10月23日(木)

October 23th (Thu), タンペレ通信に戻る( Back to Index)


(フィンランドの子供達)

 月曜日に夕方、智のホッケーの練習を見た。サッカーのときと違い、普段は、彼等の練習場が屋内で見学余地が少ないので、いままでじっくり練習を見たことがなかった。狭居場所では、素子が黙って練習を見ているはずがなく、彼女の遊び場がないところには居ることができないからである。家内は通常フィンランド語教室の日なのだが、この日は風邪で欠席、素子も母親と一緒にアパートに残ることになったので、最後の30分、練習を見学した。見ていると、智の動きが鈍く、かなりルーズに見える。最後はいつも試合形式の練習なのだが、真近にボールが来ないかぎりボーっと立っているのである。コーチのヨウニも気にしていて、チームの士気にかかわるからもう少しシャンとするよう父親から話してくれと(彼は、英語を話す)言われた。練習後、皆と別れてから智に聞くと、原因は(私の見ていなかった)1時間の練習メニューが彼にはきつ過ぎたらしく、後半はもう体がついていけないとこぼした。
 智のために言っておくと、彼は日本のクラスでは、運動能力の低い方ではない(と思う)。運動会などの学校行事でも、(彼の父親とは違い)けっこう活躍している。ところが、このホッケーの練習では、はっきり言って練習についていけないのである。考えてみると、サッカーの試合のときも、チームのポイントゲッター・パーボは20分ハーフの全試合時間を走り続けても、全く疲れを見せていなかったし、他の子供達もよく走っていた。試合中の智の動きを思い出してみると、近くにボールが来たときに直線的に突進し、相手チームメンバーの持つボールをクリアするという動きが中心で、全体的に運動量は少なかった。それでも、サッカーではふさわしいポジションがあり、チームメートから頼りにされているところもあった。ところが、ホッケーでは、まだ動きのとれない氷の上に出ていないのに、この有り様だ。この一例だけで判断するのは危険かもしれないが、日本の子供とフィンランドの子供では、かなり大きな基礎体力の違いがあるような気がしてきた。
 フィンランドの子供達は、よく外で遊ぶ。アパートの玄関にロックがかかる午後8時以前にアパートの中庭から彼らの歓声が消えることは、まず、ないし(当然、真っ暗なので、屋外照明の下で遊んでいるのだが)、週末には、深夜11時になっても子供達が遊ぶ音が聞こえることも珍しくない。フィンランド名物の(と私が思っている)酔っぱらいに出会うことは、寒くなってからめっきり少なくなったが、子供達の様子は変わらない。彼らに天候はあまり関係ないようで、雨が降っていても、傘もささずに濡れながら、遊び回っている。アンドリューさんの話しでは、フィンランドでは、真冬でも子供たちはダルマのように防寒着を着こみ、雪の中で長時間遊ぶので、見ている大人のほうが寒くて大変だそうだ。
 智のチームメートの優れた基礎体力は、実はこのような小さい頃からの外遊びの成果ではないだろうか。だとすると、智がこの面で今から彼らに追いつくことは、ほとんど不可能である。こんなに基礎体力に差があって良いものだろうか。
  
  (アイスホッケー場?)    (落葉のキャンパス)   (落葉の学生寮9/30 と比較

(冬「時間」の始まり)

 フィンランドでは、まだ夏「時間」が続いている。家内が最近カレンダーで調べたところでは、4月始めから10月最後の土曜日まで8カ月間も夏時間が続く。この時間帯、夏のためというよりは、昼間が短くなり始めた秋、まだ昼間の短い春に、少しでも明るい夕方(仕事が終わってからの時間)を持とうとする工夫なのかもしれない。いずれにしろ朝仕事を始めるときは暗いのだから、外で仕事をするのでなければ、薄暗くても、真っ暗でも大差ないのだろう。夏時間の終わりが意味するのは、そうした人工的な努力では調整不能なほど、昼が短くなってしまったということか。
 火曜日に、久しぶりに昼間外に出て驚いた。ここのところ10日間ほど曇りまたは雨が続いていて、昼間のお日様を拝めなかったのだが、久しぶりにお会いすると、彼に居るところが極めて低いのである。(日本の)夏の朝、早起きしたときのすがすがしい雰囲気を、今の時期、フィンランドでは、昼近くに体験できる。この日、日中の気温は0℃であるから、(日本の)新年に初日の出を見に行ったあとの雰囲気だろうか。ただし、お日様は東ではなく南にお見えになる。
  
   (通勤路)         (秋の服装?)         (本日の最高気温)

 この日、ヘルシンキでは初雪で、朝方は一面銀色の世界だったそうだ。タンペレでは、翌、水曜日の早朝、初めてうっすらと雪が積もった。昼間は、ぼたん雪とまではいかないが大きめの雪がちらちらと舞い続け、研究室のシャッター(これが、二重ガラスの真ん中に入っていたりする)を上げて外を眺めていると、「日本に居たときは、こんな雪を見ると、もうすぐスキーに行けると思って、たまらない嬉しさがこみ上げてきた」ことを思い出した。雪を見ると同じような、ワクワクする気分にはなる(たぶん、まだフィンランドの冬を知らないので)。が、周りの人に脅かされたせいか、今年は雪に対して、または、雪が象徴する冬の訪れに対して身構えざるを得ない。このひ、大学からの帰り道で三度転びそうになった。凍った道の歩き方を一から学ぶ必要がありそうだ。

(フィンランド人の英語)

 先週の話しになるが、木金の両日、研究グループが主催する研究集会があった。遠くアメリカ、スイス、オランダからの招待講演者(遠隔教育に関するプロジェクトの共同研究者か、かなりプロジェクトに関係の深い人々だと思う)もあり、プロジェクトリーダーのヘリさんの判断で、全ての講演は英語ですることにしたからと連絡を受け、全ての講演を聞いた。若い研究者(、マラさんのような中核研究者:博士過程の学生だけでなく、アシスタント:修士過程の学生)も一人30分程度の講演を行った。講演内容にはばらつきがあったが、皆見事に英語の講演、質疑応答をこなしていた。
 彼等は、普段の会話はもちろん研究打ち合わせも含めて、ほとんどフィンランド語で仕事をしている。英語を使うのは、学会紙、国際会議に投稿するとき、国外の文献、新しい専門書を読むときに限られ、日本との違いはそれほど大きくない。教科書やコンピュータの入門書など基本的な文献はフィンランド語のものが豊富にあり、英語の専門書も少し待てばフィンランド語に翻訳されるところは日本の状況に近い。しかし、彼等は十分、英語を使いこなしている(ように、私は思う)。
 なぜ、フィンランド人は、これほど英語がうまいのだろう。欧州人だから当然だという論法は通用しない。フィンランド語は、ご存じのようにフィン・ウゴル語族に属し、英語やドイツ語などのメジャー言語はもちろん、スウエーデン語などの北欧諸国の言語やロシア語など近隣諸国の言葉とは似ても似つかぬ言語である(隣国、エストニア語は親戚の言語だというが、韓国語と古代日本語の関係の密接なことを指摘興味深い説もある。ハンガリー語が同じ語族に属するというが、どの程度の類似を持つかは知らない。その他の同族言語は、名前を聞いても、どこで話されるのか指摘するほうが難しい)。例えばドイツ語を知っているとスウエーデン語は習得しやすいというが、フィンランド語学習にはほとんど影響がない。近隣言語からの外来語が多いだろうと思われるかもしれないが、外来語は日本と同様、音が変化するので、オリジナルを知っていても余り役に立たない。コンピュータ関係の言葉のように極最近の外来語が分かりやすいのは日本語も同様である。事実、フィンランドのお年寄りは、まず英語が通じない。私の知る限り、フィンランドには、英語を使えない年配層と、英語を使える若年層が同時に存在する。
 まわりの人に理由を聞くと、口を揃えて返ってくるのは、「フィンランドでは、小学生の低学年から学校で英語を教えるようになった世代から、英語を使えるようになったのです」という説明だ。もちろん、この説明は事実に裏付けられているし否定のしようがない。私が、この説明に満足できないのは、「それでは日本でも同様にしたらどうなるか」という問いが、常に頭から離れないからだ。フィンランドと同様に、日本でも小学校1年生から英語を教え始めたとする。確かに、その世代の平均的な英語力は上向くだろう。だが、この方策がフィンランドで効果を上げたほどうまく行くとは、私には思えない。つづく

前回目次次回
This page hosted by Get your own Free Homepage
1