オンラインエッセイ 届けなかったラブレター/私からあなたに


出し忘れてしまったラブレターのように思いはうまく伝わらない

出せなかったのか、出さなかったのかも思い出せないほど

遠い昔のことだけど

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目次

十二月のエッセイ 「日めくりの思い出」

十一月のエッセイ 「にしむくさむらい」

十月のエッセイ 「通勤の風景」

九月のエッセイ 「期待」

八月のエッセイ 「ビール」

七月のエッセイ 「実物」

六月のエッセイ 「重ね買いの恐怖」

五月のエッセイ 「学生」

四月のエッセイその2 「春の風と花、優しさについて」

四月のエッセイ 「恋・愛・論」

三月のエッセイ 「卒業」

二月のエッセイ 「十一時と五時の間に」

一月のエッセイ 「初夢」


十二月のエッセイ 「日めくりの思い出」

十二月になった
今年もやがて暮れて、行く
何もないままに日々が流れて、行く
そんなことを時に思う事がある
子供の時の思い出だ
小さな日めくりカレンダーがあった
あの頃日めくりは極普通の日常風景であった
最近でこそ見かけなくなったが
昭和三十年代生まれの私には当たり前の日常風景であった
薄っぺらな紙にミシン目が入っていた
祝日や祭日には日の丸がはためいていた
旗日である
子供にとってはなんともうれしい赤い印だった
年のはじめ、最初は厚かった日めくりも
日ごとにめくられだんだんと薄くなっていく
それこそ十二月には残りわずかだということが
目で見て実感できた
朝、昨日一日を切り取り日付を今日に合わせる
今日という、新しい日の始まりを感じた
あっ、仏滅だ
訳も分からず緊張したりした
先負、友引
読み方も意味も知らずに面白がっていた
日々は決して無駄に流れていかなかった
時々めくり忘れたりして何日分か溜まったりする事もあった
我が家では特にカレンダーをめくる役割は誰それ
そんな風な役割分担は決まっていなかったからだろう
いつもは父、母がめくっていた
私も時々めくった
めくるというよりは破るといった方がいいかもしれないが
前の人がキチントやぶっておいてくれないと
その切れ残り、切れ端が邪魔になって
どんどんその部分が切れ残っていった
ちょっとしたつまづきが後々まで響いてきた
奇麗にめくれるといいことが有るような気がした
切れ残りの数は失敗や涙の数だった
でも全然へこたれなかった
一年過ぎれば全てチャラである
新年になれば真新しい日めくりがやってくる
最初に今年の休みを確認したりした
丁寧にめくって赤いマークが見えるたびにほっとした
今年もちゃんと休みがある、うれしかった
決められた休みなんだから逃げも隠れもしないだろうに
あの頃は誰も彼もが楽しそうに笑っていた
今日いいことがあるかもしれないように
明日もいいことがあるかもしれない
一年はこんなにたくさんの、厚いお楽しみカードなんだ
そんな風に思っていたのかもしれない
木の柱に打ちつけた釘にかけられた日めくりは
我が家の時間の流れの象徴だった
あの頃、我が家の小さい日めくりを見ながら
親子が兄弟が同じ流れを共有していた
部屋ごとにしゃれたカレンダーが入り込んだときから
個人の時間が始まったのかもしれない
それぞれの、ばらばらの、かって気ままな
そんなことを思いながら
部屋にある二つのしゃれたカレンダーを交互に見ている

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十一月のエッセイ 「にしむくさむらい」

にしむくさむらい
十一月になって思うことがこんなこととは情けない
西向く侍、と覚えた
カレンダーで31日までない月のことである
まさか、知らない人はいないだろうとは思うが
念の為に一言言っておけば
二月、四月、六月、九月、十一月のことである
11は漢字で書けば士となるので侍である
念の為ではあるが駄目を押しておきたい
この手の言葉は結構あった
ほとんどが受験用の語呂合わせである
ひとよひとよにひとみごろ
ふじさんろくにおうむなく
こんなことが一体何の役に立つか分からなかったが
一生懸命に覚えたものだ
それでもあながち無駄ではなかった
2の平方根が1.41421356であることは結構仕事に役立った
もちろん一夜、つまり1.4の二桁だけで十分だったけどね
多分一夜でいいんだよね、違うかなあ
いいくにつくろう、は何だったか
鎌倉幕府であったろうか、小渕内閣であったか
この辺は役に立ったかはどうかは判然としない
人の名前が覚えられなくなったと感じるこの頃
どうしてこんなことだけは覚えているのだろうかと
記憶の不思議を思わずにはいられない
なぜかすれ違いの人に挨拶される度に
軽く会釈を返すものの
誰だったか釈然としないことがある
顔まで忘れているってことなのだろうか
それでも昔覚えた語呂合わせは今も頭の中に在る
最近のことをどんどん忘れていけるのだから
そうとう老人力がついてきたことになる
この先が楽しみでしょうがない
ボケてしまって「覚えていることはなーに」と聞かれ
西向く侍では、ちょっと情けないではないか
せめて西洋の詩でもそらんじてみたいとは思うのだが
ゲーテとはわしのことかとギョエテ言い
ぐらいが関の山かもしれない
なにしろこの川柳自体も
ちょっと記憶にあやふやな部分があるのだから
やってみて、いってきかせて、させてみて
ほめてやらねば、ひとはうごかず
こんなことを繰り返し呟いていたら
痴呆症というよりは危ない人と思われるかもしれない
やっぱ、富士山麓にオウム鳴く、くらいがご愛敬なのだろうか
今の学生さんたちには
もっとハイカラな語呂合わせがあるのだろうが
老人力がついた時に思い出す言葉はどうなんだろう
チョーワカンナーイ、なんて独り言を言ってるのは
相当情けないような気もする
まだ、男女七歳にして、とか
四十にしてたつ、とか
こっちの方が愛敬があるように思うのだが
私だけなんでしょうか
こう思うのも、こんなことを考えているのも
今月は30日でお終い
今年も後2ヶ月でお終い、なのである

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十月のエッセイ 「通勤の風景」

小学校の校舎を右手に
神社へと道はうねりながら続いている
緑の多いこのあたりでは
幾通りかの鳥たちの歌声を聞ける
左に折れ坂道を下って行けばすぐに大きな道に出る
車とガスの道に出る
JRの山の手線を跨ぎながら
その道は大きく右手に流れて行く
車も人も同じく右手に流れていく
その道の向こうにはありふれたビルの固まりがある
さらにその向こうに高層ビル
ちょっと右手には申し訳なそうな東京タワー
タワーに朝の挨拶をかわし
山の手線の駅を右下に
空中を浮遊する
少なくともこんな天気のいい日には
ちょっとだけ浅めに深呼吸
排気ガスだらけの東京での
これがちょっと悲しい習い性
階段を降り駅の向こう側に着地する
駅前のビルの脇をすり抜けて
緑に濁った目黒川をわたる
左手に子供たちの嬌声を聞きながら
年中工事している十字路を越えるとすぐ
目的地が見えてくる
正味15分の通勤が終わる
これが私の通勤の風景である
電車を使わないなんとも優雅な通勤
考え様によってはかなり贅沢である
日本一高いといわれるタワーの
意外なほどの慎ましさに
ちょっと拍子抜けすることもあるが
ここ数年見慣れた
懐かしささえ感じるような風景である
朝日と緑と小学校の道
静かな住宅地を抜け出すと
そこには東京
日常が変わることなく流れつづけている
この都市は休むことを知らない
東京タワーの背景は水色とは呼べない
曇ったような淡い灰色である
それでもゆっくり視線を空に向けていけば
少しづつ色は青に近づいて行く
頭の天辺あたりには
それほど悪くない
秋晴れってやつが広がっている
もう一度深呼吸をしてみた
風が吹いた
私は静かに空中に浮かんでいる
東京タワー程には高くは飛べないが

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九月のエッセイ 「期待」

期待は湖上に浮かんだ月である
唐突であるが致し方ない
なにしろ唐突に頭に浮かんだのである
夜に輝く月そのものではない
水面に浮かぶ仮の姿なのだ
時にして重過ぎる期待もゆらゆらと揺れる水に映っただけのことか
仮の姿だから重さに耐えられるのかも知れない
仮の姿だからつかみ所がないのかも知れない
そうでなければ
私も君も期待ってやつに押しつぶされてしまうに違いない
親が子に持つ無責任な期待ってやつが
どれだけの未来を塞いできたことだろう
そんな言葉が唐突に浮かんだ
熱帯夜の明けた少し早すぎる朝のことだ
新聞屋さんの自転車の音だろうか
そろそろエッセイを書かなければと
来月のエッセイのことを気にしていたからかもしれない
いやに文学的な朝の目覚めだ
一度その湖の底を覗いてみよう
そこにもここにも、きっといたるところに
無残に潰れた期待ってやつが
恨みを込めた泡を吐き出していたりしないだろうか
墓場だったりしないだろうか
意外と賢い甥っ子と風呂に入りながら
こいつの好きな恐竜を研究する
学者にでもなってくれれば嬉しいと
勝手な期待をしたことがあることを思い出した
学生の頃習った期待値ってやつで
さいころを何度も何度も振っていけば
賽の目の出る確立は六分の一になると教えられた
自分の期待値だって
同じことを飽かず繰り返していけば
二分の一になると考えてみようか
うまく行くか行かないかの二つに一つだと
でもこれって確率ってやつとどう違うんだろう
あれっまた、間違って覚えてるのだろうか
まあでも、私の人生が間違っている確率だってきっと二分の一
「大丈夫」が半分もあれば御の字だよね
期待外れと言われ続けた身を振りかえれば
鳥のさえずりを聞きながらの
ちょっとけだるいような朝の夢である
もう一眠りすることにする
爽やかな朝の目覚めを期待して
期待外れにならないことを祈りながら

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八月のエッセイ 「ビール」

ビールが好きである
とくに生がいい
あの色、あの音、あの香り
あの色ってなんだよ
もちろんあの泡の白だ
夏には白が似合うのだ
最近白が似合う女性が少なくなったが
ビールは変わらず白がお似合いだ
あの音ってなんだよ
もちろん泡がはじける音だ
耳を近づけて聞いてみるといい
英語でsmileというらしい天使のささやきだ
何人ものにぎやかなささやきだ
あの香りってなんだよ
香りは香りだ
穀物というより果物のような
甘く切ない初恋の香りだ
でも味は変に甘ったるくはない
きりっとしていて、粋でいなせだ
純で、はかなげだ
清楚で、慎ましやかだ
豊かに、ふくよかだ
女の子のことではない
あくまでビールの話だ
抜けるように白い肌を持ち
独特な風味の白ビールなんかは
最近のお気に入りだ
色も味も入っている小麦がその秘密だそうだ
ちょっと日焼けしたアルトタイプも捨て難い
香りが強く少し意地っ張りなところも味わい深い
いや、あくまでもビールの話だ
決して女性の話ではない
魔性の瞳で苦みばしった黒ビールはどうだ
あまり癖の強いのは御免だが
これはこれで捨て難い
重ねていうがビールの話である
もちろん、いつもの清んだピルスナー
これを忘れるわけにはいきません
最後は君に戻ってくる
地ビールのブームとかで
色々なタイプのビールにお目にかかれる
何ともありがたいことだ
うっすらと汗をかいたビアジョッキが
私をじっと待っているに違いない
ビールのことを考えると
早く梅雨が明けないものだろうかと
心が少し騒ぐのである
いや、時にはかなり疼いたりもするのである
八月だというのに
まだ梅雨が明けない
東京の空の下の話である

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七月のエッセイ 「実物」

小椋佳を見たときは驚いた
はっきり言ってがっかりした
天は二物を与えず
そんなことを思った
少しだけ意地悪く嬉しがった記憶もある
まあもっとも東大出のエリート銀行員
二物三物、なんでもありね
やっぱり天は不公平なのね
それが本当のところであろうか
でも、あの顔じゃそのぐらいは許してあげないと
歪んだ優越感だ
まったくいい気なものだ
大学からの帰り道、横浜駅の地下街の
レコード屋で見つけた彼のLP
なんだ俳優のくせに歌も歌うのか
完全に小倉一郎と勘違いしている
こんな愚か者は私だけだろうか
その中の一枚に
ジーパン姿の女の子が
花を持って佇んでいるものがある
アルバム名はなんであったろうか
呆れたファンだ
その中の一曲に待ちぼうけを歌った歌がある
「まだ来ない、まだ来ない」
小椋佳は歌う
甘く切ない声で青春が聞こえた
この頃の低く柔らかい彼の声が好きだ
「あなたの為に買ってきたバラ」
少女が抱きしめているのはバラ
「その花びらを、みんな、みんな、むしっちゃって」
テレビに出ない顔の見えない
シンガーソングライターの歌に聞き入っていた
多分あのジャケットの少女が
好きだったテニス部の少女に似ているようで
それがきっかけのアルバムだったのに
それまで彼の名も歌も知らずに
彼のLPの数の多さとジャケットの少女の姿に誘われただけなのに
「帰っちゃおうかな、帰っちゃおうかな」
多分その後の活躍からしていつかは巡り合ったのだろう
それでも、この時このアルバムで出会えたことを良かったと思う
自分勝手に夢を膨らませ
こんなんじゃない、なんて
自分勝手に夢を砕いていた
あの頃の私
テレビで見た時の、あの「ガックシ感」を懐かしみながら
一体私は小椋佳に何を期待していたのだろう
何を望んでいたのだろう、と思う
「帰っちゃおうかな」
「帰っちゃうから」
例えばこの歌が彼の実物なのだと今は思う
例えばそれが私の本物なのだと今思う

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六月のエッセイ「重ね買いの恐怖」

久しぶりに部屋の片づけをしようと
積み重ねられたCDを整理しはじめる
「あれっ」
このドリカムのCDあっちにもあったような
「あーあ、やっちまった」
ここで整理の手はぱたっと止まる
同じCDが2枚ある
気分はけっこう沈んでゆく
どよよよよ−ん、音にすればこんな感じだ
いつものことじゃないか
別にどうってことないさ、と呟いてみるが
いつものことだから、と反論する私もいる
同じものを買ってしまう
こんなことが良くある
脳味噌がスカスカな証拠である
本もそうだ
読まないままのやつが2冊見つかったりすると
さすがに「ワチャー」だ
これってデジャブってやつ?
おいおい、全然違うだろう、と突っ込む私がいる
どうして同じCDを買ってしまうのだろう
世の中には不思議なこともあるものだ
レコード店で目の前のCDを凝視して
買うべきか買わざるべきか
結構悩んでしまうことがある
半分以上は、「これ持ってなかったよな」
という疑惑との格闘に費やされている
頭の中をぐるぐる何かが駆け巡っているのだが
肝心のアルバム名は出てこない
曲名を一つ一つ、小声で読んでも分からない
ジャケットに記憶はないか
あるような、ないような
発売時期は何時だ
そもそもそんなこと気にしたこともない
買わなければいいじゃないか
一度帰って確認してから
「甘い」ともう一人の私
確かに今買わなければ
しばらくその気にならない
それが分かっているから今悩んでいるのだ
徒労であることは分かっている
でもこの儀式を通り過ぎないことには
買う決心がつかないのだからしょうがない
一応ちゃんとやるべきことはやったんだ
誰に言うではなく
自分の為の儀式ではある
その上での
「これ持ってたんだ」だからなぁ
結構うなだれちまう
百歩譲ろう
CDはしょうがないとしよう
でも本はどうだ
失敗を繰り返さないために
危なそうなやつは
ある程度中味に目を通しているのに、である
そう、買う時予感はするんだよね
それだけになぁ
これは単に頭が悪い、何がまずいということではなく
似たような内容を似たような題名で似たような装丁にする
そう、間違えやすい本を出す方に問題があるのだ
まったくけしからん
庶民を欺いて何が楽しいのだ
まあ、八つ当たりだね
それにしてもどうして
半分以上読んでから失敗に気付くのだろう
どうしてすぐに失敗に気付かないのだろう
人生の半分を過ぎた頃
あれっ、これ前に通った道じゃなかったっけ
そう、気付きそうで少々怖いのである

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五月のエッセイ「学生」

4月から学生になる
といっても、大学の公開講座に週一で通うことにしただけだ
何気なく見た新聞の片隅の広告
始まりはそんなものだ
気軽に資料を取り寄せてみる
結構手厚い内容にちょっと驚く
語学だけではない、一般教養だけでもない
大学も相当たいへんなんだな、って実感する
別に人助けではないが少し意気に感じたりする
相変わらずに一人よがりだ
学生と一緒の講座を選らんだのでちょっとどきどき
20年ぶりの学生に結構うきうき
大学ノートを買う
鞄に詰める
ちょっと早めの職場離脱
駅から見える大きな校舎に
でかでかと自慢げな学校名
道ゆく人の流れが校舎へと続いている
その流れに乗れそうで乗れない
やはり浮いている私がいる
自分がそうであった時には気づかなかった
特権階級の人々の群れ
何程のことがある
いかほどの差異がある
そうは思ってみても
こちらの姿など目に入らぬように
肩で風を切って行き過ぎてゆく人、人、人
ふー、大きく深呼吸してから
門をくぐる
私が通った大学とは比べようもないほど
立派な環境にかなり萎縮しながら
これが、大学というものなのかと
初めて目にした少年のように
おどおど、きょろきょろ歩く
なんて奇麗な格好をした
なんておしゃれな雰囲気の中
特権階級の人たちが
やけに静かにすまして歩く
ああ、象牙の塔なんだ
私も学生なんだ
優越感にも似た高揚感で
早足になるのを押さえながら
ゆっくりゆっくり授業のある講堂に
向かっていった
わくわくとどきどきと
心細さに襲われながら
さあ、勉強するぞと誓っていた
ゴールデンウィーク前の
青葉薫る、ある日のことである

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四月のエッセイその2 「春の風と花、優しさについて」

「優しさは優位に立つ側、ゆとりを持つ側から発せられる」
この言葉にショックを受ける
21世紀は「やさしさ」がキーワードだと思ってきたから
SoftでEasyでKindな世界
なんか軽すぎるかなと思い始める
MildでFrendryな関係
ちょっと待てよと身構えてみる
地球に優しいという、うたい文句は駄目と言われる
どう取り繕っても
人間の作り出す製品が
地球に負荷を掛けないはずがないとの理由からだ
親が願う「優しい子」に育ての願いが
優位な立場に立てとの思いからではないと信じてはいる
優位な立場に立って欲しいとの期待があるのを知ってもいる
親だもの
人だもの
世は花真っ盛り
なんだか華やいでいる
目黒川にも花の絨毯
川面を覆いつくさんばかりだ
はらはらと花の散り
ひらひらと花の舞う
春風が舞い上げた花のアーチの中
後ろを歩く老夫妻の「ああ、花吹雪だ」の声聞きながら
21世紀の新しいキーワードは「やわらかさ」にしよう
そんな事を考えた
ゆらゆらと未来が歪んでいる
いや、たなびいているようで
なんとも少し心が騒ぐ
桜の花咲くこの時期の
毎年のことではあるが
老夫妻にも追い抜かれる程の
目的なきそぞろ歩きの散歩続けて
少し汗ばむ陽気に
なんとも心が軽くなる
桜の花咲くこの時期の
毎年のことではあるが
分け与える優しさも、今なら
ポケットにいっぱい詰まっているのに
そんなことを考えていた

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四月のエッセイ「恋・愛・論」

I・LOVE・YOU
あなたならなんと訳すのだろう
私は・あなた・を・愛しています
学校ではそう習った
そう信じていた
恋・愛・論である
恋と愛は違うのである
恋を辞書でひいてみたら
愛情という言葉が使われていた
愛の説明に恋の文字はない
恋人は 少し幼い
愛人は何か少し隠微だ
I・LOVE・YOU
私は・あなた・に・恋しています
そう訳してみようか
恋愛は愛することなのだろうか
それとも、恋することなのだろうか
どちらでもない
恋愛することなのだと言われると困る
何しろ恋・愛・論なのだ
恋女房は粋な感じ
下町のおやじさんの風情
愛妻はちょっとおしゃれ
山の手に住む紳士
あなたはどちらになりたいのだろうか
もっともどちらも今では はやらない
対等な関係が望まれているのだから
恋心、恋敵、恋煩い
少し青臭い
人の恋路を邪魔するやつは
馬に蹴られて
さてさて、一体それからどうしよう
愛犬、愛車、愛読書
なんだかちょっと自分勝手だね
愛憎、愛着、溺愛と続いては
ちょっと愛の旗色が悪い
二人だけの愛の巣を
壊す輩は容赦しない
はてさて、一体それからどうしたい
恋に恋する
初恋の切なさ
失恋の苦さと続けて
勝負あったってことかな
I・LOVE・YOU
私は・あなた・を・慕っています
私は・あなた・と・恋愛したいのです
そんな愛の言葉をしたためて
好きなひとに
恋文を出してみたらどうだろう
LOVE LETTERをあなたへ
これが私の恋・愛・論
I・LOVE・YOU
アイ・ラブ・ユー
これが私の恋・愛・論

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三月のエッセイ「卒業」

卒業がやってくる
何かが終わるってことだ
そんなことに気付いたのは最近のことだ
あの頃卒業は、次に控えている入学や何かのプロローグだった
何かの始まりのおまけみたいなものだった
例えば住む場所が変わる
通う学校が変わる
付き合う友達が変わる
でも自分は変わらない
自分が変わらなければ全ては変わらない
新しい何かが足されてゆくだけだ
そう信じていた
もちろん私は私で何も変わっていない
でも確実に何かが変わってゆく
毎日少しずつかもしれないけれど
時が過ぎれば誰だって
でもその頃の私にとって
未来はいつも足し算で
引き算の人生なんか知るはずもなかった
卒業ってやつは否応無しに
そういったものを教えてくれるものなのに
何故だか何も見ないまま通り過ぎてしまった
哀しいことから目を背けていたから
何度も卒業してきたはずなのに
卒業証書をもって
学校の裏門から校庭を眺めた
わざと回り道をして友の住む団地をまわって
ゆっくり家に帰ったのは中学生の時だ
わずかに残る卒業の思い出だ
少しばかり、明日が不安だった
何も残っていないということは
何も手にしていないということかもしれない
そう思ったら人生は後悔ばかりだって
ちょっとじーんときた
胸が少し苦しくなった
あの裏門から見えた校庭に
あの頃の夢がまだ眠っているのだろうか
そう思ったらなんだかやっと
卒業できたような気がした
何から卒業できたかのはわからないけれど
随分遠くまで来たってことだけは
疑いようのない
事実だった
ほんとに人生って
ほんとに卒業って
そんな風に思った
あわただしく時が過ぎてゆく
風が吹き
花が散り
みんな旅立ってゆく
もうすぐ卒業がやってくる

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二月「十一時と五時の間に」

時々行く土曜の銭湯の帰り
自動販売機で缶ビールを買う
余り遅くならないうちに風呂に行こうと思うのだが
不思議と十時を過ぎる事が多い
ちょっと遅めの風呂帰りだったりすると
自動販売機の店じまいに間に合わない事があったりする
危ないって時は早足で缶ビールを買いに向かう
でも大体は大丈夫ってことになる
二台ある販売機のうちの一つが
どういうわけか十五分程店じまいを延長してくれるからだ
ほら、今日も間に合った
いつも飲む方のビールの販売機は律義に十一時だが
販売熱心なこっちのやつだって悪くはない
とにかく飲めれば御の字だ
幾らあっても飲んでしまうので
大分前にビールの配達を辞めたから
ここで手に入らないと今晩はビールが飲めない事になるのだ
それは余りに味気ない
風呂上がりにビールは
私のささやかな楽しみなのである
興がのれば、そのままウィスキーに進み
ゆっくり本でも読んでみたくなる
まぁ、見たくなるだけで単に飲み続けるだけだけど
でもちょっといい感じじゃないですか
わずか一本の缶ビールでも
これだけの物語を作れるのだ
それなのに何故
十一時以降はダメなのだ
未成年が買うからなんて誤魔化しは許さないぞ
未成年は昼間だって買うのだ
今時の未成年は
夜中にそっと買いにくる程柔ではないのだ
疲れた大人だけが夜に買いにくるのだ
あれは条例なのか、自主規制なのかは知らないけれど
まさか法律なんて馬鹿なことはないよね
いつからこうだったか、記憶もないけれど
いつのまにかこうなっていたのだろう
酒を売るコンビニが近くにないので良く知らないが
ああいう所では二十四時間酒を売っているのだろうか
今度、誰かに聞いてみよう
なんだったら店の店員に聞いたっていいんだぞ
ああいう所でも同じように十一時から五時の間は
ビールは売っていないのかと
まさか店の奥にしまってしまうわけにはいかないから
普通に陳列されているはずで
「どーしてもビールが欲しい」という客を断ることが出来るか
出来るわけがない
売ってはいるが「売ってはいけない」などと言おうものなら
それこそ暴動ものだ
それにしても
五時から売ってもいいということは
五時から飲んでもいいということだけど
平日に朝からビールを飲むのはさすがにまずいんじゃない
夜中少しくらい飲んでもいいけど
朝の五時には飲み終えましょうよ
それが普通の感覚だと思うけど
お店だってそうだよね
早朝にはみんな店じまいだ
それとも夜は店で飲めってことか
これじゃ東京都と飲み屋の陰謀だ
そんな邪推をされないためにも
十一時以降も売ってくれないかな
前例がないってことなら
十一時以降売ってくれなくてもいいから
買っていいようにしてくれないかな
それは詭弁だってゆうなら
せめて買えるようにしてくれないかなぁ
例えば販売機の時計の針を手動で動かせるように改造して
でもどうして十一時から五時なんだろう
やっぱりわからない、さっぱりわからない
十一時から五時の間に一体何があるのだろう
きっと凡人にはわからない
なにか大変な秘密があるに違いない
東京都知事だけが代々語り継ぐ
突拍子もない秘密があるに違いない
ふー、ちょっとばかり
ビールを飲み過ぎたようだ
なにしろ販売機が店じまいする前に
たっぷり買い溜めしちゃったからね
夜は長い、さあ今夜は本でも読んでみようか

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一月 「初夢

一富士二鷹三なすび、である
縁起のいい初夢の順である
富士も鷹もそれなりに分かる気がするが
なすびがわからない
そういったら
なすびは全ての花が実になるそうで
まったく無駄が無いのだそうだ
親の意見と同じだと、母親に言われた
そのまま話しが続いてしまうと
飛んでもないほうに話が続いてしまいそうだったので
急いで
成る程
なすびを咥えた鷹が富士の上に輪をかけば最高だ
と、話の腰を折ってみた
夕べ見た初夢は碌でもなかったよ
と、話を続けたら
初夢は二日の夜に見るものだとにらまれ
益々、深みにはまってしまった
そんなこんなで
親の優越感だけが深まり、その倍親子の憂いも深まって
一月二日は暮れていった
私が見る夢はモノクロである
夢まで色気がないのである
夢に意味があるのだろうか
この歳になってもわからない
何しろいつも突然である
大抵願った結末ではない
時々うなされる事もある
それでも、ごくたまに
うれし恥ずかしの夢を見る
目が覚めた事が残念でならない
そんな「夢のような」夢を見ることがある
去年見た夢の中で一番は
さとう珠緒の夢である
去年見た夢の中で二番は
常盤貴子の夢である
とにかくミーハーである
それでも、いやそれゆえ一日を気分良く過ごせた
これは絶対、願望の現れだろう
なにしろ、凄かった
ちょっとここでは話せない
まあ、夢のことだ
多少のことは許してもらおう
月に一度でいいから
あんな夢が見れたら
どんなにか、そう思ったら
思わず溜息である
去年見た夢で最悪だったのは
昔振られた娘に、再度冷たくされる夢である
夜中に目覚め夢と分かった
深呼吸してから寝直したら
次の夢でも冷たくされた
なにもご丁寧にダメを押さなくてもいい
まったく、いつも突然である
やれやれ、なんで今頃である
叶わなかった想いがまだどこかにくすぶっているのであろうか
これは歪んだ願望の現れだろうか
いくら夢だといっても許せないものがある
仕事の夢もよく見る
但し役には立たない
疲れるだけだ
これは宮仕えの悲しさだろう
そんなことを思い出しているうちに
まぶたもそろそろ重たくなってきた
よーし、今夜の夢が初夢だと
静かに心に誓いを立てた
今年一年、いい日の方が多くありますようにと
出来ればさとう珠緒の夢の続きが見れますようにと
贅沢は言いません
常盤貴子で十分ですと
ファンが聞いたら憤慨ものの
全く身勝手な願いを胸に
ゆっくりと眠りに落ちていった
生家の布団は温かかった
翌朝は丁度昨日三才になった姪の
「起きなさい」の大声で
いきなり現実が始まった
初夢を見たのかどうかも
分からないほど
唐突に一日が始まった
一富士も二鷹もない
ヨーイ、ドンの一日が
この日も外は快晴だった
きっといい日だ
そう信じられるような
快晴だった

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