天守について思うこと |
現存は偉いのか |
一言で言うと、現存は偉い。長年の風雪に耐えて来たというだけで文化財として、また歴史的史料として非常に高い価値がある。建築当時の工法を知るには現存天守を見ることが一番と思われる。柱や梁の組み方は現存天守の一つの見どころでしょう。
別表を見ると、現存のなかでも差があることがわかる。特に国宝と重要文化財の差は、天守建築は慶長年間(1596〜1615年)で急速に発展し、その後やや後退した事を受けていると言えるだろう。丸岡城と松江城は時代的には申し分ないのに重要文化財止まりなのは保存状態によるものでしょうか。 また、現存のうち半数は一国一城令後に建てられたものである事も見逃せない。この時期の天守は、政治的理由や財政上の事情により小規模である事がほとんどである。天守の規模や完成度でいえば、天下普請のものに遠く及ばない。したがって現存の天守といっても、手放しで喜べるものでもない。現存しているものが天守のすべてではないのだから。
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現存でない天守 |
「城の部屋」では、現存でない天守の呼称を原則的に条件によって使い分けている。本来天守建築が存在した城址で、現存していないものを再建した場合は復興天守。復興天守のうち、特に古写真などに基づいて外観を史実通り再現したものは復元(原)天守としている。本来存在しない天守を建築している場合は模擬天守と呼ぶ。
模擬天守は基本的に許せない。模擬天守は、城址を観光地化したり公園化する一環として建てられる場合が多いようで、その様なケースは史跡保全よりも観光ビジネスに偏った整備が行われる事が多いように見受けられる。そうした整備が行われれば、城址に趣がなくなるのは言うまでもないです。最悪なのは観光地化に失敗した場合で、そんな城址に建っている天守は涙を誘う。市民の憩の場としてある程度成功していて模擬天守も町のシンボルとして定着しているものは、模擬天守を批判していいのかどうか少し判断に困る。しかしやはり、知らない間に間違った歴史観を植えつけているので罪深いでしょう。木造で建てていたりすれば、誤解を招くこと甚だしい。 復興天守にはどのようなものが考えられるか。ざっと挙げてみると以下のようになる。
鉄筋造りには、鉄筋造りの良さがある。名古屋城と大坂城の天守は当時の権力者の力と天守建築の規模を垣間見れるという点で価値がある。できることならば年2回の公開でもなんでもいいから江戸城天守も復興して欲しい。他に、俗っぽいが鉄筋造りだとエレベータや冷暖房を完備出来る点も見逃せない。これは実益を考えると非常にありがたい。中途半端な木造より圧倒的に快適に出来る。 別に木造を否定しているわけではないです。きちんと考証して木造で復興してもらうのが一番良い。第2選択肢として、経年により趣がでてくる点は捨てがたいが、工法を中途半端にして木造にこだわるよりは鉄筋の方がむしろ快適だろうと思っています。いずれにせよ、外観は古写真等を元に再現してもらいたい。想像/考証によるものに対しては、強く否定はしないがあまり乱発して欲しくもないといったところでしょうか。
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天守の内装 |
安土城や秀吉期の大坂城に豪華絢爛な内装が施されていたという話は良く聞く。しかし、現存天守にはそういった装飾を確認できません。経年劣化により失われたものや、保存のため撤去されたものがあるとしても差が大きい。この理由として、豪華な装飾を施す対象が天守から御殿に移ったことが考えられるでしょう。また、大名の力によっては内装まで手が回らなかった事もあったト想像できる。車にも軽自動車からフェラーリまで色々あるのと同じように、天守と一言で言っても色々あったということでしょう。
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階段の疑問 |
現存天守の階段は急なものが多い。登るのにロープの助けを必要とするところもある。そして階段が急なのは「敵に攻められにくくするため」という説明がなされているのをしばしば見受ける。この説明には多いに疑問を感じる。逃げ場のない天守に立てこもって応戦する事はあまり現実的ではない。天守内まで攻め込まれたときの防御を考える事にどれほどの意味があるのか。最上階に大将が待ち受けているという発想は映画等の創作の世界ならではでしょう。姫路城や松山城のように天守と小天守群で一つの郭を構成して、そこだけで篭城が出来るようにした城もあるが、これは天守単体に立て篭ることが出来ない故の防御策でしょう。
では何故天守の階段は急なのか。個人的には単純に階段の上下に作られる無駄な空間を小さくしたいからではないかと思う。実際に、小型の天守の階段は梯子に近いほどの急な階段で、空間にゆとりのある大型の天守の階段は比較的緩やかな気がする。この原則は現代家屋の階段にも通じているでしょう。
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天守の楽しみ方 |
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