバーナにある監視所兼更衣室の通称「ポスト」のうちポスト5の目の前、ホテルで言うと有名なコパカバーナ・オットン・パレスの前に、夜の7時をすぎる頃になると外国人観光客向けのお土産屋台が出現します。僕が毎回買い求めている洋服から民芸品風のものまで旅行者が喜びそうなものがたくさんあります。もちろん今日の客のほとんどはカルナバル目当ての観光客で、ポルトガル語以外の言葉もたくさん聞こえます。普段は見かけることの少ない日本人もたくさんいます。みんなカルナバル気分で楽しそうです。今日は下見ということでだいたいの相場を確認した後帰りました。

3月3日 金曜日

今日は一日暇です。カルナバルの入場券の交換に時間がかかる場合を想定して早めにリオに入りましたが、思いの外簡単に終わったので、一日観光できることになりました。そこで昨日から気になっていたニテロイ行きのフェリーに乗ってニテロイに行きます。ある人から「リオもいいけど、リオに飽きたらニテロイがいいよ〜」と言われていたので前々からチャンスがあったらと思っていました。ニテロイはリオの対岸にある町です。リオはグアナバラ湾の一番外側の西岸にある町で、ニテロイは東岸にあるまちです。グアナバラ湾を東京湾にたとえたら川崎がリオにあたり、木更津がニテロイにあたります。リオとニテロイの間には長さ13kmのリオ・ニテロイ大橋があるのも川崎・木更津に似ていますが、橋では風情がないのでやはり船でしょう。ちなみに今ニテロイ湾の奥の方で石油流失事故があり、結構大変みたいです。ついでにベレーン沖にも大型タンカーが石油満載のまま沈んでいて現在復旧作業をしてますが、もしこれが漏れだしたら世界でも最大規模の流出事故になるみたいです。

そんなことはさておき、まずは黄色いフェリー乗り場まで行き、切符を買って中に入ります。外側から見ただけでなんとなくスターフェリーを思い出しましたが、中に入ってみるとさらにその感を強くしました。真ん中に待合い客のための座席がならび、出口のところはゲートがあり今は閉まっています。そして待合室の両側には軽食屋が軒を連ねているところもスターフェリーと同じです。ただ、お土産屋がないのが違いですね。僕が到着したのはちょうど船が到着したときで、すぐにゲートが開いて乗船です。こちらの方はスターフェリーよりも大型です。大きく開いた船首側の入口からはいると、船内はいかにも使い古されて黒光りしている木製の椅子がならんでいて年期を感じさせます。さっそく景色のいい船尾側に移動して出発を待ちましょう。

出発して回頭すると船尾の目の前にはリオのセントロの町並みが広がります。リオを含めてブラジルは地震がないので日本に比べると高層建築が多く、まるで写真に見たNYみたいでかっこいいです。背景に高いビルを従えて海岸沿いにはアンティークな建物がずらりとならびとても絵になります。船は埠頭を離れると海軍基地の側を通って沖に出て行くんですが、基地に面白い物を発見しました。航空母艦です。南米の海軍というとまずはイギリスと戦って敗れたアルゼンチン海軍を思いだしますが、なんとなく貧弱な印象を持っていました。たまにテレビで海軍のコマーシャルを見ますが、やや古くさい護衛艦みたいなのが出ていてあなどっていたんですがこんなもの隠し持っていたんですね。まあブラジルはまわりを広大な海に囲まれてるので持ってていても不思議ではないんですが、ラテンアメリカに航空母艦というのがなんとなく笑っちゃいます(すみません)。その後もポン・ジ・アスーカルなんかを見ながらニテロイに移動します。

30分ほどでニテロイに到着です。船着き場から外に出ると町の感じが全然違います。ゴチャゴチャしたリオに比べて何となく開放的で明るい感じがします。海を渡るだけでこんなに違うんですね。このあたりもカオルン半島に似ているリオの街と香港島に似ているニテロイって感じです。もう一つ気付いたんですが、リオに比べるとアジア人の濃度が高いですね。結構見かけます。ニテロイに来たら行こうと思っているところにサンタ・クルス要塞があります。ポン・ジ・アスーカルに登ったことがある人なら分かりますが、頂上から対岸を見るとこちらにつきだしているように見える要塞です。きっとそこからはポン・ジ・アスーカルを含めたリオの景色がよく見えることでしょう。さっそく朝食のために入ったランショネッチで要塞の行き方を聞くと、要塞行きのバスは本数が少なく次のバスは正午にでるとのこと、小一時間ほどあるのでショッピンに行ってみることにしました。

ニテロイの港の側にあるプラザ・ショッピンはかなり大きい部類にはいるショッピングセンターです。カルナバルの時期だからなのか分かりませんがちょうど大売り出しの真っ最中です。お客さん達もカルナバル前なのか楽しげです。のんびりとウインドーショッピングを楽しんでいたら面白い物を発見しました。カルナバルの衣装です。ニテロイからはポルタ・ダ・ペドラというエスコーラがエスペシアウに出場しますが、そのエスコーラで使う衣装が陳列してあります。すべて派手派手の男衣装だったので多分、メストリ・サーラや他の男の衣装でしょう。メストリ・サーラというのはポルタ・バンデイラという女性と二人だけで踊るカルナバルの花形とも言うべき役柄でそれだけに衣装も凝っています。それぞれ赤あり、白あり、オレンジありと華やかな色合いです。原色の衣装がたくさん並んでいるのをみると、条件反射的にゴレンジャーを思い出してしまうのは僕たちの世代ならみんな分かる気持ちだと思います。

衣装を見てカルナバル気分を盛り上げた後、要塞行きのバスに乗ります。バスはニテロイのセントロの町並みをすぎると気持ちのようそうなプライアを通ります。コパカバーナほど世俗化してなくきれいで静かなプライアが延々と続いています。海岸沿いにはこじんまりとしたキオスクやおいしそうなレストランが並んでいて、これは見逃せません。帰りには寄ることにしましょう。バスはその後どんどん町外れに行きます。町外れに行くにしたがってプライアものどかになっていきます。最後の方になると岩場に囲まれた50mほどの静かなプライアがあって、そのあたりは穴場的な感じで地元の人達が海岸でシュハスコをやりながら家族や友人達と楽しそうに遊んでいてすごくいい感じです。やがてバスはプライアから離れて岩場の道を進みます。ポン・ジ・アスーカルみたいな大きな岩山のふちを海岸線に沿って削ってつくった道です。車が一台通るのがやっとというところを通り抜けると軍のチェックポストがあり、まもなく要塞に到着です。

要塞は細長い半島の先っぽにあり目の前にポン・ジ・アスーカルやグアナバラ湾が広がる風光明媚なところです。何よりも気持ちいいのは目の前の大西洋から直接吹きつけてくれる涼風です。木陰に座ってその風を受けているととても涼しく、しばらく座っていると寒いぐらいです。要塞の見学はガイド付きで時間が決まっていてしばらく待ちます。要塞前の広場にはたった一軒だけランショネッチがあり、そこでのんびりしていると要塞の兵士の交替時間になったのか中からたくさんの兵士が出てきます。みんな私服でこれから町に繰り出そうというところみたいです。みんなランショネッチにわあっと集まりそこのお姉ちゃん達と楽しげに話しています。軍服を着ていると怖そうに見える人達もこうやってみるとただの若者でいいですね。そんな兄ちゃん達も町行きのバスが到着すると波が引くようにいなくなりまた静かになりました。

さて、要塞見学です。要塞と言ってもこのミサイル時代には岬を守る要塞なんて時代遅れなので、半分記念物みたいな物です。そのせいか入口を守る守衛ものんびりしていて、普通の観光地を歩いている気分です。日当たりのいいきれいな道を歩いていきますがところどころに昔の大砲がある以外は白亜の建物と青い海の世界で、どことなしか地中海あたりのひなびた町に迷い込んだ見たいです。いろいろと説明を聞きながら岬の先に行くと、大砲がたくさん並んでいました。この岬とポン・ジ・アスーカルを結ぶ狭い海峡がグアナバラ湾に入る唯一の水路だけに昔は守りの要衝でした。今残っているだけでこのあたりには六つの砲台があり、リオの街を守っていたそうです。とくにその中でもこの要塞は大きい方で、確かにたくさんの大砲が並んでいます。しかし今ではそれも使われておらず、誰もいない通路に大砲が寂しくならんでいるのを見ると、何か世紀末の世界にいるようです。しかしあちこち歩いても人っ子一人見あたりません。いったい軍事基地なのに何してるんでしょう。やっぱカルナバルなんで軍隊も休みなのかな?ブラジルになだけにそれもありそうで怖いです。なんだか基地らしいの緊張感の全く感じれない要塞でした。

要塞を見学した後、バスでも乗ろうかと思って聞いてみると、次のバスは5時だそうです。今は2時半。う〜む。としか言いようがありません。しょうがないので大西洋の風に吹かれながら読書です。冷たい風と暖かい太陽がちょうど良く混じり合っている場所を探すとそこには先客がいました。じいさんの野良犬です。さすがにこの場所での生活歴が長いだけあっていいところを知ってますね。その犬は僕が来ると一応愛想をふってこっちによってきますが何ももらえないと分かるとまた元の場所に戻って寝ちゃいました。初めは落ち着かないのかこっちをちょろちょろ見ていましたが、この闖入者には構うことなく寝ることにしたみたいです。結局これから二時間半の間、僕と犬は凍り付いたようにそこに座ったままそれぞれの世界に入り込んでしまいました。なんかこれもブラジルらしい時間の過ごし方です。

やっとバスががやって来たときには正直言って「解放された」って気分です。町に近づくにしたがって現実の世界に戻れます。もうだいぶん遅くなったのでリオに帰ろうかと思いましたが、行きがけに気に入っていたプライアについたらやはりそのまま通り過ぎることが出来ず降りてしまいました。ちょうど傾きかかった太陽がリオの街に沈みかけていて、西日を受けた浜辺のレストランが素敵に輝いていて思わず入り込んじゃいました。メニューを見て「ゲッ、高いやんか!」と思いましたが、まあ入ったからにはおいしい物を食おうと、頼んでみたところ出てきた料理のうまいことうまいこと。なんか魚をバター焼きにしてオリーブオイルベースのタレをかけて食べるんですがこのタレが絶品でした。カレーのルーを入れるようなアラジンのランプ風の入れ物に入れたたれの下にオイルをしいて、客の目の前で焼いて暖めるあたりの演出がなかなかです。最近は食べ物の写真も撮らないといけない!と思っているんですが、さすがに一人で入っていると写真を撮るのが恥ずかしくて出来ませんでした。でもそれ以上に満足して沈んでいく夕日を眺めていました。

そして一日の最後は再び船に乗ってリオの街に帰ります。昼間もきれいだったから夜もきれいだろうなと思った通り、素晴らしい夜景でしたが僕のデジカメでは撮影不能だったので眺めるだけです。しかしカルナバルの前夜にこんなロマンチックな体験をするなんて「我ながらイカスな」とか思ったりしたけど、たった一人で歩いているってところがこれまた僕らしいです。なんでかなぁ。

3月4日 土曜日

この日はブラジル中から友人達がやって来るのでその接待役として宿舎に残っていました。よってやったことと言えば溜まっている旅行記を書いたことぐらいです。

そんな夜の最後にはリオに来ると必ず行ってしまうというイパネマのイタ飯屋にまたもや足を運んじゃいました。だいたい日本にいたころから新しい店を開拓するよりも気に入った店に何回も通う性格で、さらには頼むメニューまでほとんど毎回同じという性格なのでこうなっちゃいます。だってこの店のピッカーニャ(牛のお尻あたりの肉の呼び名)はうまいんだからしょうがない。この店は普段でも観光客濃度が高いんですが、カルナバル前ということで濃度は最高潮に達してます。そのうちブラジル人客達が大合唱を始めちゃって友人と話すどころではありません。幸い半分ぐらいは外国客だったので全員で大合唱という非常事態は避けられましたが、やはりブラジル人は要注意です。なんかこっちのバーというかそういった店ってどこも大音量で音楽がかかっていていやです。お話しするときも大声で怒鳴らないといけないし、何考えてるんだろうって思います。ブラジル人達はみんな大声で話してますが。逆にブラジル人はバーでは大声で話すという習慣があるので日本に来た出稼ぎの日系人なんかが日本の店でひんしゅくをかうみたいです。まあそりゃそうだわな。

食事の後は再びコパカバーナのお土産屋台に行って、今回の旅の土産の調達です。前回目を付けていたのが各エスコーラのシャツです。別にどこのエスコーラに対しても思い入れがないので単にデザインからサウゲイロとポルテイラのシャツを買っておきました。本日はこれで終了。こんな一日だと旅行記書くのも楽です。


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