原相論
存在論
第三章 第四章 第五章 第六章
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第三章 本性論 人間の本然の姿(本性的人間)を扱う部門 古来から多くの人々が現実の人間の姿に満足できず人間の本来の姿を求めた。 統一思想による人間観 : 現実の人間は堕落人間であり、本然の姿を失った非原理的な人間である。 一、神相的存在 (一)性相と形状の統一体 人間は万物の性相・形状を総合した実体相であり、霊人体と肉身の二重的存在であり、心と体の統一体であり、生心と肉心からなる心をもつ二重心的存在である。 肉心と生心の関係が重要である。
生心と肉心の関係は主体と対象の関係にあり肉心が生心に従う(価値生活を第一義的にし、物質生活を第二義的にする)のが本来の姿である。 人間は堕落しているが故に生心と肉心の関係が逆転している。 (二)陽性と陰性の調和体 夫婦の調和 本然の夫婦はそれぞれ神の一性、宇宙の半分、人類の半分、家庭の半分を代表する存在である。夫婦の結合は神の顕現、宇宙の完成、人類の統一、家庭の完成を意味する。 夫が妻を愛し、妻が夫を愛することは家庭において人類愛を完成することを意味し、夫婦が宇宙の中心となることを意味する。夫婦の問題は社会問題や世界問題を解く鍵である。 家庭的四位基台の形成
神の創造理想 : 愛(心情)を動機(目的)とした創造 人間は互いに愛し合って神の調和に似なければならない 秩序の形成
愛の実現
家庭倫理
(三)個性体 神は人間に特に独特な個別相を与えられた。人間は特有の個性をもって神に最高の喜びを与える最高の価値をもった存在である。 神が人間を見るとき特性においてどの人間の容貌も、どの人間の行動も、どの人間の創作も美しく愛らしく思い喜ばれる。神は極度の近眼、極度の色盲、しかし愛には非常に敏感である。 二、神性的存在 (一)心情情的存在
科学、哲学 今日まで人類の堕落の故に自己中心性を基盤とした文化、知情意の分裂した文化が築かれてきた。真なる文化とは心情を中心とした文化である。 (二)ロゴス的存在 ロゴスとは神の性相において内性の中の理法と内形の中の法則が主に授受作用をなしてできた新生体のことである。 ロゴス的存在とは自由性と必然性の統一した存在である。 人間は自由意志に基づいて行動する理性的存在であると同時に法則に従って生きる規範的存在でもある。 ロゴス形成は心情が動機となっている。従って宇宙の法則は愛を動機としたものであり、愛の実現を目的 としたものである。 家庭と規範 家庭は宇宙の秩序体系の縮小体
家庭における規範は社会や国家にそのまま拡大される。 人間がロゴス的存在としての本性を回復し、本然の家庭が築かれるとき社会も国家も本来の秩序体系にかえることができる。 (三)創造的存在 神は人間に創造性を与えられた。人間に心情、愛でもって万物を主管させるためである。主管には支配、管理、処理、保護等の意味がある。本来主管とは自分が作ったのを主管するのであって他人が作ったものを勝手に主管することはできない。人間も宇宙を作ったという条件を立てなければならなかった。 人間が宇宙の縮小体である自身を完成させれば、神はそれをもって人間が宇宙を創造したのと同じ価値と条件として認めようとされた。 堕落の故に人間は神の創造性を受け継ぐことができず、自己中心的な理性に基づいた創造を行うようになってしまった。創造活動はほとんど自己中心的になってしまった。人間は心情を中心とした本来の創造性を確立しなければならない。愛を動機とした創造、正しい価値観に基づいた創造である。そのためには倫理が自然科学の基礎とならなければならない。 三、格位的存在 人間は原相の主体と対象の関係性に似て、主体格位と対象格位をもっている。 (一)対象格位 人間の生活の第一義的な意義は神を喜ばせるところにある。人間は神に対して対象格位にある。対象には主体に対してもつべき心の姿勢として対象意識が必要である。 対象意識 主体の主管を受け、主体の為に尽くそうとする意識
対象意識全てに共通しているのは為に生きようとする心、温柔と謙遜 人間は神の子女として創造されたので神に侍り、神を喜ばせようとする潜在的な対象意識をもっている。ところが一般大衆には誰が真なる主体なのか分からない場合が多い。真の主体を求めることが重要な問題である。今日の社会では対象意識が麻痺し主体の権威を無視するような傾向が増大している。社会倫理の確立に際し真の対象意識が必要である。 (二)主体格位 人間は成長すれば主体の位置すなわち主体格位に立つようになる。主体は対象に対して神の代理の位置にある。主体には対象に対してもつべき心の姿勢として主体意識が必要である。対象への関心と愛と権威が必要である、
愛には春のように暖かい愛もあれば冬のように厳しい愛もある。神は愛の神であるが権威の神でもある。 (三)連体意識と民主主義 人間は社会生活において連体をなしているので、主体であると同時に対象でもある。 対象格位と主体格位を兼ね備えた存在 : 連体格位 連体格位においてとるべき心の姿勢は対象意識と主体意識を兼ね備えた連体意識である。人間はまず対象格位にあり、次に主体格位に立つ。従って連体意識において対象意識が優先されなければならない。 民主主義における連体意識 民主主義の基本原理は自由と平等(権利の平等)である。ロックの自然法の思想に基づいている。自然法に基づく権利の平等の思想はキリスト教の「神の前に平等の思想」から来たものである。主体である神の前における対象としての人間の平等である。それゆえ民主主義は本来対象意識を基盤として出発したのである。 現代に至り宗教と政治が分離するようになった結果神は政治の世界から消え去り、神の前の平等は法の前の平等になった。主体である神が排除された結果人間が主体の位置に上り、連体意識の中から対象意識がなくなり、主体意識が表面に出るようになった。キリスト教の精神の衰退によってその傾向にさらに拍車がかかっている。現代の民主主義の混乱を解決する鍵は対象意識を復活させることである。神を失った民主主義が神を中心とした民主主義に帰らなければならない。 本性的人間についての要約
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