山陰城巡り (1999.4.29-5.4)

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4月29日
2年ぶりとなる長期城巡り旅行。寝坊して慌てることから始まる事が多いので、今回は万全を期す為に同行する城巡りの友の石田宅に前泊。気合い十分で望んだ。予定通りに起床して羽田から一路広島へ。今回の予定は山陰城巡りなのに入りは広島からと若干変則的になった。空港でレンタカーを借り、広島城へ向かう。1日1000円の追加料金を払って搭載したカーナビによると空港から広島城まで結構ある。なかなか山陰城巡りにはなりそうにない。

広島城の近くに来ると、入り口がわかりにくい地下駐車場に車を入れて、隣接するショッピングセンターでまずは腹ごしらえをすることにする。前日から気合いを入れていた割にはなかなか城へたどり着かない。広島なので、お好み焼きを「みっちゃん」で食べる。味はいまいちだった。本当は新幹線駅にあるという「れいちゃん」の方が良かった。 昼食後に俯瞰を期待してショッピングセンター隣のリーガルロイヤルホテル広島に登る。最上階はレストランで入るのを断念して一つ下の階に行くと今度は結婚式場。ここまできては引き下がれないので、式場案内係の方に城を見たいと告げると、丁寧に待合室のようなところへ案内して頂けた。そこからの眺めはすばらしかった。ありがとうございました。

好天に恵まれ良い気分で調子に乗って太鼓を叩いて遊んでいたりしたら広島城を見終える頃には、既に2時を過ぎていた。今晩は萩に宿泊予定なので時間が押している。高速に乗って、岩国を通過しながらも岩国城は諦めて石城山神籠石へ向かう。実はここを見るために広島入りにしたのだ。途中三国史城という不思議な名前のお土産屋で情報を得る。帰りがけに立ち寄ることを約束したが、残念ながら閉っていた。4時に閉めるのは少し早すぎではないでしょうか?

石城山神籠石から萩への長い道のりの途中で辺りはすっかり暗くなっていった。それでも快適に車で走っていると、カーナビが突然左折を指示した。とりあえず指示に従うとそれは大間違いで、そこは国道とは名ばかりの極細で真っ暗の道だった。恐るべし国道490号。途中からは慣れてきてラリー気分でご機嫌だったが、間違いなく時間はかかった。

萩での宿には「全室インターネット対応」という凄い垂れ幕がかかっていた。何がどう対応しているんだと散々悩んだ上で、電話にデータポートが付いているということだろうという結論に達した。なんだかなあ。既に夜遅く、夕食を近くのガストで簡単に済ませた。ここはプレオープン中で店員が全員不慣れという不思議な店だった。

 
4月30日
朝6時起床。石田の家に忘れてきたのか、洗面用具が見あたらない。ちょっと気になったけれど、晴れ渡った空を見て気持ちが切り替わり早速萩城へ。萩城では山中櫓跡を確認するため薮こぎをする。そのまま山を下りて薮を抜けると、ちょうどサイクリングに来ていた別の一行と遭遇した。タイミングが悪すぎて非常に気まずかった。その後土産物屋でオレンジソフトクリームを食べて津和野城へ向かう。

山陰での移動は基本的に日本海沿いの国道を使うことになる。町中でない限りは信号がほとんどなくて快適なのだが、一車線で制限速度も低く、おまけにスピード違反取り締まりをやたらとやっている。GWという時期的なものもあるのだろうが、移動にあまり時間をかけたくない城巡り旅行にはありがたくない話だ。そんなこんなで津和野城に着くと既に昼だった。移動時間を十分に検討していなかった今回の城巡りでは計画変更を随時要求される。この日は出雲大社を見て松江泊の予定だったが実現しそうにない。200kmの道のりは高速を使えば2時間だが、60km制限の道なら3時間半という単純な話にもっと早く気付くべきだった。

次なる城、益田城に着いた頃には日もかなり傾いてきていた。城址では唯一男2名に女4〜5名という謎の制服高校生集団に遭遇する。熱心に堅堀遺構に見入る城郭愛好家2人と興味なさそうに徘徊する高校生集団が中世城郭で一同に会している構図は奇妙だった。探索を終えて山を下りると、なんとこの高校生たちが城址口でもある末吉神社の境内でUNO大会を開いていた。地面に直に座り、スナック菓子を用意して和んでいる姿は衝撃的でありほほえましかった。

出雲大社に向かう道中、日もすっかり暮れてしまった。運転時間が長くて手の皮が痛くなってきたのでドライバー用手袋を買う。そして松江までの距離があることと出雲大社は見ておきたいという事から予定を変更して出雲を目指すことにする。途中では相変わらず取締をやっていた。出雲について夕食はまたもやガスト。急遽取った宿はなかなか良かったのだが、到着が10時半だった為、堪能する間もなくすぐ寝る。

 
5月1日
前日の無理が響いて起床は6時半。今日も良い天気で良かった。まずは城巡りには珍しく城と関係ない出雲大社へ行く。実行している人はいなかったが、上がってよさそうだったので社の中に入ってみた。さすがに太鼓を叩くのは控えたが、お神酒用の杯はしっかり頂いておいた。おみくじを引くと、失せ物見つかるとのお告げを受けた。旅も良しとのことで幸先は良さそうだ。朝食に出雲そばを、と思ったものの時間がもったいないので松江へ向かう。

松江城を見終わるとちょうどお昼時だった。海鮮料理屋を駐車場の近くに発見する。海鮮丼という魅力的なメニューを見て大いに盛り上がる。しかし店が混んでいて諦めて月山富田城へ向かう。道中はずっと海鮮丼屋を探していたのに一件も見つからなかった。結局月山富田城前の道の駅でそばを食べる。石田はTシャツを買ってご機嫌になっていた。どうも各地でTシャツを買う趣味が出来たようだ。

次に訪れた勝山城は近くまで行っても場所がわからなかった。既に5時近くで薮こぎするには時間切れとなりつつあって少し焦る。地元の方に何回か道を聞き、行ったり来たりしながら最後は山道の途中まで案内して頂いた。道を聞くまではどうしても怪しそうに見られてしまうが、一度話しかけると皆親切に応対してくれるのが嬉しかった。結局やや時間切れ気味で下山する。城址の全貌はわからなかったものの、地元の方のお蔭で心暖まる探訪となった。ところで城を見に来たと言うと、「卒論ですか?」とか「学生さん?」とよく聞かれた。やってみると大変だろうけど、城を見て回って卒論が書ける学部は羨ましい。

宿を米子に確保するつもりだが、まだ予約を入れていない。とはいっても現存天守の夜景を見ないわけにもいかず、渋る石田を説き伏せて松江に引き返す。松江城は綺麗にライトアップされているものの、なぜか見に来ている人は少ない。というよりいない。本丸は門が閉ざされ入ってはいけないようになっている。もったいない話だ。松江から米子へ向かう道中に宿を確保して米子泊。

 
5月2日
城巡り4日目。今日も良い天気だ。コンビニで朝食を買って、久々にほとんど移動せずにそのまま米子城へ。順調な滑り出しとなる。石田は昨日買ったTシャツを早速着ている。

GWの難点の一つは銀行が開いていない事だ。ちょっと昔まで銀行は土日祝日にATMをやっていなかった。ところが不覚にも現金が底をついてきた。祈るような気持ちで合同銀行に立ち寄るとATMは無事稼働しており現金を引き出せた。5/3〜5は営業しないとの貼紙があり、タイミングもばっちりだ。車に戻ると、なんと初日に見あたらなかった洗面用具がシートの下から出てきた。おみくじのお告げ通りだ。この時点まではこの日は絶好調だった。

次の石井垣城を見終わった頃にちょうどお昼時となった。午前中に城2つはかなり良いペースだ。昼食は焼肉定食で体力保持に備えてから羽衣石城へ向かう。簡単に見終えて鳥取城へ車を飛ばしが着いた時には日もかなり傾いてきた。大急ぎで山頂へ登り下りながら遺構を散策し、なんとか日没までに見終える。ぎりぎりのところで1日で城4つを達成する。4つはめでたいが、移動が多いため城を見る時間が少なくなりがちでちょっと反省する。

日は落ちたがまだ明るいうちにと、鳥取砂丘まで足を伸す。砂丘は鳥取まで来たら外せない場所でしょう。初めて見る砂丘に感動するも、やはり暗いのでもう一つ。明朝また来ようと話をして食事をすることにする。鳥取はさすがに大きな町で、それまで通ってきた場所とは街の灯の量が違う。暗いとはいえまだ8時前で久々にゆっくり出来そうでリラックス気分になってファミレスに入る。するとなんとがらがらなのに50分待ちを宣告されてしまった。店員が少なく対応が追いつかないようだ。待ってられないので店を出る。この辺から歯車が狂いだした。

食事をしばらく後回しにし宿を確保することにするが、数件電話して全て断られた。GWでさすがに混んでいるな、と思い食事に切り替える。食事処を見つけるのに苦労しつつ、なんとか済ます。その後手持ちのリストに挙がった宿全てに電話するが全て断られる。駅前を車で流し、宿らしきところ全て尋ねたが全滅。新たに入手したリストもだめで時間だけが過ぎていった。時計は11時を回り、石田と2人でお互い苛立って来る気持ちを抑えるのに必死だった。なんとも言えない焦燥感が漂い、城巡り最大のピンチが訪れた。いざとなれば車内で寝ることも厭わないが、城巡り4日目で疲れた体を出来れば休めたい。山登りを含む城4つと砂丘を見て、風呂に入らなければ自分の身体がどうなるか考えるだけで恐ろしい。

日付が変わる少し前に鳥取市から30km程離れた高倉市の宿にキャンセルが入るかもしれないという情報を得る。そこを頼りにとりあえず鳥取から引き返すことにする。この時点で翌日の鳥取砂丘は諦めた。道中では眠気覚ましにと城郭用語しりとりをやったがなかなか続かずかえって眠気に誘われる。途中ホテルを期待して空港に寄るが、7時半に閉っている門に裏切られる。さらにシーサイドホテルという看板を発見して立ち寄る。駐車場まで行ったところで違う種類のホテルと気付いて退散。結局高倉市に着き、ちょうど2つ出たキャンセル客の部屋に泊まった。午前1時を過ぎていた。長い1日だった。

 
5月3日
5日目。前日のことがあるので朝が辛い。しかし引き返してしまった分の移動距離があるのでなんとか7時半に起きて8時に行動開始する。まずは若桜鬼ケ城へ向かう。道中で先日の教訓を生かして、コンビニへ立ち寄り朝食を購入した際にその日の宿を予約した。3軒目で空きが見つかり、和田山町の宿に決定。若桜鬼ケ城に着くと風が強くなってきた。昨日程は天気が良くなく曇りがちだ。石田は鳥取砂丘Tシャツを着ている。

本日は移動距離が長いのでただひたすらドライブ。頭の悪いカーナビが示す道を随時修正しながらの移動となる。1日1000円というのもいいんだか悪いんだか、という感じだ。市場城を見終わると、そこそこの時間になっていた。宿に向かう前にはまだ出石城へ行かなければならない。宿が決まっていると安心だが、後の予定の融通が効かなくなるので難しいところだ。鳥取県と兵庫県の県境付近でまたもやスピード違反取締りをやっていた。警官がずらりと待機している様子を見て、兵庫県警は島根よりも怖いなと感じた。

出石に着くと、5時半過ぎで駐車場のおばちゃんも引き上げ始め、有料駐車場が無料駐車場になった。何はともあれ有子城へと思ったら車道が通行止めになっていた。夕闇が迫る中でどうしても諦められず、「10分で登る。10分で見る。10分で下りる。」という無謀な計画を立てる。有子山が標高321mあり、本日最大の山登りになるという事実はあえて考えない事にした。しかし10分後に自分達の過ちに気付く。辺りは暗くなり始め、ペース配分に失敗して息が上がり足は上がらなくなってなお頂上はまだまだ先にあった。結局30分で登り、30分見て、下りも懐中電灯の明りを頼りに30分かけた。下り切った時には7時半で文字通り真っ暗だった。

閉店間際の蕎麦屋で出石そばを食べる。割子そばで量が少なくあまり食べた気がしなかったが、おいしかったしなぜかお土産を貰えたので良かった。そこから宿へ直行。久々の日本旅館で、セキュリティー面に不安を感じつつも十二分にくつろぐ。宿でのんびり出来るの喜びを改めて噛締めた。風呂が大きいのも良い。

 
5月4日
雨。最終日だというのに結構強い雨が降っている。前日の天気予報である程度覚悟していたものの、実際に降られると辛い。それでもとにかく竹田城に行くと、意外に雨の似合う城址で気分が良くなる。雨でさすがに他に人がいないと思ったら駐車場に軽自動車が1台だけあり大いに気になった。

竹田城ですっかり満足し、最終日で雨ということもあって流す気分になってくる。次なる柏原陣屋も雨で風情がでるタイプで、日程的に一番雨が降っても良い日に降ったと言える。のんびりと篠山城へ向かう途中で昼食をとる。ここで妙にくつろいで今回の城巡りの総括を始めてしまい、既に完全に収束モードに入っていた。篠山城を見た後に八上城を見ることも検討したが、天候と残り行程と時間を考えて次回に回すことにした。本日は京都でレンタカーを返すため、またまたロングドライブだ。

京都市に入ると、車の量と周囲の運転の荒さから町に帰ってきたことを感じる。日常に引き戻される不思議な感覚がした。レンタカーを返してから、京都駅で東京へ帰る石田と別れて親戚の家に行くため大阪方面行きの新幹線に乗り、山陰城巡りを終えた。

 
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