コラム: 国語と社会(20〜)

怠け者の怠惰な生活と日常のあれこれを覗いてみようよ、気まぐれコラム

丸いすいかも切りようで三角。どんなに切っても豆腐は四角

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目次

No.20 経済一流 No.21 勘違いの親子、3題
No.22 甲子園 No.23 一番乗り
No.24 9月の『最近の言葉』で考えた No.25 聞くだけ野暮か?「結婚を後悔したことがありますか?」
No.26 10月の『最近の言葉』で考えた No.27 宙返り何度も出来る無重力
No.28 没原稿そのいち No.29 懲りないのである

No.29 懲りないのである
それでも飲みたいのか? 話はアメリカである、バイアグラである
米食品医薬局(FDA)は25日までに性的不能治療薬バイアグラを服用して死亡した米国の患者が今年三月末の発売から十一月中旬までで百三十人に上ったと発表した。未確認だが外国人患者も服用後に五十五人が死亡した、という。
まさに自ら志望した死亡である。心臓病や高血圧患者への処方は十分な注意が必要であるらしい。死因も心筋梗塞などの心臓血管系の障害が七十七人。脳卒中が三人。四十八人は死因の報告がなかった
危険因子や性行為がなくても六十歳と七十歳の二人が死んでいる。この方たちはまさに、死んでも死にきれない、といったところだろうか。中には二十九歳の死亡例もあるというから、世の男どもはとにかく大変だということが分かる。いや、ほんと。
さて、質問に答えよう。それでも飲みたいのである。死ぬと分かっていても飲むのか、と問われれば。死亡患者の平均年齢は六十四歳である、飲まなくてもいつかは死ぬのである。死ぬと分かっていても食べるのか?と聞く人はいないでしょう。死ぬ前に食べておきたいと思うのと同じこと、それほど渇望しているのである。男はちょっとやそっとじゃ懲りないのである
それでも飲みたいのか? 話は日本である、お酒である
職員の飲酒運転続発に悩んだ高知県が昨年十一月に飲酒運転の職員は原則懲戒免職処分にする方針を発表してから一年。処分決定の一週間後の11月26日、高知市内で酒を飲んだ県職員が駐車場から車を出したところで飲酒運転で摘発、情状酌量の余地無しと最初の懲戒免職となった。わずか一週間後である。さすが「酒といえば土佐」の土地柄。偉い、というかなんというか。やれやれである。今年に入っても七、十、十一月と公立中学校の教員が相次いで摘発、懲戒免職となった。相次いでである。公立である。中学校である。凄い、というかなんというか。おいおいである。さすが「酒といえば土佐」、、、
さて、質問に答えよう。それでも飲みたいのである。いや、飲まざるを得ないのである。クビになっても飲むのかと、問われれば。飲まなくてもいつかはクビになるのである、とは誰も思わないだろうが、やはり飲むのである。だってしょうがない。「酒といえば土佐」なのである。今日は車だから飲めない、なんてことは口が裂けても言えないのである。クビが恐くて飲めないとは、いくらなんでも言えないのである。それほどメンツが大切なのである。
自ら愚かな大人の姿を生徒に見せたいのである。男はちょっとやそっとじゃ懲りないのである
馬鹿は死ななきゃ直らない。うまいことを言うもんだ

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No.28 没原稿そのいち
言葉についてのHPをやり始めたのは去年の夏のことである。最初の紹介文には「コラムとエッセイ」とあることから自分の駄文・雑文をカタカナ表記にすれば少しは読んでもらえると思っていた節がある。まあインターネットもHPもほとんど素人同然だったこともあり、恥をかくのをちょっとだけ我慢すればなんとかなると思っていたようだ。わざわざ他人事のようにでも言わなければならないほどカッチョ悪いとは思わないがそれでも相当にトホホの経験であった。
いや、別に過去形で言わなければならないほど自信を無くしたわけではないがそれでも出来れば触れないでほしい。我がHPのアクセス数を聞いた瞬間に友人の顔に浮かぶ「そんなもんか」はなんとか耐えれても、その後浮かぶ「中身もそんなもんだろう」には耐えられない。思わず言わなくてもいいのに「大したもんじゃないから」と許しを請うてしまう。「エヘヘ」小心者なのである。
「文字だけじゃないか」と言われれば「その通りです」と認めざるを得ない。しかし「文字だけじゃ読む気にならない」と続けられれば何をか言わんである。致し方ない「読まなくてもいいからとにかく見に来て」と頼むだけだ。
それでもときおり迷い込んだお客さんが不運にも私の術中にはまってしまったことを知った時には救われる。神に感謝したくなる。神が感謝するために在ることを知る数少ないチャンスである。願わくばこの不埒者にもっとチャンスをと願う日々なのである。
これは、あるインターネットニュースに投稿したコラムである。見事に落っこちた。不採用、いわゆる没原稿である。やれやれである。またまたである。つくづくである
これのどこが気に食わないのか。なにが不満なのか。どう考えても分からない。ひっくり返しても意味はない。逆立ちしてもおっつかない。おいおいである
なにがなんだか分からない、なんて一人腹を立てるほど純ではいられない。それほど落ちまくっているこの頃なのである。それはそれは見事なものなのである。
さあ、今日は二つ目の没原稿を書こうかなっと。こんどはどこを落ちてやろうか?
てぐすね引くこの頃なのである

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No.27 宙返り何度も出来る無重力
下の句を募集している。子供ではないが子供並みの精神年齢なので一つ許していただいて
「宙返り何度も出来る無重力」「ふわりふわふわ、ゆらりゆらゆら」なんてどうだろう。なんだか分かったような分からないようでよろしいじゃございませんか
「宙返り何度も出来る無重力」「何も買えない商品券」はちと小渕ネタに走りすぎているかもしれない。第一無重力となんのつながりもないとのお叱りはごもっとも。まあ、しいて言えば軽さが共通点ということでご勘弁
「宙返り何度も出来る無重力」「トンビがくるりと輪をかいた」はパクリですなあ、才能の枯渇を感じざるを得ません。まあ、最初からなかったという意見もありますが。
「宙返り何度も出来る無重力」「地球の上で宇宙(そら)のかなたで」なんて科学好きの小学5年生で応募したら何かもらえるんじゃないだろうか。だめかなぁ
「宙返り何度も出来る無重力」「残念ながら金は取れない」ぐらいのことは今の子供ならいいそうな気もする。結構覚めてるからね。でも、そんな冷めている子供だって無重力を体験すればきっと変わるんじゃないだろうか
「宙返り何度も出来る無重力」「させてあげたい望む誰にも」そんな時代が来ればいいのですが、限られた資源では難しいですね。
「宙返り何度も出来る無重力」「二日酔いでも大丈夫」は要らぬ心配なんだろう。でも戻したりしたら結構大変だよね。そこら中吐しゃ物の海になってしまう。ところでシャトルの中って酒飲めるの?
「宙返り何度も出来る無重力」「止まる方法誰か教えて」一人では危険ですのでおやめください
しかし私より年上の千秋さんが「なんてこともないよ」といった感じでとてつもないことをやっているのをみると思わず
「宙返り何度も出来る無重力」「拍手喝采、青春万歳」なのであります
「宙返り何度も出来る無重力」「夢も地球(ほし)も一緒にまわる」と自分ではばっちり締めたつもりになっている次第であります

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No.26 10月の『最近の言葉』で考えた

「だからカネを出せ」と言いたくなるような不景気だそうだ
だそうだ、なんて人事のように言っているが実は自分では良く分からない。失業率も大変高く身につまされるような話にことかかないのは分かっているつもりなのだが、それでもどこか釈然としない。昭和30年代、皆さんはどう生きていたのだろう。そんな昔はわからないとおっしゃる方はちょっと横の方に置いておいて、世のお父さん方はどうであろうか。有り体に言えば、あの頃に比べればなんてことはないのではないだろうか
問題は、あの頃よりもよほど裕福であるにも関わらず豊かさも輝きも感じられないことに有るのではないだろうか?借金だって自分でこさえたものではものではないのだろうか?理不尽に人から押しつけられたものではない場合がほとんどなのではないか?
ちょっと偉そうに言い過ぎですね。無借金経営をポリシーに生きている私には、何も分かっていないのだろうが、昔に比べればと思える人は結構強いと信じたいだけなのです
「つかず離れずの適切な距離で最適だ」そう、その通り。幸せってやつとだって、あまりべったりくっついていると碌なことにはならないと思いますぞ。ほどほど、ですよ。だって生き方なんて「いやあ、たーくさんあって言い切れないぐらい」あるはずじゃないですか。人間一人が出来ることはかぎられているかもしれないけれど、それぞれの人にそれぞれの生き方があるってことは大変なことじゃないですか。「奇跡は、奇跡的に訪れるものではありません」慎ましく生きていけることは奇跡なのかもしれないけれど、誰にもその権利と力が与えられていると思いたい
「今の瞬間は、僕が一番だ」慌てない、騒がない。流されない。とても難しいことだけどそれが出来たらちょっと胸を張ってもいいかもしれないですね。私が一番だ、と。少なくとも私が一番好きだといってあげたいですよね
「人生はまだ続くよ」こんな不景気なんて、なんだ。これで終わるわけじゃない。「協会を辞めたとはいえ、ぼくはゼロになる人間じゃない」そう言えるだけの足跡を誰だって残しているはずじゃないですか?昭和30年代、親の背中は苦労で小さく丸まっていたようにも見えました。それは幼い私たちを冷たい世間の風から守ろうとしていたからです。守るべき家族がいたからです
「私はそれほどボケているつもりはない」まだ、まだ。これからですぞ各々方
どうかこんなことに負けないでください。10月の言葉を読んでそう切に願う次第である

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聞くだけ野暮か?「結婚を後悔したことがありますか?」

妻の56.8%が「結婚を後悔したことがある」のだそうだ
結婚紹介業のオー・エム・エム・ジーが3月と7月に首都圏と阪神圏の20〜50代の男女それぞれ400人に聞いた
夫は37.6%が後悔したそうだ。「離婚したいと思ったことがある」のは妻で51.3%、夫で28.5%となる。後悔した人のかなりの人が離婚を考えたことになる。女性の方が後悔した率も、離婚を考えた率も高くなっている。なにしろ半数以上の人がそうなのだから
離婚に踏み切らなかった理由は「子供のため」(65.6%)「経済的な理由」(31.2%)が妻であり、「離婚するほど深刻ではなかった」(62.3%)「問題が解決した」(23.7%)が夫の楽観論である
まあ、男と女の間には暗くて深い河がある、わけなので驚くには当たらないのかもしれないが、それでも今更ながらと驚いてしまう。いや、面白がってしまう。つまり、女性の二人に一人は「どうしてこんな人と結婚してしまったのだろう」と思い、子供のことさえなければ「今すぐにでも別れてやる」と思い「経済力がついたら目にものみしてやる」と決意して日々暮らしているわけだ。健康によくないなあ、世の奥様方は
それに比べて男どもの三人に一人は「まあ、欲を言ったらきりがないよ」と隣の美人にチラッと目をやりながら「今更、やり直すのも面倒くさいし」とことを大袈裟にしないように穏便に暮らそうと思っているわけだ。寝首をかかれそうだなあ、世の旦那さんたちは
「来世も同じ相手と結婚したいか」と聞かれれば「したくない」は67.6%が妻。16.8%が夫
なにしろ「結婚したら最後まで添い遂げるべきだ」にyesは妻45.5%、夫67.8%なのであるから、ゆめゆめ油断召されるな各々方。「愛さえあれば結婚できる」なんて夢を見てるのは妻29.0%、夫43.8%なのですぞ、各々方
しかし、結婚式でのあの誓いは一体何なんだろうって思った次第である

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9月の『最近の言葉』で考えた
「首相は何もわかっていないんだから…」いや、本当。ここだけの話経済のことはチンプンカンプンなのよ。そう言ってるわけだよね
もちろん私も若輩者であるからして、私自身が同じように言われているのは知っている。何しろ目の前で言われているのだから。しかし、こう陰でこそこそ言われたんじゃ、首相も立つ瀬がない
誰だって歳を取れば少しはぼけてくるのだ。耳が遠くなるしトイレは近くなるのだ。でも、言っておくぞ、私がアンポンタンなのは若いときからなのだ。決して今に始まったことではないのだ。別に「老人力」がついてきたわけではないのだ。「ぼくが七十五歳になって、一日に二十五回もおしっこに行くようになったらどうするんだ」って言われても、多分その時は私も三十回くらいは行くんじゃないでしょうか、としか言えない
正直に言えば、先のことはあまりはっきりしていないということだ。「率直に申し上げて理解に苦しんでおります」といったところだろうか
しょうがないから「こんなご時勢に貯金なんて一体何の役に立つのや」なんて子供が拗ねたような物言いはぐっと我慢してせっせと貯金にでも励みましょうか
溜めるのがよくないなんて言わないでください。そんなこっちゃ景気はちっとも好くならないなんて言わないでください。「企業の人間が『なんとか安くしてくれ』というのは当たりまえでしょうが」と同じように庶民の一人一人が防衛に走るのは当たり前でしょうが
株も下がる。賃金下がる。人気も下がる。の全面安だそうだ。「下がると小渕恵三、上がるとだれのせいかね。教えてくれよ」なんて呑気に言ってられたのは、はるか昔のことですなぁ、小渕さん。少なくともあなたのせいではないと思っています、上がるのも下がるのも。顔のない国日本の顔なんだからしっかりしなさい、なんて陰で言ってる人がいるかも知れませんが、ほっておきなさい
世の中にはもっと大切なものがあるでしょう。「人間は貧富の差にかかわらず、孤立しては生きられません」ということなのだから、孤立するより陰口叩かれるほうがまだ、ましってもんですよ、お互いに
「もう、何でもありということですなあ」って達観して様子を見てみましょうか、って思った次第である

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一番乗り
一番である
ついに学生時代取ることが無かった一番の椅子である。堂々のNo.1である
うれしくて、ついファイルをセーブしてしまった。アクセスカウンターの000001である。この画面を思わず取っておくことにしたわけである
取っておいてどうなるものでもない。良くある一万回目のアクセスのお客さんにはプレゼントなんてお楽しみがあるわけではない。ファンの一人として記念に取っておきたいと言うわけでもない。何しろ格安運賃の航空機会社のHPなのだから。このHPでやっている最近の言葉」というコーナーの関係で検索した結果なのだ。この会社19日に初めて飛行機が飛ぶわけである。その19日にアクセスしたら一番だったというわけである。本当だろうか
ちなみに私のHPのアクセス一番のりは私自身であるが、それは悲しいだけで嬉しいことではない。悔しいから自分のHPの一万人目は自分でアクセスしてやるぞと、密かに狙ってはいるのだがそれとても取りたてて嬉しいことではない。当たり前だ
しかし、偶然にも手に入れてしまった幸運になんと感謝すればいいのだろう。ありがとうございます、神様。これでまたHPのネタが出来ました。コラムがひとつ書けます
近年にない、幸運である。これでまたしばらくは運から見放されるのかと思うとかなりのトホホである。何もこんなことに運を使うことはないんじゃないかとも思う。理不尽じゃないかとも思う。神様、なんか私に意地悪していないですか。いけない、いけない。こんな罰当たりなことを言ってはいけない。ごめんなさい、今のは冗談です
怒らないでくださいね。大切なレポートのファイルをおしゃかにしたばかりなんですから。もちろんその時だって神様を恨んだりなんかしませんでした。HPのネタをありがとうって感謝したくらいなんだから
だからどうぞもう一度一番にしてください。出世頭の一番でもいいですし、宝くじの一番でもぜんぜん問題ありません。払う、出て行く、無くなる、といった類の一番は遠慮いたしますが、前述した一番の他に頂く、増える、貯まるといった類のものなら遠慮する気はありません。あっ、ちなみにお小言を頂く、苦労が増える、ストレスたまるなんて冗談は嫌いです。分かっているとは思いますが、念のため

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甲子園

甲子園である
夏である。定番である。カチ割り氷に麦藁帽子である
熱闘である。がむしゃらである。ひたむきである
汗である。臭いのしない清潔な汗である。
もちろんそんな事はない。多分、まともな神経ではどうにも我慢できない程の臭いである。若さは臭いである。とっても臭いのである。いいや、臭いを通り越して十歳まで達しているはずである。自分だって臭いのだから、他人が臭くないわけがない。
それが、臭わないのはやはり相当興奮しているということである
それでも、ブラウン管を通してみる高校生は球児に限らずみんな、それぞれに爽やかなのである。美少女なんかは特に爽やかだ。少しでもお近づきになりたくて、ついついブラウン管に気かづいてしまうお父さんも多いのではないだろうか。
とにかく人生の絶頂なのである。ピークなのである。輝いているのである
こんな風に輝く時期を持たない私にとっては何ともうらやましいのである。でもそれと引き換えに多くのものを捨て去ってきたのも確かなのだろう。私には絶対に真似の出来ない、忍耐と努力を積み重ねてきたのだ
その結果としての、優勝に心からおめでとうと言おう。横浜生まれとしても、鼻高々である。同じような場所に生息したことがあるというだけで、威張ってしまうのである。いわゆる地元といえる程の距離的、心理的近さがあるわけではないのに、それでも堂々と胸を張ってしまうのである。他に張る時がないだけに、自然と胸にも力が入るのである。
なにしろ春夏連覇である。ノーヒットノーランである
巨人の不甲斐なさを今夜だけは忘れて美酒に酔いしれよう。高校生では飲んではいけないことになっているビールとやらで乾杯しようと思う。3億とも言われる松坂君の契約金のことも、ひとまず忘れることにして

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勘違いの親子、3題
平日の昼間、ビアハウスで好きなビールを飲んでいる。普段では考えられない夏休みのことだ。好きな絵を見た後の満ち足りた時間を、さらに満ち足りた時間にしようとのビアハウスだ
外は驚くほど遅い梅雨が空けた暑い空気の固まりだ
7割方埋まっている。不況の風吹いているのは少なくともこのあたりの話ではないらしい。それはそれでいいことだ。目の前には茶髪の、おや、子供が。茶髪の子供ではない。子持ちの茶髪だ、お母さんだ。うーん、そうか。茶髪のお母さんか。茶髪かぁ、茶髪かぁ、かぁ、かぁぁぁぁ
いや、別に茶髪が悪いわけではもちろん無い。子供連れの二組のお母さんだ。どちらも子供は三つ位であろう。向こう側のお母さんは可愛いではないか。そう思ってみると子供(女の子であった)も母親似で可愛いではないか。おや、ビールを飲んでいる。子供のビールのみではない。もちろん母親の方だ。まぁ、ここはビヤハウスだ。なんら不思議はない。自分だって飲んでいるんだ、自分だって。おやぁ、煙草を吸い出したぞ。しつこくて申し訳ないが、当然子供の煙草吸いのことではない。母親の方だ。うーん、小さい子供の前で吸うのか、今の親は。これならこちらに背を向けてる茶髪のほうがまだマシだ。
昼日中からビール片手に煙草を吹かすお母さんがブスならいくらでも毒づけるのに、可愛いからなあ、あまり過激なことは言いたくないな、と席を立った。偶然に勘定がいっしょになったのだが、私の勘定が済むまでの間にあの可愛い子供が三度「カラオケにいこう」と言ったのには、さすがにこいつは宇宙人だと思った。美人に生まれてきてほんとーに良かったねと思わず胸をなで下ろした。これでブスなら、将来は大いに暗い
可愛ければ何をやっても許されると考えているのは私だけの勘違いだとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。が、世の「大部分の男ども」と「自分のことを可愛いと思っている世の全ての女性」も同じように勘違いしているというのが私の意見だ
駅のホームの親子も相当な勘違いだった。この頃の親は子供の服装に異常な執着を見せることがある。えてして親自身の服装にも尋常ならざる執着を見せることも多い。それに比べればまだましかも知れないのだが。
親はTシャツにジーパン。どうということもない。身分相応、こういった服装なら顔が目立つこともなく、人前にさらすにはどうだろうという造作でもまだ我慢できる。しかし、子供はなんだろう。上は普通のTシャツだったので、つい油断してしまったためにより強い衝撃を受けた。それが狙いなのだろうか。
ひらひら、ふわふわ、ふんわり、の白のスカートである。ぽちゃりとか、ふっくらとかよりは大分大柄な体には、相当場違いだ。完全に浮いている。どうも、我が子を敢えてさらし者にしているとしか思えない。だれか、勘違いをいさめる親戚とかはいなかったのだろうか。この親子の前途は暗い
御徒町を歩く親子も負けてはいない。アメ横を歩いていたら前を女の子の二人連れである。左側は青のワンピース、右側はジーパンにサマーセーター。夏休みなので、友達二人で買い物にでも来たのかもしれない。たまたま、方向がいっしょだったのでしばらく彼女らの後ろを付いて歩く形になった。まあ、左側はあまり派手な服装は恥を世間にさらしてるようなものだから自重したほうがいいよと、要らぬお節介をやきたくなる感じの子だ。
でも、こういうケースはおうおうにしてもう一方は美人だったりするんだよな。そんなことを夢想していたら、見事に裏切られた。それは見事なまでにである。何も親子でこんなとこに買い物に来なくても、ねえ。何もそんな若い格好をしなくても、ねえ。親子は悲しいほど似てしまうんだってことをさらしに来なくても、ねえ。
お願いするから、美人の姉妹。美人の女友達。美人の他人。とにかく頭に「美人の」飾り言葉を付けても石を投げつけられないと自信のある人たちだけが、奇麗なおべべ着て町の大通りを闊歩して頂きたい。
いつも道の端っこを申し訳なさそうに歩いている者の一人として切に要望する次第である

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経済一流

米系大手格付け会社のムーディーズ・インベスターズ・サービスが23日、日本国債などの格付けを引き下げ方向で見直すと発表したことから、同日の金融・資本市場では一時、株、債券、円が売られるトリプル安となった。市場の動揺は、同社が前段階として「見直しの可能性」を4月に発表した時ほどではなかったが、実際引き下げとなると、日本企業の外貨建てでの資金調達がより困難になる恐れがあり、市場関係者やエコノミストの間では、ムーディーズの判断が中立的でないといぶかる声も高まっている。
これは23日の毎日新聞の記事の抜粋
信頼とははてさてなんだと考えた。「どんな点から見ても誤りの無いものとして信用すること」と辞書にはあった。信用とはなんだ、とさらに考えた。私の見ている辞書では信頼の3つ前に記述がある。するとこちらの方が偉いということになる。やはり世の中早い者勝ちであろう。そんなことはどうでもよくはない、よくはないが、とりあえずあっちの方に置いといてと
どうやら辞書から読み取ると信用にはお金が絡むらしい、組織とか機関とかも絡むらしい。やたらと複雑そうだ、ややっこしそうだ。確かに信用組合はあるが信頼組合とはついぞ聞いたことがない。フムフム
しかしここまで解れば後の話は簡単だ。少なくともお金が絡むことで中立的立場があると思う方が間違っている。市場関係者やエコノミストのくせにこんな簡単なことも分からないのだろうか?不思議な人たちだ。
政治三流、経済一流と言われたのは何時のことだか。結局人が三流なら経済も三流に決まっているというわけだ。もちろん、人が三流だから「金もうけ」は一流という考え方もある。あるし、分かる。分かるし、正しい。でも「金もうけ」と「経済」はイコールではないだろう
中立的ではないと怒るのではなく、どうしてアメリカの一企業(格付け会社って営利団体なんだよね、多分)がよそ様のことに口を出すんだ、って怒りたいところだ。百歩譲って口出しするのは構わないけど、どうしてその口車に世界中が乗せられるんだって一言言いたいところだ。二百歩譲って世界中が乗せられたからといって、いまさら日本までが上を下への大騒ぎするんだ、ってせめて嘆きたいところだ。どんどん譲歩するところが我ながら情けない
「経済」ってなんだと考えた。「経国済民」つまり国を治め人民の生活苦を救う意味と辞書にある。確か昔の偉い学者さんかなにかの書物に出てくる言葉だったと記憶している。今時生活苦といってもピンとこない人の方が多いのかもしれないが戦後最悪の失業率。つまり、言い換えれば小学生の一教室に一人はお父さんが失業している児童がいるということだ。こりゃ、格付けを下げられてもしょうがないかなって思った次第である

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