ずるくて、こすくて、情けないもの。それが大人の男なのです
解説して欲しい言葉・法則がありましたら憂鬱のKまで、感想もお待ちしています
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61.「一本釣り」の法則
62.「公平な人事」の法則
63.「国旗」の法則
64.「国歌」の法則
65.「助長する」の法則
66.「おおむね半年間」の法則
67.「食い違い」の法則
68.「ばらまき」の法則
69.「人柄がいい」の法則
70.「人がいい」の法則
投網を打って一網打尽にしようなどと考えるのは男の風上にもおけない、などと考えるのは敗北主義である。一本釣りで生計が成り立つのは価値ある魚の魚影が濃い場合に限られる。もちろん一本釣りの技能が優れていることは言うまでもないことである。自民党という魚場で小渕首相が釣る魚を食べてみたいだろうか? と聞かれて答えに詰まるようでは大人の♂としては失格である。YesでもNoでも答えはどちらでもいい。自信を持って答えることが重要なのである |
一本釣り: 一本の竿で魚と対峙する、そこには男のロマンが満ちている。しかし政治の世界ではロマンなどという腹の膨れない夢物語では何も始まらない。釣るか釣られるか、それで今後の人生が決まるのである。一般には釣られたい魚ばかりなので、釣るのは簡単だと思われているが釣る意欲のない釣り人が多いために釣果ははかばかしくない。 餌はついていなくても糸を垂らすだけで食いつく魚も居ると言われているが、そんな魚に碌なやつはいない。小渕さんも餌が付いてない糸に食いついたとやゆする人がいるが、不謹慎の極みである。針もない糸に食いついたが正しい。 |
フェアであること。これがグローバルスタンダードですよ、あなた。不公平はいけません。そりゃ、やはり年の功ですよ。当選回数は政治家の偏差値ですから、これを無視したんでは話になりません。物事には踏むべき順序というものがあるんですから。はーい、順番に並んで並んで- |
公平な人事: 世の中は不公平である。それを体現する職業が政治家であると広辞苑に書いてはいない。従ってこれは真実である。その証左が「公平な人事」という年功序列、当選回数、派閥推薦という自民党のルールである。見事といわざるを得ない。これほど「不平等な公平」を考え出したことから判断すれば日本の政治家はかなりの能力を持っていると判断できる。 惜しむらくはその能力の使い方を知らないことである。使い方を間違っている官僚とは対極の生き物であることは皮肉である、喜劇である。 |
法律が出来たのである。法律とはやってはいけないことが書いてあるものである。従って世の理(ことわり)に言及する法則とは重みが違う。但し法則に罰則はなく安全である |
国旗: 国旗は日の丸だとわざわざ法律で言わなければいけないのは、これを国旗と認めない人がいるからである。国旗そのものを認めない人も、必要としない人もいる。星条旗がかっこいいと言う人さえいる。 大人の世界ではこのように意見が分かれるときの行動を一致させるためには強制力という名の暴力が使われる。この「法則」の典型例である。この場合の強制力は「法律」であることは議論の余地がない。罰則という暴力が必要であることも議論の余地がない |
法律を作ったのである。法律とはやってもいいことが書いてあるものである。従って世の理(ことわり)に言及する法則とは軽さが違う。もちろん法則に間違いはつきものであり信用できない面があるがまだ法律よりはマシだ |
国歌: 国家のカッコは重要である。みんながばらばらに動いてはカッコが悪いのである。同じ歌を歌ってくれないとカッコ良くないのである。歌う歌がカッコいいかどうかは問題ではない。歌を歌う国民がカッコいいかどうかも問題ではない。各個の意見は問題ではない。これはお上の確固とした決意なのである。 大切なのは国の歌であり、国民の歌ではない。これが世の理というものである |
はしゃぎ過ぎだよの言葉は小渕さんから冬柴さんへ、そして亀井さんへとつながってゆく。無駄な連鎖ではあるが滑稽というものを理解することはできる。この無駄の連鎖にもその程度の存在意義はある。しかしもうこれで終わりにしようよ、自自公さん |
助長する: 助手は手を助ける。助役は役を助ける。助監督は監督を助ける。助教授は教授を助ける、と書く。しかしほとんどの場合助けになるどころか足手まといになる。時にはわざと足を引っ張ることさえある。致し方ない、世は階級社会なのである。 助長は長を助けると書くが何も助けない、悪い点を伸ばすだけである。 一般に助長する愚か者より助長させる愚か者の方が世の指弾を受ける傾向にあるが両者の愚かさには差がない。「はしゃぎ過ぎる」のが悪いのか「はしゃがせる」のが悪いかは識者の間でも意見が分かれがである。だが「はしゃぎ過ぎ」を見逃す愚かさよりは少しだけマシであるとの指摘がある |
概ね、である。「保険料にかかわる部分については実施しない」である。この意味を書け、という試験が出たらどうしよう。この意味を解け、という命令が下ったらどうしよう。まあ出ないでしょうけどね |
おおむね半年間: だいたい半年間。概略半年間。約半年間。どう言葉をつないでも半年間は半年間である。しかし、時間の概念は永田町と庶民の間では一致しないことがあるので油断は出来ない。後になってみれば「おおむねは、ン年間」なんてこともあり得ない話ではない これは政治家が長い間積み上げてきた保身技術の賜物で「あやふや」は大人の知恵である。「謹慎期間」とか「実施時期」とか「猶予期間」とかいった場合に活用されており、「緊急対策」とか「暫定処置」などといった場合にも適用されることがある。 単に自自公で妥協点がなかっただけで乱発されるためこれに類した使用例が今後増えるものと予想されている。この手の予想がはずれることは非常に少ないのが残念ながら事実である |
世の中にはいろいろな「違い」がある。「見こみ」「思い」「間」等多々有る。計画や予定通りに物事が進むと考えるのは時間の無駄であると小学校低学年で徹底的に教え込むことが必要である |
食い違い: 「何とかしたい」思いと「何とかしてやりたい」思いが重なった場合に権力が発動されることがある。今回は「罪を逃れたい」と「公にしたくない」の思いの一致が権力発動の推進力になったと思われる。 もっとも権力は発動されることを前提に与えられており、推進力はさほど強力である必要はないとの指摘があり「経歴にキズ」程度でも十分と考えられている。 「見こみ違い」は世間に知られてしまったこと、「思い違い」は罪じゃないと思ったこと。愚かな「食い違いは」見事に「間違い」であることを証明した。警察と庶民はいつだって「すれ違い」が世の法則である |
なんか同じようなことを「商品券」問題でも感じた。あれは20世紀最悪の政策だったと来年の教科書に書かれるらしい。そんな「うわさ」を聞いたことがありませんか?私はありません |
ばらまき: まんべんなく撒くこと。偏りなく撒くこと。転じて「ばら」で「撒く」こと。「ばら」とは「ばらばら」のことであり、血税を使われる国民の不安「はらはら」から来ているとも、怒り「ばかばか」から来ているとも言われる。少数意見ではあるが拍手が少ない「ぱらぱら」から来ているとの学説もある。意味がない、効果がないことに殆どの国民が気づいていることを殆どの自自公の議員は知らないという悲しい現実がある。大人の♂の世界ではこれを喜劇と言う。 「撒く」は「餌を撒く」ことを意味し、政府が国民を「ブロイラー」と考えていることを示している。ちなみにこのHPは読者を「煙にまく」ことを生きがいにしている |
「人柄だけはいいんですよ」は既に誉め言葉としても価値を失っている。少なくても政治の世界では、と思うのだがどうであろう。鈍牛の角の威力はいかほどのものか?と問えばなんと答えるのだろう |
人柄がいい: 政治の世界ではとっくの昔に死語である。にもかかわらず小渕首相の最大の長所と目されている。本人もそれを誇りにしているような言動を取ることがある。いただけない。綺麗なバラには刺があるように善人の政治家には気をつけなくてはいけない、綺麗でない上に毒を持っている。早く真っ当な仕事が出来るようになるためにも「報復人事」や「裏切り」が似合う政治家に一日も早くなってもらいたいと切に願う。既に「報復人事」が違和感無い程度の政治家にはなっており亀井静香レベルまでもう一息である。 蛇足ながら「人柄がいい」と言われるのは死後で十分であると指摘しておく |
「人がいいなあ」は今でも侮蔑の意味を含んでいる。「ほんとに人がいいんだから」と言われる人は多分政治の世界では一生うだつが上がらない。鈍牛はそもそも「人」ではない「牛」である。だがこのことに気づく人は意外と少ない |
人がいい: この言葉を侮蔑と捕らえられれば大人の♂である。侮蔑の意味で使えれば一人前の大人の♂である。世の中にいい意味での「人のいい」人は存在しないと知ることが世間を理解する第一歩である。 決して難しいことではない、世の中に「正しいこと」は存在しないと知ることと同じ程度のものである。「自分以外はみんな愚か者である」と信じる程度のものである。少なくともこのHPの面白さが分かる程度の知性で十分である |
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