ずるくて、こすくて、情けないもの。それが大人の男なのです
解説して欲しい言葉・法則がありましたら憂鬱のKまで、感想もお待ちしています
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31.「成功報酬」の法則
32.「野球の鉄則」の法則
33.「大所高所から」の法則
34.「烏合の衆」の法則
36.「有象無象」の法則
38.「見込み違い」の法則
39.「ルノーなんか」の法則
40.「算数」の法則
勝てば官軍、負ければ賊軍。殴れば痛いが殴られればもっと痛い。つまりは結果が全てなのである。だから内緒にしておくことが大人の男の世界なのである |
成功報酬: 成功したときに報酬が払われるのは、アメリカ的世界価値観に立脚すれば合理的かつ公平なルールである。しかし時にしてオープンではありえない(この言葉はフェアではありえないと時に同義で使われるが本件に当たっては現在検討中であり判断を差し控える)状況が生じることがある。この場合西洋的「白か黒か」の未熟な判断基準では対処できずに自己崩壊を起こす危険がある。東洋的「魚心あれば水心」式高等テクニックを用いることも処方箋の一つとして検討に値する、と指摘する有識者がいることを指摘しておく |
守備は短く、攻撃は長く。なるほど、これが鉄則なのである、と感心する野球好きは一人としていないことが予想されるがあえてこの言葉を持ち出すところに大物の片鱗が見える。ただでは転ばないところは流石である、と感心する輩もあまり多くはないと推測されるが、それでも物怖じせず発言できるところはただ者ではない、のかもしれない |
野球の鉄則:定義は「勝利の方定式」を参照のこと。ちなみに「勝利の方定式」の項目には「野球の鉄則」参照となっているのでわざわざ探さないように。どちらも「できるなら初めからやってるわい」といった点で世の中の全ての「鉄則」の範域を出てはいない。鉄則の文字が示すように、丈夫で硬く曲がらないのが長所であるが、重く錆びやすくといった欠点を併せ持っている。もちろん一番の短所は金や銀のように金銭的価値が高くないことだと指摘されることがあるがこれは筋違いである |
「誰にも渡さん、これは俺が作ったんだ」などと言うことはいかに豪腕オーナー社長でも無理なのが株式会社である、はずだ。従って院政はひかず、さっさと一線を退くというのが立派な社長の世の常である、はずはない。代表権を持ったままの会長に納まりにらみを利かせる、というのが悲しいかなこの世の習いなのである |
大所高所から: 大所は大きな場所を意味し、その意味では会長室そのものではないかという意見も一部にある。ただし本来は大きな懐を意味している。この場合の懐は決して財布の意味ではないので誤解しないように。高所は高い場所を意味し、時に会長室そのものを指すとの意見があるが真意のほどは定かではない。本来の意味は高い見識を指している。決して高い給料とか高いプライドとかを指してはいないので誤解しないように。誤解するなと言われるとかえって誤解する輩がいるが、誤解させるために言っているわけではないことに注意すること |
監督の居ないチームである。社長の居ない会社である。教師のいない教室である。でもそれで本当に問題があるかは断言できない。阪神の例もある、には、ある。 |
烏合の衆:からすの集まりをもって「役立たず」になぞらえたのは遥か昔のことである。今はそんな丁寧語を用いる必要がないのではっきりと「東京都知事選の衆」と明言すべきだと言う意見がある。メリットとデメリットの比較が出来ないようでは大人の男としては未成熟である。この場合はほとんどメリットが見当たらないことから無視することが次善の策だと思われる。「役立たず」という定義は正しくないと言う意見もあるが、これも同様に無視することが次善と思われる |
心拍数が「下げ止まりつつある」。給料が「下げ止まりつつある」。人気が「下げ止まりつつある」とかは誤用。つつにアクセントをつけて喋ることが肝要で官僚言葉に分類される |
下げ止まりつつある: 下がるとも止まるともつかないあやふやな状態にプラスイメージを与えるための一種のトリック。高級テクニックであり、それがゆえに笑いの対象にされる。ものは言いようなのである |
「どうもならない」「しよもない」「わけが分からん」等の美句麗句をちりばめつつ最後にはき捨てるようにこの言葉「君たちはさしずめ有象無象だね」と締めれば使い方としては完璧である |
有象無象:「うぞうむぞう」と読む。かつてはこの世にある有形無形の全てのものを示す仏教用語であったが現在では選挙ポスターという名目で市中のいたる所にその愚かさを貼り出されてしまうちょっと情けない人たちのことを指す |
後だしジャンケンはずるである。でも勝てばいいのである。すくなくとも子どもの世界ではそうだった、と記憶している |
後だしジャンケン: いっせいのせ! これが世の中の全ての勝負で尊重されなければならないルールである、と学校では教えられる。ここに戦後教育の衰退が見られる。ルールの持つ意味は複数あるが、そのうちの一つは「強者が強者でありつづけるための規則」である。この根本を理解せずには「後だしジャンケン」の本当の意味は理解出来ない。勝つために我慢できなかったものたちから見た場合が「後だしジャンケン」であり、我慢を重ね勝ったものたちから見た場合は「先走りジャンケン」である。いずれにしろ真実とはかけ離れている |
先発投手陣がちょっと「見込み違い」でしたね。打撃陣もちょっと「見込み違い」でしたね。ドラゴンズが大分「見込み違い」でしたね、って全部「見込み違い」じゃないか |
見込み違い:この言葉は「見込み」と「違い」の二つから成り立っているがここでいう「見込み」は「希望」の類語である。時に「はかない希望」「かすかな希望」「わずかな希望」にまで成り下がることがある。(今の巨人がそうである。情けない。毎年である。同じ事の繰り返しである)これに否定の「違い」がつくことで完璧に望みが絶たれた状態を示している。それにも関わらず「見込み違い」にはなんとなく今後の躍進が期待できるような気分にさせる魔力がある。そうだ、そのうち「見込み」+「通り」になる期待が感じられる。しかし大概の場合は「期待」+「外れ」に終わることになる。その程度の覚悟がなければ大人の男にはなれない。 傍観者または評論家がよく使う。監督は通常使わないと言われていた。 |
ポイントは「なんか」である。このxxxなんか、には無念さが凝縮している。「どうせキ○ハラなんか4番の器じゃないよ」「あんな男なんか碌でもないわよ」「どうせ私なんか生きてても仕様がないわよ」などが一般的な使用例である。 それにしても石原さん20年も前のことを持ち出しているようではとても現役とは言えませんなあ。これでは「日産なんか」という巷の声を聞き取ることは出来ないでしょう。自戒すべし |
ルノーなんか: 「xxxなんか」通常xxxには格下に位置する固有名詞が使われる。今回のような場合は上下逆転しているので誤用だと決め付けてはいけない。これも大人の世界では当たり前の使用例である。 このように上下逆転の立場で使う場合は無念、残念、怨念、執念といった「念」系の意味合いが強くなる。 女性の場合は特に「怨念」系が強いとの風説がある |
四則演算である。+である。xである。−である。÷である。これだけあれば世の中で行われる計算の95%は問題ない。大人の男のほとんどはこの事実を知っているが決して自分の子どもに教えようとはしない。不思議だ |
算数:「読み書き算盤」が基礎である。これは大変効率的で実効性の高い教育である。しかしこれだけではコンピュータを扱えない。この理由をもって数学を教えられていると勘ぐるのは間違いである。 なぜなら数学を勉強してもコンピュータは使いこなせない。私がいい例である。使いこなすには高等数学を優秀な成績で履修する必要がある。 学問は有用であるが、教育とは別物である。まして学校教育とは無関係である。現在の教育は人間に無理矢理に優劣をつけるための方便として利用されているとの疑念を禁じ得ない |
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