コラム: 国語と社会
怠け者の怠惰な生活と日常のあれこれを覗いてみようよ、気まぐれコラム
丸いすいかも切りようで三角。どんなに切っても豆腐は四角
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No.30 商品券否定論を斬る! を斬る | No.31 ネーミング合戦、過熱 |
No.32 でも経済的には頼りたい | No.33 キセルで1500万円とは |
No.34 インフルエンザ顛末記 | No.35 さよなら、16文キック |
No.36 続・インフルエンザ顛末記 | No.37 続 続・インフルエンザ顛末記 |
No.38続・ 続 続・インフルエンザ顛末記 | No.39 老人人口2000万人突破 |
ついに2000万人突破である |
プロレスファンの数でもプレステ愛好者の数でもましてや登校拒否児の数でもない。65歳以上の人口が始めて2000万を超えたのである。総務庁発表の98年10月1日時点での推定人口で明らかになった。なんで65歳以上かってえと「老年人口」として区分されるかららしい。2051万人、総人口の16.2%になるんだそうだ。6人に一人がお年寄りってことだね |
老年人口の割合が一番高かったのは島根県、少なかったのが埼玉県だそうだ。この話しを聞いてから島根なんか少ない人口の大半がお年寄りのような印象になってしまった。甚だしい誤解なんだろうけど、きっと。すまぬ |
2000万か、2000万か、2000万かと三回頭の中で唱えてみる。じんわりと凄さが伝わってくるではありませんか。貯金が2000万もあったらどうしよう、なんて埒もないことを考えてしまう。ついつい現実から逃避したくなってしまうくらいの凄さなのである |
お年寄りの氾濫が、いや違った反乱が起きないか心配になるくらいです。東京都民を全部合わせた以上の数の存在はそれだけで圧巻と言わざるを得ません。今でこそ個々に隔離され陽当たりの悪い場所に押し込められてしまっていますが、その気になればかなりの財力と過分な知恵を持った人々の集団なのです。ここは一丁みなさんで手を組んで、なんてことになって圧力団体でも作られた日には「どえらいこっちゃ」なのであります。それはそれは手におえない、手強い集団になるものと思われます。戦後を生き抜いてきた人だけに場数が違います。胆力が違います。それにもう恐いものがなくなりつつある年齢でもあります。 どれを取っても私たち若輩者には太刀打ちできない、と認めざるを得ません |
それなのに、ああ、なんと人のいい方々なのでしょう。老いては子に従えとばかりに言いたいことも言わず、行きたいところにも行かず、食べたいものも食べず、ひっそりと終焉を迎えるだけなのです。それでいいのでしょうか? |
そんなことを思いながら私の両親を頭に描いてみたのですが、「いや、あれは、あれで、なかなかどうして」なんて気がします。さらに詳細に検討してみると「それほど気にすることもない」「一筋縄ではいかない」なんて言葉が浮かんできます。こんなことを考えてしまうのは私がいけないのでしょうか? こういう子に育てた戦後教育がいけないのでしょうか? |
どっちにしろ半分は親の責任だよな、なんて不謹慎なことを考えた次第である |
頭の中は「アッチンチン」の大合唱である |
医者に言われたように体温計を帰り道に買うために薬局に行く。どこかにあったはずなのでわざわざ買うこともないとは思ったのだが、「アッチンチン」の身で部屋を探索する気にはなれなかった。「どれにしますか?」「どれでもいい、早くしてくれ」というのが本音なのだが思わず「どう違うんですか?」なんて聞いてしまった。後の祭りである。そんなに細かく説明せんでも、と思わず突っ込みを入れたくなるような丁寧な説明である。 「それじゃ、一番右のやつ」ってそんな買い方するなら説明させるな。すまぬ、熱で少し回路が狂い始めているのだ |
買った体温計を手に家に戻る。早速座薬へ挑戦である。包装を破き取り出した「そいつ」は不適な面構えの面妖なものであった。金属的な光沢と弾丸を思わせる流線形に思わずこの世のものではない、と呟く。説明書がついている。特に変わった説明はない。入れる場所を間違えないでくださいとかの戯れ言の一つも無い。入れにくい場合は少し手で溶かしてからがいいわよ!程度のことしか書いてない。まあ、人によって入れ方が違うこともないだろうし、やることは一緒だ。説明するまでもない |
ひんやりした感触を下半身に感じる。不安がつのる。何か踏み入れてはいけない世界に入り込んでしまうようで思わず、神の救いを求めたくなる。 深呼吸して、肩の力を抜きついでに下半身の力も抜く。指に力を入れる。「おおっ」何かが入ってきた。もちろん座薬である。この後一体どうすればいいのだろうか?「助けて神様」 さらに指に力を入れる。さらに入る。さらに、さらに力を入れる。もっと入る。入ることは入るのだが力を抜くと出よう、出ようとするのだ。困った。また入れる。すると入る。安心する。また出ようとする。奥まで入れろという。奥とはどこあたりをさすのであろうか。座薬がはみ出ている今の状態を奥まで差し込んだ状態とは言わないのは確かだが、、、 思い切ってぐっと、ぐっと、ぐぐっと押せば観念したかとうとう「そいつ」はその身の全てを沈ませたのである。しかし、まだ指で蓋をした状態である。やはりこれも奥まで、ではない、だろう。でもこの後はどうすればいいの?もっと突っ込むのか。思案してふと指を離した瞬間に「ごっくん」と「そいつ」は私の下半身に飲み込まれていった |
もう取り出すことは出来ないのである。後戻りは出来ないのである |
風薬を飲み、布団に入り体温計で熱をはかる。測定が終わると音で知らせるとのことだが、異様に時間がかかるような気がする。待ちくたびれた頃ピッピッピ。「おおっ本当に40度近くある」凄いものである。「熱が下がると汗がたくさん出ますからね」と言われたことを思い出す。タオルと着替えを用意する。せっかく買った体温計なので、しょっちゅう体温をはかる。何回はかっても同じ温度になる。それでも測らずにはいられない。そのうち、額を中心に顔から空気が吹き出るように何かが放出され始める。汗が出始めたのだ。一斉に発汗した、そんな感じだった。「ブワッ」とでも言えばいいのだろうか。汗が出る、出る、やたら出る。 「そいつ」はちゃんと仕事をしているのである。もう「そいつ」呼ばわりは出来ない。「お前」に格上げである。意外といいやつなのである。体温はみるみる下がっていく。39度前半、38度後半、38度、37度前半。いやはやもの凄い威力である。「お前」から「あなた」にもう一ランク格上げである。36度後半、36度前半、35度後半。「んっ」36度を切ってしまった。もう、いいぞ、この辺で。ところが「あなた」は手を抜くことが嫌いらしい。まだ、下がる。まだまだ下がりつづける。35度半ば、35度前半。「やややっ、一体どこまで下がるのだ」35度前半はいくらなんでもまずいだろう。「あなた」から一気に「てめえ」へと2ランクの格下げである。一体俺の体をどうするつもりだ「てめえ」。このまま薬が私の下半身で全て溶けてしまうまで体温が下がり続けるのだろうか?恐怖である。どの程度残っているのか指を突っ込んで確かめたほうがいいだろうか。まだ残っているなら指でほじくり出したほうがいいのではないだろうか。でもそんなことをしていいものだろうか。思いは乱れ、心は騒ぐ |
しかし、下がりつづけることはなかった。最初はじわり、その後は着実な足取りで上昇し結局37度台で安定した。株価並みの上下動である。本当に人間は恒温動物なのだろうか、との疑念を持つ。2時間程度で4度以上も体温が変わる生き物が恒温動物と呼べるのだろうか、との疑念である。この後は大きな浮き沈みもなくゆっくり快方に向かう。計5日間のダウンであった。 インフルエンザおそるべし |
この経験で幾つか勉強をした。一つは体温計はあったほうがいいということ。もう一つは女性が基礎体温を測るために作られた体温計は、とても正確で小数点以下2桁も表示してくれるがそのためにとても測定に時間がかかることである。やはり「一番右のやつ」なんて選び方をすると碌なことはないのである |
順番待ちの長い空白がやっと終わった |
「xxxさん」と呼ばれ体温計を渡された。脇の下に体温計を差し込む。やっとこれで診察を受けられる。間に合った、どうにかこうにか間に合った。しかし神はやはり無慈悲であった。体温測定には十分過ぎるだけの時間が過ぎ去ったが何の進展もない。「おい、いいかげんにせいよ。体温計が溶けちゃうよ」なんてあほなことを幾度か繰り返した後にやっとドアが開いた |
診察室に招き入れられる。椅子に座らされご対面である。見ると先生はおじいちゃん。大丈夫だろうか?ボケたりしてないだろうな、なんて無礼なことを考える。服は脱がなくていいですよ、と言われたのに服を脱ぎ出す私。看護婦さんに「そのままでいいですよ」と再度言われる。どうやらボケが始まっているのは先生より私の方だったようだ |
問診が始まる。喉は痛いですか? 咳は出ますか? 痰はどうですか? 頭は痛くない?といった具合に質問が続く。そのつど私の答えから怪しげな文字をカルテに書き込んでいく。患者に内容を知られたくないために日本語も英語も使わないわけではないそうだが本当だろうか? 「熱はありますか?」 「いいえ、それほど。ただ少し寒気がします」 「じゃ、ちょっと熱あるのかな。まあ、本人にはあまり分からないもんですから」 その時「39度7分ですよ」との看護婦さんの死刑宣告。「えっ、そんなにあるの?」と小さく驚く。その拍子に体温が0.1度ほど上がった。いや、そんなにあるわけがない。せいぜい8度程度だ。いやそんな低いことがあるわけない、38度程度だ。(2000年問題対応の文章なのであると少し自画自賛するのだ) そんな馬鹿な、きっと待たされているうちに上がったんだ。小心者の正直者なのでそんな思いが顔に出たのだろう。あたしの言うことを信用しないのねとばかりに私の額を触った看護婦さんが「アッチンチン」と二度目の死刑宣告。また0.1度上がった。ま、まずいこれで39度9分になってしまったことになる。後もうちょっとで40の大台だ 「大分高いですね。まず熱を下げましょう。熱があることで体の痛みも出ますから、、あまり高い熱が続くと、、まあ大人の人は大丈夫ですが、、子どもさんなんかだとちょっとね」と大丈夫だという割には熱による弊害について割と親切に解説してくれる。薬の内容も細かく教えてくれる。なるほど丁寧だ、これじゃ診察に時間がかかるはずだと合点がいく |
「体温計はありますか?」あったような、なかったような。多分あるなと思うと同時に「体温計は買っておいて下さい」との指示が飛ぶ。「はい」小さくうなずく「解熱剤として座薬出しますから。座薬、使ったことありますね?」「…いいえ」「使い方は説明してもらって下さい」「…はい」 |
聞いたことはあるが見たことはない座薬、恐ろしい。なにしろxxにxxしちゃうんだぞ。そんなこの歳まで守ってきた純潔、そして純穴がーーー。また0.1度体温が上がった。ついに大台である。もう矢でも鉄砲でも持ってこい、なのである。 −まだ続く− |
インフルエンザデで寝込んだ長く苦しい夜が明けた |
金曜の朝だった。医者が始まるのは確か9時だったと思う。依然行った内科に行こうと考えた。でも、まてよもし10時からだったらどうしよう。一時間もどこかで待っていなければいけないのだ。うーん、しかし今からの一時間はかなり苦しい。何しろ永遠に続くと思われる長い夜を息も絶え絶えに絶えてきた身なのだから。松山千春でもこれほど長い夜は過ごしたことがないだろうと思われるながーい夜だったのだから。一刻も早く医者にかかりたい。変なものだが医者にかかればすぐに楽になれると考えているのだ |
それでも一時間時間待ちをする勇気はなかったので10時まで布団で横になっていた。弱々しく起き上がり弱々しく立ち上がりそして弱々しく医院を目指した。途中の看板には9時から始まるとある。なんてこった、さすがに泣けてくる。入り口のドアにやっとの思いでたどり着いたのだが、電気が点いていない。やられたか! |
弱々しくドアを開ける。誰もいない。「すみませーん」と2度呼ぶ。看護婦さんが顔を出す。「今日は休みなんですよ」。なんてこった、悲しくてうるうるしてきた。「どこかこの近くに病院はありますか?」聞けば坂道を下ったところにあるという。「お気をつけて」の声を後に弱々しく坂を下って行く。休みの日にどうしてあの看護婦さんは制服を着ていたのだろう。そんなことを真剣に考えれるほど心と体に余裕はなかった。助けて、助けて、お医者様 |
たどり着いた病院は結構大きく内科、外科、他たくさんの部位を生業としていた。しかし、汚い。いや、古い。大丈夫だろうか?内科は2階ですとのこと、その2階に上がればもう3人も順番を待っている。ううっ、早く見てくだせえお代官様。風邪をひきました、と保険証を出す。「診察の前に熱を測ってもらいますから」と言われた。おおっ、これで助かる。これでなんとかなる。神は我を見捨てなかった。そう思ったのもつかの間、神は見捨てなかったかも知れないが手を差し伸べもしなかったのだ |
なぜなら遅い。とても遅い、診察が。いや、それだけ診察が丁寧なんだ。丁寧なのはいいことなんだ、なんてことを思うのは健康人だけなのだ。いいかげんにせいよ、ワレ。わしゃ、病人だぞ。お約束の関西弁で毒づくものの、そんなことは分かりきってる。ここは病院である。私だけではない。左隣に座っている人も、その左隣に座っている人もきっと病人だのだ。さらにもう一人隣に座っている人もお茶を飲みに来たわけではないだろう。しかし、遅すぎる。あまりの遅さに順番待ちの女性が時間がないと言って帰ってしまった。ラッキーである。神はまだ私を見捨てなかったのだ |
少し怒ったような顔をして帰って行く人の後ろ姿は淋しそうだったが、私には後光がさしているように見えた。しかし、まだまだ試練は続くのであった。 なんと、とんとんと軽快に階段を上ってきたおじさんが受付のカードを見て、「まだ、こんなにいるのか」と小声で呟いた後私の左隣に座ってしまったのだ。「ああ、そこは先ほどお帰りになった方の席で私が座るはずの場所なのです」 |
しかしとても病人とは思えないほど色艶のよいおじさんはそんな私の声を無視してドッカと座ってしまったのです。そのどうどうたる態度から想像するにきっと受け付けを先に済ませてどこかに行っていたのでしょう。しかし用を済ませてから来るぐらいなら「かなり元気なんじゃないでしょうか?肌つやのいいおじさん」と聞いてみたいのはやまやまだったのですがそんな元気はどこにも残っていなかったのです。 もう30分近く待ってるんじゃないだろうか。なんかぞくぞくしてきたような気がする。病院に来て具合が悪くなってきた。ちょっと熱が出てきたような気がするのは気のせいだろうか。いえ、いえ決して気のせいではありませんでした。そのことはこの後すぐに分かるのである。 −続く− |
馬場が死んだ |
また私の中のヒーローが消えた。社会人になる頃にはプロレスを見なくなっていた私ではあるが小学生や中学生の頃は随分熱心に見たものだった。その頃創刊されたプロレス雑誌2誌を友と買い交換して楽しんだりもした。例えば白黒の小さな画面の中で馬場は強く大きくかっこ良かった。30代の馬場は実にかっこ良かった。今の姿からは想像も出来ないほど素早かったといったら驚くだろうか。ダイナミックに躍動していたといったら信じてもらえるだろうか |
身近な死を経験することがなくなったと言われる今の時代でも、血のつながる人もつながらない人も昔となんら変わることなく遠い所に旅立って行く、その歩みを止めることなく、律義に冷徹に。もう少しこっち側に留まっていたっていいじゃないか。 熱狂していたあの頃には想像も出来なかったヒーローの死を経験するようになって感じるのは、「いいようのない不安」であり「ぶつけようもない怒り」である |
肝不全なんて16文キックで退治すれば良かったんだよ。あの世なんて32文ドロップキックで追い払えばいいだよ。どうしてそんな簡単なことが出来ないんだよ、バカヤロ |
さよなら、16文キック。私の中の昭和がまた一つ終わった |
ジャイアント馬場(じゃいあんと ばば)「プロ野球時代の奇跡」 |
ジャイアント馬場(じゃいあんと ばば)「黒柳にけいこつける」 |
ジャイアント馬場さん追悼グラフ特集 |
日刊スポーツ・バトル・ジャイアント馬場さん死去・メーンページ |
馬場さんと酒、歌 |
ジャイアント馬場選手への追悼メッセージ |
オリジナルサイズ・ジャイアント馬場 |
先週はついに風邪でダウンである |
インフルエンザと言うやつだ。この十何年か風邪で会社を休んだことなど無かったのだが木曜から寝込んでしまい、復帰したのは次の週の火曜からである。というわけで一週休刊となったわけであるがはっきり言ってしゃれにならなかった。風邪なんてものは、餃子でも食って、一枚厚着して二三回汗をかけば次の日には治っているものだと思っていたのが大きな間違いだと思い知らされた。少なくともそんな乱暴なことを言っていいのは20代で体力が有り余っているうちか、30代前半で体力の衰えに気がつかないでいるうちである。しみじみそう思った |
もともと喉が弱く、風邪の引き始めはもぞもぞする。いわゆるいがいがするのである。注意信号である。こうなったら早めに仕事を切り上げて普段よりもちょっと上等の食事をとる。ま、一品余分につける程度の上等ではあるが、それでも餃子がつくのとつかないのでは雲泥の差である。この贅沢感が風邪の特効薬なのである。これで寝る時にトレーナーを一枚重ね一時間程布団の中でじっとしている。体の中の病原菌をやっつけるイメージを浮かべながらじっと我慢の一時間である。無理矢理に汗をかくのである。これを2回、または3回繰り返しつつ下着をかえる。それから一晩ぐっすり寝る。これでOKのはずであった、今までは。少なくとも業務に支障があるような事態にはならなかったのである。これまでは |
それなのに、ああ、それなのに。 木曜の朝はそれでも「なんとか会社に行けるかな」と思っていた。さすがに今日予定されている飲み会はキャンセルしたほうがよさそうだ、なんて呑気なことを考えていた。午後から打ち合わせが入っていたな。あれはキャンセルするわけにはいかないかな。午後だけでも出社するか、なんて今思えば罰当たりであった。神を畏れない愚か者なのである。さすがにちょっとやばそうだから、と休みの連絡を会社に入れる。もう後は何もすることがない。大人しく寝るだけである。その前に、食料の買い込みと風邪薬を買ってこなければいけない。丸々一日分の食料を確保。風邪薬は咳止め主体の粉末、大きい箱を進める薬局のお兄さんの言うことを聞かず一番小さい箱を買う。すぐに直ると思っていたもので。実際あまり薬を飲まないこともあり薬を飲んだ瞬間効果てきめんといったことが何度かあったこともあり、今度も薬さえ飲めば「全て解決」と高を括っていたのである。浅はかである。何をか言わんである。馬鹿は死ななきゃ直らない、のである |
薬を飲むと眠くなってきた。咳も止まった。頭も痛くない。なんだこんなことなら休まなくても良かったかな、なんてまたまた不届きなことを考えたりした。もっともこの時は結構余裕で「ユーミンはいいのう」なんて今度でたベストアルバムを繰り返し聞いていた。あまり熱が出ないからなのか汗もあまりかかなかった。具合が悪いのか悪くないのか「はっきりしなさい」てなことをほざいていた。悪魔がすぐそこまでやっているのも気づかずに。明日は出社できるかな、ちょっと早いがもう寝ようと12時前に明かりを消した。しかし、夜中に目が覚める。「なんか変」なのである。ぞくぞくする。背中を寒風が突き抜けていくのである。ザワザワっと、吹き抜けていくのである。時計を見ると12時を少しまわった時間である。まだ寝入ってから一時間も立っていないのである。「なんかヤバイ」。そうこの時は本当にヤバかったのである |
苦しくて仰向けに寝ていられない、背中や腰、関節が痛い。ぼーとする。見ると驚くほど寝汗をかいている。やたら寒い。苦しい。急いで下着を着替える。驚いたことに枕もぐっしょりと濡れている。タオルを枕にまく。とにかく寝ようとするが、ウトウトっとするとびくっとして目が覚める。これを30分の間に5、6回繰り返す。「おれ、どうなっちゃたんだ」とやたらこころ細くなる。なにしろまだ1時にもなっていない。とにかく寝るんだ、寝なくちゃいけないんだ。でも、なんか闇の中から何かがやってくるような言いようのない不安感に襲われ眠ることが出来ない。寒気は一晩中続いた。朝があけるまでの数時間がこれほど長く感じたことはない。これほど長い時間を生きなければならないとしたら人生は苦しみだ、なんてことを考えていた。新聞屋さんの自転車の音がしてから明るくなるまでがまた永遠のように続いた |
とにかく医者に行こう。すぐ医者に行こう。夜が明けてから医者が始まるまでの時間の半分は、布団の中後の半分は背もたれにもたれて起きていた。苦しくて寝ていられなかったのである。気分は絶不調である。単なる風邪なのに「ああ、おれはもう死んでしまうのだろうか」「何にもしないうちに、終わってしまうんだろうか」なんて今思うと笑ってしまうほど落ち込んでいた。それでもどうにかこうにか、熱を測ろうと考える力も知も持たぬ愚か者の、地獄のような夜は終わろうとしていた。そう、この時の私はさらなる恐怖がまっていることを知ず、ただただ闇夜があけたことが嬉しく、救いだったのである。−続く− |
高崎−新宿間、キセル4年である |
確かキセルとは煙草を詰める部分と口がねの両端だけが金属で中味が木なことから入り口と出口でだけ金を払うことの意味に使われているのだと思うが、この人高崎−倉賀野(180円)、池袋−渋谷(160円)の二つの定期で高崎−新宿(1890円)を通勤していたのだ。いやまったく頭がいい、いや訂正する。ずる賢い |
新聞によればJR新宿駅近くにある会社に勤める群馬県高崎市の男性(37)が昨年8月までの4年間で2枚の通勤定期を使って中間の運賃をキセルしていた。この人ペナルティーの割り増し運賃を含めてJR東日本から約1500万円を請求されたらしい。過去最高の請求額だという |
なんでも金額は鉄道営業法に基づき正規の往復運賃の三倍に不正日数をかけた額になるとのこと。何年に一回この手の話題が登場し、その度に過去最高という冠がつくような気がする。もちろんこの手の話題は「見せしめ」としての効果を考えてのことだと思うが、つまるところ何年に一回は記録が更新されるということだろう。記録更新に向けてせっせと励んでいるわけだ、いやはやみんな懲りないのである |
今回の事件も寄せられた情報により尾行の結果キセルに使用していた2枚の定期を押収したとある。いわゆるタレコミというわけだろう。やっぱり周りの人はそれとなく知ってしまうわけで、自分以外の人がいい目に会っているとなんとなく面白くないというのが人間の本音であるからして、個人の我慢の限度を超えるとこのように、不承不承お上にご注進ということになってしまうのだろう。致し方ない。捕まるほうが悪いのだ、いや訂正する。悪事を働く方が悪いのだ |
しかしこの人、37にもなって捕まって略式起訴されてそのうえ1500万円もの借金が出来てしまってこの先どうするのだろう。どうやってお金の工面をするのだろう。まさか銀行もキセルの立替えって名目じゃ貸したがらないよねえ。基本的には個人がしでかした悪さで個人が責任を果たすべきこと、「かわいそう」よりは「ざまをみろ」に近い感想なのであるが、こういう人に限って変に気が良かったりするんだよね。だからちょっとね、、、 |
「悪いことをすると痛い目にあうんだよ」と子供たちに教えるには世知辛過ぎる事件だなあと思ってしまった次第である |
働く三十代独身女性の三割近くが結婚しても夫と同居したくないとはいかに |
結婚情報サービスのオーエムエムジーの調査で分かったと記事にある。首都圏や阪神地区の400人を街頭で面接調査した結果らしい。これによれば「なるべく早く」「いずれ」合わせて結婚したい人は90.5%に上った。理由は「世間体」(21.5%)「働きたくない」(14.4%)「経済的負担から逃れるため」(13.8%)といった消極的意見も目立った、とある。うーん、これを消極的意見というべきかいなや。確信犯的意味合いでは相当積極的である。考え様によっては犯罪的でもある、なんて大人げないことを言うのはよそう。男だって同じようなものだ |
「夫と同居したくない」(28.5%)「自分に干渉してほしくない」(68.2%)とくるとかなりムカッとくる。致し方ない、私実は愚か者である。しかし、親ではない、夫と同居したくないとは一体いかなることであろうか。人生は不可解である。金だけよこせというのか、ワリャ。いかん、いかんついつい言葉が乱れてしまった。 結婚相手に望まれて嫌なことは「相手の親との同居」(65.7%)「趣味をやめること」(39.2%)「相手のペースでの娯楽」(18.2%)「禁煙」(9.4%)である。断っておくがこれ女性が嫌がることです、ハイ。も一つついでに「仕事を続けること」(11.6%)である。断っておくが辞めることではなく続けることである、ハイ。こいつはオマケだ「浮気をしない」(10.8%)である。しつこい様だが女性が男性に望まれて嫌なことである、ハイ。泣けてくる。 「親と同居はしなくていいから、せめて僕とは同居してくれないかなあ それから、仕事はしなくていいし、無理に僕のペースに合わせなくていいよ。もちろん趣味はそのまま続けていいんだ、時々なら浮気も大目にみるよ、但し分からない様にしてね」 なんてことを言って欲しいのだろうか。呆れて開いた口が塞がらん、なんて怒ってはいけない。男だって、きっと同じようなものだ、コンチクショー |
「今すぐ」「結婚したら」「子供ができたら」合わせて56.3%の方々が仕事を辞めたいんだそうだ。なんなんだ、これは。自立したキャリアウーマンとは誰のことなのだろう、はてさて。こんなことを言ってはいかん。男だって、男だって、多分そんなに変わりはしないのだ、バカヤロー |
しかし、これでは殆どヒモではないか。いや女性の場合はなんというのだろう。しかもヒモほど気を遣ってくれるとも思えない。「やらずぶったくり」とはこのことである。アッシー君とかの結婚版が理想というわけらしい。おやおや、である |
それでも結婚しないよりしたほうがいいのかもしれない。本音では優しさを持て余しているのかもしれない、とも思う。でもこんなアンケート結果を見せられて一体世の男どもにどうしろっていうんだろう。男にとって進むも地獄、退くも地獄とは現代のことを言うのかと思った次第である |
長引く消費不況に打ち勝とうと「ネーミング合戦」が過熱しているらしい |
ネーミングがヒットに結びついた商品としてヱスビー食品が8月に発売した『まるで生クリームのようなシチュー』がある。即席シチュー市場でのシェアは一割を越えたと新聞の記事にある。若い客が多いコンビニエンスストア対策ということでとにかく目立つようにしなければいけないようだ。もっとも本当に名前でヒットしたのかどうかは私には分からないし、どうして名前でヒットしたと分かるかの理由も記事にはないので信じるしかない |
「原料や製法を表すネーミングを一歩進め、中身を的確に表現したことで、消費者の購買意欲を誘った」というのが同社の自己分析だ。そうです、まず今よりも一歩進まなければいけません。さらに的確に表現する必要があるのです。それは分かるのだが一体どの部分がそれに当たるのかが分からない。仕様がないのでやぶにらみで解説させていただくと、『まるで』が一歩すすめた部分、『のような』が中身を的確に表現したといったところなのだ。いかん、いかん、へたな解説で益々訳が分からんことになってしまった |
二匹目のドジョウというのか他にも『じっくりコトコト 野菜でスープ煮 コンソメ煮用』(ポッカコーポレーション)、『レンジでチンするあっちっちチーズカマンベール風味』(雪印乳業)、『衣花咲く揚げ油』(味の素)、『ふっくらあつあつもちピザグラタン』(ニチレイ)といったものがあるそうだ |
これらは説明型と分類されているようなのだが、ただだらだらと長いだけの説明文とは一線を画す、に違いない。例えば『意味があるようでないような、驚くほど厚い取り扱い説明書』はコンピュータ業界ではよくあることだが、これはペケ。中身を的確に表現してあるだけにかえっていけないとの指摘がある。もちろん『他とは違うレイアウトだがそれほど中味は違わない』というのも新聞業界ではよくあるはずだが、これも同様な理由でペケである。さらに『ぶつけてもあなただけは無傷を保証』する車も穏やかではない気がする |
おかしい! 説明すれば説明するほどこれらの商品はその価値を下げてしまうのは何故だろう。察するに、世の中には「言ってはいけないこと」というのが厳然として存在するということだろうか。自分だけは絶対大丈夫な車なんて結構売れ筋になるような気がしないでもないのだが、、、 |
ということは、食品は何を言ってもいい商品だというのだろうか。そんなこともないと思う。そうなると、インスタントとかレトルトとかの食品はもともと胡散臭いものとして扱われているために多少の誇張、粉飾は許されるということだろうか。うーん、やはりこの意見も極端に走りすぎているようだ。ここは素直に「はっとする、面白い、そしてなるほどと思う」消費者の気持ちにうまくマッチしているといったところで矛をおさめておこう |
しかし恥ずかしながらこれらの食品類のどれひとつとして目にした記憶がない。従って買った記憶もないというのは世の中から取り残されているということだろうか。『幾ばくかの不安を抱えながらもわざわざ買う気も起こらない』心境と一歩進んで表現しておこう |
12月3日の天声人語である。読まれた方も多いことでしょう |
公明党が都道府県の代表者を集めた「全国研修会」で配った資料が「商品券を斬る!」である。これを読むと商品券に対して「発想が貧困」「安直な思い付き」「天下の愚策」「世紀の愚策」とかの意見があるが、それらは一面的で見当違いであると斬って捨てている、らしい。誤解のないようにしていただきたいが、切られているのは「商品券」ではない。商品券はけしからん、という意見である |
公明党の意見によれば一般大衆は「せっかく貰った商品券だから、普段買えないものを買おう」とか「商品券に現金をプラスして何か買おう」といった心理になるものらしい。これが大衆だ、大衆心理だとおっしゃるわけである。そう言われればそういうものかなあ、とも思ったりするが、釈然としない。何か使いたくもない金を無理矢理使わされる気分だ。相当にいやな気分であることだけは間違いがない。いや、もちろん私には商品券は無関係であるので、どっちゃでもいい、とも思うのだが |
「ねえ、ねえせっかくだから新しいTVゲーム買おうよ。ソフトもつけてさ」 「お金?大丈夫だよ、おじいちゃんの分と合わせれば何とかなるよ」 |
こんなことを話している小学生がいるに違いないと思っているのは私だけだろうか。何しろ敵は老練な政治家どもである。お年寄りとお子様に金をばらまくのである。そうである、弱いところを責めるのが勝負に勝つコツなのである。ここらへんを、こんなふうに、チョコチョコっとくすぐってやれば、ちょろいもんだ、一丁あがり。そんなことを考えているに違いない |
「全ての人が『貯金しよう』とか『節約しよう』とかはならない。これは『一部分をもって全体を判断しようという誤り』を犯しているのです」と指摘されている通りになるのかならないのか分からないが、少なくとも節約や貯金が悪いことのように言うその神経は頂けない。これではおじいちゃんもおばあちゃんも孫に節約を説く気にもならない。ますます敵の思うつぼである |
さすがに老練である。何重にも罠が仕掛けられているのである。これでもか、これでもかと金を使わせようとするのである。公明党の言うように「世紀の快挙」になるとは思えないが、万が一そうなったら鼻高々になるんだろうな。自民党も一緒になって。そんなことになったらいやだなあ |
果報は寝て待て、というがいずれにしろあと半年もすれば「世紀の実験」の結果が分かる。笑うのは一体誰になるのだろうと考えた次第である |
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