9月8日 金曜日
前夜リンスを出発した夜行バスは、明け方明るくなったころリオ・デ・ジャネイロ ( Rio de Janeiro ) のホドビアリアに到着です。リオ到着の名物となったドブの匂いは今日も健在で、最近ではこの匂いをかぐと「ああ、リオに来たなあ」と思うようになりました。
今回の旅は日本からわざわざ我が町の日本語学校までお手伝いに来てくださったさみさんとの旅行。三週間あまりの滞在中、全く他の町に行っておらず、「これで帰してしまったら申し訳ない…」ということでやってきました。我が町から夜行バスを使って気軽に行ける週末の旅というとリオ、イグアスの滝 ( Iguacu )、クリチーバ ( Curitiba )、ボニート ( Bonito ) ぐらいですが、さみさんの希望でリオに。実は僕もリオでお買い物をしたかったので、好都合でした。
ホドビアリアに着いてはみたものの、まだ動き出すには早い時間なのでランショネッチ(軽食堂)で時間をつぶします。まだまだ朝のまどろみを楽しんでいるリオの町ですが、ここホドビアリアだけはすでに活気に満ちています。朝一番のバスでサン・パウロやミナスやブラジル中あちらこちらに旅立つ人たちの喧騒が、まるでにぎやかな市場の朝のようです。そういった人たちに囲まれ、「さあ、今日も頑張るぞ!」
今日の宿もカテチにあるホテル・リオン。ここは安宿が多いカテチ地区のど真ん中で、コパカバーナ ( Copacabana ) やイパネマ ( Ipanema ) からは遠いんですが、夜遅くまであいているレストランも多く、便利なところ。いつものバスに乗り込んでホテルまで行くと、ありがたいことに空室もあり、早速チェックイン。昨晩は子供たちとのピクニックからホドビアリアに直行したためにシャワーを浴びる時間がなく、汚れきった体を洗い流して出発です。
でもまだ時間は7時半。まだまだ観光地が動き出す時間ではありません。こういった時にありがたいのがボンジーニョ ( Bondinho )。チンチン電車です。チンチン電車はリオの旧市街のシネランディアからサンタ・テレーザの町を結ぶ庶民の生活の足なので始発が早いんです。
サンタ・テレーザ Santa Teresa Bondinho
リオの中心からのびる丘の上に広がっていて、狭い路地と古い家々がすてきな景色を織り成しています。19世紀にはリオの上級階級にとって、セントロで働き、ボンジーニョで通勤するのが憧れでした。1960年代から70年代にかけては多くのヒッピーたちが住むようになりましたが、すぐ近くにはファベーラ(貧民街)も広がるようになり夜出歩く時は注意が必要です。 |
ボンジーニョの最寄駅、地下鉄のシネランディア ( Cinelandia ) 駅前の広場に出ます。いつもはきれいな広場ですが、今日は少し違いました。というのも今、ブラジルは統一地方選挙の真っ最中。各市の市長と市議会議員の選挙が行われていて、街路灯や電信柱には各候補者の顔写真と名前、そして投票番号を書いたポスターが所狭しと貼られています。ただ、よく見てみると隙間なく貼られているのは街灯と電柱が多く、信号には貼られていません。それよりも感心したのは街路樹。リオをはじめとしてブラジルの町にはたくさんの街路樹が植えられているんですが、その街路樹には一枚のポスターも貼られていません。選挙委員会の規定もあるのかもしれませんが、そういったこだわりを見ていると、さすがに国際環境会議を開催した町だけはあるな、と思います。
「いろんな候補者がいるんだなぁ」と思いながら見ていると、とある老人が僕の目の前である候補者のポスターに思いっきりつばを吐きかけていて、オッと驚きます。はきかけられた候補は現市長のコンデ氏です。たぶんコンデ市長も他のブラジル政治家のご多分に漏れず、いろいろと私腹を肥やしていて、彼はそれに業を煮やしていたんでしょうね。そういったあからさまな行動を見ると「やっぱブラジル人は日本人とは違うなぁ」と思ってしまいます。
ボンジーニョの駅に着くと8時少し前。ちょうど8時に目的地のドイス・イルマンス ( Dois Irmaos ) 行きの電車が出ます。本来ならこれに乗って行ってもいいんですが、目の前に聳え立つコーンの形のメトロポリターナ教会に行ってみたくなりました。
メトロポリターナ教会 Catedral Metropolitana
コーンの形の教会で1964年に建設が始まり、76年に一応完成。でも本当は完成していないらしく、いつの日か「聖蹟博物館」ができるそうです。巨大なステンドグラスが自慢で収容人員2万人を誇る巨大な教会です。 |
この教会は特徴的な形をしているので、コルコバード ( Corcovado ) の上からでもよく見えるんですが、実際に近づいてみるとかなり大きいですね。日本の建物でいうと代々木のオリンピック体育館のようなコンクリート打ちっぱなしの外観が教会としては不自然です。外観はぜんぜん宗教臭さを感じさせないんですが、やはり教会。入る時には緊張します。
これは僕の性格なんでしょうが、どうも宗教がらみの建物に入る時には固くなります。特に中で礼拝などをしている時にはなおさら。何か建物から「お前は異教徒だろう!近づくんじゃねぇよ!」オーラが発散されている気がして気が引けてしまいます。でもそんな時、同行者がいるとなぜか勇気がわいてくるから不思議です。
心の中でそんな攻防を繰り返しながら入ってみたら、そんなことすべて忘れちゃいました。すごい迫力。外から見たときもいいかげん大きかったんですが、中に入ってみるとさらに大きい。天井がはるかかなたに見えます。また、円錐形の壁全体で屋根を支えているため、大きな建物にも関わらず柱が一本もなく、さらに巨大さを強調します。そして圧巻はステンドグラス。教会には四方に入り口があり、そこから天井に向かって幅7〜8m、高さ数十mの巨大な細長いステンドグラスがそそり立ちます。各入り口の上に一枚のステンドグラスなので計四枚の巨大なステンドグラスが教会を取り囲んでいて、それぞれが朝の光でキラキラと輝いています。そのステンドグラスが交わる天井には十字架の形の窓があってそこからは真っ白な朝の光。教会の中には人工の照明などなく、ステンドグラスと天井からの日光が内部を照らし出して荘厳な雰囲気を盛り上げています。以前訪れたブラジリアの教会もそうでしたが、ブラジルの教会は自然光を取り入れるのがとても上手ですね。
このあたりで教会には別れを告げて、外に出ます。メトロポリターナ教会といったら切っても切り離せないのがラパ。
ラパ Lapa
1732年にカリオカ地区からセントロまで水を送るために作られた42のアーチを持つ水道橋です。俗に「カリオカ水道橋」とも言われていて、いにしえのリオを象徴する建物です。ここは多くの物語の舞台にもなったところで、今となってはポン・ジ・アスーカル ( Pao de Acucar ) やコルコバードに押され気味ですが、リオの隠れた名所。またこのあたりはクラブや売春といったナイトライフが盛んな場所でもあります。
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ラパの正面の広場に出ると、そこからは真っ白な水道橋とコンクリートの外観が生々しいメトロポリターナ教会が記念撮影をするかのように並んでいて、真っ青な空をバックにいかにも絵葉書然とした光景。こうなるとシャッターを押さないと我慢できないのが旅人の習性ですが、こうやって僕の旅のギャラリーには絵葉書風の毒にも薬にもならない写真が増えていくんでしょう。写真を撮ると、もうすべてを理解したような気分になってしまい、他にすることもないので駅に戻ることにしましょう。
駅員に聞くと目的地のドイス・イルマンス行きの電車は30分後ですが、別方面行きの電車が間もなく発車するそうです。このまま30分待っても仕方がないので目的地を途中のラルゴ・ド・ギマランエス ( Largo do Guimaraes ) に変更することにしましょう。
まるで遊園地のような駅から出発して、さっきまで下から眺めていた水道橋の上を通ってサンタ・テレーザの町に入っていきます。ボンジーニョが走り抜けるイタリア風の町並みについては以前書いたので、今回は省略。 旅行記「 1999年11月 ヴィトリア&リオ 」参照
途中のラルゴ・ド・ギマランエスでボンジーニョ博物館に行きましたが、やっぱブラジルっていい国だよなぁと思うことしきり。博物館は車両工場に隣接しているんですが、勝手に工場に入りこんでもお咎めなし。それどころか「お〜お前たちは日本から来たのか。遠いところよく来たな、カフェでも飲んでけよ。」とすすめられちゃいました。何か人と人の心の距離が日本よりもだいぶん近いようです。
工場や博物館をぶらぶらした後は、再びボンジーニョに乗って、ドイス・イルマンスへ。ここは丘の上で、目の前には山のようにそびえるファベーラがあり、谷間にはリオ市街が見渡せる隠れたビューポイントです。すでに2回来たことがあるので、ボンジーニョを降りるとすぐに展望ポイントに移動。展望ポイントといっても別に展望台なんかなくて草ぼうぼうの裏山みたいなところから眺めるんですが…
ぜんぜん違いました。草ぼうぼうだったところはきれいに草が刈られ、芝生さえ植えられています。その間には石で敷いた遊歩道も作成中で、公園みたいになっています。これはすごいと感心しながら遠くを眺めてみると、目の前に聳え立つファベーラも工事中。ファベーラにいたる道が拡張されていて、きれいな歩道もできています。ただ、両者に共通するのはともに「工事中」だということ。たくさんの作業員たちが働いていますが、ちょっと不思議。
よ〜く考えてみたら思い当たる節はひとつ。そう、「選挙」です。もうすぐ選挙なので再選を狙うコンデ市長が票の獲得のためにやっているのでしょうか。特にファベーラ付近は人がたくさん住んでいるので、ちょっとした工事でも集票効果は高そうですから。そう思うとこれまでにもこういった景色を見ましたね。我が町でもなぜか最近道路の補修工事が盛んに行われ、街路表示の立て看板が目新しいものに変わっていました。このあたり、日本の政治家が新幹線新線などを公約にぶちあげて選挙活動をするのに似ていますね。
ドイス・イルマンスを後にした僕たちはコルコバードを目指します。白タクのお兄ちゃんに教えてもらった407番のバスに乗ると、バスはコルコバード行きの電車が出るコズメベーリョ ( Cosme Velho ) に向けて、サンタ・テレーザの丘をガンガンと下っていきました。そしてコルコバードの駅に着いてみると…
過去最高の混雑!300万人の人手を記録した2000年カウントダウンの時でさえこれほど混んではいませんでした。やはり一番の敗因は時間帯かもしれません。その時は朝の10時すぎ。ツアー客が集中する朝のラッシュの時間です。確かに近くのツアーバス駐車場には10台以上の大型バスが並んでいます。
行列が何よりも嫌いな僕ですが、並ばないわけには行かないので並びますが、ちょうど僕たちの前には日本人の団体さんがいます。「おっ、日本からかな?」と近づいてみると、どうも服装が違います。日本人の服装じゃありません。見たところ中国人っぽい格好をしています。「どうも日本人じゃなさそうだ」と思っていると、案の定広東語で話していました。日本人の僕から見ると日本人と香港人は顔と言い、格好といいぜんぜん似ていないと思うんですが、ブラジル人から見るとみんな「ジャポネース」みたいで、「今日はジャポネースがたくさんいるね」などと話している客もいました。
こちらとしてはちゃんと違いを分かってよ!とか思う時もありますが、便利な時もあります。以前ゴイアス ( Goias ) に地区の先生たちと一緒に旅行した時、帰り際になってある先生が身分証明書を忘れてきたことが分かりました。ブラジルでは州を越えるバスに乗るときには本来なら身分証明書がないといけないんですが、そこは同じ日本人どうし。「どうせブラジル人は日本人の顔の区別なんかつかないんだから、私の身分証明書のコピーを使いなさい」ということで一件落着。なくした先生は男で、貸してあげた先生は女だったんですが何の問題もなくパスしたそうです。
延々と並んだ後、電車に乗りこんで揺られること20分。頂上駅に着くとそこでも大混雑。キリスト様の足元の展望台も人でいっぱい。眺めのいい展望台の手すり付近にたどり着くのも順番待ちの状態です。また、キリスト正面の展望台には階段があって、階段の上に立っている人を階段の下からとると、ちょうどいい具合に大きく両手を広げたキリスト像が後ろに写るんですが、ここも壮絶な場所とり戦争。お互いに前に前にの争いで「あんた邪魔よ」とか「早くしなさい」なんて文句がいろいろな言語で飛び出す始末。今回は数枚写真を撮っただけで退散です。特に例の香港人観光客の傍若無人ぶりがすごく、他の人が写真を撮っている前にしゃしゃり出て、自分たちの写真を撮っています。それを見たブラジル人達が陰で「日本人は無教養よね!」と言っているのを聞いてしまい、「違うって!」と声にならない叫びをあげる僕でした。
雑踏の展望台を離れ、頂上駅まで歩きますが、その途中途中にはたくさんのお土産屋があります。さすがにブラジル随一の観光地だけあっておみやげ品も充実。ピラニアのはく製からノルデスチ名物の砂絵、南部名産のビールジョッキまでなんでもござれの品揃え。ここには何度も来ているんですが、毎回似たようなものがならんでいます。しかし、よーく見てみると違うところもありました。それはTシャツ。これまでは「リオ・デ・ジャネイロ」とかいたTシャツが多かったんですが、今日は「ブラジル」と書いたTシャツをたくさん見かけます。前者は主にブラジル国内の客向け、後者は海外からの客向けだと想像すると、最近ブラジル人観光客が減って、外国人観光客が増えているのでしょうか。このあたりにもブラジルの不景気の影響が表れているようです。
コルコバードでリオの町を空から楽しんだ後は、イパネマ海岸に移動です。もう昼も過ぎたのでお腹が減ってきました。イパネマに行ったら必ずいってしまうイタ飯屋で昼食にしますが、ここは外国人観光客が多い店だけあって、海岸沿いのテラスで食事をしているといろいろな物売りがやってきます。物売りが見せてくれるお土産を見ているのは楽しいんですが、たまに子供たちがやってきて僕たちが食べている料理を指差し「ちょうだい!」なんて言ってきます。町を歩いていてそういった子供たちに「小銭をちょうだい」と言われたときにはあげることも多いんですが、食事中にその食べ物をねだられると困ってしまいますね。なんかお金の方があげやすいというか、自分が食べているものをあげるのは躊躇しちゃいます。そうやってしばらくドギマギしているとレストランの前で駐車管理をしているおじさんが追い払ってくれました。ありがたい、と思う反面、自分が意地の悪い金持ち外国人になったみたいであまりいい気分ではありません。
レストランは海岸沿いにあり、大通りをはさんで目の前にはイパネマの海が広がります。大通りには海岸で遊ぶ人たちの車がびっしりとならんでいますが、ここにも路上駐車管理人がいました。そこに停めてある車は前後に10cmずつぐらいしか隙間がなくて、「いったいどうやって車の出し入れをするんだ?」的な高等技術です。「ブラジル人の運転技術はすごいもんだなぁ」と感心していると、一台の車が出るみたいです。すると目が点!なんと管理人が前後の車を押してスペースを作っているではありませんか。
なるほど、路駐する時にサイドブレーキを引かないんですね。車のドアにはカギをかけるようですが、サイドブレーキはそのままにしておくので手で押せば車が動くんです。また、手で押すぐらいの早さで前の車にぶつかっても傷はつかないので、二台三台とまとめて押してスペースを空けてい ます。そして次の車が入ってきたら、元のように10cm間隔に戻して終了。ちょっとした生活の知恵ですが、なかなかいいですね。日本でもこれを導入したら、縦列駐車が苦手な人でもきっちり詰められるんじゃないでしょうか。
食事の後はしばらくイパネマの海岸を散歩してみますが、いつもと同じでこれといって変わったことはありません。ただ、海岸の端のほうでサーフィン大会をしていたのが目新しかったぐらい。サーフィン大会といっても「日本もブラジルもサーファーは似たようなもんだな」と再確認しただけでした。
イパネマ観光の後は、ショッピングセンターで買い物のあと、ポン・ジ・アスーカルに行きます。その頃にはとっくに日も暮れており、真っ暗でしたが夜景がきれいですからね。と思ってロープウェー乗り場に行ってみるとコルコバードでは掃いて捨てるほどいた観光客がここには全然いません。登りのロープウェーは僕たちの貸切状態ですが、真ん中ですれ違う下りのゴンドラの中は超満員。頂上に着くと、お土産やも軽食堂も閉まっていて閑散としています。ラッシュをはずすどころか誰もいないポン・ジ・アスーカルでした。思う存分夜景を楽しみましたが、観光客もこの夜景を見に来ないとはもったいないことです。香港のヴィクトリア・ピーク ( Victoria Peak ) なんか夜になると夜景目当ての客でいっぱいになるのにブラジルの観光客はのん気というか贅沢というか…
9月9日 土曜日
昨晩は早めに寝た分、今日は早めにスタート。さみさんが両替をしたいということですが、土曜日は銀行も両替屋もお休みなのでコパカバーナに行ってみます。世界のコパカバーナだから土曜でも換金ぐらい出来るでしょう。コパカバーナで換金するといって真っ先に思いついたのが「コパカバーナ・パラセ・ホテル」。日本の皇族も泊まったというリオ随一の高級ホテルです。そういったホテルは日本人旅行者の定宿になっているはずで、両替してくれるに違いありません。
バスに乗って15分ほどでコパカバーナに到着。まだ9時過ぎで浜辺にもそれほど人がいません。コパカバーナ・パラセはそんなコパカバーナのど真ん中にある白亜のホテル。土地が狭く、人口密度が東京よりも高いといわれるコパカバーナ周辺の高級ホテルはどれもこれも背が高いんですが、コパカバーナ・パラセはあまり背の高くないどっしりとしたつくりで逆に高級感を引き立てます。生まれながらにしてそう言ったホテルには縁のない僕は近づくだけでちょっと腰が引けてきます。たしかに金の問題だけだったら物価が日本よりも安いので泊まれないこともないんですが、やはり人の風格というか、僕が泊まったりしたら「ケッ、日本人は金さえ払えばどこにでも泊まっていいと思ってやがる」と思われてしまのがオチです。
でも今日ばかりは行かないわけにはいかないので入ってみましょう。一部の隙もなく正装したドア・ボーイが見守る中、出来るだけ何事もないように重厚な扉をくぐりましたが、傍目から見たら緊張感でガチガチに見えたでしょう。もしかしたら右手と右足を同時に出しながら歩いていたかも知れません。入ってみるとレセプション・ルームはこじんまりとしているんですが、それもまた「このホテルに泊まるのはお得意さんだけです。一見さんお断り!」みたいなプレッシャーに感じてしまいます。こんなところにいると心臓によくないので早速用件を切り出してみますが「お客様、あいにく当ホテルでは宿泊客以外の換金は承っておりません。お隣のインターナショナルホテルでお願いします。」とあっさり言われてしまいました。そんな丁寧な一言も「ここはあんたみたいなのが来るところじゃないのよ!とっとと帰りなさい!」と言われているような気になってしまう僕でした。「あ〜もう、こんな疲れるホテルには一生泊まらんぞ!」と思いながら出て行きましたが、たぶんホテルのほうでも願い下げでしょうね。
言われるままに言ってみたインターナショナルホテルも高級そうな外観をしていますが、こちらは「とっても高級なシティホテル」みたいな雰囲気で、僕みたいな人間でも金さえ払えば泊まれそうな感じです。「は〜、こっちのほうが全然落ち着く」と思いっきりリラックスしながら換金を頼むと気持ちよく引き受けてくれました。換金してくれたのは窓口の女性で、最後にお金を渡す時に「ありがとうございました」ときれいな日本語を使います。聞いてみると、祖父が山形から来たそうで、以前、宇都宮に出稼ぎにも行ったことがあるそうな。僕も宇都宮には行ったことがあるので、名物の餃子の話やラーメンの話などでもりあがってしまいました。コパカバーナなのに。
換金してちょっと余裕がでたのでコパカバーナでお土産です。ちょうどこのあたりにはお土産屋台がならんでいて、いかにも外国人観光客が喜びそうなものが売っています。Tシャツにアクセサリーのような定番から、どうやって持って帰るんだ!と言いたくなってしまうような重い石細工などまで売っています。あちこちのお土産屋に行くたびにいつも不思議に思うんですが、必ずアンデス風の民芸品が売っています。需要があるんでしょうかね。それにアンデスに行ったことがないので分からないんですが、これ本当にアンデス土産なんでしょうか。どっちにせよブラジルと言ったらなぜかアンデス土産です。
そのアンデス土産屋に笛がおいてありました。笛といっても本当のアンデスの笛ではなく、日本でも売っているリコーダーにゴテゴテと装飾をつけたやつで、吹き方はリコーダーと全く同じ。思わず手にとって吹いてみましたが、装飾のせいか、どうも音が外れています。どれもうまくいかず「ダメだな!」と思っていると屋台のおやじが「これは音がいいよ」と差し出してくれます。確かにそれは他の笛に較べると音程もしっかりしていてちゃんと吹けそうです。早速お礼代わりに(っておやじにお礼をする義理も何もないんですが)今ブラジルで流行している歌を何曲か吹いてあげました。するとおやじも口笛であわせてくれて、最後には「ありがとう」と一言。「じゃあ、これちょうだい!」と言ってみたらあっさりと断れられてしまいました。ケチ!
お土産も無事に買い揃えた後は、パケタ島( Paqueta )にでも行ってみることにしましょう。パケタ島はその名の通りリオの奥に広がるグァナバラ湾( Guanabara )に浮かぶ小さい島で、別名「恋人達の島」だとか。そのストレートど真ん中のネーミングにブラジルの健やかさを感じてしまいます。
プラサ15( Praca Quinze )の近くの高速船乗り場には、土曜のお昼ということもあって小旅行を楽しむカリオカの家族連れが大勢並んでいます。パケタ島はおいしいシーフードが自慢なので、ちょっと豪華な昼食にでも出かけるんでしょうか。目の前の港を船が通るたびに「あっ船だ!」と喜ぶ子供の姿がのどかです。
やがてやって来た船はいかにも早そうな水中翼船で、遠くの方からすごい速さでこっちに向かってきます。それを見ているとまたもや香港を思い出してしまいました。香港ととなりのマカオを結ぶ高速船にジェットフォイルというのがありますが、船の雰囲気がなんとなく似ています。というかリオの街はかなり香港に似ていますよ。両者とも海沿いに開けた街で、街の背後には急峻な山々がそびえ、複雑な入り江を形作っています。都会の喧騒を離れ、一歩山の中にはいると静かなコンドミニオが立ち並び、そこが大都会であることを忘れさせてくれるような、そんな雰囲気を両者とも持っています。
なんて回想にひたっているうちに船は出発。外から見る高速船はいかにも楽しげな乗り物ですが、乗ってしまうと退屈です。普通の船だったらデッキに出て潮風にあたることもできるんですが、高速船の場合、安全上の理由で客室から出ることができません。客室に窓はあるものの作りつけのため開けることができず、とても狭苦しく感じます。わずかに船首部分の開け放たれた扉だけが新鮮な空気の取り入れ口です。しかも満員で自由に席を移動することもできない状況では寝るしかありませんね。幸い昨日の疲れが残っているのでぐっすり眠ることができましたが。
小一時間かかってパケタ島に到着。早速降りてみると、先ほどのリオの街とは打って変わってのどかな島の光景が目の前に広がります。自動車の流入を原則として禁止しているため、船着場のまわりには馬車タクシーが並んでいて、馬達がのんびりとたたずんでいます。また、島の人々の足は自転車で、土道を縦横に自転車が走り回っている姿は中国かどこかの街角のようです。年末のリオ旅行では市内からバスで30分のチジュカ国立公園の自然の豊かさに驚きましたが、今回はパケタ島ののんびりした空気に驚きました。都心の雑踏のすぐ近くにこんな別世界を持っているなんてリオは懐が深いですね。
さて、島のセントロを目指して歩いてみます。舗装道路がないこの島ではセントロも土道。土ぼこりをあげてたくさんの自転車や馬車が行き交っています。島の経済は完全にリオからの観光で成り立っているらしく、観光客向けのポウザーダや貸し自転車屋が軒を連ねていて妙ににぎやかです。江ノ島の雰囲気とでも言いましょうか、生活感を感じさせないにぎやかさです。
貸し自転車屋ではたくさんの人達が自転車を借りていますが、素朴な疑問が湧いてきました。ブラジルの人達は自転車に乗れるんでしょうか?もちろんこのあたりに住んでいて、普段の生活の足として乗っている人は別として、僕が住んでいるような普通のブラジルの町では自転車をほとんどみかけません。モータリゼーションが進んだサン・パウロではほんの近くまで買い物に行くのも自動車。買い物袋をいっぱい乗せたママチャリをこぐ主婦の姿なんか見たことありません。それに自転車に乗っている子供もあまり見かけません。まだ男の子は自転車に乗る子もいますが、我が校の女生徒で自転車に乗っているのを見たことがあるのはたった一人だけです。坂道が多くて自転車では大変というのもあるんでしょうが、自転車に乗る機会がなければ乗り方の知らないんじゃないでしょうか?実際身の回りの女性に聞くと「私、自転車に乗れないの」という人が結構いました。しかしこのパケタ島では老若男女を問わず自転車に乗っていて、自転車文化圏の日本から来た僕にとってホッとする光景でした。
細長い島の真中にあるセントロを通りぬけると、もう島の反対側に出てしまいました。船着場のあるほうは岸壁になっていましたが、こちら側は細長い島に沿って延々とプライアが続いていました。真っ白な砂浜が遠くまで続いていますが、観光客ズレしてなんとなくお高くとまって見えるイパネマやコパカバーナのプライアと違って、パケタ島のプライアは「みんなのプライア」です。海岸沿いのベンチでお弁当を広げる家族や、果てしなく元気な子供に引きずりまわされて疲れ気味のお父さん達や、子供そっちのけでペチャクチャしゃべっているお母さん達の姿は日曜日の日本の海と一緒です。特に、子供の相手をさせられているお父さん達を見ているとお父さん予備軍の僕としては同情に絶えません(『相手をさせられている』なんて書くこと自体、お母さん達から怒られそうですが)。日ごろブラジル人に対して「よ〜分からん」とか「ど〜してそんなことするかな!」とか思う事も多いんですが、そんなお父さん達を見ていると「やっぱ世のお父ちゃんなんてみんな同じもんなんやねぇ」と妙に共感してしまいました。
そんなお父さん達を眺めつつ、たどり着いたのが島のはずれにある展望台。パケタ島は三日月の形をしていて、外側の中央付近に船着場があり、内側は砂浜になっています。展望台はその三日月の一番端っこにあって、島全体を見渡すことが出来ます。ナモラードス( Namorados 恋人達 )がうじゃうじゃいてうざったい展望台の頂上からは弓状に反り返った砂浜が見え、遠くの海がスモッグにかすむ太陽の光をとおしてキラキラと輝きます。しかし僕の興味を引いたのはそんなものではなく、とある島でした。
その島はパケタ島の隣にある島で、幅300mぐらいでしょうか。そんな大きな島なのに、金持ち風の3階建ての家がドーンと建っているだけで、他にはなんの建物もありません。しかも双眼鏡で見た家の扉や窓は堅く閉ざされ、人のいる気配もありません。もしかして島全体がひとつの別荘?だとしたら考えられないくらい贅沢な別荘ですが、貧富の差が激しいブラジルならありえることです。
展望台にはたくさんのナモラードスがいることは書きましたが、「ナモラードスいるところ相合傘の落書きあり」は世界の法則らしく、ここにも相合傘の落書きがありましたが、中にはかなり気合の入った相合傘もあります。それは石の相合傘。高さ60cmぐらいの石があったんですが、その石の表面に深々と名前が彫り込まれているではありませんか。彫りの深さは2cmぐらい、全部を彫り上げるのにかなりの時間がかかったはずですが、ここまでするブラジル人ナモラードスの力にはただただ脱帽です。
このあたりでパケタ島観光を切り上げることにして、リオ市内に戻ります。ホドビアリアでさみさんを見送った後、深夜のサン・パウロ行きのバスまで時間があまってしまいました。あまり退屈なもんで観光案内所で「何かない?」と聞いてみると、ちょうど今、ベト・カヘーロ ( Beto Carrero ) がリオに来ているみたいです。ベト・カヘーロはサンタ・カタリーナ州のカンボリウ ( Camboriu ) に本拠地がある、ブラジルでの知名度ナンバー1のサーカス団です。以前、友人から「お薦めだよ」と言われていたんですが、僕の住んでいる小さな町にはやってくるはずもなく、一度見てみたいものだと思っていたのでまさにおあつらえ向きです。
タクシーを飛ばして入り口に着くと、開場30分前なのにそれほど並んでいる様子もありません。早速チケットを買って並びますが、他のお客さん達のほとんどが土曜の夜を子供達と楽しもうという家族連れ。その他、若いカップルもちらほら見かけられましたが、僕のように一人で来ている男性はほとんどいません。というかいるわけありません。寂しすぎです。他の人達が楽しそうに話している中で、一人立ちすくんでしまいます。昔から一人旅には慣れていて、知らない町の一人歩きに苦を感じることはないんですが、こんな時はつらいですね。他に一人旅で辛いのは食事でしょうか。ブラジルのちゃんとしたレストランの客はほとんど全員が家族連れ、カップルなどで、一人で食べている人はほとんどいません。そんなところに一人で入るとギャルソンも怪訝そうな顔をするし、おいしいものもおいしくなくなっちゃいます。すると一人で入れるような軽食屋ばかりで食事をすることになって、その土地の名物料理を食べそこなったりするんです。
辛い時間を耐え忍び、30分遅れでやっと入り口が開きました。入り口の向こうに巨大なテントがあるのはどこのサーカス団でも同じ。テントの中に入ってみると、客の入りは五分といったところでしょうか。リオの土曜日の夜に五分の入りで採算が取れるのかどうか分かりませんが、こっちとしてはゆっくり見ることができるので大歓迎です。家族連れに囲まれると寂しくなるのでなるべく端っこの方に席をとり、ポップコーンを食べていたら開演です。
華々しい音楽とレーザー光線のオープニングは、日本で見なれたサーカスのよう。出し物も日本と似たり寄ったりで「これぞブラジル!」と思うような場面がほとんどありません。昔、上海で見て大感激した上海雑技団クラスとはいかないまでも、それに近いショーを期待していただけに正直言って拍子抜けでした。もちろん下手というわけではありません。どの出し物もよくできているし、音楽もいいんですが、ボリショイサーカスや上海雑技団を見て肥えてしまった僕の目には普通のサーカスに見えてしまいます。
「な〜んだつまんね」とまわりを見まわしてみると、子供達はポップコーンを口に放り込む手を止めてマジマジと見つめています。そう言えば、僕の心の片隅にも、田舎町にやってきたサーカス団を見て感動した子供の頃の記憶が残っていました。それがいつの間にか、一所懸命演技する人達を冷めた目で見る大人になってしまったんですね。もう戻ることが出来ない時の流れを思うと、なんだか寂しいもんです。