ずるくて、こすくて、情けないもの。それが大人の男なのです
解説して欲しい言葉・法則がありましたら憂鬱のKまで、感想もお待ちしています
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51.「牛歩」の法則
52.「強行採決」の法則
53.「夏ばて」の法則
54.「夏痩せ」の法則
55.「そこそこ」の法則
56.「ほどほど」の法則
57.「うそではない」の法則
58.「うそ」の法則
59.「自由はない」の法則
60.「強制はしない」の法則
体を左右にゆすってゆっくりと進むのが「牛歩」である。しかし牛は体を左右にゆすったりはしないと推測している。しかも歩くのが嫌なら座り込んでしまうに違いないとにらんでいる。ゆっくりでも進むのは、人間様だからではないかと疑っている |
牛歩: 古来足の遅いことでは並ぶものなしといわれていたのは「亀」である、牛ではない。この一点を考慮しても「牛歩」には徒労感、挫折感、敗北感といった言葉が似合うことが理解できるはずだ。 勝ち目のない戦の最後の手段が「牛歩」であり決して逆転勝利を呼ぶ伝家の宝刀ではないことは誰の目にも明らかである |
有無を言わさないのである。いいも悪いもないのである。強引なのである。赤子の手をひねるのである |
強行採決: 恐慌、強硬、教皇、強攻、凶行、凶荒。どの字を使ってもいいとの風説がある。どの字を使っても意味は同じであると言われている。表意文字の文化ではありえないことだと思われるが、実際にこれらの文字を当てはめてみると「やらずぶったくり」「我々がルールブックだ」という意味は不変であることに気がつく。「採決」は単なるそえものだということに気づくようならかなり大人度があがってきていると判断できる |
ぐったりする、ばったり倒れる。さっぱりあかん、やっぱりいかん。これが夏ばての典型例である |
夏ばて: 夏はばてるものであり古来より衣食住にいくつもの大人の知恵が蓄積されてきた。 戦前までに考え出されてきたこれら全ての知恵を戦後のコンクリートジャングルが容赦無く叩き潰してしまった。その廃墟に我々は今住んでいる。 しかし「クーラーとは人の体だけではなく、心も冷やしてしまうものだ」と拒否反応を持つようでは現代人とは言えない。苦行を自らに強いることは一部のマニア、ごく少数の潔癖症、わずかに残った変わり者以外の人々には受け入れられないことの一つである。もちろん持ってもいいがその時には決して夏ばてはしていけない、というのが大人の男の暗黙の了解であると指摘しておく |
痩身だけがもてはやされる昨今では、単なる夏痩せさえ「ダイエット」と称する輩が後をたたない。つまりダイエットはその語源を遠く置き去りにし今や「不健康」の代名詞になってしまった、のだ |
夏痩せ: 夏に食欲が落ちるようではプロではやっていけない。これは何も相撲や野球のような体力勝負の世界だけではない。ごく一部の相撲や野球のような知力勝負の世界でも同様である。食が細くては人生の先も細い、のである。 ちなみにサラリーマンの世界でさえ今や「夏痩せ」はいたわりの対象にはならず、さげすみの対象である。これはサラリーマンの世界がプロ化しつつあることの兆候ではもちろんない。単に空調もついていない部屋に住んでいることを見下されているだけのことであり、誤解してはいけない。 海での水着姿対策にやる瞬間ダイエットは夏痩せとは言わないので注意すること |
まあ、そこそこいったかな今回の法則。「そこ」とは何処だ?「底」でないことを祈ろう |
そこそこ: 明確な物差しが存在しないのが大人の男の世界である。「どないでっか?」「ぼちぼちでんな」などとわざわざ例を示す必要もないほど「あやふや」に満ち満ちているのが大人の男の社会である。 これに反発するようではまだ青い。ただ反発するのではなく、時に身を任せてみることで見えてくるものがあることを知らなければならない。ただ、それほど重要なものが見えることは無いと経験上から断言できる。 まあ、それなりに「そこそこ」で |
あまり根を詰めてはいけない、肩に力が入りすぎてはいけない。出来ることも出来なくなってしまう。もちろん出来ないものは、根を詰めなくても肩に力を入れなくても出来ないままである |
ほどほど: 全力疾走と全速力が一致しないのは技術が未熟だからである。最善が最良に一致しないのは能力が不足だからである。努力が結果につながらないのは才能が不足だからである。 悲しまなくてもいいように最初から力を押さえることは悲しい大人の知恵なのである、とは敗者の戯言でしかない。法則は勝者が作り敗者が実践するのであるから。しかし敗者もそう悪くはない、との意見も根強い。 まあ、何事も「ほどほど」で |
かりにも社会の秩序を守る警察官がうそをつくわけがない。教師だって牧師だって官僚だって政治家だってうそをつくわけがない。というような嘘を平然とつけるようになれば一人前の大人の♂なのである |
うそではない: うそ、ではない。うそで、はない。うそでは、ない。どこに一拍置くかによって受ける印象に大きな差が生じることが理解できるだろうか。記者会見では演劇的要素が欠かせないために、始める前に台詞回し等の練習を繰り返すのが大人の常識である。 それでも心にいささかでも負い目があると、練習した通りの『うそではない』とよどみ無く答えるべきところを『うそ…では…ない』と情けない姿をさらしてしまう結果になる。額の汗を拭ったりしたら最悪である。小心者のレッテルを貼られるだけではすまない。正直者などという不名誉を着させられてしまう。 警察組織で出世するためには心にいささかの負い目もあってはならない、のは誰の目にも明らかなのである |
千三である。嘘吐きは千に三つしか本当のことを言わない。現実にはなかなかここまでの境地には至りません。何しろ一日一つの嘘をついても3年かかります。私、とても政治家にはなれそうもありません |
うそ: うそはつくものである。世の中には狐や貧乏神がついている輩も多いものと予想される昨今、嘘がついたくらいで騒いでいては何事も成し遂げることは出来ない。ケチがつく、キズがつく、クレームがつく等その他にも色々なものが大人の男にはつくのである。かつては銀座の道を歩いても犬の糞がつくことがあったと歴史で習ったが真実であるかは依然議論の分かれるところである。 虫がつくのは何故か♀である。それもたいてい若くて美しい♀である。実はここだけの話であるが私も一度でいいからあたなの虫になってみたいと密かに願っているのである。 「うそ!」「本当?」 |
教師も児童も生徒も自由は無いのである。そうそう、大人になるということは自由で無くなるということだから小さいときから慣れておいたほうがいいんだよ。ねっ、教育長 |
自由はない: xxはない。「xxがない」、の場合は不満、要望の意味を持つことがあるが「xxはない」、の場合は強制、命令の色合いを帯びるのが常である。 規制はない。差別はない。試験はない。査定はない。減俸はない。罰則はない。悪いことはない。みーんな嘘であった。 明日がない。夢がない。力がない。価値がない。いいことがない。何故だかみーんな本当のことであった。 |
強制はしませんよ、そりゃあなたの自由ですから。もちろん、それで何か有ったとしてもそれもあなたの自由ですから。私はあくまで好意で言ってるだけなんですから。するも、しないもあなたの自由。何か有ってもあなたの自由。まあじっくり考えてみてください、ってこれじゃ恐喝だね |
強制はしない: 「xxはしない」とは「○○はする」と対で使用されるもので恫喝とか恐喝とかを生業とする職業の人が好んで使用する。教育長、警察官といった職業の人たちである。法律という後ろ盾が出来た瞬間に手のひらを返す、この俊敏性が大人の♂の世界を生抜いていく原動力である。マーキングすべし。 「強制はしない」が逆らう「自由はない」。この程度の矛盾を平然と飲み込みだけの器量が無ければ教育長にはなれない、と指導要領にも記載されている。従ってほとんどの人は教育長にはなれない、というのが日本の歴史である。 |
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