オンラインエッセイ: 月は東に尾は西に


昨日と違って風はもっと向こうに

でも、今日も月は頭上に高く高く

はてさて、明日はどっちへいってみようか

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「届けなかったラブレター」、「半端者」のふたつを一つにまとめました

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九月のエッセイ 「休んでみたら・・・少しは変わった」

最近どうもHPの更新意欲がわかない
食欲減退、夏ばてってやつかもしれない
以前は更新を休むとアクセス数が減る、という強迫観念から
ほぼ毎週更新していた
しかし更新してもアクセス数は伸びない
さらに言えば更新しなくてもアクセス数はそれほど減らない
それが分かってからは脅迫観念より「もう観念しました」となった
やってもやらなくても状況にさほど変化はない
これは結構辛い
やってもやっても良くならない、もちろんこれも辛い
しかしやらなくても悪くならないのでは何というか私の存在価値がない
良くならないのは少なくとも現状維持に寄与してるという言い訳が使えるが
悪くならないのでは現状維持にさえ必要がないと言われてしまう

言われないまでも自分でそう感じてしまう
自分で感じればそれは真実になってしまう
他人に何と言われようと、無視を決め込めば生きていける
友達は減るかもしれないが政治家になる訓練にはなる
地元の陳情を無視するのも、政治倫理を無視するのも
きっとこの経験が役に立つはずだ
万が一悪さがばれて
警察に捕まったとしても口を割らないですむことを考えれば
友達の一人や二人や三人、どうってことはない
それ以上はもとから友達がいないので無くしようもないから安心だ

読んでる人に分かりやすくを心がけているので
今の件(くだり)は具体的な物言いと相まってとても理解しやすいはずだ
しかし物分りの悪い御仁もいらっしゃるだろうから、一応念押ししておくと
自分の価値が紙切れだと一度認めてしまったら、HPは更新できないということだ
もちろん政治家になることは夢のまた夢
山の彼方のはるか遠くとなってしまう

だから4週間も更新を休んだあと、恐る恐るにログを見た
おおー、少ない
普段の半分程度だ。減少率50%
会社の売り上げが50%減ったらどうなるか想像してみてほしい
大変なことになる
言葉で言い表せないような事態が勃発する
世の終わりである

しかし私はまだ無事で、体調も悪くなく、ビールも毎日飲んでいる
会社もまだ傾いてはいない
少なくとも人生最悪ということはない
普段の行いがよかったせいだろう
自動販売機に残っていた置き忘れの10円、持ち去らなくて良かった
やはり神はどこかにいてちゃんと見てくださっている
神は仏教徒を差別することはないのだ

そうか、半分減ったか
まあ、4週間も休めば仕方ないよな
半分も残ってくれたことに感謝しなくちゃなどと心にもないことを呟く
しかし内心では
やっぱり俺がいなくちゃ話にならないだな、とニンマリほくそ笑んだのである

七月のエッセイ 「餃子は最初に油で炒めて」

近所のスーパーで買ってくる野菜たっぷりの餃子が意外といける
そのうち皮を買ってきて自分でも作ってみようかとも思うのだが
いかんせん、思うだけで実行が伴わないのが私の悪い点
そのうち、そのうちと呟きながらまたスーパーで餃子を買ってくるのである
勿論冷凍モノでも惣菜コーナーの出来合いでもない
ちゃんとしたりっぱなヤツである
なにしろ生もの、自分で焼かなければ食べられないのである
冷凍モノが立派ではないとか、惣菜が悪いとか言ってるのではない
手間をかける分だけ、私としては料理をしている気分になるという意味である

なんだ偉そうに
ただ焼くだけだろうなどとあなたに言われる筋合いはない
ただ焼くだけだけでもこんなに美味しくなるのだから
もっともこれは謙遜である
ただ焼いただけではさほど美味くない
ちゃんと焼かなければならないのである
それなりに気を遣うのである
購入するときに金を使った上に気まで遣うのである
ただ焼くだけだ、なんて言われる覚えはない
これでも結構色々なものをつかっているのである

腕に覚えがあれば、厚手のフライパンを十分に熱してだの
餃子の並べ方は整然と一列にとか
蒸らすタイミングはどうのこうのとか
色々あるのだろうが
既にお金も気もつかっている身としては
これ以上とやかくは言われたくない
全て我流である
文句は誰にも言わさない
自分で食べるのだから失敗しても決して不味いとは言わない
決して負けない勝負なのである

それでも餃子を焼くときはまず油でちゃんと焦げ目をつけて
水を入れて蒸らすのはそれからのこと
決して焦ったりしてはいけません
最初から水を入れたりしてはいけません
これが正しい調理方法なのか定かではない
それでも餃子を焼くときは決まってこのことを思い出す

昔とても好きだった娘に電話で言われた
ちょっと得意そうに「知ってる?餃子は最初に油で焦げ目をつけるんよ」
どうやら自分も誰かに教わって最近知ったようだった
大分偉そうに「だって先に水を入れるとうまく焦げ目がつかんでしょ」
とても好きだった娘は
関西なまり丸出しで私に言った
餃子を焼くときは
そのことを今も決まって思い出し
餃子だけではなく、胸も一緒に焦がしているのである

五月のエッセイ2 「なんてさわやかな・・・空の下で」

日本の五月はこんなに爽やかだっただろうか
そう思う。それもしばしば
そういう五月の初め
日差しの強さを感じながら
街路樹の下を歩く
あちらこちら破けた障子のような影の中を
少し緩やかに歩く
道も緩やかに曲がりながら上っている
急がぬように転ばぬように
そんなことを口ずさみながら
姿勢をただし手を律儀に振る
なにか好青年になったような気がするのはどうしてだろう

私の中のもやもやしたものが
フィルターに浄化されるようだ
濾された汚れは道の隅にそっと捨てておけばいいだろう
誰も気づきはしない
気持ちのいい風に
かすかに香る草木の気配
道はさらに曲がっていき
あの角を越えれば
下り坂となる
もうこんなに上ってきたんだと
少しだけ振り返る
立ち止まりはしない
何故か止まれない

誰ともすれ違うこともなく
とうとう下り坂にきてしまった
少し汗ばんだシャツの袖をまくり
やはり道なりに下っていく
ここからは一直線
ずっと先のほうに人がいるけれど
こちらに向かってくる人はいない
陽はまだ高く
日差しも強い
見上げれば
なんてさわやかな空

五月の東京に
こんな空があるなんて
まぶしいほどの空があるなんて
その空の下
ただ坂道を緩やかに下っている
少し汗の匂いがした
ああ、これからどこへ行こう

四月のエッセイ2 「4月は花見で、五月はなんだ」

4月は花見で酒が飲めるのである
歌の文句ではないが、それなら五月はなんで酒が飲めるのだ
北海道ならまだ花見で酒が飲めるのだろうか
いやあ、さすがに無理だろうなどと一人でいい加減なことを考えている

考えはいい加減でも理由はしっかりしていなくてはいけない
酒を飲むためにはただ飲みたい、などと子供のようなことは言えない
何しろ酒は大人の飲み物なのである

何をするのもいちいち理由が必要なところが大人の情けないところではあるが
社会生活というものはそういうものだ
多分そういうものだ
学校でそう習った記憶はないけれど
きっとそういうものだ
だから花見の時には人はあれほど浮かれるのだろう
何しろ日本国憲法の名において
大っぴらに外で酒が飲めるのだから

だからこそ、五月の理由が重要なのである
梅雨前のさわやかに香る時期
外で大手を振って飲める機会を失ってたまるものかと
結構必死なのである
なるほど、それなら仕方ないですね
まあ、そういうことなら遠慮しないでください
見ず知らずのお方たちもそう言わずにおれない理由が
もし見つかれば
今年の5月はこっちのものである
来年の5月だってきっとこっちのものだ
再来年だって、その先だって
みんなみんなこっちのものだ
こっちとはどっちのことだ、と聞かれるとちょっと困るが
とにかくこっちだ

えっ、そんな理由がなくたって飲めばいいじゃないかって
別に大人にこだわる必要はないでしょう
そんなに周りにうるさい人がいるんですか?
何も分かっていないな、君は
瑣末なことにこだわってうるさいのは
もう一人の私に決まってるじゃないですか
そんなことも分からないようでは
まだまだ、大人の仲間入りはできませんね

四月のエッセイ 「桜は咲いたが・・・」

金曜、うす曇で花寒
夜半から雨
盛り上がる前に退散。残念
寂しさひとしおの03年の花見である

土曜、一日氷雨
時に激しく降る
花が散ってしまうと嘆く。無念

まっこと天気が恨めしい
誰のせいだ
ふざけるのも大概にせい、と言いたい
毒づいたおかげか
日曜晴天、ただし風強し
花が散ってしまうとびびる

しかし今年の桜は偉かった
雨に落ちることもなく風に飛ばされることもなく
律儀に花はもってくれていた
私の来るまで
健気に花は待っていてくれた
私の来るのを
偉いぞ、桜
誉めてつかわす

憎むべきはこの風である
この風さえなければ
絶好の花見日和なのに
それでも少し汗ばむくらいの陽気の中
まだいくらかはつぼみを残したままの満開の花の下
缶ビール片手にそぞろ歩く
おりからの風にあおられて
何か一塊の意志を宿した桜並木が
ゆったりとうねるように左右に揺れる
何かを話しかけるかのように
妖しくうごめいていた
03年の花見をそれほど悪くない
そんなふうに思えた

三月のエッセイ 「梅は咲いたか・・・桜はまだかいな」

毎年恒例で申し訳ないが
今年も梅が咲いたのである
紅梅、白梅。あっちにちらほら、こっちにちらほら
風情がありますなあ
美人は見ているだけで気持ちが安らぎますが
美しい花も見るだけでこころが和むわけです
梅が咲いたとなれば、すぐそこに桜の開花が待ち受けている
てなわけですな

美人は安らぎますが武人はなにやら興奮してきます
妖しい花も見ていると吸い込まれていきそうで怖いわけです
美しいだけではなくいいようのない怖さを秘めているわけです
桜の花は
桜の木がと言ったほうがいいでしょうか
それとも花びらがと言うべきでしょうか
ソメイヨシノだけが桜の木ではないとお叱りを受けるわけですが
このあたりの桜の名所と言われるところは
殆どがソメイヨシノでありまして、ご立腹の方にはご容赦いただきたい

そもそも桜の木がなんだと言うのだ、とご立腹の方もいられるとは思いますが
そういう方は無視します
桜の妖しさが分からないような人は、このHPの面白さも分からないはずなので
当然の権利です
雑文書きといえども、クリエーターの端くれなので
そこのところは譲れません
桜の妖しさは分からないが、このHPの面白さは分かると言う方がいても
無視します
俺はどっちも分かる、という人はいい人です
私だってどっちも分かるわよ、という人は素敵な人です
それでも一緒に花見に行こうと言われても困ります

桜の妖しさは、昼間であろうと夜であろうと
喧騒の中の静寂にあるのですから

二月のエッセイ 「複雑なことばかり」

世の中は大層複雑に出来ているようで
理解に苦しむことが多い
世の達人ともなれば、複雑なのは人間様の方で
世の中は至って単純であると喝破もしようが
凡人を絵に描いて服を着せたような輩には
人間様は至って複雑であるが
世間様も相当に複雑であると思えるのである

最近の話題で言えば、イラクを巡る攻撃
古い欧州の雄、仏独が
新しい蛮勇国家アメリカに異を唱える
さすが気骨の国フランスだ、さすがゲルマン魂だ
などと単純に感心してはいけないらしい
石油にからむ利権、国内事情
一筋縄ではいかないことが裏に隠されているとのこと
そう言われると少し腰砕けになってしまう
まあ、腰砕けになるのは複雑さからではなく
私が小心者であるためだろうが

1+1は2といったところまでは無理としても
せいぜい四則演算で説明できる程度に簡略化してほしいと思う
そうすれば我々凡人にも判断しやすい
ああだ、こうだとごちゃごちゃ言われると混乱するのである
それでなくても雑事が多く人生は難儀なのである
平和に関することはとても大切なことなので
難儀だからと言っておろそかにはしたくない
その辺は結構律儀なのである
そう言ってちょっと胸を張ったりしたら
「簡略化するとアメリカの言い分になっちゃうんだけどなあ」
と柔らかくたしなめられた

なるほど、まっことこの世は難しい

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